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アンケート2005-2006 28

A
①ナカジマ(今回、本名はご勘弁を)
②昭和**年4月18日
③ヘボブロガー(http://midland.seesaa.net/

B 
2005年は仕事がらみとはいえ、東京に3度(3月、8月、11月)も行くことができて、ありがたい1年だった。で、いま気づいたのだが、その3回ともこの小冊子主宰の森山さんとお目にかかっている。お忙しいのにいつも時間を割いて頂き、申し訳ないなあとは思いつつ、東京へ行くたびに会う人がいる、行くお店がある(月光茶房ね)、というのはなかなかいい人生ではないか、と自画自賛。

2005年に40歳になったが、ここから次はどんな50歳を目ざせばいいのか、ビジョンがもう一つ見えてこない。こんな風に雑文書いたり、CD聴いたり、たまに東京行ったりしながら、ふらふらし続けていていいのか? ビル・ゲイツは「自分の好きなことを仕事にしろ」とあおるが、ただCD聴いてるだけでお金(生活に十分な)をもらえるような仕事は今のところ存在しない。自分のすぐ近くに、こういう50代になりたいと思える人もいない。とりあえずは月光茶房の原田さんを目指して精進すべし、かな。

 
2005年に買ったCDは46枚。うち、ジャズが34枚。去年よりちょっと少なめか。昨年も書いたmixiのコミュニティ関連で、相変わらずドイツのECMレーベルのものが多くなっている。ギターポップとか、ネオアコとか、ごぶさただな~。サマーソニックのロディ・フレイムは、ホント良かったらしいけどね(行ってない)。

あと、ジャズでもジャズ以外でも購入したものを見てみると、紙ジャケが多いのには自分でも驚きだった。森山さんと同じく、プラケース支持派だったのだが、欲しいCDを買ってみるとたまたま紙ジャケだった、ということが続くうちにだんだんマヒしてしまい、しまいには紙ジャケじゃなかったら「あれ?」とか思ってしまう自分がいたりする。「慣れ」というのは恐ろしい…


よく聴いたもの。

●ランバート・&ナッティカム『アット・ホーム』(ユニヴァーサル)

70年代シンガー・ソングラターの佳作が紙ジャケで再発。2本のギターとふたりの声が中心の、シンプルな、しかし心和む音楽。キングス・オブ・コンヴィニエンスの原型がここにある、と言ったらほめすぎかな。

しかし好評だったらしく、2006年になってから彼らのセカンドと、ナッティコムのソロがこれまた紙ジャケで登場。

●ラルフ・タウナー『ソルスティス』(ECM,ユニヴァーサル)

ECMレーベル、70年代の名作を紙ジャケ再発!というプロジェクトの1枚。文字通り胸のすく演奏で、文句のつけようがない。mixiのECMコミュでは、LP→プラケースCD→今回の紙ジャケCDにおけるジャケット内写真サイズの違いで盛り上がって、面白かった。これ聴いてると今のECMは、かつて革新派だったレーベルが時を経て「ブランド」になってしまった、その葛藤を抱えているようにも感じられる。

●マデリン・ペルー『ケアレス・ラヴ』(ユニヴァーサル)

フランス人歌手といえば、2004年はケレン・アンをよく聴いたものだったが、今年はこの人だな。最近、1年を振り返るコンピCD-Rを作る人が増えているようだが、ネットを見ているとこのアルバムから1曲入れている人がけっこういる。私が入れるとすればズバリ5曲目の「ビトウィーン・ザ・バーズ」。今は亡きエリオット・スミスの佳曲が、フランス人によって息を吹き返すとは、まさしく感無量。

●ケティル・ビヨルンスタ『フローティング』(エマーシー)

この1枚だけ輸入盤。ECMから何枚かアルバムを出しているピアニストが別レーベルから出したトリオ物。いくぶんジャズ的エッセンスの効いたベースと、雨のようにしたたり落ちるパーカッションをバックにキラキラと歌い上げるピアノ。ここ数年で一番ECMらしさを感じさせるアルバムが、なぜかECMとは別のレーベルから出てしまった、という意味で自分にとっては長く記憶されるであろう1枚。

●ジョシュ・ロウズ『ナッシュビル』(ビデオアーツ)

アメリカ在住の男性シンガー・ソングライターによるセカンド・アルバム。アコースティック・ギター中心のサウンドに、哀愁ある歌声と、まるでお手本のような作品なのだが、ハマってしまった。この先ずっと聴きつづけるかどうかは何とも言えないが、今はとにかく好き。


今年は「ネット厄年」とも言える一年だったので、そのことを総括しておきたい。

1 mixiで女性ライターに嫌われる(8月)。

mixi内、森山さんとのやりとりでとある乙女系ライターの過去の発言におけるちょっとした間違いに言及していたら、mixiに加入していた本人がそれをご覧になり、不快の意を示された、というのがいきさつ。いや~、まさかご本人がmixi内におられるとは思ってなかったんですわ。間違いはたしかに間違いなんだけど、そういう昔のことにしつこくこだわる自分も良くないと思ったので謝罪のメールを出し、ご本人からは一応了解のお返事を頂けた。結果的に森山さんもちょこっと巻き込んだような形になってしまい、申し訳なかったなあ。その方の今のお仕事ぶりは尊敬しているし、今後も一読者として見守って行きたいと思っている。

