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ロシア映画に描かれたモスクワはヨーロッパのどんな都市よりも美しく見える

ロシア映画に描かれたモスクワはヨーロッパのどんな都市よりも美しく見える_d0000025_20103057.jpgいま、たまたま東京に住んでいるので、ほかの都市に憧れたりということはほとんどない。行ってみたい場所はあるけれど、それはまた別の話。ニューヨークにもニューオリンズにもバルセロナにもイスタンブールにもローマにも、いつかきっと行くことはあるだろう。

しかし今月はなんといってもモスクワだ。フィルムセンターの「ロシア・ソビエト映画祭」に足を運んだ者なら、誰だってそう思うに違いない。それはボリス・バルネット「トルブナヤ通りの家」やアブラム・ローム「ベッドとソファ」といった20年代の作品から、マルレン・フツィーエフ「私は20歳」の描き出す60年代の雪解けの景色を経由して、80年代のウラジーミル・メニショフ「モスクワは涙を信じない」に至るまで一貫している。

「私は20歳」の上映が終った後、ロビーで次の上映を待っていると、いつもでかい声でくだらぬことを口走っている迷惑な老人のとはまた別の老人が、でかい声で、半ば独り言のような、半ば知り合いに話しかけるような具合で(というのは、話しかけられている相手も、知り合いというよりはフィルムセンターでだけの顔見知り、といった感じだったからだが)、「モスクワはいいよな。東京とは違って、そのまま撮れば絵になっちゃうんだからな」とくだらぬことを言っていて、なんぼなんでも監督とカメラマンに失礼な話だと思ったものの、そういいたくなる気持ちは分からないでもない。

それにしても、そんな老人ばかりが跳梁跋扈しているようなフィルムセンターとはどんな場所なのか、と、いつもこのブログを読んでいるひとは疑問に(というか不審に)思うかもしれない。なんのことはない、単に多少いやな空気の漂っている場所というだけに過ぎない。わたしなぞはそろそろ、その空気をとくになんとも思わなくなりつつあるが、ここに比べたら、かの悪名高き浅草新劇場なんて、あきらかに危険な雰囲気がしているだけ、まだマシかもしれない。

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佐藤忠男いわく、映画とは自国のいい部分を拡大して描く「うぬぼれ鏡」なのだそうで、とくに外国に輸出されるようなソ連映画の場合、その傾向は否定できないだろう。そこを差し引いて考えても、それにしてもそれにしても、だ。

バルネットの描くモスクワは、わたしたちが初めて都市というものに接したときの感覚をよみがえらせてくれるし、フツィーエフによる自在な青春のスケッチは、60年代半ばのモスクワは少なくとも東京よりはるかに垢抜けていたのではないかという錯覚(錯覚?)を抱かせる。さらに、ヒロインがだめんずふたり(夫とその親友)を見捨てて、身重のまま颯爽と家を出て行くロームの「ベッドとソファ」(1928年/サイレント!)なぞ、平成初期のトレンディ・ドラマにまったくそのままの設定でリメイクされていても不思議ではない。

昨日の金曜日は、川島雄三のケンカ友達もののコメディ「接吻泥棒」と、やはりケンカ友達もののミュージカル・コメディであるグリゴーリー・アレクサンドロフ「ヴォルガ・ヴォルガ」、そして、第2次大戦中の独ソのスパイ合戦を描いたボリス・バルネットの「諜報員」を見て、満腹してきたのだけど、どれもこれもアメリカ映画に類似しているのはどういうわけだろう。

「ヴォルガ・ヴォルガ」でタイトルどおりヴォルガ川に浮かぶ蒸気船は、アメリカから贈られたという設定だからかもしれないが、あきらかにミシシッピ川に浮かんでいそうな風情なのだ。

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フィルムセンターのこの特集は、あと1週間を残すだけとなった。それでもまだ、「モスクワは涙を信じない」も、落涙必至のチュフライ「誓いの休暇」も、「トルブナヤ通りの家」も見られる。ロシア映画が「難解」で「暗い」なんて、ありゃ悪質なデマですから、こちらを参照の上、足を運んでみてください。

急で間に合わないよという方は、8月5日(土)から18日(金)まで、三百人劇場でも、「ソビエト映画回顧展06」が開催されます。こちらも要チェック。

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さて、いつもこうして映画のこととかを書いて勝手にお勧めしている行為は、はたして誰かの役に立っているのだろうか、と思わぬでもない。ま、映画なんか誰も見に行かなくっていいのですが、明日はエッジエンドでPPFNP。こちらにはぜひとも遊びに来てください。画像は豪華なおまけの写真。
by soundofmusic | 2006-07-22 20:18 | 日記


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