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よ う こ そ 

よ う こ そ _d0000025_241186.jpg東京・渋谷で隔月開催されているノンジャンル系うたものDJイヴェント「Pure Pop For Now People」などに関する情報のブログです。

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*最近のおことば*(2017/06/24)
○〈視る楽しさ〉あるいは〈風景を楽しむこと〉は確かに誰にでも出来ると言うわけではない。まず都市を前にして、視線を研ぎ澄すこと、それが重要なのだ。 ……松本隆「なぜ(風街)なのか」

*最近の更新*
○3/4 日記(推敲するスズメ
○1/14 日記(2020年のグッド音楽
○11/11 日記(市民広場のロックンロール
○4/20 日記(予定
○1/19 PPFNPセットリスト

*PPFNP Vol.12X?* New!
日時:2022年04月09日(土)18時~22時
会場:渋谷エッジエンド
料金:1000円(1ドリンク&おみやげ付き)←Price up!
DJ:森山弟(弟)/森山兄(兄)/ほか
★2021年07月、10月、2022年01月については、休止が決定しております。最短で2022年04月から再開予定です。続報をお待ちください。(2021/04/25記)

*黒の試走車<テストカー>*
☆2007年ごろから毎月第1土曜日に開催されておりましたノンジャンルイヴェントでした。2019年03月をもって走行を終了しました。長年にわたるご乗車、どうもありがとうございました。

*このブログの管理者に連絡するためのメールフォームを別画面で開きますか? →まさか!

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# by soundofmusic | 2022-12-05 21:56

推敲するスズメ

推敲するスズメ_d0000025_23330338.jpg気分の赴くままにネットを見ていて、そのうち、どうしてそこに行き着いたのかよくわからなくなることが誰にでもあると思う。今日はどういうわけか、英語とスペイン語のウィキペディアの俳句のページを眺めていた。

英語の俳句、有名な日本のものについては、なるほどこう訳すのか、と面白みを感じたりすることはあるけれど、最初から英語で詠まれたものについては味わい方がよくわからない。5・7・5の形の日本語に変換してみればいいのじゃないかと気付いていくつか試してみると、もちろん、うまくいくのといかないのがある。たとえば、米国の俳句誌「モダン・ハイク」の編集長でもあったロバート・スピースの俳句。

An aging willow
Its image unsteady
In the flowing stream


これなんかは、出来がいいかどうかは別として、こんなふうに訳せるんじゃないかと思う。

枯れ柳
おぼろに浮かぶ
川の中


では、ジャック・ケルアックのこれはどうか。

Snow in my shoe
Abandoned
Sparrow's nest


ぱっと見たところ、使われている単語はシンプルだし、難しくはない気がする。ぼくの靴の中の雪。打ち捨てられている。雀の巣。詩的な感じもある。じゃあどういう日本語になるのかと考えると、そう簡単ではない。はかなくなった自分の古靴の中に雪が積もっていて……そこまではよいとして、その古靴が雀の巣として使われている、ってのはヘンだよな、鳥の巣はたいてい、高いところにあるから。待てよ、とすると、abondonされているのは雀の巣か? いやむしろ、2行目は1行目と3行の両方にかかっているのか。雪の積もった靴と、空っぽのスズメの巣を同一画面でとらえた、冬の日の光景。そこまで思考が展開したところで、ようやく日本語への移植作業が始まる。右から左というわけにはいかない。

と、ここまで書いて調べてみたら、スズメの巣は普通は人間の目につかないところにあるとか、日本のスズメはアメリカ大陸にはいない!とか、いろいろわかった。ケルアックが見たのはAmerican tree sparrow(和名はムナフヒメドリ/写真)だったんだろうか。

ひさしぶりに原稿を頼まれて書いた。せめて時間の限り最善を尽くそうと極限まで推敲して提出して、何日かたって読み直してみると、あまりにムダを削ぎ落としすぎて文と文がつながらなくなってしまっているのではないか、と思えた。べつに実験的な構成を持っているわけでもなく、ということは、ひとつの文から次の文へと通常の順番で読まれていくはずなので、流れを見失う恐れはないだろうだけど。

ケルアックのこの俳句は、形式上の制約を逆手にとって、明示されていないつながりを読者の中で完成させようとするようにつくられているのかな、と思った。でもそれが許されるのは、詩だから。散文として読者に不要なストレスを与えず、読んでいて気持ちのいいグルーヴを生むためには、一見なくてもよさそうな接続詞なりなんなりが、やっぱり必要なんだろうね。推敲しすぎるべきではない。
# by soundofmusic | 2021-03-04 23:41 | 日記 | Comments(0)

2020年のグッド音楽

2020年のグッド音楽_d0000025_00171616.jpg遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。正月恒例の、2020年のグッド音楽です。

【概観】
2020年、買った枚数は前年度比18%増。1年の4分の3を無職者として過ごした2018年に底を打った購入枚数は、1年間ぶっ通しで働いていた2019年を経て着実に回復し、テン年代半ばの水準にまで戻ってしまいました。メディアごとの割合は、CD57%、LP43%。2019年はCD65%:LP35%くらいでした。

生活のほかの諸相同様、音楽生活もコロナウィルスの流行に大きな影響を受けました。緊急事態宣言中、1か月半くらいにわたってディスクユニオンのフィジカル店舗が営業していない期間があったようです。そのあいだ、オンライン・ショップがかなり本気を出していろいろ在庫増量してくれたので、通販を何度か利用しました。また、ディスクユニオンは2019年の半ば頃から、オンライン・ショップの在庫を家に送ってもらうのでなく任意の店舗で送料無料で受け取れるサーヴィスを始めていて、フィジカル店舗の営業再開後にはこちらをかなり活用しました。体感で言うと、フィジカル営業できなかった期間に、従来のミドル~高価格帯中心の品揃えから、お手頃価格の品物も大量投入するようになったのだと思います。

ユニオンのオンライン・ショップには、最大300枚まで登録できるウォント・リストがあります。最初は、どうせそんな都合よく欲しいものが出品されるわけでもなかろう、と消極的な気分だったのが、登録しておくとわりと頻繁に「見つかったよっ!」て知らせてくれるので、いまではほぼ300枚の限界ギリギリまで登録しておいて、見つかって買えたらそれを削除してまたほかのを登録、ってやってます。ふだん、欲しいレコードなんて5枚くらいしかないよ、と嘯いているのはいったいなんなんでしょうか。

結果的に、通販購入分と店舗受け取り分と合わせて、年間合計購入枚数の3割程度がディスクユニオンのオンライン・ショップでの買い物となりました。店舗に受け取りに行く場合、当然、同時に店内を巡回もして併せ買いせざるをえないわけで、めったに使わない言葉をここぞとばかり使うと、これこそが本来の意味でのwin-winでしょう。

そうしたことと比べると些事ではありますが、メルカリを初めて利用したのも2020年の私的トピック。7枚くらい買いました。

【グッド・アルバム】
前置きが長くなりました。以下、2020年のグッド・アルバム。例年どおり、12月半ばから候補盤を選び出し、聴き直しては絞り込みをおこなっていたものの、なかなか減らせないので、いつもよりやや増量して14枚としました。並びは買った順。≠と∵はLP、ほかはCDです。◎と▲は、CDとLPの両方を買っております。

