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膀胱、死活問題

三百人劇場野村芳太郎特集に通っています。自転車だと10分で着いてしまうので快適。問題は、客席が異常に寒いこと。外は汗ばむような陽気の日でも、映画を見ている間は上着をひっかぶって小さくなっていなくてはならない。膀胱が小さいせいでトイレが近いので、死活問題なのだ。

ごく当たり前の事実を再確認しておくと、映画は全部は見切れないものだ、ということが前提として、ある。しばしばこれを忘れてしまい、今回のように数十本規模の特集だと、全部とはいわずとも7~8割は見てやりたいと欲を出してしまう。仕事もあるし、そりゃムリってもんだ。

今回見た中で文句なしにおすすめできるのは、「恋の画集」「最後の切り札」「東京湾」。

「恋の画集」は加藤嘉のうさんくささをこれ以上なく生かしきっているし、佐田啓二が珍しく極悪な役を演じる「最後の切り札」では、インチキ手品でうまく金を巻き上げるような橋本忍の話術が堪能できる。「東京湾」はだいぶ以前にフィルムセンターで見ていたが、ムダのない構成と引き締まった画面に、またもやため息がもれる。

その他、山田洋次を共同脚本に迎えた「月給¥13,000」も、手堅さが光る小気味よいサラリーマン群像劇。大味なだけの「砂の器」なんかより、今あげたような小品群のほうがはるかにいい。

大作系なら、「疑惑」と「事件」をぜひ、ごらんいただきたい。前者は桃井かおりのすさまじさを余すところなく味わえる。大岡昇平の原作を得た後者は、松本清張原作ものと見比べると、純文学とエンターテインメントの違いがどこにあるのかということがよく分かるはず。いつも言っているように、要は、事件のWhat(何が起こったか)に注目するのがエンタメで、How(どのようにして起こったか)が気になって仕方ないのが純文学だ、ということ。かも。

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さて、急な話ですが、本日30日(日)、轟渚と夕映えカルテットのライヴが、高円寺ペンギンハウスであります。連休の予定のないみなさま、ぜひ目撃せられよ。というのは、5/10(水)代々木ブーガルと6/25(日)下北沢mona-recordsのライヴをもって、夕映えは活動停止らしいのです。

この間、会社で席替えがあって、そのときに会社も生き物なんだなぁとつくづく思ったのでしたが、同じように、街だとか、国家だとかにも人格はあって、ずっとつきあっていないと見えてこないおもしろさがあったりする。そしてもちろん、バンドも。

わたしは夕映えの客としてはまったくマメではなかったけれども、それでも、バンドは生きているんだなぁと毎回のように感じさせられたのだから、感謝しておかないといけないし、もう一度くらいは見ておくつもり。まだ轟さんの歌を聴いたことがないひとは、聴いておくとよい。まあ、音楽活動をやめることはないだろうから、機会がなくなるわけじゃないけれども。

ところで、6月25日はなにか用事があったような……どうでもいいような、それでいて気になる用事だったような……としらっぱくれてみるまでもなく、これの日なのでした。

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もうひとつ。ボンゴさんがまた動き始めました。わたしも、違う方法で、動きますよ。
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by soundofmusic | 2006-04-30 00:51 | 日記 | Comments(0)

ほめるのは難しい

ほめているのかけなしているのか一読しただけでは容易には判別しがたい蓮實重彦の文章ですら、注意深く読めばある映画(でも、なんでもよいのだけど)との出会いに自分なりのやり方で心を激しく震わせていると分かるのだから、さほど問題はない。

困りものなのは、手放しで絶賛していながら、なおかつ、それが最終的には的外れである場合。ある程度の影響力があるひとが、あるジャンルの何物かについて書く。それを読んで、若い子(若くなくってもいいが)が、「○○さんがすすめているのなら」と、足を運ぶ。そして、「そんなでもなかった……」と落胆する。

そういうことはわたしもあなたもすでに経験済みのはずだし、ということはつまり、よくあることなのであって、それでもしぶとく、数年後に、今度は自発的に再挑戦して、楽しんだり玉砕したりもする。するのならいいが、それを機に永遠に遠ざかったりしてしまうことも多いはずで、それだって大して珍しいことではないし、ましてや世をはかなむ必要なんてない。

とはいうものの、もしかすると、「そんなに森山がおもしろいっていうんだったら、どれ、昔の日本映画でもいっちょう試してやるか」と思うひとがいないとも限らない。「昔の日本映画」のところを、サイレント映画とか、ハワード・ホークスとか、スウィスロールとか、英国フォークに入れ替えても同じこと。いずれにしても責任重大だ。

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どうもこういう話は、具体例を挙げないとピンと来ないね。ただしわたしはどうしてもある上品さの殻から脱出できないもので、どうしてこんなことを言うつもりになったのかというのは伏せておこう、なんて自分で書いてしまうのがわたしのどうしようもないところなのだけど。

