解なし

d0000025_17225760.jpg<東京の夏>音楽祭という、わたしも含めてこれを読むひとのおそらく誰もそれについて詳しくないであろうところの一連の催し物があり、昨日、その一環としておこなわれた、「日本の電子音楽」に行ってきました。

行ったのは、50年代~70年代の日本の電子音楽の録音を聴くAプログラムとBプログラム。これはなんというべきか、クラブ・イヴェントでもないし、生演奏でもないし、形態としてはレコード・コンサートに近いのだろうけど、リアルタイムでのPA操作による若干のライヴ感もあり、で、なんともいえない類のものでした。(再生に使っていたメディアはなんだったんだろう? 明示されてなかった気がします)

電子音楽とはいっても純粋に電子回路でのみ生成された音、というわけではなく、現実音and/or器楽音と電子音のミックスだとか、電気的に変調された現実音だけでできている音楽だとかもあって、定義が難しい。テープ音楽という言い方もあるけど。

半分勉強のつもりでしたが、聴く機会もなかなかないだろうと思われる先人たちの苦闘の足あとの数々、なかなか堪能できました。始まったばかりで、正解もノウハウもなかったジャンルならではの面白さ。

簡単に感想を。

Aプロ。黛敏郎「ミュージック・コンクレートのための作品《X, Y, Z》」は、いまでも単純にかっこよく、鉄を叩く音のリヴァーブの深さとテープ速度を変えただけと思われるエフェクトの力強さにぶちのめされます。武満徹「テープのための《水の曲》」は、タイトルどおり、水の跳ねる音やしたたる音などだけを使い、エフェクトをかけまくって鼓のような音にしている。パーカッシヴでかつ隙間があって、西洋人が聴いたらそうとうショックを受けるんじゃないかな。なぜだかジム・オルークが好きそうな曲だな、と思いました。「水の曲」もかなりそれっぽかったけど、高橋悠治「フォノジェーヌ」(だと思う)は、発想も音の質感も完全に現代のエレクトロニカと連結している。武満徹「《怪談》より〈文楽〉」の琵琶の音には、まるでブルース・ギターのような悪魔的な弦のゆるみがきこえる。

Bプロ。一柳慧「東京1969」は、落語、ラジオの声、演歌などが重なって、途中からヒップなビートと異様にブーストされたベースが聞こえてくる。同時代の凡庸なロックやジャズよりもはるかにヤバい音響。湯浅譲二「《ヴォイセス・カミング》より〈インタヴュー〉」は、インタヴューの音声だけを素材として使い、ただし本題の部分以外、つまり、「えーと」「あのー」「一種の」「それは……」などだけ抜き出してコラージュしている。聴いているとなんだか音楽のように聞こえてくるから不思議。この曲での照明はステージ上の左右のスピーカーだけを照らし出していて、客はふたりの話者を見るように、そのスピーカーを見ていた。

といった具合に、始めてはみたものの滞っているわたしの現代音楽熱をまた再燃させてくれそうな、興味深い時間でした。音源がふつうにCDになっていたりするのかどうかも分からないし、ましてや爆音で聴くことなんてめったにできないでしょう。有馬純寿の音響ディレクションも、カラフルでよかったです。

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ところで、草月ホールでおこなわれたってのが個人的にはまたツボで。草月ホールのなにかのイヴェントに、いまから考えたらそうそうたるメンツ(武満徹、小林信彦、ドナルド・リチーなどなど)が客として来ているのをとらえた写真があって、そこに写っている20人くらいのうち8割くらいがいまでも名が知れている芸術家、文化人であるっていうやつ。検索したけど見つからなかった。この写真を知っているひとは、これの日本60年代サブカルチャー版みたいなもんだと思っていただければよい。

もうちょっと(だいぶ、かな)時代が下ると、ナイロンとかピテカンとかが出てきて、さらには90年代の下北なんかにつながっていくはず。実際にその場にいたひとは、いや、別にふつうだったよ、と言うんだろうね。

金とコネがあって、草月ホールでオールナイトのイヴェントなんかできたらいいだろうなあ。映画の上映(実験的な短篇がまじってもいい)とDJとトークが組み合わさったような。あすこはロビーも広いから、休憩時間にジャズ・コムボに演奏させたりするのもおもしろいかも。そんなことを考えました。
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by soundofmusic | 2009-07-12 15:49 | 日記 | Comments(0)


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