2 mixiのコミュニティ「ECMの深い森」で退会者募集(9月)。

上記のコミュニティ(掲示板の一種、メンバーのみ書き込みができる)で管理人をやっているのだが、メンバーが増える一方なのに書き込みは充実していかないので、「書き込みを読むことすらしない方は退会を考えていただけませんか」という主旨のお知らせを書いたところ、非難ごうごう。途中から私が管理人権限で勝手にメンバー削除すると勘違いする人も増えて、さらにややこしいことに。

今問題の箇所を読み返してみると、それほど非難の嵐、というわけでもないのだが、 これをいわゆる「炎上」と見なして面白がる人もいたりして、いやーmixiってのはもはや「社交界」ではないのだね、とんでもない人もいるもんだね、と痛感した。もちろんこの騒ぎの根底には、当方の稚拙な伝え方がまずあって、それは何よりまず反省しなければならないのだが、見ず知らずの人に「不安神経症」とまで言われて、そりゃもう新鮮な経験でした…たはは。

で、もうひとつ驚くのが、そういう激しい言動をしている人が、別のコミュでは「どうぞよろしく」って感じでさわやかにふるまってたりすること。先の、私を病人呼ばわりした人なんかあるミュージシャンのコミュで管理人をしており、連日ジェントルなレスを返しておられる。でもmixiってさ、その人のやっていることが、並列で見えてしまうでしょう?ある場所での罵詈雑言が、他では気づかれないと思ったら大間違いだよ。そこまでわかった上でやってるのかな?だとしたらある意味、尊敬するけど。

繰り返すけれど、この事件に関して落ち度は当方にある。しかしまあ、ネットで発言するということについていろいろ考えるきっかけを作ってもらえたということで、ボコボコに打たれただけのことはあった…かな?

3 マイミク外される(9月)

これも外部の人に説明するのは難しいのだが、「マイミク」とはmixi内における友人のこと。「マイミク」の日記は更新が随時通知されるので、便利といえば便利だ。森山さんと私も「マイミク」。で、2004年暮れから、ある音楽ジャンルに関して素晴らしい知識を持つ方と、幸運にも「マイミク」にならせて頂けたのだが、先述のECMコミュ事件でフイになってしまった。その方はECMコミュを脱退し、マイミクも外されてしまった、というわけ。

しつこく書くが、2の事件についての非は当方にあるので、それに起因したコミュ脱退にもマイミク外しにも異存はない。悲しいけど。ただ、その方とはもめごと以前にも音楽のことをめぐって何度かメールのやりとりをしており、自分では「既知の方」と認識していただけに、何の予告もなく気がついたらマイミクから外されていた、というのはちょっとショックだった。

怒りでも批判でもいいから、マイミク外す前にメールでも頂ければそこで直接、意見を交わすこともできたかもしれないのに。たぶんこのもめごと以前に、その方を不快にさせるような言動が当方にあったのだろう(心当たりアリ)。そういう意味ではやはり自業自得、か。

お会いしたことがないのだけれどこの方は女性で、そういえば1のライターも女性だ。そんなわけで、「ネットで女性に嫌われる男」の異名が定着してしまうのではないかと、少し恐れる日々。男に生まれて、女性に嫌われる人生ほどつまらないものはない。ネットで(も)女性に人気バツグンの森山さんには、これからもいろいろ教えてもらいたいと願わずにはいられない。

4 ブログ開始(11月)

ここまでmixiがらみのゴタゴタが続くと、もういつmixiやめてもおかしくないかなあという気がするし、自分のHPも開店休業状態だったいうことで、ブログを始めることに。

11月頃からあれこれ手をつけてはいたのだけれど、結局自分のHPで告知するのは2006年に入ってからになってしまった。森山さんにはさっそくご宣伝いただいたようで、感謝せずにはいられない。ホント、「捨てる紙あれば、拾う紙あり」やね~。あ、「神」か。

F 
自分の人生において、西暦で末尾に「6」がつく年がけっこうエポックメイキングになっているので、そのことを記しておきたい。

1966年:1歳なのでさすがに何もない。あえて言えば、自分の人格形成におそらく多大なる影響を与えた「ウルトラマン」が放映された年。

1976年:初めて音楽ソフトを買った年。買ったのは中村雅俊の『想い出のかけら』というベスト盤で、当時の家にはステレオがなかったためLPではなく、(録音済みの)カセットテープを購入。2,300円で、当時の小学生にはもちろん超大金だった。

その頃の中村雅俊には小椋佳や吉田拓郎といったフォーク界の有名どころが曲を提供していたので、そこから芋づる式に佳、拓郎、かぐや姫、風…とフォークを聴いていくことになる。で、いちばん好きだった「風」(グループ名)の伊勢正三がスティーリー・ダンを愛聴していると知り、スティーリー・ダンにものめりこむことに。ある意味、中村雅俊のこのアルバムが私に音楽への扉を開いてくれた、といっても過言ではない。

1986年:この1年を過不足なく要約するのはむずかしいが、自分の人生でもいちばんいろんなことを経験した年、とだけは言えると思う。いまだにこの年の蓄積を食いつぶして生きているような、そんな気がしてならない。

1996年:インターネットを本格的に始めた年。ちょうどこの年にカナダへ行く仕事があったのだが、事前も事後もメールでやりとりすることができて、その便利さ・心強さを実感したものだった。「寅さん」こと渥美清の死去は、滞在中に向こうの日本通カナダ人が教えてくれた。

そして2006年、また「6」のつく年。何が待っているのだろう…
by soundofmusic | 2006-01-03 12:58 | アンケート2005-2006


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