◇:Cincinnati Pops Orchestra『American Originals: 1918』(2018)
●:Philip Bailey『Love Will Find a Way』(2019)
▽:Ali Hassan Kuban『From Nubia to Cairo』(1989)
◎:中原めいこ『ロートスの果実』(1984)
+:折坂悠太『平成』(2018)
■:Tequila『Rock and Roll』(1979)
@:Jimmy Messina『Oasis』(1979)
≠:Les McCann『Tall, Dark & Handsome』(1979)
∵:Rod McKuen『Goodtime Music』(1975)
§:オールド・デイズ・テーラー『オールド・デイズ・テーラー』(2018)
▲:Clea Vincent『Nuits Sans Sommeil』(2019)
%:Leonard Bernstein『What is Jazz』(1956)
#:寺尾紗穂『わたしの好きなわらべうた2』(2020)
$:Guilherme Arantes『Guilherme Arantes』(1976)

コメント。

◇:シンシナティ・ポップス・オーケストラについて知ったのは、研修で同地を訪れることになっていろいろ調べたからだったかな。このオーケストラはアメリカ音楽の古層を辿る「アメリカン・オリジナルズ」というライヴ&録音のシリーズをやっていて、第1弾は2015年に出たフォスター集(Amazon)

本作はシリーズ第2弾で、アメリカ音楽のさまざまな転換点にあたる1918年にスポットをあてたもの。オケのメンバーはシンシナティ交響楽団とかなりかぶっていますから演奏力はお墨付き。ブルーズ的な表現も見事にこなしています。さらに、ときどき(日本で)現代音楽のオケなどを聴きに行ったときに感じる音量面での物足りなさとは対極の、なるほど「ポップスのオーケストラ」だなと思わせるアタックの強い音響。

そこに、リアノン・ギデンズ(キャロライナ・チョコレイト・ドロップス)、ポーキー・ラファージ(けだるい系SSW)、スティープ・キャニオン・レンジャーズ(ブルーグラス・バンド)などといったゲストが曲ごとにソロイストとして加わって、色とりどりのアメリカ音楽を再現してみせます。とはいえ、ここで聴けるような幅広さや豊かさを同じ時空間の平面上で経験できる環境や機会は、当の1918年の時点では存在していなかったはず。そう考えるとこれは、原始人とマンモスと恐竜が三つ巴で追いかけっこしていたりする絵本や、家康と一心太助と平賀源内とペリーが同一画面に収まっている架空の江戸(京都で撮影しているのですぐ後ろに山が映っちゃってる)のような、いい感じに捏造された歴史ならではの気持ちよさなのかもしれません。

録音は2017年秋、シンシナティ。上記の研修の際にライヴ録音に立ち会ったことはここに少し書きました。そういう意味でも思い出深いアルバム。

●:ここ数年、アース,ウィンド&ファイアのアルバムを安く買い進めつつありまして、2020年は年末に200円で買った『I Am(黙示録)』のリマスター盤の音のクリアさにびっくりしたりしたものでしたが、いま棚を見たら、10年以上前に『I Am(黙示録)』の非リマスター盤(オーストリア盤。珍しい?)を380円も出して買っていました。

フィリップ・ベイリー、名前はなんとなく知ってるな、くらいで、アースのメンバーであることはとくに意識していませんでした。ここでは現代のトップ・ジャズメンたちを大量にフィーチュアして(面倒くさいので名前は省略)、ソウルとジャズの境界線をぼやかしにかかってきています。この路線は昨日今日始まった話ではなく、前作(とはいっても出たのは17年前)も同じような発想に基づいていたようです。それよりも興味深いのは、やはり2019年に出たマーヴィン・ゲイの“新作”『ユーアー・ザ・マン』が、ベイリーのこのアルバムと兄弟と言ってもいいくらい同じ方向を見ていることで……などと得意げに書いてみたところで、そもそもベイリーはこのアルバムでマーヴィンの「ジャスト・トゥ・キープ・ユー・サティスファイド」をカヴァーしているので、鬼の首を取ったように言うほどのことでもないですね。

豪華ゲスト・プレイヤーたちの中でもとくに印象深いのが、西アフリカ・ベナン出身のギターリスト、リオーネル・ルエケ。このひとのアルバムは1枚も持っていないのにもかかわらず、音が出てきた瞬間、あ、リオーネル・ルエケだ、とわかってしまうのは、気になっていままで何度も試聴した(けど、結局買わなかった)からです。異物感ありまくりなのになぜかするっとなじんでいて、「原始(アフリカ)と原子(アメリカ)の火花散る出会い」などと今野雄二による『リメイン・イン・ライト』のコピーを引用したくなるところですが、なんのことはない、そもそもベイリーはこのアルバムでトーキング・ヘッズの「ワンス・イン・ア・ライフタイム」をカヴァーしているので、鬼の首を取ったように言うほどのことでもないですね。

▽:今回のグッド・アルバム14枚の、とくに最初の3枚の流れに、30年前くらいの「ミュージック・マガジン」くささを嗅ぎとられた方はいらっしゃいますでしょうか。戯言はともかく、このアルバム、アフリカ大陸原産の音楽としては初めて、わたしの年間グッドに選出されたものとなります。これで、年間グッドをまだ産出していない大陸はオーストラリアと南極のみになりました。がんばってください。

タイトルにあるヌビアとは、エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方の名称だそうです。だもんで彼の音楽も、土~ジャングル系ではなく砂漠系で、どちらかというと中東の音楽に近い印象。いまグーグル・マップを見たら、カイロ以南のエジプトはナイル川沿いを除いてほぼ全部白茶けた色で、スーダンに入ってもそれが続きます。スーダンのいちばん南、南スーダンやエチオピアとの国境あたりから緑色が始まって、エチオピアは国土の半分あたりが緑色。そんなエチオピアの音楽は、日本の演歌にも通じるものがいろいろあったような。

初めて触れたヌビアの音楽は、植生的~湿度的にも自分との共通点はあまり見出せませんでした。ハレの音楽なのかケの音楽なのか、どういうシチュエイションで聴かれているのか、想像もつきません。このひとがどの程度「本物」なのか、どの程度「商品」なのかも判断しかねるものの、少なくとも、西欧向けに小ぎれいにサーヴィス加工されたものという印象はとくになくて、軽く訛った音頭のリズムのアクの強さがクセになりました。ホヤとか烏賊の塩辛のようなアクの強さ……と書きかけてみて、このクバーンの劣化コピーみたいに唸ったりがなったりしているしているおっさんは日本の居酒屋にもいそうだな、と気付きました。イイ感じの顔も含めて。

