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ぼったくられたい(まるでストーン・ローゼズのように)

先日、気になるアルバムとして紹介した、ライ・クーダーの新作『チャヴェス・ラヴィーン』、やはり傑作のようだ。各所で買え、買え、とばかりにあおってくる。勝手にあおられてるだけ、という説もあるが。

* * *

菊地成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」(メディア総合研究所)を読了。めちゃくちゃおもしろい本!

カンのいいひとなら、ここに書かれていることにはとっくに感づいていただろう。本人たちはジャズの偽史をでっちあげると息巻いているが、これが正史なんですってば。評論家専業のひとの仕事はどうしても時評が中心になりがちだから、こうした、むりやりに芯を通すような本はミュージシァンであるふたりにしか書けない。読んでいるとなかなか興奮するが、ジャズ論壇からは無視されるに違いない。

何がどこからどうやって現在になったのか、そして、これからどっちのほうに向かっていくのか、そんなこと、どうだっていいよってみんなが思っている時代には、歴史ってぇのは分が悪い。今、90年代は何もなかった、80年代にこそ宝が眠っている、なんて書かれていると、ぼくと同い年くらいのひとは「ホントかぁー?」と苦笑せざるを得ないはず。

90年代が始まってからこっち、もう15年もたっちゃったわけで、フリーソウル的な発想で歴史が解体されたっていうのは、誰でも好きなように歴史をでっちあげていいってことでもある。

とはいえ、たとえば、誰か特定のバンドなり何なりを代表格として挙げて、90年代の日本のロック史を書いてみろ、て言われたら困るね。ピチカート? フィッシュマンズ? スカパラ? グレイ? 奥田民生? ていうか、今まではどうして困らなかったのか、ってこと。不思議じゃない?

* * *

今読んでいるのは、鈴木カツ先生の「フォーキーブルースな夜」(音楽之友社)。

いつかアメリカ音楽にどっぷりはまったとき(そんな日が来るとすれば)、カツ先生の書き物にはきっと教えを請いに行くことになると思っている。だから今はまだいいや、というわけじゃないけど、カツ先生の本を読んだのは初めて。

まぁーすごいアメリカ音楽への愛だわ。その分、怒りも強い。70年代のカントゥリー・ロックをまともに評価できなかった日本のカントゥリー業界や、頭の硬いブルーグラス・ファンたちや、フレッド・ニールをB級として片付けてしまう有名評論家を、随所で斬って捨てている。

しかしカツ先生、前から思っていたことだけど、ジャズはあまり聴かないようなのだな。カツ先生が今までの芸風と知識でジャズを紹介してくれたら、面白いに違いないんだけど。アコースティック・スウィングからだったら、ほんの2、3歩でしょう?

* * *

当たり前のことを書く。あらゆる音楽に精通しているひとなんて、いないのだ。これ、おそろしいことじゃない? だからこそ、あなたや私がこうして駄文を物するスペースも世界には残されているのかもしれない。

加藤典洋が、新聞でいいことを言っていた。批評は、学問と違って、1冊しか本を読んでいなくても100冊読んだ人間に勝てる可能性のあるゲームだ、と。

PPFNPも、似たような発想に基づいている。DJという批評活動では、誰もが知っているようなレコードばかり使っても、驚かせたり楽しませたりすることができるはずだ、と。ただしこの考えは少数派らしい。新譜をどこよりも早くかけたり、レアなアナログ盤を使ったりすることだけがDJの仕事だと思っているひともいるし、逆に、知っている曲で踊ることだけが音楽の楽しみだと思っているひとも。

* * *

ところで、カツ先生は昔、築地でエニィ・オールド・タイムというロック・バーをやっていて、一度だけ、行ったことがある。どんな格好だったか忘れたが、たぶん、柄シャツ(森山が着るようなやつ)か何かだったろう。同行者がビールを注文したら「ボトルでいいですか?」と聞いてきたのにも驚いたが(普通の国産の瓶ビールが出てきた)、メニューに値段が書いてないのにはちょっとビビった(ビビるほどでもなかった)。

あとで、Nさんにその話をしたら、「なんだかぼったくりバーみたいね」と言っていた。違うんだって! カツさんはそういうひとじゃないんだって! でも、鈴木カツがぼったくりバーをやっていたら、ぼったくられに行ってみたい気もする。

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-27 20:01 | 日記 | Comments(0)

夕暮れの(たぶん)ルー・ドナルドソン

バトンの件。

すばやく答えたほうがいいだろう、とさっさと書いたけど、音楽とどんなふうにつきあってきたかを振り返るには、いい機会だったかも。人間、未来については実はそれほど想像力は働かないんじゃないか、そのかわり、過去のことはいつまででも際限なく思い出し続けることができるんじゃないか……。

