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アンケート2008-2009 さくいん

森山が編集、発行、その他もろもろしているフリーペーパー「サウンド・オヴ・ミュージック」では毎年、いろんな方に1年間を振り返ってもらう特大号を発行しています。

これは、通称「アンケート」と呼ばれるその冊子の2008-2009年度版(2009年3月発行、品切れ済み)の、オンライン版です。内容はほぼ紙版に準拠していますが、一部異なっています。参照用にお使い下さい。

アンケートの項目は、以下のとおりです。

A 回答者の、①名前、②生年月日、③職業/肩書き
B 2008年の総まとめ、2009年への展望
C なんでもランキング(なんでも勝手にランキングする)
D 世間では許容されているけれども倫理的に許しがたいこと、および、その逆
E 2008年の総入手枚数(任意)
F そのうちで印象に残ったもの、およびコメント(任意)
G 回答者によって追加された項目(A~Fで書ききれないことについて。任意)

以下の索引から、お好きなところにすぐ飛べるようになっています。全体をずるずるっと読みたい方は、コチラからどうぞ。提出の新しい(遅かった)もの→古い(早かった)ものの順で並んでいます)。

さくいん(あかさたな順)


一条寺みやじ
うない
江渡文江
Edu
岡村義秋
笠井峰生
木崎晴石
kinomi
桜井晴也
しみさん
下田君向
stein
タエコ
田中美鈴
玉ぷら田悦子
チバ
津守
ナカジマユキコ

橋本伸宏
ぺぱみん
マア・チャン
マジック
森山兄
森山弟
森山公子
ゆうひ
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by soundofmusic | 2009-01-01 02:06 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 森山兄


①森山兄(もりやま・あに)
②1973年1月5日
③本紙


<2008年の総まとめ>
○ 万事に余裕がなくなるまで動き倒して消耗。最終的にはもろもろ限界に達した。「片手間にできることしかしない」というモットーは崩壊。何が主で何が従なのかもはや不明。

○ 秋にニューヨークに行った。ここ10年くらい、アメリカってどんなところなんだろう、と断続的に考えていたので、ようやく、という感じ。やはり実際に行ってみてよかった。

○ 音楽面では、実演を見る年、と位置づけて、割合切符代をケチらず見に行ったものの、内容にかかわらずだいたい居眠った。“外タレの実物”に出す1万円はもったいなさすぎる。ただしライヒ一座の来日公演はすばらしく(寝たけど)、その流れで(?)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団も聴きに行く。ロックの音響よりこちらのほうが最近の耳になじむ。

○ しかし、2008年、いちばん感銘を受けた生の音響は、東京ドームでのプロ野球観戦。数万人の観客の喚声と鳴り物、そしてそれらの残響が生む立体音像。コンサート会場としては最悪なあそこの特性がうまく生きていた。

<2009年への展望>
○ 映画の数を減らし、その分いろいろな種類のものを見る。10月にはやはり、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きそうな予感。海外旅行は原則としてしないと思われる。

○ 集中して聴いてみたいのは、ゴスペルと現代音楽。

○ おもしろそうなひとには、積極的に声をかける。


<2008年に見た映画10+α>
原則として、スクリーンで見たもの、かつ初見のもの、の中から、驚いたものと笑えるものを優先して選びました。惜しくも選に漏れたものについても、コメント内で強引に言及していきます。順位なし。並びは製作/公開年度順。

Ⓐ チャールス・ロートン「狩人の夜」(1955年/英語)
Ⓑ ダグラス・サーク「翼に賭ける命」(1957年/英語)
Ⓒ 沢島忠「殿さま弥次喜多」(1960年/日本語)
Ⓓ 高畑勲「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年/日本語)
Ⓔ 相米慎二「台風クラブ」(1985年/日本語)
Ⓕ ニコラウス・ゲイハルター「いのちの食べかた」(2005年/ドイツ語)
Ⓖ 若松孝二「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007年/日本語)
Ⓗ 井口奈己「人のセックスを笑うな」(2007年/日本語)
Ⓘ シルヴェスター・スタローン「ランボー/最後の戦場」(2008年/英語)
Ⓙ アンドリュー・スタントン「ウォーリー」(2008年/英語)
(α) ジャン=マリー・ストローブ/ダニエル・ユイレ「アメリカ(階級関係)」(1983~84年/ドイツ語)

<コメント>(抄)

Ⓐ いまさらわたしなんぞがコメントする必要もない、問答無用の傑作。ようやくスクリーンで見ることができた。ロバート・ミッチャム(田中春男が男前になったみたい)が伝道師の役ということを除いても、キリスト教の道徳観が強固な枠組みとして働いているように見えるし、ヴィジュアル的にも、たとえば夫婦の寝室とリリアン・ギッシュの家の寝室の鋭角に切り取られた影の使い方、明らかに教会の礼拝堂を意識している。

これでもかとばかりに焚かれる霧、スワムプに足を取られるミッチャム。つまりこれ、南部映画というジャンルの傑作でもあるわけで、多少挑発的な言い方をするならば、わたしも含めて、キリスト教がどういうものなのかとか、南部という概念だとか、そういったものへの理解なしでアメリカ映画なんか見てもいったい何が分かるのかと、軽く絶望的な気分にさせられる。そうした状況を打破するために、たとえば「南部映画祭」なるものが開催されることが望ましい。上映される作品は、「アラバマ物語」「シンシナティ・キッド」「夜の大捜査線」「イージー・ライダー」「周遊する蒸気船」「フライド・グリーン・トマト」など。ノーマン・ジュイスンやダグラス・サークを「南部映画」の代表的作家としてみなす視点もここから生まれるだろう。

ミッチャムが怖いのはいうまでもないとして、やさしい老婦人リリアン・ギッシュの不気味な潔癖さもおそろしいし、いろいろなところに出てくるうただとかガチョウの群れだとか表現主義だとか川底だとか、もはや説明する気にもなれないほど大量の豊潤さをあちこちに含んでいる。

名優ロートンの初監督作であり、公開時には黙殺されて結局彼の唯一の監督作になってしまったという経緯も、もったいなくもできすぎた話。

Ⓑ 2008年は、ぴあフィルム・フェスティバルのサーク特集のフリーパスは買うは、「悲しみは空の彼方に」のサントラ盤LPは買うは、米盤や香港盤のDVDは買うわ、英盤のDVDボックス・セットは買うわ、といった具合で、ダグラス・サークにかなりの金をつぎ込んだ。そのなかからどれか1本を選ぶとすれば、無難に「悲しみは空の彼方に」でいい気もするけれど、どうもこちらのほうがぐっと来たように思うので選出。

サークの映画をむりやりひとことでいうならば「顔で笑って心で泣いて」だと思いました。一見軽妙ですらあるヒューモアにくるまれているのは深い深い苦味なのであって、人生と格闘する登場人物たちの右往左往をメロドラマだのと言って片付けてしまうのは、侮辱以外の何物でもない。ことさらに深刻さを打ち出すような下品なことはせず、手際があくまで流麗なもんですから、そう言われてしまうのかもしれません。

ロック・ハドソンとドロシー・マローンが抱き合っているところに不意に仮装パーティの一団が乱入してくるシーンは衝撃的であり悲痛。飛行機の遊具に取り残されて泣きじゃくる息子だとか、フランス料理店での会食のあとで「みんなどこへ行ってしまったんだ?」と呆然とするジッグス(ジャック・カースン)だとか、おそるべきよるべなさと喪失感。この世界で、ごく小さな安寧のためのスペースを求めることが、そんなに度を過ぎた贅沢なのでしょうか。

飛行機のレースの、まるでアメリカ映画のようだ、と矛盾した形容をしたくなる迫力や、ホリゾントの前で髪をなびかせるドロシー・マローンの美しさ、白黒撮影の味わいも筆舌に尽くしがたいです。生クリームみたいにどんよりとよどむ夏の空気感、これもやはり南部映画。原作はウィリアム・フォークナー。

Ⓘ いくつかの映画関係のブログなどを見て回っていると、2008年は新作の当たり年で、ことにアメリカ映画はネクスト・レヴェルに突入した、というのが定評のようです。その流れで、気の利いた映画好きであれば「ダーク・ナイト」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「ノー・カントリー」のどれか1本以上を年間ベスト10に選出し、アメリカ映画における「悪」についてひとしきり演説をぶつのが通り相場なんでしょうが、ちょい待ち! わたしは「ダーク・ナイト」は未見ですが、あとの2本にはそこそこ感心はしたものの、同時に、しょせんは作家主義的なだけのフィルムだとも感じていて、要するに、もういいよ、こういうのは、ってな気分なのです。

見ていないものには言及できない(するひともいるけど)、という大前提を痛感するのは、こういうときです。上記3作品には何の恨みもないものの、あれらを嬉々として年間ベストに選出したひとのうち、いったい何人が「ランボー/最後の戦場」を見たのでしょうか。見た上で選ばないのはひとつの見識。しかし、見ていないのでは……バカバカしい、お話にもならないーわ、とクララ・サーカスもうたっておりましたでしょう。

