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理性と矜持とその他の心性

d0000025_18373317.jpgなんかプログレっぽいタイトルですが、わたしはプログレからは一切利益供与を受けていないのでプログレとは関係ありません。このあいだツイッターで、音楽関係の仕事をいろいろなされているらしい柴崎祐二‏さんが、こんなことを書いてらした。

聴いてしまうときっとハマってしまうだろうけどインディロック的理性がそれを抑えていた久石譲のディスコグラフィに遂に手をつけてしまった。

だいぶ前からなんとなく浮かんでいた考えが、これを読んで活性化したような気がするのでちょっとまとめてみよう。活性化というのはつまり、とっちらかるということでもあるので、ただ書き散らすだけになっちゃうかもだけど。

音楽を聴くことと理性って関係あるの? と思うひともいるかもですが、わたしのような物理的にディスクを集める派だと、なるべく多種多様な音楽を聴きたいと思ってはいても、買う金の問題、置き場所の問題、聴く時間の問題、となんやかんや制約があって、買うのをあきらめたり、いやそれでも欲しい、ってなって買ったりする。

柴崎さんの言う「インディロック的理性」は、それらのいわば物理的な制約とはまた違った、しかし若干は関係した階層に、位置している気がします。わたしなども、たとえば、「えー、長渕剛? 聴かないよ」などといったことはあります。学生時代バイトしていたレコ屋の先輩店員に、長渕はブルーグラスのギターがめちゃくちゃうまいんだよ、と教えられたことは印象深く、いまでもこうして覚えているわけですけど、それでも、聴かないものは、聴かない。

なんでかなと考えてみると、時間・場所・金以外の理由としては、いくらなんでも世の中には自分と関係ない音楽があり、いっぱしの趣味を持っている人間であればそれとこれとを自明的に判別できるはずである、という自負ないしは偏見ないしは矜持、があるからかもしれない。もっとも、実際聴いてみたら、思ってたのと違う(いいほうにだったり、悪いほうにだったり)ってことはときどきあって、さすがに、聴いてみた結果よかったとしたら、「いや、これは長渕だから、よくない! よく聞こえたとしたらそれは錯覚だ!」などとは思わず、少なくともこの曲についてはよかった、と認識を改めるのですけど。

理論的なつながりが上手に説明できないけど、趣味(taste)を持つためには、そうした自負ないしは偏見ないしは矜持が、いくらかは必要なのではないか、となんとなく思っています。なにを聴かないか、によってそのひとの音楽的総体が手っ取り早く浮き彫りになる。ちなみにわたしはレゲエとceroを聴かない人間です。

で、いまさら説明するまでもなく、いまや定額制サーヴィスを利用することによって、置き場所もレコード買う金も気にせず、ちょっとでも聴きたいなと思った音楽は、すぐに聴くことができたりする。もっとも、そうしたサーヴィスに入っていなくても、YouTubeなど使えば、どんなものなのか確かめてみることはできますが、なんだかんだ言っても自分の場合、最初からピンときそうなものしか試聴しません。中年ならではの経験から、自分が気に入る音楽の絶対数はそんなに多くないことはわかっているので少ない余生の時間を大切にしたいという気持ちが理由のひとつ。もうひとつは、若いころからいままでにおこなってきた、物理的制約と自負・偏見・矜持・理性のコンボによって自分の聴く音楽を選ぶやり方が、自分にとって、疑問すら抱くことができないような唯一絶対の方法として、身体にしみついてしまっているからなのではないか。

で、考えたのが、そうじゃないひとたちがこれから増えていくんだなあってこと。いっさいなんの制約もなく、自意識から解放されて、月1000円とかだけ払って、ひたすら、あらゆる種類の音楽を聴くひと。普通、というと語弊がありますが、多くのひとは、ある程度いろいろ聴いた結果、だいたいこのへんからこのへんまで、とか、あるいは、このへんとそのへんとあとはあそこらへんに少し、みたいな感じでゆるやかに自分の趣味の領域を広げていく、もしくは、絞り込んでいく。でもたぶん、ごく少数、ひたすら広がっていくだけのひとが出てくる。

わたしが期待しつつ、同時に恐れてもいるのが、そういうひとが音楽をつくりだしたとき、どんなものが出てくるのか、です。もちろん、昔から、フランク・ザッパとかトッド・ラングレンみたいなひとはいて、そのときどきで(あるひとにとって)わかりやすかったりわかりづらかったりする音楽を生み出してきました。それでも、20世紀においては、ひとりの人間のインプットとアウトプットの量にはおのずから限界があったので、まだしも彼らは、ちょっと風変わりな音楽をつくるひと、という扱いでいられた。

