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あにいもうと

d0000025_14231876.jpg昨日はうかうかしてたらCDの話に終始して、音楽のことを書くのを忘れたので、ささっと1枚だけ、紹介しておきます。キティー、デイジー&ルイスのデビュー作『キティー、デイジー&ルイス』。

このイギリスの3きょうだい、誰が何歳なのかわかりませんが、いちばん年上でも今年20歳とかそのくらいの、とにかく若いひとたち。そして趣味がえらくシブい。ロックンロール、ロカビリー、ハワイアン、ブギウギ、と、50年前に戻った感じ。クラブでは78回転のレコードでDJし(ウソだろ?)、このアルバムも78回転のSP10枚組というフォーマットでもリリースされているんだとか(買うと自動的にCDもついてくるので、安心)。そもそも、アルバムというのは……なんて大瀧詠一の受け売りで話を始めちゃうと、写真のアルバム(っていうのも、デジカメ時代になって見かけづらくなったもののひとつ)と同じで、ブック状になったところにSPが6枚とか入っていたものを指す言葉だったはず。

ネットでの試聴では気付かなかったけれど、CD買って聴いてみると、この若い衆、ずいぶんと演奏が荒い。ドラムなんて、ちょっとありえないくらいのニュアンスのなさ。そのかわり勢いと心意気で突っ走っていて気持ちよい。昨年ちょっと話題になったダフィーの『ロックフェリー』、あの小ぎれいなレプリカぶりがいけすかなかったわたしには、KD&Lのできたてほやほや、打たれる前の鉄みたいな、まだ湯気が立ってるヴィンテージ・サウンドのほうが性にあってるみたい。

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ということで、あしたはこちら。たぶん、KD&Lもかけます。

PPFNP Vol.70
日時:2009年01月31日(土)18時~22時
会場:渋谷エッジエンド(Tel:03-5458-6385)
地図。
料金:800円(1ドリンク&おみやげ付き)
DJ:高嶋里美(BarThree)/森山弟(弟)/森山兄(兄、サウンド・オヴ・ミュージック)/ほか
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by soundofmusic | 2009-01-30 14:22 | 日記 | Comments(0)

圧迫CD

このブログは第一義的にはイヴェントの告知宣伝用なのはいうまでもないのですが、近況なんかを書くことが多く……とか書き始めると、いったい今日は何が始まるのか、と身構えてしまうひとがもしかしたらいるかもしれませんが、とくにたいした話をするわけではないです。いやなに、DJイヴェントのブログの割には音楽のことが書かれておらず、いつも映画のことばかり書いているなあ、といまさらながら(!)気付いたという次第。

音楽というか最近気になるのはCDのことばかりで、このごろの我が家のCD事情といえば、コタツの上と座椅子のそばに積んであったCD(150枚くらいか?)を部屋の隅に並べたのがひと仕事でした。ずいぶんすっきりした。CDは、油断しているとすぐにコタツの上に乗っかってしまう性質がある。なるほど、聴きたいときにすぐに手にとることができるからこりゃ便利なんだけど、いつのまにかコタツの上の作業スペースが横20センチ×タテ15センチくらいになってしまい、圧迫感の中で日々を送っておりました。どかしたら、視界と気分が晴れ晴れしました。ぜんぜん本質的でない。

ようやくひといきついていたところに、シカゴのダスティ・グルーヴ・アメリカからの荷物が届いた。ここのことを再発レーベルとして知っているひともいるでしょうが、お店でもあるらしく(?)、以前にも通販したことがあった。このあいだ、時間があったのでバーゲンコーナー(サイトの左下、CD's under $9の欄)を丹念に見ていって、22枚一気買いしたのでした。送料が$40くらいかかったけど、それ込みでも1枚あたり800円くらいだから、お得とはいえる。お得とは言っても、CDを買うことでお金が増えることはないのは言うまでもないのだけど。で、いま見たら、品揃えが一部変わっていてまた新しい品が追加されている……また5枚頼んでしまった。

買ってばかりいると部屋が狭くなって仕方ないので、少しずつ売ろうと思い立ち、ひさしぶりにヤフオクに出品。ふだんは買い物にしか使っておらず、それでもやつらのサイトの使い勝手の悪さ、スマートさの欠如、にはいつもイライラさせられているのだけど(イーベイを見習え!)、出品してみると余計その思いが強くなる。サイトを作ってるひとが、自分でそのページを見たり使ったりしていないときにこういう現象が起こるんだと思う。フラッシュを使いまくった映画の公式サイトもしかり。

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あさっては、今年初のPPFNPです。いかにも2009年の念頭にふさわしい感じのおまけを用意してお待ちしておりますよ。CD買うばかりでぜんぜん聴けてませんが、小躍りしたくなるような音楽をいっぱい持って行く予定。こぞってお越しください。
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by soundofmusic | 2009-01-29 17:28 | 日記 | Comments(0)

声に出して読みたい日本映画

d0000025_16271072.jpgラピュタ阿佐ヶ谷で千葉泰樹の「河のほとりで」を再見して、褪色しまくったプリントにげんなりしつつ、いかにも石坂洋次郎的なセリフのセンスにクラクラしてきました。前から言ってることだけど、戦後日本の思想家のひとりとして石坂を再検討するとおもしろいと思う。思ったことをへんに持って回らずストレートにぶつけあい、それでいてそれを人格への攻撃だととらえたりは決してしない人間関係のありようは、わたしにとってむずがゆい理想郷であり続けている。

いろいろいいセリフがあったのだけど、あらかた忘れてしまった。ひとつだけ覚えているのは、これは初見時から気に入っていたもので、岩場で全裸になった星百合子が水着で焼け残った白い肌を指して発する、「この白い部分が文明であり教養であり常識なのね」とかいうもの。しびれる。

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新文芸坐では、仲代達矢特集で勅使河原宏「他人の顔」を。原作と脚本が安部公房。これも全篇、いかにも安部公房的なセリフと論理展開のうねりが満載で、安部公房の頭のなかを覗き込んでいる印象。最初のほうに義手ならぬ義指が出てきて、「これは指ではない。指の形をした劣等感だ」とか、もう、かつての愛読者としてはキタキター! という感じ。おもしろいかっていうと、まあ普通。

それで思い出したのは、シェイクスピアの芝居を見た田舎者が、「このひとはハァー、ことわざだけで芝居を作っちまって偉いもんだなィ」とか感想を漏らしたという小噺。もちろん、その逆です。

