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2017年のグッド音楽

d0000025_1155062.jpg遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さっそくですが2017年のグッド音楽です。総購入枚数は2016年と比較して微減。3年連続の減少です。アナログ(ほぼすべてLP)は、2014年度から回復傾向を見せ、4年連続の増加。2017年は総購入枚数の3割強がアナログでした。アナログ復権うんぬんについての考え方は、「2016年のグッド音楽」(→☆)で書いたときとあまり変わっておりませんのでそちらをご参照ください。

ディスクユニオンに行ったときに棚を見る優先順位は、ラテンとソウルと邦楽がほぼ横並びで、SSW/カントリーあたりがそれに続く感じでした。ロックやジャズ一般の棚を全部見たりとかはあまりしなくなりました(時間と金の節約のため)。個別に欲しいものはアマゾン・マーケットプレイスほか、各種ネット通販を活用してピンポイントで買っております。

以下、2017年のグッド・アルバム12枚+2枚。+はCDとDVDのボックス。§はLP。>はLPとCD両方。ほかはCDです。順位なし。並びは買った日付順。

◇:斉藤由貴『斉藤由貴ベスト・ヒット』(1985-1989/2016)
●:雀斑『不標準情人』(2017)
▽:黛敏郎『黛敏郎 日活ジャズセレクション』(rec. 1957-1969/2017) 
}:Pastiche『That's R & B-Bop』(1984)
+:V.A.『Atomic Platters: Cold War Music From the Golden Age of Homeland Security』(rec. 1945-1969/2005)
■:民謡クルセイダーズ『民謡しなけりゃ意味ないね』(2016)
@:Bruce Cockburn『High Winds White Sky』(1971)
≠:吉澤嘉代子『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』(2016)
∵:Iron & Wine『Beast Epic』(2017)
§:Honeytree『Honeytree』(1973)
>:Bob Darin『Commitment』(1969)
#:Rita Pavone『Il Geghege e Altri Successi』(1962-1973/2011)

◎次点:
・Joan Shelley『Joan Shelley』(2017)
・ジョー長岡『猫背』(2017)

◇:斉藤由貴の話を始めると、最初に好きになった30年前にまでさかのぼらずを得ず、めっちゃ長くなりますので省略。数年前から斉藤由貴熱が再燃し、ちょこちょこYouTubeで見たりしているだけではついに耐え切れなくなって、このベスト盤を購入(あとから、オリジナル・アルバムも2枚くらい買いました)。これを買った4月は、1月に発症した網膜剥離の手術後の回復が期待したほどではないことがわかってきて精神状態が非常にかんばしくない時期で、頻繁に妻に八つ当たりしたりしていました。誇張ではなく1か月以上連続で、毎日一度はこのCDを聴いて、精神を安定させていました。妻とこのCDには感謝しかありません。とくに好きな曲は「初戀」と「MAY」です。

また、2017年は、森田芳光「おいしい結婚」と渡邊孝好「君は僕をスキになる」の2本の映画で、彼女のコメディンエンヌとしての才能を再確認しました。「恋する女たち」もまた見直したいところですが、未見の「トットチャンネル」もどこかでやってくれないかな(と、一応書いておく)。

●:台湾のシティ・ポップ。発売前に岸野雄一がおすすめしてたので試聴してみて、気に入り、台北に行って購入しました。その時点では日本盤が出る気配がなかったので知り合いのディスクユニオンのひとに勝手に推薦してみたりもしたのですが、結局他社からリリースされましたね。ところでここ数年、日本の現行シティ・ポップとその周辺の盛りあがり状況はなんとなく関知してまして、そしてなにしろなんでもタダで試聴できる大試聴時代ですから、いろいろ試聴してみましたが、自分で買ってみたいと思えるものはごく僅かでした。ということは、本作は、北東アジア全域において、つまるところ世界的に見て、おそらく最高レヴェルの現行シティ・ポップである、と判断してよろしいのかなと。アー写が「ナイアガラ・トライアングル」のなにかを模していたりと、日本のものもいろいろ聴いてそうですが、ちょっと真似してみた、程度のものではなくてよく咀嚼されてる。改善してほしいのはジャケットのセンスのみ。

ところで、シティ・ポップとは少し(もしくは、かなり)ズレますが、年末に聴かせてもらったウワノソラ『陽だまり』は素晴らしかったです。Lamp、カンバスあたりが好きなひとは名前を覚えておいていいかも。

▽:映画27作品の52トラックを収録した、タイトルどおりの編集盤。一時期、昔の日本映画をよく見ていた人間としては、黛敏郎は「題名のない音楽会」の司会者としてよりも、映画音楽の作曲家としての印象が強いです。黛は、本ディスクの音楽が世に出た1957年から1969年のあいだに、だいたい100本くらいの映画の音楽を手掛けていて、もちろん日活以外の会社でやった仕事も、ジャズっぽくないものも多数あるのですが、こうして限定された範囲から選ばれたトラックを聴いていると、多忙さゆえのモティーフの使い回しとか、条件的制約の中での冒険とか、さまざまなものが聞こえてきておもしろい。いくつかの曲は、「ジャズが好きなクラシックの作曲家」ならではのもので、たとえば、「狂熱の季節」(1960年9月公開)では、物語の要請上、黒人のジャズと白人のジャズを描き分ける必要があるのですが、黛はそれを難なくこなしていて、なおかつ、おそらくオーネット・コールマンあたりにインスパイアされたであろうフリーっぽいフレーズを取り入れたりもしている。確認してませんが、同時代の日本の純ジャズメンでも、黛より先に進んでいたひとはほとんどいなかったんじゃないでしょうか。

武満徹が、頭部の人間離れした特異な形状のせいもあってか神格化されているのと比べて、黛は、晩年のネトウヨ(という言葉は当時はまだありませんでしたが)的言動が災いしたのか、なかなか再評価される気配がなく、長らく歯がゆい思いをしていました。没後ちょうど20年にあたる月にこうした盤が出たことは嬉しいし、ありがたいです。最後に、黛のかわいらしい動画をどうぞ。→☆

}:アメリカ人4人組のジャズ・コーラス・グループ。カシオペア(「ジジメタルジャケット」風に言えば“カショーペア”)のバック・コーラスもやっていたそうです。これはジャパン・マネーによって制作されたホワスト・アルバムで、数年後にジャケ違いの米盤も出ました(わたしが買ったのはそっち)。演奏にはヴィクター・フェルドマン、バド・シャンク、ジョー・ポーカロなどの著名なプレイヤーが多数参加しており、バブル突入直前のきらびやかさはありつつも、デジタル臭はほぼありません。普段であれば80年代のジャズ、というだけで敬遠するみなさまも、嫌悪感なく楽しんでいただけます。曲目は「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「サヴォイでストンプ」といったスタンダード中心ですが、サザンの「いとしのエリー」と松田聖子「スウィート・メモリーズ」、このふたつの英語カヴァーがとくに気に入って何度も聴きました。「いとしのエリー」は、ドナルド・フェイゲンの「雨に歩けば」風のアレンジ。「スウィート・メモリーズ」はもともとがああいう曲ですからわりとそのまんま移植されていますが、途中で、「ホワッ!?」という(2017年頃のネットスラングそのままのような)素っ頓狂な合いの手が入っていて、いつもそこで笑ってしまうのです。

ところで、2017年に出会って、パスティーシュと並んでよく聴いたコーラス/ヴォーカル・グループのひとつがL.A.バッパーズで、とくにアップ・テンポなモダン・ソウルに改作された「ララは愛の言葉」だとか、ランバート,ヘンドリックス&ロスのメドレーだとかを収録した『バップ・タイム』は、ぜひチェックしてみていただきたい1枚です。

+:ボックスものなんて買ってもたいていはほったらかしなので買わないに越したことはない。これはおそらくわたしが生前最後に買い求めたCDボックスになると思われます。CD5枚+DVD1枚+300ページ近いハード・カヴァーの解説冊子がLPサイズの箱に収められております。内容はサブ・タイトルのとおりで、第2次大戦終結の年から四半世紀のあいだに作られた、原水爆、反ソ、反共、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などを題材にした、音楽、ナレーション、短篇映画などが大量に味わえます。俗に、歌は世につれ世は歌につれ、と言いますが、世が歌につれるかどうかはともかく、世相に影響されてこれだけの録音物がつくられて世間に出回ったことは間違いないわけで、単に流行に乗っかってみただけと思しきものから、心配性や被害妄想の産物に至るまで幅広いヴァラエティの不謹慎エンタテインメントが満載。このボックスを買うのはなかなかハードルが高いでしょうし、また、その必要があるひともさほど多くはないでしょうから、みなさまには2014年にリリースされたCD1枚に集約されたヴァージョン(タイトルは同じ)をおすすめします。

■:いま読み返したら、「2016年のグッド音楽」で、「2017年は(中略)アラゲホンジや民謡クルセイダーズなんかも見たり聴いたりしてみたいです。」と書いてましたね。予言?したとおり、2017年はアラゲボンジのCDを買いましたし、民クルはライヴを拝見。その会場でこの5曲入りCD-Rを購入しました。ひとことで言うと、日本の民謡や俗謡をアフロやラテン感覚で演奏するバンドで、それだけなら昔から東京キューバン・ボーイズあたりも似たようなことをしておりましたが、民クルは米軍基地のお膝元である福生あたりを本拠地としているせいか、どこかガレージっぽさがあるのが特徴ですね。あとは、音楽的に似ているというのではないですが、タイの音楽のユルさにも通じるものがある気がします。昔から、「パーティ・バンド」という言葉の本当の意味がよくわからないままで生きてきたんですけど、三田村管打団?とか民クルがそうなんだよって言われたら、素直に納得できます。本盤はもしかするともう品切れかもしれませんが、2017年の年末にフル・アルバム『エコーズ・オブ・ジャパン』がリリースされていて、そちらは全国流通しているので普通に買えるはず。

@:どうでもいいことを何十年も覚えていることって誰でもあると思うんですけど、昔、POP-IND'Sっていう雑誌があって、そこで名盤200選みたいな企画がありました。いや、いまあなたが言おうとしているそれは、1991年のピチカート・ファイヴの特集号のときのやつですよね。それじゃなくて、1989年の夏に出た、細野晴臣が表紙の号に載ってたほうです(→☆)。

現物がたぶんもう手元にないので記憶違いの可能性もありますが、そこで、チープ・トリックの『ネクスト・ポジション・プリーズ』(トッド・ラングレンのプロデュース)が選ばれてて、アメリカにはビートルズ的な意味でのポップ・バンドは意外と少ない、もともとあった土着的な音がポップとされるからである、と書いてありました。当時16歳のわたしはアメリカ音楽とイギリス音楽の違いもほとんどわからないようなありさまでしたが、その一文はなんとなくずっと印象に残っていました。

思い出話はここで終わりですが、そういえばカナダという国や、そこ出身のミュージシャンたちの特性についてマジメに考えたことがあまりなかったので、英米の音楽がいい感じでブレンドされたこのアルバムは少なからぬ衝撃でした。言い訳ではないですが、本作の存在は当然知っていて、過去に何度か試聴もしたはずなのに、そのときにはなぜか引っ掛かりを覚えず、2017年のいつだったか、なにかの拍子で何度目かの試聴をして、ようやく名盤だと気付きました。何度も再発されているこうした歴史的名盤は、粘り強く待っていれば必ず500円くらいで見つけられるのはわかっているのに、我慢しきれず、日本盤紙ジャケCDを1400円も出して買ってしまいました。その後、デビューから80年代初頭までの10枚のアルバムを次々に(比較的安価で)買い揃えられたので、よしとします。短期間で立て続けに買った結果、1枚1枚を吟味するほど聴き込めておらず、もしかしたら本作よりも気に入るものが出てくる可能性もありますが、最初のインパクト重視でこれを選んでおきます。

ところで2017年度は次点として、2016年度にはグッド12のうちのひとつとして選出したジョーン・シェリー、彼女自身はケンタッキー州の出身ですが、音づくりの核となっているふたりのギタリストがたぶんひとりはアメリカ人、もうひとりはイギリス人で、そのあたりも自分好みな理由かもしれないなあと思っています。

≠:すごく好きだったりそうでもなかったりの変化を経つつも、だいたい四半世紀くらいファンでいるバンド、カーネーションの2017年度新作に参加しているゲストのひとりとして吉澤嘉代子の名前がありました。未知の存在だったので試聴→わりと気に入る→ディスクユニオンで購入、という例の流れです。一応メジャーから何枚かの作品を出していて現在活動中なのに、それまで名前を耳にしたことがなかったのは、宣伝が弱いのかわたしが薄ぼんやりしていたか、たぶんその両方だったのでしょう。

このミニ・アルバムは、全7曲、それぞれ別のひとたちとのコラボまたはリミックスで、すべての名前を挙げると、サンボマスター、私立恵比寿中学、岡崎体育、伊澤一葉、ザ・プーチンズ、小島英也(ORESAMA)、曽我部恵一、です。半分くらいは知らない名前ですが、それにしてもめちゃくちゃな組み合わせであることはなんとなく想像がつきます。そして、吉澤そのものの持ち味がそこなわれていない(=いいとこは自分で持っていってる)のも見事ですね。ご本人、たぶん相当に我が強いんじゃないかなと想像。いちばん繰り返し聴いたのは、サンボマスターのひとが曲も提供した「ものがたりは今日はじまるの」で、大滝詠一が全盛期の(『深海』で辛気臭くなる前の)ミスチルをプロデュースしないかぎり、こんなポップスは生まれないであろうと(血迷って)思ってしまったくらいの名曲。ついでに、サンボマスターってどんなだったっけ、と試聴もしちゃいました(で、そうだ、声がさわやかで見かけがややブサイク気味なギャップ・バンドだったわ、と再確認)。