本作、あまりの真っ当さに卒倒したくなる映画でした。逃げるランボーと追う敵を交互に示す手法には、すでにクロス・カッティング、あるいは並行モンタージュって立派なお名前がありますが、これが、まるでたったいま思いつかれたやり方のように、強烈に見る者に迫ってきます。

また、レイティングなんぞなにするものぞ、と言わんばかりの、必要以上の腐臭ただよいっぷり、実在感も見事すぎます。肉塊、むくろ、屍、ぶよぶよにふくれあがった肉体。滝田洋二郎「おくりびと」を、出来不出来以前に、わたしは圧倒的に間違った映画だと思いますが、その理由は、死がホメオスタシスの崩壊と不可分であることにまったく注意が払われていないから。その観点から言えば、「ゼア・ウィル~」も「ノー・カントリー」も似たり寄ったり、しょせんはお坊っちゃんの考える死なのです。

ここにあるのは、記号化された死とは一線を画するヒリヒリする痛みであり、悪い奴らは自分の手で(ここが重要)ぶち殺すという明快な倫理感であり(ただし対物砲を使うのはやりすぎ)、映画の原始時代に帰ったかのような雄たけびです。

わたしが映画学校の校長だったら、2008年度の新作から「映画の教科書」として新規採用するのは、ロメロの「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」と、この「ランボー/最後の戦場」の2本。なお、わたしはいままでのランボーのシリーズにはとくに思い入れはないことを付記しておきます。

Ⓙ ピクサーというスタジオの力に震える1本。昭和の日本じゃあるまいし、ひとつのスタジオ内で映画的教養がこれだけ自然な形で共有されて作品にごく当たり前ににじみ出ていることに感動。というか、これくらいのことができないひとたちは、映画作んなくていいですよ、逆に。

本篇後のクレジット画面を見ていたら、「プロット・アドヴァイザー」だとかそんな表記に続いて、たしか10人以上の名前が並んでいました。おそらく、こういうキャラクターがいてこういうシチュエーションになったら、こういうギャグが可能でその中でどれが最良か、といったことが精査されつくされているのではないでしょうか。たぶん多くの現代アメリカ映画に施されているに違いないそういった作業によって、監督なり脚本家なりの「個」が磨り減ったり見えなくなったりする危険性は大いにありそうですが、ことこの作品に関しては、徹底した練り込みが吉と出た気がします。

地上と宇宙空間と宇宙ステーションのそれぞれの空気の質感の違いや、これでもかとばかりに多用されるピント送りなどなど、この1本を見るだけでも、映画の映画ならではのおもしろさをノートいっぱいに書き出すことができるはず。

(α) 単にベスト10に入りきれなかった第11位とかでは断じてなく、このような映画が存在しうることすら想像しなかったという意味で、きわめて名誉ある立場としての番外というか選外というかアブラムシ。
内容的にはカフカの冒険小説「アメリカ」(「失踪者」)を、ただそのまま、忠実に映画化しただけ。ただし、愚直なまでのその完全度と異様な映像強度は、誰も「カールはこんな顔じゃない!」などと言う気にならないほど。この映画の秘密を具体的に解き明かすことはいまのわたしにはできないけれど、ラスト、ほとんど「世界の車窓から」な風景が暗転し、列車の走行音だけがクレジット画面へと残っていくのに泣けた。

思えば、カフカのこの小説、マキノ正博「阿片戦争」からブリンズリー・シュウォーツを経由して高橋源一郎「ゴーストバスターズ」やジョン・フェイフィやピンチョンや酒井俊に至る、世界中のすべての「架空のアメリカ」の先駆者だったのかも。

ストローブ/ユイレの自由と確信とを目の当たりにすると、映画でも何でも、たいていの創作物がいかに不自由であるかをいやでも思い知らされます。年末に見た宮崎駿「崖の上のポニョ」も、方向性はだいぶ違うものの、才能のある人間がKYだった場合のケース・スタディとして、わたしにとってはほとんどストローブ/ユイレと同程度の衝撃がありました。

そういえば、精力的に撮り続けているのになかなか日本に入ってこないアデュー・フィリピーヌ監督ですが、「娘たち」シリーズの1本、「テルミニ駅の娘たち」(2004年)だけひょっこりと日仏学院で上映されて(英語字幕のみ。フン!)、見ることができました。「娘たち」シリーズは、世界各地を舞台に、毎回、これぞ絵が動くという意味でのアクション映画、というほかない興奮を届けてくれていますが、これはなんと、ミッソジーニのオペラ「ローマの醜女(Ragazze brutte a Roma)」の映画化。ローマはテルミニ駅内のさまざまな場所で、頭に巨大な鳥の羽をつけたバロック的な装いの娘たちが直立不動でヘタクソなアリアを歌うのを、フィックスの長回しで通行人や乗客や列車もろともとらえるという、ストローブ/ユイレ的でもある一篇でした。

<2008年に読んだ本>
読書量の減少を年1回嘆くコーナーです。2008年は、もういいかげんこれ以上は減りようがないってくらいに少なかった気がします。そんな中から選出。並びは著者名の50音順。

Ⓐ 荒川洋治「文芸時評という感想」(四月社)
Ⓑ 原武史「滝山コミューン一九七四」(講談社)
Ⓒ ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」(中公文庫)
Ⓓ 安田謙一「ピントがボケる音」(国書刊行会)
Ⓔ 四方田犬彦「先生とわたし」(新潮社)

*コメントは略。


<世間が許しても自分は許せないこと>
・会計時に、お金やクレジットカードなどを投げ出す行為。
・(上のような態度をとる奴に限ってやりがちなのですが)お金を出した次の瞬間から手のひらを店員に向かって突き出してお釣りを待っている行為。
・電車や映画館などの座席に勢いよく、どしーんと座る行為。
・公道にツバ、痰などを吐く行為。
・道の横幅いっぱいに広がり、集団でのろのろ歩く行為。(飲み会のあとの大学生などがやりがち。わたしはひとりで歩くときはたいてい異常な高速なので、余計イラつかされます)
・フォーク並びをしない行為。(田舎者がやりがち)
・ウィンカーを出すタイミングが遅いドライヴァー。(これ、ほとんど全員じゃないか? 信号のない場所で曲がる際は、まずウィンカーを出して、それから減速してください。後続車はあなたがどこで曲がるかなんて分かる由もないのだから)
・フラッシュを使ったウェブサイト。
*口うるさくてすみません。

<わたしは許しちゃう(自分でもやってる)行為>
・見晴らしのよい横断歩道での信号無視。(歩行者のときのみ)
・閉まりかけた電車のドアをこじ開けての駆け込み乗車。
*こっちの項目は、意外と少ない。内心「これはやっちゃいかんのだけどなあ」と思いながらやっている行為なら、多い。


・CD540枚(邦人96枚、外人444枚)(新品2割、中古8割)
・レコード14枚(たぶん8割くらい外人)
今回初めて、オンライン購入と実店舗購入のだいたいの比率を出してみました。イーベイが約140枚、その他のオンライン購入(ヤフオク、アマゾン、HMVなど)が100枚弱。残りはたぶん実店舗での購入のはずなので、310枚くらいでしょうか。


2008年購入品の中から、思い出しやすかったものを中心に。内容的な意味での厳密なベスト10ではなく、2008年のわたしの聴取傾向を代表すべく、ある程度恣意的に選んだ10枚+α。並びは、録音年代順。カッコ内の国表示は、目安。全部CD。

Ⓐ V.A.『ゴスペル・トレイン・イズ・カミング』(日本編集盤/1926年~69年録音/1997年発表/米国)
Ⓑ カルメン・ミランダ『ブラジル最高の歌姫~カルメン・ミランダ1939-1950』(日本編集盤/1939年~50年録音/1999年発表/米国=ブラジル)
Ⓒ イマ・スマック『マンボ!』(Yma Sumac "Mambo!"/1954年/米国=ペルー)
Ⓓ 古谷充とザ・フレッシュメン『ファンキー・ドライブ&民謡集』(1960~61年録音/日本)
Ⓔ オーネット・コールマン『コンプリート・サイエンス・フィクション・セッションズ』(Ornette Coleman "The Complete Science Fiction Sessions"/1971年~72年録音/米国)
Ⓕ コルティーホ&ヒズ・タイム・マシン『同』(Cortijo & His Time Machine "same"/1974年/米国=プエルト・リコ)
Ⓖ マウス・オン・マーズ『ニウン・ニグン』(Mouse on Mars "Niun Niggung"/1999年/ドイツ)
Ⓗ キャスリン・ウィリアムズ『リレイションズ』(Kathryn Williams "Relations"/2004年/英国)
Ⓘ 湯川潮音『灰色とわたし』(2008年/日本)
Ⓙ ランディ・ニューマン『ハープス・アンド・エンジェルズ』(Randy Newman "Harps and Angels"/2008年/米国)
*番外 電化マイルス・デイヴィスの諸作(1970年代/米国)

