<   2007年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ハドソン! ハドソン!

ユリイカの2月号、「戦後日本のジャズ文化」特集号を読んでいるところ。まだ途中なんだけど、こりゃおもしろい。

山下洋輔とマイク・モラスキーの対談には、山下が米軍の慰問の仕事を受けてグアムに行ったら、キューバ危機が勃発して、次のバンドが来るまで残ってろっつって何ヶ月もそこで足止めを食ったなんてことが書いてある。キューバ危機を米軍基地で過ごした人間はそうそういないだろうって言ってましたがそりゃそうに違いない。

モラスキー氏はそのまんま「戦後日本のジャズ文化」と題した本(青土社)を日本語で書いて出していて、古本で安くみっけたいと思っているのにぜんぜんでくわさない。誰か見つけといてくれまいか。もしくは、今年は1月に森山の誕生日が来るから、それにあわせてプレゼントしてくれるのでもいい。

---

ビル・コンドン「ドリームガールズ」を見た。

アカデミー助演女優賞にノミネートされていて下馬評の高いジェニファー・ハドソン、どれほどのもんなのよと斜に構えて見に行ったら、あっけなくノックアウト。すさまじいパンチ力。ほとんど主役じゃないですか。

「バベル」の菊地凛子がどれほどのものなのか見ていないのでなんともいえないけれど、このハドソンさんに勝つのはどんなひとでも相当に難しいはず。

映画はいいとこと悪いとことあって、ただし全体としてはなかなかおすすめ。コアなソウル・マニアはいろいろここがおかしいだのどこそこがヘンだだの言いたくなるだろうけど、ま、そういうつまんないことは言わぬがよろし。

---

今週の土曜日、3月3日は渋谷、道玄坂上というか先のバー、メスカリートでDJです(地図)。

22時半ごろ~29時ごろまで、わりとおとなしめな感じのロック、ジャズ、ソウル、邦楽なんかをあれこれ取り混ぜる予定。チャージ500円+オーダー(ドリンク全品500円)。終電まででも朝まででも、みなさまお気軽にお越し下さい。
[PR]
by soundofmusic | 2007-02-26 02:48 | 日記 | Comments(0)

いろんなことに夢中になる前に飽きたり

レコード・コレクターズを1冊通して読むとけっこうな時間がかかることは、知っているひとは知っているし知らないひとは知らないことだけど、出勤の電車の中と、仕事が終わってから宇都宮の実家に帰る電車の中とでずっと読んでいたら、途中で居眠りをはさんでもなお、読み終えてしまった。

特集はアトランティック・レコード。もちろん、巨大さと雑駁さとユニークさを兼ね備えたこのレーベルの全貌を完全網羅、とはさすがにいかないまでも、ざっと概観するその手つきはなるほど、レコ・コレならでは。アメリカのレコード・レーベルをたったひとつ選ぶとしたら、もしかしたらアトランティックになるのではないか、とも思った。

同社はエルヴィス・プレスリーの獲得に動いていたそうで、RCAではなくアトランティックと契約していたら、どんなアルバムができたことか、想像するだに興味深い。

この、あまりにもアメリカ的なレーベルの創設者は、駐米トルコ大使の息子、アーメット・アーティガンらだけど、映画「Ray」に登場するアーティガン役の役者は、通常求められる度合いをあまりにも超えて、アーティガンに似ている。ふつう、映画は、そういうところには力を注がないことになっているもんだけど。

---

後半のディスク・レヴューを読んでいると、トリステ・ジャネイロがアメリカのグループだとか、マーク・エリントンが実は米国ではなく英国人だったとか、個人的には驚くべきことがいろいろ書いてある。

ただ、そういったあれこれもそうだし、なにが紙ジャケになったとか、お蔵入りしていたアルバムが発掘されたとか、あのバンドが再結成したとか、遺跡から壷が出たとか、畑から芋が出たとか、誰と誰がくっついたとか、聞いてもあんまり興奮しなくなってしまった。

誰でもひとつくらいは夢中になれるものを持っているらしい。今年は何か、そういうものが見つかるといいと思っている。

---

先日いったん中止になった企画の仕切り直しです。

渋谷、道玄坂を登りきったさらに先のバー、メスカリート地図)にて、3月3日(土)の夜、レコード回します。いまのところ、参加が決定しているのは、森山とマジックさんとAZさん(ムサシノカチューシャナイトほか)。