これは別にバトンとは関係なく、昨日の「めざましテレビ」に出ていた華原朋美(馬に乗って登場!)を見ての感想。当時の自分を振り返って、「あの状況に置かれたら、自分のことを幸せだと思わない人はいないんじゃないかと思う」と断言。実にいい表情。

ファースト・アルバム『LOVE BRACE』は当時としてはもう、大名盤。とくに「summer visit」は、今でも覚えているひとなら誰もが、名曲と認定するはず。だからといって、あわてて買いに行ったりする必要はないけれど。

今では考えられないかもしれないけど、初期のPPFNPではこの曲もかかったことがある(!)。

* * *

ところで、子供のころの記憶。実家には60~70年代のロックやジャズのレコードがたくさんあって、などということは全然ない。たぶん森山の兄弟が後年、ロック学習癖を身につけたのは、子供のころ、そういうバタくさい音楽にほぼまったく触れなかったからだと推測できる。

保育園への送り迎えの母の車で聴いたのが、夕方のある時間、CRT栃木放送(AMラジオ)でジングルとして使われていた、インストの「オーヴァー・ザ・レインボウ」。

やけにとろりとしたアレンジのそれを聴くと、一日がゆっくりと終っていく気分になって、眠気を誘われたものだ。今でも使われているなんてことはまずないはずだけど、90年ごろまでは同じそれを聴いていた記憶がある。

あれはルー・ドナルドソンのヴァージョン(名盤『エヴリシング・アイ・プレイ・イズ・ファンキー』収録)ではなかったか、と、半年くらい前、ふと思い当たった。何年も前に買ったこのアルバム、我が家のコテコテ・コレクションの古顔だけど、初めて聴いた時にはとくに何も感じなかったし、そもそも、本当にルーさんのヴァージョンだったかも、今では確認不能。

ていうか、CRTっていうとアレ思い出しますね。そう、コレじゃなくって、アレね。

* * *

こういった話はいくらでもいじくり回せる。たとえば、「ソウル・ジャズとの出会いはまだ子供のころ。夕方のカー・レディオから流れてきたルー・ドナルドソンのサックスの響き、メルヴィン・スパークスのトレモロがぼくの体にゆっくりとしみわたっていったのだった」だとかね。そういう、文字通り劇的な自己演出はうさんくさい。極力避けるに限る。

ただ、パトンの話に戻ると、こうしたゲーム自体を否定する気になれないのは、やっぱり音楽の話は自分でするのも聞くのも好きだから。どんな音楽も聴き手なしでは意味がないことを考えると、音楽をめぐることばとは、レコードを回すターンテーブルみたいな意味を持つのじゃないかと思う。

参加しないのも、もちろん見識なんだけど、ひとの書いたものは、けっこう楽しんで読むんでしょ? だったら、自分でも書きましょうよ、ねぇ? いつも話が通じるとは限らないし、「こいつに話したってムダだ」と感じることが増えているのも事実だけど(もしかして、みなさんも?)、「話せば分かる」って、けっこう好きなことば。知り合いから「音楽の話をしませんか?」と訊かれて、断る理由は、少なくともぼくには、ひとつもなかった(その割に、適当に答えちゃったけど)。

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-24 13:56 | 日記 | Comments(0)

結婚式

6月の花嫁を祝ってきました。(^O^)
やっぱり結婚式って楽しいです。参加するたびに披露宴会場で働きたくなります。
だって、毎日ハッピーなんですから。
ああ、それにしても料理もおいしかった。いつも、ちゃんとしたもの食べてない人みたいに、人の分まで食べてしまいました。
ワインもおいしかったし。

久しぶりに地元に戻ったので、ついでに少しブラブラしたんですけど、数年離れると完全によそ者。なんだか不思議な気がしました。花嫁の友人はみんな地元に嫁いでいて、なんとなくそんなのもいいなぁ、なんて思ったりしました。
実家のほうもゆっくりしたいと思いつつ、用事がある時くらいしか帰らないし、ほんとにいつかいつかと思っているうちに、時間はどんどん過ぎているんだなぁ。なんとなく、どこかに置いていかれている気分になります。どこに置いていかれてるのか?なんでしょうね、こういう気持ちは。
(タヒラ)
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by soundofmusic | 2005-06-22 23:41 | たひらの日記 | Comments(0)

フジロックと猫背とハイジャック

d0000025_13333962.gif「ユリイカ」の6月号がムーンライダーズ特集号だと知り、昼休みに近所のあゆみブックスに買いに行って驚いた。店の娘さんがみな、フジ・ロック・フェスティヴァルのエプロンを着ていたからだ。というのはやはり見間違いで、単に、ロゴが似ているだけの話。

音楽雑誌の棚ではなく、たぶんそこが定位置なのだろう、歴史・文芸の棚に置いてあったため発見が遅れた。ついでに「新潮」と「文学界」をさささっと立ち読み。

「新潮」の保坂和志と、「文学界」の高橋源一郎、どちらも一部を斜め読みしただけだけど、たいへん力づけられるものだった。まっとうに文学のことを考えている人間がいるのだと教えてくれるという点で。惜しい点がひとつ。ふたりとも、小説よりも評論のほうがおもしろい。

