彼女たちの場合

d0000025_14572299.jpg寺尾紗穂というシンガー・ソングライターがいます。父親は元シュガーベイブ→現字幕翻訳者、本人は東大の大学院を出ているっていうひとですから、わたしなんかは、両親がレコード・コレクターだとか、親の仕事の都合で子供のころ外国に住んでいたことがあるとか、そういう話を聞くだけで、なんだこの野郎スカしやがって、とか思ってしまう性質なので、寺尾さんの経歴を聞いて若干引き気味ではあったのですが、このたび、いつも世話になっているジョー長岡が彼女のライヴを企画するというので、せっかくの機会だからと腹をくくって、足を運んでみました。

そもそもソノリウムという会場の名前が床みたいだし、どこにあるのかと調べてみたら永福町とかいう聞き覚えがあるようなないような駅。駅からそこまでの道はありえないくらいまっすぐで、迷うことなく着いてみると、教会のような一軒家の会場の入口では、まるで「新郎」のような格好にびしっと決めたジョー長岡が立っていて、出会いがしらに思わずふきだしそうになってしまったのでした。

PAも使われていましたが、壁=天井が斜めに高く切り立ったホール自体のリヴァーブもよく効いて、グランドピアノが贅沢に響きます。寺尾のプレイはクラシックっぽかったり、ジャズ風だったり、70年代のシンガー・ソングライターの幾人かを思わせるものだったり、幅広くて聞き飽きない。アンコールでは陽水「傘がない」のカヴァーがありましたが、この曲のピアノなど、デイヴ・ブルーベックを連想。

はっとする言葉がはしばしに織り込まれていて――ここでちょっと脱線しますけど、聴いていてふと、西野カナのことを思い出しました。思い出すっていっても彼女の曲自体は知りませんので、よく揶揄される、会いたくて会いたくて震える、みたいな歌詞のこと。すっかりギャグになっているこの表現も、最初発明された時点ではかなりのインパクトがあったはずなんじゃないか、と――たとえば「骨壺」という曲だとか。この話は以前にもしたかしら、わたしが以前、ジョー長岡に、曲作りに行き詰まったりすることってないのか、と訊ねましたところ、彼は「骨壺」のことを引き合いに出して、骨壺ということばがポピュラー音楽の歌詞に出てきたのは初めてではないか、と言ったのでした。だから、うたの題材なんていくらでもある、と。実際これは骨壺が、必然性を持って出てくるうたです。

歌詞に聴き入ってしまったといえば「富士山」もそうで、ただしこれは平田俊子の詩に曲をつけたものだそうです。

積極的に聴いてもいない者が批判するのもどうかとおもいますが、そこらへんで耳にするJポップのある種のものの、感情を機械的に過剰増幅させたようなうたい方には違和感しか覚えませんので、声楽をやっていたという寺尾の、そっけなさすら感じさせるヴォーカルは、わたしにはとても気持ちよかったです。

「傘がない」ともう1曲披露されたカヴァーが、ジョニ・ミッチェルの「A Case of You」でした。この前日に見た中村まりも、ジョニの「リヴァー」をうたっていて、それだけではなくこの2曲、同じアルバムの8曲目と9曲目で並んでいますから、ちょっとおもしろいなと思いました。寺尾はこの曲を日本語訳でうたっていました。こういうことはもっとどんどんやってほしい。で、翌日、ひさしぶりにジョニのその『ブルー』を聴いてみて、歌詞を読んでいたら、寺尾の訳詞がわりと英語の内容そのまんまであることと、それと、自分がずっとこの曲について思い違いしていたことと、に気付きました。

寺尾さんの訳詞は覚えてないので、1番だけ超訳してみます。オリジナルはここで参照可能。

A Case of You

わたしたちダメになるちょっと前のこと
なんかあなた ドヤ顔で言ってたよね
「オレ、北極星みたいにブレないからね」って
それでわたし「ずっと暗闇の中にいるってこと?
なにそれバッカじゃない!
わたしだったら、会いたくなったらバーにいるから」

TVの反射の青白い光の中で
イラストつきのコースターの裏に
カナダの地図 いっこ描いた
カーナーダー のね
んでそこにあなたの顔 2回描いた
聖なるワインみたいにわたしの体の中を流れてる
とっても苦くてとっても甘い あなた

あなたのことだったらケースごとだって飲み干せちゃう
それでもちゃんと立ってられる
まだ立ってられるんだからね


(以下略)

ちょっと検索してみたら、この曲(に限らないかもしれませんが)の詞を日本語訳して載せてるひとがけっこういる。それで少なからぬ数のひとが、わたしと同じ思い違いをしていたようでした。つまりタイトルは「あなたの場合」ではなくて「あなた箱ごと」だってことなんですが。

以下だんだん話が細かくなるので適当なところで切り上げますけど、たとえばこの「holy wine」を「聖なるワイン」としたのはほんとに便宜的な訳に過ぎなくて、もちろんそれで日本語としての意味は通じるでしょうし、キリスト教に由来するものの考え方だということもあるいはおわかりかと思うのですが、じゃあもっとすんなり頭と体になじむような、英語くさくない日本語にする方法はないものか、と、そんなようなことばかりをずっと考えてる。
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by soundofmusic | 2012-12-19 14:59 | 日記 | Comments(0)


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