<   2009年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

年少者の雑感

d0000025_1929923.jpgもさもさしていたらまた1週間たってしまいました。たいして忙しいほどでもなかったんですが、なんだかんだで飲んだり食ったりしていました。

火曜日にはひさしぶりにぎょうざの満洲に行って、ダブル餃子定食を完食。餃子12個+ごはん+スープ+ザーサイで500円というから、軽く狂っている。餃子12個を食べるのはもはや運動です。そして、餃子の量に比べて、小ぶりの丼に軽く盛られただけのごはんでは明らかに少ない。

ぎょうざの満洲は埼玉で主にぶいぶい言わせていて、都内だと板橋区とか練馬区とか、埼玉がめり込んできたようなあたりでないとなかなか見かけない。今回行けたのは、帰省のついでに北浦和のユニオンに行ったからです。このへんの客はおぼこいひとが多いのでしょう、新宿や渋谷だったらすぐに売れてしまいそうなものもいつまでも残っていて、そのうち色別で割引になる。2、3か月に1回、交通費をかけて行っても結局は得することになる。で、帰り際に北浦和の駅近くの満洲に寄れば完璧。

いろいろ12枚くらい買ったけど、いつものごとくまだぜんぜん聴けてない。

---

実家に帰ったら母が車の中で、ヤフオク(とは言ってなかったが)の話をし始める。TVかラジオで聞いた話らしいのだけど、主婦がどこかでTシャツを卸し値で箱ごと買ってきて、着られるサイズのものは子供にあてがい、サイズが合わないものはヤフオクに出すのだとか。1箱まるまるで100円とかで買って、売るときはさすがにもっと高く売るから、家に居ながらにして月に10万くらい稼ぐらしい、とか……。

一応、ヤフオク経験者として、ヤフオクで月に10万稼ぐとしたら、それは楽して小遣いを稼いだというものでは決してなくて、時間と手間がかかっているのだから単にパートに出るよりは多少割りのよい(気がする)労働にすぎないのだ、と釘を刺しておきました。

もっとも、母がそういったものを自分でやろうとするおそれはほとんどないはず。以前も、FXだか株だかの話になったとき、「そういうことをせずに地道にこつこつ働くのがいちばんなのだ」などと言い出すので、「いまどきその考えはちょっと古いんじゃないのか?」と、わたしも別段そんなことを思っているわけでもいないわけでもないのだけれども、年少者の義務として挑発的にそう反論してみたところ、こういうことには新しいも古いもない、と断言していた。

---

写真はとくになにとも関係なくて、新文芸坐からうちに帰る途中にある居酒屋「北海から来た男」の広告。
[PR]
by soundofmusic | 2009-08-22 19:29 | 日記 | Comments(0)

突風

d0000025_17404493.jpgもう明日までなんですが、ゲートシティ大崎で、「淀川長治 映画の祭典」がおこなわれています。これは淀川さんの生誕100周年記念を記念したもので、ということは山中貞雄やマキノ雅弘と同じであって、そのへんも非凡さを充分に感じさせるわけですけど、結構な量のポスターだとかいろいろ書き込みされた台本だとかの展示、淀川さんが映画についておしゃべりしたDVDの上映なんかがあります。

そのほかに目玉は、世界の名画のDVD上映、ものによっては淀川さんの前説つき、しかも無料、というもので、9日間にわたって毎日3本ずつ律儀に上映。もともとこうした非正規の上映に目がないこともあり、興味があったんですが、昨日ようやくチャールズ・ライズナー「キートンの蒸気船」だけ見てきました。タダなので、DVDでも文句言わないです。

会場のホールはだだっ広いイヴェント・スペースで、据え付けでない椅子が並べられている状態。スクリーンが舞台の奥なので、最前列に座ってちょうどいいくらいかも。混むかもしれない、とあせって行ったらそんなはずもなく、ゆうゆうと見ることができました。