「新潮」ではほかに、三島賞の選評をとばし読み。三崎亜記「となり町戦争」が出たとき、昔「東海道戦争」という傑作を書いた筒井康隆ならいったい何と言うだろうか、と気になっていて、するとこれ、三島賞の候補になっていて、筒井康隆が選考委員なのだった。編集者もひとが悪いよなぁ。読んでないから、コメントは避けるけど……。

* * *

「ユリイカ」、なかなかヴォリュームがあってよろしい。ひとつびっくりしたのは、くるりとかアジカンとかが商業ロックとか呼ばれているらしいこと(ほんとかどうか不明)。ねぇ、今でもそういう単語ってあるんだね? と、肩をつかんでぐらぐら揺さぶりたくなる(誰の肩をだ)。

ムーンライダーズは隙間産業ロックか。ニッチ・ロック。

ほぼ10代のひとたちにムーンライダーズを聴かせる座談会、なる企画。この微妙な盛り上がらなさよ。

以前にも書いたかもしれないが、たまに、山崎まどかのことを考えることがある。乙女にとっての指針としての山崎女史。センスィティヴな、文系の、ケンカの弱い、童貞の、10代の(じゃなくってもいいんだけど、はたちすぎたら自分でなんとかしましょうや、ねえ)、男子にとって、それに相当するひと、存在しているんだろうか? 

そもそも、「男子」ってのがサイアクだよ。奥田民生は、矢野顕子の「ラーメンたべたい」を、「女もつらいけど/男もつらいのさ」と性転換させて歌っていたっけな。歌い手の人称に合わせて歌詞の性別を変換させることは、実は日本では珍しいのだけど、それは今はどうでもいい。

で、今だとサブカル男子のカルチュラル・ヒーローは誰か、と考えてみるに、みうらじゅんとか菊地成孔とかになるのかも知れないが、帯に短し、たすきに長し。鈴木慶一の情けなさは普遍性があるから、ナウなヤング(の一部)に訴えると思うんだけどなあ。

乙女諸君もさ、岸田のメガネとかに萌えてないで、鈴木慶一の猫背に惚れてみたら?

* * *

95年の6月に函館でハイジャックがあった。ムーンライダーズの武川雅寛が、加藤登紀子のトゥアー・メンバーの一員としてその飛行機に乗り合わせたことは(一部では)有名な話。

つくづく、95年は最悪な年で、思い出話でなく歴史的事実の確認として書いておくと、阪神大震災の日は私の卒論の提出〆切日だったし、卒業式の日を記念して地下鉄にはサリンがまかれたものだ。

この6月のハイジャックの犯人は、私の母の小学校だか中学校だかの同級生。「どぅお?当時からそういうことをやらかしそうな感じだった?」と母に聞くと、「まさか、そんなわけないでしょ」とのことでしたが。

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-20 13:30 | 日記 | Comments(2)

流れたり、乱れたり

bongobeatさんから音楽バトンが回ってきました。次の質問に答えよ、と。なるほど、チェーン・メール式のアンケートというわけですね。

*今パソコンに入っている音楽ファイルの容量
*いちぱん最近買ったCD
*今聴いている曲
*よく聴く、または特別な思い入れのある5曲
*バトンを渡す相手5人の名前(+ブログ等のURL)

どうでもいいことは世間の流行に従うことにしていますので、流れを止めないよう、すぱやく回答したいと思います。

* * *

*今パソコンに入っている音楽ファイルの容量
毎年アンケートをやっていますが、この質問は思いつきませんでしたねえ。元からなにか入っているのかもしれませんが、そういうものを除けば、一切ないはずです。ゼロです。アマゾンでは試聴するけど、あれは一時ファイルに残ったりしてるんでしょうか。してないですよね。

*いちばん最近買ったCD
こういう質問は厳密に答えられて良いですね。

GILLIAN WELCH『HELL AMONG THE YEARLINGS』 
JOHN FAHEY『THE JOHN FAHEY CHRISTMAS ALBUM』 

“たまたま”買ったものであって、こういった音楽を専門に聴いているわけではありません。

さらに最近ということでは、昨日届いたLP3枚。

THE HORACE SILVER QUINTET『DOIN' THE THING』 
THE TEMPERANCE SEVEN +1『same』
HURRICANE SMITH『RAZZMAHTAZZ SHALL INHERIT THE EARTH』

どちらかというとこっちのほうが得意分野のようです。

*今聴いている曲
この質問のあいまいさにはイライラさせられます。まさに現時点ということなら、四方八方からPCの動いている音、手元からは自分が(休み休み)キーボードを叩く音、背中からは同僚がキーボードを叩く音。仕事中に音楽を聴くのは非常に困難です。

