<   2017年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

黒の試走車<テストカー> Vol.118

d0000025_14533885.jpg日時:2017年02月04日(土)19時~23時
会場:渋谷メスカリート(渋谷区円山町28-8第18宮廷マンション1階奥つきあたり)
地図
*建物入ってすぐ左側の自動ドアのエントランスには入らず、店舗の並んでるほうをまっすぐ進んで、つきあたりを左に曲がったいちばん奥、行き止まり部分の正面扉です。その左の、ドア越しに中が見える店ではありません。
料金:1000円(1ドリンクつき)
DJ:あずまきょういち/籠/チバ/森山兄

☆「黒の試走車<テストカー>」は、毎月第1土曜日に開催される、踊る前から踊り疲れているひとのためのイヴェントです。ラウンジの名の下に、ロック、ジャズ、ソウル、ラテン、邦楽、フレンチ、サントラ、モンド、電子音楽などをデタラメ、かつ控えめ(音量が)にお届けしています。

会場のメスカリートは、渋谷、道玄坂をのぼりきった先、マンションの1階つきあたり奥にあるスペース。全身にぬるま湯のように浸透する絶妙な反響効果で、何を聴いても自宅の3割増しでいい印象を受けることができる不思議な音楽空間です。未知の音楽との出会いに、既知の音楽との再会に。軽い舞踏に。気のおけない会話に。酩酊に。密会に。ぜひ一度遊びにいらしてください。

早いもので、このあいだ新年を迎えたと思ったら01月も残すところ、あとわずかですね。今年もよろしくお願いします。形式的なごあいさつのあとは必然的に02月のご案内です。寒いなか恐縮ではありますが、楽しい曲や切ない曲をたくさんご用意してお待ちしております。

過去分のセットリストその他は、「黒の試走車<テストカー>」のmixiコミュニティにて閲覧可能です。

d0000025_2234947.jpg

[PR]
by soundofmusic | 2017-01-22 14:54 | 黒の試走車イヴェント情報 | Comments(0)

2016年のグッド音楽

d0000025_9483513.jpg遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さっそくですが2016年のグッド音楽です。前年と比べると購入枚数の合計は60枚くらい減りましたが、減ったのはCDで、アナログ(シングルは買わないので、LP)は逆に微増しました。世間で言われているレコード復権とやらはいよいよ本物なのか、と思うかもしれませんが、わたしの場合、CD出てれば基本的にはそっちを買います(とくに新譜については)。とはいえ、世間の動向と自分とがまったく無関係ということもないので、なんかアナログ買うのが気分、みたいな空気はたしかにあったんじゃないかなあ。

ジャンルとしてよく聴いていたのはR&B~ソウルと、ラテン。とはいうものの、ラテンにはいくらか飽きてきた感もあります。サルサなんかはたしかに高度に発展した音楽ですが、それでもやっぱり最終的には、実用音楽ってことになっちゃうような気が、現時点ではしています。ラテン音楽のレコードで、曲名のあとに括弧してマンボとかルンバとかチャチャチャとか書いてありますけど、あれはそういうことでしょ。ま、この問題については数年以内程度に結論を出したいです。で、それにともなって、しばらく離れていたブラジル音楽に戻りそうな予感もあり、ってのが2016年の年末~2017年の年頭のモードです。

前置きはこのくらいにして、グッド・アルバムを12枚。すべてCDです。LPでもいいのがいろいろありましたが、引っ張り出して聴き直して精査するのが億劫なので割愛。並びは買った日付順。

◇:Swan Silvertones『My Rock / Love Lifted Me』(rec. early 50s/1991)
●:Marvin Gaye『In Our Lifetime』(1981)
▽:Etta James『Rocks the House』(1964)
☆:V.A.『Rumba DooWop』(rec. 1933-1956/2012)
+:Joan Shelley『Over and Even』(2015)
■:柴田聡子『柴田聡子』(2015)
@:寺尾紗穂『わたしの好きなわらべうた』(2016)
≠:Andy Shauf『The Party』(2016)
∵:V.A.『Light Mellow - ONE DAY』(rec. 1976-1991/2016)
§:折坂悠太『あけぼの』(2015)
>:Anamaria & Mauricio『Vol.2』(1972)
#:渡辺貞夫『パストラル』(1969)