<コメント>(抄)
Ⓐ わたしもみなさん同様、アメリカの黒人音楽の全貌をつかむことができたら魂に悪魔を売ってもいいとつねづね思っています。しかし、そのために不可欠であるらしいブルースへの理解が決定的に欠けているのでどうしようと長いこと思案しておりましたが(仕事中にデスクでフリーズしているのは、たいていそんなときです)、あるときふと、ゴスペルがあるじゃないか、と気付き、おずおずとコンピレイションを買い始めました。つまらないCDを間違えて買ったとて死ぬはずもなし、売り飛ばせば済むだけなのに、よく分からないジャンルに接近していくときのあのよるべなさは、いったい何なんでしょうか。

そんな迷える仔羊を導いてくれるのが、中村とうよう編集による日本企画のこのコンピ。いわゆる一般に想像される天使にラヴソングを的なゴスペルにとどまらず、フォーク・ブルース、ドゥワップ、ブギウギ、R&B、オルガン・ジャズ、などにも通じる、汎黒人音楽としてのゴスペルが満載。いままでよく分からぬまま摂取し、体内に蓄積されていた音楽水脈を活性化させ噴出させてくれる、ダウジングみたいな1枚です。トイレ行きたくなってきた。

Ⓓ ディスクユニオンのレーベルであるThink!が数年前から手がけている昭和時代(1925-1989)中期の和ジャズの復刻盤は、安ければなるたけ買うようにします。白木秀雄や松本英彦の諸作にもだいぶ驚かされたわけですが、最大の衝撃がこの古谷充の2イン1です。

『ファンキー・ドライブ』は、個々のプレイヤーの技術に若干のムラが聴き取れるように感じましたが、それでも、和製キャノンボール、浪速のジャッキー・マクリーンと呼びたい古谷のプレイを筆頭にして、堅実なハード・バップを展開していて、好感が持てますし、箸休め的に入っているヴォーカル曲も洒脱。

ふむふむ、悪くないね、と聴き進めていたら、後半の『民謡集』には耳をぶち殴られた気分になりました。これはタイトルどおり、民謡を題材にしたハード・バップ~ファンキー・ジャズです。民謡とポピュラーのクロスオーヴァーは、昭和の中盤あたりまでしばしば見られた現象で、たとえば江利チエミや雪村いづみなんかを思い出していただければいいのですけど、というか、わたしが思い出させるのはそのへんなんですけど、古谷の『民謡集』は、単にクォリティが高いだけにとどまらず、発想が完全に黒人。同時代の米国でアート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ユセフ・ラティーフなんかがやっていた同じ路線のサウンドと期せずしてシンクロしてしまったような錯覚すら覚えます。CDの帯には、ややもすればブルーノートの1500番台をも凌駕する勢いがあるんです、と書かれていて、それを読んだら誰でも(ブルーノートの1500番台がなんだか知らないひとは除く)、フカしてんじゃねえよ、と鼻で笑うことでしょうが、驚くなかれ、このコピーは真実です。

さて、この盤に限らず、「なんでポピュラー+民謡なのか」ということについては、ときどき考えてみることがありました。たぶん、都市部への急激な人口の流入に伴う社会構造の変化、は背景としてはずせないとして、もっと大胆に考えを進めるなら、これは、資本主義社会の転換期における世界的現象の一環だったのではないか。つまり、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジやロンドンのソーホーで若者たちがギター片手におこなっていたあのフォーク・リヴァイヴァルの、日本的展開だったのではないか。そう思えてなりません。この仮説はたぶんそう的外れではないはずなので、ポピュラー音楽について研究されてる方、どなたか理論付けと資料による検証をおこなってみてください。

やや関連して、近田春夫なんかが、日本のヒット曲の構造がいまだに演歌~オールディーズを脱却できていないことをよく指摘していますね。しかしぱっと見は、同時代の米国のヒット曲と同じようなものであるような顔をしているわけで、そういう取り繕い方はあまりかっこよくない、と。で、このあいだTVを見ていたら、ボ・ディドリーのギターみたいな四角い顔をした娘さんが三味線を弾きながら声を張り上げて歌っていて、そういえばそれは子供のころに聴いた松村和子の「帰ってこいよ」なのでした。1980年ごろになってもこんなもんが自然に(でもなかったか?)存在できていたのだから、いまでもまだ民謡+ポピュラー路線が再生できる可能性はなきにしもあらずなのでは。

もしわたしがレコード会社のディレクターか芸能事務所の社長だったら、イケメンのバンドかなんかをでっちあげて、ぱっと聴くと普通のロックで実は土台は露骨に民謡、という曲を演奏させたいなと夢想しています。もしそれがヒットして、それを聴いた女の子たちが成長して数十年後、祖父母の故郷を訪ねて縁側で涼んでいたら盆踊りのお囃子が風に乗って流れてきて、「Σ(||゚□゚)ハゥッ! これはわたしが中学生のころ好きだったあのイケメンバンドの曲と同じ!」と驚愕したりしたら楽しいだろうな。って、どんだけ気ぃの長い話なんだ。

Ⓔ よく、なにか壮大なスケールの事物を形容するときに「一大絵巻」なる表現が使われます。とかいいながら、実際に絵巻物を手にとってみたことなんてもちろんわたしにはありませんが、オーネットのこのCDこそ、まさにアメリカ音楽の一大絵巻。ただし、この巻物、くるくると少しずつひもときながら横に視線を移動させていると突然タテ方向にも広がり始めたり、書かれている内容が立体感をともなって目の前に現れたりするのですから油断できません。そのうち、あっちこっちに展開しまくった巻物が脳内を占拠する仕組みになっています。

オーネットの音楽が、この冊子を読んでいるみなさまのお耳にいきなり心地よくなじむものかどうかは自信がありません。しかし、このCDに含まれている音楽は、単体でももちろん力強いものですが、あなたの家のCD棚に備えておくことで、バラバラの状態で存在しているいろいろな音楽を関連付け、ひとつの大きな地図にしてくれるものであって、ほかの音楽と同じものとしてだけ聴くのは誤りです。いわば、数学でいうところの補助線、アウトドアでいうところの十徳ナイフ。

リアルタイムで発表されていた『サイエンス・フィクション』と、後年発売された編集盤『ブロークン・シャドウズ』、それに未発表曲を加えた2枚組CD。大メジャーであるCBSでの初録音とあってか、意図的にいろいろなことをしていて(オーネット一家の演奏そのものはいつもと同じですが)、風通しのよい仕上がりです。全人類必聴。

Ⓕ プエルト・リコ出身のバンド・リーダー、コルティーホがハーヴェイ・アヴァーンに招かれてニューヨークで録音したアルバム。彼のその他のアルバムはぜんぜん聴いたことないのですけど、試聴した感じだとわりとオーセンティックな、想定範囲内のサウンドでした。

しかしこのアルバムは、ラテン、ソウル、ジャズ、ロックが渾然一体となり、さまざまなリズムが複雑に錯綜しながら疾走する、怪物的なグルーヴを持つ1枚。昔、篠田一士の「二十世紀の十大小説」を読んだら、将来的に北米と南米の小説は統合されて、ヨーロッパ文学に対抗するような巨大な概念としてのアメリカ文学が誕生するだろう、と予言されていて、発想のスケールの大きさに震えたものでした。コルティーホの本作では、いち早く南北アメリカの統一と融合、衝突と爆発が成し遂げられているのだと思います。

ペンタングルのファースト・アルバムが68年のロンドンでしか生まれ得なかったように、また、サザンの『熱い胸さわぎ』が78年の東京だからこそ誕生できた音楽であるように、本作は、1974年のニューヨーク以外では決して存在することはなかったのだと確信します。

と、ここまでは頭で考えたことで、ここから先はわたしの体験。10月にこのCDを神保町で買って、ふだん音楽を聴いているところの携帯電話に取り込んで、翌日からニューヨークに行きました。現地での宿は、ガイドブックだと危険度10、接近厳禁と赤文字で書かれているイースト・ハーレムのその入口付近で、そこらを歩いていると「Best in El Barrio since 1903」などと看板に書いてある店があったりしました。

宿のそばにはあまり観光ポイントがないので、毎日110丁目の駅から地下鉄の6番線でダウンタウンのほうに遊びに行きました。その際、地下鉄の爆音に負けないような大音量でこのアルバムを聴いていると、なんだか自分がとてつもなくかっこよくなったような錯覚にいとも簡単に陥ることができて、たいへん気分がよかったです。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:47 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 うない