*よく聴く、または特別な思い入れのある5曲
“よく聴く”曲は、ないです。個々の曲やミュージシャンに対しては、かなり薄情なほうだと思います。“昔好きで、最近は聴かなくなったけど、何かの拍子に聴いたらいいなあと思うであろう曲”ならたくさんありますが、そんなものにはさほど意味はありません。

○ピチカート・ファイヴ「君が代」(『さ・え・ら ジャポン』より)
その批評性とユーモアにおいて、どう控えめに見ても90年代の日本の最重要グループのひとつ。真価が理解されなかったのは残念ですが、批評もユーモアも現代日本ではまったく求められていませんから、当然とも言えます。バカラックの「サン・ホセへの道」を巧みに織り込んだアレンジは「君が代」に音楽的に対峙していて、その点、清志郎への批評でもある(かも)。

○ムーンライダーズ「ドント・トラスト・エニィワン・オーヴァー・サーティ」(『ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ』より)
高校生のころから聴き続けているCDというと、これとピチカート・ファイヴの何枚かくらいしか思いつかない。実家が鉄工場だったせいか、鈴木兄弟の曲に色濃くにじむ労働者階級の風情には、どこか心安いものを覚える。ちなみに、後年、ソニック・ユースを聴いたときも、メタリックなノイズが実家のサウンドスケープと重なって聞こえたものだった。

○リオ「恋はアミ・アミ」(『リオ』より)
アイドルっていうと、リオかベティ・ブーかマリ・ウィルソンか悩んじゃうけど、やっぱりリオですね。こんなにチャーミングなテクノ・ポップ、ほかにないと思うな。思わず口調もケーハクになっちゃうくらい。

○ペンタングル「ライト・フライト」(『バスケット・オヴ・ライト』より)
高校のころはテクノ・ポップ一筋で、その後は昔のロックの勉強とかしてたんだけど、96年ごろを境に、ロック外へとはみ出し始めていったわけで。具体的にはジャズと英国フォークが90年代後半の頭の中のかなりの部分を占めていたような気がする。両方を兼ね備えていたのがこのグループ。音楽はもちろん、ジャケットもミステリアスな感じがしたのを覚えている(インヴェイダー・ゲームみたいだとの説もあり)。

○キース・ティペット・グループ「ディス・イズ・ホワット・ハプンズ」(『デディケイテッド・トゥ・ユー、バット・ユー・ワーント・リスニング』より)
まぎれもない英国音楽であり、と同時に極上のジャズ。新大陸では絶対に存在し得ない音楽であることを思うと、よそから来たものを自分のものにするとはどういうことかについて考えさせられる。20世紀後半の優れたポピュラー音楽はすべて、出たり入ったり、足したり引いたり、混ぜたり煮たり、よそって食べたりした結果出るげっぷかおならみたいなもんだ。

以上、今までの要所要所で出会ってきた曲の中から順不同で。これらの小石につまづいて、少しずつ歩く方向が変わってきたのだと思っています。意図してなにかを決断したことはほとんどなくって、いつのまにか今のようになってしまった。たいていの場合、どこで曲がり角を曲がったのかも思い出せない有様で、つまり、「ずっとこんな調子、今ここがきっと現在地」()ってことです。

*バトンを渡す相手5人の名前(+ブログ等のURL)
ブログを自分でやっているようなひとよりも、そうしたものとは無縁のみなさんがいやいや書いたもののほうがむしろ読んでみたいのですけど、以下の方々につつしんでバトンを手渡します。ぼくのところに来るくらいですから、もうもらってたりするかもしれません。その際はお捨て置きくだされたく。そもそも、ここをご覧になっていない可能性もあるよなー。

鉄井孝司さん
iさん
ナカジマさん
轟渚さん
Wadaさん

(追記)回してくれとのリクエストをいただきましたので、有馬ゆえさんにもお渡ししてあります。
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by soundofmusic | 2005-06-19 12:42 | 日記 | Comments(4)

見つからない

昨日は、お気に入りのハンドタオルを無くして大変でした。
たかがハンドタオルなんですけど、とにかく気に入ったやつだったので。
買い物から帰って、ごはん食べてる途中で気が付いて、大騒ぎでもと来た道をぐるぐるしたんだけどみつからなくて。
なんだかグッタリです。今日も疲れがとれない感じで。何しろ見つかってないので。
あーあ。
ところで夜道を探しものをしてると、びっくりするものに出会いますね。
昨日はネズミが、すごい速さで道を横断してるのを見て、ちょっとだけ得した気になりました。
すごいですよ。ネズミなんて、いつ振りに見たか。夢のような光景でした。もしかしたら、ちいさい猫かも。
いや、びっくりしました。
それにしても、なんで見つからないんだろう(泣き)

(たひら)
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by soundofmusic | 2005-06-14 19:51 | たひらの日記 | Comments(1)

