<   2005年 04月 ( 14 )   > この月の画像一覧

カラオケ部

最近は仕事帰りに飲みに行ったり、飲みに行ったり、飲みに行ったりしてます。
それから、だいたいカラオケに。何しろ、カラオケ部の部長になっちやったので。部長になったからには、新曲とか覚えなくちゃだし、とにかく年取ったので若い人についていくだけでも大変です。
ついていかなくてもいいんだけど、なんかそういう感じになってきちゃって。
あ~、遊んでばかりかと思われると困るのですけど、仕事もしっかり忙しいです。
まぁ、当たり前ですけど。
そんなわけで、今日は久しぶりに家にいて、衣替えしてました。当然まだ、途中。やる気はあるけど眠くなっちゃう。あったかいし。そして、もう夜。1日は早い。
5月の課題曲はラブサイケデリコ。難しすぎ。カラオケ部の課題は仕事より難しいかも。こんな感じで日々きたえてます。

(たひら)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-29 23:13 | たひらの日記 | Comments(0)

NIPPON NO ROCK SINGER

東銀座のB級館、シネパトスにひさびさに足を運び、神代辰巳の「嗚呼!女たち猥歌」を鑑賞。ここのレイト・ショウにはかつてさんざん世話になりまして、東銀座で夜勤の仕事をしていた時分には、仕事の前に京橋のフィルムセンターとかシネパトスのレイトとか、あるいは両方をハシゴ見してから出勤、といったことを非常にしばしばおこなっておりました。

やむなく転職するハメになり、東銀座から離れるにあたっていちばん名残り惜しかったのがシネパトスのレイトに行きづらくなるということ。しかし、ちょうどそれと前後して、レイトをあまりやらなくなり、そんならそれでまあいいか、と思いつつも、ちょっと残念に感じていたのもたしかなのでした。なにしろ、安田道代特集なんてやってくれる映画館、現在の東京には(と、いうことは、地球上のどの都市にも)あんまりなさそうですから。

* * *

神代のこの映画、以前TVで見て、たいへん強い印象を受けていた1本。内田裕也(元東京都知事)演じるロック・シンガー、ジョニーと、マネージャーの安岡力也(元ホタテマン)、そして、(ロマンポルノなので当然)女たちが織り成すあれやこれや。この、女どうしの関係性にも非常に興味をひかれてしまうのです。

日本においてロックはそもそも本当に可能なのか? ということについて考えるとき、この映画を避けて通ることはできないはずです。ジョニーが非ロック的な状況にぶちあたるたび、ジョンとヨーコが表紙の「ローリング・ストーン」誌がちらっ、ちらっと挿入されます。そう、まるでみうらじゅんの「アイデン&ティティ」のディランのように。というか、その続編であるところの「マリッジ」でのジョンとヨーコのように。

ここでのジョニーは、ロマンポルノだからなのか、内田裕也のキャラクターなのか、みうらじゅんの描く中島ほどには物を考えぬようで、脳味噌の大半は女をコマすことで占められている。で、残りがロック。

草の根的なキャンペーン。レコード屋の店頭で、鼻から薬物を吸入しつつ、誰も聴く者のない歌をうたうジョニー。スナックでの営業、8トラのカラオケをバックに自作を披露しているところに飛ばされる野次。「与作を歌え!」。切ない。切ないのは、日本人がロックをやろうとするからだろうか。外人ならオッケーなのか。

* * *

ついこの間、烏賀陽弘道「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業」なる本を読んだ。Jポップの産業としての構造を分析した、たいへん示唆に富む1冊。この中に、英語で歌われるJポップについて触れられた部分がある。そこには、ネイティヴには意味不明で、また、英語を解さない日本の聴き手にも意味を持たず、そもそも日本国外で消費されることもない英詞のJポップは、単に、日本のポピュラー音楽が英米のものと肩を並べることのできるものだ、という消費者の幻想を支えるシステムに過ぎない、といったような意味の指摘がある。

筆者は朝日の記者だったひとで、いかにもそうした経歴を持つひとらしく(これは森山の偏見)、Jポップの海外との交流についてはかなり過小評価しているように思える。ただ、セールス面でいえばウタダもパフィもピチカートも、ほとんど海外ではゴミみたいなものだろうけど。ピチカートは、日本より海外での売上合計のほうが多かったとも聞くが、それはまあ、「海外で売れた」というよりか、「日本で売れなかった」のだろう。

