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ここのところまたボブ・ディランがおもしろくなってきた

ここんとこボブ・ディランがおもしろくって、またちょぼちょぼ聴き直しているのだが、それは、中川五郎による全訳詞集が出た(買ってはいない。余談だけど、リンク先の、11月4日付けのカスタマーレビューはおもしろい)のに触発された面も少なからず、ある。

ロック史上の名曲(うーむ)ということになっている「ライク・ア・ローリング・ストーン」など、しかし、現代の標準的な、ロートル的なロック史の刷りこみのない、若いリスナーの耳には、ずいぶんとぼんやりした演奏にきこえるのではないのかね? 『追憶のハイウェイ61』からだったら、むしろタイトル曲のほうが演奏は好きだったりするのだ。歌詞がスゴイ? そうかもしれないが、英語だから本当のところはよく分からない。

なもので、実際にそれを曲にのせて歌うことが可能な、日本語の訳詞は可能だろうか? なんてことを考えながら、聴き直したり、昔読んだCDの付属の訳詞を思い出したりしている。20歳のころに勉強したことは、意外と覚えているものだ。

で、いくつかの曲に共通する特徴としては、わりと最初はふつうに(?)始まるのだが、途中で短剣を持った騎士だとか、家来を連れた外交官だとか、謎の貴婦人だとかが現れて、なにがなんだか分からなくなる。あ、あんまりマジメに読まないように。また、具体的にどの曲のことだよ、と言われても困りますので。

こういうの、ディランの幻視的ななんちゃらとか言われたり、あるいはそのカーニヴァル的な想像力において、フェ、フェリーニあたりを引き合いに出されたりもするのかもしれないが、ぶっちゃけ、単に石井輝男じゃねえの? と思ったりもする。フェ、フェ、フェリーニよりも石井輝男のほうがバカバカしくて偉いに決まっているのだから、それでいいのだ。

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先日訪れた、山梨の花枝ばあちゃんの法事は真言宗式でおこなわれ、浄土真宗しかなじみのないぼくにはいろいろと物珍しいものだった。浄土真宗だと、仏壇にある、あの、チーンと鳴らす、鑰(りん)は使用しないのだけど、真言宗だと、読経をしながら、また、焼香の際、みんな盛大に鳴らす。なんだか音楽的でおもしろかった。

で、帰り際、それを思い出して弟くんとニューオリンズ式の葬式の話なんかをしていたのだが、ああいう楽しい習俗は日本にはないものだと決めてかかっていたのは間違いなのかもしれない。

今、フィルムセンターはフィルメックスとのコラボレーション企画の中川信夫特集の最中。いつもは500円の入場料が800円とやや高めなので、ふだん席を埋め尽くしている、ひまつぶしに来ているだけの、たぶん映画が好きなわけでもなんでもない、老人たちがほぼ一掃されていて、けっこう空いている。快適。

石坂洋次郎原作の「思春の泉」を見た。石坂センセお得意の、東北の農村もので、まぁー出てくるひとたちみんな、生活が楽しそうなんだわ、これが。冒頭、馬車を連ねてバカ騒ぎしながらの移動のシーン、それこそ、ライフ・イズ・ア・カーニヴァルという感じ(あ、これは、ディランじゃなくってザ・バンド)。東北の農村なんていうと滅々たるイメージがあるので(失礼な話だけど)、そのおおらかさにワクワクする。

センセについては何度か書いている気がするので割愛するけど、ラディカルなのかリベラルなのかコンサヴァなのか、見ているうちに分からなくなってくる。とにかく若い者どもはいっぱい飯食ってよく働いて恋愛して結婚して子供産め! みたいな感じで、重要なのは、ぼくはその石坂イズムを気持ちいいと思っているということ。

石坂洋次郎とニューオリンズとボブ・ディランとは、お互いの関係はたぶんないのだけど、話の流れだからそれでよしとする。ついでに言うと、どうやら、こうして好き放題を書き散らしながら、ぼくはどうやらいつも、自分が書くようなことは、誰でも知っている基本的な了解事項だろう、と思っているらしい。ずいぶん勝手な話だけど、それにしたってねえ、ともかく、マニアックな話を得意げにするヤツなんてさあ、つまんないもんね。

いつごろからか、いかなる種類の専門家にもなってやるもんか、とぼくは固く誓いを立てているのだ。そもそもそういう熱心さは持ちあわせていないし。そのかわり、いつまでだってダラダラ続けられそうな気だけはしている。

(森山)
by soundofmusic | 2005-11-21 16:03 | 日記


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