①うない
②1968.5.10
③無職


【2008年の総まとめ】
妻の切迫早産による入院や出産で忙しかった。無事こども(女児)が産まれたので2008年をよしとする。それにしても一年が過ぎるのは早い。

【2009年の展望】
嫌っていた自動車運転免許を取得する可能性がある。普通車もF1のように運転席がど真ん中に来ることを熱望していたが、断念するだろう。

 
わりと記憶に残る2008年の出来事ランキング

①位: 11月27日に女の赤ちゃんが誕生
妻の晴子から一字コピペして「千晴」と命名。性別を訊こうとしなければいつまでも教えない担当医だったので、出産直前にはじめて「たぶん女の子」と聞かされる。超音波による映像で確認しようにも毎回股間を足で隠しており、おちんちんの有無が判別できなかったこともある。予定日より3週間早く破水し、陣痛促進剤を投与しても出産に足る十分な陣痛が来ず、破水から48時間(だったか?)以上経過すると細菌感染の危険性が高まるため、ぎりぎりまで待って諦め帝王切開に切り替えた。出産が終わり夜中に病院から自転車で帰宅する道すがら、二度も職質を受けた。傍目に挙動不審だったのだろうか。

②位:“ちんぽこ野郎”としてデビュー
駒込から徒歩10分ほどの場所で定期開催している、mixiにコミュニティーは存在するもののほとんど誰も知らないお笑いのライヴがある。そのライヴにピンとして“ちんぽこ野郎”という芸名でライヴに参加してみた。仕事を辞めて以降の、珈琲屋のバイトや裁判傍聴、過酷な肉体労働や覆面調査員の仕事、ピンク映画エキストラやフランス映画のオーディションへの参加に続く、私の“社会科見学シリーズ”の一環である。“ちんぽこ野郎”と名乗る40歳のおっさんがいきなり乗り込んで来たので、お若い芸人さんたちに物珍しがられ、ネタの合間にあるフリートークや大喜利のコーナーではかなりいじられた。ダントツで年長者だったので“ちんぽこ兄さん”呼ばわりされた。開演前の控え室では「そんな名前じゃテレビに出られないですよ!」とアドバイスをくれる男の子もいた。テレビに出る気がないことは火を見るよりも明らかだったが、その若者の売れたい、表舞台に立ちたい強い気持ちの表れ、勇み足と解釈し、感心した。出演順は会場入りした順に空いている順番を決められる。受付の机にある香盤の空欄に名前を記入する仕組み。記入する際“ちんぽこ野郎”の“ちんぽこ”をひらがなかカタカナか表記を決めていないことに気付いた。少し迷ってひらがなに決めた。進行の打ち合わせのあと開演しても、自分の順番を待つ芸人さんたちがネタの練習を直前までしている光景を至るところで見た。終わると反省してうなだれたり、先輩芸人がアドバイスをする姿なども目にした。青春を見ちゃった気がした。

③位: 治験に初参加
これまた“社会科見学シリーズ”である。糖尿病患者のために開発中の血糖値を下げる薬の臨床試験、つまり人体実験だ。治験によって年齢制限など参加資格は違うが、この治験では「20~40歳の健康な男性」ということだった。参加者は大学生風の男の子ばかりだった。2泊3日×2回で8万円程度の報酬だった。最初の2泊3日で、同じ効果のあるすでに市販されている薬を服用し、一日に何回も採血を行い血糖値の動きを見た。後の2泊3日では新薬を服用し、同じことをした。ひたすらベッドの上で読書をするバイト、という印象だった。都立家政駅から近いマンションに収まっている「カイユウ診療所」で行われた。ふつうの診療所にしては一般患者を拒む怪しい雰囲気が漂い、どうやら治験専門の“診療所”のようだった。同じマンションの1階に料理屋があり、食事はそこに移動して取らされた。なかなか程度のよい料理が出され、大学生風の参加者たちが「ぉお」と声に出していた。しかし毎度冷め切っていたのが気に入らなかった。


結果的にズレることばかりだが、確信を持って自らに奨励してズレているのはキセル乗車。しかしもうずいぶん前から加齢による気力の衰えが著しく、生き生きとキセルをするかつての壮健な姿は見る影もない。そもそも大学山岳部に所属し、なるべく多くの山行を経験しなければならないのだが大学生には交通費が痛い。いやいや、それは拍車をかけたきっかけで、ルーツはもっと古い。中学生時分、クラスでいちばんの長身であったがしばらく子供料金で乗車していた。中2のある日、西武池袋線大泉学園駅南口改札で初めて“御用”になった。その後、高校1年では定期券を偽造したり、大学では東京-富山間を300円で往復したり、自動改札機導入当時には始発電車が出るか出ないかの人けのない早朝に自動改札機の反応を見る実験のため何度も改札を出たり入ったりし分析するなどしていた。要するに最低なのである。函館で散財し仕方なく寝台特急北斗星のキセルにチャレンジし失敗したときは、妹に上野までお金を持ってこさせた。これを含め過去に4回ほど“御用”になったが3倍の金額を請求されたことは一度もない。馬鹿な自慢である。ああそれから、キセルは十分な所持金があるときにすべきであることを最後に言い添えておく。


新品のCDを2枚くらいでしょうか。あと1~2枚買っていた気もするが、戦後のどさくさで、いや引越しのどさくさでよくわからない。


買った2枚はいずれもチェット・アトキンスのもの。“レジェンダリー・ギタリスト・シリーズ~チェット・アトキンス 全6タイトル”のうちの2枚。
***
①アーティスト: チェット・アトキンス&ジェリー・リード
タイトル:ミー・アンド・ジェリー&ミー・アンド・チェット
レーベル:BMG
***
②アーティスト: チェット・アトキンス
タイトル:日本の詩
レーベル:BMG
***
コメント:
①はジェリー・リードとチェット・アトキンスの共演盤2枚を1枚にまとめたもの。1970年に録音しその年のグラミー“ベスト・カントリー・インストゥルメンタル・パフォーマンス”賞受賞作であるチェットの『ミー・アンド・ジェリー』と、ジェリーが1972年に録音した『ミー・アンド・チェット』の2イン1です。とにかく素晴らしいギター世界に陶酔しときました。

②はチェット・アトキンスが日本の代表的な唱歌・童謡・歌謡を演奏したもの。私が好きな『浜辺の歌』と『椰子の実』も演奏しています。泣いていた赤ちゃんが黙って聴いています。

“ミスター・ギター”と仇名されるチェット・アトキンス。独特の奏法は後のミュージシャンの手本となり、カントリーのみならず、ロカビリー、ロックン・ロールのギター・サウンドに多大な影響を与えた、とされる。1924年テネシー州生まれ。2001年に癌で他界。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:33 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 笠井峰生


①笠井 峰生
②1976年8月1日
③システムエンジニア、システムエンジニア・主任


2008年は、飛翔に向けて力をためたかと思いきや、年末に資本主義の足場がぐらつく、なんとも面倒くさい一年だった。

年初に予想した素敵なことは、NetBookによる小型コンピュータの価格破壊となって顕現した。些かの意外性も特徴もなく、ただ量産品が並のサイズでスペックを削り込んで安くなっただけ、というガジェットマニアにとっての悪夢が現実のものとなった。1kgでせいぜい3時間駆動の代物を持ち歩く意味がどこにあるのか。実用性においては、半分の重さ、倍の駆動時間が必要だ。そこはやはり、電源供給が足をひっぱっている。この問題を解決するにはまだ時間がかかるといったところか。

投機資金によるガソリン価格の乱高下や韓国の通貨危機に端を発するアメリカの金融危機については語るべき言葉を持たない。しかし、そういった社会不安に乗じて、外国人参政権を認め、言論統制を強化し、沖縄を割譲しようとする政党が急伸していることには懸念を表しておきたい。思っているよりも、日本のことを考え、日本を動かそうとする政治家が少ないことには驚愕を覚える。不況のこんなときこそ、日本をどんな国にしたいのかを思い描く、イメージすることが大切であろう。

2009年は、アメリカ金融危機に端を発する全世界的な信用縮小により、巨額投資が必要な半導体産業は停滞を余儀なくされるであろう。また、需要も縮小するので、値上げをするか、高付加価値な商品にラインを転換しなければ、企業の存続は難しい。競合他社がいるあいだは値上げをすることが難しいので、不況が続けば高付加価値への転換が難しいメモリメーカーの統廃合が速いペースで進むだろう。高付加価値の製品、つまり小さく高機能な半導体が供給されることで、NetBookや携帯電話は、少し値上がりするものの引き続き余計な機能が追加されるだろう。液晶関連では大型化に限界がきているので、eペーパーの類が日本でも注目されるかもしれない。ソフトウェアは、コンシュマー向けでは大きな変化は感じられないかもしれないが、ビジネス向けでは確実に世界が変わりつつある。パーソナルコンピューティングとエンタープライズコンピューティングは今後、確実に乖離していくだろう。