メキシカン・スターズ・ン・バーズ

ライ・クーダーの新譜『チャヴェス・ラヴィーン』がやけにおもしろそう。タイトルは、50年代、ドジャー・スタジアムの建設にともなって消滅させられてしまったLAのチカーノ・コミュニティの名前だそうだ。第2次大戦後の西海岸のチカーノの生活を活写した、音楽による庶民史、といった感じらしい。彼流のラテン・ジャズ、だったりすると嬉しい。

クーダーにはそのものずばり、『ジャズ』と題したたいへん気持ちの良いアルバムがあって、これを聴くと、彼の考えるところのジャズが分かる仕組みになっている。新しいところでも、せいぜい1930年代。モダン・ジャズの、モの字もない。

50年代のリーゼントや、60年代のミニスカートなら、レトロな風俗として楽しむ方法はおなじみだろうけど、30年代までさかのぼると、なかなかとっつきづらい。個人的にはたまたまここ1、2年、30年代の日本映画のレヴェルの高さに驚かされっぱなしなので、この時代は要注目だぞと思っているのだけど。

* * *

先月のPPFNPに来てくれたみなさんのなかは、当日配ったおまけCDに、久保田麻琴と夕焼け楽団による「スチール・ギター・ラグ」が入っていたのを覚えている方もおられるかと思う。この曲のオリジナルはボブ・ウィルスとヒズ・テキサス・プレイボーイズ。名前はよくアコースティック・スウィング関係の文章で目にすることがあったものの、音は聴いたことがなかったので、ベスト盤くらい持っとくか、とばかりにアマゾンで買ったのが、4枚組の『テイク・ミー・バック・トゥ・タルサ』。安いのよ。

おもに30年代から40年代にかけての録音。ジャズとカントリーが何かの間違いで融合してしまった、たまらなくホットなサウンド。現代人の耳にとってみると、録音状態は、よくない。そのせいで、霧の向こうからぼんやりと届いてくるようにも聞こえるし、塀にあいた穴からよく見えない何かを覗いているようなもやもやした気分にもなる。で、逆に興奮させられる。

不思議なもんですね。

* * *

日曜日、そのボブ・ウィルスを聴きながら下北沢に出かけた。ディスクユニオンで買ったのが、“ザ・パイ・トラッド・ジャズ・アンソロジー 1956-1963”との副題のついた、3枚組オムニバス『トラッド・マッド!』など。

長くなるので詳細は省くけれども、モダン・ジャズやロックの時代になっても、イギリスでは、ディキシーランドやニューオリンズ・ジャズの変種であるところのトラッド・ジャズが根強い人気を誇っていたのはたしかみたいだ。

同じような曲が77曲。永遠に続くのではないかと思われる3時間半。これはみずからもディキシーランド・スタイルのバンドに参加している鉄井孝司さんに聞いた話だけれども、初期のジャズの特徴として、複数の楽器が同時進行でメロディーを奏でるため、どうしても和音が制限され、構成も簡潔にならざるを得ない、その結果、自然と似たような曲ばかりという印象を与える、のだそうだ。

たしかに似ている曲ばかり。それがどうした。こんなに気持ちのいい音楽もめったにない。ここに収録されているなかで、ふつうのひとにも知られているのはクリス・バーバー、アッカー・ビルク、ロニー・ドネガンくらいのものだろうが、“勉強用”のつもりで買ったこのCDに、すっかり楽しまされている。

英国ロックの源流をたどっていった先に、思わぬ桃源郷が広がっていたというわけ。

* * *

夜は下北沢のラ・カーニャで、LAから来たサーシ・リンクを見る。カントリーとジャズとブルースとフォークがいい按配で混合されて、よくスウィングする。豊かな音。サバサバしているのに、品がある女性ヴォーカル。

ギター2本と女性コーラスを加えた4人編成で、左側のギターは元モンキーズのマイク・ネスミスの息子さん。といってももう立派な中年。右側のギターは一般人の息子だと思うが、こちらのひとはときどき、ラップ・スチールを弾く。レコードではよく耳にするけれども、実際に聴くのは初めてかも。スペイシーで、実に謎めいた音を出す楽器。あらためて。

トゥアーは大阪、金沢、松本と回って、18日の鎌倉まで。詳細

当日、会場に来ていた高嶋さんをせっついて、ようやく先月のセットリストを提出していただいたので、ほぼ完全版に更新されています。ご覧下さい。

* * *

サーシの曲に「メキシカリ・ローズ」というのがある。キャレキシコというバンドをご存知の方も多いと思うが、メヒカリもキャレキシコも、どちらも米墨国境の町の名前。メヒカリはメヒコ側、キャレキシコはカリフォルニア側。