で、この「キートンの蒸気船」がとんでもないシロモノで……。超人的なアクションであるのをまず前提として、それを映画としてどう見せれば効果的か、ということを1928年の時点でここまで考えていたことにまず感動。とにかくすさまじい突風、倒壊する建物、特撮(どうやって撮っているのかよく分からない)、つかまった木ごとものすごい距離を飛ばされていくキートン。作っているスタッフ全員、どこかで完全にリミッターがはずれてしまっているのが手に取るようにわかって嬉しくなるし、唖然とする。狂ってる。

当然、自然に吹く風だけではないので巨大な送風機を使っているのでしょうが、その手のものがいつごろから使われていたのか、以前から気になっていました。いまざっと調べたら、機械式の送風機は1830年代からあったようで、炭鉱で使用されていたのだとか。換気や冷却用でしょうね。19世紀末にはエディソンなんかが電気式のものを作成。1920年代から大量生産と技術発展にともなって値段が下がり、家庭でも使用されるようになったそうなので、適当な推測ですが、映画では初期の段階から使われていたのかもしれません。送風機を通して見る「風の映画史」、誰か調べてくれないかしら。

「淀川長治 映画の祭典」、明日の上映は12時半からジョージ・キューカー「若草物語」、15時半からルネ・クレマン「禁じられた遊び」、18時半からキャロル・リード「第三の男」。開場は30分前です。先着400名なので、まあ満員にはならないでしょう。お近くの方、おヒマな方、足を運んでみてはいかが。もろもろ詳しくはこちら

---

ところで昨日は夜勤明けでそのまま夕方まで映画を3本見るという強行軍でした。ふだんあまりにも簡単に眠くなってしまうわたしは、映画用の辛いガムを常に持ち歩いているのですけど、それだけだと耐え切れない恐れを感じて、昨日初めて、コンヴィニで強強打破(399円……)を買って飲んでみました。

結果としては夕方まで持ちこたえたものの、飲んだから体がどうなるということもなくて、つまりはそれが効いたのかどうかはよく分からない。いつも飲んでいるインスタント・コーヒーも異常に濃く作っているし、ちょっとやそっとのカフェインではぜんぜん効かない気がする。なんかこう、飲んだら物理的に体がおかしくなって眠れなくなるような薬なり物質なりがあるといいんだけども。
[PR]
by soundofmusic | 2009-08-15 17:40 | 日記 | Comments(0)

ディスク・レヴューのあった時代

どうもごぶさたです。とくになにもいつも以上の異状はありません。家にいたり仕事に行ったり映画見たりしてました。

---

いつもお読みになっている方は、このブログには意外にも?音楽ネタが少ないことにお気づきになられたり、不審に思われたり、残念に感じられたり、あるいはしているかもしれず、オススメのアルバムについて教えてほしいと言ってくるかもしれないけれど、こっちとしちゃそんな話、ぜんぜんしたい気分じゃないんだな。

あれ? こういう書き出しのなんか、どっかにありましたよね。この調子で行くと、お気に入りのアルバムについて話をしないのは自分の小遣いで買っているからだ、ってなりそうだけど、別にそういうわけでもない。そのときどきでよく聴いていたり、みなさんに聴いてほしいと思っている曲はDJのときに使うことが多いし、そしてその場でなにか訊ねられれば答えるし、あとでセットリストを出してコメントを書くから、それでオススメ活動は終了、となるからかも。

というのは、いまや、ネット上で試聴できない音楽はない、と言いたくなるほどの大試聴時代だからで、つまりひとことふたことの説明を読んでもし聴きたくなれば自分で探せば済むことだし、ついでならば試聴できるどこかのリンクを紹介しておけばより親切。そういう時代に、1枚のアルバムに数千字の言葉を尽くすのは書くほうによっても読むほうにとってもいささかうっとうしいんじゃないか。で、そういう長々としたレヴューに限って、書き手の高校時代の思い出だとか、あるいは朝飯の納豆の話だとかから始まっていて、読んでいるこっちをイラッとさせたりするならわしだし。

---

もっともこっちはあえてそれに対抗?して、直枝政広「宇宙の柳、たましいの下着」を読んではそこに紹介されていた何枚かのアルバムをとくに試聴もせずに買ってみたりした(これは信用に足る本だから)。いま読み始めた「マーシャル・マクルーハン広告代理店。小西康陽。」においても、おそらく同じことが何度か起こるだろう。

