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クスタード・パイ

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さて、なにから書いていいかちょっとまとまらないので、こういうときは思いついた順番に書いていくことにしよう。

このあいだ、「MUSIC MAGAZINE & レコード・コレクターズ present 定盤1000」という本が出た。タイトルのとおり、MMとレココレが初コラボして(といっても、これにありがたみを感じるひともそんなにいないと思うけど)、ジャンルを問わず、ポピュラー音楽の定盤を1000枚紹介するというもの。オールジャンル網羅なのは魅力的だし、自分の弱いジャンルの名盤をまとめて1冊で勉強できるのはありがたい。

と思って喜び勇んで立ち読みしてみたものの、どうも興が乗らなくて、結局買わずに帰ってきた。理由はよくわからない。和久井光司が、ホリーズの『バタフライ』(だったかな)について、「ウサイン・ボルトと一緒に走ることになったランナーが、淡々と自己最高記録を狙うような態度」みたいに書いてたのはうまい言い方だなと思ったんだけどね。

そんなことを考えていたら、それとは(たぶん直接的には)関係なく、ツイッターでこんな発言を見かけた。この、「触れる機会が多い方がそっちになっただけ」という表現はかなり正確な気がする。わたしなんかからすると、ヴァシュティ・バニヤン、ジュディ・シル、カレン・ダルトン(この3人が同じくくりに入るとは必ずしも思わないんだけど)あたりは、キャロル・キングとかローラ・ニーロが得たような商業的成功も知名度も得られなかったけどこんなに素晴らしい音楽を作っていた、というニュアンスも込みで聴いてて、それはいまさら変えられない。

というか、商業的な評価に目をつむって「音楽そのもの」だけを純粋な対象物としてとらえるのは、とくにポピュラー音楽に関しては、正しくない態度なのではないだろうか? もちろん、売れた/売れないと、良い/悪いとは関係ないことは言うまでもない。「正しくない態度」というと語弊があるなら、そのやり方だと音楽の総体を見失うような気がする、理由はよくわからないけど。もちろん、そうした音楽の総体なんてものに興味がないひとが大半なのも、一応、知ってる。

ここからは関係ない話で、家のTVを廃止してから、BBCのレディオ2をよく聴いているって話は前にもしたかもしれません。最近はロビー・ウィリアムスの「キャンディ」がよくかかっていて、これは単純ながら耳に残って覚えてしまう曲。あるときかかって、おっ、と思ったのが、ケイト・ラズビーによる、キンクス「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ」のカヴァー。このひとのことは名前しか知らなくて、こうして実際に音を聞いてみると、donald duckが「ドナルド・ドック」に、custard pieが「クスタード・パイ」に聞こえるアクセントとか、メロディの処理の仕方だとかがいかにも英国的と感じられます。このカヴァーが入っている『オークワード・アニー』と、ポール・ウェラーからニック・ジヨーンズまで幅広いゲストが参加した最新アルバム『20』を買ってみたとこなんですが、もともと英国ロック→英国フォークと聴き進め、その後しばらくアメリカ音楽の宝の山の表面をひっかいたりしていた身からすると、アメリカ人からは絶対に聞けないような英語の響きが心地よく思えますね。

とか言ってて、いや別にそれは英国訛りではないよ、と指摘されるとアレなので、いくつか聴き比べてみた。それにしても自分はこの曲が好き過ぎるな。

キンクスのオリジナル・ヴァージョン
 →「ドナルド・ダック」「カスタード・パイ」とうたってる。

米・オレゴン州ポートランドのララ・レミングによるカヴァー
 →「ドナルド・ダック」「カスタード・パイ」とうたってる。

どこの出だかわからぬ女の子による弾き語り
 →「ドナルド・ドック」「クスタード・パイ」に聞こえる。

ケイト・ラズビーの出身はイングランド中部、シェフィールドあたりらしいので、ロンドン生まれのレイ・デイヴィスとはアクセントも違うのでしょうね。となると、最後の馬の骨女子もそっちのほうなのかな、と軽く調べてみると、この子、いろいろ自分の弾き語りの動画をアップしていて、見ているうちになんだかだんだん好きになってきそうだ。どっかの曲のコメントによると、Northern lassだそうです。

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今週末のお知らせです! 今回はレギュラーのチバさんがご欠席。そのかわりと言ってはなんですが、豪華ゲスト3名様をお迎えいたします。身長と体重的には少女時代とほぼ同じ、なフェミニン系男子はやかわくん、富士そばを退職したらしい黒坂くん、婿大好きクラスタのsteinさん、です。

*黒の試走車<テストカー> Vol.68*
日時:2012年11月03日(土)19時~23時
会場:渋谷メスカリート
 →地図
料金:500円+1オーダー(500円~)
DJ:あずまきょういち/森山兄
ゲスト:はやかわ/黒坂(ex.富士そば)/stein
欠席:チバ

