声の密度

d0000025_2124231.jpg加川良のCD『みらい』を聴いた。1曲目はブルーハーツ「青空」のカヴァー。ギターと、深くエコーがかかったドラムに乗って、声が響いてくる。歌詞の最初は、こんな風だ。

ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを打ち倒した


ところが、実際に聞こえてくる音をそのまま文字に起こしてみると……

ブゥラウゥン管の向ぅこう側ぁ
カァッコつけぇた騎兵隊がぁ
インんディぃアぁンんをぉ打ちぃ倒ぉしぃたぁ


となる。いやいや、いくらなんでも誇張しすぎだろうと思われるだろう。たしかに多少は盛っていることは否定しないが、なにかしら普通でないものがあるのは事実だ。声の密度が異様に濃いというか。

しかし待てよ、そもそも加川良は昔から、こうしてこんこんと説いて聞かせるような、無理やりにでもお前の耳に言葉を届けてやるぞという決意に満ちた、そんな歌い方をしていたんじゃなかったっけ。そこで棚から『教訓』と『アウト・オブ・マインド』をひさしぶりに取り出してみた。

いまさら40年以上前の話をされても本人はイヤかもしれないけど、『教訓』に収録されている「教訓Ⅰ」が加川良の代表曲のひとつであることは間違いない。で、その「教訓Ⅰ」、たしかに母音を重ねて引き延ばすようなフレーズがたくさんあるにはあって、でもニュアンスは決して均一ではない。怒り、諦念、ユーモア、軽妙さ、皮肉、いろんなものが溶け込んでいる。たぶん、歌詞の「女々しさ」の印象に引っ張られて、こんこんと説いて聞かせるような歌だったと単純化して思い込んでしまったのだろう。アルバム2曲目の「できることなら」もある意味セットになったような曲なので、それもある。

ところでこういう話題になるとどうしても、日本語の歌の歌詞の情報量について考えてしまう。便宜上英語と比べると、日本語は、同じ時間(ひとつの音符=音節、と言ってもいい)に入れることのできる情報量が少なすぎる。

たとえば「君が代」の最初の歌詞をわたしたちは、「きーみーがーあーよーおーはー」と7音で歌いますが、英語の7音節でどんな文章が作れるだろう、と「英語 短歌 作り方」で検索してみたら、「We feel good thing will happen」というのが出てきた。たしかに、「君が代」の冒頭にこの歌詞を乗せて歌うことができる。

データ伝達の効率の観点からしたら、これではまったく勝負にならない。わりとみんなそう考えたのでしょう、70年代のフォーク時代から現代の日本語ラップまで、いろんな試みがなされてきた。たとえば吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」をYouTubeででも聴いてみていただきたい。とにかく笑っちゃうくらい言葉が詰め込まれていて、これはこれでかっこいい。「ペニーレインでバーボンを」のフレーズの繰り返しはともかく、「腹を立てたり怒ったり」という歌詞はどうなんだと思っちゃうけど、全体の言葉の量が多ければ、こうしてムダも織り込むことができる。

どうやったら歌がより力を持つことができるのか、その方法は別にひとつじゃない。限られた時間の中にできるだけ多くの言葉を詰め込めるか工夫を凝らすものもいれば、その同じ時間を呪術的に引き延ばそうとする者もいる。

またしてもYouTubeの話で恐縮ですが、ブルーハーツがNHKに出て「青空」を歌ったときの動画を見てみたら、曲のテンポは加川良のヴァージョンとそんなに変わらなくて、ヒロトはわりと素直に棒歌いしている。おもしろいことに、曲の速さと体内のリズムが一致しないからなのか、体で刻んでいるリズムが歌のテンポとぜんぜん違うのだ(マーシーの作った曲だから?)。

その同じ「青空」を、ここでの加川良は、音を引っ張るときただ普通に延ばすのではなく、濃さを倍にするみたいに母音を重ねる。よく、坂本九の「上を向いて歩こう」の物真似で、♪うぅえをむぅいひぃて、あぁるこほぉおぅ♪みたいなフレージングがある。隙間をどう埋めるかという意味では同じ発想にもとづいているのかもしれないが、しかし加川はフェイクしない。坂本なら軽く流すであろうところにも、愚直に、ひとつひとつ音を置いていく。

歌われ方によって、字面で見たときの歌詞の意味が増幅したり変容したりすることがある。ある女優はレストランのメニューを朗読して居合わせた者たちを泣かせたという。矢野顕子は読売ジャイアンツの打順を歌にした。いつだって大切なのはwhat―なにを歌うか―ではなくて、how―どう歌うか―なのだ。いや、正確に言えば、自分が聴いているものがwhatだと思っていたら、それがhowだったのだと気付く瞬間。そのスリル。

「青空」のことにばかり字数を費やしてしまったが、『みらい』にはほかにも、かまやつひろし「どうにかなるさ」や泉谷しげる「春夏秋冬」といった、よく知られた歌が入っている。加川が歌にもたらす問答無用の説得力は、もはやどんな歌でもゴスペル化することができそうだ。

さらに、ついつい不埒な想像の翼が広がる。加川良がこの歌い方で、バカバカしい歌、無内容な歌を解釈したらどうなるだろうかと。2016~2017年現在だったら、たとえば加川良ヴァージョンの「PPAP」。原曲よりぐっとテンポを落として、一音一音をかみしめるように、大地を一歩一歩踏みしめるみたいに。そしたらたぶん、「前前前世」どころではないほどのエモさが生まれるんじゃないかと思う。

☆加川良『みらい』はおもに通販で買うことになっているようです。2000円+送料300円。今後お店でも扱うようになるかも。詳しくはこちら
[PR]
by soundofmusic | 2017-01-03 02:13 | 日記 | Comments(0)


<< 2016年のグッド音楽 何も変えてはならない >>