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降っても晴れても

d0000025_258226.jpg個人的には「雨だから」という理由だけでどこかに行くのをやめることはしたくないし、「気が乗らないから」という理由も言い訳にすらならない、と思うのだけど、まさかそれを他人様に適用するわけにもいくまいから、今晩雨が降らないことを祈りつつ、みなさまには、雨でもお越し下さい、とお願い申し上げます。

写真はおまけセット。いつもの円盤状のやつに加えて、「サウンド~」も出ます。特集は「一服通信」の森さん・有馬さんと歩く神保町。マジックさんのオーディオ連載もお楽しみに。

では、今晩お会いしましょう。
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by soundofmusic | 2006-05-28 02:58 | 日記 | Comments(2)

こんな感じ

いよいよ今週末に迫ってきたPPFNPのために、このあいだ、家でおみやげを作ったりしていた。このおみやげというのは、ご存知の方はご存知の通り、あまりおおっぴらにできない性質のものなのだけど、とはいえ、これに関しても見解はひとそれぞれで、明らかに音楽業界関係者と思われるひとが、「いや、個人使用の範囲内ってことでぜんぜんオッケーでしょ!」などというコメントをくれたこともあった気がして、それはそれでとても心強くはあるものの、もちろん、それが法的な裏づけになるわけでは、ない。

そのついでに、ダビングを頼まれたCDを何枚か、焼く。ビヴァリー・ケニーは少し甘口すぎると言われそうだけど、マデリン・ペルーはたぶん気に入ってもらえるだろう、と期待を込めながら、焼く。ついでにリクエストを受けた水森亜土の『すきすきソングス』は、ぜひ聴いてほしかった1枚なのだけど、CCCDだから焼けないかもしれない、とあらかじめ軽くお断りしておいたのだが、一度MP3にしてから試みたら、何のことはない、焼けた。なんのためのCCCDマークなのか。単なる体面か、あるいは消費者の怒りをあおることだけが目的なのか?

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もうじき封切り館での公開は終わってしまいそうだけど、ジョージ・クルーニーの「グッドナイト&グッドラック」はなかなかに嬉しい1本だった。題材も映像も音楽もかなり趣味的、とはいってもマニアックというほどではない。まさか2006年に、こんなまっとうにシブいモノクロ映画の新作が見られるとは思わなかった。驚いた。

赤狩りを題材にしている硬派なドラマだけれど、わざわざ社会派と呼ぶ必要もないのは、ケン・ローチの映画をわざわざ社会派と呼ぶ必要がないのと同じこと。ところで、この映画は、赤狩りについてまったくなんの知識も持たないひとを啓蒙するためのものではないから、歴史的背景のすべてを説明してはくれない。

そのかわり、ディテールを積み重ねて、ああ、50年代のアメリカのTV業界ってのはこんな感じだったんだろうなあ、となんとなく納得させてくれる。その、「説明せず、納得させる」のが映画の仕事のひとつなのだとぼくは思っている。だから、ジョージ・クルーニー監督の手腕、見事というほかない。

音楽。ダイアン・リーヴスの歌がふんだんに聴ける。音楽はいわゆるBGMとして流れる部分はあまりなく、スタジオで彼女が歌うシーンを何度か挿入している。いわゆる映画音楽映画音楽した映画音楽に対するなにがしかの意見なのかもしれないが、そんなことがどうでもよくなるくらい豪快にスウィングしていて、気持ちよい。「TV・イズ・ザ・シング・ディス・イヤー」というTV賛歌が気に入った。もともとはダイナ・ワシントンの歌らしい。

カメラ。さすがに外人の撮影監督の名前まで気にして覚えるほどヒマでも勉強熱心でもないので、家に帰って調べてみたところ、撮影はロバート・エルスウィットというひと。ポール・トーマス・アンダーソンの長篇4作すべてを手がけているのだった。

怖い話が声をひそめて語られることによって怖さが倍増するように、決して声高にならないクルーニーの抑制された語り口は、50年代と21世紀を貫く恐怖をまざまざと見せ付けてくれる。