* * *

例によって話が長くなりそうなので、元に戻します。

神代の映画のジョニーについていえば、日本人のロックうんぬん以前に、女グセの悪さが問題だ、と言えなくもないが、唐突に思い出したのが、ジャームッシュの「ゴースト・ドッグ」。

「葉隠」を座右の書としつつ、ヒップホップを愛好する黒人の殺し屋を描いた映画。森山はこの映画、および、この映画を作るにあたってのジャームッシュの態度を全面的に支持します。しかし、いるんだよね、浅薄な東洋趣味、などと切って捨てて埋める輩が。

たしかに、日本人として、いささかのむずがゆさを覚えないではない映画。ただし、それを乗り越える真摯さとユーモア、そしてなにより、異文化へのリスペクトがある。このジャームッシュ的なものを全否定するのなら、日本のロックなんて、そもそも成り立たないはず。

つまり、「対自核」ならぬ「対自痒」、自分のむずがゆさを見つめろ、と言っているのがここでのユーヤさんであり、神代監督なのではないかな。

撮影は山崎善弘、編集は鈴木晄。いずれも、リンク先を参照いただたければ一目瞭然、堂々たる職歴。70年代以降、こうした形で人間が踏みとどまってきた映画会社はほぼ日活だけだったことに注目されたい。

また、冒頭では新宿ロフト(もちろん、西新宿)でのアナーキーの演奏シーンが見られる。「タレントロボット」(発禁になって、当時は音盤化されていなかった曲ではないか?未確認ですが)がほぼフル・コーラス聴けるので、そうした意味でも、むやみに貴重です。必見!必見!

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-27 14:14 | 日記 | Comments(0)

東京-ニューヨーク

土曜日、新高円寺の小さな店、スタックス・フレッドに、轟渚と夕映えカルテットを聴きに行きました。前回、渚さんのライヴを見たのは4年くらい前になるのかな、そのときはイカしたエレキ・ベーシストで、名前もたぶんまだ若松渚だったわけだけど、ひさしぶりに再会したステージ上の彼女は、凛々しいヴォーカリストにすっかり変身していたのでした。

一部では名盤と呼ばれているに違いないデモCDに収録のオリジナル3曲と、スタンダード・ナンバーが3曲(「ボルティモア・オリオール」、「ユード・ビー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「ア・ナイチンゲール・サング・イン・バークリー・スクウェア」)。

オリジナル曲「しろいくも」は、CDで初めて聴いたとき、どうしてか分からないけど、童謡みたいだな、と感じた曲。土曜日のライヴでは、ゲストで加わったという多田葉子のサックスとクラリネットが素晴らしく、一気に目の前に夕焼けが広がってきて、わけもなく郷愁をそそられる。どういう由来でつけられたのか知らないけれど、夕映えカルテットとはまさにどんぴしゃりのバンド名だなと思った。

轟渚の次のライヴは、5月29日(日)、エッジエンドにて。手前味噌ながら、PPFNPのゲストとして、ジャズ・ベーシストの鉄井孝司さんとのデュオで出演します。ぜひ、目撃しに来てくださいな。

* * *

日曜日は飯田橋の東京大神宮で結婚式。神前式は雅楽の生演奏つき。ちょっとだけ演奏している様子も見ることができた。

太鼓系や笛系はなんとなくふだん見知っている楽器から類推が利くけれど、笙はおもしろいね。音も奏法も、想定の範囲外。リード楽器だろう、くらいは見当がついたけれど。

笙についての情報

披露宴は森山の兄弟でBGMの選曲をおこなった。鏡開きが雪村いづみ、両親への花束贈呈がカエターノ・ヴェローゾ、新郎新婦の退場がクール&ザ・ギャング、といった具合。手前味噌ながら、なかなか愉快なパーティになった。

いちばん笑ったのは、新婦のお父上のあいさつ。新郎を初めて紹介された日のことについて、「ゴルフ帰りで疲れていたのでしょうか、娘の配偶者にふさわしいのはこのひとしかいない、などとついうっかり思ってしまった……」と振り返る。こういう話はなかなか聞けない(と思う)。

