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轟渚のアルバム『夜明けの唄』を、まだ聴いてもいないのに推薦する。

d0000025_2595164.jpgわたしが曲をかけたり、PPFNPにDJやライヴで出てもらったり、あるいはライヴの感想を書いたりで、なんだかんだでこのブログには何十回か名前が登場しているであろう轟渚さんが、5月21日、アルバム『夜明けの唄』をミディ・クリエイティヴからリリースいたしますので、我が事のように、謹んで、お知らせいたします。

公式サイト内の特設ページに、いろんなひとたちのコメントが載っておりますので適宜それをご参照されたく。

わたし自身の推薦コメントとしては……ここ1年くらいライヴを見に行くのをサボっていて、最近どんな感じになっているのかわからないので申し訳ない。2005年の春、最初に見に行ったときの感想はここにあるし、その後の微妙かつ確実な進化についても、折に触れて書き残してきているはずなので探してみてください。

昨年末、新宿のベルクでなにか飲んだり食ったりしていたら、ひとつ置いた隣のテーブルに男の客がふたりいて、音楽の話をしていた。それとなく聞いていると、轟渚とか、ジョー長岡とか言い出したのでびっくりした、ということがあった。このアルバムが出たら、たぶん、同じことがあってもあんまり驚かなくなるに違いない。

そのうちPV(監督は「不灯港」の内藤隆嗣だって)も公開されるようなので、またなにか情報が入ったらお知らせします。
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by soundofmusic | 2010-04-26 03:03 | 日記 | Comments(0)

難しい発音

この間の金・土・日と、ツタヤが旧作レンタル100円セールをやっていた。おいおいあれもこれも100円だったらみんな借りられちゃうよ、と巨大なあせりをかかえながら土曜日の昼過ぎに池袋のロサのツタヤに行ったら、意外といろいろ残っていて、何枚か借りたついでに、デイヴィッド・ジョーンズ「チャーリング・クロス街84番地」を借りてきた。

どう控えめに見積もっても感動的としか言いようがないヘレーン・ハンフの原作をそのまま映像にしたような、小細工をしない感じがわりあい好ましかったのだけど、気になったのは例によって邦題のこと。原題は84 Charing Cross Roadで、これは、原作者のハンフと手紙のやり取りをしていた、ロンドン市内の古書店の住所。だいたいこのあたりです。

地図を見てみると、ここは、英国フォーク史上で最重要クラブのひとつ、Les Cousinsがあったグリーク・ストリート49番地とも近いみたい。この、Les Cousinsという店の名前がイギリス人によってどう発音されていたのかは以前から地味に気になっていることのひとつ。しかし今回の話題はCharing Cross Roadの発音のほう。

わたしはたぶん少なくとも1回は、84 Charing Cross Roadの前を通ったことがあるはずだし(そのころはこの本のことは知らなかったけど)、テムズ川沿いにはCharing Crossという駅もあるから、地下鉄のアナウンスなどでCharing Crossと発音されているのは何回も聞いたことがあると思う。わたしの感覚だとそれは「チェアリング・クロス」であって、だから江藤淳が訳した中公文庫版のタイトル「チャリング・クロス街84番地」はまだしも、「チャーリング・クロス」はほとんど許容できない(けど、日本版のグーグル・マップもこの表記)。

わたしがチェアリングだと信じるのは、Room sharingがルーム・シェアリングであるのならCharingはチェアリングでしかありえないだろうという発想からで、でも、こうした論理的一貫性は、英語には存在していないことも少しは知ってる。

ということで、ネイティヴの発音はないかしらとWikipediaをあたってみたけど、発音は載ってない。そのかわり、こんなものを見つけて、ひとしきり読みふけってしまう。これは旅行関係の掲示板だろうか、南アフリカのひとが、まさにCharing Crossの発音について訊いている。いわく、「ケアリング・クロスでしょうか、チェアリング・クロスでしょうか、それともほかの発音でしょうか」と。みんなの書き込みをひとつひとつ読んでいくと、どうやらチャリング・クロスが優勢らしい。「チェアリング・クロスなんて発音しているひとには、うちの爺さん以外、会ったことない」との書き込みもあって、これにはショックを受けた。

そのうち話はどんどん逸れはじめて、というのはつまり、どこでもそうでしょうけど、ロンドンには、部外者には発音しにくい地名がたくさんあるのだ。地元民の間でも複数の発音が混在していたりもする。Leicester Squareがレスター・スクウェアなのは有名だけど、たとえばMaryleboneに関しては意見が割れまくっている。