これを買ってから1か月くらいして、「残ってる」のPV公開で急に注目されたみたいで、なんにしろおめでたいです。2018年、彼女のますますのご活躍と、わたしが彼女のほかの作品をリーズナブルな価格で購入できることを祈っています。

∵:アイアン&ワイン、たぶんオリジナル・アルバムはほとんど持っていて、それなりに愛聴しているにもかかわらず、とくに曲を覚えるとかでもなく、いつもなんとなくの「感じ」で聴いています。11月、ニューオーリンズでライヴを見ることができ、音が出た瞬間に2階の席とステージとの距離がほぼゼロになったかのように感じられる芸術的なPAと、アルバムの繊細な音響を人力で再現するバンドのさりげない底力に度肝を抜かれました。内容的な意味でもメモリアル的な意味でも、2017年に見たそれほど多くはないライヴの中、もっとも印象深いもののひとつです。あとは9月に山梨の山の中の一軒家で見た中村まりと、6月の須磨浦山上おんがく祭(二階堂和美、三田村管打団?)ですかね。

帰国してから聴き直してみると、盤を再生するたびにライヴで受けた印象が蘇り、ああ、レコードってのはいいもんだな、と心の底から素直に感謝の気持ちが湧き上がってきました。どこがいいのかを無理やりひとことで言うと、頭がよさそうでなおかつオーガニックな全体の音響設計ってことになりますかね。ところでわたしとしてもあれこれ2017っぽい音響を聴きたい気持ちはあるので、名前を見かけたいろいろなひとの新譜を試聴したものの、するとかなりの確率で、声が人間っぽくなく加工されていて、そこでだいたい無理無理無理、ってなって聴くのをやめざるをえなくなってしまいます。つまり日本のアイドルものとアメリカの売れてるやつはほぼ聴けない。自分がアダプトするべきなんでしょうけど、これについてはちょっと生理的に譲れない部分でした。フォーク/SSW方面のひとが妙な色気を出してそういう声の加工をし始めないよう祈るばかりです。

§:どこだかで「クリスチャン・ミュージック界のキャロル・キング」みたいな紹介をされていました。お聴ききになれば、決して過大評価や誇大広告ではないとおわかりになるはず。たぶん現代にいたるまで活動を続けている彼女の、たぶんホワスト・アルバム。歌詞の内容は、おお神よ、的なものがほとんどのようですが、音楽の表面的な部分は、いわゆる70年代のフィメールSSWの最良の部分を凝縮したようなもので、とくに抹香くささを感じずに聴くことができます。ということは、話は逆で、本質というか内実の部分が極上のSSWアルバムで、表面に乗っかっている言葉が抹香くさいだけ、と言うべきか。要するに、宗教とか気にせずにどしどし聴いてほしいんですけど、CDになってないのかな。

それにしてもセレクト系のレコ屋各店の、宗教系レコードにいたるまでの調査・研究の熱心さは本当にありがたい。そのおかげでわたしのところにも情報が回ってきて、こういう素晴らしいアルバムにたどり着けるわけですから。ちなみにこのアルバム、某レコ屋のメルマガで知りました。とはいえそこで買うと高いので、情報だけ仕入れて、購入は後日に別の場所で……がほとんどでしたが。どうもすみません。こちらは北浦和のディスクユニオンで、リーズナブルな価格で買いました。年に数回しか行かない店舗ではあるものの、微妙にお世話になっております。今年もよろしくお願いします。

>:現在までに第2集までリリースされているオムニバス『カントリー・ファンク』は、読んで字のごとし、いい感じにビートが利いたスワンプっぽい曲を集めた名シリーズで、その第2集(2014)に入っていたのがボブ・ダーリン「ミー・アンド・ミスター・ホーナー」でした。ファットなビートにトーキング・ブルーズ風のヴォーカル、そしてボブ・ディランっぽい名前に衝撃を受けて、こいつは何者だと調べてみたところ、50年代後半から60年代にかけておもにティネイジャ向けのヒットを連発していたボビー・ダーリンが、名前をちょっとだけ変えて、自身のレーベルからリリースしたアルバム『コミットメント』の曲だとすぐにわかりました。

となると、じゃあそれ買おう、と例によって短絡的に考えてみたものの、ネットで調べると一度だけCD化されたものは廃盤で、数千円~数万円の値段がついている。秋、アメリカ旅行に出かける直前に、それまでの相場からすると激安の価格で中古CDが出てるのに気づき、自分が普段出す値段の上限よりは4割~5割増しだったものの、思い切って購入し、帰ってから聴くのを楽しみに飛行機に乗り込んだのでした。そしてアメリカ滞在の何日目か、たまたま立ち寄ったアンティーク・モールの中のレコード・コーナーを何気なく見ていたらアナログ盤を発見。税込みで$13.20(≒1500円)だったので、一瞬躊躇したものの、ダブりになるのを承知で購入しました。ちなみに、次回アメリカにレコードを買いに行くときの、将来の自分に向けて書きますと、何軒かレコ屋を回っていると、一度見かけてスルーしたものはかなりの確率でまた見かけます。そして、一度も見かけないものは結局一度も見かけない。その中間にある、一度しか出現しないものをいかにして見極めて確保するかが肝要なのです。なんか書いてて、当たり前すぎるようでもありオカルトのようでもある日本語の記述になってきましたが、次回渡米の際は、2017年の旅では一度も見かけることができなかった、ラリー・ジョン・ウィルソン『ソジャーナー』をぜひとも手に入れたいものです。

さて、すっかり与太話が長くなりましたが、わたしは昔から、いわゆるロック時代に顕著になった、過剰な自作自演重視傾向(それ自体はあまり意味はないと思っていますが)に対して、それ以前から活動していたひとたちがどのように対応していったか、になんとなく興味を持っています。エルヴィスの失速(かどうかは意見が分かれるでしょうか?)も、ジャズメンたちがロックのヒット曲のカヴァーをさせられていたことも、そうした流れの中に置いて眺めるとより興味深いですし、さらに視点を広げてみれば、白人SSW作品にソウル~ジャズ系のセッション・ミュージシャンたちが参加し始めた現象ともまったく無関係ではないでしょう。で、そういう視点からジョニー・リヴァースのいくつかの作品や、ダーリンのこのアルバムを聴き直すと、いっそう立体的な理解が育まれるはずです。

#:12月にイタリアに行きまして、まあやはり現地のレコ屋にあいさつがてら立ち寄ってみるものの、現地の音楽のことをろくすっぽ知らないせいで、イタリア人コーナー見てもなにがなんだかわからない。まさかそんじょそこらにトロヴァヨーリやらカトリーヌ・スパークが投げ売りされているわけもなく。旅の後半、シチリアのカタニアという街でちょうどレコード・フェアが開催されていたので寄ってみて、一応ざっと流して2枚くらい買って、さあ帰ろうかと思ったときに、7インチが大量に売られているコーナーが目につきました。普段7インチを買う習慣はないのですが、アメリカなんかと違ってほとんどピクチュア・スリーヴつき(=日本と同じ)なので、おみやげのつもりで地元のものをジャケ買いしてみるのもよかろう、と思い至りました。

そこで引き抜いたのが、ソバカスだらけの愛嬌のある女の子が得体の知れないハンド・サインをしているジャケットで、それがリタ・パヴォーネ「Plip」でした。B面は「メリー・ポピンズ」の劇中歌「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」のカヴァーで、なるほど、知っている曲なので買ってみることにしました。ほかにも、適当によさげなジャケを引っこ抜いて、注意深く見てみると、曲名はイタリア語でしか表記されていなくても、あきらかに作曲者名がイタリア人っぽくなくてアングロ・サクソンな感じの場合がけっこうあって、米英の曲のカヴァーであろうと推測できるわけです。

まだるっこしいので話を飛ばすと、同時代の英米のヒット曲のローカライゼイションは日本でもおこなわれていたわけで、つまりリタ・パヴォーネはイタリアの雪村いづみ、ないしは江利チエミみたいな存在だったのかな、と。そう気付いたのはその晩、ホテルに戻ってから。わたしの泊まった部屋にはターンテーブルがなかったので、Wi-Fi経由でYouTubeにアクセスして、目の前のジャケットを眺めながら「Plip」と「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」を聴いたときでした。パンチの利いた歌声、勢い余ってネジがはずれたようなアンサンブル。アップ・テンポな曲でのリズムは極めてモダンで、早すぎた渋谷系というか、ロックンロールとカンツォーネの野合というか、続けてほかの曲も聴いているうちに、すっかりファンになりました。勢い余ってそのままその場で注文したのがこの3枚組アンソロジー。全36曲収録ですが、曲が短いので3枚のトータル時間が90分ほどないことを除けば非の打ちどころなし。歌謡曲のようでもあり、オールディーズのようでもあり、R&Bのようでもあり、そしてそのどれでもない。カヴァーもオリジナルも曲名はすべてイタリア語表記のみなので、流しているとところどころ、聞き覚えのある曲のイタリア語ヴァージョンが飛び出してくるのが楽しい。

◎次点:単によく聴いたもの、出来がよかったものを挙げるならばあと10枚くらいすぐに出てきそうなので、ひとまず2枚。ジョーン・シェリーのセルフ・タイトルド作は、2016年のわたしのグッド音楽に選出された前作に負けず劣らずのクウォリティで、最高傑作と呼んでも差し支えなさそうな充実作。なんとなく2年連続で同じひとを選ぶのもなあ、程度の消極的な理由での選外。地味っちゃあ地味なひとなのでこのくらいのポジションがちょうどいいかも、と言っては失礼にあたるでしょうけど。ジョー長岡『猫背』は、いろいろお手伝いした関係もあって、とにかくよく聴きました。聴いた回数でいうと、斉藤由貴、雀斑と並んで2017年のトップ3だったはずですが、単に回数が多いだけでなく、普段こんなにマジメに音楽を聴くことはそうそうないだろってくらいの真剣さで向き合ったアルバムが、『猫背』でした。

2018年も、みなさまとわたしによい音楽との出会いがたくさんありますことを。あと、みなさまのことは存じ上げませんが、わたし個人の目標は、CDをできるだけ処分する、です。
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by soundofmusic | 2018-01-13 12:37 | 日記 | Comments(0)

研修その5:チリ

d0000025_0393386.jpg残暑のニューオーリンズ→秋のバーミングハム→冬のシンシナティと移動して、南半球、チリの首都サンティアゴはこれから真夏に向かう時期で、朝晩は少し肌寒く、でも昼前から夕方にかけては半袖でも暑いくらい。そして夜は20時過ぎてようやく暗くなる。10人にひとりはマンガみたいな肥満体だったアメリカのひとと比べると、こちらの体型はだいぶまとも。美人が多い。大学と本屋も多い。そしてもっと多いのは寿司屋と甘いもの屋で、どちらも1ブロックにひとつはある。老若男女、道を歩きながらアイスやらなにやら、甘いものを食べてる。ぜんぜん違う国に来たな。街の真ん中を流れるマポチョ川は、都会の中の川とは思えないような勢いの濁流で、橋を渡るたびにまじまじと流れを眺めていたもんだけど、しばらく雨が降っていなかったのに毎日あの勢いで流れているのは、きっとアンデスの雪解け水なんだろうなとあとになって気付きました。

レコード屋は何軒か覗いて、すぐに見切りをつけた。エイティーズのどこにでも転がっているようなLPが1枚2000円とか普通にする。去年行ったメキシコ・シティーと比べても、あきらかに流通してるレコードの量が少ない。

そうすると途端にすることがなくなるので、街の中やショッピング・モールを歩き回っていた。そうでなくても歩くけど。看板、広告、商品名、TVのテロップ、気になったスペイン語を片っ端から翻訳にかける。疲れたらコーヒー飲んだり、甘いもの食べたり。

今年の夏から秋にかけての数か月、半ばやむを得ない事情で、スペイン語のウィキペディアを読む学習をしていた。もちろん、読むといっても読めはしないので、一段落ごと英語の自動翻訳にかけて、スペイン語と英語を見比べる感じ。それでも一応大量に眺めたことは確かで、その成果は着実に現れた。

たとえば、descargaという単語。最初に知ったのは、ラテン音楽のジャム・セッションを表す言葉として。辞書を引くと、エネルギーの放出、なんて載ってる。それはまずそれとして、携帯の充電はrecarga。電車に乗るスイカみたいなカードのチャージは、carga。そこまで知ると、つまりdescargaは英語のディスチャージ=放電か、とつながってくる。そして、わかった気になっていると、長距離バスのトイレで用を済ませたあとに押すべきボタンにも「descarga」と書いてある。なるほど。

寿司屋のメニューで見かけた、「Gohan Nikkei Acevichado」。セビーチェ風の日系ごはん??ってなんだよ、と写真を見ると、あきらかに海鮮丼。旅先で進んで日本食を食べてがっかりするほど酔狂じゃないけど、中華はだいたいいつも食べる。中華屋にはArroz chaufaがある。アロスは米、だからこれは炒飯のこと。

英語の勉強もこれからも続けるつもりではいますけど、こんなふうに素朴な、初学者ならではの驚きと喜びを感じることは、さすがにもうあんまりないだろうなあ。

チリに何度も来ることがあるとはあまり思えないので、せっかくだから地方も見てみたい、と思い、南部の港町、プエルト・モンに1泊で行ってきた。飛行機で2時間弱、1000kmくらい南下したので、だいぶ寒い。空港からの並木道は北欧か北海道みたいな印象。有名なアンヘルモの魚市場でセビーチェを食べて、海岸をうろうろしてると、岸から1メートルくらいのところの海面、黒い岩みたいなものが5つ6つ、突き出している。近付いてみると、アシカだかアザラシだかで、そいつらはしばらくそこでじっとしてたけど、あれはなんだったんだろう。観光客向けのサーヴィスか。3人組の女子グループがいて、お互いにその動物たちと写真を撮っていたので、それが一段落したあと、Chicas! と生まれて初めての呼び掛けをして、わたしも写真を撮ってもらいました。

プエルト・モンでの宿はAirbnbを使っての民泊。朝、隣の部屋から流れてくる音楽で目が覚める。ビクトル・ハラの「自由に生きる権利」。できすぎてるけど、ほんとの話。チリの有名人といえばこのひと、だけど、行く前も来てからも、名前を思い出すことなんてなかったのに。ちなみに、道端にゴザを広げて商売してる古本屋の品物のなかに、ホセ・ドノソが混じってたりはしました。

建物の門(鍵がないと出られない)までホストに送ってもらいながら、少しだけ話をする。……あのさ、さっき流れてたでしょ、音楽。El Derecho de Vivir en Paz。たぶんすごく有名な曲だよね。知り合いのジャズ・シンガーがあの曲に日本語の歌詞をつけて歌っていてさ……と、酒井俊さんのことを教えたけど、伝わってたかどうかわからない。

バスで30分くらいの湖畔の町、プエルト・バラスで半日過ごす。ここは19世紀後半にドイツ人が大量に入植したところで、小さな町のそこかしこにドイツ風の建物が残っている。そうそう、チリといえばドイツ人音楽家アトム・ハート(セニョール・ココナッツ)が住んでいた(いる?)国で、なんでそんなところに? と疑問に思ったけど、たぶんドイツ人にとってはなじみがないこともない国なんでしょうね。ちなみに甘いもの屋のメニューのひとつにはドイツ語名前のkuchen=ケーキがある。湖のほとりを歩きながらぼんやりいろいろ考えているうちに、異なる文化同士の混合や衝突を愛でる者は、ある程度は植民地主義を肯定せざるを得ないのではないか、と思い至ってぞっとした。自発的に移動する物・ひとが成し遂げる以上のことがそれによってもたらされたのは間違いないわけで……と、思いはシンシナティで見た奴隷の展示の衝撃へと帰っていく。あと、そういうことと関連して年に何回か思うんだけど、嫌韓・嫌中のひとって、カルビ丼とか炒飯とか餃子とか食べないんだろうか。素朴な話。もう日本食の伝統に組み込まれたって認識?

