カテゴリ:アンケート2005-2006( 31 )

アンケート2005-2006 さくいん

森山が編集、発行、その他もろもろしているフリーペーパー「サウンド・オヴ・ミュージック」では毎年、いろんな方に1年間を振り返ってもらう特大号を発行しています。

その冊子が完成したことは先日書きましたが、このたび、冊子の内容とほぼ同じものをこのブログでも公開することにしました。ごく一部、ブログ版オリジナルの内容を提供してくれているひともいます。CDとLPで収録曲が違うようなものとお考えください。

質問内容は、以下のとおりです。

A 回答者の、①名前、②生年月日、③職業/肩書き、④連絡先
B 2005年の総括、2006年への展望
C 2005年の総入手枚数
D そのうちで印象に残ったもの、およびコメント
E なんでもランキング
F 回答者が、いかにして今の回答者であるところのものになったかについての年表
G 回答者によって追加された項目(A~Fで書ききれないことについて。任意)

以下の索引から、お好きなところにすぐ飛べるようになっています。全体をずるずるっと読みたい方は、コチラからどうぞ(新しいもの→古いものの順で並んでいます)。

さくいん(あかさたな順)

相澤和典
有馬ゆえ
板橋泰明
si
太田健一
岡村義秋
木崎晴石
kinomi
しんぺー
杉山隆広
田口真希
たけいまき
多田きよと
チバちゃん
Terri
ナカジマ
中嶋由紀子
二村裕美子
橋本伸宏
ハムちゃん
ボンゴ
マジック
未婚の主婦
桃色トラック
森山弟
森山政崇 その1 その2 その3
和田雄二
(-_-)zzz
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by soundofmusic | 2006-01-05 23:27 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 29


①木崎晴石(キザキ・ハルシ)
②1971年12月18日
③ベンチウォーマー主婦

 
低調期をひとまず生き延びた2005年。引越挙式入籍をした。将来への悲観が骨身にしみついているためウキウキ感はゼロ。狭い実家を出られたのだけは嬉しい。2006年、妊娠出産の予定は未定。


新品CD2枚、中古CD7枚。レンタルしたCDは8枚。貰いもの1枚。全て邦楽。中古ラジカセをハードオフにて6000円で購入。


新譜で心揺さぶるものに出会えず、というか出会う努力を怠ってるだけですすみません。友人バンドのチェコチェコヤギ『季節おいてけぼり』はマリッジブルーのBGMに。旧譜では特撮『オムライザー』に救われた。2005年はラジオばかり聴いていた。水曜深夜の菊地成孔&大谷能生のFMをタイマーで録り、次の週まで在宅中はエンドレスリピートする習慣がついた。


結婚してから観始めたTVベスト5
1.鈴木タイムラー
2.リンカーン
3.トリビアの泉
4.きらきらアフロ
5.ウハウハ競馬
 〔TV全然興味なかったのに相方の付き合いでお笑い番組を毎晩観るはめに。芸人をたくさん覚えた。2006年は金剛地さんがお茶の間に浸食していくのを温かく見守りたい。イエスママも復活希望〕


70年代は無神経で情緒に乏しい甘やかされた子供。80年代は反動で友達に絶縁されたり。漫画家を志していた。90年代はアングラな音楽に傾倒してライヴとミニコミ中心に生活。00年代は夢もついえてフリーター身分も末期症状。ギャンブルに手を出し坂道を転げ落ちる途中で関西弁のサラリーマンに拾われた。

 
SOMは今どき唯一無二の素晴らしい紙媒体だと思うので末永く続けて下さいね~、と言い続けている割に今回こんな足を引っ張ってしまい申し訳ない限り…。とほほ。これに懲りずにSOMを(以下略)。
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by soundofmusic | 2006-01-03 13:54 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 28

A
①ナカジマ(今回、本名はご勘弁を)
②昭和**年4月18日
③ヘボブロガー(http://midland.seesaa.net/

B 
2005年は仕事がらみとはいえ、東京に3度(3月、8月、11月)も行くことができて、ありがたい1年だった。で、いま気づいたのだが、その3回ともこの小冊子主宰の森山さんとお目にかかっている。お忙しいのにいつも時間を割いて頂き、申し訳ないなあとは思いつつ、東京へ行くたびに会う人がいる、行くお店がある(月光茶房ね)、というのはなかなかいい人生ではないか、と自画自賛。

2005年に40歳になったが、ここから次はどんな50歳を目ざせばいいのか、ビジョンがもう一つ見えてこない。こんな風に雑文書いたり、CD聴いたり、たまに東京行ったりしながら、ふらふらし続けていていいのか? ビル・ゲイツは「自分の好きなことを仕事にしろ」とあおるが、ただCD聴いてるだけでお金(生活に十分な)をもらえるような仕事は今のところ存在しない。自分のすぐ近くに、こういう50代になりたいと思える人もいない。とりあえずは月光茶房の原田さんを目指して精進すべし、かな。

 
2005年に買ったCDは46枚。うち、ジャズが34枚。去年よりちょっと少なめか。昨年も書いたmixiのコミュニティ関連で、相変わらずドイツのECMレーベルのものが多くなっている。ギターポップとか、ネオアコとか、ごぶさただな~。サマーソニックのロディ・フレイムは、ホント良かったらしいけどね(行ってない)。

あと、ジャズでもジャズ以外でも購入したものを見てみると、紙ジャケが多いのには自分でも驚きだった。森山さんと同じく、プラケース支持派だったのだが、欲しいCDを買ってみるとたまたま紙ジャケだった、ということが続くうちにだんだんマヒしてしまい、しまいには紙ジャケじゃなかったら「あれ?」とか思ってしまう自分がいたりする。「慣れ」というのは恐ろしい…


よく聴いたもの。

●ランバート・&ナッティカム『アット・ホーム』(ユニヴァーサル)

70年代シンガー・ソングラターの佳作が紙ジャケで再発。2本のギターとふたりの声が中心の、シンプルな、しかし心和む音楽。キングス・オブ・コンヴィニエンスの原型がここにある、と言ったらほめすぎかな。

しかし好評だったらしく、2006年になってから彼らのセカンドと、ナッティコムのソロがこれまた紙ジャケで登場。

●ラルフ・タウナー『ソルスティス』(ECM,ユニヴァーサル)

ECMレーベル、70年代の名作を紙ジャケ再発!というプロジェクトの1枚。文字通り胸のすく演奏で、文句のつけようがない。mixiのECMコミュでは、LP→プラケースCD→今回の紙ジャケCDにおけるジャケット内写真サイズの違いで盛り上がって、面白かった。これ聴いてると今のECMは、かつて革新派だったレーベルが時を経て「ブランド」になってしまった、その葛藤を抱えているようにも感じられる。

●マデリン・ペルー『ケアレス・ラヴ』(ユニヴァーサル)

フランス人歌手といえば、2004年はケレン・アンをよく聴いたものだったが、今年はこの人だな。最近、1年を振り返るコンピCD-Rを作る人が増えているようだが、ネットを見ているとこのアルバムから1曲入れている人がけっこういる。私が入れるとすればズバリ5曲目の「ビトウィーン・ザ・バーズ」。今は亡きエリオット・スミスの佳曲が、フランス人によって息を吹き返すとは、まさしく感無量。

●ケティル・ビヨルンスタ『フローティング』(エマーシー)

この1枚だけ輸入盤。ECMから何枚かアルバムを出しているピアニストが別レーベルから出したトリオ物。いくぶんジャズ的エッセンスの効いたベースと、雨のようにしたたり落ちるパーカッションをバックにキラキラと歌い上げるピアノ。ここ数年で一番ECMらしさを感じさせるアルバムが、なぜかECMとは別のレーベルから出てしまった、という意味で自分にとっては長く記憶されるであろう1枚。

●ジョシュ・ロウズ『ナッシュビル』(ビデオアーツ)

アメリカ在住の男性シンガー・ソングライターによるセカンド・アルバム。アコースティック・ギター中心のサウンドに、哀愁ある歌声と、まるでお手本のような作品なのだが、ハマってしまった。この先ずっと聴きつづけるかどうかは何とも言えないが、今はとにかく好き。


今年は「ネット厄年」とも言える一年だったので、そのことを総括しておきたい。

1 mixiで女性ライターに嫌われる(8月)。

mixi内、森山さんとのやりとりでとある乙女系ライターの過去の発言におけるちょっとした間違いに言及していたら、mixiに加入していた本人がそれをご覧になり、不快の意を示された、というのがいきさつ。いや~、まさかご本人がmixi内におられるとは思ってなかったんですわ。間違いはたしかに間違いなんだけど、そういう昔のことにしつこくこだわる自分も良くないと思ったので謝罪のメールを出し、ご本人からは一応了解のお返事を頂けた。結果的に森山さんもちょこっと巻き込んだような形になってしまい、申し訳なかったなあ。その方の今のお仕事ぶりは尊敬しているし、今後も一読者として見守って行きたいと思っている。

2 mixiのコミュニティ「ECMの深い森」で退会者募集(9月)。

上記のコミュニティ(掲示板の一種、メンバーのみ書き込みができる)で管理人をやっているのだが、メンバーが増える一方なのに書き込みは充実していかないので、「書き込みを読むことすらしない方は退会を考えていただけませんか」という主旨のお知らせを書いたところ、非難ごうごう。途中から私が管理人権限で勝手にメンバー削除すると勘違いする人も増えて、さらにややこしいことに。

今問題の箇所を読み返してみると、それほど非難の嵐、というわけでもないのだが、 これをいわゆる「炎上」と見なして面白がる人もいたりして、いやーmixiってのはもはや「社交界」ではないのだね、とんでもない人もいるもんだね、と痛感した。もちろんこの騒ぎの根底には、当方の稚拙な伝え方がまずあって、それは何よりまず反省しなければならないのだが、見ず知らずの人に「不安神経症」とまで言われて、そりゃもう新鮮な経験でした…たはは。

で、もうひとつ驚くのが、そういう激しい言動をしている人が、別のコミュでは「どうぞよろしく」って感じでさわやかにふるまってたりすること。先の、私を病人呼ばわりした人なんかあるミュージシャンのコミュで管理人をしており、連日ジェントルなレスを返しておられる。でもmixiってさ、その人のやっていることが、並列で見えてしまうでしょう?ある場所での罵詈雑言が、他では気づかれないと思ったら大間違いだよ。そこまでわかった上でやってるのかな?だとしたらある意味、尊敬するけど。

繰り返すけれど、この事件に関して落ち度は当方にある。しかしまあ、ネットで発言するということについていろいろ考えるきっかけを作ってもらえたということで、ボコボコに打たれただけのことはあった…かな?