挙句の果てには、「そもそも、Pronunciation(発音)をどう読んだらいいのか、それが難しい」と言い出す奴まで現れる始末。2004年に行ったっきりのロンドンに、ひさしぶりに遊びに行きたくなる。
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by soundofmusic | 2010-04-21 04:56 | 日記 | Comments(0)

おひや

いま勤めている会社は、ま、仕事なので、とくに面白いはずもないのですが、どんな仕事でもそうであるように、その仕事をしていなければつかうことのない言葉をつかう機会があるとはいえる。

といったことを考えたのは、いつだったか、どこかで食事をしていて水をもらうときに、おひやをください、と言ったときで、おひやって、若いころは自分のつかう言葉じゃないと思っていた。いつごろから使用可能になったか忘れましたが、まあ30すぎてからでしたでしょう。

18歳のころ、大学の同級生と一緒に食事しに行ったとき、彼がまとめて会計をすることになったとき、お店のひとにごく自然に「おあいそお願いします」と言ったのにも衝撃を受けて、どれくらいの衝撃だったかというと、まだそれを覚えてる。たぶんいまだに、自分でおあいそ、と言ったことはない。彼は関西出身だったが、あっちのほうだと10代の少年の言葉づかいとして普通なんだろうか。

サーヴィス業に携わるものとして、つかってみたい言葉として「手前ども」がある。どさくさまぎれに使用した履歴はありそうだけど、ごく自然に口から出てきて、聞いたほうにも違和感を与えないためには、あと5年10年、必要かも。それまでいまと同じ仕事をしているとしたらそれはそれで問題だけど……。

同じように、使用法がよくわからぬままでいた言葉のひとつとして、パーティ・バンド(もしくはパーティ・アルバム)がある。パーティ、というのがまずわからない。宴会、あるいは居酒屋での呑み会ならわかるし、そこでかけるにふさわしいロック・アルバムなんてのも、考えれば思いつきそうだけど。

なんてことを考えながら昨日は六本木のビルボードライヴに赴き、ジム・オルークのライヴを見てきました。彼が最近、いろんなヴォーカリストを迎えて作った、バート・バカラックのカヴァー集の発売記念ライヴ。ということで、ジムさんをバンマスにしたバンド(けっこう豪華メンバーだったっぽい。ドラムスはウィルコのグレン・コッチだったし)に、細野晴臣、カヒミ・カリィ、やくしまるえつこ、青山陽一、小池光子、坂田明といったゲストが出たり入ったりして、曲ごとにヴォーカルがかわるというもの。

演奏はどうしても即席感が否めず、進行も淡々としていて、アレンジも一般的なバカラックのイメージから大きく逸脱するものもなく、上のほうの席から、フライの盛り合わせ食べつつ、ジーマ飲みつつ聴いていたら、同じクラスのジムくんのバンドが学園祭に出るから見に来ました、みたいな気分になってきました。

そうか、パーティ・バンドとは、日本語にスライドすれば学園祭のバンド、ということか、と妙に納得すると同時に、90年代初頭、フジテレヴィかなんかで、夜中、ピチカート・ファイヴがバカラックの曲をやる番組? を見たのを思い出したりしていた。あれこそ由緒正しい学祭ノリ≒パーティ・バンドだったな、と。
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by soundofmusic | 2010-04-16 16:12 | 日記 | Comments(0)

ディランにて

もう先月になりますが、ボブ・ディランの来日公演を見に行きました。前回の公演からすでに10年近くたっているらしくて、わたしが行ったのはさらにその前の回だったので、はるか昔、1997年だってのも軽くウケるわけなんですが、会場のゼップトーキョーに行くのはもちろん初めてです。わたしのお台場の思い出といえば1995~96年くらいで止まっていて、そのころの印象だと、ただっぴろい荒野だったお台場は、夜になると身長3メートルくらいのひとが闊歩したり、ハンドルが非現実的に曲がったチョッパーに乗った男たちが口から炎を吹いていたりするような、要するに北斗の拳的なすさんだ近未来な場所に思えて、しかし2010年になってみても、意外とそんな感じのままでした。

ヴェテラン勢の値崩れが進むらしい昨今とはいえ、まさかのライヴ・ハウス公演、さすがにチケットは売り切れて、実際、よくにぎわっていました。なんでライヴ・ハウスか? ということは始まって少ししてわかりました。つまり、単にキャパの小さいところで見せようというのではなく(それなら、小ぶりのホールでやったほうが、客層の大半を占める高年齢層の腰に対してやさしいはず)、猛烈にグルーヴするバンド・サウンドで踊らせようということ。

