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アンケート2005-2006 24 その1(A~Dの途中)

 
①森山政崇(もりやま・まさたか) 
②1973年1月5日 
③本誌


2005年の総括。

初めての経験、たいへんひさしぶりの経験が山ほどあり、固定観念で凝り固まっていればいるほど、ひっくり返されたときの驚きや喜びは大きいと痛感。おおむね楽しく過ごしたが、自分のロクでもない部分を直視せざるをえない出来事がいくつかあり、落ち込む。秋、転居などして、もろもろをやむなくリセット。それ以降、ずっと走っていた。息切れしながら、年越し。

自分の正当性を疑わないひとに対していよいよガマンできなくなってきた年でもあった。具体的にそれを強く感じたのは、晩秋、連続して子供が殺された事件のころ。

子供を殺した犯人が糾弾されるのは当然としても、糾弾する側の、犯罪者は自分とは違った人種、とでもいわんばかりの態度にはうんざりする。たとえば、子を持つ親のみなさんが、親の立場で憤りを覚えるのはもっともだけど、自分や自分の子供が加害者になる可能性については、ちらりとも考えないのだろうか。だとしたら、ぼくはそのことのほうがおそろしい。

……と書いても、通じないひとにはどうせ通じないからやめにするけれど、この場を借りて、家族にひとつだけ頼む。将来、もしぼくがなにかの犯罪の被害者として殺されることがあり、犯人が死刑判決を受けそうだったら、事情のいかんを問わず、そうならないよう嘆願すること!

生きて罪を償うべきだとか、そういう理由ではない。死者はどのみち生き返りはしないのだから、いま生きている人間を殺してはならない、との理由。犯人も、遺族も、犯人の家族も、可能な限り生き続けるべき。当然、犯人の残りの人生が獄中に限定されたり、という処置はとられてしかるべきだけれども。

個人の命はあくまで個人個人においてのみ貴重でかけがえがないのであって、社会全体や地球と比べてどうこう、という類のものではない。また、社会だとか国家だとかのために卑小な自己を投げ出して犠牲にする発想も、結局は、それによって、自分をより大きなものに通ずる存在としてみなしたいとのケチな見栄の現れでしょ? 小さいものは小さいままで生きていくべきだし、小さいままで幸福になれる方法を、みんなが考えるべきじゃあるまいか。

2006年の展望。

これも毎年のことで、展望なぞロクに開けていない。具体的な心づもりとしては、だいたい偶数年に海外旅行に出かけているので、06年も行く予定。たぶん、秋、パリに。音楽的には、プリ・モダンのジャズと、ヒップホップに参入したい。今さらながら。

ぼんやりした希望としては、よく歩き、よく音楽を聴き、よく本を読み、よく映画を見、よくひとと話し、それらを糧に、書くことに少し集中したい。ついでに、それによって、小金も稼ぐつもり。資本主義のシステムにがっちりとからめとられたいので、どなたか心当たりのある方、ぜひお仕事を紹介してください。専門分野は、ないです。

その他、各種のおもしろいお誘いには、極力乗っかる所存。みなさん、どうぞよろしく。


CD450枚くらい、レコード130枚くらい。CDは、日本人1:外人9、新品2:中古8くらいの割合。レコードはほぼすべてが中古の外人。

引っ越しの際、約1000枚処分したものの、焼け石に水。考えてみたら、いちばん聴きたいレコードは、常にそのとき買ってきたばかりの盤なのだから、買うのをやめられるわけなぞない。


往年のロックの名盤やSSW系あたりは、さほど買わなくなった年。英国フォークとかモダン・ジャズとかもあまり聴いた気がしないし、フリーソウルやカフェアプレミディ系の世界初CD化モノにも、そんなに簡単にはだまされなくなった。じゃあ何を聴いてたんだと言われると、思いつかない。結局はそれらをわりとまんべんなく聴き飛ばしていたのかな。

ほかにもいろいろいいのはあったものの、以下の10点は、インパクトと耐久性の面から、とりあえず05年の花形選手に選ばれるのに文句ない出来のものばかりでした。順不同。