超エンタテインメント作品である「方舟さくら丸」なんかも、映画で見てみたい気がひしひしします。ついでにいうと、安部の作品以外でも、北杜夫の「楡家の人びと」(ドラマにはなってたと思うけど)とか、筒井康隆「虚航船団」とか、小林信彦「ぼくたちの好きな戦争」とか、映画で見たい日本文学、たくさんあるけどね。日本もそうだろうけどハリウッドなんてとくに映画の原作が不足してて、みんな鵜の目鷹の目で探しているっていうけど、ほんとなんだろうか。

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たびたびお伝えしております、徳本直之+鎌田綾監督の「しあわせ」情報。ちょうど昨日今日あたりに、ロッテルダム国際映画祭で上映されているようです。映画祭のホームページでの紹介はこちら

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早いもので、今度の土曜日、31日は今年最初のPPFNPです。楽しいおまけができています。こぞってお越しくださいませ。景気づけに、愉快に踊れるような曲を多めにしようかなと思っています。

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毎年恒例の、「サウンド・オヴ・ミュージック」のアンケートも絶賛受付中です、よろしくどうぞ。要項はこちらです
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by soundofmusic | 2009-01-25 16:26 | 日記 | Comments(0)

しんどい国

先週の土曜日は濃厚だった。

まずは朝からシネマヴェーラで森崎東を2本、「女は男のふるさとヨ」と「ニワトリはハダシだ」。言うまでもなく、どちらも傑作。闇鍋みたいにいろんなものがぐちゃぐちゃに煮込まれている。「ニワトリ」はいまのところ最新作だけれど、これ、ある意味で最高傑作じゃないだろうか。いままでの集大成なんてこざっぱりしたものじゃあ断じてない。30近くなって松竹に入社して、40過ぎて監督デビューして、70代後半になってまだ混乱し続けている。新作はいつだ?

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で、四ツ谷のジャズ喫茶、いーぐるに移動して、原田和典さんによるレコード・コンサート式の連続講座。お題はサム・リヴァース。原田さんの名調子の解説を聞きながら、2時間半、サム・リヴァース音波を浴び続ける。わたしは彼のアルバムはだいーぶ昔に1枚買ったきりで、とくに愛聴した記憶もないから、1日に2時間半もサム・リヴァースを聴いたのは生まれて初めて。スピーカーのそばの席だったせいかもしれないけど、ガツンガツンと音の塊が迫ってきた。ほかのアルバムも聴いてみたい。自宅で聴いたらなんだかちょっと……とならないことを祈る。

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んで、新高円寺のスタックス・フレッドに赴き、ジョー長岡(敬意をこめて、敬称略)のワンマン・ライヴ。小さなお店、ほぼぎっしり満員。途中から入って、いちばん前の席が空いていたのでそこに座る。暑い。というか熱い。じきに気がついた。舞台照明のせいだ。こんなにささやかな舞台でも、そこに立って(座って歌ってたけど)照明を浴びるのはたいへんなことなのだなあと痛感。

ワンマンなので、MCがたっぷりあったのも嬉しかった。ジョー長岡の芸名は城達也からとったものであること(子供のころからジェットストリーム聴いてたそうだ。シブい)。「自分のことはどうでもいいので、歌を聴いてほしい」と照れたように言っていたこと。

そして、いかにもジョーさんとそのファンのひとらしいエピソードだなと思ったのが、ジョーさんのところにあるひとから届いたメールの話。いわく、そのひとは、寒い日になるとジョーさんが曲を作っているような気がするのだ、という。ジョーさんはそれを聞いて、寒い日に曲を作ったらしい。

わたしも暑い日になったら、現場で汗だくだくになりながら働いているジョーさんのことを思い出すことにしよう。

この日は2部構成で、後半は樋口裕志のペダル・スチールとのデュオ。この楽器が演奏されているところを間近で見られたたのも楽しかった。ペダルを踏む、太ももでレヴァーを操作する。動かし方はダイレクトというか、いかにも道具!な感じなのに、出てくる音はスペイシー。そのギャップがよい。

ブッキング形式でなくてワンマンのよいところは、もちろん自分の好きなミュージシャンがたっぷり聴けること。というわけで、ジョーさんは今度、轟渚と夕映えカルテットの初のワンマンライヴを企画したそうだ。3月21日(土)、二子玉川のライラだってさ。

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TVは見られなかったのだけど、オバマの就任演説の原文がネットにあがっていたので、ざっと読んだ。具体的にどこがというのはうまく言えないけれど、日本の政治シーンで使われている言葉とは発想の場所がぜんぜん違うなあと直感した。

つねに国の起源が見えていて、そこから現在に通じる一本道を絶えず意識せざるを得ない国、そしてそこに暮らすこと、それがどういうことなのか、まったく見当がつかない。日本の政治家は、一般に、もう少し歴史(と、それについて話すこと)に対して自覚的であってほしいと思うけれど、アメリカ式はやはりいろんな意味で、しんどいよ。しんどい国。
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by soundofmusic | 2009-01-21 05:15 | 日記 | Comments(2)

(もう一度)バンドやろうぜ

これから先、マジメに勉強する機会も時間も環境もないだろうから、もう英語についてはなるべく考えないことにしたいと思っているのだけど、「Run Christian, Run」さんの(ブログの名前にさん付けするのは日本人だけか?)こちらの記事を読んだら、いろいろと思い出すことがあった。ついでにいえば、ここで触れられている水村美苗の「日本語が亡びるとき」も、あまりそれについて考えたくない類の本。たぶん直面したくない問題について書かれているだろうから。

つまりは洋楽の日本盤の歌詞カードと対訳のいい加減さについてなんだけど、「Run Christian, Run」さんと同じで、わたしも洋楽聴いてなかったら英語に接するスタンスはだいぶ違っていただろうし、だいいち、そんなに強力に外国旅行してみたいと思っていたかどうかも分からない。高校生くらいだと、1枚のCDを味わうのに費やす時間はいまとは比べ物にならないから、歌詞も読むし対訳も読むし、そして、これもいまとは決定的に違って、ここおかしいんじゃないのか、と思う箇所を検索することもできず、で、なにかの拍子にふと間違いに気付いたりする。

しかし、考えてみたら歌詞の対訳って特殊な翻訳だよね。そもそも、原語だと分からないから翻訳がつくわけなのであって(おおざっぱにいえば)、エンドユーザーがこんなに目を凝らして原文と翻訳を見比べる類のテキストって、ほかにあんまりないような気がする。

いちばん最近読んだ英詞はニール・ヤングの「バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン」で、オリジナルはこれ。英語の難易度がどうこうとか、詩作のテクニックとかそういうこととは一切関係なく、もうひたすら内容に驚いてしまった。ほんとに仲良く自分がバンド活動できる人間だと思ってんだろうか、ニール・ヤングは? マジメに受け取っていいもんかどうか、ちょっと困る。