3 マイミク外される(9月)

これも外部の人に説明するのは難しいのだが、「マイミク」とはmixi内における友人のこと。「マイミク」の日記は更新が随時通知されるので、便利といえば便利だ。森山さんと私も「マイミク」。で、2004年暮れから、ある音楽ジャンルに関して素晴らしい知識を持つ方と、幸運にも「マイミク」にならせて頂けたのだが、先述のECMコミュ事件でフイになってしまった。その方はECMコミュを脱退し、マイミクも外されてしまった、というわけ。

しつこく書くが、2の事件についての非は当方にあるので、それに起因したコミュ脱退にもマイミク外しにも異存はない。悲しいけど。ただ、その方とはもめごと以前にも音楽のことをめぐって何度かメールのやりとりをしており、自分では「既知の方」と認識していただけに、何の予告もなく気がついたらマイミクから外されていた、というのはちょっとショックだった。

怒りでも批判でもいいから、マイミク外す前にメールでも頂ければそこで直接、意見を交わすこともできたかもしれないのに。たぶんこのもめごと以前に、その方を不快にさせるような言動が当方にあったのだろう(心当たりアリ)。そういう意味ではやはり自業自得、か。

お会いしたことがないのだけれどこの方は女性で、そういえば1のライターも女性だ。そんなわけで、「ネットで女性に嫌われる男」の異名が定着してしまうのではないかと、少し恐れる日々。男に生まれて、女性に嫌われる人生ほどつまらないものはない。ネットで(も)女性に人気バツグンの森山さんには、これからもいろいろ教えてもらいたいと願わずにはいられない。

4 ブログ開始(11月)

ここまでmixiがらみのゴタゴタが続くと、もういつmixiやめてもおかしくないかなあという気がするし、自分のHPも開店休業状態だったいうことで、ブログを始めることに。

11月頃からあれこれ手をつけてはいたのだけれど、結局自分のHPで告知するのは2006年に入ってからになってしまった。森山さんにはさっそくご宣伝いただいたようで、感謝せずにはいられない。ホント、「捨てる紙あれば、拾う紙あり」やね~。あ、「神」か。

F 
自分の人生において、西暦で末尾に「6」がつく年がけっこうエポックメイキングになっているので、そのことを記しておきたい。

1966年:1歳なのでさすがに何もない。あえて言えば、自分の人格形成におそらく多大なる影響を与えた「ウルトラマン」が放映された年。

1976年:初めて音楽ソフトを買った年。買ったのは中村雅俊の『想い出のかけら』というベスト盤で、当時の家にはステレオがなかったためLPではなく、(録音済みの)カセットテープを購入。2,300円で、当時の小学生にはもちろん超大金だった。

その頃の中村雅俊には小椋佳や吉田拓郎といったフォーク界の有名どころが曲を提供していたので、そこから芋づる式に佳、拓郎、かぐや姫、風…とフォークを聴いていくことになる。で、いちばん好きだった「風」(グループ名)の伊勢正三がスティーリー・ダンを愛聴していると知り、スティーリー・ダンにものめりこむことに。ある意味、中村雅俊のこのアルバムが私に音楽への扉を開いてくれた、といっても過言ではない。

1986年:この1年を過不足なく要約するのはむずかしいが、自分の人生でもいちばんいろんなことを経験した年、とだけは言えると思う。いまだにこの年の蓄積を食いつぶして生きているような、そんな気がしてならない。

1996年:インターネットを本格的に始めた年。ちょうどこの年にカナダへ行く仕事があったのだが、事前も事後もメールでやりとりすることができて、その便利さ・心強さを実感したものだった。「寅さん」こと渥美清の死去は、滞在中に向こうの日本通カナダ人が教えてくれた。

そして2006年、また「6」のつく年。何が待っているのだろう…
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by soundofmusic | 2006-01-03 12:58 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 27

 
①しんぺー 
②10万1975年2月 
③派遣

 
仕事に慣れて精神的にゆとりが生まれたこともあってか、オンラインゲームにハマッたり、野球や映画を観に行く回数が激増するなど、私生活(一部公私混同)の充実ぶりが目立つ一年でした。

2006年は公私ともバランスよく、メリハリをつけて過ごしたいものです。


新品は15枚くらい。中古は50枚くらいですかね。
内訳は相変わらず洋楽ロック(端的にはメタル)が主でした。


・「GENERATIONS」JOURNEY
4年ぶりの新作。スティーヴ・ペリーが抜けても相変わらずの高品質だったので安心しました。前作よりはやや散漫な印象があるけど、往年に劣らぬ名曲が詰め込まれていると思う。結成30年が過ぎてもマンネリ化することなく新鮮な感動を与えてくれるのは凄いねー。

・「FALLING IN BETWEEN」TOTO
7年ぶりくらいの新作。ジャズやプログレっぽいのから往年のポップスまで珠玉の楽曲が満載でした。還暦を迎えようかという人たちの作る音とは思えないほどにパワフル。迷わず2006年春の来日公演を観に行くことにしました。


2005年に観に行った映画を印象に残った順に挙げてみたいと思います。
「良くも悪くも」印象に残った順です。

1位、「三丁目の夕日」・・・西岸良平には幼い頃よく読んでいて思い入れもあったので、実写化と聞いて斜に構えてましたが、人情味、笑いどころ、泣き所が満載で文句のつけようがなかったです。

2位、「宇宙戦争」・・・トライポッドの描写は今までにみたSF映画のなかでも1、2をいく極悪ぶり。むしろ最後でいきなりあっけなくぶっ倒れていく様に失望してしまったりして・・・酷評が多かったようだけどインパクトだけなら2005年の映画のなかでも群を抜いてると思う。

3位、「春の雪」・・・冒頭の松枝邸の庭のシーンで原作で頭に浮かんでいた風景がそのまま寸分の違いもなく映像で再現されていて超感動。脚色が素晴らしく独自に追加されたシーン(カルタとか)なんかも効果的だったと思う。音楽と映像の美しさも2005年の映画のなかではピカ一。サウンドトラックも買っちゃいました。

4位、「ロード・オブ・ウォー」・・・反戦映画だってことに最後まで気がつかなかった。節々でヘヴィなところもあるけど、娯楽性のほうに眼が行きました。銭形警部とルパンを彷彿させる追いかけっこに釘つけになりました。

5位、「SAYURI」・・・賛否両論の沸き起こった映画だったけど、英語と日本語がごっちゃになった奇妙な世界が頭から離れません。原作の趣旨とは違ったところで目立ってしまった映画だと思う。

6位、「キングコング」・・・キングコングが登場するまでがかなり長かったのが印象的といえば印象的。あれだけ最新のCGを駆使しながら、キングコング本体がモロに被りものに見えてしまったのに萎えた。

7位、「男たちの大和」・・・中村獅童のキャラが強烈だった。

8位、「天空の草原のナンサ」・・・モンゴルの遊牧民のドキュメンタリー風な映画。ストーリーは平淡だけど、遊牧民の生活とナンサの天然の可愛いさが印象的。

9位、「バットマン ビギンズ」・・・渡辺謙がラスボスのような物々しさで登場するが結果的にチョイ役だったのが印象的(笑)やはりバットマンとしてアメリカに戻ってきてからの活躍ぶりが痛快で、今までのバットマンシリーズのなかでも一番面白かった。

10位、「スーラ」・・・ジュマンジの続編? シンプルで笑いどころが多く、オッサンも子供も楽しめる映画だったと思う。

※ランクキング外
スターウォーズ/亡国のイージス/輪廻/Mr&Mrsスミスなどなど


1978年 / バスの運転手になることを誓う
1982年 / 水木しげるのような漫画家になることを誓う
1985年 / 藤子不二雄のような漫画家になることを誓う
1986年 / プラティニのようなサッカー選手になることを誓う
1990年 / ヘビーメタルドラマーになることを誓う
1993年 / ヘビーメタルギタリストになることを誓う
1995年 / 検察官になることを誓う
1997年 / 外交官になることを誓う
1998年 / ファンドマネージャになることを誓う
2002年 / スーパーハカーになることを誓う
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by soundofmusic | 2006-01-02 10:47 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 26


①有馬ゆえ(ありまゆえ) 
②1978.5.13 
③放浪猫・一服通信ライター

 
2005年の総括 

命を大事にするということを思い知った。他人のものも、自分のものも。

2006年の展望 

新しい人生のはじまりを、大切なひとと過ごす。ずっとしあわせであるように、努力と思考を怠らない。


オタクっぽいものを30枚くらい。ビョーク『メダラ』東京事変『教育』とかも含む。


・松浦亜弥『ずっと好きでいいですか』(2005)まごうことなき名曲。歌唱もすごいけど、つんくの歌詞もすごい。

・KinKiKids『ビロードの闇』(2005)そろっていないダンス萌え。歌詞はsatomiさん節炸裂。

・モーニング娘。『女子かしまし物語』ほか(2001~2005)勇気付けてくれたのは、かがやかしい笑顔たち。

・東京事変『教育』友人宅に転がり込んだとき、こればかり聴いていたのは、神経を麻痺させるほどの力があるからだと思う。


2005年やらかしランキング

・ヤフオクで小熊英二の本を二冊、別の人に落札してもらった。それを反対にして発送。着払いで返ってきた本を再発送。自分に落胆。

・恵比寿で友人と飲んだくれ、両人とも恋人に連れてゆかれ帰宅。後日深く反省。

・友人宅へ脱走する際、仕事ができないからとデスクトップのパソコンを持ち出すも、重くて持てずに愕然。通りがかりのおじさんに声をかけ、大通りまでいっしょに運んでもらった。しかしパソコンは少しふたの開いた状態で、今日も生死をさまよっている。


わたしはここにいた年表

1978 グリーンマンション(目黒区)
1979 じいちゃんちとその周辺(目黒区五本木二丁目)
1980 じいちゃんちとその周辺・東が丘保育園・ともちゃん宅(目黒区)
1981 じいちゃんちとその周辺・東が丘保育園・ともちゃん宅(目黒区)
1982 じいちゃんちとその周辺・東が丘保育園・ともちゃん宅(目黒区)
1983 じいちゃんちとその周辺・東が丘保育園・ともちゃん宅(目黒区)
1984 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・ともちゃん宅(目黒区)
1985 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・ともちゃん宅(目黒区)
1986 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・たま宅(目黒区)
1987 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・たま宅(目黒区)
1988 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・たま宅(目黒区)
1989 じいちゃんちとその周辺・五本木小学校・パール学園・みかりん宅(目黒区)
1990 じいちゃんちとその周辺・小児科・五本木小学校・校庭・パール学園・みかりん宅(目黒区)
1991 じいちゃんち(目黒区)・小児科(学芸大学)・成城学園中学校(成城学園前)
1992 じいちゃんち(目黒区)・小児科(学芸大学)・駅前の本屋(学芸大学)・成城学園中学校(成城学園前)・下北沢
1993 じいちゃんち(目黒区)・成城学園中学校(成城学園前)・下北沢
1994 じいちゃんち(目黒区)・成城学園高校(成城学園前)・柔道部の道場
1995 じいちゃんち(目黒区)・成城学園高校(成城学園前)・井の頭公園・下北沢
1996 じいちゃんち(目黒区)・成城学園高校(成城学園前)・井の頭公園・下北沢・タワーレコード(澁谷)・都内小劇場
1997 成城大学(成城学園前)・写真部の暗室(成城学園前)・ヨドバシカメラ(新宿)・梅が丘のアパート・松希ハイム(学芸大学)・都内小劇場
1998 写真部の暗室(成城学園前)・ヨドバシカメラ(新宿)・撮影場所(都内)・松希ハイム(学芸大学)
1999 成城大学(成城学園前)・写真部の暗室(成城学園前)・松希ハイム(学芸大学)
2000 松希ハイム(学芸大学)
2001 松希ハイム(学芸大学)・成城大学(成城学園前)・渋谷の喫茶店
2002 松希ハイム(学芸大学)・成城大学(成城学園前)・三百人劇場(千石)・フィルムセンター(京橋)・新文芸坐(池袋)
2003 松希ハイム(学芸大学)・成城大学(成城学園前)・近代文学館(目黒区)・都内大学図書館各所・フィルムセンター(京橋)
2004 松希ハイム(学芸大学)・ST-OUEN(パリ市外)
2005 栄光ゼミナール(学芸大学)・みどり宅(池袋)・シャトルハイム(目黒)・コープフローラ(大塚)

 
2005年に希望をくれた人

・石川梨華さん
・林みどり
・両親
・岩本歌
・石島杏理
・田中佐知子
・森明子
・三田祐也
・積紫乃
・二村裕美子
・森山政崇
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by soundofmusic | 2006-01-02 02:54 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 25