個人的には、仕事がいやに忙しい一年であった。年初は安穏とシステムの収束に付き合うつもりが、若者と共に技術研究プロジェクトに投入され七転八倒、アメリカにいき、ドイツにいき、極めつけは新人を任されることになった。青天の霹靂である。年初の目標「ひとりでもなにかしよう」は、ドイツ行きの飛行機の中ではかなくも吹っ飛んでしまった。

そこで2009年は、とりあえずはじめよう、を目標とすることにする。


もはや毎年のことなので、言い訳なしに個人的高額お買い物ランキングを。毎年、今年は書くものないなぁ、数が少ないなぁ、といって書き始めるのですが、書き終わってみると、充実したランキングになっているのが不思議です。

1. HONDA ABA-FD2 300万くらい
9月23日にミッションの不調で修理の相談をしにディーラーへいきました。そこで、走行距離68kmの中古車を紹介され、即決。それにしてもローンって組めるもんなのですね。すごいですね。半分くらいは審査でけられることを期待していたのですが。そんなもん衝動買いする方がおかしい、とネタになってるのでまあよしとします。翌週の土曜日にスピード納車。そのまま実家に里帰りしてきました。若干加速が鈍いのが気になりますが、運転は楽しいです。なお、乗り心地は最悪です。

って、いいますか、本当にいい加減、こういう衝動買いをとめてくれる人or一緒になって悶絶してくれる人を探した方がよさそうに思います。

2. Volks スーパードルフィー 「ミミ」 6万くらい
5月のイベント後に購入した60cmほどのお人形です。これ単体は大したことないんですが、周辺がものすごいことになっているのでここに。お洋服が30着以上、ウィッグ10個以上、靴10足以上、整備に使う道具やキャリングバック、椅子、スタンド、トルソー、型紙本にアクセサリ製作の材料、撮影用の照明などなどあわせると、どう考えても30万はくだりません。この歳になってはじめてお洋服やアクセサリを見る楽しみ、髪をセットする楽しみを覚えました。秋葉原に毎週新作のお洋服を見に通っています。

3. WACOM Cintiq 12WX 13万くらい
液晶ペンタブレットというものです。画面に直接ペンでかけるディスプレイです。薄くて軽くて膝の上において使える優れもの。ただし、色味はちょっと変なこともあるので、確認は必要です。Intuos3ほどのかき心地ではないものの、それでもかなりいい感じにかけます。本当に、最近のタブレットはよいので、絵心のある方は、ゼヒ。最近、電源入れていませんが……。

4. Canon EOS 50d 10万くらい
人形の撮影で稼働率が上がってきたのでデジタル一眼レフカメラ本体を更新しました。液晶が大きくなって、色々と使いやすく、なったのかなぁ?というできばえ。一眼レフの使い勝手はニコンの方が良いと思います。

今まで使っていた20dは父に譲りましたが、重い、ということで早々に挫折している模様。だから、軽いレンズと組み合わせろといったのに、スペックとブランドに惑わされてからに……。奪い返してくるか検討中です。

5. スピードライト580EX II 6万くらい
カメラ用のフラッシュです。室内撮影、しかも、近距離だとどうしても明るさが足りなくなります。ということで、アングルフレームとオフカメラシューコードとあわせて用意しました。こういうアイテムばっかり増えちゃいますが、肝心の腕の方は……。

7. Willcom 03 6万くらい
キーボードつきのPHSです。その前はW-Zero3[es]というのを使っていました。小さくなってよかったです。あと、ハングアップしづらくなりました。変化としてはその程度。

ここから下は、だいたい2万円前後です。

6. 海外旅行用スーツケース
まさか1年で2回使うことになるとは思いませんでした。

7. Roland Sonar7
音楽製作用のソフトウェアの更新版です。なにが変わったといって、Vocaloidと連携できなくなったことくらい。だめじゃない……。

8. Crypton Vocaloid CV02 鏡音リン・レン
うたってくれるシンセサイザです。買ってからこっち、まだうたわせていません。そろそろ1年になりそうです……。

9. Corel Painter Essential 4
お絵かきソフトです。書き味が実際の画材に近いのが好きで使っていたのですが、レイヤーのモードをきりかえれないのが少しつらい感じ。最近はsaiを使っていたりします。

10. KORG kaossilator
小さなシンセサイザーです。おもしろいんですが、職人的指芸が必要で、わたしのまあるくおおきな指ではちょっと難しいようでした。旬を逃さないうちに、実家で甥の餌にしておきました。

あとは、ドルとユーロとかゲームと関連書籍とかが少々。外貨は目を覆わんばかりの暴落っぷりで、タンス預金化しています。とほほ……。


あえてあげるとするならば、児童ポルノとか死刑とかになるでしょうか。

日本における児童ポルノについては、まず源氏物語を発禁にしてからいうべきだと思いますし、そもそもなんでそれが取り締まられるべきか、といった世界情勢を踏まえてないあたりがアレだと思っています。海外では児童ポルノを作るにあたり、誘拐ないしは人身売買があり、児童ポルノを制作、最終的に殺人ショーを撮影して処分、といった流れがその筋の人を中心に出来上がってたりして、それがやばい、資金供給元になってる、っていう話だったようなのです。それが平和ボケの日本じゃ、子供の人権を守るどころか犯罪者認定するための法律作ってたり、孫どころか自分の子供の頃の写真持ってるだけで犯罪者だし、外国人を旗印にした集金団体がこれをネタに言論弾圧を陳情してたり、きなくさいったらありゃしない。この国は本当に大丈夫なのでしょうか。

死刑については、死刑だけでなく、刑法犯に対する社会的の負担するコストが適正かどうか、というところに目を向けなくてはならない時代になってしまったかもしれない、と感じています。適正な社会福祉を提供できずに犯罪者の増加を招いたり、むしろ刑法犯の方が手厚い保護を受けられるとして犯罪のインセンティブを与える始末。また、例え万死に値するような冒涜的な大量殺人をおかした刑法犯でも、税金で生活を保障し、あまつさえ給料支給し、20年そこそこで野に放つって、はたして社会が健全な状態を保てるのか、疑問に思うところが多いです。冤罪を晴らす機会がないという主張には強く同意しますが、そもそも立件されたら9割以上の確率で有罪になる日本の司法の問題が大きく、死刑廃止はそのセーフティーネットでしかないでしょう。それもこれも、死人に人権を認めず犯罪者の人権を擁護する豊かな国の外交の横車のひとつではないか、と邪推したくなります。

こんなもんでいかがでしょうか。


新品 7枚、中古 若干枚。2008年は、住環境の悪化に伴ってBookOffに行く回数を減らしたので、ほとんどCDが増えませんでした。カーナビの音楽用HDD(20GB)がいっぱいになって、新しいCDを取り込むのが面倒くさくなった、とも言います。新品は5枚がARIA、1枚がゲームのサントラ、1枚がドイツで買ったドイツ民謡。


新品で入手したのはすべてアニメ"ARIA"のサウンドトラック。"ARIA"は天野こずえのマンガで、未来の火星のお話なのだけれど、そこに再現されたヴェネチアの街をゴンドラで観光案内する女の子達の成長物語です。ゆったりした時間の流れとファンタジーの空気にほんわかさせられる良作です。そのアニメもまた、その空気を良く再現していて、音楽もそれを支える重要な要素となっています。

アニメは「ARIA The ANIMATION」「ARIA The NATURAL」「ARIA The Origination」の三期放送されています。音楽は、秋岡欧(バンドリン)、笹子重治(ギター)、沢田穣治(ウッドベース)のChoro Clubとピアニスト妹尾武が組んだユニット"Choro Club feat. Senoo"が担当。全編アコースティックな雰囲気が漂う良作です。

さて、ARIAでもボーカルを担当していらした河井英里が2008年8月4日に亡くなられました。ワーズワースの冒険の主題歌Shalionで印象的な歌声を聞かせていた彼女ですが、もうその新たな歌声を聞くことができなくなってしまったことを、残念に思います。心からご冥福をお祈りいたします。


今年は早めに始めたはずなのですが、結局、買ったCDのところで色々資料をひっくり返すのが面倒くささに放置して、〆切を大幅に超過してしまいました。なんということでしょう。そもそも、わたしに〆切のある仕事をふる方が間違いなのです、と普段なら主張するのですが、この不況下にそんなことを口にしたら首になりそうなので、今後はしばらく控えることにします。

来年こそは。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:29 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 森山弟


①森山弟 (もりやま・おとうと)
②9月24日 33歳
③弟


2008年の総まとめ:
○鳥映画「WATARIDORI」(01年/ジャック・ペラン監督)を3度見て、うすうす感じていた「水鳥最強説」が確信に変わった。水鳥は空と水と陸を制覇してるから生き物の進化の最終形態じゃないかと思う。