あと、サンティアゴから日帰りで、バルパライソとビーニャ・デル・マールに遊びに行った。高速バスで2時間くらいのところの港町。バルパライソは天国の谷という意味で、海岸近くから見上げると、山の上のほうまでびっしりと家が並んでいる。急勾配の上と下は無数の階段や坂道で結ばれていて、それと、あちこちにアセンソール(ケーブルカー)がある。ケーブルカーといっても、ほぼ垂直に近い、要は籠がむき出しになったエレヴェイターみたいなものもあった。数時間歩いただけでもおそろしく見晴らしのいい箇所がいくつかあって、行った日は本当に雲ひとつない快晴だったのでさわやかなことこの上ない。家々はカラフルに塗られていて、壁には昔、地元の芸術学校の学生が描いたというウォール・ペインティングが残っている。そのほかにも普通に最近描かれたらしいグラフィティ的なものもあるので、「アートと芸術の境目がわからないな」などと頭の悪いフレーズを思い浮かべながら散歩していました。

ビーニャ・デル・マールはバルパライソから電車で30分ほどの、海辺のリゾート都市。おしゃれっぽいレコード屋の店主と話をしたり(例によって収穫なし、がっちり握手しただけ)、モールをうろついてから海岸に向かうと、ちょうど夕暮れどき、西側、バルパライソの向こうの丘に日が沈む時間。たくさんの若者や家族連れが浜辺でリラックスしている。ここで夕飯食べてから帰るのでもいいかもなあと思ったけど、夕暮れというのはつまり20時過ぎであって、またバスで2時間かけてサンティアゴまで戻らなくてはならないので、そのまま帰りました。

帰国する前の日、サン・クリストバルの丘に登りました。この丘は、数日前にも登ろうとしていて、麓にあるケーブルカーの乗り場に行ったら、「メンテナンスすることになったので今日は午後から運休です」みたいな貼り紙がしてあって、時間も遅めだったのでいまから歩いて登るのはしんどいな、と思って出直しにしたのでした。しかし、出直したその日もやはりケーブルカーは運転してなくて、貼り紙を見ると、どうもわたしが最初に行った日からメンテナンスに入ってしまったらしい。なにかよっぽど悪いところでも見つかったのか。

ということで、歩いて登ることにしましたが、真昼で陽射しが強いうえに、直前のランチでビールを飲んでしまったため、眠いわだるいわで散々でした。ちなみに飲んだのはチリのブランド、Escudo。エスクードと頼んだら「ああ、エクードね」と返されて、どうしてそこでsが脱落するのかよくわかんないけど。Muchas graciasも、たいていムーチャグラシャ、さらには単にグラシャ、と発音されてた。ブエナスなしの単にタルデ(ス)もよく耳にした。それと、チリ人独自のスペイン語として、わかった?と訊くときのCachai? というのがあると見かけて、そういうのがあることを一度知ると、たしかに、本当にしょっちゅう耳にする。

結局、1時間近くかけてひいひい言いながら丘の頂上に到着。麓から数百メートル高いところに来ただけあって、サンティアゴの街の中からも見ることができるアンデスの冠雪した山並みが、さらにくっきりと見える。みなさまご存知の通り、チリは南北に細長い国で、サンティアゴからは東に50kmくらい行くともうアルゼンチンとの国境のアンデス山脈。あとで地図で確認したところ、見ていた中のどれかひとつが、南米最高峰のアコンカグア山(6980m)だったようです。ということをわざわざ書くのは、最高峰という単語をオリジナルの意味で(比喩でなく)使うのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないという、それだけの理由。

山から下りて、この旅で何度目かのショッピング・モールへ。レコ屋のことはすっかり忘れていましたが、家電コーナーの一角、ターンテーブル売り場に、CDセールのワゴンがあるのを発見。なんの気なしに手に取ったレッド・ツェッペリンのCDはメイド・イン・チリだった。南米諸国は同じスペイン語圏でも国ごとにプレス・流通してるんだろうか。だとしたら全部揃えなくちゃいけない性格のひとはたいへんだなあ。Seru Giranという、知らないひとたちのジャケがなんとなくよさそうだ。一度ワゴンに戻して、店内の別の場所、無料のWi-Fiがなんとなくつながるようなつながらないようなところに行って一瞬だけYouTubeで聴いてみたら、後期ビートルズっぽい浮遊感のあるプログレだろうと推測できたので、買ってみました。これがチリでの唯一の音盤購入。ちなみに、あとで聴いてみたらだいたい予想した感じの音。アルゼンチンのバンドだそうです。

夜、テアトロ・オリエンテで、マデリン・ペルーを見ました。ヴォーカル/コントラバス/ギターという編成でさまざまなジャンルの曲をカヴァーするなんていうと、そこらのカフェ・ミュージックで掃いて捨てるほどありそうですけど、あまりに予測不能な乱高下を繰り返すうたのフレーズは、のんびり聴き流すことを許してくれません。そして、いろんなことをやっているにもかかわらず、ヴォーカルの印象があまりにも強すぎるせいで、なんとなく単調に聞こえてしまうのは損してるところかも。「アイ・エイント・ガット・ノーバディ」を歌ったのには驚いた。1週間前にシンシナティで合唱した曲だよ。調べたら、まだ録音はしていないみたい。次のアルバムに入るのかな。

MCはほとんどがスペイン語で、その大半を聞き取れたのには驚いた。外人がゆっくりしゃべっているからなのは当然として、自分の自主練の成果はあったことにもしておきたい。そうそう、この日はスペイン語でも1曲歌われた。アルゼンチンのファクンド・カブラルの「ノ・ソイ・デ・アキ」。サビでは観客が自然発生的に合唱していました。マデリン・ペルーは何語で歌っても、ネイティヴじゃないみたいに聞こえる不思議なひとだなあとあらためて思いました。

最終日、日曜日の帰りのフライトは夜だったので、昼間はずっと歩いていた。日曜日は本当になにもすることがない。店は10軒に1軒くらいしかやってないし、あらかじめ番組を調べておいて映画館に行ったらそこも休みだった(シネコンはさすがにやってる)。旅のあいだ、食事についてはほぼ失敗続きで、具体的に言うと、
・店がない
・あっても入りやすい店がない
・メニューが外に出てないので値段がわからない
・うろうろした末に気合い入れて入ると、さまざまな理由で思ったよりもお金がかかってしまう
・もやもやした気持ちで食べて終えて出ると、1分くらいのところに、いま出てきた店よりも総合的に良さそうな店がある
上記のうちひとつかふたつ、場合によってはみっつ以上が重なることが続いていて、そういうときばかりはやっぱり日本(もしくは台北)はいいよなあーと思うわけですが、この日、せっかくだから最後に、少し高くてもちょっとはちゃんとしたものを食べて帰ろう、と思っていたのですが結局それもかなわず。なんとなく適当に済ませて帰途につくこととなりました。

金の心配をしなくていいってことになればうまそうなところに入ればいいし、逆に節約を第一にするならば店には一切入らずにそこらで売ってるものとスーパーのもので済ませればいいわけであって、そのどっちもいやだからなるべく安くてそこそこうまいものを、とヘンな色気を出すのがいけないのはわかってます。今回、日本円→米ドルへの両替と、米ドル→チリペソへの両替、その両方で下調べしなかったせいで失敗して、あわせて2万円くらい損してしまい、旅行中ほぼずっと、そのことで自責の念にさいなまれていました。

妙なもので、そんなときに限って、持ってきて読んでいた吉田健一のエッセイ集に金の話が載っていて、金なんかなければ借金すればいい、みたいなことがあの独特の口調で書いてあって少しだけほっとしましたが、しかし待てよ、あいつの親父は総理大臣じゃん、食いっぱぐれて死ぬことなんてないからそんなことが言えるんだろう、とすぐ正気に戻りましたけど。ちなみに今回、日本→アメリカ→チリ→日本の飛行機代は13万8000円。もろもろ含めた総費用は約35万円でした。

(おしまい)

☆写真
・海の生き物と記念撮影
・プエルト・バラスで食べたクーヒェン
・バルパライソの教会。手前の柱には「天国DA」と書かれている
・バルパライソ
・段ボールの中で寝ている犬

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その4:ジョージア州アトランタへ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:40 | 日記 | Comments(0)

研修その4:ジョージア州アトランタへ

d0000025_0374612.jpg23時過ぎにターミナルに着いて、バスの出発予定は24時45分。ターミナルには電光掲示板のようなものはなくて、係員のアナウンスを聞いてないといけないのですが、普通なら10分前とか30分前には到着しているはずのバスが来る気配がない。ヘンだぞと思っていると、発車予定時刻あたりになったところで、3時間くらい遅れているのでお詫びの食券配ります、とのアナウンスがなされ、とりあえず食券ゲット。$7.50分。お釣りは出ないようなので、$7.49のセットを注文。ハンバーガー、ポテトチップスの袋、例によって巨大なソフトドリンク。

アメリカの食事についてはあまりなにも言いたくありませんが、何度か食べたハンバーガーについては、これは「料理」なのだなと毎回思わされました。それはこんな場所、こんな状況、底冷えのするこんな午前1時であっても同じことで、黒人女性がちゃんと冷凍肉を焼いてくれる。食券もらった数十人の客が一斉に同じ行動をとって注文しに来るので、あきらかにふてくされてはいましたけど。

バスは結局午前4時とかに出たのだったか。理由のアナウンスはとくになし(たぶん)。車内には蛍光ヴェストを着たグレイハウンドの女性社員が同乗していて、突発的に「わたしは悪くない!」「運転手がいないものは仕方ないでしょ!」「わたしにだって子供がいるんだから!」との怒号のような声が聞こえてくる。

朝9時頃、途中のテネシー州ノックスヴィルで、しばらく停車すると告げられる。「ここで終点っていうんじゃないだろうな?」と不安げな男、座席ふたつにすっぽり埋まるように眠る巨体、なくしたiPhoneを這いつくばって探し続ける若者。

結局、蛍光ヴェストの女性が誰かと電話した末、「わたしが運転するから!」と言って、それがどのくらいイレギュラーな事態であるかはわからないのですがとにもかくにもそういうことになり、バスは先に進みます。ところで今回観察したかぎりでは、ジャームッシュの「パターソン」みたいな内省的なバス・ドライヴァーはひとりもいませんでした。みんな客と冗談の言い合いをしたり、一度などは、客席後部で延々と口論をしている男女に向かって「なに、そこ、痴話喧嘩みたいなことやってんだよ!」と仲裁(?)に入る。運転手の仕事はまずはもちろんバスの運転ですけど、道路交通法とはまた別に、公共空間ではこうふるまうべしというルールが確固としてあって、それにしたがうと運転手はエンターテイナーの役割も兼ねざるを得ないのでしょう。

アトランタの街の中心部に近付いたころ、後ろの席のギャル(かどうかはわからないけど、そんな口調の)が、どこかと電話しているのが聞こえてきます。……そうそう、もうすぐアトランタ、ア・トラーンタ、ジョ~ジア、ジョォ~ジア~の。すごい、いままで見たことないくらいの都会! ビルなんてめっちゃ高くて、上のほうが雲の中に隠れちゃっててね……

バスがまともに走れば、ここアトランタで半日の空きができるはずだったので、レコード屋に寄れるな、と算段していたのですが、遅れた分を取り返すこともなく4時間遅れのままの到着だったので、食事だけして空港に向かう時間しか残っていません。ここはグレイハウンドのターミナルと地下鉄駅がほぼ直結していて、あまり遠出すると戻ってくるのがめんどくさい。到着直前に、バスはターミナルのあるブロックをぐるりと回るように走ったので、そのときに見かけたフライド・チキン屋に行くことにしました。