 
①太田健一(おおた けんいち) 
②1968年7月17日 
③会社員


2005年は非常に個人的レベルで人生屈指のターニングポイントの年となるはずでしたが、実際に過ぎてみると相変わらず同じ時間に目を覚まし、飯を喰い、風呂に入り、仕事中よく眠くなり、外見的にもドラスティックな変化はみられませんでした。状況に逆らってでも自分の意思に忠実な行動にこだわったものの、それほどの達成感が得られなかったのは、やはりそのようなことはエライことでもなんでもなく人間としての進歩とはあまり関係がないためであると、考えてみれば当然の結論に至るのでした。そういう意味ではむしろ2005年は今後の自分を発展させていくための布石の年であったと考える方がよほどしっくりきますし、前向きな総括となるような気がします。というわけで2006年はその布石を如何に活用するかが課題となるわけですが、まずはそのために必要な体力作りと適正なカロリー摂取に努めていきたいと思います。


CDとアナログあわせて50枚くらいか・・・よく覚えてません。若干アナログの方が多いかも。


①「Careless Love」Madeleine Peyroux(2005年)
アメリカの音楽の根深さというか、しぶとさというか、アメリカという国はまだまだこういうアーティストが出てくるんだなあ、と改めて。巷ではノスタルジックな面ばかりが取沙汰されていたようですが、リアルタイムな音楽に疎い自分には音色がとてもモダンに響きました。心地好いです。

②「Life Is A Miracle」Emir Kusturica & The No Smoking Orchestra(2005年)
同名映画のサウンドトラック。映画も素晴らしかったけど、映像とともに頭にこびりついて離れない強烈なサウンドは、自分の中でこの先ずっと2005年夏の記憶とともに残っていく気がします。伝統的な楽器を使った音楽でありながら、個人的にはここ数年聴いたものの中で最も勢いを感じた音楽。

③「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」山下達郎(1982年)
当然いいに決まっている、と当たり前すぎてそれ故にあえて聴かずいた山下達郎ですが、たまたま近所のリサイクルショップで見つけたので購入してみたら、思っていた以上にとんでもなく良いのでびっくり。こういう良質な音楽が当たり前のように売れて、当たり前のように手に入るということは本当に幸せなことだと思います。


好きな言葉ベスト3

3位 人間万事塞翁が馬
どんなときでも言い訳に使える便利な言葉だから。

2位 蓼食う虫も好き好き
どんな価値観も認めてしまう寛大な言葉だから。

1位 毒を食らわば皿まで
人間、やっぱりこう生きたいものです。


悲しいくらい凡庸な人生を送っているので特に語るべきこともありませんが、大学~就職の時期にかけてバブル景気の真っ只中に身を晒したお陰で、骨の髄まで滲みこんだ楽観主義が未だに発育の妨げになっている気がします。きらびやかなものよりも、その裏側にある、暗くて薄汚れた部分につい関心がいってしまうのもそんな時代を過ごした反動なのかもしれません。


長年の間にすっかり増えてしまったCDやレコードを見ていると、時々気恥ずかしくなります。これだけたくさんの音楽を聴いてきても、まだ音楽の事が何も分かっていない自分というのは相当頭の悪い人間のようですが、もしかしたらそのお陰で未だに「たかが音楽」にこれだけ興味を持つ事ができるのかもしれません。結局、いくら知識を集めたところで、分からないものは死ぬまで分からないのでしょう。そろそろ潔くあきらめ、書は捨てて街へ出ようかとも思う今日この頃です。
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by soundofmusic | 2006-01-01 02:52 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 24 その3(Eの途中~G)

E

⑦ 忍者映画。ある地方の小藩を取り潰しを目論んで、その世継ぎ(幼児)を殺すため、幕府がめちゃくちゃ強い忍者(天津敏)を送り込む。そうはさせじと、藩主(田村高廣)は、腕の立つ浪人たち(近衛十四郎、佐藤慶、山城新伍、河原崎長一郎)を雇用。

ところが、武士根性が抜けない河原崎は、武士の作法で名乗りを上げ、忍者に吹き矢で殺される。この忍者的マキャヴェリズムに対抗すべく、田村は、容疑者も無実の者もまとめて切り殺すことを近衛に命令。縄で縛られたまま、バッタのように必死の跳躍を試みる忍者が切ない。

「藩が取り潰しにあうよりは5人や10人死んでも仕方ない」と言いきる田村も田村だが、「死に物狂いの天津を斬れるとは断言できない。天津をおびき出すため、若君を先代の君主の葬列に参列させてくれ」と進言する近衛もすごい。

全篇を支配する異常な緊迫感。クライマックス、ほぼ暗闇の中で展開される天津と近衛の死闘。ひたすら重い。津島利章の音楽も、後年の「仁義なき戦い」とはまったく違った、武満徹ばりの前衛ぶり。

忍者が武士とはまったく違った発想に基づいて行動する集団であることを示し、そして、それを倒すにはどうしたらいいか、を冷徹に描いている点で、この作品は、ハードコアな戦争映画であるというだけでなく、一種の思想的な高みにすら達している。つまり、アメリカは、ヴェトナムで戦う前に、この映画を見ておくべきだった、ということだ。

⑧  60年代の蔵原惟繕の何本かの作品は、同時代の日本映画の標準から完全に隔絶したバタくささを持っていて、この「夜明けのうた」は、わたしの知る限り、ほぼその頂点に位置するもののひとつ。また、主人公の浅丘ルリ子が徹底的にアイデンティティを追求するにあたって、彼女が世界を見るレンズとして、若くて純真なカップル(浜田光男と松原智恵子)を必要としてしまうあたり、究極の日活映画ともいえる。

トリッキーな構図とざらついた感触が特徴的な間宮義雄のカメラ、ナイトクラブの内装などでやけに気合の入った仕事を見せる松山崇の美術、いずれも一級品。

浅丘演じる主人公の職業は、女優。今も昔も、エキセントリックな女(優)に対する世間のイメージはたいして変化していないことが分かっておもしろいけれど、40年前、こうした徹底した行動が許されるヒロインを造形するにあたっては、やはり女優以外の職業では難しかったのかとも思わされ、となると、時代が進むにつれてやれることの範囲は狭くなる一方だという認識は正しくないことが分かる。

浅丘のマンションの自室がジャズ・バンドと来客とでぎゅうぎゅうづめになっているホーム・パーティはまるでグリニッジ・ヴィレッジ(よく知らないけど)。粗い粒子で描き出される夜の空港での別れのシーンは、あたかも今まで見てきたヨーロッパ映画(大ざっぱだな)が凝縮されてきたかのような密度の濃さ。いいたかないが、そこらのオシャレな洋画とか、イモの中平康とかよりか、よっぽどオシャレです。

⑨ たとえば、「男はつらいよ」シリーズを見るとき、わたし(たち)は、この四角い顔の男がいないとき、団子屋の老夫婦や、印刷工場の禿頭の社長はいったいどんな暮らしを送っているのだろう、と思うことがある。また、「卒業」を見れば、すんでのところでダスティン・ホフマンに花嫁をさらわれた男の、映画の外での(およそニュー・シネマ的ではないに違いない)人生を空想したりもするだろう。

「子猫をお願い」も、わたしにとってはそういう映画。ペ・ドゥナ演じる世話焼きの主人公だけでなく、周りが見えてないキャリアウーマンも、貧乏な娘も、双子も、みんなこの先どうなっていくのか、ほんとうに心配で仕方ない。言いたいことはほぼそれだけだが、もう少しつけ加えると、歩く、飲む、食べる、しゃべるといった、要は人間がきちんと生きている様子が着実にとらえられている映画でもあり、見ていておそろしく気持ち良い画面を持つ映画でもある。

蓮實重彦は、本作を評して、ついにアジアにもアデュー・フィリピーヌと並ぶ才能が現れた!と絶賛していたが、森山は、フィリピーヌ監督の作品をまだ見たことがない。2年くらい前のアテネ・フランセでの特集上映にも、いろいろと忙しくって足を運べなかった。いくらなんでも、代表作である「娘たち」シリーズ(「マーライオンの娘たち」「ノイシュバインシュタイン城の娘たち」「モンサンミシェルの娘たち」「清水港の娘たち」)くらいは見ておかないとお話にならないのだが……。ことに、マキノ雅弘の「続清水港」を、森の石松が実は女だったという大胆不敵、驚天動地の設定でリメイクした「清水港の娘たち」は、死ぬまでにぜひ見ておきたい。

⑩ 12年ぶりに見たスピルバーグの新作。超B級SF大作。巨大予算。港湾労働。異変勃発。怪物登場。超不安。ただものではない。トム・クルーズ。完全に群集に埋没。エヴリマン。カメラを構えるひとびと。日本なら携帯の写メールか。キャッチボール。父ありき。暴走機関車。燃えながら疾走。パニック描写。げんなりするほど見事。ダコタ・ファニング。パニック障害。もはや大女優。げむ子。相当の死者数。物理的な死体はほぼ見当たらない。アンフェア。視界と情報源をトム・クルーズが見聞きした範囲に限定。不安感をあおる設定。憎らしいほどにうまい映画。いろいろとご都合主義的。まったく無問題。10分で人間関係を飲み込ませる。説明はない。疑問に思わせない。ハッタリ!。高速道路を自在に動き回るカメラ。色彩は銀残しを思わせる。品の良さ。生まれながらのピーナッツ・バター・アレルギー。フェリー乗り場での献血。ニュージャージー。フランク・シナトラ。アメリカの歌手。トライポッドに近づきすぎる。アメリカの軽率さ。みんなで力をあわせる。アメリカの理想。危機を脱出する一家。なんの説明もない。現代において英雄はもはや存在し得ない。映画的な祝福もない。アメリカ映画への死刑宣告。アメリカの拳銃。アメリカの兵隊。キャメロン・クロウ「エリザベスタウン」。ヴィム・ヴェンダース「ランド・オブ・プレンティ」。セットで見てほしい。アメリカ3部作。みんなアメリカを探しにやってきた。車に乗って。アメリカの友人。アメリカの影。アメリカの再生。アメリカの希望。ラヴ&(アメリカン・)ドリームふたたび。

⑪ ある種のロック・バンドには、その音楽が奏でられる土地と風景とが不可欠だという、あまりにあっけなく忘れ去られがちで取り戻すのはあまりに困難な事実を、がっちりとフィルムに定着させた記念すべき作品。ザ・バンドにウッドストックの掘っ立て小屋が、ブリンズリー・シュウォーツには薄汚い北ロンドンのパブが、ヘロンにはイングランドの野っ原が必要だったように、この映画のバンド、パーランマウムには群馬の田園と雷雨とがなくちゃならなかった。

この作品の、演出しているようにすら見えない演出を見てしまうと、ほかのほとんどすべての映画は、わざとらしく演技するための演技にすら見えてきてしまう。古い、新しいの話ではない。日本映画の黄金期にだって、こんな映画は1本たりとて作られなかったのだし、だからって、杉村春子や山田五十鈴と、ここでのペ・ドゥナや香椎由宇のどっちがすばらしいかなんて議論してもムダなこと。(前田亜季は芸歴の長さが裏目に出たのか、やや浮き上がってないかい?)