この作品が出た1989年はいわゆるワールド・ミュージックが盛んだった時期で、わたしは16歳でした。「ミュージック・マガジン」をときどき立ち読みすると、そうしたワールド系のものがちょくちょく掲載されていて、いつもよくわかんないなと思っていました。あのときなにか1枚でもそうしたものを買っていたら、その後のリスニング生活も変わっていたのかも、なんて言い方は後知恵に過ぎませんが、そういやあのワールド・ミュージック・ブームって、結局なにがきっかけだったんでしたっけ? とりあえず細野さんの『オムニ・サイト・シーイング』を聴き直しながら考えてみようかな。

後日、クバーンのほかのアルバムを買ったら、帯に「キューバ音楽に憧れてクバーンと名乗り始める」とさらっと書いてあって、いい話を聞いた、と思いました。でも少なくとも表面的には、キューバ音楽に似てる要素は一切ないと思います。

◎:わたしなんぞもリアル・タイムで知っていたヒット曲「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」を含む第4作。名盤。この曲が流行った1980年代半ば、キウイはさすがに食ったことありましたが、パパイヤもマンゴーもわたしには未知の果物でした。スーパーを探せば売ってはいたのでしょうが、おそらく我が家の料理担当者である母に、そういう果物を買って食う発想がなかったはず。

思い出したついでに書くと、1980年代当時、郷里の宇都宮では黒人を見かける機会は(少なくともわたしには)ありませんでしたし、いわゆるエスニック料理も、食べたことがなかったです。別に珍しい国の料理の話ではなくて、タイ料理とかですら、上京するまで未体験でした。

で、なんでしたっけ、話が続くようで続かない感じになってるところを無理矢理続けましょうか。わたしはいつも、どんな人間に育つかは生まれた場所と時代と親の収入で9割方決まる、と常々主張しています。うちの兄弟がふたりともそこそこな音楽好きに育ったのも、若い頃は当然、自発的な行動のつもりでいたわけですが、そもそも、自発的な行動なんてものが本当に存在するのか、そこからしてあやしい。そう考えると、たいていの家庭にあったテレヴィってのも、未知の世界への窓としての機能を思えば、案外バカにしたもんでもないのかもしれません。

中年になってから初めてこのアルバムを聴いてみると、言わずもがなのファンカラティーナだし、ときどきサヴァンナ・バンドっぽかったりすることにも気付かされます。なるほど子供の頃に聴いた「君たち~」の衝撃がいまの自分のラテン好きの下地になっているのかも、と言いたい気分に駆られますが、それではいくらなんでも歴史の捏造でしょう。あと、昨今のエイティーズ・リヴァイヴァルものには、こうした下世話な歌謡曲感のヴォーカルのひとはあんまりいませんよね。いま真似するにはちょっと恥ずかしい、こそばゆい気持ちよさ。なにかの元ネタにするのではなく、やはり野に置(いたまま聴)けエイティーズ。ですね。

ちなみに2020年、彼女の2作目『2時までのシンデレラ』もよく聴きました。こちらも甲乙つけがたい出来。

+:才能があるのは明らかなのにどういうふうにしたら一般に広く受け入れられるのか見当もつかない存在、ってのが確実にいて、たとえば「親密さ」までの濱口竜介だったり、ブレイク前のエレファントカシマシだったり。そして一度売れてしまうと、これだけすごけりゃそりゃ売れるよなあ、なんでマニアックだから売れないとか思ってたんだろう、とみんなが首をかしげたりする。わたしにとって、このアルバムがまさにそれです。

初めてライヴを見たとき、琵琶か三味線かウードのように弾かれるギターとあまりにも現代人離れした歌世界にびっくりさせられたものでしたが、こんなポップなアルバムをつくる(ことができる)ひとだとは、その時点では想像もしなかった。強烈な個性は聴きやすくまろやかになって、でもぜんぜん薄められたり殺されたりはしていません。狭いところにぎゅうっと濃く凝縮されていたのが、開けた場所に走り出て、仲間たちと一緒に思いのままに羽根を広げて飛び回っている。そんなイメージ。

近年、着る服もないようなアフリカあたりの子供が、Jポップの曲を独自のコブシでカヴァーしている動画なんかがときどき回覧されてきますが、そんな感じで、たとえばこのアルバム冒頭の「坂道」を、日系ブラジル人のグループがスロウなサンバに改作しているところを想像してみたくなります。めっちゃ回転数を落としたホレス・シルヴァー「スウィンギン・ザ・サンバ」とのマッシュアップも楽しそう。

これは完全に言いがかりなんですが、ひとつ気になる点をあげると、彼のまとう「和」への志向ですかね。筆文字の安い人生訓なんかを店内に掲示するラーメン屋みたいになるくらいならまだしも、このひとの場合、激情のほとばしりのあまり、国家主義的な方向に(本人の意思か、周りの意向かを問わず)行ってしまいそうな危うさがあります。そして、そうした傾向の歌ができた場合、そこには、余人にはつくりえない感動がうまれるはずなので、怖いもの見たさで聴いてみたいです。カリスマ性を持った扇動者にも、その言葉に乗せられてしまう鉄砲玉にも、どちらにもなれそうな二面性が彼の魅力だと思います。

■:日常的に聴くスペイン語の音楽はサルサやマンボで、2020年もその手の音楽をあれこれ買って聴きました。そうした中から年間グッドの最終候補にもいくつか残っていましたが、結局のところ、2020年に出会ったスペイン語の音楽でいちばん印象が強烈だったのが、このマドリードのバンド(メンバーはスペイン人とアルゼンチン人)。知った経緯はこちらに書いてあります。

ホワスト(こちらは試聴しただけ)の時点ですでに充分器用な様子を見せつけていた彼ら、このセカンド・アルバムでは、若干パンク/ニューウェイヴ風味を上乗せしてきています。ロックンロールを基調としつつ、ディスコの要素も節操なく取り入れたりして、最終的にはパワー・ポップに着地。その方針は、ジャケット写真に見事に表現されていると思います。ロック後進国にありがちなもっさり感はなく、小気味よい切れ味。

同時期の英米でどの程度の評価を得ていたかはとくに確認していませんが、その気になれば充分に世界規模でやっていけた実力を持っていたように聴きとれます。日本で売り出すつもりはあったようで、1980年代半ばには、一部の曲を英語で再録音した日本市場向けのアルバムをつくったことがあるとか(バンド側のアプローチなのか、日本から声をかけたのかは不明)。そこはがんばって日本語で歌ってほしかったですよね。

アルバムはだいたい普通にCD化されていて、輸入盤の新品で買おうと思えば買えます。ただしお手頃価格の中古で入手しようとすると、日本ではたぶん難しいのかな。スペインに買いに行くのがおそらくいちばん話が早いはず(金銭感覚がおかしい)。一日でも早く実現しますことを。

@:わたし世代のひとならだいたいみなさん同じだろうと思いますが、メッシーナの名を知ったのは、「ジョジョの奇妙な冒険」に出てきたロギンズ&メッシーナというキャラ(どんなんだったかは覚えておりません)からです。長じて、バッファロー・スプリングフィールドやポーコゥの音楽にも親しむようになったものの、深く興味を持つでもなく生きてきたので、ロギンズ&メッシーナの解散後にこんな素敵なオーシャン・ラテン系AORなソロ作を出していたことは2020年になってようやく知りました。