対訳関係でいままででいちばんびっくりしたのは、ドアーズのCDを買ったら対訳が柳瀬尚紀だったこと。いますぐ確認できないけど、ごくまっとうな日本語だった記憶がある。対訳をどのくらいの量やっているのかは知らない。ドアーズ関係のものは少なくとも2枚くらいは手がけているみたいだ。
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by soundofmusic | 2009-01-11 02:58 | 日記 | Comments(0)

二十四時間の帰省(ウツノミヤ・モナムール)

例によって滞在時間は24時間に満たなかったのですが、実家に帰っていました。というかもはやこうなると、実家に1泊してきただけといったほうが正しいかも。

若松孝二の「実録・連合赤軍」が11月に宇都宮で公開されて(誰が見に行くんだろうと思うけれど)、1回だけ若松監督の挨拶つきの上映があると聞いたので、そのために帰省するのもバカバカしいと思い、母に「ぜひ見に行くように」とメールしておいたのだった。

そしたら両親で見に行ったらしく、だもんで、夕飯のあとにその話をしたものの、面白い話はあまり引き出せなかった。父が唐突に、「(学生運動で死んだ連中より?)寅さんのほうがえらいんじゃないのか。ちゃらんぽらんにでも、生きていて」と言ったのが、意味が分かるようで分からないようで、なんだか気にかかる。なお、うちの母は60年安保のころは東京で学生をしていて、樺美智子が死んだ日、デモを見物に行ったことで知られております(我が家では)。

帰り、駅まで送ってもらう車で、徳永英明のカヴァー集を聴く。中島美嘉の「雪の華」が意外によくて、これは選曲の勝利だと思った。徳永英明が本気でよく聞こえる日が来るとは予想だにしなかったぜ。

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3日(土)は「黒の試走車」でした。みなさんどうもありがとう。一応、かけた曲。

01.Quickly (feat. Brandy)/John Legend
02.Mykologics/Mouse on Mars
03.トーン・トワイライト・ゾーン/コーネリアス
04.La Rotunde/Nemezis
05.Quadrature/Squarepusher
06A.Claviers (Comp. by Xenakis)/Les Percussions de Strasbourg
06B.聲明《薬師悔過》散華/法相宗大本山薬師寺
07.エレクトリック・ムーン/原田知世
08.Birds/Kathryn Williams
09.風よ吹かないで/湯川潮音
10.Only a Hobo/Heron

前半は電気っぽい感じ、後半は英国フォーク風でまとめてみました。06のAとBは2曲同時にプレイしました。地味な起伏が楽しいパーカッシヴな現代音楽と、坊さんの読経のミックスです。まあ、これ読んで、「なるほどこんな感じか」と分かるひともあまりいないと思いますけど……。
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by soundofmusic | 2009-01-10 02:36 | 日記 | Comments(0)

やめなくてよい

みなさま、あけましておめでとうございます。よその天気は不勉強で知りませんが、少なくとも東京近辺は天気のよい、気持ちいいお正月になってよかったです。今年もどうぞよろしくお願いします。

新年初映画は、新宿のケイズ・シネマのフランス映画週間でジャック・タチの2本、「プレイタイム」と「ぼくの伯父さん」。元日の初回から行ったら、同じ行動をとっている人間が20人くらいいた。

「プレイタイム」、いままで見たときほど驚かなかったものの、これはやっぱり相当に特殊な映画。こういう映画を作ろうとしたひとがいて、そして実際にできあがってしまったことを喜びたい。「ぼくの伯父さん」は、見たことあるつもりでいたら、どうやら初見らしい。たぶん偶然だけど、小津に似ている。見ながらずっと、「そういえば俺、誰かのことを“日本のジャック・タチ”とか言ってた気がするな」と思い出して、途中からずっとそのことが気になっていたのですが、どうやらはじめて清水宏を見たときの衝撃を、そういう風に言語化したらしかった。うーん。そしてわたしは、このユロさんという男があんまり好きでない気がする……。

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昨年のイメージフォーラム・フィルム・フェスティバルで寺山修司賞を獲得なされた、徳本直之さんと鎌田綾さんの共同監督作品「しあわせ」が、ロッテルダム国際映画祭で上映されることが決まったそうです。おふたりは現在高知に在住で、徳本さんはあかりビデオという映像制作の会社をやっていますが、監督のブログとかはないようなので、ここで宣伝しておきます。

「しあわせ」の上映日程はまだ公式サイトにも出てないですが、映画祭は1月21日から2月1日。近所の方、あるいはその時期にオランダのほうとか通りかかる方、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。もうちょっと早く分かっていたら、旅行がてら行ってみたかったなあ。

年末、映画祭の事務局に出す英語の書類の書き方を教えてくれとのことで徳本さんから電話がかかってきて、いろいろ話しました。その中で印象に残ったのは、映画をやめるつもりはない、とのひとことでした。「しあわせ」は、低予算で、出演も徳本さんと鎌田さんだけだし、自宅とその近所で撮影しているし、編集も自分たちでやっているし、ふつうにいえば悪条件、ということになりますが、そうしたことに由来する物足りなさが画面に出ていることはありません。

「しあわせ」は数年のブランクを置いての作品だったそうですが、「こういう撮り方であれば、いつ、どこでだってできる。間はまた空くかもしれないけれど、わざわざやめる必要はない」とのことでした。高知でも映画を撮りたい、と言ったあとに、「でも、全部家の中で撮っちゃうかも」と笑っていました。

映像作家志望の若いひととか、映画監督になりたいひととか、映像系の専門学校に行っているひととか、挫折して田舎に帰る必要はないですよ。田舎に帰ってもいいけど、それで映画をやめるこたぁない。8ミリの時代と違って、カメラがあれば、それを回してなにかを撮ることはほぼ無限にできるわけなのだから。

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d0000025_2349759.jpg明日は「黒の試走車」です。たのしい音楽で、新年をにぎにぎしくお祝いしましょう。横のは画像なので、リンクはクリックできません。詳しい情報はこちらに載っています。一応、店の場所だけリンク張っておくと、ここね。よろしくどうぞ。
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by soundofmusic | 2009-01-02 23:49 | 日記 | Comments(0)

アンケート2008-2009 さくいん

森山が編集、発行、その他もろもろしているフリーペーパー「サウンド・オヴ・ミュージック」では毎年、いろんな方に1年間を振り返ってもらう特大号を発行しています。

これは、通称「アンケート」と呼ばれるその冊子の2008-2009年度版(2009年3月発行、品切れ済み)の、オンライン版です。内容はほぼ紙版に準拠していますが、一部異なっています。参照用にお使い下さい。