スタジオでの練習でシールドを無造作に引っこ抜いてしまってでかい音が出てしまったり、ベーシストが耳かきをしていたり、ドラマーが風呂上りに自室で雑誌を叩いて練習していたり。わたしたちが本当に見たかったバンド映画は、そんな映画じゃなかったか。「油断大敵」「下妻物語」「リリィ・シュシュのすべて」と並ぶ、北関東映画のマスターピース。のみならず、神代辰巳の「嗚呼!女たち猥歌」以来ひさびさに登場した、真にロケンロール!な日本映画の快作。

⑫ 絓秀美、松田政男、柄谷行人、西部邁、津村喬、花咲政之輔らの証言によって語られる、日本の新左翼の誕生、浸透、拡散、衰退。当時の状況を知るひとにすればいろいろ偏りが感じられるのかもしれないが、興味本位で覗き見る観客にとっては、ただひとが喋っているだけでこんなに面白い映画ったらない。今後数年間である種のスタンダード的な地位を確立していくべき作品であり、また、見た者がそれぞれの居場所で活用するべきソースでもある。

この映画の中のことばを、できるだけ多く引用する。すべて記憶を元にしているので、もし違っていたとしたら、それは、ぼくがこの映画をそういう風に見た、ということだ。

西部邁「10代後半のころ、自己犠牲、献身に強く惹かれたが、当時いちばんそれをしているように見えたのが共産党だった」

柄谷行人「暴力が行使されるのは、そういう構造になっているから。そうでなくしてしまえばいい」/「今までは間違った前提の元で暴力的になったりシニカルになったり絶望したりしていた。そういう連中に何も言わせなくするのが、理論だ」/「たしかに先進国は第三世界を間接的に搾取しているけど、そういうひとたちに直接懺悔したって、されたほうがビックリするよ。でも、そういうことをしろというやつがいる」/「地域通貨にしても、入り口は経済的な動機でかまわない。それを、倫理的によいものだから、として強制したくない」

津村喬「毛沢東は素晴らしいが、それをすばらしいと思う心は病気」/「超能力や念力で物が動かせるったって、手で動かせばいい。それに過剰に期待するのは、自分に不満があるから」

花咲政之輔「左翼思想が市民レヴェルに定着したがゆえに、逆にサヨクは先生の御宣託、ウザい説教みたいなものとなってカウンター的に機能せず、右翼的なことを言うことがかえって反体制的でカッコイイことになっている。ストリートの息吹を吸い上げているのは石原慎太郎であり、窪塚洋介だ」

絓秀美(花咲に、どうしてあなたはそんなにポジティヴなのか、と問われて)「社会党や共産党のいうことを真に受けてたら、今の世界は地獄だということになるけど、必ずしもそうじゃないでしょ」/(舞台挨拶で)「2ちゃんねるあたりだと、この映画より『ゆきゆきて神軍』のほうが面白い、と書いているバカがいる。原一男は68年の反革命なのだ」

ユーロスペースの客A(予告編はない、とのアナウンスに)「予告編って何?」

ユーロスペースの客B「CMとかじゃないの?」

森山(ユーロスペースのロビーで、絓に)「『ゆきゆきて神軍』なんかより、こっちのほうが100倍面白いですよ!」

【本】 
そもそも05年は、正月から何を思ったかトーマス・マン「魔の山」を読み始め、読了に3か月もかかったのがイタかった。原書ではない。岩波文庫です。いくらなんでも時間かかりすぎなのだけど、それから、本誌用に音楽本100冊のリストを作った関係でその準備でいろいろ音楽本を読んだり、あいまあいまに野坂昭如やら坪内祐三やらを読んだり。今回は見送ったけど、小説を選ぶなら、野坂の諸作と、おそらくは幸田文のベストである「闘」(新潮文庫)が入る。

そんなわけで、05年に読んだ実用書の中からいくつか。書名の50音順。

①芥川也寸志「音楽の基礎」(岩波新書)
②丸谷才一「雁のたより」(朝日新聞社)
③菊地成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」(メディア総合研究所)
④北中正和「にほんのうた」(新潮文庫)
⑤副島輝人「日本フリージャズ史」(青土社)

☆コメント☆
① 芥川龍之介の三男である作曲家による著作。ここでいう“音楽”とは、もちろん西洋古典音楽のことだけど、あまりに直球なタイトルにおそれをなすことはない。なんとなくだけど、タブ譜を見てギターを弾くことはできるし、楽譜も多少は読めるけど、そこから先が……といったバンドマン諸君の芸の幅を広げるのに、この本は大いに役立つはず。また、わたしのような、音楽理論がまったく分からぬ人間にも、1冊の本として、読む楽しみを与えてくれる。

本書の、「ストラヴィンスキーがおそらくは悪魔の力を借りて書き上げた曲」といったフレーズに衝撃を受け、わたしは生まれて初めてクラシックのCDを買い求めたし(もちろん「春の祭典」)、ペンデレツキやなんかの極度にグラフィカルな記譜法について触れた部分での、「これらの楽譜は伝統的なそれとは違って、演奏者がそれを見てどう感じたかの解釈に多くをゆだねるので、こうした手法を推し進めれば、風呂屋のペンキ絵ででも演奏できる」といったフレーズには爆笑を禁じえなかった。(手元に本がないので、引用部分はたぶん極度に不正確です)

知識を得るとは、そもそもこんなに楽しいものだったのだ。いささかオールド・スクール的にすぎるという批判もあるかもしれないが、そうした、「ためにする批判」がこの本に対して一切の力を持ち得ないことは、お読みになればすぐお分かりかと思う。苔色の岩波新書。シブい。

② 21世紀のわたしたちが坪内祐三の「文学を探せ」(文藝春秋)の前のめりのグルーヴに受けた感銘の種は、すでに20世紀のうちに蒔かれていたのだともろもろ了解できる、熱血にして知的、ウォームハートとクールヘッドな文芸評論。

ぼくは、映画も本も音楽も、これからなにひとつ新作が出なくてもいっこうかまやしないと思っているが、しかしそれは、ワタクシが(杉山隆広がこの冊子の6ページで批判しているような)回顧的な紙ジャケ野郎ということではなく、時代的に最近のものであることが本質的な新しさを必ずしも意味しない、と半分あきらめているからだ。

ですが、自分は、ここで丸谷氏が、当時(70年前半)の日本に20代の作家や詩人がほとんどいない現状を嘆いているのを読みまして、ああ、時代が下って物事よくなる場合もあるのだな、としみじみしたのも、たしかなのです。とはいえ、待てよ、10代の作家がぞろぞろと這い出してくればそれでよいってことなのか。まあオレにとってはどうでもいいことだけどね。

だいたいさ、丸谷ってのは自分の頭の良さをひけらかすようなところがあるから、あちきなんか、そこがいけすかないと思ってずっと敬遠してたさね、最初のうち。ところがだな、実際にとっかかってみると、案外難しくないんだよ。おいらでもすらすら読めちゃう。人間、伝えたいことがあると、それを免罪符にして、それにかまけちまうもんで、オレなんかもその癖が抜けやしないんだが、丸谷氏は、伝えたいことをいかに的確に届けるかというテクニック、レトリック、サーヴィスについて熟知していますから、批評を芸として成立させ、馬鹿な文壇に干され、わたしにその著作を買わせ、といったことを同時多発的になしえる、ほぼ唯一の日本人といってさしつかえないでしょう。

③ その創造性において世に衝撃を与えた芸術作品のことをたとえて、よく、「ほにゃららの歴史を書き換えた」などという比喩が使われる。これは、30年後には、「ミュージシャンとしても知られる平成期の奇才文筆家」として認識されていそうな菊地などが、本業の(?)楽器ではなく、文章で、文字通りジャズの歴史を書き換えてしまった1冊。

本人たちはジャズの偽史をでっちあげると息巻いているものの、いえいいえ、これ(こそ)が正史なんであって、カンのいいひと、きちんと耳で音楽を聴けるひとなら、ここに書かれていることの大半に、とっくに感づいているはず。賎業、違った、専業の評論家の仕事はどうしても時評中心になりがちだから、こうした、むりやりに芯を通すような本は、実作者であるふたりにしか書けない。読んでいるとなかなか興奮するものの、ジャズ論壇からは無視されるに違いない。

90年代が始まってからこっち、もう15年もたっちゃったわけで、フリーソウル的な発想で歴史が解体されたっていうのは、誰でも好きなように歴史をでっちあげていいってことでもある。それはなかなかに切ない事態なのだけど、そのぶん、可能性もある。つまり、こういう本は、ありがたがって神棚に飾っておいても仕方ないってこと。いろんなとこに持ち出して、使い回して、ぼろぼろにして、そのうえで、各人の立場でまた書き換えていかなくてはね。

ついでにいえば、楽器のできない人間には、楽器ができない人間にのみ可能な批評、楽器ができないことをアドヴァンティッジとしてとらえる批評、がありうるはず。ということで、今年は本誌でもやります、特集「『東アル』以降のジャズ」。

④ 副題の「戦後歌謡曲史」が内容のすべてを物語る。

05年、三人娘(雪村いづみと江利チエミと美空ひばり。ちなみにこの3人の名を表記するときの公式な並び順があるのかどうかは知らない)のCDを買ったり、沢島忠の60年代の映画を見たり、この「にほんのうた」を読んだりして遅まきながら気づいたのは、日本のポピュラー音楽は昔から、そのときどきに応じて外国との距離を測ってきたってこと。つまり、デイヴィ・グレアム的な意味で言うなら、日本には、ロック(的な発想の音楽)なんて、はっぴいえんどやGS以前にも余裕で存在していたってこと。

何か強く言いたいことがあってもそれをむき出しにしない大人な文章。しかし、通常の注意力を払って読むと、今まで誰も言わなかったような事実がきちんと指摘されていて、痛快。たとえば、戦後の音楽的混沌期、ルンバ、タンゴ、カントリー、カンツォーネ、などなどが無節操に歌謡曲にとりこまれていた時代を描写した、「日本は一体地球上のどこにあるのかと思ってしまう」なる一節には、思わず笑いを誘われる。さらには、50年代、農村から都市への人口流入を反映して演歌のメンタリティが変化しつつあった時期について、「自らも農村出身であった作曲家たちが、のちのフォークシンガーたちがそうしたように、自分の体験や心情を曲に織り込んでいった」とするのも、鋭い。

歴史はそうそう簡単に更新はされないが、同時にまた、やすやすと断絶もしない。

ビートルズだとかピストルズだとかはっぴいえんどだとかについて、わたしたちは、そこで過去が切断されてネクスト・レヴェルへと突入したかのような感覚を持ちがちだけど、果たしてそれは正しいか。ピストルズなんて、21世紀から振り返ってみると、オールド・ウェイヴとニュー・ウェイヴを接着する糊(メタル・グルー)として機能していたようでもある。

この、切断されたと思ったらくっついてた、という感覚は、05年12月26日に、港区芝の「駒八別館」で開催された森山の会社の忘年会でも強く感じることができた。ここで饗されたおもち風ピザだったかそんな名前の料理は、下部構造としての生地は切断されているものの、上部を覆うチーズは、チーズの性質上、切れることなく、だらしなく糸を引いていたのだ。この奇妙な二重構造に否応なしに歴史を体感してしまうこともまた、音楽を生きること。1日8時間ギターを練習すれば無条件で音楽が身につくと思ったら、大間違いなのだ。

⑤ 尊敬している知り合いのHさんから、「ひとからもらったのだけど、うちにあっても宝の持ち腐れだから、あげる」と言われて送ってもらった本。めっぽう面白い。

60年代に勃興した日本のフリー・ジャズ、ニュー・ジャズを、間近で見てきた著者による証言。たぶん、実際に聴くとなかなかすんなりとは楽しめない音楽なのだろうけど(とくにわたしのような、保守的な耳の人間にとっては)、それをしっかと記録した本書は、情緒的すぎるかなあという懸念もありつつも、それを欠点と感じさせないだけの資料的価値を持っている。

たとえば、中村達也(ブランキーのではないよ)について書かれたくだりの、こんなリリカルさにやられてしまう。―「トムトムの響きには、何故か人間を信じ切ろうとする不思議な懐かしさと優しさが秘められていた。」……どうです、リリカルでしょ。

この本の好きなところは、そのいさぎよさ。どういさぎよいかっていうと、自分がいつ、どのようにフリー・ジャズを好きになったかなどという繰り言は一切書かれておらず、フリー・ジャズが好きであることは自明の事実として、しょっぱなからでーんと存在しているのだ。