* * *

帰り、ぶらぶら歩いて神保町のディスクユニオンへ。ついうっかり7、8枚買ってしまう。

ジョージ・ラッセルの『ニューヨーク、N.Y.』が収穫。よくディスク・ガイドにも載っている、モダン・ジャズの基本的名盤の1枚。うーん、あだやおろそかにはできない。たぶん、帯の売り文句をつけるとしたら、「鬼才がジャズの都、ニューヨークを描き切った一大叙事詩!」とかなんとかなるんだろうが(感覚が古いね、しかし)、ジョン・ヘンドリックスがめちゃくちゃカッコイイのです。

クレジットは「ナレーター」となっていて、曲の始まりに語りを入れる。そのおそるべきスピード感、ほとんどラップです。ほぼ半世紀前の録音。ヒップなやつはいつまでもヒップであり続けるし、逆もまた然り。

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-26 01:18 | 日記 | Comments(0)

新人歓迎会

なんだか毎日忙しくて、あぁ忙しいとか言ってるうちに全てが終わってしまいそうで、嫌な気持ちでいっぱいな4月です。
自分の生活は、やらなくちゃいけないことをなんとなく先延ばしにしていますが、会社のほうは絶対にそんなわけにはいかないので、あっとう間にいろいろなことが過ぎていきます。
というわけで、金曜日は新人歓迎会だったわけですが、ほんとに毎年早いなぁ。
最近は何故か若い人たちになつかれて、会社の集いも楽しくなりつつあります。数年前は同期がほとんどいなくて、飲み会行っても浮いちゃうなぁって思ってたのに、今は年が離れ過ぎてるせいか?付き合いやすい。
まぁとにかく、会社も楽しいほうがいいので、若い人がたくさん増えたなんだかわからない今の状態はわりとおもしろいです。
もうそろそろ、自分の娘くらいの年の差になってきてるし。いないけど。いたら、そんな感じかなぁって。
そんなわけで、うちの部署は新人いないけど、それでも春って感じです。

(たひら)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-24 23:35 | たひらの日記 | Comments(0)

完結?シン・リジィ、またはジム・ジャームッシュとウディ・アレンの発明

d0000025_17184832.jpgさあ、いよいよシン・リジィを探る旅も終わりに近づいてきました(え、もう?)。そうです、アーニー・グレアムがシン・リジィをカヴァーしたシングル、「ロミオ」を入手。労働者然としたジャケット写真が素晴らしい。これ、某店では、クボタタケシもセレクト!とかで3280円の値がついてましたが、もちっと安く買えるはず。冷静になりましょう。なにしろ2曲入りですから。ちなみに私はカリフォルニアから空輸しましたが。

シン・リジィのオリジナルは、パワー・ポップと呼べば呼べないことはない、でもやっぱりどこかもっさい、愛すべき曲。対して、グレアムのヴァージョンは、からっとして軽快で、でもやっぱり曇天を思わせる。たとえるなら、シン・リジィのはぬれせんべい、グレアムのは少しだけ湿気たせんべい、といったところかな。

71年のソロ・アルバムのあと、別にグレアムはフテ寝を決め込んでいたわけではない。プログレッシヴなパブ・ロック・バンド、ヘルプ・ユアセルフに一時期加入していたし、70年代半ばにはファンキー・ロック・バンド、クランシーに参加して2枚のアルバムを残している。どちらも、ソロ作の世界を期待して聴くとずっこけるけど、それなりの佳作ではあります。

で、この78年にこのシングルでスティッフから再デビュー。この時期にこのレーベルから、コステロやニック・ロウやグレアム・パーカーにも通じるこの音、まったくの不評だったとは考えにくい。当然、アルバムも構想されていたんじゃないか、もし完成すれば名盤がもう1枚できたんじゃないか、と思うが、今となっては確かめるすべもない。返す返すも惜しいこと。

さて、どうしてシン・リジィのカヴァー? 聞くところによると、伊藤政則(漢字、合ってる?)はシン・リジィのフィル・リノットに言及するとき、「数冊の詩集を出している詩人でもある」と付け加えるのを忘れないそうだ。グレアムもリノット同様、アイルランドの出身。故郷の詩人へのリスペクトなのか、いかにもパブ・ロックらしい内輪向けのジョークなのか。