たとえば、マッカーシー陣営からのツッコミに備えるため、共産党シンパは名乗り出てほしい、とスタッフに問いかける場面。ひとりの局員が、それじゃ自分はこの仕事は降りよう、と告白する。理由は、別れた妻が、彼と付き合いだす前の独身時代、共産党の集会に出席したことがあるから、というのだが、彼がそれを知ったのは、離婚後のことだったというのだ。

本人はおろか、身内の過去まであばきたてる事態がまず異常だし、その過去が本人に実際に影響を及ぼすこと、それを懸念した本人が行動を自粛すること、すべて尋常じゃない。世界が尋常じゃなければ、生活していくためにはそれにあわせなくてはならず、これは昔の話でも他人事でもない。歴史の異常さを笑うのではなく、歴史に学ぶこと。
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by soundofmusic | 2006-05-25 15:19 | 日記 | Comments(0)

7時のニュース

ここのところ気になったニュースをみっつばっかし。どれもミクシィ経由。

ロッキンオンジャパンの公式サイトの編集部日記で、なにやらヤヴァい日記がアップされたとの情報。それ以上は自分で調べろとしか書いてなかったので(不親切な……)、さっそく見に行ってみると、該当日記は削除されていて、型どおりの、当然何が起こったかについては一切言及しない、そんな「おわび」のような文言が載っていた。(18日現在、それすら消されて、それこそ何事もなかったかのようになっている)

2ちゃんねるに不慣れなので何が書かれていたのかを突き止めるのにしばらく時間がかかってしまったが、ここの書き込み280番(05/10(水) 15:12:08)にあるとおり。

ぼくが内容を要約するとまたやれ恣意的だのなんだのと言われるので要約しないが、それにしてもねえ、消さなくてもいいんじゃない? ミュージシャンとライター、法律的に結婚すれば祝福されるんだろうし。ロッキンオンよ、別にロックが反体制であれとかいまさら言わないが、自分の頭で物事を考えてくれ、そして……もういいや。

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もひとつ。杉浦由美子「オタク女子研究 腐女子思想大系」(原書房)という本をめぐって、 論争というか騒動が起こっているらしい。

こちらがまとめサイト。という名のリンク集。

わたしはこのかたの書いているようなことに、わりと共感するけれども。

なんかこのネタ、書き始める前はおもしろそうとたしかに思っていたのに、いざパソコンに向かうと別に言いたいこともそんなにないのでした。よくある話のひとつという気もする。

あ、違った。言いたいことあった。問題の本が問題になっている問題のひとつとして、いろいろなレヴェルでの事実誤認があるという問題があるらしいのだけど、たしかに固有名詞の間違いなんかは明らかに問題だとして、「オタク女子の歴史と銘打っておきながら○○を取り上げていないのはおかしい!」というコメントは、もはや「事実誤認」とくくることのできない、歴史認識の問題ではないのか。

たとえば、と、レコードの話にしてみると。

ロニー・ドネガンを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。
ビートルズを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。
ジョージィ・フェイムを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。
ヘロンを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。
スミスを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。
KLFを抜きにして、英国ロックの歴史は語れない。

という5つの文章のうち、どれが「正しい」か、というくらいの話でしょう。部外者にとってはどうでもいいという……

しかし、この本、これだけ攻撃を受けているところを見ると、やっぱりちょっと(どころでないのかも)おかしいんだろうな、きっと。

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もひとつ。講談社の雑誌「VoCE」が、池袋の執事喫茶に潜入、無断で店内を撮影してそれを記事にしてしまった、という話。こちらをご覧ください。

ふつうに予約して行ったのだから、行ったこと自体は問題ないとはいえ、なんというか、脇が甘いというか。記事自体もやけに尊大だし、事後処理もマズイ。

何かことが起こってネットで大騒ぎ(というか大騒がれ)、という構図はいまや珍しくないわけだけど、活字・放送関係の方々は、他社の巻き込まれた騒動の前例から学んだりしないんだろうか。いまだネット社会は異物、の感覚なんだろうか。