アンケートの項目は、以下のとおりです。

A 回答者の、①名前、②生年月日、③職業/肩書き
B 2008年の総まとめ、2009年への展望
C なんでもランキング(なんでも勝手にランキングする)
D 世間では許容されているけれども倫理的に許しがたいこと、および、その逆
E 2008年の総入手枚数(任意)
F そのうちで印象に残ったもの、およびコメント(任意)
G 回答者によって追加された項目(A~Fで書ききれないことについて。任意)

以下の索引から、お好きなところにすぐ飛べるようになっています。全体をずるずるっと読みたい方は、コチラからどうぞ。提出の新しい(遅かった)もの→古い(早かった)ものの順で並んでいます)。

さくいん(あかさたな順)


一条寺みやじ
うない
江渡文江
Edu
岡村義秋
笠井峰生
木崎晴石
kinomi
桜井晴也
しみさん
下田君向
stein
タエコ
田中美鈴
玉ぷら田悦子
チバ
津守
ナカジマユキコ

橋本伸宏
ぺぱみん
マア・チャン
マジック
森山兄
森山弟
森山公子
ゆうひ
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by soundofmusic | 2009-01-01 02:06 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 森山兄


①森山兄(もりやま・あに)
②1973年1月5日
③本紙


<2008年の総まとめ>
○ 万事に余裕がなくなるまで動き倒して消耗。最終的にはもろもろ限界に達した。「片手間にできることしかしない」というモットーは崩壊。何が主で何が従なのかもはや不明。

○ 秋にニューヨークに行った。ここ10年くらい、アメリカってどんなところなんだろう、と断続的に考えていたので、ようやく、という感じ。やはり実際に行ってみてよかった。

○ 音楽面では、実演を見る年、と位置づけて、割合切符代をケチらず見に行ったものの、内容にかかわらずだいたい居眠った。“外タレの実物”に出す1万円はもったいなさすぎる。ただしライヒ一座の来日公演はすばらしく(寝たけど)、その流れで(?)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団も聴きに行く。ロックの音響よりこちらのほうが最近の耳になじむ。

○ しかし、2008年、いちばん感銘を受けた生の音響は、東京ドームでのプロ野球観戦。数万人の観客の喚声と鳴り物、そしてそれらの残響が生む立体音像。コンサート会場としては最悪なあそこの特性がうまく生きていた。

<2009年への展望>
○ 映画の数を減らし、その分いろいろな種類のものを見る。10月にはやはり、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きそうな予感。海外旅行は原則としてしないと思われる。

○ 集中して聴いてみたいのは、ゴスペルと現代音楽。

○ おもしろそうなひとには、積極的に声をかける。


<2008年に見た映画10+α>
原則として、スクリーンで見たもの、かつ初見のもの、の中から、驚いたものと笑えるものを優先して選びました。惜しくも選に漏れたものについても、コメント内で強引に言及していきます。順位なし。並びは製作/公開年度順。

Ⓐ チャールス・ロートン「狩人の夜」(1955年/英語)
Ⓑ ダグラス・サーク「翼に賭ける命」(1957年/英語)
Ⓒ 沢島忠「殿さま弥次喜多」(1960年/日本語)
Ⓓ 高畑勲「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年/日本語)
Ⓔ 相米慎二「台風クラブ」(1985年/日本語)
Ⓕ ニコラウス・ゲイハルター「いのちの食べかた」(2005年/ドイツ語)
Ⓖ 若松孝二「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007年/日本語)
Ⓗ 井口奈己「人のセックスを笑うな」(2007年/日本語)
Ⓘ シルヴェスター・スタローン「ランボー/最後の戦場」(2008年/英語)
Ⓙ アンドリュー・スタントン「ウォーリー」(2008年/英語)
(α) ジャン=マリー・ストローブ/ダニエル・ユイレ「アメリカ(階級関係)」(1983~84年/ドイツ語)

<コメント>(抄)

Ⓐ いまさらわたしなんぞがコメントする必要もない、問答無用の傑作。ようやくスクリーンで見ることができた。ロバート・ミッチャム(田中春男が男前になったみたい)が伝道師の役ということを除いても、キリスト教の道徳観が強固な枠組みとして働いているように見えるし、ヴィジュアル的にも、たとえば夫婦の寝室とリリアン・ギッシュの家の寝室の鋭角に切り取られた影の使い方、明らかに教会の礼拝堂を意識している。

これでもかとばかりに焚かれる霧、スワムプに足を取られるミッチャム。つまりこれ、南部映画というジャンルの傑作でもあるわけで、多少挑発的な言い方をするならば、わたしも含めて、キリスト教がどういうものなのかとか、南部という概念だとか、そういったものへの理解なしでアメリカ映画なんか見てもいったい何が分かるのかと、軽く絶望的な気分にさせられる。そうした状況を打破するために、たとえば「南部映画祭」なるものが開催されることが望ましい。上映される作品は、「アラバマ物語」「シンシナティ・キッド」「夜の大捜査線」「イージー・ライダー」「周遊する蒸気船」「フライド・グリーン・トマト」など。ノーマン・ジュイスンやダグラス・サークを「南部映画」の代表的作家としてみなす視点もここから生まれるだろう。

ミッチャムが怖いのはいうまでもないとして、やさしい老婦人リリアン・ギッシュの不気味な潔癖さもおそろしいし、いろいろなところに出てくるうただとかガチョウの群れだとか表現主義だとか川底だとか、もはや説明する気にもなれないほど大量の豊潤さをあちこちに含んでいる。

名優ロートンの初監督作であり、公開時には黙殺されて結局彼の唯一の監督作になってしまったという経緯も、もったいなくもできすぎた話。

Ⓑ 2008年は、ぴあフィルム・フェスティバルのサーク特集のフリーパスは買うは、「悲しみは空の彼方に」のサントラ盤LPは買うは、米盤や香港盤のDVDは買うわ、英盤のDVDボックス・セットは買うわ、といった具合で、ダグラス・サークにかなりの金をつぎ込んだ。そのなかからどれか1本を選ぶとすれば、無難に「悲しみは空の彼方に」でいい気もするけれど、どうもこちらのほうがぐっと来たように思うので選出。

サークの映画をむりやりひとことでいうならば「顔で笑って心で泣いて」だと思いました。一見軽妙ですらあるヒューモアにくるまれているのは深い深い苦味なのであって、人生と格闘する登場人物たちの右往左往をメロドラマだのと言って片付けてしまうのは、侮辱以外の何物でもない。ことさらに深刻さを打ち出すような下品なことはせず、手際があくまで流麗なもんですから、そう言われてしまうのかもしれません。

