ディランにて

もう先月になりますが、ボブ・ディランの来日公演を見に行きました。前回の公演からすでに10年近くたっているらしくて、わたしが行ったのはさらにその前の回だったので、はるか昔、1997年だってのも軽くウケるわけなんですが、会場のゼップトーキョーに行くのはもちろん初めてです。わたしのお台場の思い出といえば1995~96年くらいで止まっていて、そのころの印象だと、ただっぴろい荒野だったお台場は、夜になると身長3メートルくらいのひとが闊歩したり、ハンドルが非現実的に曲がったチョッパーに乗った男たちが口から炎を吹いていたりするような、要するに北斗の拳的なすさんだ近未来な場所に思えて、しかし2010年になってみても、意外とそんな感じのままでした。

ヴェテラン勢の値崩れが進むらしい昨今とはいえ、まさかのライヴ・ハウス公演、さすがにチケットは売り切れて、実際、よくにぎわっていました。なんでライヴ・ハウスか? ということは始まって少ししてわかりました。つまり、単にキャパの小さいところで見せようというのではなく(それなら、小ぶりのホールでやったほうが、客層の大半を占める高年齢層の腰に対してやさしいはず)、猛烈にグルーヴするバンド・サウンドで踊らせようということ。

それは半ば成功、半ば失敗でして、つまり音楽的には成功しまくっていたけど、お客さんの反応は芳しくなかったなあと。インターネットなど見ていましたら、各日のセットリストが貼り付けられたりしていましたが、実際に行った身からしたら、あんなに、セットリストだけ知ることに意味を見出せないライヴもなかった。つまり、曲は完全に解体しているので、あの曲がこんな風に! という驚きすら感じられない。ただし、念仏みたいにうたう歌詞を聴き取れれば別なので、客たちの態度は、歌詞に耳をそばだて、わかる一節が出てくればうぉーと盛り上がる、という具合。そりゃ音楽じゃない、百人一首だ。

ディランの名前は知っているけどとくに興味もない、くらいの若人がたまたま聴いたら、このとっちらかった、ディランの肉体が拡大・拡散したようなバンド・サウンドにおおいに体を揺らしたかもしれないけど、まあそういうことはあまりないでしょう。この断絶?は本当に残念。ひいき目なしで、おもしろいアンサンブルだったので。

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で、余韻を引きずったまま、渋谷のイメージフォーラムで開かれていたボブ・ディラン映画特集で、スコセッシの「ノー・ディレクション・ホーム」を鑑賞。初見。3時間半の長尺にずっと腰が引けていたのですが、退屈せずに見ました。それにしても、この長さなのに、60年代半ばの、バイク事故のあたりまでで話が終わっているというのがすごい。

これ、ディランの自己演出力の高さをあらためて感じさせてくれる映画でした。しかしながら、それと同時に、ディラン現象の盛り上がりが、彼自身のコントロールできる範囲を完全に超えていたことも、よーくわかる。バイク事故は半分必然というか、もしあそこで事故に遭わなかったら、たぶん別の何かで死んでいたんだろうなと強く納得できました。

自己演出に長けていることは反面、うさんくささとも紙一重なわけで、この映画では、無名時代のレコード借りパク事件なんかがさらされていますけど、死んだらたぶん、脱税とか隠し子とか、そういった小事件がぼろぼろ明るみに出るんではないかなとも予感させました。

あと、やっぱりいまの目から見て不思議なのは、エレキ化、ロック化(当時の英米の表現ではむしろ「ポップになった」か)に対する、旧来のファンの否定的な反応です。日本における、ロックを日本語で歌うか英語で歌うかという問題もそうなんですが、いまとなっては歴史的に決着がついたことになっているから、昔のひとたち無知蒙昧! と思ってしまいがちですが、当時は一定の支持を得ていた考え方だったことは覚えておく必要があるでしょうねえ。じゃあどうして、となるとなかなかその身になって考えることは難しいわけだけど……。

あと、激動の60年代のドキュメントとしてもなかなか楽しめる映像が満載で、たとえば、キング牧師の有名な、わたしにゃ夢がある、の演説、動画では初めて見ましたが、意外にもしゃべりのグルーヴ感はなくて、2010年の耳には、ヒップホップを学習したと思しきオバマさんのほうが、あきらかにソウルフルに聞こえるのね。しかし、思わず心から漏れたかのような、「Lord, free at last!」との言葉には背筋がぞくっと来た。

そして、虚を突かれたのは、メイヴィス・ステイプルズの証言。彼女は、ディランの「風に吹かれて」の最初の一節について、これはわたしの父のしてきた経験そのものだ、白人青年のディランがこんなフレーズを書けるなんて……と感嘆する。How many roads must a man walk down before you call him a man? というこの歌い出しを、わたしは無意識のうちに、忌野清志郎の訳詞で、「どれだけ遠くまで歩けば大人になれるの?」と聞いていた、ある意味、抽象的に。ステイプルズは、同じ歌を、リアルな表現としてとらえていた。足首に鎖と鉄球かなんかをくくりつけられて、体全体を引きずるようにして、人間扱いされるまで歩き続ける奴隷の姿かなんかを、思い浮かべていたかもしれない。その聴き方に思い至らなかったわたしは鈍感かもしれないけど、終始そんな意味ばかり背負わされていたら、うたもつらいだろう。バイクに乗っててバランス崩すのも、やむなしだ。

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3月27日のセットリストが出ています。
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by soundofmusic | 2010-04-10 19:21 | 日記 | Comments(0)


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