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メローな東京の週末、または、眺めのいい部屋、あるいは、チャージの取れる部屋

前回書いた「日本フリージャズ史」、読み終えました。前衛であることの栄光と孤独。なぜフリージャズに惹かれるようになったかなどという繰言はいっさいないかわり、著者がフリージャズに寄せる圧倒的・全面的な信頼がビシバシ伝わってくる。これ、いい本です。

名前を知っているミュージシャン、知らなかったミュージシャン、それぞれに興味深いエピソードが満載。いちばん面白かったのは、サクソフォニスト、井上敬三に関するくだり。このひとは、広島の大学で教鞭をとりながら、中央とはまったく接点を持たず、ただひたすらにアイラーやオーネットのレコードだけを共演相手に、自宅で演奏を続けていたのだという。

それが、70年代半ば、忽然とシーンに姿をあらわす。このとき、すでに50歳を超えていたのだから、愉快な話じゃないか。日本のフリージャズ界の第一世代でも40歳そこそこ、という時代のこと。

バッド・パウエルとほぼ同世代のこの爺さんが今、どんな演奏をしているのか、非常に気になったのだが、読み進めていくうちに、数年前に亡くなっていることが判明。残念。

せっかくなので、熱が冷めないうちに、日本のフリージャズに接してみたいと思う。とりあえずは、明日、池袋のディスクユニオンで中古盤を物色してみることにしよう。

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日本のカエターノ・ヴェローゾ、高田渡の冥福を祈る。

何度か見たことがあるような気がしていたのに、どうやら、ライヴを見たのは一度だけだったらしい。そのときは、ギターを弾きながら足で床を叩くリズムがあまりにも天衣無縫、ギターの奏でるリズムとほとんど関連性がないため、共演の佐久間順平(元・林亭)が若干、困惑気味なのがおかしかった。

昨年、NHK教育で放送されたドキュメンタリー「『フォーク』であること」は、前にも書いたけれども、見ごたえがあった。(なぜか)高石ともやと高田渡に焦点をあてていて、その対照的な歩みには、フォークというものの度量の広さを思い知らされた。

重圧から、10年以上に及ぶ山村での隠遁生活を余儀なくされ(とは本人は思っていないだろうが)、昨今はマラソン・ランナーとしても高名な高石。一方、高田は、言わずと知れた高名な呑んだくれであり、天地がひっくり返ってもマラソンなんかとは縁がなさそうだ。

そのドキュメンタリー中で、高田の沖縄ツアーの様子が採り上げられていた。会場は公民館か幼稚園のような場所。高田が客席の間をのんびりと登場すると、客が彼の曲「自転車に乗って」を歌って出迎えてくれるのだ。ライヴが始まる前から客を合唱させてしまうミュージシャン、そんなに多くないのでは。

昨年はタナダユキ監督によるドキュメンタリー映画「タカダワタル的」も公開された。見るつもりで見逃していた1本。4月30日から5月13日まで、吉祥寺のバウスシアターでレイト・ショウ上映されるようだ。まさか例の“爆音ロードショウ”ではないと思うが(その必要もない)、足を運びたい。

蛇足ながら、本作、尺は1時間ちょっとというところだったはず。ぼくのような遠方の人間でも、さほど遅くならずに帰れるはず。って、ほんとどうでもいいことだな。

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昨日、何度かPPFNPでも回していただいているマジックさんの家に初めて遊びに行った。西池袋の新築マンションの11F。カーテンのない窓から見える夜景はまるでニューヨークだ。行ったことないけど。マイケル・フランクスのレコードがやたらと似合う、アーバンでクリスタルな部屋(注:ほめてます)。

なんというか、カルチャー・ショックだったな……。たひらさんは家に入った瞬間から興奮して写メを撮りまくり、あげくのはてにシャンパンで酔っ払ってソファーで爆睡。たいへん分かりやすい。

たひらさん曰く、「わたしは一生こういう家には住めないのかしら?」。これは切ない。切ないのだが、心を鬼にして、自分にも言い聞かせるように、「ああ、そうだよ。住めないんだよ」と笠智衆の口調で答えてあげました。

「チャージの取れる部屋」とは、やはり一緒に遊びに行った、チバさんの評。

オーディオ・システムのこと、部屋の広さと適正な物の量の関係などなど、考えさせられることはあまりにも多かった。

(森山)
by soundofmusic | 2005-04-17 20:17 | 日記


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