①V.A.『ザ・ビート・ジェネレーション』(46~77年録音/92年)
②V.A.『トラッド・マッド!』(56~63年録音/02年)
③ベヴァリー・ケニー『ライク・イエスタデイ』(59年)
④ドン・レンデル/イアン・カー・クインテット『ライヴ』(69年)
⑤細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』(78年)
⑥スケッチ・ショウ『オーディオ・スポンジ』(02年)
⑦水森亜土『すきすきソングス』(04年)
⑧マデリン・ペルー『ケアレス・ラヴ』(04年)
⑨キャロル・キング『ザ・リヴィング・ルーム・トゥアー』(05年)
⑩カニエ・ウェスト『レイト・レジストレイション』(05年)

☆コメント☆
① 我最終的購入十年来願望的美麗三枚組箱物於電網通販店“亜麻存”使用千五百円割引券。最良入門篇通導諸人米国的二十世紀中葉対資本主義的芸術運動“打弊世代”(Beat Generation)。此箱物多種多様録音物収録、一例如以下:音曲、対話、放送録音片、立式漫談、詩的朗読、等々。実際抜群多面的成果達成可驚嘆、我認識此箱米国一最良再発専門録音公司“犀音片社”(Rhino Records)大変真剣的業務。主要含有人員如下示、Charles Mingus(近代蛇図面)、Gerry Mulligan(近代蛇図面)、Jack Kerouac(「於路上」「達磨盤図」「地下街的住人」等超有名根本的打弊世代心情代弁者)、Allen Ginsberg(「咆哮」的著名詩人)、William Burroughs(問題作「裸体的昼食」著者及妻君射殺犯)、Lenny Bruce(猶太人立式漫談家。彼的生涯可視聴於傑作電影「Lenny」、背低男優Dustin Hoffman堂々的主演)、Tom Waits(打弊世代的正当後継者濁声自作自演歌手)、Babs Gonzales(究極粋人的強烈顔面人)、Slim Gaillard(出鱈目的各種外国語喋歌粋人)、Lambert, Hendricks & Ross(筆者猛烈愛好的三人組歌唱隊)、等々。誰人此箱購買時豪華冊子一見破顔可確約。超肉厚数十頁的冊子所収、当時的新聞記事、雑誌記事、貴重的記録写真、打弊世代的特殊用語解説、滅茶苦茶重宝的文献及音源案内書。於最終頁、犀音片社構成員数十人集合写真似打弊世代的時装-仏蘭西風部礼帽子、猿取式実存主義口髭、黒色的亀首上着、必須着用黒眼鏡、或者所持木製低音琵琶。爆笑必至。全人類殊興味保持米国現代文化必携的一箱。尚現在犀音片社発売精撰抜粋的一枚物簡便音盤、此比較的入手容易。 
(V.A. / The Beat Generation)

② トラッド・ジャズとはなにか、と問われて、ニューオリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズが英国でリヴァイヴァルしたときの呼び名、と答えれば音楽のテストではさしあたり○をもらえることにはなっているけれど、じゃあどうしてそんなものが、第2次大戦後での英国でかくも人気を誇り、モップ頭の4人組がヤァ!ヤァ!ヤァ!なーんつって大西洋を渡ったころになってもあいもかわらずかくも盛大に演奏されていたのか、なんてことはおそらく日本語で書かれたどんな書物にもまともには載っていないのじゃないだろうか。

実際、そういったことに思いを巡らせずに英国ロックがどうのこうのといってもしかたがないのだけど、時間的にも地理的にも遠く離れたところから眺めることができることをある種のアドヴァンティッジとしてとらえることをせずにマトリックス・ナンバーやなんかにばかりこだわり、それでいて知ったような顔をして英国ロック・ファンを自認するひとたちのうち、いったい何人が、かの国のビートルズ以前のポピュラー音楽状況についてそのひとなりの見取り図を描くことができるだろうか(わたしは描けません)。

さて、56~63年にかけてのパイ社のトラッド・ジャズのアンソロジーであるこの3枚組、基本的にはやはり、ニューオリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズの英国的解釈、とおおざっぱにざっとくくってひもでしばってそこいらに放り投げて雨風にさらしておいて差し支えないものではあるけれど、それはそれで充分すぎるほどに心地よく、ゆったりとひたっていると、ときどき、びっくりするようなトゥイストだったりロックンロールだったり(の、ようなもの)が聞こえてきて、よく聴くとそれは、ロックンロール的な気分だけが新大陸から海を渡ってやってきたとき、あの天気の悪い国にはまだその気分をうまく乗っけることのできる音楽がなかったもんで、むりやりトラッド・ジャズに乗っけちゃった結果できあがったものじゃないかと思われ、そのへんの事情は、極東の、海老フライがのけぞったような形の島国でも、ある程度は似たようなものだったのかもしれない。