ロック・ハドソンとドロシー・マローンが抱き合っているところに不意に仮装パーティの一団が乱入してくるシーンは衝撃的であり悲痛。飛行機の遊具に取り残されて泣きじゃくる息子だとか、フランス料理店での会食のあとで「みんなどこへ行ってしまったんだ?」と呆然とするジッグス(ジャック・カースン)だとか、おそるべきよるべなさと喪失感。この世界で、ごく小さな安寧のためのスペースを求めることが、そんなに度を過ぎた贅沢なのでしょうか。

飛行機のレースの、まるでアメリカ映画のようだ、と矛盾した形容をしたくなる迫力や、ホリゾントの前で髪をなびかせるドロシー・マローンの美しさ、白黒撮影の味わいも筆舌に尽くしがたいです。生クリームみたいにどんよりとよどむ夏の空気感、これもやはり南部映画。原作はウィリアム・フォークナー。

Ⓘ いくつかの映画関係のブログなどを見て回っていると、2008年は新作の当たり年で、ことにアメリカ映画はネクスト・レヴェルに突入した、というのが定評のようです。その流れで、気の利いた映画好きであれば「ダーク・ナイト」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「ノー・カントリー」のどれか1本以上を年間ベスト10に選出し、アメリカ映画における「悪」についてひとしきり演説をぶつのが通り相場なんでしょうが、ちょい待ち! わたしは「ダーク・ナイト」は未見ですが、あとの2本にはそこそこ感心はしたものの、同時に、しょせんは作家主義的なだけのフィルムだとも感じていて、要するに、もういいよ、こういうのは、ってな気分なのです。

見ていないものには言及できない(するひともいるけど)、という大前提を痛感するのは、こういうときです。上記3作品には何の恨みもないものの、あれらを嬉々として年間ベストに選出したひとのうち、いったい何人が「ランボー/最後の戦場」を見たのでしょうか。見た上で選ばないのはひとつの見識。しかし、見ていないのでは……バカバカしい、お話にもならないーわ、とクララ・サーカスもうたっておりましたでしょう。

本作、あまりの真っ当さに卒倒したくなる映画でした。逃げるランボーと追う敵を交互に示す手法には、すでにクロス・カッティング、あるいは並行モンタージュって立派なお名前がありますが、これが、まるでたったいま思いつかれたやり方のように、強烈に見る者に迫ってきます。

また、レイティングなんぞなにするものぞ、と言わんばかりの、必要以上の腐臭ただよいっぷり、実在感も見事すぎます。肉塊、むくろ、屍、ぶよぶよにふくれあがった肉体。滝田洋二郎「おくりびと」を、出来不出来以前に、わたしは圧倒的に間違った映画だと思いますが、その理由は、死がホメオスタシスの崩壊と不可分であることにまったく注意が払われていないから。その観点から言えば、「ゼア・ウィル~」も「ノー・カントリー」も似たり寄ったり、しょせんはお坊っちゃんの考える死なのです。

ここにあるのは、記号化された死とは一線を画するヒリヒリする痛みであり、悪い奴らは自分の手で(ここが重要)ぶち殺すという明快な倫理感であり(ただし対物砲を使うのはやりすぎ)、映画の原始時代に帰ったかのような雄たけびです。

わたしが映画学校の校長だったら、2008年度の新作から「映画の教科書」として新規採用するのは、ロメロの「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」と、この「ランボー/最後の戦場」の2本。なお、わたしはいままでのランボーのシリーズにはとくに思い入れはないことを付記しておきます。

Ⓙ ピクサーというスタジオの力に震える1本。昭和の日本じゃあるまいし、ひとつのスタジオ内で映画的教養がこれだけ自然な形で共有されて作品にごく当たり前ににじみ出ていることに感動。というか、これくらいのことができないひとたちは、映画作んなくていいですよ、逆に。

本篇後のクレジット画面を見ていたら、「プロット・アドヴァイザー」だとかそんな表記に続いて、たしか10人以上の名前が並んでいました。おそらく、こういうキャラクターがいてこういうシチュエーションになったら、こういうギャグが可能でその中でどれが最良か、といったことが精査されつくされているのではないでしょうか。たぶん多くの現代アメリカ映画に施されているに違いないそういった作業によって、監督なり脚本家なりの「個」が磨り減ったり見えなくなったりする危険性は大いにありそうですが、ことこの作品に関しては、徹底した練り込みが吉と出た気がします。

地上と宇宙空間と宇宙ステーションのそれぞれの空気の質感の違いや、これでもかとばかりに多用されるピント送りなどなど、この1本を見るだけでも、映画の映画ならではのおもしろさをノートいっぱいに書き出すことができるはず。

(α) 単にベスト10に入りきれなかった第11位とかでは断じてなく、このような映画が存在しうることすら想像しなかったという意味で、きわめて名誉ある立場としての番外というか選外というかアブラムシ。
内容的にはカフカの冒険小説「アメリカ」(「失踪者」)を、ただそのまま、忠実に映画化しただけ。ただし、愚直なまでのその完全度と異様な映像強度は、誰も「カールはこんな顔じゃない!」などと言う気にならないほど。この映画の秘密を具体的に解き明かすことはいまのわたしにはできないけれど、ラスト、ほとんど「世界の車窓から」な風景が暗転し、列車の走行音だけがクレジット画面へと残っていくのに泣けた。

思えば、カフカのこの小説、マキノ正博「阿片戦争」からブリンズリー・シュウォーツを経由して高橋源一郎「ゴーストバスターズ」やジョン・フェイフィやピンチョンや酒井俊に至る、世界中のすべての「架空のアメリカ」の先駆者だったのかも。

ストローブ/ユイレの自由と確信とを目の当たりにすると、映画でも何でも、たいていの創作物がいかに不自由であるかをいやでも思い知らされます。年末に見た宮崎駿「崖の上のポニョ」も、方向性はだいぶ違うものの、才能のある人間がKYだった場合のケース・スタディとして、わたしにとってはほとんどストローブ/ユイレと同程度の衝撃がありました。

そういえば、精力的に撮り続けているのになかなか日本に入ってこないアデュー・フィリピーヌ監督ですが、「娘たち」シリーズの1本、「テルミニ駅の娘たち」(2004年)だけひょっこりと日仏学院で上映されて(英語字幕のみ。フン!)、見ることができました。「娘たち」シリーズは、世界各地を舞台に、毎回、これぞ絵が動くという意味でのアクション映画、というほかない興奮を届けてくれていますが、これはなんと、ミッソジーニのオペラ「ローマの醜女(Ragazze brutte a Roma)」の映画化。ローマはテルミニ駅内のさまざまな場所で、頭に巨大な鳥の羽をつけたバロック的な装いの娘たちが直立不動でヘタクソなアリアを歌うのを、フィックスの長回しで通行人や乗客や列車もろともとらえるという、ストローブ/ユイレ的でもある一篇でした。