お気軽にお越しください。お待ちしております!
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by soundofmusic | 2012-10-31 02:25 | 日記 | Comments(0)

Pure Pop For Now People Volume 93

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2012年11月10日(土)18時~22時

渋谷エッジエンド(Tel:03-5458-6385)
地図。

800円(1ドリンク&おみやげ付き)

DJ:
TAKASHI FURUSAWA
森山弟(弟)
森山兄(兄、サウンド・オヴ・ミュージック)

ライヴ:
./irori
□早いもので、今年最後のPPFNPです。今回は、トリオ・バンド「./irori」(読み方:イロリ)のライヴをフィーチュアいたしますが、イロリ史上たぶん初のデジタル・アコースティック編成での演奏になるとのこと。具体的にどんな感じであるかはわたしもまだ想像すらすることができていませんので、当日を楽しみに待ちたいと思います。ゲストDJのTAKASHI FURUSAWAさんは、当イヴェントには珍しく、本格的にDJっぽいDJプレイを聞かせてくれるそうです。どうぞこぞってお越しくださいませ。
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by soundofmusic | 2012-10-29 21:34 | PPFNPイヴェント情報 | Comments(0)

黒の試走車<テストカー> Vol.68

日時:2012年11月03日(土)19時~23時
会場:渋谷メスカリート(渋谷区円山町28-8第18宮廷マンション1階奥つきあたり)
地図
料金:500円+1オーダー(500円~)
DJ:あずまきょういち/森山兄
ゲスト:はやかわ/黒坂(ex.富士そば)/stein
欠席:チバ

☆「黒の試走車<テストカー>」は、毎月第1土曜日に開催される、踊る前から踊り疲れているひとのためのイヴェントです。ラウンジの名の下に、ロック、ジャズ、ソウル、ラテン、邦楽、フレンチ、サントラ、モンド、電子音楽などをデタラメ、かつ控えめ(音量が)にお届けしています。

会場のメスカリートは、渋谷、道玄坂をのぼりきった先、マンションの1階つきあたり奥にあるスペース。全身にぬるま湯のように浸透する絶妙な反響効果で、何を聴いても自宅の3割増しでいい印象を受けることができる不思議な音楽空間です。未知の音楽との出会いに、既知の音楽との再会に。軽い舞踏に。気のおけない会話に。酩酊に。密会に。ぜひ一度遊びにいらしてください。

過去分のセットリストその他は、「黒の試走車<テストカー>」のmixiコミュニティにて閲覧可能です。

11月のゲストは、フェミニン系男子のはやかわくんと、ex.富士そばの黒坂くんと、steinさん。レギュラーのチバさんは所用でご欠席です。

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by soundofmusic | 2012-10-29 01:04 | 黒の試走車イヴェント情報 | Comments(0)

その名はハリー

d0000025_121382.jpg先週、新文芸坐でドン・シーゲル「ダーティハリー」を再見してきました。いまさらこの映画についてとくに言うことはなくて、イーストウッド扮するハリーのキャラクターの独自性とか、サンフランシスコの街並み(先月行ってきたばかりなので感慨深い)とか、そしてなんと言ってもラロ・シフリンの音楽ね!

スコルピオがビルの上から水着の女性を狙撃するオープニング、その直後、イーストウッドが登場するところから流れるメイン・テーマは、もちろん耳馴染みのものだけど、あらためて聴くと、画面に集中する力を観客から奪ってしまうほどの、際立ったかっこよさ。同時代の日本でも似たような傾向の音楽はあった気がするけど、なかなかこの、ぐいぐいと背中を押してくるようなリズム感は出せていなかったんじゃないかな。ドラムが誰なのか、ちょっと調べてみたけどわからなかった。ルグランやバカラックみたいに、ラロ・シフリンも自分のオーケストラを連れて来日とかしてくれないかな。

ところでダーティ・ハリーのフル・ネームはハリー・キャラハンだけれども、まったく同姓同名同つづりの写真家(1912-1999)がいて、映画ができたときにはすでに有名人だった。というのはなんとなく知っていたけれど、サンフランシスコ近代美術館で、何の気なしに展示を見ていたら彼の作品があって、おおっと思ったのだった。本日の画像はそのキャラハンの「シカゴ」。

さて、シカゴ出身のバンドといえばウィルコですが、来年の4月に来日が決まったとのこと。先月、旅行中、サンフランシスコの対岸の大学町、バークレーで彼らを見ましたが、ひさびさに、ああいいロック・コンサートを見た、という気分を堪能できましたし、70年代のザ・バンドとかグレイトフル・デッドとかに近い高みに達しかけているんではないかとすら感じました(もちろん、あくまで想像ですが)。というわけですから、今度も当然、行きます、見ます、聴きます。
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by soundofmusic | 2012-10-23 12:14 | 日記 | Comments(0)