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どれもこれも7時のニュースではとりあげられないようなネタばかりだなぁ、と思ってみたものの、あそっか、みっつともオタク社会のできごとかぁ。ウザくてクドくてキモいけれども徹底性に欠けるのでヲタではない、と自己を規定しているわたしは、無責任な部外者の態度でそっと肩を抱いてやるくらいしかできないのであります。
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by soundofmusic | 2006-05-18 13:16 | 日記 | Comments(0)

すべては引用から始まった

いつものように(不正確な)引用で話を始めるなら、保坂和志はユーモアの定義として、「お互いに関係ないふたつの事柄を結びつける技術」というようなことをいっていたし、ジャイルズ・ピーターソンは彼の仕事について「Joining the dots」なるフレーズを使用していた、とここまで書いたところで、すでにこのことは何度か書いたネタのような気がし始めたけれども、かまわず続けることにする。

いま、DJというと、リミックスをしたり、自分でトラックを作ったりするクラブ・ミュージック系の人間な印象が強いから、別に誰も踊るわけではない(踊ることを禁止してはいないのに!)PPFNPで音楽をかける人間は、レコード係とでも呼ぶべきなのかもしれない。

とはいえ実際、空飛ぶモンティ.パイソンを見ていると、DJ的なつなぎの絶妙さに思わず唸らされたりするわけで、となると、踊れるかどうかというのはそれほどたいした問題ではない。問題は、自分が他人のふんどしで相撲をとっていることにどれほど自覚的であるか、ではないだろうか? いいトラックがなかったら作っちまえ、というのはDJとはまた別の態度なのでは?

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さて、ご存知の方はご存知の通り、わたしは物心ついてから、ほぼ一貫して、他人のふんどしで相撲をとり続けている。つまり、オリジナリティがないことにかけてはオリジナルな存在であるともいえる。それを生かすことができまいかとうすぼんやりと考えていたところ、最近、おもしろい話にありついた。

「ミュージックシェルフ」というサイトがある。これは、(今のところ)100人くらいの音楽好きの著名人(セレクタ)が、あるテーマにもとづいて10曲を選んだプレイリストをまとめて閲覧できる場所。読むだけでも楽しいし(音楽について書かれたものを読むのは、たいていいつも楽しい)、興味を惹かれたら、そのまま購入できる。

個々のリストはまず、それぞれ独立したものとして存在しているのだけど、あるキーワードによって、ほかのリストともつながっています。その、つなげる作業のお手伝いをしました。自分で選曲せず、他人の選曲したリストをつなげるという、いわばメタDJというか、究極の他人のふんどし。もしかすると、天職かもしれない。とまあ、それは冗談だけど。

セレクタもプレイリストも、これからどんどん増えていくはずで、全体が一望できないくらいの規模になると、また違ったおもしろさが生まれるのではないかと思う。そんなとき、交通整理するのではなく、あちらへこちらへと迷ったまま出てこられなくなるような、そして気がつくと、思わぬ場所に来ていたというような、そんな体験の手助けができたら嬉しい。

森山のことはさておき、このサイトには大きな可能性が秘められていると思います。インターネットの効用のひとつとして、潜在的な可能性を顕在化させる能力があることにはみんな気づいているはず。ネット以前では出会うはずのなかったひと同士が出会う、というのが誰にでも分かりやすい例。それ以外、たとえば就職活動でも買い物でも、つまりは隠されていた機会や可能性が掘り起こされて、世界が活性化している。これを希望と呼ばずして、なんと呼ぼう?