ジャケット撮影は南カリフォルニアのどこかでしょうか、石づくりの建物の前に、上下とも白の服を着て裸足で立つメッシーナ。こうした鈴木英人的センスをニュートラルに(再び)受け入れることができるようになったのは、わたし自身の加齢と世間の風向きの変化、両方によるものです。英語の教科書「NEW HORIZON」の表紙を眺めていた中学生時代から3分の1世紀か。長かった。

ツイッターを見ていると定期的に、実際にはひとがそれほどいない商店街や繁華街を、望遠レンズを使って撮って空間を圧縮させ、さも「密」になっているように見せる表現の功罪が指摘されています。歴史についても同様の現象がある気がしていて、たとえば、渋谷系の思想的な源流のひとつにポスト・パンク的心性があった事実はしばしば忘れられがちです。また、わたし自身、小西康陽が(日本の)シティ・ポップやAORについて、反面教師でしかなかった、と言っているのを読んで、やや意外な感じを受けたこともありました。歴史が圧縮された結果、同時期に存在していたというだけで似たようなものに感じられたり、細かい部分が見えなくなってしまったりするのでしょう。

知っていることをもう一度言葉で説明するならば、このへんの音楽は、70年代前半のニューソウル期あたりから顕著になった、ジャズ系のミュージシャンがいわゆるSSW系の作品に起用されるようになったものの延長線上に存在しているのだと思います。そして、それをよく理解するためには、ジャズからフュージョンへの変化や発展をしっかりつかむ必要があるはず。めんどくせぇな。

余談。バッファローの最後のアルバムに入っていた、「ウノ・ムンド」というラテン・ロック・ナンバーが好きだったことを思い出しました。あれってメッシーナの曲だったかな? と確認してみたら、スティーヴン・スティルスでした。そうだった。

≠:滋賀県在住の村田さんと知り合ってから、なんだかんだで15年近くになります。知り合った当初から今日まで、1年か2年に一度くらい東京か関西で会っては、あいさつもそこそこにいきなり音楽の話を始めて、数時間話したのちにそれぞれの家路につく、という付き合いをしております。ここ数回は、会うとだいたい毎回いつのまにかジャズ警察の話になりがちで、そんな中、「森山さんは取り締まるほうでもあるし取り締まられるほうでもありますね」みたいに言われたことがありました。

ジャズ警察の歴史は案外古くて、17世紀半ばのボストンあたりですでに活動していた記録があるそうです。それはさておき、レス・マッキャンというひとは、陰に陽にジャズ警察の監視対象になっていたと言えるのかもしれません。ジャズ警察は現実の警察と同じくらい勝手なもので、ゴスペル風の力強いピアノは黒人っぽさのあらわれとして歓迎するだろうに、そこにハンド・クラップやクワイヤが入ると、これはジャズじゃないねなどと言い出す。ピアニストであるマッキャンのもうひとつの大きな魅力である、ダミ声で歌われるうたについて、ジャズ警察はどう認識しているのでしょうか。

1960年代後半にアトランティックに移籍してからの作品は、ものによってはほとんどニューソウルと呼んでも差し支えない音楽性を持っていて、となると逆に、ソウル警察による取り締まりの対象にも入る可能性があります(いま、「ソウル警察」ってあるのかなと思って検索したら、韓国に実在してました)。

この1979年度作は、アコースティック・ピアノはほぼ不使用、その他の鍵盤演奏(マッキャンほか数人が担当)もさほど目立たず、全曲がマッキャンのヴォーカル・ナンバー。一聴した時点では、いくらなんでも越えてはいけない一線を越えてしまったな……と思わされます。しかし何度か聴いてみると、最高のモダン・ソウル・アルバムなわけで、マッキャンのことなんか知らない状態で、なにかの拍子に出会いたかった音楽。マッキャン本人やレコード会社の側にも、ここまでやるべきではないのではないか、との葛藤がもしかしたらあったかもしれませんが、40年後の未来から、これでよかったんですよと申し上げたい。いまだにCD化されていないようですので、とりあえずYouTubeで聴いてくださいませ。(ここ)

完全なる余談。わたしの義父は、朝ドラ「マッサン」(2014~2015)放映時、わたしのことをマッサンと呼んでいました。放送から数年がたった現在、わたしのことをそう呼ぶ人間はもうどこにもおりません。

∵:2020年は、13年ぶりに海外に行かなかった年でした。郵便事情が不安定だったせいもあって、海外からの通販もあんまりしませんでした。そのかわり国内旅行を何度かしまして、夏、初めて訪れた盛岡はいい感じの街だったなあ。焼肉はうまかったし、三浦春馬の追悼がてら見た「コンフィデンスマンJP プリンセス編」も悪くなかった。特筆すべきは、人口30万人の街に中古盤を扱う店が6軒もあるってこと。このレコードは、岩手公園(盛岡城址)北側のニート・レコーズで買いました。

ロックやフォークからは縁遠い場所にいて、かといってルーツ系でもなく、いわゆるSSWっぽさは希薄な自作自演歌手で気になるひとがときどきいて、ロッド・マッケン(発音はマキューンが正しそうだけど)はそのひとり。ほかにはジョン・D・ラウダーミルクとか、ピーター・スケラーンとか。元をたどるとみんなホーギー・カーマイケルあたりに行きつきますかね。

マッケンの(現在)有名な仕事というと、映画「ジョアンナ」の音楽くらいなのでしょうが、昔はとにかく売れっ子だったもんで作品数は膨大、しかも詩人でもあったからスポークン・ワードものも多くて、ヘタに手を出すと失敗しそうな雰囲気がプンプン漂ってる。これみたいないい感じの歌ものはどれなのか、どなたか教えてくださるといいんですけど。

しかし、ついいまさっき「いい感じ」と書いたものの、決して美声ではなく、音域も狭く、音程もちょいちょいふらつくし、客観的に見るといいとこがあんまりない。いま試しにハース・マルティネスを聴き直したら充分美声ですし、自分には耐え難いはずのトム・ウェイツを試聴してみたら、こちらもずいぶんと端正に聞こえました。こういうときの苦肉の策として、昔から使われる表現が「味がある」ですが、マッケンの歌には、味はあるけどほかにはなにもない。

味、からの連想で言うと、自分の曲を自分で歌うSSWと、自分でつくった料理を自分で食う行為とのあいだに、似たものを感じていた時期がありました。このアルバムでのマッケンは、他人の曲を料理して提供するのも美味い、じゃなかった、上手い。曲ごとに複数のアレンジャーを使い分けて起用していて、たとえば「ムーン・リヴァー」(ノーマン・パーシヴァル編曲)なんか、なかなか意表を突いてくれます。(YouTube)

関係ないけど思い出したので、こちらも紹介しておきましょう。たぶん世界一かっこいい「ムーン・リヴァー」。トリオ・エスペランサのエヴィーニャ(=エヴァ)によるもの。(YouTube)