* * *

ジム・ジャームッシュ「コーヒー&シガレッツ」とウディ・アレン「さよなら、さよならハリウッド」を鑑賞。

ジャームッシュは、ふたりか3人がだらだらとコーヒーとタバコをのみながら話をする短篇を10ばかり集めたもの。最初のうちは「間(ま)」だけで撮ってしまったようなスケッチが続き、まあたしかにその「間」こそがジャームッシュのいちばんの魅力であることは確かだとしても、だいじょうぶかいなこりゃ、と少々心配しつつ、それでも、楽しんでいた。途中からさすがにエンジンがかかってくる。

今回のアンケートでジェニファーが書いてくれたとおり、アルフレッド・モリーナ=スティーヴ・クーガン、イギー・ポップ=トム・ウェイツ、RZA=GZA=ビル・マーレイ、この3つのエピソードは文句なしに面白い。ビル・マーレーは実に見事。

ほかにも、ホワイト・ストライプスのふたりが出ていたりして、シネセゾン渋谷についうっかり行ってしまうようなサブカル好きのあなたにはたまらないのでは。今年のベストには入らないだろうけど、見ておいて損はない。モノクロの画面も、複数のカメラマンが起用されている割には統一感があって、クールだと感じました。

* * *

ウディ・アレン。日本には3年ぶりの登場だとかで、宣伝ではやたらとひさしぶり感を強調している。たぶん、今でも年1本は撮っているはずで、でもそのままのペースで日本に来るわけではもちろんないから、何年か前には1年に3本も公開されたこともあって、公開されればとりあえず見るぼくのような人間にはそれはそれでありがたいにしても、きっと一般的には、「気がつくといつのまにか、毎回同じような新作が公開されている、あまりありがたみのない監督」という扱いになっているのかも知れず、それを打開すべく、今回のチラシの裏面には、ウディ・アレンがどれくらいすごい監督かについての基本的な知識がきちんと書いてある。

彼の映画には、目をみはる映像や、凝りまくったカメラワークはない。ただ、一瞬たりとも観客に不審な念を抱かせない、的確な画面があるだけ。ソール・バスのそれのようなオシャレなタイトル・バックもなければ、DJが血眼になって探すような類の音楽もない。ただ、人間がうろうろしている。うろうろする方法が、毎回少しずつ違うだけ。

昨秋、まだ日本公開されていない「Anything Else」を、飛行機の中で見た。英語版だったので、早口のセリフは聞き取れないのだが、アレンの身振り手振りがおかしいの、なんの。うーん、たいしたコメディアンだ、と感じ入った。それまで、アレンの本領はそのセリフのおもしろさにあるのだとずっと思っていたけれど、ぼくは「Anything Else」体験以来、それを少しばかり疑うようになっている。

で、「Anything Else」もこの「さよなら、さよならハリウッド」も、ニューヨークを舞台にウディ・アレン自身が右往左往する。悪者を殴り倒したり、火の海の中に飛び込んだり、カーチェイスを展開したり、は決してしないけれども、できる範囲において必死で体を張っている。たいしたアクション俳優!

今年で70歳、さすがにいいおじいちゃんになったせいか、ラストとか、息子との和解とか、ちょっとぬるい気もしますが、彼の作品のファンなら、足を運んで失望することはないでしょう。ま、この、“彼の作品のファン”というのが、ちょっと、その、厄介なアレではあるのでしょうけどね。衝撃のラストを見る限り、アレンさん、自分の固定客がどこにいるのかはよーくご存知のようだ。

* * *

ジャームッシュもアレンも、大量の爆薬や、CGや、大掛かりなセットや、高名なスターの織り成す恋物語や……といったところとはまったく別の次元での映画のおもしろみを模索しつづけているわけで、新しい技術はないけれども、とくにジャームッシュの映画は、これは一種の発明といえなくもない。

“おもしろさ”というものが、どこかに、固形物として目に見える形で存在しているわけではないので、爆薬だろうがUFOだろうが宇宙人だろうが、なんだってかまわないのだけど、たとえば一度ジャームッシュをおもしろいと感じてしまうと、むしろ「タイタニック」や「ボディガード」は難解な映画に見えはしないだろうか? 困ったことに。

* * *

ところで、このブログのいちばんてっぺん、「ようこそ」の欄に新コーナー「最近のおことば」を追加しました。殺風景な部屋に花を飾るように、気が向いたときに取り替えてみることにします。