女の腐ったの

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○ミシェル・ルグラン(10月2日、錦糸町・すみだトリフォニーホール)

あれはたしか10年くらい前、とざっくり思っていま調べてみたらたぶん2002年のことだったらしいのだけど、ルグランが大宮のソニック・シティに来たことがあって、その当時はルグランのことをゴージャスでメロウでときどきスリーピィなイージーリスニング、くらいにしかみなせておらず(ふだん偉そうな口を利いていても所詮そんなもんです)、また、経済的にも長期にわたって逼迫していたので、6000円だか8000円だかのチケット代を出す気にはとてもならず、そしてその決断はその後何年かおきによみがえっては、ああ、あのときやっぱり行っておけばよかったなあ、とぼんやり後悔したりしていたもので、今回の8000円というチケット代は、バカラックの20000円超えと比べずとも、もはや安い! 安い! と跳び上がって喜ぶくらいの価格であって、急いでチケット取ったら前から3列目、ただし舞台向かってやや右側だったため、ピアノを弾くルグランの手元は見えず、そのかわり、前半のトリオ編成のあいだずっと、フランソワ・レゾーのドラムスのうしろにうっすらとピアノが聞こえてくるという、本来ありうべきではない音像を堪能しました。おそらく真ん中から後ろの客席では、PAで調整されていい具合になっていたことでしょう。

舞台向かって左側にあるピアノと対峙するような位置で、つまり客席からは、叩いている姿を真横から見るような形でドラム・セットが配置されていて、最初はルグランのピアノの聞こえづらさにややストレスを覚えながら過ごしていたのですが、途中からは、1曲の中でのテンポや強弱のコントロールの的確さに、すばやく流れる渓流を眺めるみたいに惚れ惚れしながら聴き入っていました。ゴージャス・ルグランでもメロウ・ルグランでもなく、わたしの好きなヒップ・ルグランがここにいました。ことに、「ディンゴ・ロック」での、通常のドラム・セットのほかに、足元に置いた太鼓を左手をおろして叩いて作り出すトライバルなリズムはヤバかった。

ルグラン本人のピアノについて。アート・テイタム、ベイシー、ブルーベック、エリントンなんかのスタイル模写で「ウォッチ・ホワット・ハプンズ」を弾き比べるというのがあって、テイタムの物真似が、フムーズはたしかにテイタムなんだけど、彼にはないゴージャス感が加味されていて、やはりルグランはよくも悪くもルグランなんだなと。

後半は新日本フィルとの共演で、パブリック・イメージの通りのルグラン。一粒で2度美味しいコンサート。

○ハインツ・ホリガー(10月6日、錦糸町・すみだトリフォニーホール)

ホリガーは、バロックから現代音楽まで幅広い守備範囲を誇るオーボエの名手であり、また、作曲家としても名高い存在らしいです。ふだんクラシック系の来日情報など気にしていないわたしがこのコンサートのことを知ったのは、上記のルグランのチケットを取った際、このホールではほかにどんなのやってんのかなーと軽く調べてみたときのことでした。ホリガーのアルバム『現代オーボエの領域』は、一時期現代音楽にほんの少しだけ興味を持っていたころに買って、気に入っていたので、これもなにかのついでだし見ておくか、とまあ、そういう次第です。

この日はホリガーと新日本フィルとの共演。オーボエを吹く曲と、指揮だけの曲がありまして、モーツァルト、シューマン、ラヴェルは想定内のオーケストラ曲だなと感じましたが(それぞれの作風の違いを聴き分けるほど耳が発達してない)、立体的な音の広がりはホールで聴くだけのことはあったなということと、あと、長い曲を映画を見るみたいにして楽しむことができるようになるかもしれないなという予感のようなものを覚えることはできました。

そんななかに突如として混ざった、ホリガーの前衛的な自作「音のかけら」にはぶちのめされました。まず冒頭、たくさんのひとたちが足を踏み鳴らしているような、低いざわめきのような音が響き渡り、それが管楽器群から出てきたものだと気づくまでにしばらく時間がかかりました。ほかにも、ピィーンと張られた針金が高く天に伸びていくようなフルートの高音、いかにも現代音楽という印象の不気味な弦のグリッサンド、管楽器にボッ、ボッと息を吹き込むだけの音などなど、オーケストラからこんな音が出るのか、という驚きの連続でした。

ルグランもこの日も、プログラム終了後、拍手に応じて何度も指揮者が出てきて、かといってアンコールでなにか曲をやるでもなくあいさつするでもなく、単にオケのメンバーを立たせたりコンマスとおおげさな抱擁をしたりといった、おもにポピュラー音楽しか聴かないリスナーからするとまことにバカバカしく形骸的で、というか単に気恥ずかしい風習がありました。日本人は、というか、あるいは単にわたしが、こうした身振りを難なく許容できるほどには充分に西欧化できてはいないなあと思いました。

