越境

d0000025_9101792.jpg1週間ほどサンフランシスコに行ってきました。もともとはうないさんと一緒に行くことになっていて、これは、ふたりで2004年にロンドンにモーズ・アリスンのライヴを見に行った伝説的な旅行の続篇(「ブルース・ブラザーズ2000」的な?)ものとして位置づけられていたんですが、出発まで1週間を切ったあたりで急に、切実かつバカバカしい理由でうないさんが行けないハメになり(詳しくは後述)、わたしひとりで行くことになってしまいました。ひとりだとやはり面倒なことも多いし、前もってそう決まっていたならそれはそれでいいんですが、なんか余計な手間(飛行機のキャンセル、ホテルの予約変更など)と緊張を強いられてだいぶ気持ちに負荷がかかった状態で現地に到着し、最初の数日は身を固くしていたのがしだいに解放されていき、やはりなかなか覚えられないコインの見分け方が多少すばやくなったかなと、そしてカリフォルニアの乾燥した空気ですっかり肌が粉を吹き、唇がひび割れまくったところでいま帰りの飛行機のなかであると、まあ1週間とはその程度の時間であります。

いままでに行って、自分の足で何日かでも歩いた国内外の都市をいま数えてみるに、10かそこらしかないとわかって、あっそんなもんか、と気づいたところですが、総合的に、つまりいいレコード屋があって映画館があって歩いていて楽しい、という意味でですが、いちばんよい場所のひとつだと言わざるを得ません。

よく、サンフランシスコのことが、坂の多い街、と形容されたりしますが、端的にあれはウソです。丘陵地、あるいはいくつかの山の連続体がそのまま都市になっている状態。たとえば長崎とか尾道はどうなんでしょう、行ったことがないのでわかりませんが、少なくとも今月行った伊豆の山歩きよりもキツい瞬間が多々ありました。3方向が海なので、たいていの坂は、のぼりきったあたりでどっちかの方向には海が見えるのもすばらしい。

音楽。サンフランシスコに行った理由のひとつは、サンフランシスコと、その近郊の大学町バークレーにそれぞれある、アメーバとラスプーティンという(中古)レコード屋を訪れることでもありました。ラスプーティンの、サンフランシスコの中心街の店舗は、普通のビルの1階から5階までという、まだふつうに納得できる形状なんですが、バークレーのラスプーティンと、アメーバ(サンフランシスコ、バークレーとも)は、いずれも誇張一切なしで体育館、あるいは巨大な倉庫のような大きさで、真面目に見ていたら1軒あたりでそれぞれ半日はかかるであろうというもの。これだけの大きさになると、よーし山ほど買っちゃうぞ、という気分にはかえってならず、逆に入った瞬間にげんなりしてしまうものだとわかりました。ものごとなんでも程度が大事だという好例ですが、これだけ大量の、資本主義の作物としてのレコード、CDを目にすると、音楽に対する考え方、接し方も自然に変わってこざるをえないのだろうなと感じました。量の変化が積み重なると、それがあるとき、質の変化へと変質することが事実としてありますが、要はそういうことです。

これらの店舗は、わたしがいままで行ったなかで最も巨大なレコード屋ですが、旅行中たまたま、北に20キロくらい行ったミル・ヴァレー(この曲で有名)の、ヴィレッジ・ミュージックという店の存在を知りました。この店についてのドキュメンタリー映画が作られていて、ミル・ヴァレー映画祭のホームページを見ると、「ヴィレッジ・ミュージックをレコード屋と呼ぶのは、エヴェレストを丘と呼ぶようなものだ」との記載を発見。猛烈に行きたくなるわけですが、残念ながら2007年に閉店してしまっているらしい。でも事前にアポっとけば倉庫を開けてくれると書いてあったりもして、うーん、次にもしサンフランシスコに行くことがあったら訪れるべきなのか、どうか。