22時半ころからスタートで、朝までやってる予定。終電まででもけっこうですので、ぜひお気軽に。メロウで切ない感じになるかもしれませんが保証はできません。チャージ500円、ドリンクすべて500円。なごめる店です。

当日、エッジエンドでは、どんまいさんなどによるトリビュート・トゥ・渋谷系イヴェント「Flat Field」(18時~22時)がありますから、そちらに顔出してもおもしろそうですよ。森山は行くつもり。

---

そういえばレコ・コレを読んでひとつ、得したこと。こないだジュディ・シルを買って、つまみ聴きしてたら「ジーザス・ワズ・ア・クロス・メイカー」に聴き覚えがあった。そしたらレコ・コレに、この曲とニック・ロウの「ピース、ラヴ・アンド・アンダスタンディング」の親縁性について書かれていて、なるほどと膝を打った。

(のだったが、いま調べてみたら、ただ単に、キャメロン・クロウ「エリザベスタウン」で使われていたのを思い出しただけかもしれない!)
[PR]
by soundofmusic | 2007-02-20 02:04 | 日記 | Comments(0)

映画の中の手仕事

マキノ雅弘が東宝で撮った「次郎三国志」のシリーズに出てくる魚屋、三保の豚松のことは前回書いた。次郎長の噂を聞きつけ、子分にしてほしい一心で、彼は毎日のように次郎長一家に鮮魚を届ける。

たしか一度か二度、カゴから魚を取り出して包丁の背でウロコをこそげ落とし始める場面があった。すぐに別のカットに移ってしまい、魚をさばくところまでは見ることができなかったので、残念な思いがしたものだ。なぜなら、豚松を演じる加東大介は、ちょっした手仕事を魅力的に見せる名人だから。

---

成瀬巳喜男の「おかあさん」では、亡くなった夫のあとを継いでクリーニング屋を切り盛りする田中絹代を支える役だった。業務用のおっきなアイロンのかけ方を教える名場面がある。腕だけで動かすと、見た目の仕上がりはうまくいってもすぐにしわになる、だから全身の体重を乗せるようにしてやってみなさい、と、実際にやってみせるところに惚れ惚れさせられる。

千葉泰樹の傑作中篇スリラー「鬼火」では、ガスの集金人に扮している。集金の途中、親戚だか古い知り合いだかの家に立ち寄り、そこの家業であるところの、なんだったか、桶屋とかわらじ編みとか縄をなうとか、そういったことを手伝うのだけど、本筋とは関係ないそのシーン、いまでも目に浮かぶ。

加東が笠貼りをしたり、封筒の糊付けをしたりする、そういう内職映画があったらよかったのにと思う。

---

こういったことは一例に過ぎないので、小さなものをこつこつ積み上げていくことでなにか大事な輝きを獲得できる場合もあるし(いつもではない)、反対に、あるいは同様に、ささいな部分をおろそかにしたことで映画全体がぶち壊しになる場合もある(これはよくある)。

魚喃キリコのマンガを原作にした、矢崎仁司「ストロベリーショートケイクス」。4人の主要登場人物のうち、イラストレーターの塔子を演じる岩瀬塔子の演技にはぐいと胸ぐらをつかまれるような心持ちがした。

イメージがつかめず、何度も描き直した末に苦労して仕上げたイラストを編集者に紛失されて怒りをぶちまけるところも迫力があって、原作者が自分自身を投影したキャラクターをぴったり演じることのできる女優、と思わせたし、感心したのは、パレットで絵の具を混ぜる手つきのそれらしさ。

映画のHPによれば、岩瀬は「長篇は、本作が初出演となるも、大胆な演技で塔子を熱演し、存在感をアピールした。今後の活躍がますます期待される女優である」とのこと。また、彼女にぴったりな役が見つかるとよいと思う。