もちろん、あちら側から見れば、日本人のロッカーがいまだに「ベイビー」の日本語訳を発明することができていないことだってちゃんちゃらおかしいに違いないのだけど。

○加川良と阪本正義(10月8日、阿佐ヶ谷・ネクストサンデー)

ジョー長岡の企画制作によるツーマン。阪本のうたを何度か聴いているうちに、もし自分がプロデューサーだったらこれこれこういうアレンジにしてみたいなあと考えるようになってきたんだけど、それは別に、弾き語りやそれプラス少しのアルファ、な形で届けられる現在の阪本のうたが物足りないということではなくて、いろんな方向に広がっていける余地がある音楽ということなのかなと思ったりする。とりあえずこの日は、まじのギターとジョー長岡のピアノ(スタインウェイの音色の麗しいこと!)が加わって、むろんこの編成に不満があろうはずもありません。

ジョー長岡は、阪本の音楽にバカラックを感じるといつも言っていて、わたしはといえば、70年代にAMラジオを聴いてすくすく育った阪本少年の姿を思い浮かべるのです。ポール・サイモン、キャロル・キング、ジェイムズ・テイラー……。たとえば、石垣島に移住した友人を題材にした「あいつ」のイントロは、どことなくマリアッチを思わせる南国風味で、ここにクラベスとか、乾いた音のトランペットが加わったらもっとぐっとカラフルになるだろうなあなんて思う。

ここで話をズラしてみると、70年代に、ジャズとかソウル系のミュージシャンが上記のシンガー・ソングライターたちの録音に参入してきた現象があって、加川良もそうした文脈の中に位置づけることのできるアルバムを何枚か出しています。そして、阪本のうたを、そうしたバッキングつきで聴いてみたいなあという欲求は潜在的に常にあって、もしかしたら阪本がやっているというバンドはそういう感じなのかもしれない(し、そうでないのかもしれない)のですが、と同時に、それをいまやればそれでOKかというと、ちょっと違うのかなとも思う。70年代当時において、そういう白と黒の出会い、混合は必然的なものだったけど、21世紀の東京にはまた別のアクチュアルな表現があっていいはずだ、と。となるとやっぱり、自宅でトラック作ってるような若者と、阪本のうたとが、出会い頭に正面衝突したりするような事態が望ましいのかな。

加川良を聴くのはたぶん初めて。と思ってたけど、まじがブログで書いてなさる1995年のこのイヴェント、わたしも行ったんだよね。となるとその際、見てるってことなのか。しかしこのイヴェント、たしか2日間開催されたはずで(記憶もおぼろだし、ネットで調べても情報が出てこない)、もしかしたらわたしの行かなかった日に出演してたのかもしれない。

そのことはとりあえずおいといて、1曲目を歌い始めた瞬間、年季が入ってるな! とすぐに感じられて背筋が伸びる。阪本のうたをカラフルな花畑だとしたら、加川は風雨にさらされてすっくと立つ一本松。MCでは、自嘲的な発言も含めてしきりに笑いを取っていたけど、もしかしたらクソマジメな東京のフォーク・ファンに昔、嫌な目にあわされたりしたことがあったりして、予防線を張っているんだろうか?

ブルーハーツ「青空」のカヴァーがあって、弾き語りで歌われるそのハマり具合にびっくりしつつ、自分は彼らのことを全然知らなかったんだなと反省したりもした。そして加川良といえば、本人もそんな古い話をされても困るでしょうが名曲「教訓Ⅰ」であって、女の腐ったので結構、とうたわれるこの曲を生で聴くことは、小学校1年だか2年だかのときに、担任の女教師に「女の腐ったの」呼ばわりされたことをいまだに忘れられずにいる(そんなんだから女の腐ったの呼ばわりされるんでしょう)自分にとって、たいへん貴重な音楽体験でした。

この日の舞台には、岩見夏子によってススキや秋の花々が飾られて、地下のライヴハウスにも涼し気な風が吹いているような気分にしてくれました。終演後、それらの花は希望者に小分けされて持ち帰られていって、わたしももらって帰ったのですが、数人が手分けして舞台上のススキ野原を手早く解体してラッピングしていくその手際に、飾られた花にも負けないほど見とれてしまったのでした。演奏のあいだ、「これらの植物はこのあとどうなるのだろう? 捨てられるのだろうか?」とちょっと気になっていたため、そうならなくて、よかった。

以上、(ほぼ)敬称略で長々と勝手なことを申しました。
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by soundofmusic | 2012-10-12 01:33 | 日記 | Comments(0)