音楽がふんだんにあふれているっていうのは別にレコードが山のようにあるっていう意味だけではなくて、たとえばたまたま通りかかったそこらの公園で演奏しているバンドがこんなふうにごきげんであり、そしてそれに対してみんなごく自然に反応していることだったりする。その翌日にはアラン・トゥーサンを見に行ったら前座のバンドが「ジャンバラヤ」をやっていて、当然のように客が大合唱している。なんとなくカントゥリーなだけだと思っていたこの曲、歌詞を読んだら南部沿岸部の風物が歌い込まれていることに初めて気づく。そしてその翌日には、見た目半分くらい中南米であるようなミッション地区に遊びに行って、テイク・アウトしたタコスを交差点の広場で食べていたら、広場にはいくつかの露店が出ていて、うちひとつがスピーカーを設置して、大音量でラテン音楽を流していた。わたしの背後のカフェの脇には、勝手にそれに合わせてコンガを叩いている男がいて、背中の方から響いてくるそれが気持ちいいもので、タコスの汁で汚れた手をペットボトルの水で軽く洗いながらずっと聴いていたら、突然、前方からギロをギィロギィロと鳴らしながら別の男が歩いてきて、これには驚いた! 街の中でこんなふうな音楽、いや、音響体験が可能だなんて考えてみたこともなかった。ギロの男がコンガに加わり、さらには白人らしきじいさんがギターでそれに合わせ、とくに展開するでもなく延々とリズムを刻み、そのあいまに何かを喰らったりジュースを飲んだり、聴いているのはおもに彼らの仲間だろう、ワルそうなラテン系のあんちゃんたち、もちろんわたしのような観光客もしばし足を止めたり通り過ぎたり、気持ちよさに離れがたいところをえいやっと身を引き剥がしてホテルに歩いて戻る途中にはブーツィ・コリンズみたい恰好の(たぶん)ホームレスと遭遇。ブーツィのあれは当然ステージ衣装だと思っていたので、実際にそういう服装の人間が闊歩しているのを見てまたまたびっくり、ホテルに戻って少し昼寝してからバークレーにウィルコのコンサートを見に行った。トゥーサンのときもそうだったけど、禁煙ということになっている会場のそこかしこで煙が上がっていて、そしてそれは明らかにわたしの知っている類の煙ではないのだ。

越境、越境、行きの飛行機では和久井光司の「ビートルズ原論」(河出文庫)を読んでいた。彼の書いたものをしばらく読んでなかったけど、彼の言い分、論理の展開はわたしには馴染み深いのでおもしろく読んでいるうちに、そういえばサンフランシスコはビートルズがラスト・ライヴをやった土地だったんじゃなかったっけ(ついでに言えばセックス・ピストルズも)、と思い出し、読み進めていたら、アップルの内部の実験音楽レーベル、ザップルでは、サンフランシスコのビート詩人たちの朗読のレコードがいくつか企画され、実際に録音が済んでいたものもあった(が未発表)、なんてわたしが初めて知った事実もあった。当然、サンフランシスコに行くからにはシティ・ライツ・ブックスにも足を運び、グラフィック・ノヴェルによるビート早わかりみたいな本を買って、帰りはそれを読んでいた。ヨーロッパっぽいカフェが並ぶノース・ビーチ地区と、かの有名なチャイナタウンとの境目あたりにこの本屋はあって、ものの5分くらいの歩行、歩行のうちにまったく違った国から国へと自分のいる場所ががらりと変わったような感覚を味わうことができてクラクラする。昔、シンガポールで、チャイナタウンとインド人街が接しているところがあって、通りを渡ると空気の匂いがはっきりそれとわかるくらい違ったこととか、栃木街道を車で走っていて、というか正確には父親や母親の車に乗せられてというか載せられて走っていて、滝谷町の交差点が雨と晴れとの境目だったことがよくあったななんてことを思い出したり、いずれにしてもバラバラに見えていたいろんな物事がなにかの拍子でぱたぱたとつながっていったり、あると思った境目がゆるやかに消滅していったり、自分にはまだまだ解放される余地があるなと気付かされた、啓蒙された。

写真。上から順に。
○シティ・ライツ・ブックス店内の「サンジェルマン・デ・プレではありません」の標識。
○バークレーのアメーバの店の外に放置されていたレコード。
○濃い空を背景にしたコイト・タワーとサンフランシスコ式の駐車。坂が急なので道路と90度の角度で停める。
○ウィルコのコンサート前のバークレー、グリーク・シアター。
○サンフランシスコのジャパン・タウン。「忍者マーケット」かと思ったら「ニジヤ・マーケット」だった。
○典型的なサンフランシスコの景色。
○建物の壁に彫られたヘレン・ケラーのことば。
○サンフランシスコ、ヘイト・ストリートのアメーバ店内。
[PR]
by soundofmusic | 2012-09-29 09:08 | 日記 | Comments(0)


<< 女の腐ったの 黒の試走車<テストカー&... >>