---

映画自体は、池脇千鶴(脱いでない)が出ている以外にはさしたる見どころもない作品だった。やはり魚喃の原作による、安藤尋「blue」は傑作だったのに。

もしかすると、こういうふうに生きているひとたちが存在しうる、という事実を世に広く知らしめることには意義があるかもしれない。でもこの映画は、そういう事実を知る必要のあるひとたちに届く機会はないだろう。
[PR]
by soundofmusic | 2007-02-14 21:02 | 日記 | Comments(0)

ほんとのきもちは

いまの家に引っ越してきてから1年半近くたつ昨日、自宅の最寄り駅をはじめて利用した。というのもそれは都電のとある駅なので、それに乗ってどこかに行くことがいままでなかっただけの話。終点の早稲田で降りると小雨が降り出してき

めんどくさいので、以降、ふつうに書きます。早稲田大学の文学部の正門の斜め向いくらいにある、茶箱という店のことはあるいは以前にも書いたかもしれないけれど、そこで開かれた、「早稲田歌謡大全集」なるイヴェントに行ってきました。

昭和と平成が地続きであると分かるナイスな試みでした。ゴールデン・カップス「ヘイ・ジョー」のベースラインの異常なまでのうねりに悶絶し、シュガーの「ウェディング・ベル」のサックスがスタン・ゲッツみたいなのを発見し、「吐息でネット」が誰の曲だか思い出せずに家に帰ってから調べたり、ファントムギフトの「ハートにOK!」でスイッチが入って踊り狂ったり、そこをどんまいさんに見つかってというか指摘されて恥ずかしい思いをしたり、しました。

3月のPPFNPにご参加なされるどんまいさんからは、コメントをいただいた。いわく、「ピュアポップを食う気で行きますから!」とのこと。弟よ、負け戦覚悟で挑まなくてはならなそうだ。だ、誰か、千人針を!

どんまいさんなどによる渋谷系イヴェント「Flat Field」は、3月3日、エッジエンドにて。お暇な方、当日お会いしましょう。

---

もひとつ告知がありました。課外活動っていうか、単なる飲み情報。

渋谷、道玄坂を登りきったさらに先のバー、メスカリート地図)にて、来週、17日(土)の夜、森山とマジックさんでレコード回します。PPFNPをさらにまったりさせたような感じになるかと。フードはほとんど置いてないので、持ち込み自由というか、強く推奨。チャージ500円、ドリンクすべて500円。なごめる店です。

スタートは22時半かそこらで、2時くらいまで適当にやってる予定。そんな時間じゃ帰れない、という方も、終電まででもけっこうですので、ぜひお気軽に遊びに来てください。


このイヴェントはよんどころない事情で中止になりました。近日中に振替日を決定したいと思います。続報をお待ちください。

---

今週は、満を持してという感じで、シネマヴェーラ渋谷の「次郎長三国志」全9作を順番に見始める大事業を始めた。いまのところ5部まで見て、残りは来週のお楽しみという状態。しかし、ねえ、これはとんでもない映画ですよ。この夢の中に入ったまま、出てきたくない。ほんとの気持ちはそんなところ。

お話としては、よく知られた清水の次郎長一家の物語。もともと米屋の息子であった次郎長が、ケンカでひとを殺してしまったと思い込んで旅に出て、侠客となって戻ってくる。で、しだいに子分が増えたり、ほうぼうでケンカをしたりする。

ところでわたしはストーリーの要約が大の苦手で、また、おもしろいかどうかはストーリーにあまり関係ないとも思っている。より正確に言えば、ストーリーに依存しない部分でのおもしろさのほうを高く評価する、ということかも。

---

このシリーズに限らず、よいときのマキノならではの魅力は、知っているひとはよく知っているけれどもそれはあまりにも言語化困難なものであるため、あまり広く喧伝されていない。たとえばそれはふっくら炊き上がった米の飯とかよく冷えたスイカとかスイスロールとかがグルメ本に絶対に載らないのと似ている。

ありきたりないいかたをすればそこにたしかに人間がいる、となるのだけど、たとえば、第五部。ここでは、次郎長とその妻、お蝶とのなれそめが当人たちによって語られる。それを子分たちがはやしたてつつ傾聴するが、こののろけ話には実際涙が出てくる。そして、なんで泣いているのか自分でもよく分からない。