ターミナルから店まで歩く数分間、グレイハウンドの客以外には黒人しか見かけない。小さな店に入ってカウンターに行くと、前で待っていた黒人のあんちゃんが「なあ、会ったことあったっけ?」と話しかけてきました。「ないよ! いまさっきバスで初めてアトランタ着いて、ここでチキン食べてこれから空港行くんだよ」「おおそうか、どっから来た?」「日本だよ」

そこであんちゃん、カウンターの中の女性に向かって「すげえなぁおい、日本からケルズ・キッチンにチキン食いに来たってよぉー」と言い残して出ていきました。カウンターの奥の厨房では、黒人のコックがでっかい声で歌いながら料理しています。出てきたチキンは見かけの量のわりにはするっとお腹に入ってしまって、食べてるあいだにも次々とお客さんがやって来る。ほとんどがテイク・アウトの客で、全員黒人。食べ終えて、「The chicken was great.」と言いながら外に出ましたが、ちゃんと伝わったかどうかはわからない。

(つづく)

☆写真
・お詫びの食券
・朝、どっかで停車中のバス
・ケルズ・キッチンのチキン

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:38 | 日記 | Comments(0)

研修その3:オハイオ州シンシナティとその周辺

d0000025_0334114.jpgバーミングハムから600km、ニューオーリンズからは直線距離にして1000km以上北上したシンシナティは、すでに晩秋~初冬の空気。着いた朝は冷たい雨で、重いスーツケースを転がしつつ、宿まで休み休み歩く30分はキツかった。

2日目以降はずっと晴れで、寒いのにはどうにも閉口したものの(毎日最低気温は0度前後。道端で氷が張ってる日もあった)、何日か過ごしているうちにこの街の独特の歴史と文化を知り、親しみを覚えるようになりました。立派な(建物が、というだけではなくて、きちんと機能している感じの)図書館には、オーデュボン「アメリカの鳥類」の大判の4巻本が展示されています。そう、ニューオーリンズのオーデュボン・パークの、オーデュボン。

そもそもアメリカの都市はだいたい全部、呼ばれもしないのにやってきたヨーロッパ人がつくったもので、何年にできたとかわかってて記録も残ってるわけです。この街の特色としては、
・ドイツ移民が多く、その文化が色濃い
・オハイオ川沿いの交易の要衝として発展し、西部への玄関口となった
・南部から北部へと逃亡する奴隷の重要な通過点
といったあたりでしょうか。西部の入口とは言っても、地図を見るとぜんぜん東寄りで、これなら西東京市のほうがまだ西だと思えます。ちなみにシンシナティという名前は、ローマかなんかの言葉に由来してたと思います。都市も人造ならば地名も人造。もちろん先住民の言葉に由来した地名も多いですが。ちなみに、地図見てると、だいたいどの州にもAthens=アテネ、という名前の街がありまして、このアシンズについては後述。

オハイオ川の北側がオハイオ州シンシナティ、南側はケンタッキー州。どちらにも何軒かずつ、よいレコード屋があります。シンシナティのシェイク・イット・レコーズがいちばん大きかったかな。1階がCD、地下が同じ広さのアナログ。全部見たら5時間くらいかかりそう。

ケンタッキー州側は、歩いて回れる範囲を一度探検して、ベルヴューのトーン・ライト・レコーズが品揃えの的確さとそのわりには値段がリーズナブルなのでお薦めです。歩けるとはいってもシンシナティの中心部から小1時間はかかるので、行きか帰りはバスがいいでしょうね。とはいえぶらぶら歩くのは楽しくて、コヴィントンでは英語とドイツ語がちゃんぽんになったMainstrasseという名前の通りがあったかと思うと、ドイツ語で名前が彫られたMutter Gottes Kircheなる教会もある。そして民家の窓には「IF YOU CAN READ THIS, THANK A TEACHER/If You Can Read This In English, (ここにライフルのイラスト)THANK YOUR MILITARY」と、英語の構文としては正しいと思われるものの、どうにも意味をとりかねる掲示が出ていたりする。

街から離れた場所にもレコ屋はあって、しかしあんまり遠くまで行くと、収穫がなかったときの徒労感が激しいので当初は行くつもりなかったんですが、シンシナティに丸5日滞在しているとさすがにすることなくなったので、シンシナティから南に7kmくらい行ったところの、ラトニアという町にある、フィルズ・ミュージックにも足を伸ばしました。なんてことない田舎町の街道沿いに、店の数と比べて不釣り合いなほどに広大な駐車場を持ったショッピング・モールがあって、その向かいに突っ立ってるです。

まあ田舎のそんな店に行ったところで、ロクに買うものもないだろうというのが日本の感覚ですが、しっかりとした品揃えで、気が付くと5、6枚かかえているので試聴して減らさなくてはいけなくなりました。こういうことを繰り返していると、20世紀の半ばから後半にかけて、レコードという音の入った円盤が、信じられないくらいに大量に出回っていた時代があったんだなあということが体で実感できます。わたしたちが普段ユニオンなどで見ているレコード棚は、時代的・経済的・嗜好的なフィルターを何重にも通過した状態のそれであって、どっちがいいとか悪いとかではなく、明らかに景色が違う。

そういうことともまったく関係がなくはないと思うんですけど、シンシナティには、ナショナル・アンダーグラウンド・レイルロード・フリーダム・センターという博物館があります。アンダーグラウンド・レイルロードとは地下鉄のことではなくて、まあシンシナティの地下鉄っていうとそれはそれでめっちゃ興味深いので各自検索してほしいんですけど、この「レイルロード」は、黒人奴隷を南部から北部に逃亡させるための、匿ったり移動させたりする人的システムで、実際に線路があるわけではないです。

この博物館はつまりそのことが学べる施設で、入場料$15には一瞬、ひるみますが、わたしにとっては価値のある出費でした。奴隷制度が、世界の拡大化にともなう経済構造の変化にかかわる問題でもあったこと。奴隷制度を描いた大きな油絵は少なく、それはそうしたものを買いたがるパトロンがいなかったからであること。アフリカにおいては、アフリカ人という統一された意識がなかったため、沿岸の部族が内陸の部族をつかまえてきてヨーロッパ人に売り付けていたこと。インディアンの一部の部族は逃亡奴隷を助けていたこと。メキシコでは黒人差別がなかったのでそちらに逃れた者もいたこと。みんな目からウロコでした。見終わってひと息ついてフロアの反対側に行くと、現代における奴隷制度、として、低賃金による搾取、児童労働、強制売春、などなどの展示がなされています。現代においては国際的な人身取り引きの犯罪ネットワークはあるのにアンダーグラウンド・レイルロードはない、とか、奴隷解放以前の奴隷ひとりの値段はいまの貨幣価値換算で400万円くらいだけど現代の奴隷的労働者の値段は$10だか$100だかだとか。打ちのめされました。

話変わって、アメリカには、ニューヨークにもサンフランシスコにも、いわゆる日本の文化系女子みたいな見た目(顔および服装)のひとはほとんどいない、というのがわたしの認識でした(内面的なことは知らない)。シンシナティでは、座席数35くらいのミニシアターで、デレク・ジャーマンの「ヴィトゲンシュタイン」を見まして、そういうとこ行くと、若干、いらっしゃるようですね。勉強になりました。映画は、英語ほとんど聞き取れなくて勉強になりませんでしたが。

英語といえば、旅行の前、10月下旬にTOEICを受験しました。たぶん13年ぶりくらい2回目。前回はわりといい点数で、だもんで今回は目標満点! とか言ってたんですがいざ受けてみると時間足りなくて答えきれなくて、旅行中に点数出てたので確認してみると、100点近くスコア下げてました。予習とかしなくて、つまりナメてたからですけど、それにしてもまったくお話にならない。旅行してて、言葉の問題で本当に困ることあるかなってのはいつも考えてますが、住むなら別ですけど、旅行中は突き詰めれば金を出して物やサーヴィスを買えればよいので、だから喋れなくてもそんな困らないのでは? と思ってます。

ただし知らないひとと話す機会は日本より多いです。金をせびるのが目的のひとに対しては無視すればよいでしょう。そうでないケースというのは、すれ違いざまに「I like your jacket!」と言われて、だからといってそれ以上なにかあるわけでなくそのまますれ違ったり。バスの中でおばあさんに、いいスーツケースねと言われたり。すれ違ったひとと目をあわせてうんうんとうなづきあったり、ときには小さくHiと声に出したり、わたしもしてましたけど、あれ、なんだったんだろう。

ニューオーリンズでは何度も、How ya doing, bro! と声をかけられました。お店のレジのひとも、Hi, how are you doing today? と言ってきます。つまり単なるあいさつであって、いちいち自分のその日の健康状態やこれからの予定を述べなくてもよいわけですが、みんなこれに対してどうしてるんだろう。ほかのひとの返事を盗み聞きすればよかったな。fine. とかgreat. とかで問題なさそうですけど。一度、言われる前にこちらからHi, how are you doing today? って言ったらどうなるか試してみたら、お店のひとも同じこと言ってきました。なんだかWho's on first? みたい……といっても昔のお笑いですから若いひとはご存知ないでしょうけど。(YouTube)

シンシナティでは3回、ライヴに行きました。ミルク・カートン・キッズ、ジャスティン・タウンズ・アール、シンシナティ・ポップス・オーケストラ。

ミルク・カートン・キッズを見ることが、シンシナティに来た目的でした。ニューオーリンズから入国、アトランタから出国と決めて航空券だけ先に買っていて、米国内の日程をいろいろ考えているところで彼らのトゥアー日程が発表になり、もともとはもっと南の、メンフィスとかナッシュヴィル滞在を予定してたところを変更して、シンシナティまで北上することにしました。数百km余計に移動するわけなので、ついでに寄るって距離じゃないんですが、バスでひと晩ならまあそんな遠くもないか……と感覚が麻痺してくるわけです。地図見てると、バス乗り継いで大陸横断してもせいぜい3日か4日のように思えてきて、だったら全然行けるよね? とか余裕かましてたところ、バスでひどい目に遭ったんだけどそれは後述。

ともあれミルク・カートン・キッズです。開演前にジョーイ・ライアンのあいさつがひとしきり。……何年間もずっとトゥアーをしてたけど今年はオフにしてほとんどライヴしなかった、そのあいだに僕にはふたり目の子供ができまして。妻とのティーム・ワークの賜物なんだけど、正確に言えば妻の功績。自分の仕事は最初のほうに、ちょっとだけ。(ここで客席から笑い)あ、あと、相方のケネスは禁煙しました。(ここで客席から拍手)

前座はサミー・ミラー&ザ・コングリゲイション。キーボード、ベース、ドラムス(リーダー)、サックス、トランペット、トロンボーン。最初はカレッジ・フォークのジャズ版みたいなこざっぱりした雰囲気だな、と思っていましたが、クレイジー・キャッツも顔負けの、笑いと音楽が批評的に融合した連中でした。2曲目くらいでいきなり、メンバーの半分くらいが客席におりてあいさつ回りを始めたり。演奏は達者で、しかしどことなくジャズの定型に対して斜にかまえてる。かと思うと、唐突に舞台上に椅子と観葉植物が持ち出され、ジョーイ・ライアンとメンバー3人によるトークのコーナーになる。そこでミラーが、オペラを見てインスパイアされてジャズ+オペラの「ジョペラ」を書いた、ジャズのひともステージで恋したりしてもいいじゃないか、と思って、と。

そのジョペラ、ホーン隊がオペラ風に「アントーニオ!」と声を高く歌ったり、ウィッグをつけたヒロインになったり、甲冑の騎士になったり(サックスの朝顔のところに馬の首の飾りつき)、それぞれの楽器でコール&レスポンス的なことをしたり。オペラのお約束として舞台上でみんなバタバタと死に、キーボードは鍵盤の上につっぷしたままで弾き続ける。その後、歌でみんなが生き返る。歌の内容は逆に、誰かが死んだ、みたいなもののようですが。それにしてもアイディアの豊富さ、演奏の確かさ、ホーン隊の振り付けの楽しさ。度肝を抜かれたし、よくもまあここまで、と思うほど笑わせてくれた。

さて、そんなド派手な前座をたっぷり1時間ほど楽しんだあとのご本尊ミルク・カートン・キッズは、まったく対照的なステージ。舞台の真ん中にマイクが1本。そこにふたりが近付いたり遠ざかったりしながら歌うだけ。滋味かつ地味なことこの上なくて、それでも圧倒的自信がみなぎっている。楽器の持ち換えもなくて、最初から最後まで同じギターを弾いてる。そのギターも、ピックアップやコードといった電気っぽいものが一切見えなくて、まさかギターも声と同じマイクで拾ってんのか? と思ったけどさすがにそうではなかったはず。今度ライヴのDVDで確認してみよう。

ミルク~はいつか日本でも見られると信じたいけど(日本盤たぶん出てないけど、ビルボード・ライヴとかで……)、彼らのトゥアーが発表される前、こっちを見ておきたい、と思っていたライヴがあって、それはジョアン・シェリーでした。ここ数作、ほんとに充実しているSSWで、今年はリチャード・トンプソンのトゥアーで前座をしたり、ウィルコのジェフ・トゥイーディのプロデュースで新作を出したりと、ブレイクの気配満々ですが、日本に来ることはたぶんないだろうから。

テネシー州の小さな町、アシンズで彼女のライヴがあることは把握していて、もともとその期間にあわせての訪米でした。テネシー州? アシンズといえばジョージア州じゃないの? と、R.E.M.やB-52'sのファンのみなさまはお思いでしょうが、テネシー州にもアラバマ州にもアシンズがあるんです。で、テネシー州のアシンズへはグレイハウンドで行けるものの、グレイハウンドのバス停からライヴ会場まで5kmくらいあって、しかも公共交通機関がない。町の中心部にはホテルもない。いや、現地に行けばなにがしかはあるんでしょうけど。もう帰ってきたいまとなっては、アメリカの田舎町の夜道を1時間歩いてもまあめったなことはあるまいと思えますが、最終的にこの計画は断念。またの機会を窺うことにします。