コメント。

◇:ゴスペル。ブックレット見ても録音年の記載がないのですが、50年代前半の録音が70年代に2枚のLPにまとめられて出たもの?で、わたしが買ったのはそれを2イン1したCD。5、6人による声が主で、加わるのはせいぜいピアノとドラムスくらい。普通に考えたら素朴な音楽とみなされることが多そうですが、しかしこれは、人間の声でやってるからゴスペルとかコーラスに分類されているだけであって、宗教活動の側面をとりあえず措いといて(そこ措いといていいのかという問題はともかく)音楽としての側面だけを見るならば、むしろ後述の▽なんかと同じ、ガレージ・ソウルみたいなもんだと思います。一糸乱れぬハーモニーなどとは程遠いエネルギーのぶつかり合い、猛烈なドライヴ感、各自が勝手に自分のパートを歌っているような奔放さ。いままで聴いたゴスペルのなかで、とはいってもたいして聴いてませんが、これがベスト。

●:2015年のベストには『離婚伝説』を選んでいたわけですが、これはその次の作品で、モータウンに残した最後のアルバム。まあとにかくベースが動く動く。ベースラインを追っているだけで楽しくて仕方がない。ひじかたさんは「ただのブラコンじゃねえか、こんなもん」と(ここ、桑田佳祐の口調で)おっしゃってましたけど、そういわれてもやむをえないメロウで明朗な名盤。ちなみに、岡本まな監督の映画「ディスタンス」には、マーヴィンが非常に重要な役で出てくるので(本人は出てこない)要チェック。

▽:やたら客が盛り上がって、それに呼応するようにして演者もノってくる、ってぇのは古今東西を問わずしばしばある現象。それが幸運にも記録に残ってるっていうとダニー・ハサウェイ『ライヴ』とか、サム・クック『ワン・ナイト・スタンド』とかが思い出されます。このアルバムはそれらと並ぶといってもよい熱量なんですが、これ本当にライヴ録音なのかな。ガヤのかぶせかたがなんか擬似っぽく聞こえる気もするんだけど。

ところで、ちょこっと蓮っ葉な雰囲気を漂わせている女性歌手について、しばしば「姐御」という形容詞が冠されますが、そんなにそんじょそこらのライヴ・ハウスに普段使いな感じで姐御がいてはたまらない。そうした呼び名はこのエタにこそふさわしいのです。もしくは、姐御のインフレ的氾濫を許すことにして、エタを「極妻」に格上げするか。

ジャケット写真の、白い衣装の彼女のドスの利いた感じがまた最高で、そしてなぜか、かなり目立つ感じで右手に白い包帯が巻かれている。そのことについて、「恋人をぶん殴ってケガしたに違いない」みたいに書いてるブログを見つけたときには笑いました。文字どおりというかダブル・ミーニング的に、パンチの利いた音楽。聴いてたら、なぜかしら初期のビートルズのことを思い出しました。

☆:ざっくり言ってここ5年くらいでしょうか(もっと前からかも)、黒人音楽史をさまざまな角度から再検証する良コンピがどんどん出てきたなと感じてます。これは、アメリカ合衆国の黒人音楽がラテン音楽から受けた影響についてまとめた2枚組。名コーラス・グループであるコースターズが歌う「ブラジル」が入ってるんですが、これ、スチャダラパー「ドゥビドゥWhat?」の元ネタでした。とくに一度も探したことなかったけど20年後に出会えた。

聴いて連想したのは、篠田一士が「二十世紀の十大小説」で、いずれ北米文学と中南米文学は必然的に融合・統一されて、ひとつの大きなアメリカ文学になるだろう、と予言していたことでした。読んだときにはなんて気宇壮大な、とあきれつつ感激したものですが、その後、大和田俊之の講座を聞きに行ったら、北米音楽と中南米音楽との関わりについて、まったく同じ予言をしていて驚きました。大和田氏は篠田の予言については知らないと言ってました。

個人的にも、2016年2月、メキシコシティで何日か過ごしたあとニューオリンズを訪れたら、ふたつの都市が明らかにメキシコ湾を囲んで同じ文化圏に属しているのだと体感しました。スペイン語がわかるようになってから、また中南米のどこかには行ってみたい。