さて、今回の北中正和のおことばは、今読んでいる、「ギターは日本の歌をどう変えたか」(平凡社新書)から。まだ途中までしか進んでいないけれども、この本からどこか一か所だけ引用しろと言われたら、多くの人がここを選ぶのではないか、と思える一節。

これはギターの生成と発展に関して書かれたものですが、最近では、分類の法則にしたがって現実が生起されるようなケースもなくはないよなあ、と感じています。

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-22 17:18 | 日記 | Comments(2)

メローな東京の週末、または、眺めのいい部屋、あるいは、チャージの取れる部屋

前回書いた「日本フリージャズ史」、読み終えました。前衛であることの栄光と孤独。なぜフリージャズに惹かれるようになったかなどという繰言はいっさいないかわり、著者がフリージャズに寄せる圧倒的・全面的な信頼がビシバシ伝わってくる。これ、いい本です。

名前を知っているミュージシャン、知らなかったミュージシャン、それぞれに興味深いエピソードが満載。いちばん面白かったのは、サクソフォニスト、井上敬三に関するくだり。このひとは、広島の大学で教鞭をとりながら、中央とはまったく接点を持たず、ただひたすらにアイラーやオーネットのレコードだけを共演相手に、自宅で演奏を続けていたのだという。

それが、70年代半ば、忽然とシーンに姿をあらわす。このとき、すでに50歳を超えていたのだから、愉快な話じゃないか。日本のフリージャズ界の第一世代でも40歳そこそこ、という時代のこと。

バッド・パウエルとほぼ同世代のこの爺さんが今、どんな演奏をしているのか、非常に気になったのだが、読み進めていくうちに、数年前に亡くなっていることが判明。残念。

せっかくなので、熱が冷めないうちに、日本のフリージャズに接してみたいと思う。とりあえずは、明日、池袋のディスクユニオンで中古盤を物色してみることにしよう。

* * *

日本のカエターノ・ヴェローゾ、高田渡の冥福を祈る。

何度か見たことがあるような気がしていたのに、どうやら、ライヴを見たのは一度だけだったらしい。そのときは、ギターを弾きながら足で床を叩くリズムがあまりにも天衣無縫、ギターの奏でるリズムとほとんど関連性がないため、共演の佐久間順平(元・林亭)が若干、困惑気味なのがおかしかった。

昨年、NHK教育で放送されたドキュメンタリー「『フォーク』であること」は、前にも書いたけれども、見ごたえがあった。(なぜか)高石ともやと高田渡に焦点をあてていて、その対照的な歩みには、フォークというものの度量の広さを思い知らされた。

重圧から、10年以上に及ぶ山村での隠遁生活を余儀なくされ(とは本人は思っていないだろうが)、昨今はマラソン・ランナーとしても高名な高石。一方、高田は、言わずと知れた高名な呑んだくれであり、天地がひっくり返ってもマラソンなんかとは縁がなさそうだ。

そのドキュメンタリー中で、高田の沖縄ツアーの様子が採り上げられていた。会場は公民館か幼稚園のような場所。高田が客席の間をのんびりと登場すると、客が彼の曲「自転車に乗って」を歌って出迎えてくれるのだ。ライヴが始まる前から客を合唱させてしまうミュージシャン、そんなに多くないのでは。

昨年はタナダユキ監督によるドキュメンタリー映画「タカダワタル的」も公開された。見るつもりで見逃していた1本。4月30日から5月13日まで、吉祥寺のバウスシアターでレイト・ショウ上映されるようだ。まさか例の“爆音ロードショウ”ではないと思うが(その必要もない)、足を運びたい。

蛇足ながら、本作、尺は1時間ちょっとというところだったはず。ぼくのような遠方の人間でも、さほど遅くならずに帰れるはず。って、ほんとどうでもいいことだな。

* * *

昨日、何度かPPFNPでも回していただいているマジックさんの家に初めて遊びに行った。西池袋の新築マンションの11F。カーテンのない窓から見える夜景はまるでニューヨークだ。行ったことないけど。マイケル・フランクスのレコードがやたらと似合う、アーバンでクリスタルな部屋(注:ほめてます)。

なんというか、カルチャー・ショックだったな……。たひらさんは家に入った瞬間から興奮して写メを撮りまくり、あげくのはてにシャンパンで酔っ払ってソファーで爆睡。たいへん分かりやすい。