<2008年に読んだ本>
読書量の減少を年1回嘆くコーナーです。2008年は、もういいかげんこれ以上は減りようがないってくらいに少なかった気がします。そんな中から選出。並びは著者名の50音順。

Ⓐ 荒川洋治「文芸時評という感想」(四月社)
Ⓑ 原武史「滝山コミューン一九七四」(講談社)
Ⓒ ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」(中公文庫)
Ⓓ 安田謙一「ピントがボケる音」(国書刊行会)
Ⓔ 四方田犬彦「先生とわたし」(新潮社)

*コメントは略。


<世間が許しても自分は許せないこと>
・会計時に、お金やクレジットカードなどを投げ出す行為。
・(上のような態度をとる奴に限ってやりがちなのですが)お金を出した次の瞬間から手のひらを店員に向かって突き出してお釣りを待っている行為。
・電車や映画館などの座席に勢いよく、どしーんと座る行為。
・公道にツバ、痰などを吐く行為。
・道の横幅いっぱいに広がり、集団でのろのろ歩く行為。(飲み会のあとの大学生などがやりがち。わたしはひとりで歩くときはたいてい異常な高速なので、余計イラつかされます)
・フォーク並びをしない行為。(田舎者がやりがち)
・ウィンカーを出すタイミングが遅いドライヴァー。(これ、ほとんど全員じゃないか? 信号のない場所で曲がる際は、まずウィンカーを出して、それから減速してください。後続車はあなたがどこで曲がるかなんて分かる由もないのだから)
・フラッシュを使ったウェブサイト。
*口うるさくてすみません。

<わたしは許しちゃう(自分でもやってる)行為>
・見晴らしのよい横断歩道での信号無視。(歩行者のときのみ)
・閉まりかけた電車のドアをこじ開けての駆け込み乗車。
*こっちの項目は、意外と少ない。内心「これはやっちゃいかんのだけどなあ」と思いながらやっている行為なら、多い。


・CD540枚(邦人96枚、外人444枚)(新品2割、中古8割)
・レコード14枚(たぶん8割くらい外人)
今回初めて、オンライン購入と実店舗購入のだいたいの比率を出してみました。イーベイが約140枚、その他のオンライン購入(ヤフオク、アマゾン、HMVなど)が100枚弱。残りはたぶん実店舗での購入のはずなので、310枚くらいでしょうか。


2008年購入品の中から、思い出しやすかったものを中心に。内容的な意味での厳密なベスト10ではなく、2008年のわたしの聴取傾向を代表すべく、ある程度恣意的に選んだ10枚+α。並びは、録音年代順。カッコ内の国表示は、目安。全部CD。

Ⓐ V.A.『ゴスペル・トレイン・イズ・カミング』(日本編集盤/1926年~69年録音/1997年発表/米国)
Ⓑ カルメン・ミランダ『ブラジル最高の歌姫~カルメン・ミランダ1939-1950』(日本編集盤/1939年~50年録音/1999年発表/米国=ブラジル)
Ⓒ イマ・スマック『マンボ!』(Yma Sumac "Mambo!"/1954年/米国=ペルー)
Ⓓ 古谷充とザ・フレッシュメン『ファンキー・ドライブ&民謡集』(1960~61年録音/日本)
Ⓔ オーネット・コールマン『コンプリート・サイエンス・フィクション・セッションズ』(Ornette Coleman "The Complete Science Fiction Sessions"/1971年~72年録音/米国)
Ⓕ コルティーホ&ヒズ・タイム・マシン『同』(Cortijo & His Time Machine "same"/1974年/米国=プエルト・リコ)
Ⓖ マウス・オン・マーズ『ニウン・ニグン』(Mouse on Mars "Niun Niggung"/1999年/ドイツ)
Ⓗ キャスリン・ウィリアムズ『リレイションズ』(Kathryn Williams "Relations"/2004年/英国)
Ⓘ 湯川潮音『灰色とわたし』(2008年/日本)
Ⓙ ランディ・ニューマン『ハープス・アンド・エンジェルズ』(Randy Newman "Harps and Angels"/2008年/米国)
*番外 電化マイルス・デイヴィスの諸作(1970年代/米国)

<コメント>(抄)
Ⓐ わたしもみなさん同様、アメリカの黒人音楽の全貌をつかむことができたら魂に悪魔を売ってもいいとつねづね思っています。しかし、そのために不可欠であるらしいブルースへの理解が決定的に欠けているのでどうしようと長いこと思案しておりましたが(仕事中にデスクでフリーズしているのは、たいていそんなときです)、あるときふと、ゴスペルがあるじゃないか、と気付き、おずおずとコンピレイションを買い始めました。つまらないCDを間違えて買ったとて死ぬはずもなし、売り飛ばせば済むだけなのに、よく分からないジャンルに接近していくときのあのよるべなさは、いったい何なんでしょうか。

そんな迷える仔羊を導いてくれるのが、中村とうよう編集による日本企画のこのコンピ。いわゆる一般に想像される天使にラヴソングを的なゴスペルにとどまらず、フォーク・ブルース、ドゥワップ、ブギウギ、R&B、オルガン・ジャズ、などにも通じる、汎黒人音楽としてのゴスペルが満載。いままでよく分からぬまま摂取し、体内に蓄積されていた音楽水脈を活性化させ噴出させてくれる、ダウジングみたいな1枚です。トイレ行きたくなってきた。

Ⓓ ディスクユニオンのレーベルであるThink!が数年前から手がけている昭和時代(1925-1989)中期の和ジャズの復刻盤は、安ければなるたけ買うようにします。白木秀雄や松本英彦の諸作にもだいぶ驚かされたわけですが、最大の衝撃がこの古谷充の2イン1です。

『ファンキー・ドライブ』は、個々のプレイヤーの技術に若干のムラが聴き取れるように感じましたが、それでも、和製キャノンボール、浪速のジャッキー・マクリーンと呼びたい古谷のプレイを筆頭にして、堅実なハード・バップを展開していて、好感が持てますし、箸休め的に入っているヴォーカル曲も洒脱。