余計な情報に踊らされるとか、レコード代がかさんでしかたないとか、そういったマイナス面もあるにはあるけれど、情報が行き渡ったおかげで、安くていい買い物をするチャンスも増えたのだから、プラマイゼロじゃあないだろうか。

というわけで、本日正式オープンの「ミュージックシェルフ」、まずはごらんくださいまし。
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by soundofmusic | 2006-05-15 19:02 | 日記 | Comments(0)

わたしに3分間だけ時間をください

何曜日だかの夜中にやっている「カウントダウンTV」を、何年ぶりかで数十分単位で連続して見たあと、何か言おうとするとそのとたんに徒労のような気がしてしまったのは、やはりJポップが、それを愛好する専門家集団のためだけの音楽だからかもしれない。

こういう発言を、傲慢に聞こえないようにおこなうのはとても難しいのだけど、トップ40に入るような曲がだいたい5パターンくらいに分類できてしまう気がするのは、どういうわけだろう。現代のJポップがつまらないから? 産業構造上いたしかたない現象? わたしの耳が異常に聴き取り能力に秀でているから? あるいは単に、ヤキが回った? どれもある程度正しく、また同じくらい間違っているのだろう。

ぼくの洩らした何がしかの感想を聞いて、一緒にTVを見ていたひとは、「イギリス人もイギリスの音楽を聴いて、『最近の音楽ってつまんねえなあ』って思っているかもしれなくてよ」と言っていた気がするが、わたしの言いたかったのはそういうことではないし、また、言うまでもなく、それは、今のイギリスの音楽が“元気”であることとは関係がない。

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この問題には結論はないので以上で打ち切りにするとして、3分から5分でとりあえずは完結するポピュラー音楽の“曲”という形式が、音楽するうえでどれくらい本質的な問題なのか、について考えて眠れなくなった経験は誰にでもあるはずなのに、そうしたことが当の音楽から聞こえてこないのはどうしたわけなのか。

と文句をたれてみるわたしは、反面、3時間も5時間もある映画を撮ろうとするある種の“映画作家”(と括弧をつけて書くのは、つまり、わたしはこの表現をあまり好まないという意味)に対してはいつも、「ウディ・アレンもジョン・ウォーターズもジャン=リュック・ゴダールもみんな1本100分以内なのに、お前さんだけどうしてそんなに時間がかかるんだい」と言いたくなってしまう。当たり前だけれど、人生の長さに比べたら1時間半だろうが6時間半だろうがどっちも大差ないのであって、だったら1時間半のほうがいいに決まっている。

これは、柴又に行ったときに気づいたこと。わたしは「男はつらいよ」シリーズのほぼ全作品を1回ずつ(何本かは、複数回)見ているから、あの世界にトータルで100時間くらいはひたっている計算になるけれど、そんなもん、実人生に換算すればせいぜい3泊4日にすぎない。

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もちろん、映画や音楽の時間を実人生の時間に換算したり、今まで買ったレコードの代金を暗算して、使わないで貯めておけば小ぶりのマンションが買えたはず、などと後悔してみせるのはバカバカしい。

とはいえ、比喩的にもそうでない意味でも、3分間で収まらないし収める必要もない音楽がこの世にはある、ということを知るために、『オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽』は有用。お値段は10500円だけれども、7枚組だから、決して高くはないはず。

武満の映画音楽というと、ぼくなぞは痙攣したような弦の響きをまず思い出すけれど(どうでもいいが、渋谷実「気違い部落」の黛敏郎による音楽は、かなりタケミツ入っている)、このボックスには、ビッグ・バンド・ジャズ、バカラック風のエレ・ピ、正統派のメロドラマ向きストリングス、と、およそひとりの人間の仕事とは思えない幅広い音楽がぎっしり詰まっている。はては充分にクラブ・ユース可能なラーガ・ロックまであるのだ。ウソではないよ。今月のPPFNPでガボール・サボとつないで流しますから、遊びに来てごらんなさい。

と、要するに、このブログに書かれている文章はすべてイヴェントの宣伝なのだが、最後に、話を戻してみると、実際、Jポップのチャートを何年も追い続けるとしたら、微妙な差異をさもおおごとのように喜んでみせる、ほとんどアカデミックとすらいいたくなる(この形容は間違っているのでしょうか?)努力(忍耐?)か、あるいはその差異を見てみぬふりをするルーティーン的な愛情(鈍感さ?)が必要なはずで、ああなるほど、結婚したり赤ん坊ができたりしたら、音楽(むろん、Jポップに限らず)にかまけている労力も時間もなくなるはずさぁね、だなんて陳腐な結論に達したくなるのはやまやまとはいえ、そこをぐっとこらえて、ではさて、今日はどんな音楽を聴こうかしらん。
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by soundofmusic | 2006-05-10 23:50 | 日記 | Comments(0)