さて、本題。この方面にはわたしはまったくの門外漢なので、ただ、自分が見てよいなぁと思ったものを、その限りにおいてのみ紹介する喜びを存分に味わえるわけなのです。

こちらのブログの方が、なかなか良いビラを作りました。みなさんも各自の感覚で「へぇー」とか「けっ」とか思ってください。

ビラ1

ビラ2

実際、このビラで描かれているような生活は、誰もがよきものと感じるところの暮らしでしょう。このビラの団体の方針はしばしば現実味がないと揶揄されるけれど、しかし、こういう暮らしを目指してくれるのは、この団体だけです。

日本人の、この団体に対する反感、嫌悪感はものすごいものがありますね。この団体は偉大なるオルタナティヴとしての役割を果たせるはずだと個人的には思っていて、まだまだやるべきことをやっていないのではないかと外野から歯がゆい思いで見ているのだけど、こういうビラを作(れ)る26歳のメンバーがいることには驚いたし、ちょっぴり感動もした次第。

と、ベタぼめしてみた。いやぁ、わたしは好きです、コレ。

(森山)
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by soundofmusic | 2006-04-22 14:30 | 日記 | Comments(0)

Pure Pop For Now People Volume 54


2006年5月28日(日)18時~22時

渋谷エッジエンド(Tel:03-5458-6385)
地図。

800円(1ドリンク&おみやげ付き)

DJ:
熱田健一
sumire(Gentle Tuesday)
森山弟(弟)
森山兄(サウンド・オヴ・ミュージック)

LIVE:
PASSEIO(パッセイオ)
(↑いきなり音が出ます。気をつけるべき環境におられる方はお気をつけください)

毎度おなじみ、PPFNPのお知らせです。
ライヴは、佐野さん(ヴォーカル)と平井さん(ギター)によるボサノヴァ・ユニット、パッセイオが登場。アットホームな感じでお楽しみいただけるのではないかと。スタートは19時半すぎくらいからの予定。
ゲストDJには、熱田健一さんと池袋西口っ子のsumireさんが初のお目見え。お楽しみに。
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by soundofmusic | 2006-04-16 00:30 | PPFNPイヴェント情報 | Comments(0)

どこまで行けるか

自転車を買いました。

高校は自転車通学で、片道15Kmを毎日通っていた。今の家から直線距離で15Km行くと、お台場とか自由が丘とか吉祥寺に着いてしまう(理論上は)。とはいえ、東京と田舎とでは、地図上では同じ距離でも心理的にはずいぶんと差があるので、まさかそんなところまで自転車で行く気はしない。

ではどこだったら行きたいかといえば、電車だと便利が悪く、歩いて行くには距離がありすぎる、そんな場所。桜は終わってしまっただろうけど、王子の飛鳥山公園なんか、いいかもしれない。浅草の映画館も、今までは鶯谷からえんえん歩いていたけれど、自転車で行ったほうがてっとりばやそうだ。

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などと書いてみたものの、自転車を買ったのは、明日から、三百人劇場の野村芳太郎特集に通うため。電車に乗ると半端だし、歩いていくと40分くらいかかる。

ふだんは演劇に使われているこの劇場、年に数回、特集上映を組んでくれる。だいたいいつもすいているのも嬉しいし、なによりも作品選定のセンスが素晴らしい。02年の中村登特集など、ほんとうに目が覚めるようなものだった。今回のも、ふだんなかなか見ることのできない、野村のサスペンス作家として以外の顔をたっぷり拝めそう。

残念なことに、三百人劇場は今年いっぱいで閉館してしまう。近所になったことだし、せいぜい必死で通うことにしたい。とはいうものの、日曜日、どうやら雨のようでもあるのだが……。

(森山)
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by soundofmusic | 2006-04-15 01:28 | 日記 | Comments(0)

裸の頭

なかなか更新されなかったフィルムセンターのホームページも一気に刷新されて、待望の年間予定も発表された。今年から地下のホールも積極的に上映に使われるそうだし、もちろん、東京の映画館はフィルムセンターだけじゃない。ラピュタ阿佐ヶ谷にも新文芸坐にも通わなくてはならないのだし、アテネフランセのスケジュールチェックも怠るべきではない。こうなるとやはり、仕事などしている場合ではない、というところに話が落ち着いてしまうのだけど、とにかく、春だ。

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フィルムセンターでは新藤兼人特集が始まっている。自身の監督作と、脚本家としての顔をたどる一大回顧展。まずは監督としての代表作ということになる「裸の島」を再見した。

瀬戸内海の小さな島に住む夫婦(殿山泰司、乙羽信子)と子どもふたりの一家。水のない島から、来る日も来る日も船を出して、本土に水を汲みに行く生活。

雨の日も船で水を汲みに行くあたりは明らかにおかしいのだが、徹底して言葉を削減した構成と、林光による絶妙に叙情的なテーマ曲、そして、カメラと演技、その総合点によって、ぎりぎり傑作たりえているな、という印象。