§:古き良きロックの時代にはしばしばスーパー・グループなるものがあって、いざ聴くと、顔ぶれからリスナーが勝手に期待したほどの出来ではない、という共通点があったりなかったりするものでした。スーパー・グループにはそれなりに名を成した大物たちが一堂に会するスペシャル感が必須なはずなのに、例外もあって、たとえばもう誰もが忘れてしまったリトル・ヴィレッジなんかは、メンバーがライ・クーダー! ジョン・ハイアット! ニック・ロウ! ジム・ケルトナー! でしたっけね。1970年代のSSWのアルバムで、これより豪華なメンツがバック・バンドとして集まってる盤も普通にありそう。

オールド・デイズ・テーラーは、21世紀の日本に突如出現したスーパー・グループ。バンマスは笹倉慎介! で、リトル・ヴィレッジの記録を30年ぶりに更新して「史上もっとも地味なスーパー・グループ」としてギネス・ブックにも掲載されたのだそうです。ちなみにほかのメンバーは、元・森は生きているの岡田拓郎、谷口雄、増村和彦、細野晴臣バンドほか数多くのアーティストのバッキングを担当する伊賀航、そしてコーラスには優河と、料理人?の濱口ちな。

音楽的には笹倉慎介がいままでやってきたような、それこそ1970年代のSSWっぽい音で、だから新味は皆無なはずなのに、なぜかおそろしく気持ちよく聴けてしまう。できたての化石というか、めちゃくちゃ新鮮なミイラというか。バックに触発されたのか、それとは関係ないのか、笹倉の声は以前よりもぐっとジェントルに、大瀧詠一×ジェイムズ・テイラー÷2(=最高!)みたいになっております。で、大瀧の「恋の汽車ポッポ」のカヴァーをやっていて、このへんは天然なのか計算なのか。あと、このアルバムのすごいのは、優河がコーラスしかしていないところ。普通だったら我慢できずに、優河を大フィーチュアした自分とのデュエット曲を作ってしまうはずだし、それやったら確実に「名曲」と呼ばれるものになると思うんですけどね(ソギー・チェリオス「海鳴り」みたいに)。

▲:なんだかんだで忙しいもんで、レコード屋にいっても端から端まで見るなんてことはめったになくて、2020年は、ワールドのコーナーだけささっと確認して帰る日も多かったです。ワールドを見てると、気付かぬうちに隣接したレゲエのところに入ってしまっていたりして、そんなときは、火のついた爆弾から逃げるときの勢いであわてて離れるのですが、別にそんな、飛びのくみたいに離れなくてもいいんだよなあと苦笑してしまいます。また、これはコーナー問わず、引き抜いたレコードがとても買えない値段だったりすると、これまたあわてて、汚いものに触れてしまったかのように元の場所に戻したりもしますね。これも同様。そんなにあわてて戻す必要はない。

クレア・ヴァンサンのこれは、そんなワールドのコーナーで何度も見かけて、なんとなく覚えたレコードです。ネットで試聴したところよさそうだったので、安くなったら買おう、と機会を窺っていたら、そのうち、未開封盤が1000円を切っていたのですかさず確保。予想ですが、たくさん売るつもりで仕入れたら意外と反応が鈍くて大量に余ってしまい、しかたなしにアウトレット的に処分したんじゃないかな。

内容的には、「フランスの一十三十一」とわたしだけによって呼ばれている、ネオ・エイティーズもの。音楽で真っ先に古くなるのは(=変化のスピードが速いのは)リズムに関する部分だと思っていて、たとえば◎の中原めいこでも、ドラムスの音の処理なんかは単調で、案外変化に乏しいわけです。このアルバムでは曲ごとにリズムのニュアンスが変えられ、ベースもシンセとエレキが適宜使い分けられていています。上モノは生楽器はたぶんほぼ使われてなくて基本シンセで……なんてことを2021年になって言ってる人間もちょっとどうかと思いますが、はかなげな声を殺さないよう、繊細な気づかいでもって音が組み立てられています。あてずっぽうに言うと、リズム・トラックだけ抜き出すとおそらくエイティーズ感はさほどなくて、そこは現代なのかなと。懐かしさと新鮮さのブレンド具合のうまさが聴き飽きない理由なんでしょう。

1曲でVoyou(ヴォユー)というひととデュエットしてます。ディスクユニオンいわく彼は「フランスのベニー・シングス」だそうで、そんなこと言われるとそっちも聴きたくなってしまって『Les Bruits de la Ville』を買いました。こちらもなかなかでした。

いまふと思い出したこと。だいぶ昔、たしかロッキングオンで渋谷陽一が、「なんだかんだでポップ・ミュージックはいちばん新しいものがいちばんいいものなんだよ」みたいな発言をしていました。細かいニュアンスは忘れているのでかなり実際とは違っているかもしれませんが、なにが言いたいかというと、それを読んだときわたしは、いやいやあなた絶対そんなこと思ってないでしょう、と心の中でツッコミを入れたんですよ。で、もしかするとその発言当時の渋谷陽一はいまのわたしと同じくらいの歳だったかもしれなくて、そしていまわたしも、誰かに大いにツッコミを入れられるのを承知で、ポップ・ミュージックはいちばん新しいものがいちばんいいものなんですよ……と言いたい気分なんです。

%:と言った舌の根も乾かぬうちに、今回選んだ14枚のうちで最古、65年前の録音です。

以前ほどではないものの、やはり正規の音楽以外の企画ものみたいな盤にはそれなりに興味を惹かれてしまいます。これは、直球なタイトルそのままに、ジャズとはなにかを、既存音源、新録音源、バーンスタイン自身のトークとピアノと歌(!)で教えてくれるありがたい1枚。ただし最初のほうで「ニューオーリンズで生まれたジャズはミシシッピ川に沿って北上し……みたいな耳タコな話ではなく、音そのものから分析する」と宣言されているとおり、音で聴くジャズの歴史ではなく、つまりまさに、ジャズとはなにか、なのです。

冒頭、エリントン楽団の「A列車で行こう」の断片が流れ、「いまこれを聴いているあなたが、洋の東西を問わず、およそ文明社会にいるのであれば、この音楽はジャズだとわかるはずだ」と、力強くも挑発的にバーンスタインが語り始めます。立て板に水の如き名調子で説明されるのは、ハーモニー、リズム、シンコペイション、曲構造、ジャズの受容の変化などなど。そう言われればほぼ全部なんとなく知っている内容ばかりとはいえ、おさらいするのは楽しいですし、何百枚もレコードを聴かなくても、入門書を一切読まなくても、このアルバムを聴けば45分でジャズがわかってしまう。

トークである話題が出ると、すぐさま、それが実際にどういうものかが音で示される名編集! テオ・マセロでしょうか。さらに、なにが「ジャズではないか」を伝えるための音源がはしばしに出てきて、これが面白い。メロディはそのままでシンコペイションを完全に除去した演奏だとか(シャッグスみたい)、ブルーノートをまったく使わずクラシックの声楽の発声で歌われる(非)ブルースだとか。さらには、ダンス・ミュージックからシリアスなリスニング・ミュージックへの変化を極限にまで推し進めた、サード・ストリーム風の演奏まで。ほぼモンティ・パイソン。

