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当たり前の都市

当たり前の都市_d0000025_20522551.jpgパリに行ってきました。

レコードについては期待していなかったけど、やっぱりこれといった収穫なし。そもそも、ふつうの中古盤屋ってのがないんだもん。いったいみんなどこでレコードなりCDなり買うのかしらん。

で、何をしていたのかというと、「パリスコープ」を目を皿のようにして眺めて、映画ばかり見ていました。パリ日本文化会館では成瀬巳喜男特集が始まったばかりなので通い詰めだったし、オデオンの映画館ではモーニング・ショウの小津を見、ベルシーのシネマテーク・フランセーズではムルナウやフレデリック・ワイズマンはさすがにことばが分からないのでパスして、チャールズ・ウォルターズの(というよりフレッド・アステアとジュディ・ガーランドの)「イースター・パレード」に酔い、ジャック・タチが名づけたという劇場、ラルルカンでは、いつになったら日本に来るのか分かったもんじゃないウディ・アレンの「スクープ」を見た(英語はよく聞き取れないし、フランス語字幕は読めないから、充分は楽しめなかったけど)。

もしもフランス語を読んだり聞いたりできるのならば、デ・シーカだって、ロッセリーニだって、ジャン・ルノワールだって当たり前のようにスクリーンで見ることができる。

振り返るとたいへんスノッブなやつのようだし、実際、こうして日本語で書いていると思わず「スノッ部」なる部活を始めたくなるくらいのものなのだけど、肝心なのは、パリではこれが当たり前だということ(そういう物言いをスノッブと呼ぶのだが)。

いや違った。パリではこれが当たり前、なのではなく、およそ文明国の大都市たるもの、こうあるべきなのではあるまいか。ではさて、東京は……

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ベルシーのシネマテークには映画博物館もあって、これがまた楽しい。手回しの覗き箱のようなものから、メリエスのあたりの展示を見ていると、絵が動くことの原初的な驚きと喜びに体が貫かれるような気がする。飛行機の中でずっと日本の無声映画時代の本を読んでいたから、よけいそう思ったのかも。

別のセクションには、「ラングロワ事件」に際して届いた電報が展示されている。独力でシネマテークを作ったアンリ・ラングロワが1968年、アンドレ・マルローの文化省によって解任されたとき、世界各国の映画人がこぞってラングロワを支持して、彼なきシネマテークでの自作の上映ストップを要請したのだ。

オットー・プレミンジャー、カール・ドライヤー、チャップリン、オーソン・ウェルズ、日本からもたぶん山田宏一のとりまとめで、三船敏郎だとか京マチ子だとかが連名で電報を打っている。ただひたすら感動。「シネマテークはシャイヨー宮になくちゃ」だって? フン、知らないよ、そんなの。こちとら、遅れてきた青年だもの。

あいかわらず映画を見ながらよく寝てしまうわけだけど、ひさしぶりに背筋がぎゃんと伸びる体験。もっとマジメに映画に向き合おうと思いました。

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写真はあまり撮らなかったが、安くて美味い焼きプリンで株を上げたモノプリで撮った水の写真をご覧ください。左がよくある、500mlの水。右は、5リットルのペットボトル。ちょっとした迫力です。

ついでにトップ画像も変えておいた。シネマテークの位置する巨大な公園の外れ。よく読めないと思うが、「フランソワ・トリュフォー通り」。
by soundofmusic | 2006-11-08 20:55 | 日記


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