+:アマゾン(南米のではなく、日本の)で買い物をしていると、これ買ったひとはこんなものも買ってますよ、として余計な品物が画面に出てくることがあります。試聴はタダなので、そう言われたら一応知らないものは片っ端から試聴すべきだと考えており、基本的にはそうしてまして、このひともそういう過程を経て知りました。というか、あとになって気付きましたが、彼女はダニエル・マーティン・ムーアとの連名でアルバムを出していて、すでにそれを持ってました。

そのダニエル・マーティン・ムーアや、ルーク・ウィンスロウ=キング、ロバート・エリスといった、声を荒げることのなさそうなシンガー・ソングライターたち(うつむく青年系の現代版ともいえるかも)が、ここ3~4年の確固たるお気に入りの傾向としてありまして、シェリーも同じムードを持ったひと。フリー・フォークの幽玄とも、ルーツ志向の土くささとも違う。ニューヨークやLAといった大都会の洗練とは距離を置いた、地方都市出身者らしい堅実さみたいなものに惹かれて、よく聴きました。

堅実といえば、ことCDとなると普段の緊縮財政などすぐにどこかに吹き飛んでしまうわたしですが、試聴してよかったからといってすぐには買わないくらいの生活の知恵は備えています(安ければ買います)。そうして名前を覚えて、頭の中の潜在的購入希望リスト(数百枚くらいある)に追加しておくのです。堅実。これも実際に買ったのは、後日、ディスクユニオンで300円くらいで売ってたときでした。●のマーヴィン・ゲイもそのくらいの値段で購入。2016年のベスト・コスト・パフォーマンス賞はこの2枚に授与されます。

なにが言いたいかというと、2016年の時点では、ユニオンのひとにも知られてないくらいの存在だぞと言いたいわけです。2017年の春にはニュー・アルバムの発売が予定されていて、それと前後して、3月にはウィルコと、4月にはリチャード・トンプソンと一緒にトゥアーを回るそうなので、もしかしたら日本でも多少は注目されるようになるかもしれません。

ところで、この項の最初に戻りますと、Eコマース・サイトのアマゾンのことを「密林」と呼ぶのは死ぬほどダサいと思っています。ほかに嫌いな言葉づかいは、「つらみ」「ねむみ」「~したい人生だった」「最&高」「最the高」あたり。ま、ま、中年特有の気難しさだと思って見逃がしてください。

■:中年といえばですけど。歳をとるにしたがって、なんであのころはこんなものがそんなに好きだったんだろう、と不思議に思うことはよくありますね。ここ10年くらい、欲しいものが手に入れられなくて悔しがるとかがめっきりなくなり、CD買いそこねても映画を見逃しても、わりとすぐ、まあいいか、とあきらめてしまいます。それと直接的には関係ない話題ではあるんですが、若いころは、軽くメンヘラ気味だったり、ちょっと不思議な感じだったり、サブカルっぽい雰囲気だったり、そうした女性を好きになることが多かったです(そのみっつ、微妙に重なってないだろ、というのはそのとおり)。正確には、自分はそういった女性が好きな人間である、と規定していただけかもしれませんが。

以上の話は、いま現在現実世界でわたしの妻であるところの女性とはなんの関係もないものとして聞いていただきたいんですが、数年前にふと、ああ、そうした好みの傾向は自分のなかからすっかり消えてしまったなあ、と思い至りました。もっとも、わたしが若かったころとテン年代のいまとでは、わたしの内部でも、世間的にも、サブカルチャー的なものと生活との距離もだいぶ異なってますし(長くなるので中略)つまり柴田聡子は、おそらくわたしが好きになるであろう最後の不思議系女子シンガー・ソングライターと位置付けられるでしょう。

いまのわたしは人間を見る目も音楽を聴く耳も多少は養われていますし、女子の不思議さのありようが様々であることもいくらかは理解しています。一見普通に会社勤めしてたりする、服装や言動もとくに変わってるわけでもない女子に内在する本質的な(話がズレるので中略)たぶん数年後にはあまり聴かなくなるであろうこのアルバムに言及せずには、わたしの2016年は終わらないのです。そして、ここでこの話を出すのは柴田さんに失礼だとは承知してますが、訊かれたことがあるので書いておくと、わたしは大森靖子の音楽にはこれといって興味が持てずにいます(試聴は折に触れて複数回、しました)。