そして考えてみたら、本については最近、そうした直接反応な買い方しかほとんどしてない。電車の中で本を読んでいて、そこに載っていた本を、家に帰ってくるや否や、アマゾン・マーケットプレイスで注文する、という。たぶん本は試聴ができないから。

---

d0000025_6583499.jpgと、相当うっとうしい前置きに続いて、萩原健一が77年に出した『Nadja・愛の世界』というアルバムを紹介してみます。最近聴いてよかったアルバムというと、サントラ『サブウェイ・パニック』(オリジナルのほう)、アイアン&ワイン『ザ・シェパーズ・ドッグ』、ポスタル・サーヴィス『ギヴ・アップ』(いまさら)、ふちがみとふなと『ヒーのワルツ』(酒井俊との合同ライヴも見に行った。よかった)、サヒブ・シハブ『コンパニオンシップ』、岩渕まこと『スーパー・ムーン』あたりがあり、ほかにも聴き切れていないCDがけっこうな量あるのですが、意外性、入手経路、そしてもちろん音楽そのもの、もろもろ含めて『Nadja・愛の世界』にはじわじわと効いてくるものがありました。

まずこのジャケが微妙で……新宿の西口にこういう、筒っていうか、ファミレスの机の上においてある伝票をくるくるってして入れるプラスチックのやつみたいのがありますよね。そこに入っている伝票≠ショーケンの憮然とした表情、およそジャケ写に似つかわしくない。

この顔の男がどんなうたを聞かせてくれるのか、と思うと、流れてくるのはやけにゴージャスなブラスとストリングス、そしてそこに埋没してかろうじてこちらに届いてくる声。曲によっては、女声コーラスのほうがはるかに録音レヴェルが高い。バンドの演奏はブリティッシュな湿気を帯びて、よくしなっている。ギターだけがひとり、硬質に切り込んでくる。

これはなんだろう。なんどか繰り返して聴いているうちに、まったく独立して存在しているかのように見えたこの音楽の居場所が、少しずつ見えてくる。これはセルジュ・ゲンスブールの『メロディ・ネルソン』と『キャベツ野郎』の間に置かれるべきアルバムであり、加藤和彦の『あの頃、マリー・ローランサン』とはいとこ同士、ベックの『シー・チェンジ』の歳の離れた兄貴にあたる、そんな音楽。ケヴィン・エアーズやルー・リードとはいわば同級生。

音楽監督は井上尭之と大野克夫が半分ずつ担当しているようだけど、人気者のアルバムとはとても思えない引っ込んだヴォーカルは、誰の意向だったのか。ただし引っ込んでいるし埋もれてもいるけれど、音の埋もれ具合のわりには言葉はびっくりするほどきちんと届いてくる。聴き進めるにつれて声がしだいに前に出てくる気がするのは、たぶんそういう風にミックスしていっているからだろう。脇役が最後には主役を喰う、よくある話。それを自分が主役の作品でやるのは、普通じゃないけれども。

「羅臼から」には、北の漁港でショーケンと田中邦衛がもにょもにょする神代辰巳の映画「アフリカの光」をどうしても思いださせられる。ほかの曲も、もらった役を淡々とひとつひとつこなすようだと言えばいいか、ショーケン本人は意外なほど目立たず、浮かんでくるのは風景だったりムードだったり。クールという名の自己主張のポーズではなくて、徹底的に作りこまれた無関心。バーボンよりも味噌汁が似合う、異形のAOR。30年以上前に、日本のロックがこんなつぶやきを完成させていたことは覚えておいていい。

---

最後に。このCDは、ある方からのいただきものです。リクエストにお応えしてレヴューを書いてみましたが、なまじっかな名盤だけに、難しい。これなら、とくにおもしろいとも思わない音楽をウソついて褒めるほうがよっぽど楽。ともあれ、自主的にはたぶん出会わなかったであろうこの音楽を教えてくれたことに感謝。そして、この文章を介してまた誰かの手元にこのアルバムが届くことをちょっぴり期待しつつ。

[PR]
by soundofmusic | 2009-08-12 06:59 | 日記 | Comments(2)