交際相手に左右されて洋服とか音楽の趣味が変わるある種の女なんかに対して、昔はなんともいえぬ嫌悪感を持っていましたが、ここ数年、自分が変化しなかったら、他人と付き合ってる意味ないな、と思うようになりました。ありのままの自分なんて、受け入れてくれなくていいです。そんなわけで、ぼくが今までどのように世界に翻弄されてきたか、の年譜。

0歳 誕生。

5歳 この頃、初めての失言。言葉が災いを招くことを知る *1 。が、学習はしない。

6歳 小学校に入学。担任の女教師から「女の腐ったような」と評される *2 。また、この頃、母親が漱石の「坊ちゃん」を買ってくる *3 。

12歳 中学校に入学。

14歳 理不尽な暴力について学ぶ。筒井康隆、フランツ・カフカ、ルネ・マグリット、バッグス・バニー、「パオパオチャンネル」、などに影響される。

15歳 高校に入学。同級生に借りた戸川純のカセットで音楽に開眼、テクノカットにする。

18歳 高校を卒業。①東京にあり、②学費が安く、③文系で、④勉強せずに入れる、という条件で大学を探す。ひとつだけ該当したので、そこに入学。ひとり暮し開始。

21歳 ゼミの旅行中、中央道で車がスリップして死にかかる。甘栗を食べている途中だった。

22歳 卒論〆切日、阪神大震災発生。卒業の日はオウムさんが地下鉄にサリンをまいて祝ってくれた。「大学は出たけれど」、働かず、仕送りを受けつつ読書。構造主義に傾倒。たまに泳ぎに行って心身の健康維持に努めるが、約1か月で発狂しかかる。実家に戻り、リハビリ開始。

23歳 パラサイト・シングルする。「アニー・ホール」を見て、ウディ・アレンに憧れる。ユダヤ人に生まれなかったことを悔やむ。ジャズを聴いて偉くなろうと決意し、聴き始める。夏、再び上京。秋、埼玉県南部に隠遁。

25歳 映画を見て偉くなろうと決意し、見始める。リー・タマホリ「ザ・ワイルド」に衝撃。

27歳 自意識の問題で苦悩し始める。極度の自己相対化の結果、やや虚無的になる。岡本喜八「江分利満氏の優雅な生活」に出会い、ひとごととは思えない映画が存在することを知る。

29歳 英国と中欧をひとり旅。プラハでは嘔吐して寝込む。ヴィーンでは初めてヨーロッパ大陸と遭遇して、衝撃を受ける。2週間、日本語から離れる。意外に心地よかった。

30歳 戦争のことを考える。ゴダールやアンゲロプロスに接し、日本映画の戦後処理の下手さに憤る。怒りのあまり、戦争映画を作らせろ!と某映画会社の脚本家募集に応募。不合格 *4 。

31歳 どうやら、リハビリが完了(したという幻想を持つ)。

32歳 秋、埼玉から豊島区に転居。

*1 口が滑ったときの背筋が冷やっとする感覚、いまだになじみ深い。ところで、エリック・ドルフィーの例の有名な言葉、演奏ミスをごまかす言い訳じゃなかったかとは思いませんか。

*2 四半世紀以上たってまだ覚えているのだから、やはりわたしは女の腐ったような存在といえそうだ(この表現のPC度についてはさしあたりここでは問題にしない)。

*3 翌年、母は、まったく同じ版の「坊ちゃん」をまた買ってきた。これによって“良いものはダブりOK”というコレクター気質が育まれたとの説もある。

*4 この時、斎藤美奈子「妊娠小説」の映画化も提案。絶対に面白いはずなので、誰かこの企画、買いません? ちなみにその会社は最近、明らかにしょーもない戦艦大和の映画を作った。


毎度のことですが、わたしの書く文章は、表現上の効果のため、誇張、省略、虚偽の記述、論理の破綻、脱線、などを大量に含みます。引用や鵜呑みは、自己責任でお願いします。

このアンケートのその1(A~Dの途中)を読む

このアンケートのその2(Dの途中~Eの途中)を読む
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by soundofmusic | 2006-01-01 02:45 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 24 その2(Dの途中~Eの途中)

D

⑨ ぼくにボンゴさんが初めて会ったのは初対面のときで、それは04年2月、スーパーシーダーがとりあえずの最終回を迎えた日のこと。そのときぼくはぼくの見たジャック・タチの「プレイタイム」の話をボンゴさんとした。それからぼくは2年くらいボンゴさんとたって、ボンゴさんはいろんなものにぼくをあまりしない感動をするので、ときどき話をしているうちに、ぼくはボンゴさんに少し影響に受けたのは間違いない。ぼくの知らないアメリカを住んでいるボンゴさんにとってのアメリカは長野で、乗鞍や穂高がボンゴさんにとってのアパラチア山脈であるらしい。ぼくはボンゴさんのことを、女のひとを苦労してきたように見えるからいいひとに見える、と感じているのでは必ずしもないにしても、とにかくいいひとでいい音楽だからお礼を言いたいし、なかなか死なないでもいてほしい。

ボンゴさんにほめられていたキャロル・キングをぼくもほめてみたかった。ぼくは33歳のぼくの凡人だがキャロル・キングは62歳のボンゴさんだ。たとえ有名な『つづれおり』は持っていなくても『ミュージック』や『タピィストゥリー』にたぶん同じくらい良いとボンゴさんはぼくに教えてくれた。ボンゴさんがぼくに推薦した最新のライヴ盤はこの2枚組で、ボンゴさんがキャロル・キングのいちばん最近の録音なのだから、ぼくはこのアルバムを買ったのが初めてで、ぼくはこれを聴きながら何度も何度も音楽をした。
(Carole King / The Living Room Tour)

⑩ かっこいいやつはボヤボヤしていない、とはQBBの「中学生日記」に出てくる名言。ある種のカッコイイ音楽は聴く者を強烈に突き動かし、ボヤボヤしてらんないぞ、という気分にさせてくれるものだけど、このカニエのアルバムは、ここ数年すっかり忘れていた(少なくとも、ロックからは感じないようになっていた)そんな気分をひさしぶりに味わわせてくれた。レイド・バックしてる場合じゃないぞ、というその衝動を簡潔に表現すれば、誇張でも冗談でもなく、「ヤバい」という形容になる。ぱっと思いつきで言うなら、昔はMC5がヤバかったように、今はカニエがヤバい、ということ(か?)。

さらに重要なのは、MC5と違ってカニエはポップでもあるということ(MC5だってポップなのかもしれないが、まあそれはおいといて)。ここでいうポップとは、覚えやすいメロディーやキャッチーなリフや弾むようなビートのことではなく、昔、佐野元春が「あなたにとってポップとは?」と訊ねられたときの答、「朝起きて、コンタクト・レンズを入れた瞬間かな」に近い。

とにかく05年現在、ぼくはファウンテンズ・オヴ・ウェインよりもカニエ・ウェストのほうにはるかにポップを感じてしまう。別に同意してくれなくったっていいよ。

ところで、このアルバムを聴いたり、NRBQのことを考えたりしていて思ったこと:いわゆるロック・バンドが、メンバーと呼ばれる特定少数の仲間たちだけで音楽を作ったりするのはなぜなのだろう。自分たちで演奏しないほうがいい音楽ができることだって多いはずなのに。音楽よりも、音楽したいという自分たちのエゴが優先されて当然ってことなんだろうか。

さらに、あまり関係ないかもしれないが思いついたので書いておきたいこと:どんな作品でも、作り手個人の感情の発露としての側面と、もっと大きな、ある枠組としての側面を持つのではないか。いいかえれば、作り手は自分自身の問題を自分だけのやり方で語っているつもりでも、否応なしに既存の作品やジャンルにすりよってしまう部分はあるし、逆に言えば、どんなに無味乾燥な工業製品にだって、「作者」は存在してしまう。というか、わたしたちはそういうふうにものを見てしまう。(このへんは加藤典洋をも参照のこと)

何が言いたいのかというと、過去の音楽を自在に引用し、それぞれの曲が求めるものに応じてゲストを迎えたりする手法は、どうしてヒップホップ的と感じられ、どうしてロック・バンド形態では困難なのか、ということ。それではまるで、ロックよりヒップホップのほうが“進化した”音楽みたいだ。それは正しいのか、それとも、そもそもの論の立て方が間違っているのか? ともかく、旧式のロック・バンドのみなさんも、こういう音楽の存在を視野に入れないのは、もはや犯罪的な不誠実だとしか言いようがない。
(Kanye West / Late Registration)


【気持ちいい映画】
ようやく、映画を見る基準のようなものが確立しかけてきた。ひとことでいえば気持ちいいか否か、で、それは、映画を見れば分かること。スクリーンで見もせず、理屈をこねていてもしかたない(見てからこねくるのは、まあOK)。幸か不幸か“映画関係”の知り合いはほぼ皆無なので、くだらぬオタク話に惑わされることもなかった。今後も、いろいろ映画を見たい。なにしろ、公平に言って、ここ数年、実在の人間とのかかわりから学んだもの(これはこれで、非常に大きい)よりも、はるかに多くを古今東西の映画から受け取り続けているのだから。

以下、05年にスクリーンで見た、初見のものから選出。見てよかった、と心底思えたのは全体の約2割。打席数が多く、球を選ばず振っていた割には、意外な高打率。並びは製作年度順。

①黒澤明「生きる」(52年/日本語)
②成瀬巳喜男「おかあさん」(52年/日本語)
③稲垣浩「嵐」(56年/日本語)
④千葉泰樹「下町(ダウンタウン)」(57年/日本語)
⑤グリゴリー・チュフライ「誓いの休暇」(59年/ロシア語)
⑥中川信夫「かあちゃん」(61年/日本語)
⑦山内鉄也「忍者狩り」(64年/日本語)
⑧蔵原惟繕「夜明けのうた」(65年/日本語)
⑨チョン・ジェウン「子猫をお願い」(01年/朝鮮語)
⑩スティーヴン・スピルバーグ「宇宙戦争」(05年/英語)
⑪ 山下敦弘「リンダ リンダ リンダ」(05年/日本語)
⑫ 井土紀州「レフト・アローン1」「同 2」(05年/日本語)

☆コメント☆
①  恥ずかしながらの初見。一般に黒澤ヒューマニズムの頂点とされていて、それはたぶん、間違ってはいない。でも、お涙ちょうだいの映画かと思ったら、大間違い。ただそれだけのものではない。これは狂人を主人公に据えた変種の英雄譚であり、むしろ、「裸の大将」なんかに近い。伊藤雄之助の怪顔がまともに見えてしまうほどの志村喬の鬼気迫った表情を見れば、一目瞭然。志村を見れば分かること。

長い通夜。俗物万歳と言いたくなる爆笑シーンだが、作り手側の庶民に対する悪意が見えて、あまり愉快ではない。あるのは、英雄を英雄たらしめるべく、俗物を俗物として対比する話術。これはさびしい。

戦後すぐの作品、たとえば「素晴らしき日曜日」や「醜聞」では、黒澤が、たとえ幻想かもしれなくとも、同時代の日本人と併走していこうという気持ちをこれでもかとばかりに押し出していて、そこがなにより感動的だったのに、「生きる」では、それはない。映画を取る(撮る)かわり、日本人を見殺しにした、とすらいえると思う(別に見殺しにしたっていいんだけど)。

とはいうものの、いろんな方向から楽しむことができる優れた映画。ぼくはもっぱら、たいへん巧みに作られた大掛かりなコメディとして、これを見た。過大な緊張に耐えられなくなったとき、人間は笑い出すもので、「生きる」には、そっちの方向に観客を誘導する仕掛けがたくさん置かれている。それらをわざわざ無視することはない。