@:そんな話題の次に寺尾紗穂が来たのでは、まるで彼女がサブカル好きの不思議系シンガー・ソングライターであるかのような誤解を与えるかもしれませんが、最初に書いたとおり、並びはCDの購入日付順であり、他意はないです。

このアルバム、および寺尾紗穂については、すでに充分書いたので、これこれをお読みいただければと思います。

関連して、ひとつだけ。いま日本のインディ・シーンで同時多発的に起き始めているネオ民謡ムーヴメントは、もしかしたら、日本のポピュラー音楽史上最大のフォーク・リヴァイヴァルになる可能性があるのではないかと考えています。ひとことで言うと、ずっと長いこと別々のものとしてとらえられてきた民謡とフォークが、初めて自然な形で統合されうるときが来るのではないか。§の折坂悠太あたりも、それと関わってくるでしょう。2017年は、そんなことを考えながら、アラゲホンジや民謡クルセイダーズなんかも見たり聴いたりしてみたいです。

≠:カナダ出身のシンガー・ソングライターらしいです。これ以前にも作品があるようですが、本格的に流通したのはこのアルバムが初めてなのでしょう。エリオット・スミスなんかが引き合いに出されていましたが、もっと新しい感じ。井手健介あたりと対バンしてほしい。

ぱっと聴くと、さりげないオーケストレイションがいい味だなと思いましたが、聴き込んでいくと、弦も管も別にそれほど使われていない。基本的構造としては弾き語りとか、ともかくギター中心の音楽のようです。ライヴで見ても、「あ、CDと違ってしょぼい……」とがっかりしなくてすみそう。で、気持ちいい音楽に必ずしも名前をつけなくてもいいんでしょうけど、しばらく頭をひねっていたら「ベッドルーム・プログレ」というキャッチフレーズが浮かんできました(あまりうまいコピーではない)。

ついでに、去年、小西康陽がレコードを素材にして自伝を語るっていうトークに行ったときに聞いた話を思い出しました(そのときの感想)。氏は、ピンク・フロイドの『原子心母』について、最初はありがたがっていたけど、そのうち、ブルースにオーケストレイションをつけただけだと気付いた、のだそうです。なお、ここでこの話題を出したのは単なる話の行きがかりで、、小西氏、シャウフ氏、そしてピンク・フロイドのみなさんを誹謗中傷する意図はないと申し上げておきます。

∵:AOR40周年(ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』を起点にしている?)を記念して、2016年、ソニーからAORの名盤が1000円で大量に出ました。いちいち全部買ってられないひとのために、3枚組、57曲入り、税込み3000円で出たのがこのコンピです。本来こういった安易な企画ものを年間ベストに入れると沽券にかかわるので、やめたほうがいいのでしょうが、たくさん聴いたので選出。

未知のジャンルに飛び込むにあたり、こうしたところを入口にして、気に入ったアーティストのアルバムを買い揃えていくことを四半世紀くらい続けてきました。しかし今回のAORについてはなぜか不思議とそうなっていなくて、買ったのは2枚くらいでしょうか。忙しくていちいちチェックできなかったのもありますし、たとえばボズ・スキャッグスの「ロウダウン」やケニー・ロギンズの「ウェイト・ア・リトル・ホワイル」はめちゃくちゃかっこいい曲だと思ったものの、それらが入っている『シルク・ディグリーズ』や『ナイトウォッチ』は、全曲試聴したらそれほどでもないかな、と……。まあそのうち、気が変わることはありえます。

§:2016年の10月、ほとんど予備知識のないままライヴで聴いて、衝撃を受けたシンガー・ソングライター。そのときの感想。あまりにびっくりしたもんで、この『あけぼの』と、続いて出たフル・アルバム『たむけ』(2016年)を、割合すみやかに購入。どちらも、英国フォークとアメリカのフォーク、そして日本のフォーク/民謡を絶妙かつ強引にブレンドした作風で、言葉のセンスも面白い。短歌とか現代詩をやらせてもいいんじゃないかと思います。

