無粋

d0000025_153979.jpg土曜日のPPFNP20周年パーティにお越しくださったみなさま、DJおよびライヴ・アクトのみなさま、そして司会を務めてくれたジョー長岡さん、どうもありがとうございました。当日のことや思い出したもろもろを書くシリーズの最終回です。

今回特別に、いつもの渋谷エッジエンドから、三軒茶屋のOrbitへと場所を移しての開催でした。スペース広めの、靴を脱いで上がってくつろげるお店なので、本来はもっとゆったり過ごしていただけるはずでしたが、次から次へのお客様ご来場で、完全にキャパ・オーヴァーの状態でした。落ち着けなかった、よく見えなかったなどありましたらすみません。

カウンターのドリンク待ちの列がいつまでたっても途切れないのを見ながら、すげーなーとひとごとのように感心しておりました。ちなみにお店もスタッフおふたり体制で臨む予定だったところ急にひとりお休みになってしまったそうで、たいへんだったと思います。ありがとうございました。

終盤、司会のジョーさんが、われわれ兄弟には内緒でとってきた、森山の父母のコメントを発表する一幕がありました。母は当日来場しましたので、本人がじきじきにコメントを読み上げておりまして、こちらはほぼ内容に誤りはなかったのですが、病床の父からのコメント(兄弟の子供のころのエピソード)は、長年の時間の経過によって多少記憶が変形し、わたし側で把握している事実と異なっている部分が見受けられたため、無粋ではありますが、訂正と補足をおこないたいと思います。弟としてもなにか言いたいことはあるかもしれませんが、それは各自で。

まず、わたしが中学校のときに生徒会長に立候補して、演説の内容を事前に先生にチェックされて修正を求められ、それに抗議して当日、無言で通したというエピソード。

これは明確に誤りです。事前にチェックはあった気がしますが、覚えてない。しかしなにかしゃべったはずです。というのは、規定時間をオーヴァーして舞台袖で鈴が鳴らされたのを覚えているからです。ちなみに落選後、執行部入りを求められて断ったのは事実。

思い返せば中学や高校で、生徒たちが体育館に集められてなにかの議題について話し合ったりする集会的なものがありました。大人になってから否応なしに経験することになる、民主主義の練習的なものだったのでしょう。もちろん学校の体制というものに対しての不満は常にありましたが、同時に、こんな場所で革命は起こりっこない、とも感じていました。

次に、ご質問をいただいた「いいとも旅行」について。これは、小学生のときにわたしが主催していた、日帰り旅行サークルです。栃木県宇都宮市から、電車で東京や横浜にまで行ったりしてました。クラスの約40人のうち、いちばん多いときで20人くらい参加したんだっけな。付き添いはうちの母など大人2、3人で、母はガールスカウトのリーダーなので、慣れてるからいいとして、よく事故が起きなかったなと思います。担任の先生も、そういう余計なことをするガキがいると大変ですよね。もちろん学校とは関係ない活動であるとはいえ、もしなにか起きたら「知りませんでした」では済まないことは目に見えている。自分自身が子を持つような年齢になると、強くそう感じます。

小学生から高校生くらいにかけて、休みのたびにひとりで1泊から数泊の小旅行に出かけていました。大学に入ってからと20代にかけては、1年か2年に1回くらい外国にレコード買い付けに行くくらいで、出かける頻度は下がりまして、30代半ばからまた旅行熱が再燃していろいろ出かけるようになっています。

これも当日披露されたエピソードですが、小学生のころ、たしか東海道線のどこかで、電車の中で大学生に声をかけられました。彼は当時、鉄道旅行のサークルみたいなものをやっていて、小学生がひとり旅をしているのを見かけて、興味を持ったようでした。その後、文通をするようになり、東京の彼の家に遊びに行ったりしたのですが、その何度目かに、性的いたずらをされれかかりました。ベッドの脇の絨毯の上に並んで寝て、ズボンの上から股間を触られたのだったか。直接触られたりはしていません。そういうことがあって驚きましたが、あわてたり取り乱したりはしなかったし、普通に栃木県まで帰ってきました。なにが起きたのかよくわかってなかったのだろうか。親にも話さなかったはずですし、いままで誰かに告白した記憶もありません。ちなみに数年前、彼と同姓同名の男が、男児への準強制わいせつ容疑で逮捕されています。年齢も同じくらいのはずですし、住所も当時わたしが訪ねて行ったのとほぼ同じ地域です。おそらく彼本人なのだろうと思っています。

話変わって、当日も説明しましたとおり、PPFNPは20年間ずっと兄弟主催のイヴェントだったわけではありません。最初はわたしとたひらさんで主催してました。というか先日、1997年7月当時の日記を読み返したら、たひらさんのイヴェントの第1回に出る、みたいに記述されてました。PPFNPという名前を考えたのはたぶんわたしな気がするのですが、このへんのことはもうよくわからない。