また、音(音楽)に対するセンスの良さには驚嘆する。志村と伊藤が行くバーでの素晴らしく躍動感のあるブギ・ウギ・ピアノ、満員のダンス・ホールでのキューバン・ジャズ、そしてなんといっても、喫茶店から立ち去る志村の背中に投げつけられる「ハッピー・バースデイ」。
見ていないひとにはなんのこっちゃなレヴューになってしまったけれど、感動作と呼ばれていることを忘れて、ぜひ一度、ご覧くださいな。

②  05年は成瀬の生誕100周年。尻馬に乗って、初見の作品を見たり、すでに見ていたものを再見したりした。そこでおぼろげながら浮かび上がってきたのは、一見どれもこれも同じように見える作品を撮ってきた成瀬が、作品ごとに実に大胆な挑戦を繰り返してきた事実。「鰯雲」の冒頭、木村功を自転車の後ろに乗せて疾走する淡島千景(逆ではないよ)を見たとき、ああ、このひとこそ、この時代の日本でもっとも果敢な冒険をおこなっていた映画監督のひとりだったのだな、と心の底がふるえるような思いがしたものだった。そして、クリーニング屋の一家の日常を描いた、この「おかあさん」にも。

これほどムダのない映画も珍しい。むりやりに観客を引きずりまわすようなスピードではなく、知らぬ間に背中をくいっくいっと押してくるテンポのよさ、気持ちよさ、よどみなさ。少しっぱかり誇張して言えば、不要なカット、観客を惑わすシーンはひとつもなかったのでは。

そして、この「おかあさん」ほど死と別離に満ち溢れ、なおかつそれを感じさせない映画も珍しい。死。岡田英次の兄は、出征して行方不明。沢村貞子の夫は、宿直室で焼け死んだ。中北千枝子の夫も、死んでいる。田中絹代の夫=香川京子の父、三島雅夫も、過労で死ぬ。香川の兄、片山明彦は、病気で死ぬ。別れ。一家が経営するクリーニング店を手伝っていた加東大介は、近所に買い物にでも行くような気軽さで別れを告げる。香川の妹、榎並啓子は、おじさん夫婦の家にもらわれていく。そこの夫婦には、息子が(死んでしまって?)いないからだ。

それら大量の死と別離がなにによってもたらされたか、なんてことは昭和27年の日本人には自明のことで、現代のわたしたちにも、よく考えれば自明。とはいえ、「よく考えれば自明」というのは、まったく自明ではないのではないかなあと思わされもして、しかし、そうしたこととは別に、あっけなくすべてを飛び越えるのは、田中絹代の演じる母親。この母親の理不尽な愛情こそ、国籍も時代も関係ない、普遍的なものなのに違いないと強く納得させられる。

③ おそらくせかいの映画史上ゆいいつ、笠智衆がフランスがえりの仏文学者に扮した映画です。きげきではなく、ぶんげい作です。ざいたくワークのかたわら、よそに預けていた亡妻との子どもたちをひきとってそだてる笠智衆のふんとう記です。ひとりで家でしごとするにんげんにとって、子どもなんて絶対にあってはならないそんざいだと独身者のわたしは思います。しかし、ばあやの田中きぬよの好サポートもあって、笠智衆はりっぱに子どもを育て上げます。

とはいえ、がんこ一徹なオヤジを演じるわけでもなく、小遣いを「げっきゅう」と称したり、子供に「キミ」と呼びかけたりします。大正時代のはなしであることを思うと、きょういく方針はずいぶんリベラルです。そのせいで、娘の雪村いづみに、プレゼントしたワンピース(「パリー仕込みのセンスで仕立てた」もの)を、「古くさい。ふるぎやに売る」と言われます。

いなかにむすこを引き取りに行くと、むすこは木にのぼってうぐいすのマネをしています。まるで西原理恵子の「毎日かあさん」にそのまま出てきそうです。ほかにも、火ばちにあたるときの指のまげかたがおんなじだといって親子のきずなをたしかめます。ちょっとした場面ばめんの端正な描写がいんしょうてきです。飯村正のさつえいによる穏やかな絵作りも、おおいに貢献しています。たんじゅんに、いいえいがです。

わたしはいち年間に相当数のつまらない映画をみます。つまらないえいがとの遭遇は、映画にむき合うエネルギーそのものをはげしく奪い去っていくのですが、この映画を知ってからは、つまらない映画にもどうにかこうにかがまんできるようになった気がします。おもしろい映画は、つまらない映画に耐えた者だけにあたえられる、映画のかみ様からのプレゼントです。だから、おもしろいえいがだけよりすぐって見るなんざ、そもそも不かのうなのです。

④  常設の映画館ではないものの、東京で最も信頼できるプログラムを組んでいる劇場のひとつである三百人劇場の、千葉泰樹特集で鑑賞。kinomiさんはたしか、この特集の開催前に、「プログラム・ピクチュアの傑作こそが真の傑作の名に値する!」と高圧的に予言していたと記憶するが、実際に通い出してみると、まったくそのとおり。さすがシネブックの森の管理人、見る前からすべてが分かってしまうのだな、と感心した次第。

さて、この1時間ほどの中篇「下町(ダウンタウン)」、プログラム・ピクチュアの傑作であり、ということは、当然、真の傑作。誰もそうは言わないだろうけど、現代劇における三船敏郎の最良の演技が見られる。相手役は山田五十鈴で、このひとは、言うまでもなく、ほぼ常に期待を裏切らない日本の女優のひとり。

戦後すぐの東京の下町を舞台にした山田と三船の恋物語で、とにかくものを食べることをこれほどおろそかにしない映画はあまり記憶にない。そもそも、ふたりの交流は、静岡茶の行商をしている山田が、弁当を使わせてもらおうとして三船の経営する自動車工場を訪れ、そのお礼にお茶を差し出すことで始まるのだから。

ずっとこんな調子で、映画は、ふたりにとっての“今・ここ”である現在地をキッと見つめ続ける。具体的にはその視線は、鮭の切り身だったり、コロッケだったり、アジフライだったり、ふくらんではすぐにしぼむカルメだったり、まずいラーメンだったりといった、実体のある食べ物に(おもに)向かうわけだけど。

結末も切ないけれど、同じくらい切ないのは、きっと死ぬまでこの映画とスクリーンで再会できないだろうという事実。みなさんも、この作品をご覧になることはおそらくないでしょう。

⑤  戦争中、若い兵士が、ひょんな拍子に手柄を立てて、ご褒美に6日間の休暇を与えられ、それを利用して帰省しようとするものの、女の子と恋をしたり、ひとに物を頼まれてしまったりでなかなか故郷にたどりつくことができない……誰でも思いつきそうで、通俗的だなあとは感じるものの、やはり名作であり、青春、戦争、ロード・ムーヴィー、義理、人情、そういう意味で山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」にも、やや似ている。

負傷した片足の男の後姿をじっと見詰める親子、戦況放送を聞き終えてゆっくりと仕事に戻っていく労働者たち、息子の帰郷の知らせを聞いて麦畑の中を疾走する母、なんてことのない場面の絵作りの巧みさ、はなはだ見事というしかなく、次々に用意されるエピソードはテンポよし、戦闘場面は最初のほうにほんの少しだけ、こういう戦争映画もありうるのだ。

⑥ 「綴方教室」と同じ原作者による、その続編ともいうべき貧乏もの。中川信夫の演出と、両親役の伊藤雄之助、望月優子の芝居は、泣いたり笑ったり、泣かせたり笑わせたり、押したり引いたり、メリハリが効いていて、決してどちらかに突っ走ることがない。そのために感情を強く揺さぶられる。

子役の二木てるみも名演。つらいことがあったときにはこの歌を、と先生の北沢典子から教わった「ラ・マルセイエーズ」をしょっちゅう(フランス語で)歌っていて、泣かせる。とはいえ、あとで歌詞の意味を調べてみて、首をかしげた(森山が)。

最後、一家は生活苦から夜逃げする(しかし、生活苦からでない夜逃げなど、あるだろうか?)。その途中の橋の上で、やはり別の夜逃げ一家とすれ違い、無言の交流をはかる。そして巡査の宇津井健を無事にやり過ごし、走って逃げ、落ち着いたところで、子供ができたことを望月が伊藤に告げるラスト。おそらく映画史上もっとも美しく描かれた夜逃げのひとつだろう。

東京でいちばんセンスのいい映画祭である東京フィルメックスの、中川信夫特集「地獄のアルチザン」(震えが来るほどかっこいいタイトル!)で鑑賞。怪談だけにとどまらない手腕を満喫できる、いいプログラムだった。中川が、映画について(アルチザン的な面もそうでない面も)完全に知り尽くしている、という事実は、もっと広く認識されて良い。

このアンケートのその1(A~Dの途中)を読む

このアンケートのその3(Eの途中~G)を読む
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by soundofmusic | 2006-01-01 02:44 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 24 その1(A~Dの途中)

 
①森山政崇(もりやま・まさたか) 
②1973年1月5日 
③本誌


2005年の総括。

初めての経験、たいへんひさしぶりの経験が山ほどあり、固定観念で凝り固まっていればいるほど、ひっくり返されたときの驚きや喜びは大きいと痛感。おおむね楽しく過ごしたが、自分のロクでもない部分を直視せざるをえない出来事がいくつかあり、落ち込む。秋、転居などして、もろもろをやむなくリセット。それ以降、ずっと走っていた。息切れしながら、年越し。

自分の正当性を疑わないひとに対していよいよガマンできなくなってきた年でもあった。具体的にそれを強く感じたのは、晩秋、連続して子供が殺された事件のころ。

子供を殺した犯人が糾弾されるのは当然としても、糾弾する側の、犯罪者は自分とは違った人種、とでもいわんばかりの態度にはうんざりする。たとえば、子を持つ親のみなさんが、親の立場で憤りを覚えるのはもっともだけど、自分や自分の子供が加害者になる可能性については、ちらりとも考えないのだろうか。だとしたら、ぼくはそのことのほうがおそろしい。

……と書いても、通じないひとにはどうせ通じないからやめにするけれど、この場を借りて、家族にひとつだけ頼む。将来、もしぼくがなにかの犯罪の被害者として殺されることがあり、犯人が死刑判決を受けそうだったら、事情のいかんを問わず、そうならないよう嘆願すること!

