ふと気がつくと新文芸坐の中村錦之助特集にぽつぽつ通いつつ、元妻でもある有馬稲子の自伝本「
バラと痛恨の日々」(中公文庫)を読んでいる。
彼女は半年くらい前、日経新聞の連載で市川崑との不倫を激白(って、自分じゃあんまり使わない言葉だけど、まぁいいや)していて、それに対して円尾敏郎が、「何年も前に、しかも名の知れた出版社から出た本にそんなことはちゃんと書いてある。なにをいまさらがたがた騒ぐことがあるのか」みたいな反応をしていて、そりゃあそうかもしれないけれど、興味のあるひとしか読まない自伝本と、一般紙への連載とじゃ話が違うんじゃないかなあと思った。円尾の言うその、本、というのが、これです。
本人は喜劇好きで、実際そういった役も多いのに、そんなときでもどこか陰があるというか、青空の端っこにぽつんとひとつ、拭い去れない雲があるようなイメージのひとだと感じていたのだけど、この本を読んだら少し腑に落ちました。とはいえまあ、自伝だからそこにあるのは彼女自身の言葉でしかなくて、わからないままのことはやっぱりある。というのは彼女はある時期、鼻っ柱の強い、インテリ気取りの女としてみなされていたそうで、安岡章太郎には教養がなくてミエッパリな女優「有牛麦子」なんてキャラクターを作られてしまうほどだったんだけど、それでいて有馬自身、野村芳太郎の映画「観賞用男性」では、パリ帰りのファッション・デザイナーというセルフ・パロディ的な役柄を嬉々として演じてもいるのが複雑なところ。
このへんのことは、リアルタイムを知っているひとならば「あーあー、そういえば……」と思い出せるようなことなのか、それともそんなに世間で広く共有されていた認識ではなくて内輪受けのネタでしかなかったのか。それを知るにはいろいろ当時の新聞や雑誌を調べることも必要だろうし、また、そうして情報を立体的に蓄積・補完していったとしても、それが自分の中で有機的なものとして息づいてくる保証はない。
---
といったところで、関係ありそうななさそうな話です。毎年恒例の、フリーペーパー「サウンド・オヴ・ミージック」のアンケートの受け付けが始まりました。質問内容は例年とだいたい同じですが、若干異なっております。
こちらの要項を熟読のうえ、みなさまこぞってご参加ください。
このアンケート企画も10年以上続いているわけで(いっかい休んだけど)、もはや、90年代後半から現在に至る市井の音楽受容状況を記録する歴史資料と言ってもいいような気がします。作り続けるにはみなさまのご協力が不可欠ですので、どうぞよろしくお願いいたします。