>:11月に京都、ワークショップ・レコーズで入手したブラジリアン・グルーヴィ・ソフト・ロック。関東のディスクユニオンでもたまに出くわすのですが、いつも高くて見送っていました。このときも、普段なら買わないような値段だったものの、ほかに買うものもなかったし、内容がいいのはわかっているので、旅の記念にと購入。ワークショップ・レコーズも移転しての開店早々でもあったため、ご祝儀の気持ちもありました(恩着せがましい)。キレのよいリズム、高揚感あふれるオーケストレイション、そして、ときおり空気を読まずに割り込んでくるエルメート・パスコアールの狂気のフルート。いい味を出してます。

#:渡辺貞夫は宇都宮出身なので、なんとなく親近感を持っています(宇都宮の街自体には、ない)。アルバムは5枚くらいしか持ってないですが、年末にたまたま買ったこれはよく聴いた。ジョン・サーマンだとか、ドン・レンデル=イアン・カーだとかの英国ジャズにも通じる雰囲気がありますね。増尾好秋のギターがガボール・サボに似てるのも興味深い。ナベサダは米国滞在時、ゲイリー・マクファーランドのバンドでガボールと一緒でしたよね。

ところで、わたしは1995年に大学を出てから1年弱、実家に戻ってぶらぶらしてたんですが、その期間に、栃木県立図書館でおこなわれていたジャズを聴く会みたいのに一度だけ行ったことがありました。もはや記憶もおぼろですが、図書館の中にでかいスピーカーを備えた小さな試聴室(10席か20席くらい)があって、そこで毎月だか隔月だか、ジャズの名アーティストの作品を図書館所蔵のアナログで聴くというもの。その、一度だけ行った回が渡辺貞夫特集でした。ナベサダの親族のひとが来ていたり、モッズ好きの野中くんとたまたま現地で会ったりしました。どんな曲がかかったかはほとんど覚えてません。ただ、終わったあと、野中くんと、「なんかトラフィック(*)みたいな曲があったな」と感想を言ったことは記憶に残っています。いまにして思うと、それがこのタイトル曲「パストラル」だったんじゃないかという気がします。

*→スティーヴ・ウィンウッドらが在籍した英国のロック・バンド。『ホウェン・ジ・イーグル・フライズ』は鳥ジャケ。

---

曲単位でよく聴いたのは、松田聖子「風立ちぬ」。同曲の入ったアルバムも買いました(聖子ちゃんの音源を買ったのは生まれて初めて)。この曲はほんとすごい。もう何万回も言及、称賛されているとは思いますが、それでもあえて。「さよなら、さよなら、さよな・ら」の繰り返しで見せるおそるべき表情の変化。いや、3人の女が別々の角度で目の前を通り過ぎていく!(そしてそれが2回やってくる!)
[PR]
by soundofmusic | 2017-01-18 09:53 | 日記 | Comments(0)

声の密度

d0000025_2124231.jpg加川良のCD『みらい』を聴いた。1曲目はブルーハーツ「青空」のカヴァー。ギターと、深くエコーがかかったドラムに乗って、声が響いてくる。歌詞の最初は、こんな風だ。

ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを打ち倒した


ところが、実際に聞こえてくる音をそのまま文字に起こしてみると……

ブゥラウゥン管の向ぅこう側ぁ
カァッコつけぇた騎兵隊がぁ
インんディぃアぁンんをぉ打ちぃ倒ぉしぃたぁ


となる。いやいや、いくらなんでも誇張しすぎだろうと思われるだろう。たしかに多少は盛っていることは否定しないが、なにかしら普通でないものがあるのは事実だ。声の密度が異様に濃いというか。

しかし待てよ、そもそも加川良は昔から、こうしてこんこんと説いて聞かせるような、無理やりにでもお前の耳に言葉を届けてやるぞという決意に満ちた、そんな歌い方をしていたんじゃなかったっけ。そこで棚から『教訓』と『アウト・オブ・マインド』をひさしぶりに取り出してみた。

いまさら40年以上前の話をされても本人はイヤかもしれないけど、『教訓』に収録されている「教訓Ⅰ」が加川良の代表曲のひとつであることは間違いない。で、その「教訓Ⅰ」、たしかに母音を重ねて引き延ばすようなフレーズがたくさんあるにはあって、でもニュアンスは決して均一ではない。怒り、諦念、ユーモア、軽妙さ、皮肉、いろんなものが溶け込んでいる。たぶん、歌詞の「女々しさ」の印象に引っ張られて、こんこんと説いて聞かせるような歌だったと単純化して思い込んでしまったのだろう。アルバム2曲目の「できることなら」もある意味セットになったような曲なので、それもある。

