特別な瞬間の終わり

d0000025_2194175.jpgさて、今週の土曜日はみなさん待ちに待ったPPFNPです。よろしくお願いします。イヴェントの詳細はこちら。毎年恒例のアンケート冊子も、たぶん配布されます。絶賛編集中。ていうか正確には、まだ提出してこないウスノロな奴らに恫喝メールを送りつつ、自分の分を書いてる最中! お楽しみに。(写真は恫喝してるイメージ)

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先週の金曜日、新宿ピットインで、酒井俊+桜井芳樹+鬼怒無月のライヴを見ました。ふつうの認識だと、ギター(ほか)ふたりをバックにして歌手がうたう、ってことになるわけだけど、酒井俊の場合はそうはならないわけで、男衆ふたりもなれあうでも反撥しあうでもなく、要はみっつの点が緊張感と親密さを保ちながら近づいたり離れたりする、音楽。

桜井はエレキとバンジョー、鬼怒はエレキとアコギを、曲によって持ち替えたり曲の途中で取り替えたり。鬼怒のエレキはときに完全にロック・ギターにかぎりなく接近していて、せっかくだからもっと爆音にすればいいし、客も爆聴すりゃいいと思うのに、まあジャズのライヴ・ハウスではそうもいかないか。

後半の「アイ・シャル・ビー・リリースト」~「ロンサム・シティーズ」~「ワンダフル・トゥナイト」の流れが圧巻。いずれも酒井俊がよくうたっていて、何度も聴いている曲だけど、いつもより言葉と音がまるごと体に入ってきたというか、このひとがうたうのを聴いていると、なにを言ってるのかよくわかるので(たぶん酒井が歌詞をよく咀嚼しているからでしょうが)、自分が英語がわかるようになったような錯覚をいつも覚える。

「アイ・シャル~」だと、サビのところの歌詞はこうなってます。

I see my light come shining. From the west unto the east. Any day now, any day now. I shall be released.

この曲をはじめて聴いたのはわたしはRCサクセションによる日本語ヴァージョンだと思うんですが、清志郎はこの部分を、「日はまた昇るだろう このさびれた国にも」「日はまた昇るだろう 東の芝にも」とうたってました。まあ当時は、『カヴァーズ』の発売中止に対しての抗議、あるいは皮肉ということはわかっても、それ以上は考えてなかった。ピットインで、酒井が英語でうたうのを聴いて、なんだよ、清志郎の書いた歌詞、意外と原詞に忠実ないい訳じゃないか、と気付きました。

うたいだしのラインからして最高なロッド・マッケンの「ロンサム・シティーズ」も、何度も聴いているうちに、しょっちゅう楽旅ばかりしている酒井の心情がダイレクトに反映された選曲のような気がしてくる。安酒場っぽいアレンジもいいね。シナトラのはゴージャスすぎるなあ……。あんた全然ロンサムじゃないでしょ、と言いたくなる。リムジンかなんかで乗り付けてる感じ。

アンコールの「満月の夕」の前のMC、これは一言も漏らさずにおぼえておかなくてはいけないぞ、と背筋を伸ばしながら聞いていたのに、ピットインを出て、雨上がりの道を駅まで歩いていたら、やっぱりものすごい速度で忘れていってしまう。けど、だいたいこんな感じのことを言っていたとおもう。正確ではないであろうことをあらかじめお断りしておきます。

明日わたしはどこかの町でうたうかもしれないし、海に向かってうたうかもしれない。道に飛び出して道の真ん中で歌うかもしれないし、野原に寝っ転がってひとりでうたうかもしれない。でも、そういうことは全部、いまこうしてみなさんの前でうたうことや、100人、1000人の前でうたうことと、結局は同じなんだと、最近気付くようになりました。

別にライヴだとかにかぎらず、誰かと話しているときでも、ああこれは特別な瞬間なんだな、とその最中に感じることがときどきあるもので、ただしそういう体験をしばらくしていないと、それがどういうものかわからなくなってしまう。たゆまぬ努力、なんて言い方は音楽を聴くのにふさわしくないけれど、でもまあそういうことなんだろうとおもいました。
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by soundofmusic | 2013-03-04 02:23 | 日記 | Comments(0)


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