○用事があって初めてハワイに行った。旅のよしあしを決めるのは一緒に行く人だと心底思う。旅行中はなんでもかんでも無闇に許したり、腹が立つことには素直に腹を立てたりできて全体的に本当に最高でした。

○ささやかさとつつましさについて不思議とよく考えた。ちょうどそんな時に「江分利満氏の優雅な生活」(63年/岡本喜八監督)と「名もなく貧しく美しく」(61年/松山善三監督)を立て続けに見て、人並みであることの特別さを思い知らされた。身の程をわきまえて生きることのなんと高潔なことか。涙がこぼれそう。こころある人みんなが見てくれるといいなと思う。

○その流れで鈴木祥子のことを思い出す。付かず離れず20年近く、ひとりの女性の生き様を見るような感覚で彼女の音楽と接してきたことに気がついた。彼女のファンは現在35歳~40歳くらいの女性が中心だと想像しますが、その勝手に想像した人たちの、小さな幸福だとかそこはかとない哀しみなんかをゆるく飲み込みながら(鈴木祥子の音楽を傍らに)歩んできたであろう日常をさらに勝手に想像して、簡単には割り切れない複雑な感覚をおぼえた。

2009年への展望:
○ここ3年はかなりろくでもない感じだったので、少しはましな1年になってもらえるとありがたいです。

○そろそろ森のことをきちんと考える時期に来ている。ソローの「ウォールデン/森の生活」でも読もうと思う。

○チャットモンチーが大化けする。


ハワイ旅行で印象に残ったことベスト3

第3位:ナニジンだと思ってんだ(その1)
行きの成田空港で軽く食事をということになってビュッフェに入った。代金を払うときに考えごとをしていて、出したお金が100円足りなかったらしい。するとレジ係のおっさん(日本人)が自分の手のひらに乗せた100円玉を指差しながら「ディス、ワンモア、ディス」と片言の英語とジェスチャーで100円足りないことをアピールしてきた。

おっさんのがんばりをそれはそれでありがたく思い、黙って足りない分を支払った。ナニジンだと思ってんだ。

第2位:ナニジンだと思ってんだ(その2)
ハワイ到着。友人たちと街をブラブラ歩くと、次から次に客引きがあやしい日本語で声をかけてきてまっすぐ進むのも容易じゃない。日本人と見ればグループだろうが個人だろうがとにかく声をかけている。最初は物珍しさにいちいち見てたけどすぐに飽きてしまい、以後は単なる通行の障害物になった。

半日もあればワイキキの地図はほぼ完全に頭に入るし、友人たちの顔も見飽きてくるので翌日はひとりで歩いた。相変らず客引きの数は多いのに昨日と違ってスムーズに足が進む。誰も僕に声をかけてこないからだと気づいた。

挙句の果てに観光客と思しき初老の西洋人夫婦に道を訪ねられる。「サーフライダー・ホテルならこの道をまっすぐ行って右側です」と答えた。ナニジンだと思ってんだ。

第1位:ナニジンだと思ってんだ(その3)
帰りのホノルル空港。チェックイン・カウンターでアロハ・シャツに身を包んだ沢村一樹風のイケメンがさわやかな笑顔で迎えてくれた。英語であいさつされたので現地の日系人だと思って英語で返す。パスポートと航空券を提示。沢村風は手際よく手続きをしながら、今日は空席が多いから好きな座席に変更できるけどどうするかと聞いてきた。3列でも4列でもかまわないので前が通路になっている席か、そうでなければまわりに誰もいない4列の席にしてくれと頼むと、そのとおりにしてくれた。この程度の説明でも英語だと結構面倒だなと思う。

2時間ほどやりすごして搭乗口に行くと、沢村風が今度は搭乗客の見送り作業でそこにいた。客のおばちゃんたちに「いってらっしゃいませ。日本は寒いですから風邪にはくれぐれもお気をつけて」とどう聞いてもネイティブな日本語でさわやかにあいさつしていた。

いったい沢村風はなにが楽しくてあの時英語で話し続けたのか。ナニジンだと思ってんだ。パスポート見せたじゃん。


「点字ブロックはまたぐことにしている」

何かたいそうな思想に突き動かされてるというのではなくて「上を歩くとなんとなくブロックがすり減るような気がするから」というのが理由。この理由も後付け気味で、実際は横断歩道の白い部分だけを使って渡ろうとする(白くない部分は落ちて死んじゃうルール)系のあれに近い。小学校の登下校時に消火栓の看板の「火」の部分を数年間毎日蹴り続けてたら文字通り「火」が消えて「消○栓」みたいになった経験との因果関係についてはもう少し踏み込んだ考証が必要(面倒なので多分やらない)。

点字ブロックをすり減るほど踏もうと思ったら相当な時間と労力がいることは消火栓の経験で知っているし、逆に自分ひとりがまたいでも他の人たちが踏んでたら結局はすり減るんだけど。

スイスの都市部ではエコの観点から路線バスにもパンタグラフが付いていて電気で走ってる。電車と違ってレールがないから走行中のバスが架線の下のルートから左右に外れることを想定して作られた異様に柔軟なパンタグラフが、カーブの時に南京玉簾のように伸縮するさまは見ていて楽しい。あんまり伸びるもんで、そこまでやるかと僕が笑った時に「国の人口が東京の人口より少ないスイス人が何をしたって世界レベルで見ればなんの影響もないかもしれないけど、小さい国だからこそみんなでできるんだし、だからおれらはそれをやるんだ」と言ってた友人のことばが忘れられない。

国家レベルで身の程をわきまえてるのがなんとも素晴らしいじゃありませんか。


CD685枚(邦:洋:クラシック=66:378:241)/¥545,918
ディスクユニオン各店で577枚
その他で108枚


特によかったもの:

◇ミシシッピ・フレッド・マクダウェル「ミシシッピ・フレッド・マクダウェル」 (Mississippi Fred McDowell/62年録音71年リリース/米/ミシシッピ・デルタ・ブルーズ)
もし悪魔がいたらきっとこんな風に歌うんだろうと思う。うちのディスクガイドの帯に「誰も生きてブルーズから逃れられない」と断言されてておっかなくなりましたが、このおどろおどろしいボトルネックで延々と唸る、ひたすら濃厚なデルタ・ブルーズを聴くとそれもまんざらウソでもないんだろうと思います。何か得体の知れないものに首根っこ捕まえられてぐいぐい沼に引きずり込まれるような感覚。

最近買った津軽三味線の高橋竹山になにかこれと似たようなものを感じて、日本のブルーズは東北にあったんだなと思いました。

◇ケレン・アン「さよならは言わない」 (Keren Ann “Not Going Anywhere”/03年/フランス/SSW)
これだけベタな邦題も最近珍しい。この人のことは知らなかったんですが、秋にニューヨークへ行ったアニがおみやげで買ってきてくれまして「どうせお前はこういうの好きだろ?ほら」って感じ(想像)で郵送されてきました。

やわらかなフランス訛りの英語が繊細な音に心地よい緊張感を漂わせて、結果的にとても良質なフォーク・アルバムに仕上がっています。

◇オムニバス「ザ・ゴールデン・アップルズ・オブ・ザ・サン」 (Various Artists “The Golden Apples Of The Sun”/04年/米/フリー・フォーク)
デヴェンドラ・バンハート編集によるフリー・フォークの入門書かつ決定打。限定生産で現在廃盤なので、まともな値段じゃ買えないだろうと諦めかけていたところを池袋のユニオンで発見→900円!?→小躍り→速やかに確保。主要アーティストを網羅しているのでシーンの俯瞰に最適。

◇イザベル・キャンベル「ミルク・ホワイト・シーツ」 (Isobel Campbell “Milk White Sheets”/06年/スコットランド/フリー・フォーク)
ご存知元ベル&セバスチャンのチェリストのソロ4作目くらい。トラッド・フォークのカヴァーと自作曲が半々で、60~70年代ブリティッシュ・フォークのあの薫りが充満した作品。ほぼ全編が彼女の生ギターと声だけで構成されていて、シャーリー・コリンズやアン・ブリッグス、さらにはヴァシュティ・バニアンといった女神たちの影がちらつきます。その上ほんのわずかに施されたストリングスのアレンジが完全にニック・ドレイク!とにかく美しい。

◇メグ・ベアード「ディア・コンパニオン」 (Meg Baird “Dear Companion”/07年/米/フリー・フォーク)
フリー・フォークの道に引きずり込まれるきっかけとなったエスパーズのボーカリスト、メグ・ベアードのソロ。これはすごい。2008年に買ったものでいちばん、それも圧倒的によかった。

ごくまれに(500~1000枚に1枚くらいの割合で)、時の流れと無関係にぽつねんと存在しているような不思議な普遍性を持つ作品に遭遇することがあります。産み落とされた瞬間に古典になってるような、脈々と続く過去半世紀分の音の記憶が瞬間的にフラッシュバックする感覚はギリアン・ウェルチのファーストの衝撃に近い。ここまで奇跡的に美しい英国フォークが現代のアメリカ人によって作られたことにも驚愕しました。