最後に書いておくと、キンクス、ボンゾ・ドッグ・バンド、ブラー、ディヴァイン・コメディ、和久井光司、あたりのファンをはじめ、英国ロック好きならば、教養としてこのへんのものはぜひ押さえておきたいし、そんなことどうでもいいよってひとでも、どうしてビートルズは「蜜の味」とか「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」だとかといった“ポピュラーな”曲を演奏しなくちゃならなかったんだろう、と一度でも不思議に思ったことのあるひとは、これを聴くともしかするとその疑問が氷解するかもしれない、というかむしろ、このへんのカヴァー曲の圧倒的な凡庸さこそが、逆に彼らの新しさを(逆に)示していたのか、とも思うけれど、長くなるので、このへんでやめにします。 
(V.A. / Trad Mad! The PYE Trad-Jazz Anthology 1956-1963)

③ Very cuteなAMERICAのJazz Singerですっ!!! Big bandをbackに、swingしてくれています。とはいっても、そんなにpunchの聞いた感じじゃなくて、すっごくsweet & cute。「sentimental Journey」のやる気のないscatとか、「タンピコ」のLatin percussionとか、それだけでもうknock out! Billy HolidayとBlossom Dearieが婚前一体になったみたいって言えばいいのカナ? みなさんどう思いますか? タイトルの《Like Yesterday》っていうのも、なんかmoodyでRomanticじゃないですか? 初恋を思い出しそうですよネ! なんでも、ここで歌われているのはtwentiesやthirtiesのJazz Ageの“hit songs”ばかりなんだそうです。New Jersey生まれのBeverlyは、High Schoolを出たくらいの年からBig Bandで歌ったりしていたそうですが、Comboで歌うほうが好きだったとか。George Shearingといっしょにやっていたみたいです。ここで聴けるようなGorjasなsoundもいいんですケド、ぐっと違ったimageのBeverly、見たかったー。dressなんか着てなくていいから、どこか場末のBarみたいなとこで、pianoとのduoとか……とにかくgooです。今まで聴いたどんなsingerより、気に入っちゃいました。去年の私のMy Favorite Singer! だまされたと思って、聴いてください。あ、ほんとにだまされた!って思っても、保険はできませんよ(笑)。
(Beverly Kenny / Like Yesterday)

④ 昔のイタリア映画とか日本映画とかを見ていると、現に見ている個々の映画の背後に、イタリア映画なり日本映画なりの巨大な実体が立ち上がってくるのが見える気がするときがあります。同じように、04年の後半から05年の頭にかけて相次いで揃えた、サックスのドン・レンデルとトランペットのイアン・カーによるこの双頭コンボの作品群も、60年代のジャズとしてたいへん充実した達成であるというだけでなく、英国のジャズを聴いているのだなあという気分がしみじみとしてきます。おそらく、合州国のジャズとは違って、ルーティーン的にブルーズが演奏されていないからでしょう。もっとも、英国の白人にだって、ブルーズを垂れ流して事足れりとしていたひとたちはたくさんいたはずなので、なんの説明にもならないのかもしれませんが。

ロックの風にあおられながらも倒れず、フリーを気にしつつもそれにおぼれることなく、決して開き直らず、ヒューモアを忘れず、内にこもらず、かくも美しく、モダン・ジャズを奏でていたこのグループは、もっともっと特筆されてよいと思います。64年から69年の間に彼らが残したアルバムは全部で5枚で、現在すべてCDで入手可能。ふたりのリーダーはもちろんのこと、ピアノのマイケル・ガーリックの名前は、覚えておいて損はないです。
(The Don Rendell/Ian Carr Quintet / Live)

⑤ YMOには以前からほとんど興味がなかったけれど、CMタレントの細野晴臣は好きだった。ついでにいえば自分内での順列は、昔も今も、細野>高橋>坂本。おそらく、音楽におけるヒューモアの定義と、その重要性についての認識が変わらない限り、この順位が動くことはないはず。

