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ぼくたちの好きな冤罪

まずは告知ものから。

遅ればせながら、5月26日のPPFNPのセットリスト、完全版になりました。ご覧下さい。

このリストをよすがにして、あらためて脳内で反芻(ってヘンな表現? 脳みそがよく噛まれてやわらかくなったみたい?)してみると、いい夜だったなあと。カチュの3名様、どうもありがとうございました。

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んで、今週土曜日に迫ってきました。普段着で遊びに来てください。

*黒の試走車<テストカー> Vol.4* New!
日時:2007年06月09日(土)19時~23時
会場:渋谷メスカリート
地図
料金:500円+1オーダー(500円~)
DJ:AZ、ichi、チバ、マジック、森山兄

最近、PPFNPには踊る文化が少しだけ導入されているので、とりこぼされた“それ以外”は全部こっちでフォローする感じになっています(森山の場合)。戦前ジャズから十二音技法の現代音楽とメタルを経由してエレクトロニカまで、な、前回のセットリストはこちら

過去の傾向からすると、細野、ピチカート、スライ、デオダート、エリントン、なんかが共通の落としどころのようです。

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周防正行「それでもボクはやってない」を見ました。

とにかくわたしは核戦争と冤罪を何よりも恐れていて(さすがにこの歳になると父親はもう怖くない)、それだけに、生ぬるい戦争映画と冤罪映画には点が辛いつもりですが、この映画は、細心の注意が払われて作られているため、見ていてしばしば、映画を見ていることを忘れてしまいます。

吸い込まれるようにしてスクリーンに向かっていると、しだいに体が硬直してくるものですが、ちょうどその頃合を見計らって、ぽん、と肩を叩くみたいな具合に、ごく微量のユーモアが差し出される。その呼吸たるや、見事。

全体によく気が行き届いている、ということは昨今ではあまり積極的な評価の対象にはならない部分かと思いますが、たとえばそれがどんな意味を持つのかといえば、説明的なセリフが浮かなくなります。

説明的なセリフ、というものは、しばしばよくない脚本の見本として槍玉に挙げられますが、それ自体が悪いわけではない。映画での物事は、絵で示すべき部分と、言葉を使ったほうがよい部分とあって、効率を考えた場合、その両者を適当に使い分けることが望ましいはずでしょう。で、裁判の仕組みや法律の条項といったものは、無理に絵で示す必要はないので、おのずからセリフで説明することになります。

ただし、説明的なセリフは浮きやすいのもまた事実。この映画は、そうしたセリフがきちんと全体の中で不自然でない地位を占められるような、きちんとした骨格がある、ということです。

いちばん最後に出る字幕、それ自体は正論であり、とはいうものの、映画と正論とは本来、食べ合わせはよくないと思いますが、2時間超この映画に付き合った観客は、納得するかどうかはともかく、あの非映画的なエンディングに違和感は持たないことでしょう。

この映画が裁判をどれくらい公平に描いているのかはともかく、冤罪映画はもっともっと作られていい。年に10本くらいあってもぜんぜん差し支えないです。まあ、これが社会派映画、冤罪告発映画なのかと考えてみると、実はそうしたものとはまったく違うのではないかとも思うのですが。ちょっとこの映画は分析できません。
by soundofmusic | 2007-06-05 00:34 | 日記


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