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ぼったくられたい(まるでストーン・ローゼズのように)

先日、気になるアルバムとして紹介した、ライ・クーダーの新作『チャヴェス・ラヴィーン』、やはり傑作のようだ。各所で買え、買え、とばかりにあおってくる。勝手にあおられてるだけ、という説もあるが。

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菊地成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」(メディア総合研究所)を読了。めちゃくちゃおもしろい本!

カンのいいひとなら、ここに書かれていることにはとっくに感づいていただろう。本人たちはジャズの偽史をでっちあげると息巻いているが、これが正史なんですってば。評論家専業のひとの仕事はどうしても時評が中心になりがちだから、こうした、むりやりに芯を通すような本はミュージシァンであるふたりにしか書けない。読んでいるとなかなか興奮するが、ジャズ論壇からは無視されるに違いない。

何がどこからどうやって現在になったのか、そして、これからどっちのほうに向かっていくのか、そんなこと、どうだっていいよってみんなが思っている時代には、歴史ってぇのは分が悪い。今、90年代は何もなかった、80年代にこそ宝が眠っている、なんて書かれていると、ぼくと同い年くらいのひとは「ホントかぁー?」と苦笑せざるを得ないはず。

90年代が始まってからこっち、もう15年もたっちゃったわけで、フリーソウル的な発想で歴史が解体されたっていうのは、誰でも好きなように歴史をでっちあげていいってことでもある。

とはいえ、たとえば、誰か特定のバンドなり何なりを代表格として挙げて、90年代の日本のロック史を書いてみろ、て言われたら困るね。ピチカート? フィッシュマンズ? スカパラ? グレイ? 奥田民生? ていうか、今まではどうして困らなかったのか、ってこと。不思議じゃない?

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今読んでいるのは、鈴木カツ先生の「フォーキーブルースな夜」(音楽之友社)。

いつかアメリカ音楽にどっぷりはまったとき(そんな日が来るとすれば)、カツ先生の書き物にはきっと教えを請いに行くことになると思っている。だから今はまだいいや、というわけじゃないけど、カツ先生の本を読んだのは初めて。

まぁーすごいアメリカ音楽への愛だわ。その分、怒りも強い。70年代のカントゥリー・ロックをまともに評価できなかった日本のカントゥリー業界や、頭の硬いブルーグラス・ファンたちや、フレッド・ニールをB級として片付けてしまう有名評論家を、随所で斬って捨てている。

しかしカツ先生、前から思っていたことだけど、ジャズはあまり聴かないようなのだな。カツ先生が今までの芸風と知識でジャズを紹介してくれたら、面白いに違いないんだけど。アコースティック・スウィングからだったら、ほんの2、3歩でしょう?

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当たり前のことを書く。あらゆる音楽に精通しているひとなんて、いないのだ。これ、おそろしいことじゃない? だからこそ、あなたや私がこうして駄文を物するスペースも世界には残されているのかもしれない。

加藤典洋が、新聞でいいことを言っていた。批評は、学問と違って、1冊しか本を読んでいなくても100冊読んだ人間に勝てる可能性のあるゲームだ、と。

PPFNPも、似たような発想に基づいている。DJという批評活動では、誰もが知っているようなレコードばかり使っても、驚かせたり楽しませたりすることができるはずだ、と。ただしこの考えは少数派らしい。新譜をどこよりも早くかけたり、レアなアナログ盤を使ったりすることだけがDJの仕事だと思っているひともいるし、逆に、知っている曲で踊ることだけが音楽の楽しみだと思っているひとも。

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ところで、カツ先生は昔、築地でエニィ・オールド・タイムというロック・バーをやっていて、一度だけ、行ったことがある。どんな格好だったか忘れたが、たぶん、柄シャツ(森山が着るようなやつ)か何かだったろう。同行者がビールを注文したら「ボトルでいいですか?」と聞いてきたのにも驚いたが(普通の国産の瓶ビールが出てきた)、メニューに値段が書いてないのにはちょっとビビった(ビビるほどでもなかった)。

あとで、Nさんにその話をしたら、「なんだかぼったくりバーみたいね」と言っていた。違うんだって! カツさんはそういうひとじゃないんだって! でも、鈴木カツがぼったくりバーをやっていたら、ぼったくられに行ってみたい気もする。

(森山)
by soundofmusic | 2005-06-27 20:01 | 日記


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