生きて罪を償うべきだとか、そういう理由ではない。死者はどのみち生き返りはしないのだから、いま生きている人間を殺してはならない、との理由。犯人も、遺族も、犯人の家族も、可能な限り生き続けるべき。当然、犯人の残りの人生が獄中に限定されたり、という処置はとられてしかるべきだけれども。

個人の命はあくまで個人個人においてのみ貴重でかけがえがないのであって、社会全体や地球と比べてどうこう、という類のものではない。また、社会だとか国家だとかのために卑小な自己を投げ出して犠牲にする発想も、結局は、それによって、自分をより大きなものに通ずる存在としてみなしたいとのケチな見栄の現れでしょ? 小さいものは小さいままで生きていくべきだし、小さいままで幸福になれる方法を、みんなが考えるべきじゃあるまいか。

2006年の展望。

これも毎年のことで、展望なぞロクに開けていない。具体的な心づもりとしては、だいたい偶数年に海外旅行に出かけているので、06年も行く予定。たぶん、秋、パリに。音楽的には、プリ・モダンのジャズと、ヒップホップに参入したい。今さらながら。

ぼんやりした希望としては、よく歩き、よく音楽を聴き、よく本を読み、よく映画を見、よくひとと話し、それらを糧に、書くことに少し集中したい。ついでに、それによって、小金も稼ぐつもり。資本主義のシステムにがっちりとからめとられたいので、どなたか心当たりのある方、ぜひお仕事を紹介してください。専門分野は、ないです。

その他、各種のおもしろいお誘いには、極力乗っかる所存。みなさん、どうぞよろしく。


CD450枚くらい、レコード130枚くらい。CDは、日本人1:外人9、新品2:中古8くらいの割合。レコードはほぼすべてが中古の外人。

引っ越しの際、約1000枚処分したものの、焼け石に水。考えてみたら、いちばん聴きたいレコードは、常にそのとき買ってきたばかりの盤なのだから、買うのをやめられるわけなぞない。


往年のロックの名盤やSSW系あたりは、さほど買わなくなった年。英国フォークとかモダン・ジャズとかもあまり聴いた気がしないし、フリーソウルやカフェアプレミディ系の世界初CD化モノにも、そんなに簡単にはだまされなくなった。じゃあ何を聴いてたんだと言われると、思いつかない。結局はそれらをわりとまんべんなく聴き飛ばしていたのかな。

ほかにもいろいろいいのはあったものの、以下の10点は、インパクトと耐久性の面から、とりあえず05年の花形選手に選ばれるのに文句ない出来のものばかりでした。順不同。

①V.A.『ザ・ビート・ジェネレーション』(46~77年録音/92年)
②V.A.『トラッド・マッド!』(56~63年録音/02年)
③ベヴァリー・ケニー『ライク・イエスタデイ』(59年)
④ドン・レンデル/イアン・カー・クインテット『ライヴ』(69年)
⑤細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』(78年)
⑥スケッチ・ショウ『オーディオ・スポンジ』(02年)
⑦水森亜土『すきすきソングス』(04年)
⑧マデリン・ペルー『ケアレス・ラヴ』(04年)
⑨キャロル・キング『ザ・リヴィング・ルーム・トゥアー』(05年)
⑩カニエ・ウェスト『レイト・レジストレイション』(05年)

☆コメント☆
① 我最終的購入十年来願望的美麗三枚組箱物於電網通販店“亜麻存”使用千五百円割引券。最良入門篇通導諸人米国的二十世紀中葉対資本主義的芸術運動“打弊世代”(Beat Generation)。此箱物多種多様録音物収録、一例如以下:音曲、対話、放送録音片、立式漫談、詩的朗読、等々。実際抜群多面的成果達成可驚嘆、我認識此箱米国一最良再発専門録音公司“犀音片社”(Rhino Records)大変真剣的業務。主要含有人員如下示、Charles Mingus(近代蛇図面)、Gerry Mulligan(近代蛇図面)、Jack Kerouac(「於路上」「達磨盤図」「地下街的住人」等超有名根本的打弊世代心情代弁者)、Allen Ginsberg(「咆哮」的著名詩人)、William Burroughs(問題作「裸体的昼食」著者及妻君射殺犯)、Lenny Bruce(猶太人立式漫談家。彼的生涯可視聴於傑作電影「Lenny」、背低男優Dustin Hoffman堂々的主演)、Tom Waits(打弊世代的正当後継者濁声自作自演歌手)、Babs Gonzales(究極粋人的強烈顔面人)、Slim Gaillard(出鱈目的各種外国語喋歌粋人)、Lambert, Hendricks & Ross(筆者猛烈愛好的三人組歌唱隊)、等々。誰人此箱購買時豪華冊子一見破顔可確約。超肉厚数十頁的冊子所収、当時的新聞記事、雑誌記事、貴重的記録写真、打弊世代的特殊用語解説、滅茶苦茶重宝的文献及音源案内書。於最終頁、犀音片社構成員数十人集合写真似打弊世代的時装-仏蘭西風部礼帽子、猿取式実存主義口髭、黒色的亀首上着、必須着用黒眼鏡、或者所持木製低音琵琶。爆笑必至。全人類殊興味保持米国現代文化必携的一箱。尚現在犀音片社発売精撰抜粋的一枚物簡便音盤、此比較的入手容易。 
(V.A. / The Beat Generation)

② トラッド・ジャズとはなにか、と問われて、ニューオリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズが英国でリヴァイヴァルしたときの呼び名、と答えれば音楽のテストではさしあたり○をもらえることにはなっているけれど、じゃあどうしてそんなものが、第2次大戦後での英国でかくも人気を誇り、モップ頭の4人組がヤァ!ヤァ!ヤァ!なーんつって大西洋を渡ったころになってもあいもかわらずかくも盛大に演奏されていたのか、なんてことはおそらく日本語で書かれたどんな書物にもまともには載っていないのじゃないだろうか。

実際、そういったことに思いを巡らせずに英国ロックがどうのこうのといってもしかたがないのだけど、時間的にも地理的にも遠く離れたところから眺めることができることをある種のアドヴァンティッジとしてとらえることをせずにマトリックス・ナンバーやなんかにばかりこだわり、それでいて知ったような顔をして英国ロック・ファンを自認するひとたちのうち、いったい何人が、かの国のビートルズ以前のポピュラー音楽状況についてそのひとなりの見取り図を描くことができるだろうか(わたしは描けません)。

さて、56~63年にかけてのパイ社のトラッド・ジャズのアンソロジーであるこの3枚組、基本的にはやはり、ニューオリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズの英国的解釈、とおおざっぱにざっとくくってひもでしばってそこいらに放り投げて雨風にさらしておいて差し支えないものではあるけれど、それはそれで充分すぎるほどに心地よく、ゆったりとひたっていると、ときどき、びっくりするようなトゥイストだったりロックンロールだったり(の、ようなもの)が聞こえてきて、よく聴くとそれは、ロックンロール的な気分だけが新大陸から海を渡ってやってきたとき、あの天気の悪い国にはまだその気分をうまく乗っけることのできる音楽がなかったもんで、むりやりトラッド・ジャズに乗っけちゃった結果できあがったものじゃないかと思われ、そのへんの事情は、極東の、海老フライがのけぞったような形の島国でも、ある程度は似たようなものだったのかもしれない。

最後に書いておくと、キンクス、ボンゾ・ドッグ・バンド、ブラー、ディヴァイン・コメディ、和久井光司、あたりのファンをはじめ、英国ロック好きならば、教養としてこのへんのものはぜひ押さえておきたいし、そんなことどうでもいいよってひとでも、どうしてビートルズは「蜜の味」とか「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」だとかといった“ポピュラーな”曲を演奏しなくちゃならなかったんだろう、と一度でも不思議に思ったことのあるひとは、これを聴くともしかするとその疑問が氷解するかもしれない、というかむしろ、このへんのカヴァー曲の圧倒的な凡庸さこそが、逆に彼らの新しさを(逆に)示していたのか、とも思うけれど、長くなるので、このへんでやめにします。 
(V.A. / Trad Mad! The PYE Trad-Jazz Anthology 1956-1963)

③ Very cuteなAMERICAのJazz Singerですっ!!! Big bandをbackに、swingしてくれています。とはいっても、そんなにpunchの聞いた感じじゃなくて、すっごくsweet & cute。「sentimental Journey」のやる気のないscatとか、「タンピコ」のLatin percussionとか、それだけでもうknock out! Billy HolidayとBlossom Dearieが婚前一体になったみたいって言えばいいのカナ? みなさんどう思いますか? タイトルの《Like Yesterday》っていうのも、なんかmoodyでRomanticじゃないですか? 初恋を思い出しそうですよネ! なんでも、ここで歌われているのはtwentiesやthirtiesのJazz Ageの“hit songs”ばかりなんだそうです。New Jersey生まれのBeverlyは、High Schoolを出たくらいの年からBig Bandで歌ったりしていたそうですが、Comboで歌うほうが好きだったとか。George Shearingといっしょにやっていたみたいです。ここで聴けるようなGorjasなsoundもいいんですケド、ぐっと違ったimageのBeverly、見たかったー。dressなんか着てなくていいから、どこか場末のBarみたいなとこで、pianoとのduoとか……とにかくgooです。今まで聴いたどんなsingerより、気に入っちゃいました。去年の私のMy Favorite Singer! だまされたと思って、聴いてください。あ、ほんとにだまされた!って思っても、保険はできませんよ(笑)。
(Beverly Kenny / Like Yesterday)

④ 昔のイタリア映画とか日本映画とかを見ていると、現に見ている個々の映画の背後に、イタリア映画なり日本映画なりの巨大な実体が立ち上がってくるのが見える気がするときがあります。同じように、04年の後半から05年の頭にかけて相次いで揃えた、サックスのドン・レンデルとトランペットのイアン・カーによるこの双頭コンボの作品群も、60年代のジャズとしてたいへん充実した達成であるというだけでなく、英国のジャズを聴いているのだなあという気分がしみじみとしてきます。おそらく、合州国のジャズとは違って、ルーティーン的にブルーズが演奏されていないからでしょう。もっとも、英国の白人にだって、ブルーズを垂れ流して事足れりとしていたひとたちはたくさんいたはずなので、なんの説明にもならないのかもしれませんが。

ロックの風にあおられながらも倒れず、フリーを気にしつつもそれにおぼれることなく、決して開き直らず、ヒューモアを忘れず、内にこもらず、かくも美しく、モダン・ジャズを奏でていたこのグループは、もっともっと特筆されてよいと思います。64年から69年の間に彼らが残したアルバムは全部で5枚で、現在すべてCDで入手可能。ふたりのリーダーはもちろんのこと、ピアノのマイケル・ガーリックの名前は、覚えておいて損はないです。
(The Don Rendell/Ian Carr Quintet / Live)

⑤ YMOには以前からほとんど興味がなかったけれど、CMタレントの細野晴臣は好きだった。ついでにいえば自分内での順列は、昔も今も、細野>高橋>坂本。おそらく、音楽におけるヒューモアの定義と、その重要性についての認識が変わらない限り、この順位が動くことはないはず。

この『はらいそ』、沖縄民謡あり、レゲエあり、テクノ・ガムランあり、ワールド・ミュージックの幕の内弁当。なんのルーツも持たない東京人ならではの音楽ではあるけれど、根も葉もないところに幹が伸び、葉が茂り、豊かな果実が育ち、火のないところに煙が立ち、肩の向こうでは山が燃え、そんなこともあるもんだ、なにがあってももういい、と深く納得させてくれる1枚。頭と楽器とによって考え続けることによってのみ作りえた音楽。ついでにいえば、彼の低い声には、論理を超えた説得力があると思う。

05年、このアルバムを聴いたり、狭山のハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルに遊びに行ったりして感じたのは、あれ、オレはそんなに細野が好きだったのか、ということなのだけど、ところでわたしは、野外フェスには客として行ったのであって“参加”や“参戦”しているつもりなど毛頭ないので、念のため。

⑥ そのハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルでは、日本のロックの創成期からの大御所たちが、単なるノスタルジーにとどまらず、彼らの現在の音楽を奏でてくれていたのがなにより感動的で、その例に違わず、生バンドを率いて登場した細野も、『ホソノ・ハウス』からのナンバーにまじえて、スケッチ・ショウの曲も披露してくれていた。

狭山は、ほかならぬホソノ・ハウスがあった、いわばゆかりの地。この日のMCでは、「恋は桃色」の♪ここは前に来た道/川沿いの道♪という一節のその「川」が、ほかならぬ入間川だったという、衝撃的で、しかしよく考えれば当たり前かもしれない事実が知らされたわけだけど、個人的には、楽器編成はすべて生音なのに、曲の構造としてはアンビエント風で、しかも歌ものであるあの知らない曲のことが、その後の数日、ずっとひっかかっていた。

結局それは、スケッチ・ショウのセカンドに入っている「ステラ」だったが、とりあえず買ったのは、ファーストの『オーディオ・スポンジ』。理由は、中古で高くなく売られていたから。聴いてみて感じたのは、あれ、細野はそんなにファンクが好きだったのか、ということなのだけど、ところで昔、クラフトワークが、「コンピューターは、ファンキーだ!」と言っていて、その当時は、黒人音楽なんて自分とはなんの関係もないものだと思っていたから(無知とはおそろしい……)、その発言も冗談にしか聞こえなかったりした。