21世紀のいつごろか、ただひたすらに広がった自分の趣味の領域のすべてを1枚のアルバム、あるいは1曲に押し込めようとする人間が現れるのは間違いない。たとえばリズムは1拍ごとに違った楽器によって生み出され、同じ音色は一度使われたら二度と出てこない、というような。

書いていて、なんのことはない、これは、AIにハリー・ポッターを全部読ませて、その学習にもとづいて書かせた「新作」、「ハリー・ポッターと山盛りの灰に見える肖像」みたいな話だなと気付きました。ただ、人間であるミュージシャンの個性や手癖から解放され、趣味のよさのフィルターも通らない、そんな音楽のほうが気持ちいい、と感じるつくり手や聴き手は必ずや増えてくるはず。もちろん、BGMやニューエイジ特有の気持ちよさというものは昔からありましたが、そうした音楽ですら「個性的」と感じられてしまうような、余りにも多くの要素を含みすぎているがゆえに無個性で、趣味性に乏しい、ジェネリックな、わたしにはまったく意味がわからないであろう、音楽。具体的な姿がまったく想像もできないそんな音楽の登場が、とてつもなく、怖い。

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直接関係はありませんが、ここまで読んだのだったら併読推奨。ジェネリックAORのことも書いてある中野さんの御ブログ

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追記:
なんかちょっと違うなという気もしてきた。1973年生まれのわたしの世代なんかだと、ちょうど音楽聴き出したころからいわゆる昔の名盤がどんどん再発されたり、そのあと渋谷系なんかがあったりして、古いものも新しいものもフラットに聴いてそこから取捨選択できる環境になった、みたいなことが言われたりした。その当時は特別なことが起きてる感じがあったけど、90年代半ばまでにCDになったものなんて、いまから見ればほんのわずかだったし、牧歌的ですらある。そして2018年現在わたしが感じていることは、もうすでに20世紀の人類は、把握しきれないほどたくさんの音楽を録音してしまったし、そのほとんどはわたしたちがすぐに聴くことはできないものだ、ということ。

一方、旧譜のCD化ラッシュについて、それまでの世代が体感的に持っていたような、ロック史みたいなものを若いひとたちは知らない、みたいな言い方もされていた。それは事実だと思う。覚えることが一気に増えたわけだから。さらに言いがかり的な意見としては、昔は輸入盤も高かったしリリース数も少なかったから1枚のレコードの相対的な価値は高かったし、大切に聴いていた、情報はいまほど容易には得られなかったが昔のほうがよかった、みたいなのもあった。たしか、旧世代に属する萩原健太は、それに対してきっぱり反論していたと思う。

わたしとしては、LP1枚の値段が自分の給料半月分、なんて言われたら困っちゃうし、自分の生きてきた環境と享受した利益を、ありがたいと思いつつ、同時に、当然のものだとも思っている。それによって、前の世代とロック史の把握や歴史観が異なっていると言われたら、それは仕方ないですねというほかない。もっとも、わたしにしたところで、1964年と1968年と1972年のヒット曲の違いは、音のテクスチャーですぐにわかるけれども、2000年以降はぜんぜんわかんない。

で、結論としては、現代のひとは、現代の環境と享受した利益を当然のものだと思っているだろうし、歴史観が異なっていると言われても、それは仕方ないですよね、と返事するだけのことでしょう。長々と書いたわりには、たいした話にはならなかったな。
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by soundofmusic | 2018-07-28 18:38 | 日記 | Comments(0)

バンド感

d0000025_023743.jpg土曜日、渋谷2丁目、セヴン・イレヴンとすき家の間の地下、ラスト・ワルツあらためロフト・ヘヴンにて、ジョー長岡企画「辺境に轟く歌」。

オープニングは今年、大阪から東京に出てきたいおかゆうみの弾き語り。たしか2015年6月に心斎橋で一度聴いただけだと思うけど、なんか聴き覚えのある曲がある。声に力が入ったとき、ちょっとヴァレリー・ジューンに似てると思った。

ジョー長岡バンドのメンバーは、樋口裕志、松村拓海、うのしょうじ、U。この編成で見るのは昨年のクリスマス以来で、そのときも場所はここだった。7か月で店の名前も内装も変わり、舞台も客席も、天井から薄白い半透明のひらひらしたものが垂れ下がっている。誰かが海の底みたいと言ってた気がする。わたしは新東宝映画のセットのような不気味さを感じていた。