それは半ば成功、半ば失敗でして、つまり音楽的には成功しまくっていたけど、お客さんの反応は芳しくなかったなあと。インターネットなど見ていましたら、各日のセットリストが貼り付けられたりしていましたが、実際に行った身からしたら、あんなに、セットリストだけ知ることに意味を見出せないライヴもなかった。つまり、曲は完全に解体しているので、あの曲がこんな風に! という驚きすら感じられない。ただし、念仏みたいにうたう歌詞を聴き取れれば別なので、客たちの態度は、歌詞に耳をそばだて、わかる一節が出てくればうぉーと盛り上がる、という具合。そりゃ音楽じゃない、百人一首だ。

ディランの名前は知っているけどとくに興味もない、くらいの若人がたまたま聴いたら、このとっちらかった、ディランの肉体が拡大・拡散したようなバンド・サウンドにおおいに体を揺らしたかもしれないけど、まあそういうことはあまりないでしょう。この断絶?は本当に残念。ひいき目なしで、おもしろいアンサンブルだったので。

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で、余韻を引きずったまま、渋谷のイメージフォーラムで開かれていたボブ・ディラン映画特集で、スコセッシの「ノー・ディレクション・ホーム」を鑑賞。初見。3時間半の長尺にずっと腰が引けていたのですが、退屈せずに見ました。それにしても、この長さなのに、60年代半ばの、バイク事故のあたりまでで話が終わっているというのがすごい。

これ、ディランの自己演出力の高さをあらためて感じさせてくれる映画でした。しかしながら、それと同時に、ディラン現象の盛り上がりが、彼自身のコントロールできる範囲を完全に超えていたことも、よーくわかる。バイク事故は半分必然というか、もしあそこで事故に遭わなかったら、たぶん別の何かで死んでいたんだろうなと強く納得できました。

自己演出に長けていることは反面、うさんくささとも紙一重なわけで、この映画では、無名時代のレコード借りパク事件なんかがさらされていますけど、死んだらたぶん、脱税とか隠し子とか、そういった小事件がぼろぼろ明るみに出るんではないかなとも予感させました。

あと、やっぱりいまの目から見て不思議なのは、エレキ化、ロック化(当時の英米の表現ではむしろ「ポップになった」か)に対する、旧来のファンの否定的な反応です。日本における、ロックを日本語で歌うか英語で歌うかという問題もそうなんですが、いまとなっては歴史的に決着がついたことになっているから、昔のひとたち無知蒙昧! と思ってしまいがちですが、当時は一定の支持を得ていた考え方だったことは覚えておく必要があるでしょうねえ。じゃあどうして、となるとなかなかその身になって考えることは難しいわけだけど……。

あと、激動の60年代のドキュメントとしてもなかなか楽しめる映像が満載で、たとえば、キング牧師の有名な、わたしにゃ夢がある、の演説、動画では初めて見ましたが、意外にもしゃべりのグルーヴ感はなくて、2010年の耳には、ヒップホップを学習したと思しきオバマさんのほうが、あきらかにソウルフルに聞こえるのね。しかし、思わず心から漏れたかのような、「Lord, free at last!」との言葉には背筋がぞくっと来た。

そして、虚を突かれたのは、メイヴィス・ステイプルズの証言。彼女は、ディランの「風に吹かれて」の最初の一節について、これはわたしの父のしてきた経験そのものだ、白人青年のディランがこんなフレーズを書けるなんて……と感嘆する。How many roads must a man walk down before you call him a man? というこの歌い出しを、わたしは無意識のうちに、忌野清志郎の訳詞で、「どれだけ遠くまで歩けば大人になれるの?」と聞いていた、ある意味、抽象的に。ステイプルズは、同じ歌を、リアルな表現としてとらえていた。足首に鎖と鉄球かなんかをくくりつけられて、体全体を引きずるようにして、人間扱いされるまで歩き続ける奴隷の姿かなんかを、思い浮かべていたかもしれない。その聴き方に思い至らなかったわたしは鈍感かもしれないけど、終始そんな意味ばかり背負わされていたら、うたもつらいだろう。バイクに乗っててバランス崩すのも、やむなしだ。

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3月27日のセットリストが出ています。
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by soundofmusic | 2010-04-10 19:21 | 日記 | Comments(0)