◇曽我部恵一ランデヴーバンド「おはよう」 (07年/日本/フォーク・ロック)
もうずいぶん前から、サニーデイ・サービスの4枚目(牛のやつ)を聴いて以来だから10年以上になりますか、曽我部恵一がギターとピアノと歌だけのピンク・ムーンみたいなアルバムを作ってくれたら最高だろうなとずっと思ってきた。

このアルバムはアコースティック編成(ギター、ピアノ、ウッドベース、アルトサックス)でその理想に今まででいちばん近い作品。ドラムレスなのがうれしい。リラックスした雰囲気の中にたくさんのやさしさとほのかな哀しみを散りばめた愛情に満ち溢れた内容で、しんみりした後に小さな希望の光が差し込む感じがたまらない。なにしろ構えずに聴けるところが素晴らしいです。

特につまらなかったもの:

◆コールドプレイの新しいやつ
すごく安く置いてあったのでうっかり買ってしまったけど相当くだらなかった。一度飛ばし聴きして残ったのは、もったいぶってんなぁという印象だけ。今回聴きなおしてみるとそこまで悪くなかったけど、やっぱりさほどよくもない。これよりいいものを即座に200枚挙げられるレベル。
知らず知らずファーストから全部買ってたけど、次は多分もうない。

◆ザ・グッド、ザ・バッド&ザ・クイーン
ボーカルがブラーのデーモン・アルバーン、ベースがクラッシュのポール・シムノン、ギターがヴァーヴのサイモン・トン、ドラムがフェラ・クティ&アフリカ’70のトニー・アレンという恐ろしく豪華&エキサイティングな顔ぶれ。よくわかんないバンド名もなんかかっこいいし、これは21世紀のスーパー・グループ登場か!?と思いきや、どういうわけかこれがまたつまらない。役者がそろってるだけにもったいない感が倍増。

そもそもここ10年のデーモンの迷走ぶりはとても歯がゆい。それでも我慢して聴いてみると、40代になった彼が向こう10年以内に素晴らしい作品を創り出すのではないかという期待がどうしても捨てきれないのです。レイ・デイヴィスの後継ぎはあんたしかいないんだから、がんばってよ。

◆ファーギー(ブラック・アイド・ピーズ)のソロ
これも結構ひどい。BEPではあんなにチャーミングなのに、しかもウィル・アイ・アムがプロデュースでどうしてこうなっちゃうのか。彼女の魅力を意図的にスポイルしたとしか思えない不可解すぎる一枚。素材にファーギーを使って悪いものを作る方がむしろ難しそうなのに、それを見事にやってのけてます。彼女の最大の魅力である歌が全然聞こえてこない。サウンド・プロデュースの重要性を逆の意味で再認識させてくれるうれしくない例、というかこれはもはや犯罪。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:26 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 江渡文江


①江渡文江 えとふみえ
②1976年9月29日
③一般人


地割れに車道を遮られて乗用車を停止させた後に、やはりステアリングが大きすぎるという感触がイメージされたと同時かそれより少し遅れてか、いずれかのタイミングで閉じられたドアのかさついた音、その余韻が物理的に途絶えるよりも長く脳内にぼうと残っている音のイメージとは何か。余韻は認知されないまま姿を消し、ほとんど無風の屋外で、それ特有の鼓膜の振動とともに屋外は感覚される。この時、音のイメージという思考的領域下で時間の塗替えがなされ、屋外が感覚される頃には異なる時間の中にある。

つまり時間とは思考の中で移行する。身体はひとつの年号に対して、時代性に発するひとつの空間を附与しない。ひとつの身体はとても多くの時間を扱っていて、そのどれもがまったく関係ない。そこで、年号という機構に思考をつなげてみなければならないが、それは可能か。可能であればどのようにして成されるのか。というのが2009年3月4日午後9時20分と呼ばれた、あるいは呼ばれるであろう現在の座標。


好きな樹皮ベスト6(ベスト5に次点を付け加えようとしたが、くすぐったかったのでまとめてベスト6にした)

第6位 柿
裂け目に囲まれた各ブロックの縦横比に差がない。縦筋と横筋が鎬を削っている。花水木の樹皮は柿のそれと似ているが、色合いや実との照応から柿のほうを贔屓する。

第5位 プラタナス
テキスタイル・デザインのためのネタ見本市。

第4位 欅
樹皮全体が均等に剥離することはなく、ランダムに各所で剥離が起こり集落を形成する。老木になると樹皮がただれ落ち、気味が悪い入りの印象から温かい抜けの印象に至る。

第3位 ニワウルシ
全体の姿の派手さに対して、樹皮はとても地味にできている。裂け目は浅く、模様もぼんやりしているが、よく見ると裂け目が気持ち波状になっていて愛らしい。

第2位 赤松、黒松
たぶん愛している。思考を推し進める樹皮であり、木である。

第1位 櫟
樹液など関係なく気に入っている。娯楽性が高い、大衆的。大きくなった幹は、ざっくりとギザギザで歯車のようになっている。


例えば、主体との相違を述べる際に反射的に引き起こされる、それ自体が自己言及だ、という見解がある。そうした道徳が噴射されるのは大抵の場合会話の導入時、または噴射する側が噴射をもってその会話のフィナーレと為すときだ。彼らはストイックに彼らの道徳を守ろうとする。その裏付けとして、終幕後のカーテンコールは行われたためしがない。あるとすれば、後を継ぐ話が晴れやかに開始されるときの無言下の安堵の内にだ。

そうはいっても、倫理とは常に独自で常にひとつだと思っている。独自というのはそれが即物的な接続に依拠するからであり、ひとつとはそれが考えの外であり、そのことを考えること以外の考えは倫理を矮小し幽閉してしまうからだ。つまり上に述べた例は倫理が分類する事柄ではなく、ひとつの道徳批判にとどまるのだが、道徳批判がどのような倫理的作用とも何ら無関係だとは言えない部分がある。道徳批判がある程度不完全である場合に、批判(依存)を放棄し異なる執着へ移行させる継起点が見出される際に関係する部分がそれだ。このとき不完全というのは、塑性を備えているということであり、でなければこわれものだということだ。歪ませ、欠損させるのは考えの外だし、その作用は破壊と混同されるべきものではなく、肯定的にとらえられるべきものだ。そこから、主体化への一時的な足場として理解する限りにおいて、独自の倫理観と呼ばれるものを言える。


15枚前後


強く印象に残った5作品を抜粋

アクサク・マブール「偏頭痛のための11のダンス療法」1977年発表(2008年再発)
ランディ・ニューマン「ハープス・アンド・エンジェルズ」2008年発表
カーキ・キング「ドリーミング・オブ・リヴェンジ」2008年発表
アレフワン「アレフワン」2008年発表
たま「そのろく」1995年発表(2008年再発)

いちばん好きになったのはベルギーのバンド、アクサク・マブールが1977年に発表したファースト・アルバム「偏頭痛のための11のダンス療法」。夢の主観と夢の客観の間を往還するような、生音とそこに原始的な電子音を垣間見せつつ、異なったテリトリーの波動的効果を野生的な構成で扱っている。

最も長い時間聞いたのはランディ・ニューマンの「ハープス・アンド・エンジェルズ」だが、聞いたというよりは鳴らした(再生した)回数が多かった。歌詞の意味を理解せずに聞いていて、ある時これは圓喬っぽいかもと思った。もちろん圓喬など聞いたことがない。何名かはこの作品を挙げるのではと当たりもしないことを。

カーキ・キングの4作目「ドリーミング・オブ・リヴェンジ」は、3作目のマッケンタイアによるプロデュースを通過して、もっと鈍重なポストロックとして完成した。前作のほうが好きだが、こちらの質朴な感じも悪くない。ボーカルの雰囲気がカトリーナ・ミッチェル(パステルズ)にどことなく似ている。

カールステン・ニコライがアルヴァ・ノト名義を使わず、新たに立ち上げたプロジェクトがアレフワン。充溢する音世界という観点としては新しい試みのように感じる。他のミニマル・ミュージックと異なるのは、要素間の関係性がミニマルに設計されていることであり、聞き手は音の層を沈降することができる。

柳原幼一郎在籍時の最終作となったたまの「そのろく」は、2008年になって再発売された。歌詞の問題から、メジャーで発表できなかった曲集。他のどの作品にも増して内容は煩雑だ。音は素朴でそれほどテクニカルでもなく、各楽器のフレーズが散乱している。各収録曲は散乱していること以外の統一性を持たない。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:20 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 一条寺みやじ