たひらさん曰く、「わたしは一生こういう家には住めないのかしら?」。これは切ない。切ないのだが、心を鬼にして、自分にも言い聞かせるように、「ああ、そうだよ。住めないんだよ」と笠智衆の口調で答えてあげました。

「チャージの取れる部屋」とは、やはり一緒に遊びに行った、チバさんの評。

オーディオ・システムのこと、部屋の広さと適正な物の量の関係などなど、考えさせられることはあまりにも多かった。

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-17 20:17 | 日記 | Comments(0)

場合もある

d0000025_330585.jpgまずは写真をご覧ください。ブルーノートのレコジャケと、メグミルクのカフェラテのコラボレーション、「オフ・ビート・カフェ」。なんだかまるで必然性のない組み合わせ。弟と会った際にその存在を聞きつけ、ファミリーマートとセヴン・イレヴンでは発見できず、次に行ったローソンでようやく見つけて、全4タイトルのうち、ふたつを購入。

なにしろふだんコンヴィニで買い物をすることもあまりないもので、大人向けの食玩とか、ぜんぜん買ったこともなかったのだけど、今回は見事にハメられた! うっかり、英国フォークの紙ジャケCDを買わされた気分。これ、まさか飲み終わったあとのカップを取っておくわけにもいかない。たひらさんじゃないからね。

ニッチ・ビジネス、ここに極まれり。

* * *

高橋源一郎「読むそばから忘れていっても--1983-2004 マンガ、ゲーム、ときどき小説」(平凡社)を読んだ。みんな忘れているみたいだからここで言っておくと、高橋源一郎ってのは現代の日本の最重要作家のひとりなんだぜ。90年代には文庫の広告かなんかにも出ていて、そのときのコピーが「インテリゲンチャンの夏休み」とかそんなんだった。ボクが受けた大学の入試問題で、この広告が使われていたのを思い出すよ。

さて、90年代的な昔話はたいがいにしよう。この本、おもにマンガについて書かれた文章を集めていて、もちろんそれだけじゃなく小説とか競馬とかのことも載っている。ボクは高橋源一郎の書いたものを読んで竹野雅人の本を買ったりしていたわけなので、ひさしぶりにこのひとの名前を目にして不思議な気分になったよ。今、竹野雅人はどこで何をしているのだろう?

それから、く ら も ち ふ さ こ 先 生。よく分からないまますごい、すごいと思いながら読んでいた「天然コケッコー」はやっぱりすごかったんだね。「海の天辺」を読み直したくなって本棚を見てみたら、自分じゃ持っていなかった。ひとから借りて読んだだけだったんだな。サンシャイン60が出てくることしか覚えていないや。

* * *

そして今は、副島輝人「日本フリージャズ史」(青土社)を読んでいる。尊敬している知り合い、とでも呼ぶしかないHさんから、「ひとからもらったのだけど、うちにあっても宝の持ち腐れだからあげる」と言われて送ってもらった本。めっぽう面白い。

60年代に勃興した日本のフリー・ジャズ、ニュー・ジャズを、間近で見てきたひとによる証言。たぶん、実際に聴くとなかなかすんなりとは楽しめない音楽なのだろうけど(とくに私のような保守的な耳の人間にとっては)、それをしっかと記録した本書は、情緒的すぎるかなあという感じもありつつも、それを欠点と感じさせないだけの資料的価値を持っていると思う。

たとえば、中村達也(ブランキーのではないよ)について書かれた、こんな一節。「トムトムの響きには、何故か人間を信じ切ろうとする不思議な懐かしさと優しさが秘められていた。」

どうです、リリカルでしょう。

また、修行時代の坂田明が力づけられたという、オーネット・コールマンのこんな言葉も印象的。「どんなに変なことでも、3年続ければ物になる場合もある。」最後の、“場合もある”がポイントだとは思いますけど。断言はしていないのだね。

* * *

野坂昭如の「文壇」が文春文庫に入った。内容は、もう文句なし。この文庫版は、ジャケ写がカッコイイので、ぜひ本屋で見てみてください。

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-15 03:30 | 日記 | Comments(0)

追記!シン・リジィ、または、みんなアメリカが教えてくれた

d0000025_3144160.jpg前回のジャグ・フェスについての追記。バケツ+角材+ひも、と書いたけれども、とある方からのご教示によれば、あれはウォッシュタブ・ベースと呼ばれるのだそうで、となると、本来は洗い桶を使うもののようだ。また、弦も、ワイヤーを使用するものらしい。そりゃそうか、ひもじゃ音量が出ないよね。横浜で見た限りでは、プレイするときに軍手をしていたひとが多かった。