この『はらいそ』、沖縄民謡あり、レゲエあり、テクノ・ガムランあり、ワールド・ミュージックの幕の内弁当。なんのルーツも持たない東京人ならではの音楽ではあるけれど、根も葉もないところに幹が伸び、葉が茂り、豊かな果実が育ち、火のないところに煙が立ち、肩の向こうでは山が燃え、そんなこともあるもんだ、なにがあってももういい、と深く納得させてくれる1枚。頭と楽器とによって考え続けることによってのみ作りえた音楽。ついでにいえば、彼の低い声には、論理を超えた説得力があると思う。

05年、このアルバムを聴いたり、狭山のハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルに遊びに行ったりして感じたのは、あれ、オレはそんなに細野が好きだったのか、ということなのだけど、ところでわたしは、野外フェスには客として行ったのであって“参加”や“参戦”しているつもりなど毛頭ないので、念のため。

⑥ そのハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルでは、日本のロックの創成期からの大御所たちが、単なるノスタルジーにとどまらず、彼らの現在の音楽を奏でてくれていたのがなにより感動的で、その例に違わず、生バンドを率いて登場した細野も、『ホソノ・ハウス』からのナンバーにまじえて、スケッチ・ショウの曲も披露してくれていた。

狭山は、ほかならぬホソノ・ハウスがあった、いわばゆかりの地。この日のMCでは、「恋は桃色」の♪ここは前に来た道/川沿いの道♪という一節のその「川」が、ほかならぬ入間川だったという、衝撃的で、しかしよく考えれば当たり前かもしれない事実が知らされたわけだけど、個人的には、楽器編成はすべて生音なのに、曲の構造としてはアンビエント風で、しかも歌ものであるあの知らない曲のことが、その後の数日、ずっとひっかかっていた。

結局それは、スケッチ・ショウのセカンドに入っている「ステラ」だったが、とりあえず買ったのは、ファーストの『オーディオ・スポンジ』。理由は、中古で高くなく売られていたから。聴いてみて感じたのは、あれ、細野はそんなにファンクが好きだったのか、ということなのだけど、ところで昔、クラフトワークが、「コンピューターは、ファンキーだ!」と言っていて、その当時は、黒人音楽なんて自分とはなんの関係もないものだと思っていたから(無知とはおそろしい……)、その発言も冗談にしか聞こえなかったりした。

このアルバム、ファンクを漂白したらテクノになっちゃったみたいな曲と、ザ・サークルのカヴァーとが同居していたりして、たいへん散漫な感じがポップで気持ちいいです。これもまた、音楽にいかにヒューモアが大事かということを教えてくれます。

しつっこく狭山の話に戻すならば、帰り、西武線に乗っていたら、電車が小手指に着く直前、すでに減速を始めたあたりで、宇内さんが急に、「うちの実家に寄っていきませんか」と言い出した。許されたシンキング・タイムは、約30秒。結局、おもしろそうという理由で、数時間豪雨に打たれた薄汚い格好でずうずうしくもお邪魔してご飯をごちそうになった(献立は失念)。

雨はやんでいたのでヴィニール傘は宇内家の玄関に吐き捨てるように置き去りにしてきたところ、自宅の最寄り駅に着いたら、またもや豪雨。なんだか、あの日を境に、それまで頭の中に抱えていた、「これはこうじゃなくちゃいけない」というあれやこれやが、少しずつ粉砕され始めてきたような気さえするのだ。それは別に、音楽の力でもなんでもない。

⑦ マジメに書きます。よく、コール・ポーターやアーヴィング・バーリンやジョージ・ガーシュウィンなんかの曲のことをスタンダード・ナンバーとかいって、日本人が英語で歌っていたりしますが、あれ、おかしくないですか。いや、別に曲自体はおかしくないんですが、それがそのまま日本の聴き手にとって「標準的な曲」として通用すると無条件で思っているとしたら、やっぱりおかしい。「いい曲だから」っていうのは、言い訳にならないはずです。

ここで水森亜土が歌っているのは、「すきすきソング」(「ひみつのアッコちゃん」のテーマ)だとか「クラリネットをこわしちゃった」だとか「南の島のハメハメハ大王」だとか「チキチキバンバン」(ルナルナティキティキではありません)だとか「おべんとうばこのうた」だとか、ジャズの素材として採り上げられることが稀な曲ばかり。なのですが、こうした、(少なくともわたしたちの世代なら)誰でも知っているような曲ではスウィングできないというなら、いったいなんのためのジャズの勉強か、と思ってしまいます。

