小松菜奈はいなかった

d0000025_23404125.jpgジョー長岡さんと知り合ったのはたぶん10年くらい前で、彼が湯治直樹さんとちちぼうろというデュオをやってた頃。そのうちPPFNPに出てもらいたい、と思っていたら、もう活動停止するんですよ、と言われ、じゃあその前に、とあわてて出てもらったのが2007年の9月。そのあたりの経緯はここに書いてある。

2010年からは、毎年7月のPPFNPにはジョーさんが出て歌う、というのが恒例となって、7年間続きました。今年(今月)は歌はなかったけど、司会をやってくださったのはご存知の通り。

知り合って最初のうちはおずおずと、そしてしだいにずけずけと、さらに年月が流れるうちにあきらめ半分に単なる習慣として、わたしがジョーさんに言ってたのが、「アルバム作ってよ」というお願いでした。聴いてみたいから、というのがもちろん最大の理由ですが、それ以上に、音楽やってるんだったら折々の記録(レコード)を残しておくべきだろう、親が子供の写真を成長に応じて撮っておくみたいに、と思っているからってのもある。成長した子ども自身や、大人になってからその子供と出会う恋人が、小さいころの写真を見たがるに決まってるのだし。

年末になるとジョーさんや阪本正義さんは、高円寺の古本酒場コクテイル(食べ物とお酒がおいしい)で歌うのがこれもまた恒例となっていて、わたしも2回か3回に一度は足を運んでは、1年を振り返ります。「ジョーさん、来年こそはアルバム作ってよ」「うん、作る、作るよ」みたいな不毛な会話(酔っ払っての口約束)を何度か繰り返した記憶があります。

もうさすがにバカバカしくなってきて、自分がなにか言ってもなんの影響も及ぼすことはないなと気付いたので、ここ3年くらいはそういう話は口に出さないことにしてました。そしたら昨年あたり、ウッドベースのうのしょうじと再会したのを機に急にやる気が出たらしく、あれよあれよという間に録音が進んで、アルバムができちゃった。まあ実際はそんな簡単なもんでもなく、いろいろ紆余曲折があったには違いないんでしょうが、できるときにはできるもんなんだなあ。

4月に寺尾紗穂の武蔵野公会堂のライヴに行ったらジョーさんもいて、ライヴのあと、わたしと妻とジョーさんとでバーミヤンで夕飯を食べました。吉祥寺、ほかにもいい店いっぱいあるだろうになぜバーミヤンかというのにも一応理由があって、しかしこの話には関係ないので割愛しますが、そのときに、アルバムの帯のコピーを考えてくれないか、と頼まれました。何年か前、もしアルバムが出るとしたら、という仮定で、「ギターを持ったランディ・ニューマン」というコピーを勝手に考えたことはあったので、ふたつ返事で引き受けて、さっそくその日、ごはんを食べ終えて吉祥寺駅に向かう道すがら(たしか雨が降ってた)、「女々しくってごめんなさい」はどうだ、と提案してみたところ、「まだ音源なにも聴いてないじゃん!」と却下されました。

で、音源が届いたのは6月。ちょうど旅行中だったので、四条河原町のネットカフェでひとまずダウンロードして、一度通しで聴きました。それから数日間は、実際に音を聴くことはせずに、関西各地をぶらぶらしながら、どんな言葉がふさわしいだろうかと考えてた。小豆島では原付を借りて島をほぼ1周。「海ー!」「山ー!」と「溺れるナイフ」ごっこ(なぜか小松菜奈はいなかった)しているうちに思い浮かんできたのは、「海から来た流れ者」とか「霧笛が俺を呼んでいる」とかで、ほんとに日活映画のタイトルのセンスはすごいなと。

東京に戻ってきてからは、松本隆のエッセイ集「微熱少年」を読んだり、ユーミンの『ミスリム』を聴いたりしながらマジメに取り組んでたんですが、そしたら行きがかり上、帯の裏(っていうのは、かぶさって見えなくなっている側のことじゃなくて、裏ジャケ側に来る部分のこと)の文章も担当することになりました。

私事ですが、わたしは帯については一家言あるほうでして、ただかぶさっているだけでなにも書いてない帯はとにかく許せない。せっかくつけるのならば、できる限り文字情報を載せるべきだ、と主張して、小さな字でいろいろ書いてあるCDの帯の写真を送りつけたりしました(って書くとちょっと行動が帯オタクっぽくてキモいな)。

そんなわけですので、間もなくリリースされる男一匹ジョー長岡のホワスト・アルバム『猫背』を手に取られた方は、帯のあたりにびっしり載ってる文字を見たら、ああこいつが書いたのか、と思いながらご一読いただけるとありがたい。

今年に入っていちばん聴いたアルバムはたぶん斉藤由貴(そういやこのひとも猫背だ!)のベストで、これは50回くらいリピートしてますが(とくに好きな曲は「初戀」と「MAY」)、ジョーさんのも30回くらいは聴いたはず。わたしにとって『猫背』のほぼ唯一の物足りない点は、新曲がない=知っている曲しか入っていない、ということなんですが、とはいえしかし、いままでほとんどの場合、それらを弾き語りで聴いてきたのであって、今回はそこにうのしょうじのウッドベース、樋口裕志のペダル・スチール、松村拓海のフルートが加わって、新たな驚きがもたらされている。しかもそれは、半端なモンではない。

樋口、松村は数曲ずつに参加して、ここぞってポイントでおいしいところを持ってってますが、ほぼ全曲で聴けるうのしょうじのベースの推進力、ぴったりフィット感、それでいて意外性満載のフレージングには感嘆感嘆また感嘆。なんど聴いても、気付いてないおもしろみが次々に見えてくる。アルバム全体の名義をふたりの連名にすればよかったんじゃないかと、それくらいの貢献度です。

オーネット・コールマンとやっていたころの若き日のチャーリー・ヘイデンだとか、ビル・エヴァンス・トリオのスコット・ラファロ、と比べたらいくらなんでもほめすぎでしょうけど、でも言いたいのはいかにジョーさんがインスパイアされたかということなので、そのたとえで間違ってない。

あとはみなさんご自身の耳と目でお確かめください。PVは「鯰」で、へぇーこの曲をリード・トラックにしたのか、と思ったんだけど、どれにしたらいいのか自分で決められなくて、監督のスッパマイクロパンチョップさんが選んだのだそうです。『猫背』というアルバム自体、いかにも長い歳月かかってようやくできたホワスト・アルバムらしく、やりたいことぎゅうぎゅう詰めのイキった感じがむわっと立ち上ってきてるんですけど、リード・トラックを自分で決められないというエピソードが、これまたいいじゃないの、と思うわけです。
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by soundofmusic | 2017-07-16 23:41 | 日記 | Comments(0)


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