見なかったものの話をもうひとつ。シンシナティ滞在中、60kmくらい離れた町の街道沿いのコンヴェンション・センターで、サザン・オハイオ・インドア・ミュージツク・フェスティヴァルなるものがありました。ドイル・ローソン&クイックシルヴァーや、リッキー・スクラッグスが出る、昼間から夜までのフェスで、ランチ・ブレイクをはさんですべての出演バンドが午前と午後にそれぞれ一度ずつ演奏する。つまり、半日いれば全バンド楽しめるわけで、これには食指が動きましたが、毎度毎度、例によって交通機関がない。ないというのはバス便が少ないとかでなくて、物理的に存在しないのです。フェスのページの、会場までの交通欄を見ると、車での道順が記載されているのみ。終わったあとは、シンシナティに帰るひといるだろうから駐車場でヒッチハイクすればいいとして、そもそも会場まで行けなくてはどうしようもない。したがって断念。

シンシナティ最終日の夜は、シンシナティ・ポップス・オーケストラに行きました。このオケがやってるライヴ録音の連続シリーズ「アメリカン・オリジナルズ」の第2弾です。フォスターの曲をやった第1弾(Amazon)に続いて、今回は、第1次大戦が終わり、ジャズ、ブルース、カントリーとさまざまなアメリカ音楽が輪郭をくっきりと見せ始めた1918年をテーマに、その前後の曲を演奏するというもの。

オケによる演奏だけでなく、多くの曲ではヴォーカリストがフィーチュアされてまして、その面子がリアノン・ギデンズ、ポーキー・ラファージ、スティープ・キャニオン・レンジャーズ。指揮者兼司会のジョン・モリス・ラッセルの見事な場づくり、ヴォーカリストが出てきて無駄な間がなくすぐに始まる演奏、そしてなによりもオケとゲストのパフォーマンスの質の高さに感心しました。

たまにクラシックのオケや現代音楽を聴きに行ってだいたい毎回思うことは「音が小さい……」なんですけど、このオケは音がでかい! PAを使ってるからという以外にも、名前が如実に示すとおり彼らはポップスのオーケストラであって、ポップスやロックに味付けとして加わるタイプの管・弦とは、コンセプトが違うんです。ジャズやブルース表現も巧みにやりますし、その気になればロックも余裕でできるだろう、そんなオケ。

リアノン・ギデンズを生で聴くのを楽しみにしてましたけど、彼女の2枚のソロ作はどうも優等生っぽい印象で、キャロライナ・チョコレイト・ドロップス『ジェニュイン・ニグロ・ジグ』で受けた衝撃には遠く及ばないなと思ってました。実際聴いてみてもやはりそうで、もちろん今後も音源は追っかけますけど。そして、休憩時間にパンフレットを読んでたら、彼女の曲に、バーミングハムでの爆弾事件を題材にしたまさに「バーミングハム・サンデイ」というタイトルのものがあると書いてあり、そうだ、そういえばそうだった、と思い出しました。

アメリカ音楽の豊穣さそのもののようなコンサートは、観客に合唱させての「アイ・エイント・ガット・ノーバディ」で幕を閉じ、わたしはクロークに預けていたスーツケースを引き取ると、暗い夜道をグレイハウンドのターミナルへと向かいました。

(つづく)

☆写真
・アマゾンの実店舗。なにか売ってるわけではなく、買ったものの受け取りや返品のためのステーション
・ミルク・カートン・キッズ
・路面電車
・ケンタッキー側から望むシンシナティ
・ケンタッキー州ラトニアのフィルズ・レコーズ

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その4:ジョージア州アトランタへ
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:35 | 日記 | Comments(0)

研修その2:アラバマ州バーミングハム

d0000025_0304668.jpgニューオーリンズ出発は朝7時のアムトラック、クレッセント号。アメリカ国内を公共交通機関で長距離移動しようとすると、鉄道っていう選択肢はあんまりありえなくて、遠ければ飛行機、それほどでもなければグレイハウンド・バスになると思います。

アイアン&ワインを見た翌日の夜に、エミルー・ハリスのライヴを見るためにアラバマ州バーミングハムにいる必要があり、バスだと移動の具合が悪い。たまたま、ニューオーリンズを朝7時に出て、14時過ぎにバーミングハムに着くクレッセント号がちょうどよかった。なお、ほかの時間の電車などは存在せず、ニューオーリンズ駅を発着するのは、それぞれ1日1往復のクレッセント号(ニューヨーク行き)とシティ・オヴ・ニューオーリンズ号(シカゴ行き)、週3便のサンセット・リミテッド号(ロサンゼルス行き)のみ。近郊の街を結ぶ電車なんてものも、ない。車内は冷房が強すぎて、めっちゃ寒かった。欧米人は日本人と比べて寒さに強い印象ですが、それでも、車内には巨大な毛布をかぶったり、全身を寝袋みたいなものですっぽり覆ったりしている客もいたから、やはりこの冷房は異常なんでしょう。

ところで巨大・異常といえば、アメリカにいるひとの体型です。男女問わず、10人にひとりくらいは、マンガみたいな太りかたのひとだった気がする。いちばん強烈だったのは、二の腕の肉がつきすぎて垂れ下がって、でも肘から下へは垂れ下がれないもんで、肘のまわりを覆うみたいになってたひと。

バーミングハムのホテルも安いのがなかった。駅から10分くらい歩いたモーテルの、キングサイズのベッドに応接セットまである、8000円くらいの部屋に宿泊。これもほんと、半分にしてくれ、だよ。

ホテルも大きいけど街も大きい。いや、広い面積の土地のなかにぽつぽつと建物が存在していて、移動距離が長い、というのが正確なところ。ホテルからライヴ会場までの2kmくらいのあいだにはアラバマ大学バーミングハム校の広大なキャンパスがあって、ちょっと筑波あたりの風景を思い出します。ただしこちらはだいぶ土地に起伏があるけど。ニューオーリンズはまだ夏で、半袖で過ごしてたけど数百km北上したここは秋で、乾いた落ち葉を踏みしめて歩くのが気持ちよかった。

エミルー・ハリスのライヴ会場は、大学の関連施設と思われるホールで、チケット代8000円くらいしましたが、学生はたしか$10って書いてあったかな。うらやましい。そういやソウルの大学の中の映画館でホン・サンスの映画見たときも、一般料金は1000円だったけど学生は100円(!)だったなあ。

出だしのあたりはヴォーカルがヨレてましたが、進むにつれて調子が出てくる。このバーミングハムは、ハリスの生まれ故郷(お母さんの出身地)だそうで、6歳のころに引っ越してしまったけどそれからも休みのたびにおじいちゃんとおばあちゃんに会いに来てた、とか、子供のころに行ってた教会のことをなんとかさんのカフェ、と呼んでた(お菓子がもらえたから)とか、そんな思い出話に続いて歌われる「レッド・ダート・ガール」は感慨無量でした。

この曲は、ハリスの同時代の物語として、アメリカのいろんな場所で、さまざまな(でも本質的には似ている)ヴァリエイションで存在しえたであろう青春とその終わりをうたったもので、舞台は、バーミングハムから南西に200kmほど行ったミシシッピ州のメリディアンという街。で、そのままさらに300kmくらい突っ走るとニューオーリンズになります。そして、今日乗ってきたクレッセント号はつい数時間前にメリディアンを通ってきたばかり。こちらの都合ですが、なにか特別な気持ちになります。

四方田犬彦は、「映画はそれが作られた場所で見ろ」と言っていて、最初それを聞いたときには、いや、名物料理とかじゃあるまいし別にあれなんじゃないの、と軽く反発を覚えたものですが、たとえばさっきのホン・サンスを例にとるならば、なんで登場人物たちが飲んでる途中にわざわざ寒い店の外に出て行って、タバコすいながら駄弁るのかってことです。調べればわかることですが、ソウルに行けば、なるほど、そゆこと、と体感できる。音楽もレコードも、その性質上、国境を越える可能性は潜在的に持ってますけど、必ずしも越えるとは限らない。とくにレコードは物なので、遠くまで旅するものもあればそうでないものもある。だから、安く買えるからという理由以外にも、現地で買う理由は大いにある。

というようなことは、バーミングハムの街でレコードを見てて気付きました。よさげなジャケに目が止まり、引っ張りだして裏ジャケを見てみると、1972年のもの。リトル・デイヴィドというレーベルは、たしかケニー・ランキンを出してた会社で、するとこれも同傾向のSSW作品かな。それにしては全然聞いたことないしジャケにも見覚えない。そう思いつつ見進めると、その後何度も、そいつに行き当たる。あとで調べてみると、コメディのアルバムだった。国境を越えないレコードの一例。

ライヴが終わってホテルにどうやって帰るのかってのは思案どころで、都合のよいバスはないし、タクシーという選択肢はわたしにはありません。歩いて戻る前提で、出かける前にはグーグル・マップスで道を見ましたし、昼間は同じ道を歩いてみて、危なげとかそういう以前にひとがいないだろって感じでしたが、シェアリング自転車の24時間パス($6)を買ってそれを利用しました。東京にもドコモがやってる複数の区にまたがるシェアリング自転車があるので、10月に集中的に利用してみましたが、最初にメールの認証が必要とか、スイカでタッチして解錠するのに支払いはスイカにチャージしてある分ではできなくて事前登録したクレカで、とか、システムがクソすぎてお話にならない。セヴン・イレヴンもシェアリング自転車やるらしくて、こっちには期待してますけど。で、バーミングハムのは、メールアドレスとか携帯番号とかはいらなくて、その場でクレジットカード入れて買える。つまりふと思いついて利用するのに便利だし、観光客にもやさしい。

翌日、自転車に乗って、郊外の街道沿いにあるシーシック・レコーズに行ってきました。街の中心部からは5kmくらい離れていて、バスでも行けなくはないけど1時間に1本とかだし、バス停からも15分くらい歩く。レコ屋の場所が街外れすぎて、いちばん近くの自転車ステーションから30分くらい歩きますが、まあそのくらいは楽勝。自転車で走ってたら「SPACE IS THE PLACE」と壁に書かれた、サターンという店があって、へぇーサン・ラが好きなひとがやってるのかな、と思いながら通過しました。あとで調べたらこのバーミングハム、サン・ラの、地球における出生地でした。

さて、シーシック・レコーズ。10軒くらいがまとまってる小さなモールにある店ですが、ここ、レコ屋と床屋を兼ねてるという、世界的にもおそらく稀な存在。残念ながら行った日は床屋スペースは休みでしたが。気になるものを何枚かピックアップして、減らさなきゃいけないけど試聴機は壊れてて使えない。店のWi-Fiもあるけど、店員にパスワードを訊いたら「店長がやってくれて、ずっとログインしっぱなしだから……なんだったか、長いやつ……」みたいな返事。

また来るわと言い残していったん店を出て、モール内のコーヒー屋で休憩しつつそこのWi-Fiで調べものして、さあ戻ろう、と思ったら、アンティークの店がある。広いスペースを区切って、ひとつひとつをいろんなひとが借りて出品してるらしい。なにかおみやげになりそうなものがあるかな、と気楽に流してると、そういうとこにもレコードはあります。うっかりしてたわ。

たいして気合いも入れずにパタパタしてたら、今回の旅で見つけたい、と思っていたうちの1枚であるボブ・ダーリン『コミットメント』を発見。ボブ・ダーリンとは、60年代にティーネイジャー向けのヒットを連発していたボビー・ダーリンのことで、このアルバムは彼がスワンプ~SSW時代の到来に刺激されて作ったもの。2014年の名アンソロジー『カントリー・ファンク2』でめちゃくちゃかっこいい「ミー&ミスター・ホーナー」(YouTube)を知って以来、欲しかったレコードでした。一度北浦和のユニオンで2980円で売ってて、この値段では高いな、どうせこんなもん誰も欲しがってないだろうから色別で半額になったころ買いに来よう、と狙ってたらさすがに買われちゃってた。

10年以上前に一度だけ2イン1でCDにもなってて、そっちはさらに高い。何万円とかバカみたいな値段になってる。旅行の前、ようやくこのCDが比較的まともな価格(自分が普段普通に出す金額の3~4割増くらい)で出てるのを見つけ、注文したばかりなので、だったらLPは買わないのが原則、でもその原則はしばしば破られます。税込$13.20。これがこの旅で買ったいちばん高額のレコードでした。レジの女性が、「Cherish your change.」って言いながらお釣りを渡してくれた。そういう言い方があるのか。

シーシック・レコーズでは一応地元のものってことで「アラバマ物語」のサントラなどを購入し、満足してアラバマの秋景色を眺めながらまた30分歩いて自転車ステーションまで戻り、街へと自転車を漕いでいると、ニグロ・リーグ博物館はこちら、みたいな看板を見かける。ニグロ・リーグとは、白人だけのものであった大リーグとは別個に存在していたプロ野球リーグ。わたしは、野球に関するおそらくもっともロマンあふれる日本語の書き手である佐山和夫の本を読んで以来、伝説的というだけではおさまらない、神話的とすらいえるプレーヤーたちが活躍したニグロ・リーグに若干の興味を持っているのです。その看板には住所は書いてなくて、Wi-Fiの使える場所に行って調べてみたら、もう閉館時間。あらかじめそういうものがあることがわかっていたなら、必ずや訪れたであろうに。

ところでバーミングハム、あるいはアラバマ州が、ニグロ・リーグにとってどういう土地であるかはとくに調べてませんが、エミルー・ハリスはMCで、わたしが子供のころはまだ人種隔離の時代で、みたいなことを言ってました。blindedされてた、とも言ってたかも。

バーミングハムの街を自転車で走っていると、街角のところどころに、公民権運動の重要なポイントを示す看板があります。アラバマ州というと人種差別がひどかった地域で、たとえばモンゴメリーという街ではなんか起きてたよな、くらいの知識はあるものの、ここバーミングハムの16番通りバプティスト教会に爆弾が仕掛けられて何人か亡くなった、なんてことは知ってたような知らなかったような、あやふやな状態でした。