それに続く甲州への殴り込み。あまりに多幸症的な前半とはうってかわって痛々しい。ここで森繁久弥が片目を斬られ、加東大介は背中から斬りつけられて息も絶え絶えだ。いや違う。片目を切られたのは石松で、死にかかっているのは役者じゃない、三保の豚松そのひとだ。でなければ、石松がやられたときに自分まで痛みを感じるはずがない。

---

1953年から54年にかけて作られたこのシリーズは全部で10作になるはずだったが、当時、東宝が作っていた大規模な時代劇に予算をとられて、9作までで終わってしまった。その大規模な時代劇に加東大介が召集されることになり、撮影現場に「ブタマツコロセ」との電報が届いたのは有名な話。一説では、助監督の岡本喜八が「コロシヤマキノ」と返事の電報を打ったとも聞く。

いくら「七人の侍」だからといって、豚松をそうして恣意的に殺すことをオレは許さないよ。映画史上のエピソードを知っていながらもなお、わたしはいま、兇状旅に出た次郎長一家と別れ、戸板に載せられて清水に運ばれていった豚松の身の上を案じている。

---

1/20のセットリスト、完全版に更新されました。ご覧ください。→見る
[PR]
by soundofmusic | 2007-02-10 14:42 | 日記 | Comments(0)

割れた卵の中から

ロックなんぞを聴き始めたころ、よく分からなかったことのひとつに、いったいこのプロデューサーというひとは何をしているのだろうか、ということがあって、何年かたつうちに、別にステューディオを見学しに行ったりしなくてもなんとなく答えのようなものが分かっ(た気になっ)てきたわけだけど、思えば映画監督に対して持つイメージも、似たようなものかもしれない。自分で演技をするわけでもなく、カメラを回したり脚本を書いたりは、するひともいるが必須ではなく、それでいて、明らかに映画のよしあしを左右する。その点、野球の監督とも似ているが、英語だと映画監督はDirectorであり、野球の監督はManagerと呼ぶのが普通のはず。

ところで、映画のカメラマンの仕事も、分かるようで分からぬようで、などということを思ったのは、今日、新文芸坐に行ったら、ソクーロフの「太陽」の予告篇がかかっていたから。ごらんになった方ならお分かりのとおり、あの映画は、不敬などというものではまったくなく、どうして公開が危ぶまれたりしていたのかまったく、どう考えても、理解できないのだけどそれはそれとして、やけに色を抑えた撮影なもので、見ていると目がしぱしぱして、最後のクレジットのとき、これはいったいなんというカメラマンなのかと思って確認したら、何のことはない、監督自身が撮影も担当していたのだった。

---

新文芸坐で見たのは、吉村公三郎の「婚期」。水木洋子の脚本はまったくもって容赦なく、それでいてよく笑いを誘いもするのだけど、でもやっぱりちょっと容赦なさすぎる気がする。

撮影は宮川一夫で、わたしはこのひとにがっかりさせられたことが一度もないはず。そういう思いを抱かせてくれる映画人は、実は少ない。杉村春子、山田五十鈴、くらいじゃないだろうか。

「婚期」では、たとえばテーブルの上に置かれた卵が転がって、落下して、床にぶつかって、割れる、という流れを、まるで奇跡かなにかのように映し出してくれる。たとえば、ミルク・クラウンの映像をみなさんご覧になったことがあるだろうが、あれを初めて見たときの驚きを思い出してほしい。あの驚きを、高速度撮影もズームも使わず、ごくありきたりなできごとを映し出して、実現するのが、宮川一夫。

そういうものを見たときの客席の反応はどんなもんか、といえば、卵が転がりだしたとたんに、思わずいっせいに、「あーあー」という声が漏れるのである。

---

卵からしてそれであるから、若尾文子なんぞを撮る手つきというのか目つきというのか、それはもう、ただごとではない。おそらく、その当時の実物の若尾文子に会ったって、このフィルムに定着した姿ほどには美しくはあるまい、とため息が出る。

宮川一夫の天才ぶりが味わえ、それでいてごく気楽に楽しめる映画なのはいいのだけど、なんだか、映画を見るなんてむなしいという気分にもなってしまう。
[PR]
by soundofmusic | 2007-02-04 20:49 | 日記 | Comments(0)