当分わたし

d0000025_311293.jpg先日、とかいってもう2週間くらいたってるけど、阪本正義さんの新居で開かれた飲み会に参加しました。浜田山の駅から、いい感じの並木道とか公園の脇とかを通ってえんえん歩いて、そろそろ「最寄り駅」っていうんでもなくなってきたなと思ったころに到着。夕方から23時過ぎまで呑んで帰ってきて、翌朝起きてみると、自分の部屋に、阪本さんの家にあったはずの、70年代前半のニューミュージック・マガジン10冊くらいと、70年代後半から80年代前半にかけてのプレイガイドジャーナル15冊くらい(もっとかも)が入った紙袋があった。

ニューミュージック・マガジンは現在のミュージック・マガジン。プレイガイドジャーナルは、1971年から1987年まで大阪で発行されていた関西圏の情報誌で、名前だけは知っていたけど実物を見るのは初めて。見かけたこともない気がする。東京の古本屋でも売ってたりするんだろうか、そのへんうといのでわかんないんだけど、とにかく自分にとっては「プガジャ」という略称にすごく大阪を感じるのです。

で、やっていたことがひと段落したので一気読みしようと、NMMの72年12月号をまず読んでみた。当たり前のことだけど、記事の内容も、広告も、文章のテイストも全部当時のものなので、たとえば特定の記事だけを、ウェブだとか、誰かの単著に収録された状態でいま読むのとはぜんぜん印象が違う。四方田犬彦が、映画はそれが作られた場所で見ろ、と言っていて、名物料理とかならともかく……と思わないでもなかったのですが、なるほどこういうことかと。All you need is 文脈なんだと。だから、丸の内でも同じ味のものが食べられるとはいえ、大阪に行ったらインデアンカレー食っとくべきなんだと。

海外アーティストの来日ニュースのコーナー、「チケット」という言葉は使われてなくて、ざっと確認できる限りではまだすべて「切符」だった。この事件を思い出しますね! あと、通常の公演のほかに「鑑賞組織の例会」がある、との表記があったけどこれはファンクラプ・オンリーのイヴェントみたいなもんなのかな? 特集はニューオリンズ、そして来日を控えたスリー・ドッグ・ナイト。ニューオリンズは、アラン・トゥーサンがザ・バンドに参加したり、ドクター・ジョンの『ガンボ』(同年4月米国リリース)があったりして、ロック・ファンの注目が集まっていた時期だったんだろうね。そしてスリー・ドッグ・ナイト……いま日本で彼らの音楽を聴いているひとは何人くらいいるんだろう? ロジャー・ニコルス=ポール・ウィリアムズが作ったこの曲とか、意外といいですよ。

フランスのロックの特集ではニノ・フェレールにも言及されていたり、レコードの広告(拝むように読んでしまう)を見るとレア・グルーヴでおなじみのこれがリアル・タイムで日本盤が出てたなんてことも分かる。こうした先見性……じゃないや、ちゃんと当時紹介されてたことが忘れられがちな現象はよくあることだと思うので頭の隅にとどめておきたい。逆に、ボ・ディドリーの紹介記事での、彼についてのまとまった言及はこれが日本で初めて、みたいな一文には驚かされたり。

2013年の目で見ると、なにぶん昔なので、誌面の使い方がゆったりしてる。どの原稿も本題に入る前に自分の話をしながらエンジンかけてるみたいなところがあるし、アルバムが出るはるか以前のはちみつぱいへの密着日誌に15ページくらい割いているのも、贅沢というかなんというか。

執筆者の顔ぶれは、もちろんこのひと、の中村とうようはじめ、福田一郎、小倉エージ、大貫憲章、北中正和、桜井ユタカ……って、いまでも普通に存命のひとたちが多い。この時点で大貫憲章は21歳くらい、北中、小倉が20代半ば、とうようさんが40代に入ったあたり。福田一郎でも47歳。みんな若かったんだな。

この号の前号だかその前だかで、とうようさんがカントリー嫌いみたいなことを書いたようで、それに対する反論が掲載されていたり、読者からのお便りもほぼその話題ばっかりなのもなんか微笑ましい。

読んでいて気になる名前があったらYouTubeで試聴したりして、結論として、こんなにわくわくしながら音楽雑誌を読んだのはいつ以来だろってことになるわけなのですが、ちょっと倒錯した楽しみという気がしないでもない……そんなわけで当分わたし、あっちに行ってますんで。よろしくどうぞ。
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by soundofmusic | 2013-04-29 03:13 | 日記 | Comments(0)


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