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アフロ・ヘアーでありうる女

アフロ・ヘアーでありうる女_d0000025_0201946.jpg寺尾紗穂の新作『わたしの好きなわらべうた』。なんと、日本各地のいろんなわらべうたに大胆かつ斬新なアレンジをほどこして歌ったものなんですよ、だなんて言われても、ふぅーんと思うくらいでこれといって食指が動かなかったんだけど、とはいえ出てすぐ買って聴いてみたら、もしかしていままでのこのひとの活動はこのアルバムをつくるために積み重ねられてきたんじゃないの? だなんて、ちょっと(どころか、かなり)失礼な感想がすぐに浮かんできたし、いったん聴いてしまうと、いやいや、寺尾紗穂の声とピアノでわらべうただよ? いいに決まってなくなくない? などと、ついさっきまでの自分の全存在すらをも平然と否定することすらやぶさかでない。

そもそもの素材に自由に創造力を展開させる余地が含まれていたのか、それともその素材を見出した寺尾の慧眼なのか、まあたぶん両方なんでしょうけど、録音されて円盤に焼き付けられたうたは、いままでの彼女の音楽の延長線上に確かにあって、それでいてまったく新しいもののようにも聞こえる。

寺尾紗穂っていうと、最初話題になりだしたころの、かちっとしたスタイルでピアノを弾き語る上品なシンガー・ソングライター、みたいなイメージがいまもまだ強いのかもしれないけど、いつごろからかはわからないけど、いつのまにか、ただそれだけじゃなくなってる、ということに気付いてもいいかもしれない。おそらく、P-VINEへの移籍のときにでも、服装や髪型を大胆に変えておいたらわかりやすかったと思うんですけどね。いま現在の彼女の音楽には、たとえば原色のワンピースにアフロ・ヘアー、みたいないでたちのほうがむしろしっくりくるかもしれない。

ピアノには凶暴なスウィング感もあるし、そもそもピアノを弾いてなくてエレクトロニカ風の編曲のものもある。サックスがフリーキーに暴れたりもする。まぎれもなく、いま現在日本と呼ばれている国のあちこちから集められたうたばかりでありながら、これみよがしな和のテイストはない。というか寺尾はたぶん、朝鮮半島や大陸のわらべうたについても調べたんじゃないかという気がするんだけど。

アレンジとか音の質感とかはまったく似てないのに、何度か聴いているうちに、60年代のイギリスの、フェアポート・コンヴェンションとかペンタングルだとかのことを思い出していた。彼らの活動は直接的には、アメリカのフォーク・リヴァイヴァルやブルーズの再発見に触発されて、それを自分とこの民謡をネタにしてやってみたらどうなるべぇか、って動機からスタートしたものだったと思う。日本にも民謡のポピュラー化の試みは昔から断続的にいろいろあったはずで、でも、今回の寺尾紗穂の冒険の、耳が洗われる感じっていうのはなかなかないんじゃないかな。昔のイギリス人がフェアポートとか聴いてびっくりしたっていうのはこんな感覚だったのかも、と勝手に追体験していました。

最初は音が入ってきて、だいぶあとから言葉が届いてくる感じだったので、数回聴いてしばらくして、あっこれってラヴ・ソングでもあるんじゃん、って気が付くなんてこともあった。そういう意味で言うと、わたしが赤子のころに聞かされていた中国地方の子守歌があって、その別ヴァージョンがこのアルバムにも収められてるんだけど、わたしがなじんでいる歌詞は、広く知られているやつで、♪ねんねこしゃっしゃりませ/寝た子のかわいさ/起きて泣く子の/ねんころろ/つらにくさ♪というもの。まあ、寝ない子は困りますよね。ツラも憎く見えてこようというものだよ。ってことは、自分自身が我が子の夜泣きに悩まされるようになって、ようやく心から理解できるようになった真実であり。

それにしてもどうして民謡、わらべうたに惹かれるのか? ってことは難しい。とくに結論を出さなくてはならないものでもないのだろうけど。寺尾紗穂の今後については期待しかなくて、心配があるとすれば、うっかり矢野顕子になったりしないよう気を付けてほしい、ってことだけ(矢野顕子も好きですヨ)。
by soundofmusic | 2016-08-25 00:21 | 日記


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