ふむふむ、悪くないね、と聴き進めていたら、後半の『民謡集』には耳をぶち殴られた気分になりました。これはタイトルどおり、民謡を題材にしたハード・バップ~ファンキー・ジャズです。民謡とポピュラーのクロスオーヴァーは、昭和の中盤あたりまでしばしば見られた現象で、たとえば江利チエミや雪村いづみなんかを思い出していただければいいのですけど、というか、わたしが思い出させるのはそのへんなんですけど、古谷の『民謡集』は、単にクォリティが高いだけにとどまらず、発想が完全に黒人。同時代の米国でアート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ユセフ・ラティーフなんかがやっていた同じ路線のサウンドと期せずしてシンクロしてしまったような錯覚すら覚えます。CDの帯には、ややもすればブルーノートの1500番台をも凌駕する勢いがあるんです、と書かれていて、それを読んだら誰でも(ブルーノートの1500番台がなんだか知らないひとは除く)、フカしてんじゃねえよ、と鼻で笑うことでしょうが、驚くなかれ、このコピーは真実です。

さて、この盤に限らず、「なんでポピュラー+民謡なのか」ということについては、ときどき考えてみることがありました。たぶん、都市部への急激な人口の流入に伴う社会構造の変化、は背景としてはずせないとして、もっと大胆に考えを進めるなら、これは、資本主義社会の転換期における世界的現象の一環だったのではないか。つまり、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジやロンドンのソーホーで若者たちがギター片手におこなっていたあのフォーク・リヴァイヴァルの、日本的展開だったのではないか。そう思えてなりません。この仮説はたぶんそう的外れではないはずなので、ポピュラー音楽について研究されてる方、どなたか理論付けと資料による検証をおこなってみてください。

やや関連して、近田春夫なんかが、日本のヒット曲の構造がいまだに演歌~オールディーズを脱却できていないことをよく指摘していますね。しかしぱっと見は、同時代の米国のヒット曲と同じようなものであるような顔をしているわけで、そういう取り繕い方はあまりかっこよくない、と。で、このあいだTVを見ていたら、ボ・ディドリーのギターみたいな四角い顔をした娘さんが三味線を弾きながら声を張り上げて歌っていて、そういえばそれは子供のころに聴いた松村和子の「帰ってこいよ」なのでした。1980年ごろになってもこんなもんが自然に(でもなかったか?)存在できていたのだから、いまでもまだ民謡+ポピュラー路線が再生できる可能性はなきにしもあらずなのでは。

もしわたしがレコード会社のディレクターか芸能事務所の社長だったら、イケメンのバンドかなんかをでっちあげて、ぱっと聴くと普通のロックで実は土台は露骨に民謡、という曲を演奏させたいなと夢想しています。もしそれがヒットして、それを聴いた女の子たちが成長して数十年後、祖父母の故郷を訪ねて縁側で涼んでいたら盆踊りのお囃子が風に乗って流れてきて、「Σ(||゚□゚)ハゥッ! これはわたしが中学生のころ好きだったあのイケメンバンドの曲と同じ!」と驚愕したりしたら楽しいだろうな。って、どんだけ気ぃの長い話なんだ。

Ⓔ よく、なにか壮大なスケールの事物を形容するときに「一大絵巻」なる表現が使われます。とかいいながら、実際に絵巻物を手にとってみたことなんてもちろんわたしにはありませんが、オーネットのこのCDこそ、まさにアメリカ音楽の一大絵巻。ただし、この巻物、くるくると少しずつひもときながら横に視線を移動させていると突然タテ方向にも広がり始めたり、書かれている内容が立体感をともなって目の前に現れたりするのですから油断できません。そのうち、あっちこっちに展開しまくった巻物が脳内を占拠する仕組みになっています。

オーネットの音楽が、この冊子を読んでいるみなさまのお耳にいきなり心地よくなじむものかどうかは自信がありません。しかし、このCDに含まれている音楽は、単体でももちろん力強いものですが、あなたの家のCD棚に備えておくことで、バラバラの状態で存在しているいろいろな音楽を関連付け、ひとつの大きな地図にしてくれるものであって、ほかの音楽と同じものとしてだけ聴くのは誤りです。いわば、数学でいうところの補助線、アウトドアでいうところの十徳ナイフ。

リアルタイムで発表されていた『サイエンス・フィクション』と、後年発売された編集盤『ブロークン・シャドウズ』、それに未発表曲を加えた2枚組CD。大メジャーであるCBSでの初録音とあってか、意図的にいろいろなことをしていて(オーネット一家の演奏そのものはいつもと同じですが)、風通しのよい仕上がりです。全人類必聴。

Ⓕ プエルト・リコ出身のバンド・リーダー、コルティーホがハーヴェイ・アヴァーンに招かれてニューヨークで録音したアルバム。彼のその他のアルバムはぜんぜん聴いたことないのですけど、試聴した感じだとわりとオーセンティックな、想定範囲内のサウンドでした。

しかしこのアルバムは、ラテン、ソウル、ジャズ、ロックが渾然一体となり、さまざまなリズムが複雑に錯綜しながら疾走する、怪物的なグルーヴを持つ1枚。昔、篠田一士の「二十世紀の十大小説」を読んだら、将来的に北米と南米の小説は統合されて、ヨーロッパ文学に対抗するような巨大な概念としてのアメリカ文学が誕生するだろう、と予言されていて、発想のスケールの大きさに震えたものでした。コルティーホの本作では、いち早く南北アメリカの統一と融合、衝突と爆発が成し遂げられているのだと思います。

ペンタングルのファースト・アルバムが68年のロンドンでしか生まれ得なかったように、また、サザンの『熱い胸さわぎ』が78年の東京だからこそ誕生できた音楽であるように、本作は、1974年のニューヨーク以外では決して存在することはなかったのだと確信します。

と、ここまでは頭で考えたことで、ここから先はわたしの体験。10月にこのCDを神保町で買って、ふだん音楽を聴いているところの携帯電話に取り込んで、翌日からニューヨークに行きました。現地での宿は、ガイドブックだと危険度10、接近厳禁と赤文字で書かれているイースト・ハーレムのその入口付近で、そこらを歩いていると「Best in El Barrio since 1903」などと看板に書いてある店があったりしました。

宿のそばにはあまり観光ポイントがないので、毎日110丁目の駅から地下鉄の6番線でダウンタウンのほうに遊びに行きました。その際、地下鉄の爆音に負けないような大音量でこのアルバムを聴いていると、なんだか自分がとてつもなくかっこよくなったような錯覚にいとも簡単に陥ることができて、たいへん気分がよかったです。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:47 | アンケート2008-2009 | Comments(0)