19時半のグレイハウンド・バスに乗り込み、真夜中に雷雨のナッシュヴィルで乗り換えて、オハイオ州シンシナティに向かいます。

(つづく)

☆写真
・バーミングハム駅に停車中のアムトラック、クレッセント号
・エミルー・ハリスのチケット。会場のホールをバックに
・ボタンを押すと聖書の言葉をしゃべる機械「ワンダーバイブル」のCM
・シーシック・レコーズの店内
・アマゾンをバーミングハムに誘致する運動のオブジェ

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その4:ジョージア州アトランタへ
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:32 | 日記 | Comments(0)

研修その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ

d0000025_0265291.jpgアメリカ音楽の現地調査と、チリでのスペイン語の自主練、合計3週間の研修から戻ってきました。忘れないうちに簡単に印象を記録しておきます。

ルイジアナ州ニューオーリンズ(5泊)→アラバマ州バーミングハム(1泊)→オハイオ州シンシナティ(4泊)→サンティアゴ(1泊)→プエルト・モン(1泊)→サンティアゴ(4泊)という旅程でした。

もともとこの時期にアメリカの数か所を回りたいっていうのは考えてて、金と時間の両方が比較的自由になりそうななのも人生これで最後だろうから南米も組み合わせちゃえ(アメリカ往復する飛行機代プラス1万円くらいで南米も寄れる)ということでこういう旅程になりました。いくつか見たいライヴがあることがわかり、それ中心にだいたいの滞米時期を決めて、その中で航空券の安い日に出発しました。

こちらに書いたとおり、ニューオーリンズは去年行って楽しくて、再訪したいなあと思っていた街。まさか2年連続で行くとは予想外だったけど、前回はあまりにも滞在が短すぎたので。しかし丸々4日は長い。2日あれば回れるなと思いました。

成田発のユナイテッド、ヒューストン乗り換えでニューオーリンズのルイ・アームストロング空港に着いたわけですけど、まずさっそくハードルが高いのは、市内へのバスがよくわからない、本数が少ない。そもそも空港から街の中へなんて、鉄道敷設しとくべきでしょう。じゃなければ、中心部のバス・ターミナルまで15分おきにバスが出てるとか。ところがニューオーリンズ、世界中から観光客が来るであろうに、バスが1時間に1本くらいで、しかも18時以降は街の中心部まで行かずにだいぶ手前でおろされて、そのあと路線バスに乗り換える仕組み。後述するかもしれませんししないかもしれませんが、この路線バスが、あらかじめ知ってるひと以外にはおよそ乗りこなし困難なもの。みなさん御タクシー(おんたくしー)にお乗りになるみたいですが、$40とか出したくないじゃないですか……ちなみにバスは$2。まあこんなことばかり考えながら旅してました。

最低時給$15とかの話題をニュースで見聞きして、アメリカの労働者はずいぶん贅沢だなあと思うわけですが、健康保険がないとかもそうですが、物価が高いです。ニューオーリンズの中心部には、シングル1万円以下で泊まれるホテルはなかった。最初の4泊は、空港からのバスの夕方以降の終点(中心部から3~4kmくらい)近くの、1泊7000円くらいのところに泊まりましたが、やたらバカでかく、やや汚なく、あるって言われてたWi-Fiがつながらない部屋。ホテルでも食事でも、この半分の大きさでいいから値段半分にしてくんねえかな、と折にふれて感じました。最後の晩だけ、翌朝の出発が早かったので、中心部のホステルに泊まりました。ここもムダに広い共用部があって、でかい部屋に2段ベッドがぽつんぽつんと置かれてる。狭くても、寝るだけの独房っぽい個室、バストイレ共用、1泊3000円、みたいなほうがよっぽどありがたいんだけど、このへんは感覚の違いなんでしょうかね。

ニューオーリンズのレコ屋については前回ご報告したとおりです。今回、時間は潤沢、金はまあなんとかなるとして、物を買いすぎることで荷物が重くなることがいちばんの懸案だったため、最初の滞在地ではなるべく控えめに、控えめに、と念じておりましたが、幸か不幸か時間がありあまっていたので、1軒1~2時間かけてゆっくり見て回ることができました。心残りは、ホテルから徒歩数分の場所の、去年行かなかった店が閉店していたこと。

旅が進むに連れて、持っているものは買わない、CDになってるやつはなるべく買わない、という方針を遵守する必要が出てきて、したがって、あっこれ自分は持ってるけど安いからおみやげにしたいなあ、と思うものがあっても泣く泣く見送ったりが何度もありました。しかし1軒目のルイジアナ・ミュージック・ファクトリーでは、やはり浮かれていたのか、$3コーナーを丹念に見て、さっそく6枚。去年時間が足りなくてまったく見られなかった倉庫みたいな2階建てのユークリッド・レコーズでもたっぷり時間を過ごし、厳選して2枚。といった具合でした。

ちなみに普段、レコ屋で、これどうなんだと思った場合や持ってるかどうかあやふやな場合、その場で検索してますが、今回はSIMとかルーターなどは用意しませんでした。中古盤屋にはだいたい試聴用のターンテーブルがあって、日本みたいに店員に開封してもらう必要はなくて勝手に使っていいところが多かったです。あるいは店のWi-Fiを使わせてもらえたり。どっちも不可なときは、いったん店を出てそこらのカフェでコーヒー飲みながらそこのWi-Fi使って検索→レコ屋に戻る、というパターンもあり。

夜はライヴ。4晩連続でライヴ行ったのなんて生まれて初めてじゃないかな。とはいっても、なにか目当てのものを見にライヴ・ハウスに行くとかじゃなくて、フレンチ・クウォーターを歩いているとバーの中の演奏が通りまで聞こえてくる。音漏れしてくるとかじゃなくて、そういうふうになってる。店の外で品定めして、よさそうだと思ったら中に入って、ドリンク代を払ってあらためて聴く(ミュージック・チャージはあったりなかったり)のがスタイル。

何日目かで気付いたのは、これって通行人に向けて、店の中から女のひとが誘いをかけてる状態と同じなんだなってこと。実力派バンドが凌を削る東京(とかどこでもいいけど)のライヴ・シーン、とかとはコンセプトが違うわけです。わたしは、去年も行ったd.b.a.と、その斜め向かいのスポッテッド・キャットという店のスケジュールを調べて、出演バンドの演奏をYouTubeでささっと聴いてから出かけていったんですが、これは本来の楽しみかたではないのかもしれない。ふらっと入って、よければもう1杯ドリンクを頼んでしばらくいるし、休憩時間にバケツを持って回ってくるメンバーにチップをはずむと。

チップってほんとうに鬱陶しい習慣で、わたしがなかなかアメリカ行く気がおきなかったのも、それが大きな理由のひとつ、って書くと冗談みたいですけど本当の話。しかし、小銭を切実に必要としているらしいホームレスがたくさんいる一方で、芸やサーヴィスに対するチップの風習は確立していて、夕方、フレンチ・クウォーターを流していると、遠くからレイ・チャールス「アイ・ガッタ・ウーマン」のカヴァーが聞こえてきました。こんな早くからもうバーでやってるのか、それにしても音でけぇな、と近づいてみると、5人編成のバンドが道端でやってて、しかも相当かっこいい。わたしは2曲くらい聴いて、そのまま立ち去りましたが、少なからぬ数の通行人がチップを入れていってました。

路上演奏は、普通におこなわれてます。ある日、バーボン・ストリートに入ると、さっそくそこらでリハーサルをしているブラス・バンドの音が聞こえてくる。近付いていくと、手前の道端には座り込んだホームレスらしき男。彼のもたれかかっている壁の脇は高級っぽいレストランで、ガラス越しに正装した男たちが食事しているのが見える。あまりにも絵になる光景、と思いつつ、なんか胸が押しつぶされる感じで、写真を撮りそびれました。

フレンチ・クウォーターの店で見たのは4組。ショットガン・ジャズ・バンド、アレクシス&ザ・サムライ、ホット・クラブ・オヴ・ニューオーリンズ、パノラマ・ジャズ・バンド。コンテンポラリー・デュオであるアレクシス~(アンガス&ジュリア・ストーンぽいかな)以外は、だいたい名前から想像できるとおりの、ニューオーリンズとかジャンゴ・スタイルのバンド。

いちばん印象に残ったのはパノラマ・ジャズ・バンド。ニューオーリンズとかデキシーランド・ジャズって、楽器編成も音楽性もそんなに大きな差異は出しづらい気がするんですが、このバンドはひと味違ってた。リズムにも管楽器の響きにも、ほんのりとラテン~カリブの香りがあって、この街とカリブ海とが、ミシシッピ川を介して地続きならぬ水続きであることをあざやかに示してくれていました。

水といえばですけど、旅行に行ってもいつもたいてい、ツアーめいたものには参加せず、自分で電車とかバスで行けるとこしかいきませんが、ニューオーリンズではどうしても行きたいところがあって、スワンプ・ツアーに申し込みました。街の中で集合、観光バスに小1時間くらい乗せられて湖の近くに着き、そこから50人乗りくらいの船で1時間半くらいスワンプを回る。独自の植生を見てるだけでやはりテンション上がりますが、なんといっても目玉はワニです。季節とか時間帯によっているときといないときがあるそうで、言われてみればそのとおりですが、けっこうたくさん見られた。船長が棒で水面をびしばし叩いて、「Come on, alligator!」と声をかける。ワニから離れるときにはお約束で「See you later, alligator!」とも言ってました。ケイジャン・ミュージックを聴きながらのクルージング、最高でした。

動物は街の中でもいろいろ見ました。放し飼いにされているのか野生のものなのか、住宅地の道をうろうろしている犬、鶏。シティ・パークやオーデュボン・パークに行けば、たくさんの水鳥やリス。

最後の晩にはジョイ・シアターでアイアン&ワインを見ました。キャパは1000くらいだったか、1階は立ち見で2階は着席。立ち見は疲れるだろうと思って2階席をとって、だいぶ上のほうにいたんですが、前座のジョン・モアランドの最初のギターの音からして、びっくりするくらい臨場感がありました。それこそ、すぐ目の前で聴いているようにクリアで、いままで持っていたPAの概念がひっくりかえるほど。モアランド、事前に試聴したときにはエレキっぽいサウンドでさほどピンとこなかったけど、この日の激シブ弾き語りは、好サポートのサイド・ギタリスト含めて素晴らしく、大喝采を浴びてた。

アイアン&ワインについては、アルバムはだいたい持ってるものの、とくに曲を覚えてるとかはなくていつも「感じ」で聴いてます。この日もその、「感じ」のライヴでした。以前、やはりアメリカでアイアン&ワインのライヴを見た村田さんが、「知的なことを歌ってそう」と感想を言ってた気がしますけど、まさにそうなんですよ(実際の歌詞の内容は知らない)。文化系男子で、そして文化系男子でもDVしそうなひととしなさそうなひとがいますけど、DVしなさそうなほう。ちなみにアメリカの文化系女子については後述。

その、DVしなさそうな文化系男子が、音源の繊細な音響を5人くらいのバンドと一緒に再現して、緻密なPAで耳元までお届けしてくれるわけです。かといってガチガチの構築美ではなくその正反対。イントロを間違えてもそのまま曲を始めてしまうような、リラックスした空気感で。いやーこれには脱帽。

ちなみにこの日の開演は21時で、終わったのは23時半過ぎ。最初にいたホテルに戻るには、バスに乗らなくてはならず、それを避けるための宿替えでした。このバスが厄介で、日本のバス停には普通あるであろう、時刻表がない。柱に、止まるバスの系統の番号が書いてあるだけ。ヘタすると柱、っていうか棒が立ってるだけのところもありました。バス停とすら記されていない。待ってれば来る。来なければ来ない。来たのに乗れば、車内には時刻が書かれたリーフレットが置いてある。

翌日の出発が早くなければ、多少帰りが遅くなってもよかったんだけど、次の日の電車が朝7時なのと、ちょうどこの日の深夜が夏時間から冬時間への切り替えで、そうなると1時間多く眠れるのか? 短くなるのか? そもそも自分のスマフォはなんか勝手に電波を受信してそのときどきでいる場所の時刻の設定をしてるけど、目覚ましかけて自分の意図した時間に起きられるのか? 勘違いして電車に乗り遅れるのはもってのほかだけど、ただでさえ睡眠時間が短いのに、1時間早く起きることになってもそれはそれでイヤだぞ、とかいろいろ考えちゃう。

ライヴが終わって、徒歩数分のホステルに戻り、消灯時間が過ぎているので真っ暗になっている部屋(2段ベッド×5台)に戻り、手探りで自分のベッドにたどり着いて夕方のあいだに出しておいた寝間着とタウォルを手にとってシャワーを浴びに行き、また真っ暗な部屋に戻ってなるべくすみやかに布団をかぶって寝て、翌朝5時半、目覚ましを一瞬で止めて、手探りで荷物をたぐりよせて部屋を出て、チェック・アウト、駅へと向かいました。

(つづく)

☆写真
・キャプテンズ・ヴァイナル跡地
・ユークリッド・レコーズ
・「本鮪 寿司で食べるのも刺身で食べるのも良し。」のシャツ
・スワンプ・トゥアーの船
・パックマン

☆その他の研修
その2:アラバマ州バーミングハム
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その4:ジョージア州アトランタへ
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:29 | 日記 | Comments(0)

音楽の方向

d0000025_210224.jpg台風が日本列島を直撃したこのあいだの日曜日(22日)、新高円寺スタックスフレッドでおこなわれた、ジョー長岡のホワスト・アルバム『猫背』のリリースパーティに行ってきました。