ところでこういう話題になるとどうしても、日本語の歌の歌詞の情報量について考えてしまう。便宜上英語と比べると、日本語は、同じ時間(ひとつの音符=音節、と言ってもいい)に入れることのできる情報量が少なすぎる。

たとえば「君が代」の最初の歌詞をわたしたちは、「きーみーがーあーよーおーはー」と7音で歌いますが、英語の7音節でどんな文章が作れるだろう、と「英語 短歌 作り方」で検索してみたら、「We feel good thing will happen」というのが出てきた。たしかに、「君が代」の冒頭にこの歌詞を乗せて歌うことができる。

データ伝達の効率の観点からしたら、これではまったく勝負にならない。わりとみんなそう考えたのでしょう、70年代のフォーク時代から現代の日本語ラップまで、いろんな試みがなされてきた。たとえば吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」をYouTubeででも聴いてみていただきたい。とにかく笑っちゃうくらい言葉が詰め込まれていて、これはこれでかっこいい。「ペニーレインでバーボンを」のフレーズの繰り返しはともかく、「腹を立てたり怒ったり」という歌詞はどうなんだと思っちゃうけど、全体の言葉の量が多ければ、こうしてムダも織り込むことができる。

どうやったら歌がより力を持つことができるのか、その方法は別にひとつじゃない。限られた時間の中にできるだけ多くの言葉を詰め込めるか工夫を凝らすものもいれば、その同じ時間を呪術的に引き延ばそうとする者もいる。

またしてもYouTubeの話で恐縮ですが、ブルーハーツがNHKに出て「青空」を歌ったときの動画を見てみたら、曲のテンポは加川良のヴァージョンとそんなに変わらなくて、ヒロトはわりと素直に棒歌いしている。おもしろいことに、曲の速さと体内のリズムが一致しないからなのか、体で刻んでいるリズムが歌のテンポとぜんぜん違うのだ(マーシーの作った曲だから?)。

その同じ「青空」を、ここでの加川良は、音を引っ張るときただ普通に延ばすのではなく、濃さを倍にするみたいに母音を重ねる。よく、坂本九の「上を向いて歩こう」の物真似で、♪うぅえをむぅいひぃて、あぁるこほぉおぅ♪みたいなフレージングがある。隙間をどう埋めるかという意味では同じ発想にもとづいているのかもしれないが、しかし加川はフェイクしない。坂本なら軽く流すであろうところにも、愚直に、ひとつひとつ音を置いていく。

歌われ方によって、字面で見たときの歌詞の意味が増幅したり変容したりすることがある。ある女優はレストランのメニューを朗読して居合わせた者たちを泣かせたという。矢野顕子は読売ジャイアンツの打順を歌にした。いつだって大切なのはwhat―なにを歌うか―ではなくて、how―どう歌うか―なのだ。いや、正確に言えば、自分が聴いているものがwhatだと思っていたら、それがhowだったのだと気付く瞬間。そのスリル。

「青空」のことにばかり字数を費やしてしまったが、『みらい』にはほかにも、かまやつひろし「どうにかなるさ」や泉谷しげる「春夏秋冬」といった、よく知られた歌が入っている。加川が歌にもたらす問答無用の説得力は、もはやどんな歌でもゴスペル化することができそうだ。

さらに、ついつい不埒な想像の翼が広がる。加川良がこの歌い方で、バカバカしい歌、無内容な歌を解釈したらどうなるだろうかと。2016~2017年現在だったら、たとえば加川良ヴァージョンの「PPAP」。原曲よりぐっとテンポを落として、一音一音をかみしめるように、大地を一歩一歩踏みしめるみたいに。そしたらたぶん、「前前前世」どころではないほどのエモさが生まれるんじゃないかと思う。

☆加川良『みらい』はおもに通販で買うことになっているようです。2000円+送料300円。今後お店でも扱うようになるかも。詳しくはこちら
[PR]
by soundofmusic | 2017-01-03 02:13 | 日記 | Comments(0)