成りさがり

d0000025_3514769.jpg「アメリカ音楽史」の大和田俊之がツイッターで、「ここ一週間ほど、この記事をきっかけに、アメリカで「音楽批評とはいかにあるべきか」について盛り上がっていて面白いんですが」と発言していて、どれどれと思ってその元の記事をささっと読んでみました。

ふだん習慣的に長文を読んだりとかしてませんし、これが載ってる媒体がどういう性格・ポジションのものかも知りませんし、筆者であるTed Gioiaのことも知らなかったし、そもそもこのひとの苗字が読めないわけなんですけど、さて、タイトルの「Music Criticism Has Degenerated Into Lifestyle Reporting」をどう訳しましょうかね。degenerate intoは「成りさがる」でいいかな。lifestyle reportingという字面を見て、瞬間的に、ロキノン系の自分語りのことか、と思ったんですけどそうではなくて、音楽批評が音楽のことに触れずにスターの着てるものの話しかしなくなった、みたいな意味のようです。

そのうちどこかに出そうな気もしますが、冒頭部分だけざっと超訳してみます。

ちょっと想像してみてほしい。フォーメーションとかプレイについて説明することを拒否するアメフトの解説者。あるいは、食材の話を絶対にしないTVの料理番組。でなければ、ボンネットを開けて中を見てみようともしない車の専門家。

まさかそんな事例がこの世にあるとは思えないだろうし、バカバカしく響くかもしれない。とはいえ、音楽ジャーナリズムの世界では、似たようなことが起こっている。山と積まれた音楽雑誌に目を通してみた挙句、音楽に関する深い議論がこれっぽっちも見つからない、なんてことは珍しくない。音楽についての専門知識は記事の中から消えてしまった。要するに音楽批評はミュージシャンのライフスタイルのレポートに成りさがり果てたってわけだ。


以下いくつか興味深いトピックはある。ハリー・コニック・ジュニアが「アメリカン・アイドル」で「ペンタトニック」と言ったらジェニファー・ロペスがそれをからかったこととか。それ見てないからなんとも言えませんが、小難しい言葉を使っちゃってコニックさんたらもう~、みたいな感じだったんでしょうか。ペンタトニックというのは別に難しい概念ではなくて、日本語だったら五音音階、です。

あと、1967年にはシカゴ・トリビューンで「lifestyle」という単語は1年間にたった7回しか使われなかったけれども、5年後には3000回を超えていた、だとか。1920年頃のカントリー音楽はライフスタイルのアクセサリーではなく、生活の中にがっちり埋め込まれていたものだった、とも書いてある。

細かいニュアンスをわたしが読み取れてない可能性は充分あるので断言はしないけれども、通して読んでみると、自分のやっていることの世間的な存在意義が薄れていっていることへの危機感から書かれた文章なのかな、という印象を受けました。昔はきちんと音楽が分かるひとがお茶の間に届くようなところで音楽的に高度なことを言ったり書いたりしていた、というような一節もあるけど、それって別に昔の一般大衆の音楽的知性が高かったこととはそれほど直結しないんではないかな。

誰にとっても飯の種が重要な問題であることは当たり前ですが、こと音楽だとか、直接に腹がふくれるものではない分野に関わってるひとが、みずからの正当性を大上段からふりかざしてる何様感というかそれがどうした感がちょこっとある。で、そういうキツい言い方になってしまうのはもちろんこれがわたしにとっても(飯の種とは関係ないけど)関心の高い分野だからで、ここまで書いてようやく、ああこの文章にはユーモアが足りないんだなと気付き、そうなるとそのひとことでだいたい解決してしまったと思うので、本日はこれにて。

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直前にリマインドできないかもしれないのでいまのうち書いときますね。来週の土曜日、04月05日は黒の試走車です。今回から籠さんがレギュラー化! お楽しみに。詳しくはこちら
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by soundofmusic | 2014-03-26 03:54 | 日記 | Comments(0)


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