こちらでも書いたように、行きがかり上、録音が終わったあとの段階で少しお手伝いしておりまして、だからといって無理して褒めるわけではなく、いいライヴでした。録音に参加したうのしょうじ、樋口裕志、松村拓海が勢揃い。あそこのステージで4人編成はぎゅうぎゅうづめでした。樋口さんはステージの端っこ、ご自身のペダルスタチールとジョーさんのエレピで囲まれた空間に幽閉されてた。

その前の週、14日のPPFNP(みなさまありがとうございました)では、ジョー長岡+うのしょうじという編成で出ていただいていて、そのとき聴きながら、60年代のイギリスで活動していた、モーガン=ジェイムズ・デュオのことを思い出していた。セミアコとウッドベースのふたり組で、ジャズやらポップスやらの曲を、スウィンギーに歌うひとたち。

でもジョーさんが弾いてるのはアコギだしなあ(もちろんそれが悪いとかではない)と思っていたら、22日の「キャラメル」とか「波止場」では、樋口裕志のジャジィなエレキギターがまさにそういうムードで、そうそうこれだよ、と。バックの演奏に呼応してジョーさんのうたにも変化がもたらされてた。まあこれは完全にわたしの好みの問題なんですが、聴いていてときどき、もう少し力を抜いてもよいのではないかとちょっとしたもどかしさを感じることがあって、そういう意味では、信頼のおける仲間の熟練の演奏に身をゆだねてリラックスしてる(ように見える)この日の姿は、とても新鮮でした。

目の前でおこなわれている演奏を見聞きしながら、いろいろ考えてしまうのはよいことなのか悪いことなのか、一概には言えないでしょうけど、この日はとにかくあれこれ思いを巡らせてました。「素晴らしき日曜日」は、初めて聴いたときにはランディ・ニューマンが乗り移ったように聞こえたものでしたが、この日は、ホーギー・カーマイケルのヴァージョンも聴いてみたいと思い、頭の中でそれを再生したりしてた。山口百恵の「I CAME FROM 横須賀」を、『女たち』のころのストーンズがカヴァーしたのがあったら聴いてみたい、と常々夢想してるんですが、それと似たような感じで。

ジョーさんと樋口さんのデュオで演奏された「乳房」は、イントロのふたりのギターのリフに、あっこれ、サイモン&ガーファンクル「フィーリン・グルーヴィ」か、と気付かされたりして。ハモりで歌われてたら最高だったろうな。「乳房」の作曲は阪本正義さんですけど、阪本さんは『猫背』のことを、『ホソノ・ハウス』ならぬ『ジョー・ハウス』だ、と評してた(ジョー・サウスみたい)。自分は去年くらいから、阪本さんにはポール・サイモンの『ひとりごと』と細野晴臣のトロピカル三部作がまざったようなアルバムを作ってほしいと思ってる。阪本さんはそのアイディアに、「お兄ちゃん、ベタすぎない~?」って言ってたけど。

14日も22日も、終わったあとにみなさんと感想を交わし合ったのも楽しく、有意義でした。「波止場」をスウィンギーなアレンジにしちゃったことで、これはわたしの「波止場」じゃない、と怒った長年のファンが何人もいたとか、そういう話。ちなみにうちの兄弟はふたりとも、「これでよい」派。心地よく歌うこの日のジョーさんに、自分は何度か、ジョーさんもう、別にギター弾き語りじゃなくてもいいんじゃないかな、とすら思った。ビッグ・バンドをバックにうたに専念したアルバムなんかも聴いてみたい。もちろんいろんな意見もあるわけで、「なにカッコつけてんの、ヤダ」みたいな感想も耳にした。たぶんジョーさんのフィンガー・スナッピングとか、フランス語のun, deux, troisってカウントとかが、キザったらしくて耐えられなかったんでしょうね。

ところで、バックはビッグ・バンドでっていうのは、まったく実現の可能性がないことを言ってるわけじゃないつもり。演奏はどこかの大学のバンドにお願いして、何曲かピリッとした編曲を挾間美帆に頼んで。それをライヴで録音すれば、予算的にもなんとかなるんじゃない? つまりは山下達郎の『イッツ・ア・ポッピン・タイム』と同じ発想で……と、ここまで書いて思い出したけど、以前、二階堂和美 with ジェントル・フォレスト・ジャズ・バンドを一緒に見に行ったとき、ジョーさん、いま考えてることのヒントが得られた、みたいなこと言ってたじゃん。あれはそういう、いわばナット・キング・コールとかグレゴリー・ポーターみたいなアルバムができる伏線に違いない。

写真は22日のスタックスフレッドの、終演後のもの。左から、うの、松村、ジョー、樋口。みんなバラバラの方向を向いてるけど、たぶんこの日、杉並区で演奏してたバンドの中では間違いなくこの4人が最強だったはず。
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by soundofmusic | 2017-10-28 02:12 | 日記 | Comments(0)

小松菜奈はいなかった

d0000025_23404125.jpgジョー長岡さんと知り合ったのはたぶん10年くらい前で、彼が湯治直樹さんとちちぼうろというデュオをやってた頃。そのうちPPFNPに出てもらいたい、と思っていたら、もう活動停止するんですよ、と言われ、じゃあその前に、とあわてて出てもらったのが2007年の9月。そのあたりの経緯はここに書いてある。

2010年からは、毎年7月のPPFNPにはジョーさんが出て歌う、というのが恒例となって、7年間続きました。今年(今月)は歌はなかったけど、司会をやってくださったのはご存知の通り。

知り合って最初のうちはおずおずと、そしてしだいにずけずけと、さらに年月が流れるうちにあきらめ半分に単なる習慣として、わたしがジョーさんに言ってたのが、「アルバム作ってよ」というお願いでした。聴いてみたいから、というのがもちろん最大の理由ですが、それ以上に、音楽やってるんだったら折々の記録(レコード)を残しておくべきだろう、親が子供の写真を成長に応じて撮っておくみたいに、と思っているからってのもある。成長した子ども自身や、大人になってからその子供と出会う恋人が、小さいころの写真を見たがるに決まってるのだし。

年末になるとジョーさんや阪本正義さんは、高円寺の古本酒場コクテイル(食べ物とお酒がおいしい)で歌うのがこれもまた恒例となっていて、わたしも2回か3回に一度は足を運んでは、1年を振り返ります。「ジョーさん、来年こそはアルバム作ってよ」「うん、作る、作るよ」みたいな不毛な会話(酔っ払っての口約束)を何度か繰り返した記憶があります。

もうさすがにバカバカしくなってきて、自分がなにか言ってもなんの影響も及ぼすことはないなと気付いたので、ここ3年くらいはそういう話は口に出さないことにしてました。そしたら昨年あたり、ウッドベースのうのしょうじと再会したのを機に急にやる気が出たらしく、あれよあれよという間に録音が進んで、アルバムができちゃった。まあ実際はそんな簡単なもんでもなく、いろいろ紆余曲折があったには違いないんでしょうが、できるときにはできるもんなんだなあ。

4月に寺尾紗穂の武蔵野公会堂のライヴに行ったらジョーさんもいて、ライヴのあと、わたしと妻とジョーさんとでバーミヤンで夕飯を食べました。吉祥寺、ほかにもいい店いっぱいあるだろうになぜバーミヤンかというのにも一応理由があって、しかしこの話には関係ないので割愛しますが、そのときに、アルバムの帯のコピーを考えてくれないか、と頼まれました。何年か前、もしアルバムが出るとしたら、という仮定で、「ギターを持ったランディ・ニューマン」というコピーを勝手に考えたことはあったので、ふたつ返事で引き受けて、さっそくその日、ごはんを食べ終えて吉祥寺駅に向かう道すがら(たしか雨が降ってた)、「女々しくってごめんなさい」はどうだ、と提案してみたところ、「まだ音源なにも聴いてないじゃん!」と却下されました。

で、音源が届いたのは6月。ちょうど旅行中だったので、四条河原町のネットカフェでひとまずダウンロードして、一度通しで聴きました。それから数日間は、実際に音を聴くことはせずに、関西各地をぶらぶらしながら、どんな言葉がふさわしいだろうかと考えてた。小豆島では原付を借りて島をほぼ1周。「海ー!」「山ー!」と「溺れるナイフ」ごっこ(なぜか小松菜奈はいなかった)しているうちに思い浮かんできたのは、「海から来た流れ者」とか「霧笛が俺を呼んでいる」とかで、ほんとに日活映画のタイトルのセンスはすごいなと。

東京に戻ってきてからは、松本隆のエッセイ集「微熱少年」を読んだり、ユーミンの『ミスリム』を聴いたりしながらマジメに取り組んでたんですが、そしたら行きがかり上、帯の裏(っていうのは、かぶさって見えなくなっている側のことじゃなくて、裏ジャケ側に来る部分のこと)の文章も担当することになりました。

私事ですが、わたしは帯については一家言あるほうでして、ただかぶさっているだけでなにも書いてない帯はとにかく許せない。せっかくつけるのならば、できる限り文字情報を載せるべきだ、と主張して、小さな字でいろいろ書いてあるCDの帯の写真を送りつけたりしました(って書くとちょっと行動が帯オタクっぽくてキモいな)。

そんなわけですので、間もなくリリースされる男一匹ジョー長岡のホワスト・アルバム『猫背』を手に取られた方は、帯のあたりにびっしり載ってる文字を見たら、ああこいつが書いたのか、と思いながらご一読いただけるとありがたい。

今年に入っていちばん聴いたアルバムはたぶん斉藤由貴(そういやこのひとも猫背だ!)のベストで、これは50回くらいリピートしてますが(とくに好きな曲は「初戀」と「MAY」)、ジョーさんのも30回くらいは聴いたはず。わたしにとって『猫背』のほぼ唯一の物足りない点は、新曲がない=知っている曲しか入っていない、ということなんですが、とはいえしかし、いままでほとんどの場合、それらを弾き語りで聴いてきたのであって、今回はそこにうのしょうじのウッドベース、樋口裕志のペダル・スチール、松村拓海のフルートが加わって、新たな驚きがもたらされている。しかもそれは、半端なモンではない。

樋口、松村は数曲ずつに参加して、ここぞってポイントでおいしいところを持ってってますが、ほぼ全曲で聴けるうのしょうじのベースの推進力、ぴったりフィット感、それでいて意外性満載のフレージングには感嘆感嘆また感嘆。なんど聴いても、気付いてないおもしろみが次々に見えてくる。アルバム全体の名義をふたりの連名にすればよかったんじゃないかと、それくらいの貢献度です。

オーネット・コールマンとやっていたころの若き日のチャーリー・ヘイデンだとか、ビル・エヴァンス・トリオのスコット・ラファロ、と比べたらいくらなんでもほめすぎでしょうけど、でも言いたいのはいかにジョーさんがインスパイアされたかということなので、そのたとえで間違ってない。

あとはみなさんご自身の耳と目でお確かめください。PVは「鯰」で、へぇーこの曲をリード・トラックにしたのか、と思ったんだけど、どれにしたらいいのか自分で決められなくて、監督のスッパマイクロパンチョップさんが選んだのだそうです。『猫背』というアルバム自体、いかにも長い歳月かかってようやくできたホワスト・アルバムらしく、やりたいことぎゅうぎゅう詰めのイキった感じがむわっと立ち上ってきてるんですけど、リード・トラックを自分で決められないというエピソードが、これまたいいじゃないの、と思うわけです。
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by soundofmusic | 2017-07-16 23:41 | 日記 | Comments(0)

無粋

d0000025_153979.jpg土曜日のPPFNP20周年パーティにお越しくださったみなさま、DJおよびライヴ・アクトのみなさま、そして司会を務めてくれたジョー長岡さん、どうもありがとうございました。当日のことや思い出したもろもろを書くシリーズの最終回です。

今回特別に、いつもの渋谷エッジエンドから、三軒茶屋のOrbitへと場所を移しての開催でした。スペース広めの、靴を脱いで上がってくつろげるお店なので、本来はもっとゆったり過ごしていただけるはずでしたが、次から次へのお客様ご来場で、完全にキャパ・オーヴァーの状態でした。落ち着けなかった、よく見えなかったなどありましたらすみません。

カウンターのドリンク待ちの列がいつまでたっても途切れないのを見ながら、すげーなーとひとごとのように感心しておりました。ちなみにお店もスタッフおふたり体制で臨む予定だったところ急にひとりお休みになってしまったそうで、たいへんだったと思います。ありがとうございました。

終盤、司会のジョーさんが、われわれ兄弟には内緒でとってきた、森山の父母のコメントを発表する一幕がありました。母は当日来場しましたので、本人がじきじきにコメントを読み上げておりまして、こちらはほぼ内容に誤りはなかったのですが、病床の父からのコメント(兄弟の子供のころのエピソード)は、長年の時間の経過によって多少記憶が変形し、わたし側で把握している事実と異なっている部分が見受けられたため、無粋ではありますが、訂正と補足をおこないたいと思います。弟としてもなにか言いたいことはあるかもしれませんが、それは各自で。

まず、わたしが中学校のときに生徒会長に立候補して、演説の内容を事前に先生にチェックされて修正を求められ、それに抗議して当日、無言で通したというエピソード。

これは明確に誤りです。事前にチェックはあった気がしますが、覚えてない。しかしなにかしゃべったはずです。というのは、規定時間をオーヴァーして舞台袖で鈴が鳴らされたのを覚えているからです。ちなみに落選後、執行部入りを求められて断ったのは事実。

思い返せば中学や高校で、生徒たちが体育館に集められてなにかの議題について話し合ったりする集会的なものがありました。大人になってから否応なしに経験することになる、民主主義の練習的なものだったのでしょう。もちろん学校の体制というものに対しての不満は常にありましたが、同時に、こんな場所で革命は起こりっこない、とも感じていました。

