よくあることさ

このブログのほぼすべての文章同様、これもまた、どうしても書いておかねばならぬというほどのものでもないのだけど、やはり少し気になるので書き留めておく。というのは、柔道の内柴正人のことなので、と書き始めるとすでに、なにを書いても地雷を踏む結果になりそうなのですが、わたしはデヴィ夫人のように彼の行為を擁護しようとはおもわないものの、しかしまあ、あれに類したことはわりあい珍しくないのではないか、と推測しているし、それよりも、調べるならきちんと調べてほしい、とも思う。

そもそも、未成年が正常な判断力を失うほどに泥酔することは、実際問題としてよくあることとはいえ、いくら飲酒経験の少ない未成年者とて、飲み始める前はおそらくシラフであったろうし、また、泥酔に至るまでにグラデーション的な酩酊段階をたどったに違いない。そしてその段階のどこかで離脱することができなかったのには、相当な同調圧力ないしはヒエラルキー的抑圧があったと考えられるだろう。そうしたいびつな力関係が長期間にわたって存在し続けていたとしたらそっちのほうが問題で、今回「事件」とされていたのはそのごく一部に過ぎないのではないか、そして、そもそもわたしたちが普段「合意」として認識されているものはどういう風に成り立っているのか、などなど。今回は、金メダリストと女子学生、という具合に力関係が一見明確(=お互いキャラが立っていた)だったから大騒ぎになったのであって、合法的に結婚している夫婦の間にも、仲のよいカップルにも、同じような力学構造がもしかしたら存在してやしまいか。ゴダールに訊いてみよう。

ところで内柴正人が柔道界でどの程度価値のある存在なのかについてはわたしは判断を下せない。とはいえ今回のニュースを聞いて思い出したのは、昔ときどき考えていた、個人の価値についての逸話というか、仮定のこと。

ある日、万能の宇宙人(神様でも可)が自分の家にやって来て、こう言うとする。「わたしは、地球上からジョン・フォードのすべての作品のプリント、ネガ、DVD、その他のすべてのソフトおよびディジタル・データを消滅させることに決定した」。わたしは答えるだろう、「それは困る。どうにかならないか」。宇宙人「あんたが生贄になって死ぬんだったら、勘弁してやるよ」。さて、そうした場合に自分は死ぬかどうかだ……あきらかに、ジョン・フォードの全作品と自分ひとりとをはかりにかけたらわたしなどひょいと吹っ飛んでしまうのであり、一秒たりとも躊躇せずに死ぬべきなのだろう。

それでも、そういう場合に死を強いるべきではない、というのが戦後民主主義であり(違うか)、内柴正人氏は、もし強姦をしたのだったらしかるべき裁きを受けて、必要に応じて服役して、その後、柔道指導者として並外れた能力があるのだったらその力を生かせることができればいいと思う。男子学生だけを指導させるとかして、今回と同じ事件が物理的に起こりようがない環境を作ることはさほど難しくないはずなので。

(もう一度繰り返しますが、内柴正人を擁護しているとかでは毛頭なくて、言いたいのは、可能性としてはよくあることだということと、よく調べなさいよということ)
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by soundofmusic | 2011-12-15 03:41 | 日記 | Comments(0)


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