①一条寺みやじ(いちじょうじ みやじ)
②1976.7.7
③派遣社員

 
2008年 総まとめ
まだまだ続くよワーキングプア
自転車操業は果てしなく続く
だがそれが当たり前になってきているのが現実
2008年が岐路だったかもしれない的出来事があり
出会うのも別れるのも縁だな、と自分に言い聞かせた一年
マンガも小説も音楽もたくさん吸収しました

2009年 展望
ワーキングプアなりに心に余裕を
縁は大切にしていきましょう
好きな事は積極的に行動しましょう
好きな人には極上の優しさを、そうでない人にもほどほどの優しさを

 
今年もやっちゃう?
自分の好みも冷静に判断できるこのランキング
「妙にリアルな恋に落ちてみたい有名人ランキング~08!」
1位  宮本浩次(エレファントカシマシ) ミュージシャン
2位  斉藤和義  ミュージシャン
3位  又吉直樹(ピース)  芸人
4位  西島秀俊  俳優
5位  吉岡秀隆  俳優
6位  蔦谷好位置  ミュージシャン
7位  森義隆  映画監督  
8位  設楽統(バナナマン)  芸人
9位  中田裕二(椿屋四重奏)  ミュージシャン
10位  なだぎ武  芸人

体育会系で元気な人は苦手なことに最近ようやく気づきました・・・

 
浮気や不倫を否定しない
少し前までは絶対認めない派でしたが
年齢を重ねてきて考え方も変化してきました
魅力的な人が近くにいたら心が動くのは仕方ないな、と
浮気や不倫をされたくなければ自分の魅力を持続する努力を怠らない事です
若い頃に恋人に浮気された時は絶望的になりましたが
今は悩む事でもないと思ってます
その事実を受け止められなければ別れてしまえばいいのです

 
新品で購入したのは、スピッツ・GRAPEVINEのみ
今年もほとんどは貸してもらいPCへ取り込んだ


エレファントカシマシ 「俺たちの明日」・・・第二次黄金期と言われてるけど「ウコンの力」だけではありません
プロデューサー蔦谷好位置が時代や世間がどんな歌を求めてるか適切な方向へ導いてくれた

セカイイチ 「あかり」・・・VO岩崎慧 久しぶりにステキな声!と思った

Tokyo No.1 Soul Set 「Innocent Love」・・・フェスで一番楽しかったのがソウルセット、自分的には意外

the Pillows 「Ladybird Girl」・・・たまにあるストレートでかわいい恋の歌に胸をときめかせてました


2008年行ったライブ舞台を忘れないようどかーんと!
01/06  エレファントカシマシ  ZEPPTOKYO
01/30  曽我部恵一  九段会館
02/27  スピッツ  NHKホール
04/06  小林賢太郎 ポツネン
04/19  奥田民生  CCレモンホール
05/03  エレファントカシマシ  CCレモンホール
05/10・11  とぶ音楽祭  航空公園
05/18  ホフディラン  赤坂BLITZ
08/15・16  RISING SUN ROCK FESTIVAL
08/23  東京事変 エレファントカシマシ  JCBホール
09/11  GRAPEVINE 赤坂BLITZ
09/13  SUPER BUTTER DOG 日比谷野外音楽堂
10/14  スピッツ JCBホール
11/14  綿内克幸 赤坂グラフティ
11/15  スピッツ ZEPPTOKYO
11/16  スピッツ ZEPPTOKYO
11/21  電気グルーヴ 渋谷AX 
12/11  斉藤和義 ZEPPTOKYO
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:16 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 ナカジマユキコ


①ナカジマユキコ
②1977年2月27日
③職業・コンタクトレンズ販売 肩書き・全然駄目


2008年は、sasetsu‐café orchestraの初ライブが何と言っても思い出深い出来事でした。更に、引越しをしました。少し山里に入った古い一軒屋。人が集まって、合宿、会合、宿泊等、できるようにと思って。そして希望通りそこそこ活用されています。引っ越して良かった。

2009年は、この古民家をフル活用して行きたいものです。大それた事はできませんが。2009年は確か私の年齢でいうと厄年だったはず。お払いも何もしてないけど、大丈夫だろうか。どんな厄介が降りかかってくるか。くるならこい。

 
<生活に影響を与えた本ベスト3>

3位 『赤毛のアン』
去年は、「赤毛のアン」刊行100周年だとかで世間で話題になっていた。ちゃんと読んだことが無かったので読んでみたら、これがはまってしまった。アンのような生活に無性にあこがれ、実践した事。
「布きんを最後に熱湯消毒する」
アンの育ての親のマリラが、アンに家事のしつけをする一環として、台所の洗い物が済んだあと、洗い桶に布きんを置いて、カンカンに沸いたお湯をかけて消毒させるシーン。アニメのこのシーンと重なって、お湯をかけた瞬間に、湯気がもわーっと広がるイメージが何とも言えず、実践中。

2位 『村上ラヂオ』
友人から読み終わった『村上ラヂオ』の文庫をもらい、読んでいたところ、ムラカミさんのライフスタイルに無性にあこがれ、実践した事。
「パンに揚げたてのコロッケを挟んで何も考えずにかぶりつくこと。」
これが、一番!美味しそうに思えてしまい、コンビニでパンとコロッケを買って、少しだけ塩を振って、かぶりつくと、なんともいえない満たされた気持ちになりました。

1位 『平成よっぱらい研究所』
職場の先輩から借りた二ノ宮知子さんのマンガ。二ノ宮さんの酔っ払い武勇伝を綴ったマンガ。二ノ宮さんのような飲み方は体質的に真似できないが、スカッとするくらい気持ちの良い酔いっぷりに、無性に憧れていて、とにかく実践したい。酔っ払ってバカになりたい。冷静な自分よ、どっかいっちゃってくれ。


「倫理観」の意味を多分正確に理解してないかもしれないけど、こういうことだろうか。
世の中から「お金」の概念が無くなったらいいなぁ。
お金を仲介役としてイチイチ設定しなくても、分け合って、助け合って、生きていけたら良いのに。ドラえもんの「もしもボックス」があったら、一回試してみたい。どんな世の中なのか。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:13 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 kinomi


① kinomi(きのみ)
②1977年8月28日


2008年はインターネットへの疲労感が高じる一方、ライヴで見たり聴いたりすることのよろこびを再発見しました。片山ブレイカーズ&ザ★ロケンローパーティというバンドに出会えたことが僥倖でした。そして『イースタン・プロミス』の年として記憶されることになりました。
2009年は「疲れない人」(フィッシュマンズ)になりたいです。


●2008年に行ったライヴ ベスト3

★12月29日:キリンジ@ビルボードライブ東京
この会場は場所によって値段の差がはげしい。この日はいちばん安い席だったのだけれど、これまでで最もリラックスできて、夜景もふくめ完璧。

★9月13日:スーパーバタードッグ@日比谷野外音楽堂
彼らの解散ライヴは、本人たちが言うように解散感はあまりなかったのだけれど、それでもやはり気迫がすごかった。愛と爆笑と少しの涙。

★10月19日:片山ブレイカーズ@下北沢 CLUB Que
貴重なワンマンライヴでの出逢い。夢のような人生を。


かまわないことはたくさんありそうですが、ゆるせないことばかりが思われて、狭量なことです。
よけいなお世話という話もありますが。
*書店業に従事するものが本を乱暴にあつかうこと。
*飲食店業に従事するものがグラスやお皿を音を立てて粗雑にあつかうこと。
*専門的な知識を必要とする職業のものがインターネットの検索に依存しすぎること。

医者の不養生といいますが、プロならば説得力をたいせつにしてもらいたいはとつねづね思います。というか、自分のことは棚上げして言いますと、職業にたいして愛を持つことが先なのかもしれません。

*電車の優先席(携帯電話の電源を切らなければならない場所)で、携帯で堂々とメールを打つその他の作業をすること。実質的な被害があるだけではなく、見目がよろしくないと思われます。


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by soundofmusic | 2009-01-01 01:10 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 ぺぱみん


①ぺぱみん
②1976年6月19日
③ニコタス所属


2008年は日々の仕事に追われてあっという間に過ぎ去ってしまった。2009年の目標は整理整頓。


自動車運転のルールについては一応理解してきちんと守っているけれど、制限速度に関してだけは納得がいかず日常的に速度超過をしている。駐車場内の移動でもシートベルトを締めるし、運転中に携帯に触ったこともないのに、なぜスピード違反だけが平気なのか自分でも不思議だ。


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私と音楽について

初めてppfnpに原稿を書かせていただいた時から10年くらい経ったように思います。あのころ、まさか項目Eに「0枚」と書く日が来ることなど、想像することはできませんでした。でも、入手しなかっただけで音楽は大好きです。そう言い切れるのは、すごくうれしい事があった時やすごく悲しいときなど、心の中で消化し切れない感情が沸いた時には、必ず「聴きたくなる音楽」があるからです。
音楽って形はないけれど、不思議な強い存在ですね。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:06 | アンケート2008-2009 | Comments(0)