セリフは、ない。いや、ほとんどないというのが正しい。ルーティーン化した厳しい暮らしは一家から言葉をそぎ落としていき、いわゆるセリフのやり取りはないが、鯛を釣り上げた息子を担ぎ上げた殿山は、「よいしょ」と掛け声をかける。祭囃子や学校で歌われる唱歌は、観客にも聞こえてくる。

問題なのは、新藤が、意図的にかそうでないのか、「言葉が発せられているのに観客には聞こえない状態」(サイレント映画のような)と、「トーキーでセリフがない状態」(しゃべれば聞こえるが、しゃべらせない脚本・演出)とを混同している点だ。

たとえば、子どもの葬儀の際、僧侶の読経は音楽によって隠蔽される。これは一般的な手法だろう。ただ、それに先立ち、乙羽の演じる母親は、病気になった子どもを抱きかかえてはげしく揺さぶり、なおかつ、ひとことも言葉を発しないのだ。名前も呼ばない。これ以上不自然な演出があるだろうか?

乙羽は口が利けないのかもしれない。しかし、葬儀の翌日だろう、いつものように苦労して汲んできた水を畑にぶちまけ、彼女は全身で嗚咽するのだ。

わたしたちは手法の不徹底を見て、「裸の島」を駄作と断じるべきだろうか? 乙羽の嗚咽に心を打たれて、傑作と評すべきだろうか?

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音と音楽に魅力の多くを負っていながら画面の強度だけで勝負しているつもりになり、発せられているセリフを都合のいいところでだけ不自然に音楽で隠蔽しているのだから、すべてのサイレント映画に対する冒涜であるとは言えるはずだ。

映画を見るときは、細部にこそ注目すべきだと考えるけれども、点数をつけるときは全体を評価すべきだ、とも思う。難しいね。

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遅くなっていますが、3月のPPFNPのセットリスト、不完全版が公開中です。よろしくご参照ください。

(森山)

*追記。リストは完全版に更新されました。(4/11)
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by soundofmusic | 2006-04-08 16:24 | 日記 | Comments(0)

何か起こりそう

会員なので、毎月、アテネ・フランセから、ちょっとした量の映画のチラシが送られてくる。出がけに郵便受けを見ると、今月分が届いていた。明治通りを池袋に向かって歩きながら、封筒を開け、チラシを選別し、必要なものをカバンにしまいこみ、不要なものはむしゃむしゃ食べてしまう。

映画字幕翻訳者講座のチラシが入っていた。いわく、「字幕の翻訳は広汎な知識が求められるため、あなたの手持ちの知識だけでは太刀打ちできません、うんぬん……」

まさにそのとき、手持ちの知識だけでなんとかおもしろいことをする企画の打ち合わせに向かう途中だったので、ギクッとした。めでたく話はまとまりそう。詳細はまだ未定だけど、10月あたりから、池袋でなにか始まりますよ。詳しく決まったら、またお知らせします。いったん忘れて、お待ちください。

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新文芸坐で、内田けんじ「運命じゃない人」を見る。ノレないんだなあ。脚本はよく練られているけれども、モーション・ピクチャーならでの快感はどこにあるのだろう。とりあえずこの手の“おもしろい話”を今のわたしはあまり必要としていないということかもしれない。

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東京芸術劇場で、オーネット・コールマンを見た。1Fのいちばん後ろの列だったが、ドームでストーンズを見たあとだったせいか、感覚的には近い、近い。

アルト・サックスを通して聞こえてくるこのひとの声に、自分で思っていたよりもずっと親しんでいたのだと分かって不思議な気がした。息子のデナードのたたき出すビートは果てしなく細分化されていてたいへんノリづらく、そのせいでなんとなく抽象度の高いステージではあったけど。

アンコールは、「ロンリー・ウーマン」。ストーンズでいえば、それこそ「サティスファクション」級のヒット曲だなと思った。もちろん、ストーンズのどんな曲よりもリリカルなのだが。ストーンズの良さとオーネットの良さはどう違うんだろう、などと考えながら、手のひらが痛くなるまで拍手した。

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鉄井さんとの、ジャズの核心についての会話。

鉄井「結局、なにがジャズかって考えながら演奏していればいいってことなんじゃないですかね。これがジャズだ!って言ったもん勝ちっていうか」

森山「それじゃ、実際に演奏してなくてもいいってことになるじゃないですか!」

力づけられた。

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行くひとと帰ってくるひと。

わたしにとってもっとも馴染み深い声を持つアルト・サックス奏者のひとり、ジャッキー・マクリーンが亡くなったようだ。一度だけ生演奏を聞いたことがある。ピアノがサイラス・チェスナットで、彼のプレイにはほんとうにぶったまげたのを覚えている。

マクリーンは、「トリビュートはその対象が生きているうちにやるべきだ」と言っていたそうだ。だから、これくらいにしておく。

それよりも、ベティ・ブー復活こちらで試聴もできます。復活するなら、思わせぶりはやめて、かっこよく頼むぜ。

(森山)
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by soundofmusic | 2006-04-02 20:38 | 日記 | Comments(0)