わたしの考えるジャズとは、音楽のジャンルであるだけではなく、世界をどう見るかという方法でもありますから、つまり、映画や小説やロックンロールや恋愛と一緒です。とはいえ、ここでの水森は、ここ100年にわたって蓄積されてきた一般的な基準に照らし合わせても、良くスウィングしていて、つまりは、非の打ち所のないジャズ・ヴォーカルといっていいのでは。

ついでに言うと、プロデュースは小西康陽。そう書くとそれだけで敬遠するひとがいますが、まったく意味が分かりません。音楽は感覚的なもので、いい音楽を作るためには知識と理論は不要、という幻想は、いいかげん滅びてほしいものです。このへんのことは、そのうちに出るかもしれない本誌の90年代特集号で、詳しく書かれることになるでしょう。

⑧ ひとりがうまいこと当てると、同傾向のひとたちが次々に涌いて出る、そんな現象は洋の東西を問わずよく見られて、それにうんざりしてみせたり、オリジナリティの欠如をうんぬんしてみたりするひとがいたりしますが、わたしは商業芸術におけるオリジナリティをさほど重視しないので、そのへんは別に気になりません。というかむしろ、あなたが何を思いついたとしても、その99.9%はすでにほかのひとが思いつき、あなたよりも上手にやってしまっているのですから、あなた自身があえてそれを稚拙に縮小再生産するよりか、パクりあって、いいところは利用しあって、お互い高めあって、全体のレヴェルを底上げするほうが、オリジナルであろうとすることの呪縛に汲々とするよりも、よっぽど世界と芸術とを豊かにするはず。

また、あるひとの成功を待ち構えていたかのように即座に2番手、3番手を繰り出すにしても、それなりの準備が必要なので、むしろ、“最初”に出てきたように見えたひとは、真のオリジネイターというよりは、単なる、蓄積していた潜在的エネルギーの突破口!(ウォルター・マッソーさん、安らかにお眠りください)に過ぎないことが多いのでは、と感じます。

マデリン・ペルーについての文章をこんな前置きで始めると、ああ、ノラ・ジョーンズのことか、と勝手に納得されてしまうかもしれませんが、その早合点は、“男性版ノラ・ジョーンズ”なる形容が笑っちゃうくらいにぴったりなエイモス・リー(そこそこ良いです)の話をするときまで、あなたの小さな(ひとによっては大きな)胸の中に収めておいてください。

ノラ・ジョーンズよりもむしろビリー・ホリデイのほうにはるかに似ていて、かつ、滝川クリステル的な妙な色気を持ち、同時に19世紀末ヴィーン的な倦怠を身にまとうマデリンは、すでに90年代にデビューしていましたが、癒し系ジャズ・ヴォーカルの市場がノラ・ジョーンズによって開拓されなかったなら、まさか消え去りはしないにせよ、マニアックな地位にとどまってしまい、森山のところまで届くことはなかったかも。そういう意味でノラに感謝します。

さて、このアルバムにキャッチフレーズをつけるならば、「現代のビリー・ホリデイが歌うコンテムポラリー・ソングス」、または、「起きながら聴く子守唄」とでもなるでしょうか。レナード・コーエン、エリオット・スミスらの曲を採り上げている中で、ひときわ輝いているのがボブ・ディランの「ユーアー・ゴナ・メイク・ミー・ロンサム・ホウェン・ユー・ゴー」。たぶん、これ、21世紀になってから録音されたディランのカヴァーの中でも、最上級のものに入るはずです。

アルバム全体を通してよく聴きましたが、ことにこのディラン・カヴァーには大いに刺激を受け、ひさしぶりにディランをあれこれ聴き返したり(例のブートレッグ・シリーズの盛り上がりとも連動して)、あげくの果てにはディランの歌詞の試訳まで始めてしまいました。05年、もっとも影響を受けたアルバムの1枚。影響を受けた、なんていうと、お前はミュージシャンかよっ!とツッコミが入りますかね? でも、ある音楽を聴いて、世界に対する態度が変わることは、その言葉でしか表現しようがないのです。  
(Madeleine Peyroux / Careless Love)

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by soundofmusic | 2006-01-01 02:28 | アンケート2005-2006


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