* * *

さて、弟の家のアーニー・グレアムのCD(昔から出ていたブート)にはボーナス・トラックが追加されており、ようやく、シン・リジィのカヴァー「ロミオ・アンド・ザ・ロンリー・ガール」を聴くことができた。スティッフから出たオリジナルのシングルのリリースはたぶん、78年ごろだろうか。軽快なパワー・ポップになっていました。

スティッフといえばパブ・ロックからパンクへの橋渡し的な意味で重要なレーベル。70年代初頭に地味な佳作1枚を残したSSWが、このレーベルから、シン・リジィのカヴァーで復活したという事実、掘り返すと意外とでかい話になりそうな気もする。

* * *

スティッフ関連のアーティストでいちばんの大物といえば、エルヴィス・コステロということになりましょうか。2005年、スティングをわざわざ「ニュー・ウェイヴ・バンド、ポリスのベーシスト」などとは紹介しないように、コステロも今となってはただのコステロであって、パブ・ロックうんぬんと余計な説明をつける必要はないのかもしれない。

実はもうコステロにはあまり興味が持てなくなってきている。こういうことは突き詰めて考えると悲しくならないこともないのだが、まあともかく、ひさしぶりにコステロのことなど思い出したのは、コステロのファースト『マイ・エイム・イズ・トゥルー』で(ノー・クレジットで)バックを務めていたバンド、クローヴァーのアルバムを買ったから。

アナヴェイラブル』(入手不可能)という、なんだか自虐的で縁起でもないタイトルのこのアルバム、77年の作品。典型的なウェスト・コースト・スタイルで、初期のイーグルスを心持ちファンキーにしたようなサウンドといえばいいか。つまり、いわゆる“イギリスのアメリカ”、かなりゴキゲンなパブ・ロックなのです。

ところが、ということもないのだが、この連中、合州国の出身。メンバーにはヒューイ・ルイスもいたそうだ。どういうわけか渡英して、このアルバムをリリースした。つまり、「アメリカの“イギリスのアメリカ”」。このジャンルは非常に該当者が少ない。マーク・エリントンと、エッグズ・オーヴァー・イージーくらいかな?

イギリスにあって合州国にはないものとして、パブ・ロックとモッズがあげられるのではないか、と考えていたことがあった。どちらも、憧憬と諦念とが混ざり合った、極めて批評的な音楽(たとえ、やっている本人たちはそう思っていなかったとしても)。当のアメリカ人たちは、わざわざ自分たちの音楽をそうやって斜めから見る必要はなかったわけだ。

イーグルスのファーストがロンドン録音であったことも、あわせて考えてみないといけない。あれも言ってみれば擬似“イギリスのアメリカ”サウンドだったわけなのだから。

* * *

クローヴァーに話を戻します。オリジナル盤はヴァーティゴからのリリース。その関係でか、レーベル・メイトのグレアム・パーカーやシン・リジィとも一緒にツアーをしたこともあるのだとか。おそるべし、シン・リジィのネットワーク。シン・リジィについては、ネタが入りしだい、随時書いていくつもり。

(森山)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-13 03:14 | 日記 | Comments(2)

春です。

d0000025_0354869.jpg

会社に新入社員が入ってきました。
月末はいつも棚卸しとか、送別会とかでバタバタしてしまいますが、それでも四月になるとそれまでのことがなかったかのように、仕切り直されるみたいな感じ。
なんだか不思議です。一年ってあっという間ですね。
毎年思ってますが。
あんなに寒かったのに何事もなかったように暖かいし。
このぼんやりと暖かい感じって、なんだかちょっとうれしいです。何もないのにうれしいなんて、春ですね。

(たひら)
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-11 00:35 | たひらの日記 | Comments(0)

