d0000025_1751393.jpg以前のPPFNPのホームページから、いまご覧になっている現在のブログへと移ってきたのが2005年の3月のことで、それ以来、いささか長すぎる現在がえんえんと続き、今月でちょうど10年になります。ブログの最初にして最古の記事は、2日連続でクアトロに行き、ダン・ヒックスとダーティ・ダズン・ブラス・バンドを見たことについて書いたものでした。

10年たった今年、クアトロではなくビルボード・ライヴにダーティ・ダズン・ブラス・バンドを見に行きました。その前日ではなく1週間前にもビルボード・ライヴに行きまして、ただし見たのはダン・ヒックスではなくてリチャード・トンプソン。

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リチャード・トンプソンを見るのはここ20年弱で4回目。ただし過去3回はすべてアコースティックだったので、今回初めてRTのエレキを生で聴くことができました。彼のアコ・ギは強靭なリズムを内にかかえたもので、それ自体にまったくなんの不満もないのではありますが、エレキはやはりすさまじかった。1曲目の途中で、隣の客が感極まったように、「すごいね」と話しかけてきました。ふとそちらを見ると、弟が座っていました(たまたまではなく、一緒に行ったので)。

ライヴに行く前には予習がてら、RTのソロや、フェアポート・コンヴェンションにいたころのアルバムを何枚か聴いていました。おおざっぱに言ってここ10年くらい、アメリカ音楽を薄ーく勉強するような聴き方をしていますが、わたしはもともとはカントゥリーなんぞは聴かないヒトでして、英国フォークにどっぷりひたった数年間がありました。

いまにして思えば、その数年間よりもはるかに長いその後の現在が10年くらい続いているわけですが、三つ子の魂百までというか昔取った杵柄というか、やっぱりこっちのがしっくりくる、と感じますし、ひさしぶりに『リージ&リーフ』なんぞ聴くと、おそらくはザ・バンドに触発された若者たちが、おそろしく短期間で米語から英語への翻訳をなしとげたことに驚きもします。

そういった軽~い予習のあとに聴いたRTのエレキは、思いのほかロックンロールの影響が強くて、いやもちろん知ってはいましたよ、知ってはいましたがそれにしても、それを頭ではなく耳で理解したのは今回初めてだったかもしれません。同じような感想を持ったひともいたんじゃないだろうか。なんだかんだ言っても、実物を見て初めてわかることはあるなあという話。

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DDBBを見るのはたぶん通算3回目。前回見たときは、ニューオリンズ訛りのMCがほぼ聞き取れませんでしたが、彼らもそれに気付いたのでしょう、今回は、「ルイズィアーナ!」「ニューオリンズ!」といった、とくにこちらが内容を理解する必要のないフレーズを連発することで客席のヒート・アップを試みていました(半ば成功、半ば失敗といったところ)。

オーネット・コールマンとジェイムズ・ブラウンと三田村管打団?を同時に思い起こさせるような音楽はなかなかないわけです。聴きながら、JBのカヴァーとかやらないんだっけ、と思っていたら最後のほうでJBっぽいフレーズが出てきてびっくりしました。そして、個々のプレイヤーの技量が際立っていなくてもいくらでも楽しくなれるのが「バンド」なんだよなあと気付かせてもくれました。

めちゃくちゃ愉快なステージでしたが、ただ、見ながら別のことを考えてもいて、というのは、ももクロとラッツ&スターのブラック・フェイス問題についてです。経緯はこちらとかをご覧ください。まあほんとにこれは一言ではなんともいえない「問題」でして、そういう書き方をするからにはつまり現在のわたしは、もっとやれとも今すぐやめろとも言うことができずに口ごもってしまうのですが、このことについてわたし自身あるいは誰かがどういう立場をとるかということとは別にして、この日のDDBBが、自らの黒人性を戯画化して見せているようにもわたしには見えてしまったのでした。それが正しいかどうかはわかりません。たぶんわたしの思い過ごしでしょう。ではたとえば、アート・アンサンブル・オヴ・シカゴはどうなのか。

もちろん、ニューオリンズの音楽、あるいはもっと幅広くジャズ一般が、アメリカの黒人の歴史や文化(当然、そこには奴隷制度や差別を含みます)と比較的濃厚に結びついている音楽であることを疑おうという気は毛頭ありませんし、個人的には、そうしたことについて知識を得たいと思っています。と同時に、たとえばイクラの語源を知らずにイクラをうまいうまいと言って食うひとに対して、なにか説教しようとは思いませんし、「黒人」や「ブラック・ミュージック」と書いたり言ったりするときに、その前に「いわゆる」をつけなくてはいけないとしたら窮屈だとも感じます。

長くなりそうなので強引にまとめにかかります。

日本のポピュラー音楽の少なくない部分は、ブラック・フェイス的側面を持っていると思います。という表現が性急かつ乱暴だというのなら、もっと乱暴な言い方をしましょうか。このフレーズの「ブラック」を、「ホワイト」と入れ替えることすらできる国が、日本なのです。シャネルズの黒塗りが差別だというのなら、ソウル・ミュージックを露悪的に日本語環境に移植し続けているOnly Love Hurts(面影ラッキーホール)は、黒人音楽文化に対する侮辱にはあたらないのでしょうか? 大和田氏が(この件については、という留保つきでも)「日本の文脈は成立しない」と言うのは氏の知見としてもっともなのですが、個人的には、度の強いメガネをかけて、首からかけたカメラでパチリパチリやりながら、繰り返し繰り返し、「そこをなんとか」とへいこらへいこらし続けるような図々しさの側に立ちたい気が、若干、します。
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by soundofmusic | 2015-03-11 17:06 | 日記 | Comments(0)


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