突然文学

趣味が合う合わない関係なしに真魚八重子さんの見識を常々リスペクトしておりますが、今日のブログでもおもしろいことを書いてらした。

みなさん、映画だと車がキュンキュン走って、主人公が窓ガラス突き破って高層ビルに飛び込むようなエンターテインメント作品を観るのに、小説となると突然文学にいってしまいますよね。日本の作家も純文学に括られるような作家がメインで、海外文学でもピンチョンとかジョイス読んだり、河出の奇想コレクションや、せいぜいケッチャムかエルロイで。わたしもまったく同様なんですが。

なんだろう、この乖離は。昔から不思議。勿論ウエルベックの『素粒子』やプリーストの『奇術師』、またケッチャムが映画化されたと聞くと当然観ようと思うんですが、それって特異な例で、だいたいは普段読んでいる文学とはかけ離れた、ドンパチやってる映画を観て喜んでる。


こうして引用するのは、いつも書いておられることと比べて度を越して鋭い!とかではなくて、完全に意表を突かれた思いがするから。これ、まったくそのとおりだと思うんだけど、なんでなんだろ。適当に理由を考えてみると、映画のほうが文学よりも産業としての規模が大きいから、ひとつの作品にかけられる予算が大きく、したがって娯楽に限っては映画のほうが確実に豊かであり、小説の場合はドンパチでないもの(=予算に関係ない分野のもの)のほうがまだしも勝ち目があるから、とか? なんか違うな。

いま思い出したけど、土曜日の「黒の試走車」(過去最低の集客でした。みなさまありがとうございました)でsteinさんが、マンガ家とは唯一、ひとりで映画監督に相当することができる職業だ、みたいなことを言っていて、それとこれとは関係するかもしれません。この指摘自体はsteinさんじゃなくて誰かほかのひとが言ったことみたいだけど(よく言われていることである気もする)、そんとき、いやでも映画界にも我らが(←ウソです)新海誠がいるじゃないか!みたいな話になり、しかし新海の作品はいかにも自分ひとりで作りましたみたいな世界だよなあーと一同うなだれて、マンガだったらだいたいひとりで描いてるけどそういう世界の狭さがことさら指摘されることはそんなにない、となったのだけど、でも考えてみたら、マンガだってなんだって、ひとりでやってるように見えるのはあくまで表面上のことでしかない、というのが正解に近い気がする。少なくともわたしはそう考えています。

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26日のPPFNPの案内が出ました。
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by soundofmusic | 2009-09-07 19:37 | 日記 | Comments(2)
Commented by 桜井晴也 at 2009-09-07 22:52 x
映画のひとと文学のひとを比べて「映画のひとはすごいな!」とまず思うのが、ドンパチやってる映画を平然と見て平然と評価している、ということでした。
でもよくよく考えれば、映画、マンガ、音楽などはわりあい平気でドンパチ的なものを見ることができているのだから、文学だけが逆にへんなことになっているんじゃないか、と思います。
文学のひとも、ミステリとかSFは好きそうですけれど…(でもたぶん文学のひとは、自分好みのミステリとかSFを読んだら「これは文学だ!」と言っちゃうと思うのです。プライドが、きっと、高い)。
Commented by soundofmusic at 2009-09-10 17:35
文学におけるドンパチっていわゆるジャンル小説(≒ミステリとかSF?)になるんでしょうかねえ。文学だけがへんなことになっちゃってるという意見には賛成です。というか公平に見て、いままでやっていた仕事をもっと軽やかにこなす後輩が続々入社しているにもかかわらず既得権益にしがみついている老社員に近い気がする。
若い奴らと競争する必要はないのでほかのことをすればいいのに、それを、むやみに威張ることと混同しているような、というか。


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