次に、ご質問をいただいた「いいとも旅行」について。これは、小学生のときにわたしが主催していた、日帰り旅行サークルです。栃木県宇都宮市から、電車で東京や横浜にまで行ったりしてました。クラスの約40人のうち、いちばん多いときで20人くらい参加したんだっけな。付き添いはうちの母など大人2、3人で、母はガールスカウトのリーダーなので、慣れてるからいいとして、よく事故が起きなかったなと思います。担任の先生も、そういう余計なことをするガキがいると大変ですよね。もちろん学校とは関係ない活動であるとはいえ、もしなにか起きたら「知りませんでした」では済まないことは目に見えている。自分自身が子を持つような年齢になると、強くそう感じます。

小学生から高校生くらいにかけて、休みのたびにひとりで1泊から数泊の小旅行に出かけていました。大学に入ってからと20代にかけては、1年か2年に1回くらい外国にレコード買い付けに行くくらいで、出かける頻度は下がりまして、30代半ばからまた旅行熱が再燃していろいろ出かけるようになっています。

これも当日披露されたエピソードですが、小学生のころ、たしか東海道線のどこかで、電車の中で大学生に声をかけられました。彼は当時、鉄道旅行のサークルみたいなものをやっていて、小学生がひとり旅をしているのを見かけて、興味を持ったようでした。その後、文通をするようになり、東京の彼の家に遊びに行ったりしたのですが、その何度目かに、性的いたずらをされれかかりました。ベッドの脇の絨毯の上に並んで寝て、ズボンの上から股間を触られたのだったか。直接触られたりはしていません。そういうことがあって驚きましたが、あわてたり取り乱したりはしなかったし、普通に栃木県まで帰ってきました。なにが起きたのかよくわかってなかったのだろうか。親にも話さなかったはずですし、いままで誰かに告白した記憶もありません。ちなみに数年前、彼と同姓同名の男が、男児への準強制わいせつ容疑で逮捕されています。年齢も同じくらいのはずですし、住所も当時わたしが訪ねて行ったのとほぼ同じ地域です。おそらく彼本人なのだろうと思っています。

話変わって、当日も説明しましたとおり、PPFNPは20年間ずっと兄弟主催のイヴェントだったわけではありません。最初はわたしとたひらさんで主催してました。というか先日、1997年7月当時の日記を読み返したら、たひらさんのイヴェントの第1回に出る、みたいに記述されてました。PPFNPという名前を考えたのはたぶんわたしな気がするのですが、このへんのことはもうよくわからない。

それに先立って、95~96年ごろ、たしか埼玉県朝霞の渡辺浩二くんのアパートに集まってCDを聴いたりする会(名前はなんだったかな)というのをやってました。そういうときに、自分でイヴェントをやるとしたらどういう名前にするか、と考えたりしていた記憶があり、コウジくんが「ロック・フォー・ビギナーズ」はどうだ、と提案してきたのをいまでも覚えています。当時、かなりダサいネーミングだとあきれましたが、もしかするとグレアム・ナッシュの『ソングス・フォー・ビギナーズ』からヒントを得たのでしょうか? だとしたらあなどれない。『デジャ・ヴ』っていうタイトルがかっこいい、みたいな中学生っぽい話もしてたね、当時。あと、なんでワーナーから出てた『デジャ・ヴ』の国内盤CDって、解説がついてなかったんですかね。いまだに腹立たしい。

ところで、まだ知らないひとも多いと思うので説明すると、Pure Pop for Now Peopleの名前の由来は、ニック・ロウのホワスト・アルバム『ジーザス・オヴ・クール』がアメリカでリリースされたときのタイトルです。同地での発売元であるコロムビア・レコーズ(言わずと知れた大メジャー・レーベル)が、このタイトルはヤバいんじゃないか、と勝手に忖度して改題したのです。

わたしとしては一応、タイトル流用の許諾を本人から得ようと試みたことは少なくとも2回あって、一度はいつごろだか忘れましたが、イギリスのどこかにあててエアメールを出しました。そして20周年を迎える今年には、ニック・ロウのマネージメントをしている会社にメールしました。どちらに対しても、返事は来ておりません。

さて、スタートした1997年から2005年までは、わたしとたひらさんがレギュラーで、森山弟は東京周辺にいるときには準レギュラーとして参加、という態勢でした。とはいえ、森山弟は留学や仕事で遠隔地に住んでいる時期も長かったので、まあおおむね、たひらさんが脱退して森山弟が正式加入した2005年を境に、第1期、第2期と言えるのかもしれません。

いや待てよ。

土曜日、太田さんに、20年もやっていると終了の危機もあったのではないか、と問われました。わたしは当日最後のあいさつで、こういう晴れがましいことは極めて特別であり、もう2度とない、と断言しました。そこまで言わなくても、あっというまに25年目を迎えそうな気もするのですが、しかしそしたら、そのときわたしは49歳ですよ。なんというか、まあ……。

たしか100回を迎えたあたりで、わたしから弟に、脱退したい旨を伝え、慰留された経緯があります。いつごろからかわたしはまったく集客のための宣伝活動をしなくなっていますし、DJやライヴ・アクトのブッキングもここ数年、一切していません。(BLUEHOURさんにお願いしかけたことはあります。あと出てほしいのは、わっこさん。折坂悠太さんにもお願いしたいけど、もはや難しいだろうな)

当初はそうしたありように心苦しさを感じていたものの、最近ではなにも感じなくなっています。いまや実質的には、森山弟主催のイヴェントに、慣習ないしは付け合わせとして森山兄が付属してくる、第3期に入っているとみなしてよいでしょう。

ですから、というのはヘンですが、土曜日にお越しくださったみなさまも、わたしの存じ上げない方が大半でした。まったく存じ上げない方がたくさんいらして楽しんでくださってるのは別にいいというか、とてもありがたいんですよ。ちょっとだけ困ってしまうのは、わたしとしてもお顔にはたしかに見覚えがあって、あちらからはわたしが森山兄だと(当然)わかっていて話し掛けてこられるみなさまのお名前やご身分を、わたしがあまり覚えていないということなのです。そういう事情ですから、もし当日、わたしに失礼な態度をとられたとお感じの方がいられましたら、お詫びします。(ちなみに少なくとも1名様、その事実に気付いておられる方がいらっしゃいました)

さて、だいぶとりとめなくなってしまいました。そろそろこの文章も終わりに近付いています。最後にちょっとだけ、当日の話に戻って、檸檬葉にゲストとして参加してくれた萩原信義さんのことを。

ほかの出場者のみなさんはわりと何度か拝見してるひとたちで、萩原さんだけ初体験でした。隙間を生かしたフレージング、とてもわたしたちの知っているギターという楽器と同じものとは思えない音、とにかくなにもかもびっくりで、そしてなおかつ、まったくそんなすごいミュージジャンには見えない、そこらのおっさん的な風情(すみません)とのギャップ。落差という点でいうならば、予備校の先生みたいな生の鈴木茂を初めて見たときに近い衝撃がありました。

わたしがカウンターのあたりにいると、萩原さんが、すごい盛り上がってるね~、なにも薬やってないのにハイになっちゃったよ、と楽しそうに話しかけてきました。そこでわたしがなんとなく「昔はよくやってらしたんですか? ドラッグ」と訊いてみたところ、なにもお答えにならず、プイっと体の向きを変えて、ドリンクを買いに行ってしまわれました。

次回は10月です。またいつものエッジエンドでお会いしましょう。

(写真はリハーサル中の檸檬葉と萩原さん、それを見ている鈴木わみさん&音璃さん、左下で写真を撮っているジョーさん、右側は森山弟)
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by soundofmusic | 2017-07-13 01:09 | 日記 | Comments(0)

Twenty years ago today...Again!

d0000025_1359726.jpgヒット作の続篇っぽいタイトル(実際はキャストも話も前作と関係なかったりするやつ)でもって、前回の続きっていうか補足を少し。

気がつくとなんとなく、自分のやっている(やってきた)こと、ものの考え方、現在の状態、そういったあれこれの説明を迫られる機会ってのが意外と多い。他人や世間っていうのはたいてい、「で、ひとことで言うとどういうアレなの?」ってのを求めてくるもので、自分も初対面のひとに対してそういう態度をとることは普通にあるわけです。

理想としては、そんなふうに訊かれたとき、押し黙ったり不機嫌になったり「ひとことでは言いづらいンですよね……」とお茶を濁したりはせずに、自分はこれこれこういう人間で、いまやっているこれはこうした発想で始めていて、将来的にはこっちの方向に進んでいくつもりです、とはきはき答えられるのが自分としては望ましいと思っています。

とはいえまあ、なかなかそううまくいくわけもなくて、たとえば、どんな音楽が好きなんですか? と訊ねられたりすると、ありがちな返事は「いろいろ聴きますね~」で、もうちょっと話が進むと「ここ数年はソウルとラテンにややウェイトを置いています」みたいなことも言うときがある。でもこの答え方ね、話題が広がんないんですよね。いろいろ聴きます、というのは気持ちとしてはウソじゃないけど、実際は好き嫌いが激しくていいと思ったやつしか聴かないし、ソウルとラテンが好き、って答えたら、そう返事されたほうは、あ、ソウルとかラテンが好きなひとなのか、って思うかもしれないけど、そしてそれはウソじゃないんだけど、だからってそういうもんじゃない。

ほら、やっぱり説明が難しいんだよ。極端に言うと、1回1回の選曲なんてのにはあんまり重要性はなくて、連続体のなかの一瞬としては意味があるというか……でもそれって、長年ずっとそばに張り付いて見ててくれよってことでもあって、いくらなんでもそれはおこがましい。みなさん忙しいでしょうし。まあ要するに歴史には転換点なんてのはそうめったには存在しなくて、便宜上そうしたものがあるかのようにふるまってるってだけのこと、なのかもしれない。関係ないけど細野さんもさぁ、「あのときは学生服着てましたよね?」とか「あんときはJBのカヴァーしてたじゃないですか!」とか詰め寄られても困ると思うんですよ。「そのときはそういう気分だったから……」としか言いようがない。って、自分の心象を勝手に細野さんに代弁させてスミマセン。

ところで、弊イヴェントのセットリスト、こちらで2002年ごろの分から参照できます。自分のものに限っていうと、えっなにそれ全然覚えてない、みたいなのは数十曲に1曲くらいかな。意外と変わり映えしませんね。

で、こっからが前回書き漏らした話。CDが売れなくなった、的な話は世間ではさんざんされてきてますし、うちの兄弟についていえば別に関係ない話なので割愛するとして、DJイヴェントをめぐる状況みたいなものは変ったよなーとは感じます。弊イヴェントがスタートした1997年当時、PPFNPのようなノンジャンルうたものイヴェントは目につく範囲では存在してなくて、同じようなことをやってるやつがいたらぜひ友達になりたい、と渇望していましたが、その当時からいまに至るまでの20年間のどこかで、まっそんなことはどうでもいいか、と考えが変わりました。ある時点で変ったのではなくて、時間をかけて徐々に、そうなっていた。まったく同じでなくても面白いことをしているひとたちがいろいろいるのがわかってきたのと、あとはありきたりですが、自分の成長ないしは加齢による気持ちの変化です。

それはそれとして、業界関係者とか、バンドやってるひととかだけじゃなくて、なんでもないただの音楽好きが何人か集まって、どっか場所を借りて、好きな曲をかけるっていうの、いまなら昔よりも簡単にできるし、アナログじゃないとダメとかもう誰も言わなくなったし、それどころか盤なんて持ってなくてもiPhoneでできちゃうし、みんなどんどんやればいいと思う。90年代はみんなそうしてたよ、と書くと歴史の捏造になるから書かないけど。

とはいえ、特定のアーティストしばり(「ザ・スミスnight」)とか、ひとつのジャンル・オンリーのイヴェントは、わたしはあんまり行く気がしないから、好きなひとだけで勝手に盛り上がってください。そのかわり、なにか関係ない同士をくっつけてやれとか、どうしても決まった枠からはみだしてしまって困ったな、みたいなDJは聴いてみたいので、イヴェントやるときは教えてほしいです。

最後に。ここ数年、海外編集のコンピレイション盤を見ていて、これって弊イヴェントのおまけCDと同じ発想だよなあ、と僭越にも感じることがちょくちょくあります。たとえば『君の名を叫びたい~浮かれ男子の妄想ガールズ・ネーム・ソングブック』は、女性の名前を織り込んで歌われたヒット曲を集めたものだし、『男子たち、これが答よ!~女子たちのアンサー・ソング』は、男性が女性に語りかけたヒット曲にあやかって作られた女性からのアンサー・ソングを集めた1枚。他人が作ったとは思えない。どっちも解説、安田謙一だし。

手持ちの中からなにを選ぶか、そして次になにをかけるか、は、それだけでそのひとの個性だし、批評の萌芽でもあるってことはずっと言い続けてるわけですが、せっかくなので違う言い方を考えてみよう。これは、毎日のように新しく考えられては発表される、レシピみたいなものなのかも。どこの家の冷蔵庫にも転がってるこれこれに、あれをかけてこれと混ぜると、あっと驚く意外なおいしさが! みたいな。

レアな食材だとか高級な輸入物、本格的なスパイスも、たまには必要でしょう。でもそういうのは、プロにまかせて、もっぱら外食で味わえばいい。日々の生活を楽しくするのに重要なのは、よしんば毎日でなくても日常的に接するものに対して、自分だったらなにができるか、そしてどうやるか、それを考えて、試して、工夫してみることなんじゃないかな。それやってると、20年くらいは、あっというまにたっちゃうみたいです。

とりとめなくなりましたが、今度の土曜日7月8日は、三軒茶屋Orbitで、PPFNP20周年の記念回です。DJ、ライヴ・アクトともども大増量。それに呼応して入場料やや値上げ。となっておりますが、いずれも今回のみの特別措置となっております。夕方から夜までたっぷりお楽しみいただけますので、ぜひ遊びに来て、音楽の話をしてください。詳しくはこちら
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by soundofmusic | 2017-07-02 14:02 | 日記 | Comments(0)