リズム・イズ・アワ・ビジネス

金曜日は仕事を終えて横浜へ。弟の家に泊まりに行きました。旅行、帰省以外で誰かの家に泊まったのは今世紀に入ってからほぼ初めて。なんと非社交的な。

泊まりに行ったのは、ほとんど仕事みたいなもの。とある結婚式(先日のチョロ子さんたちのとは別)のためのBGMの選曲を頼まれたので、その打ち合わせ。ところが、あと半月後だというのに、式当日の流れが決まっていないらしい。だらしない話であるだけでなく、いい迷惑。本人は反省してほしい。ぼくは適当に10曲ほど持っていったけれども、弟曰く、「この状態じゃ、選びようがない」。まったくそのとおりである。

* * *

もちろん、打ち合わせだけならはるばる横浜まで行く必要もない。翌日は、横浜西口ジャグバンドフェスティバルへ。毎年この時期、横浜西口の複数の会場でおこなわれているらしい。今回、初参戦。

行きがかり上、ここでジャグバンドの説明をする必要があるでしょうか? え、ある? そうですか。鈴木カツ先生かうちの弟にでも訊いていただいたほうが早いんですが。ジャグ(jug)とはそのまんま、ガラス瓶のこと。我々が子供のころ瓶をボーボー吹いていた、あのノリで音楽しちまおうという、極めてDIY的なもの。

……というのはいわゆる60年代の白人/中産階級/学生/フォーク・リヴァイヴァル的な解釈で、そもそもの起源は20世紀初頭あたり、貧乏な黒人たちがありあわせのもので楽器を作らなくてはいけなかったことから生まれた形式なんだと思う。ウォッシュボード(洗濯板!)やスプーンをパーカッション代わりに使ったり、金属のバケツに角材をくっつけて、そこにヒモを1本張ってベースにしたり。モノクロ写真はメンフィス・ジャグ・バンド。

野外、屋内ステージあわせて30くらいのバンドが出て、なかなか壮観。誇張でなく日本全国から集まってきている。そんなにジャグ・バンドが存在しているのも驚きなら、名前も愉快。「呑み快」とか、女の子ばかりでやっている「ツワリ」とか。どっちも見られなかったけど。

* * *

弟の同僚のオータサン(日本人。カラー写真右、バンジョーを弾いているひと)がフジサワツルマル+リョータというグループに参加して出るというので、主にそれが目当て。リーダーの藤沢はやけっぱちなエンターテイナーといった感じ。「A列車で行こう」を日本語で歌ったり、「スイカの名産地」(ひさしぶりに聴いたなぁー)をやったり。

ヘタならヘタなりに楽しいのが、ジャグ・バンドのいいところ。技量の乏しさを人数でカヴァーできる形式なのかもしれない。曲の構成もとても単純だったりするが、みんなで歌うにはそのほうが都合がいい。自然と、シリアスな表現、しかつめらしさからは遠ざかっていき、よく分からないけどなんだか楽しいぞわーい、という感じになってくる(ことも多い)。お酒なんかが好きなひとは、呑みながらだとなお楽しいはず。

もちろん、うまいバンドはびっくりするほどうまい。結局、5グループくらいしか見なかったような気もする中で、いちばんよかったのは中杉ストンパーズ。ベースがすごい。ものはほかと同じバケツ+角材+ヒモなのだけど、まるでジャズ・ベースを聴いているようなグルーヴ感。こういうほめられかた、あるいは嬉しくないのかもしれないけどね。

まあとにかくなかなか楽しい催し物でした。野外ステージは無料、屋内(サムズアップ、本多劇場)は有料だけど、大半の出演者がどっちにも出演していたようだったから、ふらっと遊びに行ってみるのも面白いと思いますよ。今度は来年。

あと。ルーツ系のシブいライヴをよくやるので名前だけは聞いていたサムズアップ、初めて行ってみて、あまりにアメリカンなたたずまいに衝撃。鬼怒川温泉の少し手前にあるテーマ・パーク、ウェスタン村を思い出してしまったよ。

* * *

もちろん、横浜まで行ってただ帰ってくるわけもなく、ジャグ・フェスの前には、関内のディスクユニオンを抜け目なくチェック。バンバンバザールなどを購入。彼らはジャグ・バンドではないけれど、テイスト的には非常に近いものを持っている気がする。ま、ジャグ・バンドなんて聞いて身を乗り出すようなあなたがたは、当然、チェック済みですよね。そういえば彼らには、サムズアップで録音したライヴ盤もあったのでした。

(森山)
d0000025_20593860.jpgd0000025_20595679.gif
[PR]
by soundofmusic | 2005-04-10 21:00 | 日記 | Comments(0)