アンケート2008-2009 うない


①うない
②1968.5.10
③無職


【2008年の総まとめ】
妻の切迫早産による入院や出産で忙しかった。無事こども(女児)が産まれたので2008年をよしとする。それにしても一年が過ぎるのは早い。

【2009年の展望】
嫌っていた自動車運転免許を取得する可能性がある。普通車もF1のように運転席がど真ん中に来ることを熱望していたが、断念するだろう。

 
わりと記憶に残る2008年の出来事ランキング

①位: 11月27日に女の赤ちゃんが誕生
妻の晴子から一字コピペして「千晴」と命名。性別を訊こうとしなければいつまでも教えない担当医だったので、出産直前にはじめて「たぶん女の子」と聞かされる。超音波による映像で確認しようにも毎回股間を足で隠しており、おちんちんの有無が判別できなかったこともある。予定日より3週間早く破水し、陣痛促進剤を投与しても出産に足る十分な陣痛が来ず、破水から48時間(だったか?)以上経過すると細菌感染の危険性が高まるため、ぎりぎりまで待って諦め帝王切開に切り替えた。出産が終わり夜中に病院から自転車で帰宅する道すがら、二度も職質を受けた。傍目に挙動不審だったのだろうか。

②位:“ちんぽこ野郎”としてデビュー
駒込から徒歩10分ほどの場所で定期開催している、mixiにコミュニティーは存在するもののほとんど誰も知らないお笑いのライヴがある。そのライヴにピンとして“ちんぽこ野郎”という芸名でライヴに参加してみた。仕事を辞めて以降の、珈琲屋のバイトや裁判傍聴、過酷な肉体労働や覆面調査員の仕事、ピンク映画エキストラやフランス映画のオーディションへの参加に続く、私の“社会科見学シリーズ”の一環である。“ちんぽこ野郎”と名乗る40歳のおっさんがいきなり乗り込んで来たので、お若い芸人さんたちに物珍しがられ、ネタの合間にあるフリートークや大喜利のコーナーではかなりいじられた。ダントツで年長者だったので“ちんぽこ兄さん”呼ばわりされた。開演前の控え室では「そんな名前じゃテレビに出られないですよ!」とアドバイスをくれる男の子もいた。テレビに出る気がないことは火を見るよりも明らかだったが、その若者の売れたい、表舞台に立ちたい強い気持ちの表れ、勇み足と解釈し、感心した。出演順は会場入りした順に空いている順番を決められる。受付の机にある香盤の空欄に名前を記入する仕組み。記入する際“ちんぽこ野郎”の“ちんぽこ”をひらがなかカタカナか表記を決めていないことに気付いた。少し迷ってひらがなに決めた。進行の打ち合わせのあと開演しても、自分の順番を待つ芸人さんたちがネタの練習を直前までしている光景を至るところで見た。終わると反省してうなだれたり、先輩芸人がアドバイスをする姿なども目にした。青春を見ちゃった気がした。

③位: 治験に初参加
これまた“社会科見学シリーズ”である。糖尿病患者のために開発中の血糖値を下げる薬の臨床試験、つまり人体実験だ。治験によって年齢制限など参加資格は違うが、この治験では「20~40歳の健康な男性」ということだった。参加者は大学生風の男の子ばかりだった。2泊3日×2回で8万円程度の報酬だった。最初の2泊3日で、同じ効果のあるすでに市販されている薬を服用し、一日に何回も採血を行い血糖値の動きを見た。後の2泊3日では新薬を服用し、同じことをした。ひたすらベッドの上で読書をするバイト、という印象だった。都立家政駅から近いマンションに収まっている「カイユウ診療所」で行われた。ふつうの診療所にしては一般患者を拒む怪しい雰囲気が漂い、どうやら治験専門の“診療所”のようだった。同じマンションの1階に料理屋があり、食事はそこに移動して取らされた。なかなか程度のよい料理が出され、大学生風の参加者たちが「ぉお」と声に出していた。しかし毎度冷め切っていたのが気に入らなかった。


結果的にズレることばかりだが、確信を持って自らに奨励してズレているのはキセル乗車。しかしもうずいぶん前から加齢による気力の衰えが著しく、生き生きとキセルをするかつての壮健な姿は見る影もない。そもそも大学山岳部に所属し、なるべく多くの山行を経験しなければならないのだが大学生には交通費が痛い。いやいや、それは拍車をかけたきっかけで、ルーツはもっと古い。中学生時分、クラスでいちばんの長身であったがしばらく子供料金で乗車していた。中2のある日、西武池袋線大泉学園駅南口改札で初めて“御用”になった。その後、高校1年では定期券を偽造したり、大学では東京-富山間を300円で往復したり、自動改札機導入当時には始発電車が出るか出ないかの人けのない早朝に自動改札機の反応を見る実験のため何度も改札を出たり入ったりし分析するなどしていた。要するに最低なのである。函館で散財し仕方なく寝台特急北斗星のキセルにチャレンジし失敗したときは、妹に上野までお金を持ってこさせた。これを含め過去に4回ほど“御用”になったが3倍の金額を請求されたことは一度もない。馬鹿な自慢である。ああそれから、キセルは十分な所持金があるときにすべきであることを最後に言い添えておく。


新品のCDを2枚くらいでしょうか。あと1~2枚買っていた気もするが、戦後のどさくさで、いや引越しのどさくさでよくわからない。


買った2枚はいずれもチェット・アトキンスのもの。“レジェンダリー・ギタリスト・シリーズ~チェット・アトキンス 全6タイトル”のうちの2枚。
***
①アーティスト: チェット・アトキンス&ジェリー・リード
タイトル:ミー・アンド・ジェリー&ミー・アンド・チェット
レーベル:BMG
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②アーティスト: チェット・アトキンス
タイトル:日本の詩
レーベル:BMG
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コメント:
①はジェリー・リードとチェット・アトキンスの共演盤2枚を1枚にまとめたもの。1970年に録音しその年のグラミー“ベスト・カントリー・インストゥルメンタル・パフォーマンス”賞受賞作であるチェットの『ミー・アンド・ジェリー』と、ジェリーが1972年に録音した『ミー・アンド・チェット』の2イン1です。とにかく素晴らしいギター世界に陶酔しときました。

②はチェット・アトキンスが日本の代表的な唱歌・童謡・歌謡を演奏したもの。私が好きな『浜辺の歌』と『椰子の実』も演奏しています。泣いていた赤ちゃんが黙って聴いています。

“ミスター・ギター”と仇名されるチェット・アトキンス。独特の奏法は後のミュージシャンの手本となり、カントリーのみならず、ロカビリー、ロックン・ロールのギター・サウンドに多大な影響を与えた、とされる。1924年テネシー州生まれ。2001年に癌で他界。
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by soundofmusic | 2009-01-01 01:33 | アンケート2008-2009 | Comments(0)