このアルバム、ファンクを漂白したらテクノになっちゃったみたいな曲と、ザ・サークルのカヴァーとが同居していたりして、たいへん散漫な感じがポップで気持ちいいです。これもまた、音楽にいかにヒューモアが大事かということを教えてくれます。

しつっこく狭山の話に戻すならば、帰り、西武線に乗っていたら、電車が小手指に着く直前、すでに減速を始めたあたりで、宇内さんが急に、「うちの実家に寄っていきませんか」と言い出した。許されたシンキング・タイムは、約30秒。結局、おもしろそうという理由で、数時間豪雨に打たれた薄汚い格好でずうずうしくもお邪魔してご飯をごちそうになった(献立は失念)。

雨はやんでいたのでヴィニール傘は宇内家の玄関に吐き捨てるように置き去りにしてきたところ、自宅の最寄り駅に着いたら、またもや豪雨。なんだか、あの日を境に、それまで頭の中に抱えていた、「これはこうじゃなくちゃいけない」というあれやこれやが、少しずつ粉砕され始めてきたような気さえするのだ。それは別に、音楽の力でもなんでもない。

⑦ マジメに書きます。よく、コール・ポーターやアーヴィング・バーリンやジョージ・ガーシュウィンなんかの曲のことをスタンダード・ナンバーとかいって、日本人が英語で歌っていたりしますが、あれ、おかしくないですか。いや、別に曲自体はおかしくないんですが、それがそのまま日本の聴き手にとって「標準的な曲」として通用すると無条件で思っているとしたら、やっぱりおかしい。「いい曲だから」っていうのは、言い訳にならないはずです。

ここで水森亜土が歌っているのは、「すきすきソング」(「ひみつのアッコちゃん」のテーマ)だとか「クラリネットをこわしちゃった」だとか「南の島のハメハメハ大王」だとか「チキチキバンバン」(ルナルナティキティキではありません)だとか「おべんとうばこのうた」だとか、ジャズの素材として採り上げられることが稀な曲ばかり。なのですが、こうした、(少なくともわたしたちの世代なら)誰でも知っているような曲ではスウィングできないというなら、いったいなんのためのジャズの勉強か、と思ってしまいます。

わたしの考えるジャズとは、音楽のジャンルであるだけではなく、世界をどう見るかという方法でもありますから、つまり、映画や小説やロックンロールや恋愛と一緒です。とはいえ、ここでの水森は、ここ100年にわたって蓄積されてきた一般的な基準に照らし合わせても、良くスウィングしていて、つまりは、非の打ち所のないジャズ・ヴォーカルといっていいのでは。

ついでに言うと、プロデュースは小西康陽。そう書くとそれだけで敬遠するひとがいますが、まったく意味が分かりません。音楽は感覚的なもので、いい音楽を作るためには知識と理論は不要、という幻想は、いいかげん滅びてほしいものです。このへんのことは、そのうちに出るかもしれない本誌の90年代特集号で、詳しく書かれることになるでしょう。

⑧ ひとりがうまいこと当てると、同傾向のひとたちが次々に涌いて出る、そんな現象は洋の東西を問わずよく見られて、それにうんざりしてみせたり、オリジナリティの欠如をうんぬんしてみたりするひとがいたりしますが、わたしは商業芸術におけるオリジナリティをさほど重視しないので、そのへんは別に気になりません。というかむしろ、あなたが何を思いついたとしても、その99.9%はすでにほかのひとが思いつき、あなたよりも上手にやってしまっているのですから、あなた自身があえてそれを稚拙に縮小再生産するよりか、パクりあって、いいところは利用しあって、お互い高めあって、全体のレヴェルを底上げするほうが、オリジナルであろうとすることの呪縛に汲々とするよりも、よっぽど世界と芸術とを豊かにするはず。

また、あるひとの成功を待ち構えていたかのように即座に2番手、3番手を繰り出すにしても、それなりの準備が必要なので、むしろ、“最初”に出てきたように見えたひとは、真のオリジネイターというよりは、単なる、蓄積していた潜在的エネルギーの突破口!(ウォルター・マッソーさん、安らかにお眠りください)に過ぎないことが多いのでは、と感じます。

マデリン・ペルーについての文章をこんな前置きで始めると、ああ、ノラ・ジョーンズのことか、と勝手に納得されてしまうかもしれませんが、その早合点は、“男性版ノラ・ジョーンズ”なる形容が笑っちゃうくらいにぴったりなエイモス・リー(そこそこ良いです)の話をするときまで、あなたの小さな(ひとによっては大きな)胸の中に収めておいてください。

ノラ・ジョーンズよりもむしろビリー・ホリデイのほうにはるかに似ていて、かつ、滝川クリステル的な妙な色気を持ち、同時に19世紀末ヴィーン的な倦怠を身にまとうマデリンは、すでに90年代にデビューしていましたが、癒し系ジャズ・ヴォーカルの市場がノラ・ジョーンズによって開拓されなかったなら、まさか消え去りはしないにせよ、マニアックな地位にとどまってしまい、森山のところまで届くことはなかったかも。そういう意味でノラに感謝します。

さて、このアルバムにキャッチフレーズをつけるならば、「現代のビリー・ホリデイが歌うコンテムポラリー・ソングス」、または、「起きながら聴く子守唄」とでもなるでしょうか。レナード・コーエン、エリオット・スミスらの曲を採り上げている中で、ひときわ輝いているのがボブ・ディランの「ユーアー・ゴナ・メイク・ミー・ロンサム・ホウェン・ユー・ゴー」。たぶん、これ、21世紀になってから録音されたディランのカヴァーの中でも、最上級のものに入るはずです。

アルバム全体を通してよく聴きましたが、ことにこのディラン・カヴァーには大いに刺激を受け、ひさしぶりにディランをあれこれ聴き返したり(例のブートレッグ・シリーズの盛り上がりとも連動して)、あげくの果てにはディランの歌詞の試訳まで始めてしまいました。05年、もっとも影響を受けたアルバムの1枚。影響を受けた、なんていうと、お前はミュージシャンかよっ!とツッコミが入りますかね? でも、ある音楽を聴いて、世界に対する態度が変わることは、その言葉でしか表現しようがないのです。  
(Madeleine Peyroux / Careless Love)

このアンケートのその2(Dの途中~Eの途中)を読む

このアンケートのその3(Eの途中~G)を読む
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by soundofmusic | 2006-01-01 02:28 | アンケート2005-2006 | Comments(0)

アンケート2005-2006 23


①(-_-)zzz 
②1971/8/30 
③禁ギャンブル中(パチスロ除く)

 
2005は色々なことについて深く考えた年でした。

韓国、中国等のアジア諸国の中の一国としての日本について、そしてその中の、一日本人としてあまりにも諸外国との歴史や関係について無知であったこと、その他諸々・・・
そして、自分の衰え行く体力、思考能力、等々・・・
いろいろと考えた結果、何一つ結論は出ていないので、忘れなければ今年も引き続き考える・・・、かな?

2006は2度以上会っている人に「はじめまして」と言わないような1年にしたい・・・


CD 50枚程度


・松戸ロックス / WEST COAST DAMN IT!!
http://www.matsudo-rocks.com/
音源もライブも非常にクオリティの高いバンド、ひとつだけ難点があるとすれば、正式ギタリスト不在でサポートで補っているところかな。
音としては西海岸系さわやかパンクで英詩(英語はかなり上手い!)。洋楽テイストなだけに普段、対バンしているバンドの客に受け入れられづらいのがもったいない、今後は新しい環境を見つけて活躍してほしい。
ライブパフォーマンスは必見です!!
1stがminiアルバムなので早くフル音源を聞きたいところ、DONNIさん待ってます!

・THE STAR CLUB / BREACH OF THE PEACE
http://www.thestarclub.com
良くも悪くもいつも通りといった感じ。
初回限定盤のライブDVD付を転売目的で2枚購入したが、いまだに初回限定盤が置いてある店を見かける・・・。プレミアはつかないのか??
初めて聞いたときに受けた衝撃をもう一度与えてくれるようなアルバムの登場を待つばかりです・・・。次回作に期待!!

・鐵槌 / 日本狼
・壬生狼 / SKINHEAD ANTHEM
・R.I.P / PRIDE & HONOR
前述の「日本人として・・・」と考えるきっかけとなった音楽。
鐵槌、壬生狼が出演するイベントを見る機会があり、そこでかなりの衝撃を受けた。いわゆる右よりな方たちの音楽ではあるが、昨年、色々と会った諸外国との問題(竹島、靖国参拝、靖国参拝によって発生した中国での日本関連施設襲撃,etc...)発生時に自分なりのオピニオンを全く持っていなかった。勿論これらの問題には歴史があり、双方の言い分もあるので簡単に片付けられる問題ではないのだが、現地の若者達が自分たちなりの歴史認識の基で発言している状況を見て、日本人の無関心さを痛感した。
周りの友人達で多いのは、愛国心があるからサッカー日本代表を応援する、オリンピックで日本人選手を応援する・・・。それが愛国心??
日韓友好にしても、韓国人は過去の日本との歴史を踏まえたうえで行っている方がほとんどであるのに対し、日本人は・・・、
(全ての日本人が、歴史問題について無関心というわけではありません)
まぁ、そんな感じで島国日本ではなく、国際社会の中の日本であることを認識して考えようと感じた2005でした。
音楽について全く触れていなかったのですが、非常によいです。ぜひ機会があったら聞いてみてください。

・FORT MINOR / THE RISING TIED
なんとなくHMVで視聴をしたら、気に入ってしまい、即購入。
後で、LINKIN PARKのMIKE SHINODAのユニットであることを知る。本人曰く、オーガニックなヒップホップ。たしかに最近のヒップホップにありがちな機械的な音ではなく、人間的な暖かさを感じる。
9曲目の「KENJI」は戦時中のアメリカでの日系人の強制収容について歌われているが、これもまた深く考えたうちのひとつでした。
購入から3ヶ月たってもいまだにヘビーローテーションのひとつ。ここ何年かの間に購入したアルバムの中で一番のお気に入りかもしれない。

・JAY-Z/LINKIN PARK / COLLISION COURSE
通常と順序が逆になるが、FORT MINOR購入後にゲット。こちらを聞いて初めてLINKIN PARKがどんなバンドかを知った。この時点ではJAY-ZとLINKIN PARKどちらのオリジナルも聞いたことがなかったので、どういった感じで双方の曲がMIXされていたのか全くわからず・・・。昔に聞いたPUBLIC ENEMYとANTHRAXのBRING THA NOIZEを思い出した。

・LINKIN PARK / METEORA
・LINKIN PARK / HYBRID THEORY
最終的に上記のアルバムの原曲が収録されているアルバムを購入。しかし自分にとってはFORT MINORのインパクトを超えず・・・。
MIKEにはFORT MINORでの活動をメインに・・・、と思ってしまう。


1位 鰤のアラ
2位 豚バラ
3位 鶏肉モモ
4位 マグロのアラ
5位 イカ
以上、大根と一緒に煮て美味しかったランキング


1971 BORN
1984-1985 BRITISH POP(CULTURE CLUB,DURAN DURAN,etc…)
1985-1987 RAP (RUN D.M.C, L.L.COOL.J,etc…)
1988-1990 HARD ROCK,HEAVY METAL (IRON MAIDEN,JUDAS PRIEST,etc…)
1990-1993 GANGSTA RAP(DR DRE,SNOOP DOGG,etc…)
1993-PRESENT PUNK(THE STAR CLUB,RYDERS,KOOL RODZ,etc…)
以上、一貫性の無い音楽遍歴でした。
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by soundofmusic | 2006-01-01 02:23 | アンケート2005-2006 | Comments(0)