サーシの曲はタイトル通り、メヒコのマリアッチ風のリズムを使っていて、南からの熱風で乾かしたウェスタン・スウィングといった感じ。アメリカ音楽はときどきこういうことがあるからいいんだよなあ。いや、アメリカ音楽とは、“そういうこと”の連続で成り立ってきたのかもしれない。もちろん、ライ・クーダーやタジ・マハル、ヴァン・ダイク・パークスといった、風をとらえるのが得意な連中がそれに果たした役割の大きさは、ぼくがいうまでもない。

シアトルか、あるいはカナダのヴァンクーヴァーあたりから、西海岸沿いにサン・ディエゴかキャレキシコまで、車で旅行できたらな、と一時期ずっと思っていた。南下するごとにラジオから聞こえてくる音楽も変わってくるだろうし、もちろん、レコード屋の品揃えも。

ところで、あまり関係ない話なのだが、この間、マキノ雅弘の「昭和残侠伝 死んで貰います」を見た。木場や深川が舞台で、もちろんどちらも、実在する東京の地名。実際に行ったこともあるけれど、それよりも、マキノを始めとした仁侠映画で、気の荒い職人たちがうろうろしている場所のイメージのほうがはるかに強い。つまり、ある種の映画的な異郷であって、それはちょうど、タランティーノやロバート・ロドリゲス(に限らず、アメリカ映画)にとってのメキシコみたいなもんなのだ。たぶん。

現代日本映画からは、ああいったのどかな異郷は失われてしまったのかもしれないが……ああ、まだ下妻があった!

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-14 15:50 | 日記 | Comments(0)

岡本喜八の70年代の諸作を再見して、岡田裕介の時代があったのではないかと妄想する

J. J. ケールの『ナチュラリー』を買った。「アフター・ミッドナイト」という曲、クラプトンで有名らしいが、ベン・シドランやセルジオ・メンデスも歌っていて、そちらのほうで好んで聴いていて、そのオリジナルが入っているのがアルバム。なぜ今になって買ったのかは、ジャケ写を見てもらうとなんとなく想像がつくことと思う……

勝手にカントゥリー・テイストのSSWだと思いこんでいたけれども、意外にも内省的で、矛盾した言い方をすれば、ひとなつっこいニック・ドレイク。と、こう書くと、だまされて聴いてみたくなるかな?

ユーミンのトリビュート盤『クイーンズ・フェローズ』も、よく聴いている。aikoの「セシルの週末」、クレイジーケンバンドの「コバルトアワー」がとくに好き。「セシルの週末」なんて、よくできた少女マンガを読んでいるような気分。

ひさしぶりにユーミンの曲に触れて感じたのは、とにかく歌詞の冴えの見事さ。しかし、ここ10年くらいの、背伸びすることや見栄を張ることが流行らなくなった時代、ユーミンが何をどんな風に歌っているのかはほとんど知らない。ユーミンに癒しは似合わないだろうしねぇ。

* * *

新文芸坐の岡本喜八特集にぽつぽつ通っていた。個人的にも、世間的にもあまり高く評価はされていないはずの70年代の作品(具体的には「にっぽん三銃士」シリーズ2本、「吶喊」、「ダイナマイトどんどん」)を再見して、意外な新鮮さがあったのがうれしかった。

「にっぽん三銃士」シリーズは、小林桂樹演じる48歳戦中派、ミッキー安川演じる36歳の戦後派、岡田裕介演じる24歳の戦無派がひょんなことから意気投合、学生運動で大荒れの新宿でひと晩もまれ、家庭からも職場からも追い出され、3人で九州へと流れていく話。

小林が、10年後の江分利満氏といった具合の怒りっぽい人物に扮しているのに対し、まさに小林が演じた江分利と同い年のキャラクターを演じる安川は、外見こそ当時の江分利そっくりなれど、上の立場も下の立場も分かってしまい、日和見主義者呼ばわりされている。で、岡田は一流会社勤務、シラケ世代の無気力社員。

3人のズレを語る世代論があり、風俗描写があり、また、喜八流のポピュラー音楽論でもある、まさに盛りだくさんの映画。新宿西口の反戦フォーク集会で、ヘタクソなギターに業を煮やした岡田が「音楽ってのは美しくなきゃダメだろ!」とみずから歌い出すシーンはなかなかのもの。

あとからやってきた小林はアカペラで春歌を詠唱し、場を沸かせる。参考までに歌詞を記しておくと、こんな歌だ(記憶を元に再現しているので、一部不正確な場合あり)。

ひとつ 昼間する 炭坑夫の ぼんぼよー
ふたつ 船でする 船頭の ぼんぼよー
みっつ 道でする 土方の ぼんぼよー

(以下略)

* * *

さて、元・陸軍中尉だった小林は、後篇の最後、車に乗りながら感極まって軍歌を歌い出す。それを聴いたコラムニスト(本人の発音では「カラムニスト」)のフーテン娘、藤岡麻里は、「おじさん、それ、ブルース? それとも黒人のフォークかな。案外、モダンな歌、知ってんのね」としごくマジメに言う。

バカ、これは軍歌だ、と泡食って否定する小林に、岡田はお得意の無表情のまま、2拍4拍が強調されてシンコペーションがある、それがジャズやブルースと同じなのだ、と指摘する。そこに佐藤勝がディキシーランド風の伴奏をつけ……れば最高なのだが、残念ながらそうではない。

軍歌だって一種のワーク・ソングではないのか、ということは、以前書いた。お時間と興味をお持ちの方は、以下をご参照いただきたい。参照しますか?→まさか!