さびしい種族

菊地成孔の「CDは株券ではない」(ぴあ)をたいへんおもしろく読み終えて、今度は、鈴木惣一朗の「ワールド・スタンダード・ロック」(ソフトマジック)にとりかかっているところ。これもめっぽう楽しくて、つまり今は、「つまらない本? なぁに、それ? この世に存在するもの?」とでも言いたい気分ってわけ。

モンド・ブームの仕掛け人のひとりということが意外に感じられるほどの、王道(とその他)のロック・アルバム紹介。数十年にわたって音楽を聴き続けているひとならではの、ダシみたいなものがたっぷりにじみ出ている。それになんといっても、求道的なところがまるでないのが素晴らしい。

印象的なフレーズがそれこそそこかしこにたくさんあって、たとえば、こんなのとか:

ポップス/ロックってもともとジャンクなものなんだから、ベタなショービズに帰っていくのは当たり前だよね。「何をそんなに真面目になってるんだ?」っていうことも大事。だから、今のエレクトロニカ(?)を取り巻くシリアスな雰囲気も、いかにも何かが起きてるっていう風にしてるけど、ちょっと嘘臭いなあってぼくは思ったりもするんだよ。

このありがたい一節が載っているのは、スージー・クアトロとランナウェイズが紹介されているページなんだ……。菊地の本でちょっぴり疲れた頭には、すうっとしみこんできて含蓄があるこの本、とても気持ちがいい。

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スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンが13年ぶりに新譜を出した。それを何度か繰り返し聴いてから、13分だけ時間を作って、小沢健二の「天使たちのシーン」を真面目に(鼻くそはほじらず、正座して、スピーカーに向き合って、という程度の意味)聴いてみる。さすがに13年もたつと何がしかを感じたりして、なんならそれを感慨と呼んでもいい。

だいたい13年くらい前、地形が人体に与える影響について興味があって、とはいえそのころから、きちんと物を調べるのはめんどくさいほうだったから、大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んで感心したりしてそれっきりになっていたわけだけど、『犬は吠えるがキャラバンは進む』をひさしぶりに聴いてみると、いくつかの曲に保坂和志と同じものが見えた。

保坂の最初の本「プレーンソング」が出たのが、90年。『犬』が出た93年9月に2冊目の単行本「草の上の朝食」が出たのが、そう思ってみると何かの符丁のようでもある、か?

「天使たちのシーン」にはスティーリー・ダンの名前が出てくるけれど、そういえば、最初に「天気読み」を聴いたとき、なによりもびっくりしたのが、デッドなドラムの音。当時のぼくにとって、それは聴いたことのない音(楽)だったから。ドナルド・フェイゲンのドラムの音は今でもタイトかつデッド。

ダシが利いていて澄み切った、上品な味のお吸い物のような音楽。やはり20歳くらいのころにずっと、「俳句のようなロックはどこかにないものか?」だなんて考えていたことを思い出してしまった。

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日々のあわ*シネブックの森」で知った、ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「銀幕の東京~失われた風景を探して」。

いろいろと気になる作品多数、ひさびさに大充実の予感。何度も見逃している川島雄三の「銀座二十四帖」、ぜひ押さえたいし、今後一生見る機会はないかもと思っていた千葉泰樹の「下町」を再見できるのも嬉しい。

早くチラシが見たい。こうした特集上映のチラシをもらってきて、(たいていはひとつの作品の上映期間が短いので)いつ何を見に行こうかと作戦会議をしているときが、いちばん楽しい時間。映画ファンとは、そういうさびしい人種なんだ。だから、どこかで見かけたら、いたわってやって。たとえ少しばかり汗くさかったり、動きがキモかったりしたとしても。
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by soundofmusic | 2006-05-03 09:20 | 日記 | Comments(0)