バーンスタインの英語はたいへん聞き取りやすく、わたし程度のリスニング能力でも9割以上普通に理解できます。国内盤のCDが普通に出てまして(!)、そこにはすべてのトークの内容が載ってるらしいので、そちらをお買い上げになるとよろしい。対訳だけなのか、英語の書き起こしも載ってるのかは不明。

と書いたところで、日本語でも同じようなアルバムがあって、愛聴していたことを思い出しました。日本が誇るジャズ批評家、油井正一がブルーノートの1500番台の音源を紹介する『じ・あめいじんぐ油井正一』(試聴)。これはもともとLP時代に特典盤としてつくられたもので、一度も正規盤として発売されたことはないと思いますが、CD時代にもやはり特典盤としてプレスされて、ディスクユニオンだとちょくちょく見かけます。批評家や物書きもこういうふうに、ミュージシャンと同じくらいかっこよくあってほしいんですよね、わたし的には。

最後に、バーンスタインのこのアルバムで聴ける名言を。「ジャズには100%の悲しさや100%の幸福感は存在しない。どんなに陽気で荒々しいトランペット・ソロにもひとつまみの痛みがあり、そして、どんなに悲しげなブルースであっても、その痛みを心の隅っこから奪い去るだけの力強さを持っている」

#:2020年に寺尾紗穂は2枚アルバムを出しています。春に出たオリジナル・アルバム『北へ向かう』も素晴らしい作品で、とくにキセルと組んだタイトル曲や、庄野潤三みたいな「一羽が二羽に」なんかはとても気に入っているのですが、ごく個人的かつどうでもいい理由で、年間グッドに選出することができません(ジャケット写真のナメクジのせいではないです)。

そんなわけで、といってもやむなくこちらをというのでもなく、わらべうた集であるこっちのアルバムを選びます。さきほど『北へ向かう』について、「オリジナル・アルバム」と(あえて)書いたので、よく知らないひとは、『わたしの好きなわらべうた2』は企画ものか箸休めのようなものなのかと思うかもしれません。なるほど、ここに入っているのは寺尾の自作曲ではなく、彼女が収集した日本各地の民謡や童謡ばかりなので、そうした意味では、オリジナル・アルバムではないです。しかし、寺尾のファンはきっと全員、そんなことはどうでもよい、と考えているはずで、そしてそう考えることと、寺尾のソングライターとしての才能を尊重することとは、決して矛盾しないのです。(ポピュラー音楽における自作自演の重要性、正確にいうと、それが重要視されることの功罪、については、ここで触れると長くなりすぎるので省略します)

前項、▲のクレア・ヴァンサンのところで書いたリズムと上モノの話や、前々項、%でおさらいしたジャズの構造を(わたしだけが勝手に)踏まえて断言申し上げると、寺尾紗穂のわらべうたシリーズはつまり、昔からあるものの枠=不自由さの上で成り立つ自由、のことなのです。

ジャズの本質はメロディなのかアドリブなのか、という、みなさんの大半にとってはどうでもいいであろう問題がありまして、鶏が先か卵が先かみたいなアレなんですが、アドリブ派のひとに対してメロディ派のひとが、「いくらアドリブが大事だっていっても、曲がなきゃ演奏できないでしょ」と言ったりする。フリー・ジャズだと完全インプロヴィゼイションも普通にあると思いますが、最大公約数的には、ある曲(メロディ)から始まって、そこからどのくらい、あるいはどうやって、離れるかあるいは離れないか、そのやり方がジャズ、なのだと思っています。

このアルバムは、とりあげられている各地の曲自体がさまざまな味わいを持っているのはもちろんとして、それらが持つ枷が触媒となって、寺尾の歌や演奏、そしてさまざまなゲスト・ミュージシャンによる編曲やアンサンブルの冒険が自在におこなわれている、そこがいちばんの妙味なので、つまりそれって、「私の考える(彼女の)ジャズ」そのもの。

2017年4月、武蔵野公会堂で『わたしの好きなわらべうた』の第1集のレコ発ライヴがありました。曲によって入れ替わって増えたり減ったりするメンバーは、総勢10人くらいでしたでしょうか。なにかの曲の途中でふと、英国ジャズの中編成アンサンブルでこんなのありそうだな、と感じました。そのときの感覚が数年越しでCDに蒸着したような気もしています。

ところで、寺尾さんについては、こんな記事を気軽に書いてやや迷惑をかけてしまったことがあり、軽く反省しています。反省してはいるんですが、年末に見た映画「甘いお酒でうがい」で、黒木華がカラオケで「私がオバサンになっても」を歌う場面があって、そのときも、寺尾さんが歌ったらいいんじゃないか、と思ってしまいました。こういう曲こそ、寺尾さんが歌ったときにどんな聖性が宿るのか、聴いてみたい気がします。

$:岡村くんがブラジルのミナス・ジェライス州の音楽について、後期ビートルズに通じる浮遊感、と形容していたのは、もう15年か、ヘタすりゃ20年くらい前になるでしょうか。この年始のグッド音楽企画が、ブログではなく紙媒体で展開されていた時代の話です。

ギリェルメ・アランチスの出身はサンパウロで、ですからミナスとは関係ないはずですが、1970年代、各国に数人ずついた気がする「ひとりビートル(ズ)」のひとりであるのは間違いありません。たいていの「ひとりビートル(ズ)」がそうであるように、ポール成分が多めではあるものの、確実にジョン成分も含まれています。わかりやすく言うと、絶妙にダサいノリ(がに股気味)でジョンがサイド・ギターを弾く様子が目に浮かぶ曲がいくつかあるのです。たぶん桑田佳祐やニール・イネスとも意気投合できるはず。

ちなみに「ひとりビートル(ズ)」という表記は、英語の達者なピーター・バラカンが、『アストラル・ウィークス』のライナー・ノーツで、『(ホ)ワイト・アルバム』という書き方をしていたのにヒントを得ています。

最近買ったアランチスのベスト盤には、英米の曲をポルトガル語でカヴァーしたものがいくつか入っていました。それを聴いて思ったこと。ブラジル音楽の大きな特徴はもちろん、ブラジル・ポルトガル語で歌われていることですが、アランチスのこのアルバムを味わい尽くすには、たとえば1曲くらい、逆に英語詞をつけて歌ってみないと本当のところはわからないのではないか。代表曲「メウ・ムンド・エ・ナダ・マイス」くらい、英語のカヴァーがありはしないかと探してみたけど見つからなかった。

ここから関係ない話をすると、2020年は、Discobertasのブラジル音楽再発ものにかなりお世話になりました。このレーベルは2017年頃から、いわゆる一般的なイメージのブラジル音楽以外のものも大量に再発し続けてくれていて、そのおかげでわたしの持つブラジル音楽の印象はだいぶ変わりつつあります。匿名っぽいグループ、Dollar Co.の『Country Beatles』(1980)はそんなDiscobertasからの1枚で、タイトルどおりビートルズをカントゥリー・ロック風にカヴァーしたアルバム。高品質ですがブラジル感は皆無で、いままでだったらわざわざ再発されることもなかったでしょう。名盤の飽和状態である現代ならではの楽しみ。