それに先立って、95~96年ごろ、たしか埼玉県朝霞の渡辺浩二くんのアパートに集まってCDを聴いたりする会(名前はなんだったかな)というのをやってました。そういうときに、自分でイヴェントをやるとしたらどういう名前にするか、と考えたりしていた記憶があり、コウジくんが「ロック・フォー・ビギナーズ」はどうだ、と提案してきたのをいまでも覚えています。当時、かなりダサいネーミングだとあきれましたが、もしかするとグレアム・ナッシュの『ソングス・フォー・ビギナーズ』からヒントを得たのでしょうか? だとしたらあなどれない。『デジャ・ヴ』っていうタイトルがかっこいい、みたいな中学生っぽい話もしてたね、当時。あと、なんでワーナーから出てた『デジャ・ヴ』の国内盤CDって、解説がついてなかったんですかね。いまだに腹立たしい。

ところで、まだ知らないひとも多いと思うので説明すると、Pure Pop for Now Peopleの名前の由来は、ニック・ロウのホワスト・アルバム『ジーザス・オヴ・クール』がアメリカでリリースされたときのタイトルです。同地での発売元であるコロムビア・レコーズ(言わずと知れた大メジャー・レーベル)が、このタイトルはヤバいんじゃないか、と勝手に忖度して改題したのです。

わたしとしては一応、タイトル流用の許諾を本人から得ようと試みたことは少なくとも2回あって、一度はいつごろだか忘れましたが、イギリスのどこかにあててエアメールを出しました。そして20周年を迎える今年には、ニック・ロウのマネージメントをしている会社にメールしました。どちらに対しても、返事は来ておりません。

さて、スタートした1997年から2005年までは、わたしとたひらさんがレギュラーで、森山弟は東京周辺にいるときには準レギュラーとして参加、という態勢でした。とはいえ、森山弟は留学や仕事で遠隔地に住んでいる時期も長かったので、まあおおむね、たひらさんが脱退して森山弟が正式加入した2005年を境に、第1期、第2期と言えるのかもしれません。

いや待てよ。

土曜日、太田さんに、20年もやっていると終了の危機もあったのではないか、と問われました。わたしは当日最後のあいさつで、こういう晴れがましいことは極めて特別であり、もう2度とない、と断言しました。そこまで言わなくても、あっというまに25年目を迎えそうな気もするのですが、しかしそしたら、そのときわたしは49歳ですよ。なんというか、まあ……。

たしか100回を迎えたあたりで、わたしから弟に、脱退したい旨を伝え、慰留された経緯があります。いつごろからかわたしはまったく集客のための宣伝活動をしなくなっていますし、DJやライヴ・アクトのブッキングもここ数年、一切していません。(BLUEHOURさんにお願いしかけたことはあります。あと出てほしいのは、わっこさん。折坂悠太さんにもお願いしたいけど、もはや難しいだろうな)

当初はそうしたありように心苦しさを感じていたものの、最近ではなにも感じなくなっています。いまや実質的には、森山弟主催のイヴェントに、慣習ないしは付け合わせとして森山兄が付属してくる、第3期に入っているとみなしてよいでしょう。

ですから、というのはヘンですが、土曜日にお越しくださったみなさまも、わたしの存じ上げない方が大半でした。まったく存じ上げない方がたくさんいらして楽しんでくださってるのは別にいいというか、とてもありがたいんですよ。ちょっとだけ困ってしまうのは、わたしとしてもお顔にはたしかに見覚えがあって、あちらからはわたしが森山兄だと(当然)わかっていて話し掛けてこられるみなさまのお名前やご身分を、わたしがあまり覚えていないということなのです。そういう事情ですから、もし当日、わたしに失礼な態度をとられたとお感じの方がいられましたら、お詫びします。(ちなみに少なくとも1名様、その事実に気付いておられる方がいらっしゃいました)

さて、だいぶとりとめなくなってしまいました。そろそろこの文章も終わりに近付いています。最後にちょっとだけ、当日の話に戻って、檸檬葉にゲストとして参加してくれた萩原信義さんのことを。

ほかの出場者のみなさんはわりと何度か拝見してるひとたちで、萩原さんだけ初体験でした。隙間を生かしたフレージング、とてもわたしたちの知っているギターという楽器と同じものとは思えない音、とにかくなにもかもびっくりで、そしてなおかつ、まったくそんなすごいミュージジャンには見えない、そこらのおっさん的な風情(すみません)とのギャップ。落差という点でいうならば、予備校の先生みたいな生の鈴木茂を初めて見たときに近い衝撃がありました。

わたしがカウンターのあたりにいると、萩原さんが、すごい盛り上がってるね~、なにも薬やってないのにハイになっちゃったよ、と楽しそうに話しかけてきました。そこでわたしがなんとなく「昔はよくやってらしたんですか? ドラッグ」と訊いてみたところ、なにもお答えにならず、プイっと体の向きを変えて、ドリンクを買いに行ってしまわれました。

次回は10月です。またいつものエッジエンドでお会いしましょう。

(写真はリハーサル中の檸檬葉と萩原さん、それを見ている鈴木わみさん&音璃さん、左下で写真を撮っているジョーさん、右側は森山弟)
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by soundofmusic | 2017-07-13 01:09 | 日記 | Comments(0)


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