* * *

岡田は現在、東映の社長の座にのうのうと(か、どうかは知らないが)収まっているけれども、デビューは、庄司薫原作の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の、薫クン役。この薫クンだとか、「にっぽん三銃士」だとかを見ていると、岡田裕介の時代、というのがあったんじゃないかなあ、との妄想に駆られる。劇中、「怒ってんのか悲しんでんのか分からない」と評された彼の顔こそ、70年代前半の空気をある一面で体現していたんじゃないかなあ、と。

戊辰戦争を題材にした「吶喊」は、とにかく若さと性欲を持て余し、なにかおもしろいごどねぇが、めんごい娘はいねが、となまはげ顔負けの勢いで軽率に突進する伊藤敏孝と、その混乱に乗じてひともうけ(スパイ活動で小金を稼いだり、御用金の強奪を試みたり)しようとする岡田裕介、このホット&クールなふたりを主人公に据えた青春篇。

木村大作のカメラが実によく動く。ただよく動くだけでなく、主人公と同じ目線を共有して東奔西走。もしかしたら、この視線、「仁義なき戦い」にヒントを得たのではあるまいか。これこそが青春映画のカメラのあるべき姿だ! と膝を打ったのではないだろうか? たとえ時代劇だって、作りようによっては現代と切り結べるのだ!

* * *

ジャズ、戦争、とくれば、次は野球。このみっつ、喜八監督お得意の三題噺みたいなもの。で、「ダイナマイトどんどん」は、昭和25年の北九州を舞台に、急遽結成された12ティームがトーナメント方式で雌雄を決する話。ただし、選手はみんなヤクザ、ティームはつまり、それぞれの組。GHQと地元警察の肝いりで、ケンカも民主的に、刀や鉄砲でなく、ボールとバットでやりましょう、というわけ。

この映画、とにかく見ていて愉快なのは当然として、ルールとはなにか、について教えてくれる。そして、人間が作ったルールはすべからく恣意的なもので、それを分かっていてなおかつ守るからこそ価値がある、ということを。

たとえば、仁侠映画にはルールがあるが、それは、一定の時間をかけてゆっくりと醸成されたものとはいえ、本質的には野球のルールとさほど変わりはない。仁義とか、義理とか、一宿一飯の恩義だとかは、なにも神様が決めたことじゃない。打ったら三塁でなくて一塁に走る「ことにしよう」と決まっているのと、同じ。

出てくる連中、野球のルールは守っていない。故意のデッドボールは当たり前、バットには刀が仕込まれ、スパイクの刃はヤスリで研がれている。ヤクザのルールもあんまり重視されていない。ここでいちばん重きを置かれているのは、ヤクザ映画のルールなのだ。

セルフ・パロディのように小ずるい新興ヤクザのボスを演じるのは金子信雄だし、アラカンは古い任侠道に殉じて半分ヨイヨイだ。ふたりとも、そしてほかのみんなも、嬉々としてルールに従っていて、どうしてこの映画がこんなに楽しいのか、その理由がここにある。アラカンが突発的に発する「ニンキョォーッ!」の叫びは、まるで審判の宣告するプレイボールのように聞こえるじゃないか。

ところで、冒頭、菅原文太が、ライヴァルの組のトラックをダイナマイトで破壊するシーンがあり、ハワード・ホークスの「リオ・ブラボー」を思い出してニヤニヤしてしまったことよ。ハワード・ホークスはまた、ミサイルを使って猿を生け捕りにしようとする映画を作った、世界で唯一の偉人でもある。

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-11 18:08 | 日記 | Comments(0)

引越し

今の家に住んでから、かなりになります。仕事場に近いので、遠くに移動する気はないのですけど、でも気分を変えたいし、なんとなく引越しをしたい感じです。
そんなことを思っていたら、先日のイベントに遊びに来てくれたMさんも同じようなことを言っていました。
住めば都というか、始めはいろいろ文句もあったような気もしますが、気が付くとずっと住んでいる。
なんだか不思議です。いらない物も増えたし、本気で引越しを考えようかな。
でも、広いところから狭いところに移るのって難しいですよね。
う~ん。
楽しそうなので、ちょっと考えてみようかと思います。

(たひら)
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by soundofmusic | 2005-06-06 23:18 | たひらの日記 | Comments(0)