最後に。岡村くんに誘われて、一度、サルサのダンス大会(たしか生バンドの演奏つき)みたいのに行ったことがあります。わたしがラテン音楽に興味を持つはるか以前、それこそいまから20年くらい前です。岡村くんはわたしに、レイ・バレット『インデストルクティブレ』のジャケット写真を元にした年賀状をくれたことがあり、そのへんの男くさいやつが好きだったのでしょうね。あの会場、どっかの体育館かなんかだった記憶がある。どこだったんだろう。

【その他のグッド】
曲単位で印象に残ったもの。順不同。

☆:Bob Andy & Marcia Griffiths「Ain't Nothing Like the Real Thing」(YouTube)
÷:The Girls from Bahia「Oh Susannah」(YouTube)
∂:Objetivo Birmania「Los Amigos de Mis Amigas son Mis Amigos」(YouTube)
◆:伊藤つかさ「夢見るシーズン」(YouTube)
〆:Canovas, Rodrigo, Adolfo y Guzman「Señora Azul」(YouTube)

☆:マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの大好きな曲。2020年に聴くとまたなんともいえない感慨のある歌詞。このデュオはレゲエのひとたちですが、わたしが嫌いなのはレゲエの音楽性ではなく、レゲエが好きと公言するひとたちに共通しがちな精神性なのだなと気付かされました(ラスタ・カラーづかいの飲食店とか)。2021年は、なにかの安易なラヴァーズ・カヴァーものとかも買ってみようかな。

÷:ガールズ・フロム・バイーアは、ブラジルのコーラス・グループ、クアルテート・エン・シーが北米で活動していたときの名義。こういう、「非アメリカ人によるアメリカーナ」みたいなものに弱いんですよ。

∂:「スペインのバナナラマ」。このひとたちの映像は2020年、よくYouTubeで見ました。知った経緯はここにちらっと書きました。

◆:伊藤つかさのリアル・タイムの記憶はまったくなくて、2020年になってようやく、ベスト盤のCDとオリジナル・アルバムのLPを何枚か聴きました。一般的には「ヘタ」に分類されると思われ、それに対して異議を唱える気もとくにないものの、自分にとってはこのゆらぎやはかなさには抗いがたい魅力があります。そういや2020年は菊池桃子が海外で再発されたりもしましたね。YouTubeにあった菊池桃子を見ていたら英語のコメントばかりがずらりとついていて、その中のひとつにevanescenceという単語を見つけました。要するにそういうことなんですが、どうして日本人だけが(ってこともないんでしょうが)そうしたものに美を見出すようになったのかは、シティ・ポップとも関係ある話でして、少しずつ考えていきたいところです。

〆:テキーラのところで書いた記事で知った、70年代スペインのCSN&Y的バンドの代表曲。これがリリースされた1974年は、フランコは退任はしていたものの存命で、民主化はまだ始まっていなかった時期だと思います。歌詞は検閲制度のことをそれとなく歌っているそうですが、そんなわけで相当ぼやかしているようで、なんとなくなにかに抵抗しているんだろうなくらいにしか読み取れません。がんばって少しずつスペイン語を勉強していこうと思います。

最後に、お正月おなじみのこの企画の過去分をご紹介いたします。

2019年のグッド音楽
2018年のグッド音楽
2017年のグッド音楽
2016年のグッド音楽
2015年のグッド音楽
2014年CDグッド10
2013年CDグッド10

# by soundofmusic | 2021-01-14 00:17 | 日記 | Comments(0)

市民広場のロックンロール

市民広場のロックンロール_d0000025_19543997.jpg余生はラテン音楽を聴いて暮らそうと決めて、3年くらい前からスペイン語の独習をしている。初学者向けの文法書を1冊買って通読して、あとはほぼ毎日、メキシコのラジオを聴いて(めちゃくちゃ早口)、ヤフーニュースの記事を自動翻訳にかけて読んだりするだけなので、すぐに上達するはずもないのだけど。

そんな勉強の途中にたまたま、「繰り返し聴きたい70年代スペイン・ロックの名盤17選」という記事を見つけた。そういえばスペイン本体のポピュラー音楽のことはあまり意識したことがなくて、スペインなんてどうせロック後進国だろうから、ブルース・ロックとかプログレみたいなのばっかなんじゃないの~、と偏見まるだしでいくつかつまみ聞きしてみると、まあやっぱりそんな感じのものが多いみたいだった。

とはいえ、つい「スペインのCSN&Yじゃん!」と叫びたくなる(実際に叫びはしない)カノバス、ロドリゴ、アドルフォ・イ・グスマンの「セニョーラ・アスル」なんかは、気に入ったのでアルバムを探して買ってみた。もちろんすぐには見つからない。ディスコグスでスペインから送ってもらえば買えるんだけど、どんなに欲しいレコードでもなるべく無理しないようにしているので、ディスクユニオンのウォント・リストに追加して待っていたら、2か月くらいで中古盤が入荷して、無事買うことができた。

この17選がきっかけで知って買ったのはもう1枚、マドリードのバンド、テキーラの『ロックンロール』。紹介されていたのはホワストだけどそれは買えなくて、これはセカンド。1979年の作品。ジャケを見てなんとなく想像できるとおりの、パンクの息吹を浴びたロックンロールというかパワー・ポップというかパブ・ロックというか、ソリッドでかっこいい。名盤といってよい。なんか同時期のブリティッシュ・ロックでもこんなジャケ、あった気がしますが。

軽く調べてみると、80年代に入ってから日本でも売り出そうとして、一部の曲を英語で再録音した日本向けのアルバムも出していたみたい。ウィキペディアを見ると、「スペインの民主化時代の初期に活躍したバンド」みたいに書いてあって、えっそれっていつ、と一瞬思ってしまう。フランコが死んだのが1975年だから、それまでずっと独裁時代だったんだね。

いつもその時間軸を忘れてしまうのは、自分がスペインに対して、西ヨーロッパの国=先進国、というイメージを持っているからで、でも70年代のスペインなんてとんでもない田舎だったんだろうなあ。どういう文脈の記事だったか忘れましたが、その頃のスペインの田舎ぶりを示すエピソードとして、イギリスから来た人が、あなたがた紅茶の飲み方わかりますか、みたいに訊いてきた、という話も読んだ。ピレネーの向こうはアフリカだ、というのはこういうことか。そういえば一度、ヴィーン出身のマックスに、「ヨーロッパっていうひとつの総体が存在するって思ってる?」と訊かれて、はっとしたことがあったな……。

「市民広場のロックンロール」とは、このテキーラのホワストに入っている曲。上に書いたようなあれこれを知ってからこの曲名を見ると、共産圏のもっさいバンドがやりそうな、フランコ死んだ! 民主主義とロックの喜び! みたいな曲なのかなと想像しちゃうけど、実際に聴いてみると、そんな高邁な思想がありそうには思えない。

