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リッチな音楽

リッチな音楽_d0000025_2048251.jpgさて、もうそろそろほとぼりも冷めただろう、となにごともなかったかのように四谷のいーぐるに行って、連続講演「ショウビズ世界が聴きとったマイルス・ノネット・サウンド」を聴いてきました。解説は小針俊郎。内容についての詳細はこちらの説明をご覧ください。

いま現在、いわゆるアメリカのショウビズの音楽としてわたしたちが認識している、管と弦をふんだんに使ったゴージャスな音楽がどうやって産まれたかということ、ふだん気にしたことはなかったんだけど、小針さんの説明によれば、スウィング・ジャズ全盛期にはジャズとうまくかかわることができなかったハリウッドが、1940年代後半のマイルス・デイヴィス九重奏団の音楽と、それに影響を受けた音楽を取り入れて作ったものがそれなのだ、ということになる。

ここでこういう話を書くときに、いったい誰を読者として想定して(≒どの程度わかりやすく説明して)書くか、ということをふだん気にしているわけではないので、今回もあとで自分が読んで「ああ、そうだった」と思えればいいやくらいの書きますけど、イヴェントが始まる前に店に着いたら、たしかウェス・モンゴメリーの『フル・ハウス』がかかっていて、もちろん何度も聴いたアルバムだけど、ここの再生装置で聴くと、受け止められる情報量が単純に違う。おそらく音量としてもかなり大きいのだろうけど、それがうるさいとは感じられず、ありきたりな言い方をすれば、臨場感、臨場感、臨場感。ライヴ盤なので、ジャズ・クラブの雰囲気だとか、店の空間まで手に取れるように、目に見えるように感じられる。ちなみに、かかっていたのはオリジナル盤とかではなくて、たぶん普通のCDでした。

で、イヴェントが始まって1曲目にかかったのが、ラッセル・ガルシア編曲の、「ポーギーとベス」のメドレーみたいので、それこそ管と弦をふんだんに使った、ミッド・センチュリーのポピュラー音楽の典型みたいな音。とくにジャズという感じもしないし、そもそもいままで個人的にラッセル・ガルシアの編曲になにかを感じたことはなくて、でもこれは、よかった。直前に聴いていたジャズ・クラブでの音と対照的に、こちらはレコーディング・ステューディオの広々とした空間や高い天井が目に浮かんでくるようだった。まさか、たかがレコードで、と思うひともいるかもしれないけど、音盤の情報量をナメてはいけない。

いまのわたしの家の装置とか、ましてやイヤフォンなんかで聴いたのでは、金のかかった音楽の妙味を味わうことはできないのだと悟った。こういう言い方は権威主義的に聞こえるだろうし自分でもイヤなんだけど、たぶん事実なので仕方ない。そしてわたしもそれを日常的に享受できてない側なのでカンベンしてほしい。だからわたしたちはもっとジャズ喫茶をふだんづかいするべきなんだろう。

話の本筋は、そうしたショウビズ音楽が完成するまで、クロード・ソーンヒル→スタン・ケントン→マイルス・デイヴィス九重奏団→マーティ・ペイチ、みたいな流れがあった、というもの。マイルスたちが1940年代後半に作って何枚かのSPでリリースされていた音楽が『クールの誕生』というタイトルでLPになったのが1957年だそうで、ウェスト・コースト・ジャズに大きな影響を与えたんでしょう。

それくらいはジャズの本を読むと書いてある。小針さんの話でなるほど、と思ったのは、ショーティ・ロジャーズのなんだったかを流したあとのコメントで、全体のアレンジはマイルス・ノネットの影響下にあるけれども、リズムは軽く、ヴィブラートは少なくて白人好みのサウンドだと。しかし注意深くソロを聴くと、テナーにはレスター・ヤングの、トランペットにはクラーク・テリーの影響が見て取れる、ウェスト・コースト・ジャズの源流にはソーンヒルやマイルス・ノネットだけではなくてカンザス・シティ時代のベイシーのサウンドもあるのではないか、と指摘するあたり。そういう視点はなかったなあ。

ケントンについて、「ジャズ界一の野心家」と評していたのもおもしろかった。このひとは現代音楽なんかにも興味を持っていたせいか、どうしても既存のジャズ観の中には収まりづらいところがあって、ただしそうした、ケントン、ジョン・ルイス、ジミー・ジュフリー、あたりを中心……には無理かもしれないけど、いまよりも中心近くに置いたジャズ史、みたいのがありえるかもなあ、と夢想しました。
by soundofmusic | 2014-06-15 20:51 | 日記


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