たひらさんはすぐに死ぬ

おひさしぶりでございます。5月29日のセットリスト、不完全版が公開中。全員分が出揃ったら、またご案内します。

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ここのところ、アクセス数が微妙に増えている、と思ったら、「カエターノ・ヴェローゾ来日公演2005」なるページから、先日書いた日記にリンクされているらしい。そのこと自体はまったくかまわないのだけど、情報としてはおよそ何の役にも立たないから、もしかしたら(しなくても)、時間のムダだとお感じになられる方も多いと思う。申し訳ないが、オレは謝らないよ。ふふ。

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なにか調べものをする、ということがほんとうに楽になってきて、というか、調べものの概念が変わってきて、それでどうなったかというと、調べるヤツと調べないヤツの差が広まっただけじゃないかという気がする。

調べないヤツというのは今も昔も大量にいるのでさしあたりほっておくとして、「簡単に情報が入手できるようになった」(こういう紋切り型はできるだけ避けたい)結果、今まで調べなかったヤツが急に調べるヤツになって、その途端に、“知っていて当たり前”だの、“よく調べてから来い”だの、挙句の果てには“情報源を示さないのは悪”だのと、殺伐とした雰囲気をかもし出すようになっている、のかもしれない。

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このあいだ、荷宮和子「バリバリのハト派――女子供カルチャー反戦論」(晶文社)を読んで、大いに楽しんだ。このひとの書くもの、少なくともアマゾンのレヴューで見る限り、ボロクソにやっつけられている。

たしかに論旨がふらつき気味で、危なっかしさを感じさせる(そのうち、とんでもないチョンボをやらかしそう)が、この程度のふらつきは許容範囲というもの。気に食わなかったとしても、まあいろんなひとがいるもんだよなあ、と済まされてしかるべきだろう。

女子供カルチャー反戦論、と銘打ちながら、加藤嘉だとか田宮二郎だとか宝塚だとかに寄り道して戻ってこないあたりが、白か黒かの二者択一論者の神経を逆なでするのだろうか。憶測でものを言いたい瞬間もある。そんなときのために、世の中にはグレーゾーンというものがあるのだよ。グレーゾーンが広すぎるのは、それはそれでまた問題なんだけど……

いずれにしても、わたしたちがいかに殺伐とした世の中に生きているのかを再確認させられましたねぇ。

ちなみに、たひらさんの数少ない美点のひとつは、「どっちにするのか、はっきりしてよ!」とか、「もっとマジメに考えなさいよ!」などと絶対に言わないところ。こういうひとは、戦争になったらすぐに死ぬに違いないが、自分から戦争を起こすことは決してない。カエターノ・ヴェローゾも、そうじゃないかなあと、実物を見て、思いました。なんとなく。

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明晰さにひかれないわけではもちろんなくて、最近では幸田文「」(新潮文庫)が良かった。このひと、へんに文章がこねくりまわされているときがあるので、必ずしも名文家だとは思っていない。でも、これは、あるいは最高傑作かも。眼の確かさはいうまでもない。いつになくひんやりとした筆。

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明晰であることと明快であることは、これまた微妙に違う。ようやく見たテオ・アンゲロプロスの新作「エレニの旅」は、かつてこの監督の映画が難解と呼ばれていた日々があったなあ、と懐かしく思い出すことすら観客に許してしまう、それほどまでに明快な映画。

相変わらずのギリシャ現代史のたどり直し、といった面を持ちながら、不勉強な島国の住人にも、映像そのものが強烈な力で迫る。映画はプラカードではない=映画は映画である。

ただし、歴史に翻弄される主人公のエレニの悲劇に、さほど感情移入はできなかったのが正直なところ。歴史を描くための操り人形の、その操り糸が見えてしまった気分がなきにしもあらずだった。今までの、人物の顔が見えないことが多いアンゲロプロス作品では、そんなこと、感じなかったのに。

村をひとつオープン・セットで作ってそれをまるごと水没させただけでもこれは傑作である、と言ったのでは、映画の可能性を過小評価していることになるだろうか。とにかくご覧あれ。

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夏フェスの類には一切行かない。理由は、あるようでないような。ただ、今年は、狭山のほうで「HYDEPARK MUSIC FESTIVAL 2005」というのがあるので、出向く予定。

9月の初頭だから、もはや夏ではないけども、小坂忠、マーク・ベノ、センチメンタル・シティ・ロマンス、細野晴臣、エリック・アンダースン、鈴木茂、ラストショウ、その他、その他ですよ。どうせだったらギリアン・ウェルチとかエミルー・ハリスもどさくさにまぎれて呼んじゃえば?

個人的には、これに行くとなると、夏フェス参加はちょうど10年ぶりになる。日光の山中でエンケンやなんかを見た、小来川フォークジャンボリー以来。あのときは司会のひとがなぎら健壱そっくりだった。その場所にいたひとならきっと誰もが賛成してくれるはず。……って、うちの弟くん以外、いるわけないか。

(森山)
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by soundofmusic | 2005-06-05 19:35 | 日記 | Comments(0)