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技術論
法事で実家に帰っていました。

夜、弟の運転でがらくた鑑定団と宇都宮鑑定団を巡回している途中、弟が訊いてきた。以下採録。

弟「最近シロートの書いた映画のレヴューなどを読むことがあり、そういったものの中によく、これは現代の目からするとチープに見えるかもしれないが当時は衝撃的で、とか書いてあるがそれって音楽の場合、往々にして逆だよね」

兄「ああ、おもに特撮/CG/SFX系の場合、そう言われることが多い気がする。このあいだタランティーノの『デス・プルーフ』を見て、ちょうどその問題について考えていたんだ。あのカー・アクションはほんとにすごい……。しかしたとえばロックだったら、現代のロックのギターがいかにクリアに、いい感じの音圧で録られていたとしても、やっぱりジミヘンのほうがすげぇや、ってなる」

弟「あれはどうしてなんだろう」

兄「それについても考えていたんだ。とにかくいつも考えてばかりいるんだ。だからときどきインテリだと思われたりもするんだがそれは違うんだ。考えているうちにいつのまにか眠っていたりするんだ。窓を開けたままで寝ていると朝方になって冷え込んできて、寒さで目が覚めるんだ。それなのに、シャツにはべったり寝汗をかいているんだ。不思議だとは思わないかい」

弟「質問に答えろよ」

兄「それはたぶん、映画と音楽とで、製作過程における個人の役割の重要度が異なることに由来するんじゃないかな。どんな芸術も、いや、工業製品の製造でも科学的な発明でも同じことだけど、飛びぬけた才能を持つある個人に帰せられる部分と、集団創造的な部分とがある。でさ、映画の場合、完全に個人の作品ということはありえない。たとえば、『サージェント・ペパーズ』に近いポテンシャルを持つ音楽を完全に宅録でひとりで作って、流通させることは原理的にはほぼ可能だけど……」

弟「映画は、まだそうはなっていない?」

兄「そう。それとおそらく関係して、技術的な進歩によって乗り越え可能な部分が多いってことじゃないのか。ただ、話はそれほど単純じゃない。実は音楽も技術的な進歩によって乗り越えられているのかもしれない。ただし、音楽の場合、個人の才能に対する幻想を、聴き手が持っちゃってるんじゃないか。作り手にしてみたら、また違った意見もあるんだろうけど。ただ、この期に及んで映画だとか、ロックだとかをやろうっていうのなら、先人たちへの敬意と覚悟は必要だと思うけど。それと、技術をアップデイトするのであれば、その技術が発明されたとき、ひとびとがどんなふうにそれに興奮したのか、に思いをめぐらせなかったら意味がない」

弟「そういえば、前から訊きたいと思っていたことがあるんだけど……」

とここで、車はがらくた鑑定団に到着。キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』(315円)と、花柄のシャツ(またしても!)を買いました。

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あさってはこれね。よろしくね。

*Pure Pop For Now People Vol.62*
日時:2007年09月22日(土)18時~22時
会場:渋谷エッジエンド(Tel:03-5458-6385)
料金:800円(1ドリンク&おみやげ付き)
DJ:高嶋里美(Super Seeder)/アツロー(NITRO JENIC)/森山弟(弟)/森山兄(兄、ダイエット中)
LIVE:ちちぼうろ

なるべくたくさんの方にちちぼうろを聴いてほしいと思っています。なになにに似てる、と言ってもほんとは意味がないんだけど、宣伝効果を考えてあえてざっくり申し上げれば、ハナレグミのファンのみなさん、必聴。ハナレグミになんの興味もないひと(わたしだ)も、ついでに必聴。

イヴェントの詳細はこちら
by soundofmusic | 2007-09-20 13:03 | 日記 | Comments(0)
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