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それからしばらくたって。スペイン語で「戦争映画」と検索したら、戦争映画ベスト100みたいなリストが出てきて、ざっと見ていくと、1945年のラオール・ウォルシュ監督作品「Objetivo Birmania」というのがあった。原題は「Objective, Burma!」、邦題は「決死のビルマ戦線」。どんな映画なのかなと「Objetivo Birmania」で動画検索すると、思っていたのとぜんぜん違う、ちゃらい動画ばかり出てくる。で、80年代から90年代のかけてのスペインに、そういう名前のグループがいたことを知る。女性ヴォーカル3人に、演奏する男4人。

「Los Amigos de Mis Amigas Son Mis Amigos」なんか聴いちゃうと、「スペインのバナナラマじゃん!」と感じずにはいられない。と思ったらこの動画のコメントにも、「スペインのバナナラマ、でもこっちのほうがかわいい!」って書いてあった。この曲の気の利いた邦題を考えてるけど思いつかない。

このひとたちの盤も、たぶんスペインに行けばすぐにいくらでも買えそうで、でも日本だと難しい気がする。ヤフオクで、シングルが2500円くらいで出てるのは見た。我慢できずに、スペインから2枚組のCDを取り寄せた。アルバム4枚分、たぶん彼らの全録音を収録。あっけなく揃ってしまった。バナナラマのほかにも、トム・トム・クラブだとか、キッド・クレオールだとかを思い出させてくれて、それなりにヴァラエティに富んでいるけど、どうしようもなくB級感が漂う。こういうのは、そこらで偶然、安く見つけるのが楽しいのであって、わざわざ能動的に取り寄せたりするのはなんか違う気がする。

しかし違うと言えば、なにが違うって、バンド名と音の印象がここまで乖離しているひとたちも珍しいのではないだろうか。ということで結局、いちばんの驚きは、モノクロの戦争映画のつもりで名前を検索したらエイティーズっぽい原色のサムネイルがずらりと出てきた、あの瞬間だったってことになる。
# by soundofmusic | 2020-11-11 19:59 | 日記 | Comments(0)

予定

予定_d0000025_22325060.jpg4月11日に予定されておりましたPPFNPは中止になっていたわけですが、間違えてエッジエンドに行っちゃった方はいらっしゃいませんね?

仕事の帰りにエッジエンドに立ち寄って、4月11日の件について遠藤さんに相談(というか、実質的には開催中止の申し入れ)をしたのが、ちょうど3週間前、3月30日のこと。

その時点では、「やればやれそうな気もするけど、これから急に事態が好転するとは思えないし、大事をとって中止にしといたほうが、お店には申し訳ないけど、安心だよね」くらいの気持ちだった。そもそもその日、直接エッジエンドに話をしに行ったのも、重大な用事だからとかではなく、シネマヴェーラに映画を見に行くのでそのついでに、だった。

そうこうしているうちにご存知のとおりの状態になり、わたしも毎日、家で仕事をするようになっている。仕事帰りに映画を見に行くことも当然なくなり、それどころかもう、映画館自体、営業していない。遠出や、繁華街への外出はしていないつもりだけど、そのかわり、電車に乗らずに近所を歩く頻度は上がった。ドラッグストアの在庫を見て回ったり、(個人)商店の貼り紙を眺めたり。昨日は20キロ歩いた。

家で仕事するようになると、一日中音楽を聴き放題なのではないかとも思えるのだけど、そうでもない。妻もほぼ在宅勤務になっていて、音楽がかかっていると集中できないと言われてしまい、結局は無音でいることが多い。

映画は見られなければ別にかまわないし、家で見たい気持ちにも(いまのところは)ならないのだけど、ディスクユニオンに行けないと思うと、やはり閉塞感がある。これを機に家にあって聴いてないものをきちんと聴いてみよう、とは決してならない。メンバーズカードと購入履歴が紐付いているので、そういえば調べられるよな、と思って、月にいくらくらいユニオンでつかっているかを確認してみた。だいたい月平均15000円。

とりあえずそのくらいの金額を、オンライン・ショップでつかっていくことにする(以前からたまに利用はしていた)。5000円以上買うと送料無料になるので、月に3回以上オーダーすればよい。オンライン・ショップでは、店頭で300円とかで売ってるような雑魚レコは登録されていなくて、単価1000円くらいからのものしか買えないのだけど、この際それも仕方ない。

オンラインの弱点は、みんなわかっているとおりで、格安のものが置いてないこと以上に、棚に並んでいるものをばーっと見ていく感覚に乏しい点なんじゃないか。この browse とその browse は違うんだよ。もちろん、ウェブならではの、「それに興味あるんならこっちもいけるんじゃない?」的なおすすめはかなり精度が高くて、実際、そういうのでおすすめされると試聴してみるし、しばしば買いもするんだけど、何度か引き合いに出している言葉をまた引用するなら、ジャイルズ・ピーターソンはDJとはなにか、と問われて、Joining the dotsだと答えているし、保坂和志は、一見関係なさそうなものをつなげるのがユーモアだ、と言っている。アルゴリズムにはいまのところはまだ冗談は通じないから、なんでこれの隣にこれが置いてあるんだよ、みたいな体験には乏しい気がする。

もちろん休んでいるのはレコード屋だけではない。昨日あたりからか、古本屋さんが自分の店の棚を動画で撮って、欲しいのがあったら連絡くれ、みたいなやり方で通販を始めているのを見た。もともとウェブ・ショップを持っているところはいいけれど、これを機に始めるにしても店の在庫をいちいち全部1冊ずつ登録するのなんてとても無理で、なるほどこれは面白いやり方だと思った。自分が棚の前に立って、移動しながら見ていく感覚も再現されているし。

自分はいまのところ家で仕事ができる状態で、ただし残業は減ったので給料は減っていくことになる。お金をどういうふうにつかうかは考えていかないといけない。ディスクユニオンに定期的につかう以外に、とりあえずミニシアター基金みたいのに5000円出した。あと、タダでできる署名みたいのはいくつかしている。

写真は、ジョナ・ジョーンズ『ジャンピン・ウィズ・ジョナ』と『ジョナ・ジャンプス・アゲイン』。最近買った中ではこの2枚を1枚にしたCDが気持ちよくって、よく聴いている。余裕のあった時代のジャズ。ユニオンの通販で、トータル5000円以上にするためになんの気なしに買ったものなので、やっぱりどんな形であっても、なんだかんだ、買えば楽しい。

次回のPPFNPは、いまのところ予定どおり、7月11日(土)に開催するつもりでおります。できればいいなと思うけど、3か月後になにがどうなっているかわからない。なにしろいまや、平日休日問わず、どこかに出かけるとか誰かに会うとかがまったくなくなって、予定という概念そのものがほぼなくなってしまった。直近で入っている「予定」は、今週末に1件、次は6月に2件。

ていうかみなさん、ゴールデンウィークなにすんの?
# by soundofmusic | 2020-04-20 22:33 | 日記 | Comments(0)