1曲目は「波止場」。なぜか突然ハウリングが起きて興を削がれたけど、それにしてもいきなり最初から最高地点に到達してくる。ジョーはビーチ・ボーイズ風のストライプのシャツ、松村は簡素な白無地のTシャツ。うのはキャバレーのボーイみたいな格好。全身黒っぽい服で黙々とスチール・ギターを弾く樋口、目まぐるしく表情を変えながら、にらみつけるようにジョーの様子を窺うU。薄白い半透明のひらひらの前で音を出している5人を見て、ああバンドだなと思う。こんなシティ・ポップ・バンド、いなかったっけ。いたらいいな。いや、いたような気がする。

ジョーの音楽にシティ・ポップ風味があると思ったことはいままでにはなかったはずなので、この日そう見えたとしたら、5人のたたずまいのバラバラなバランスによるところも大きかったかもしれない。バンドは見てくれが大事だから。エイティーズっぽい安っぽいシンセの音が入っていたら、さらによかった。

それにしても去年のクリスマスから半年ちょっとで、ひとつのバンドとして成長というか進化というか変化が起きているのには驚いた。メンバーは同じで、それぞれ去年と同じ手足で演奏しているのにもかかわらず。いろいろ新しい試みが採り入れられていて、メンバーがそれに応えているだけでなく、個々人の魅力がきちんと引き出されていた。「心配」での樋口のエレキ・ギター・ソロ、ここぞとばかりに音量があがってなめらかなフレーズが繰り出される。デヴィッド・T・ウォーカーみたいだった。Uは去年見たときもびっくりしたけど、とにかくキレのよさが気持ちいい。高性能のスーパーカーやターンテーブルみたいに、一瞬で最高速度に達する、気風のいい音。

いおかゆうみの結婚をお祝いするために書かれた新曲「ボート」、いいことなのか悪いことなのかわからないけど、いかにもジョーの書いた曲、という濃厚な手癖感があった。別に似てないけど、松田聖子の「哀しみのボート」を思い出す。それと、増村保造の大映時代最後の作品「遊び」のことも。15年くらい前に一度見たっきりだからもうよく覚えてないけど、ラストは少年と少女がボートでこぎ出していくシーンじゃなかったっけ。

アレンジが変わっていて、すぐには思い出せない曲もいくつか。「キャラメル」は導入部、少し早めのピアノで始まるようになっていたし、本篇ラストの「冬のオルゴール」は、スケール感のあるバンド・サウンドで、結局最後までジョーの曲だと気付かず、てっきりなにかの往年のアニメの主題歌だと思い込んでいた。

アンコールはステージ真ん中にいおかを迎え、ジョーはピアノを弾きながらの「素晴らしき日曜日」で、これもまた、こういうバンドいなかったっけ。いたらいいな。いや、すでに昔からいたような気がする。と思わせる、架空の実在のバンドみたいだった。最初から最後まで、バンドなるものの不思議さ、頼もしさ、奥深さを考えながら過ごした夜でした。ジョー長岡バンド、少なく見積もってもあとふた回りくらいは大きくなれるはずなので、次回以降の機会をぜひともお見逃しなきよう。

そして、いまこれを書いていて思い出したこと。グレイト3というバンドがおりますが、オリジナルのベーシストが抜けたこのバンドが2012年、新メンバーを迎えるにあたって、片寄明人が書いた文章があります。当時、いい文章であるとして少し話題になったので、覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。で、証拠が見つけられないんだけど、ジョーさんこれ読んで、「バンドがやりたくなった」とたしかに言ってたよ!

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ライヴが終わったあともダラダラと残っておしゃべり。この日のジョー長岡バンドにはやはりシティ・ポップ感があったのではないか、となんとなく意見の一致を見たあと、昨今の若手バンドのエイティーズ・サウンドへの憧憬の話題になりました。そうした音がもともとつくられたエイティーズにおいては、そういう音イコール、最新型の高い機材を使える、つまり金がある、という意味だったのが、しかしいま、同じ(ような)音がスホフォのアプリだけでつくれてしまったりすると。

わたしが2016年に発明してとくに流行しなかった言葉として、「貧者のAOR」というのがあるのですが、2018年7月21日の上記の会話をうけて、そうした音は今度、「ジェネリックAOR」と呼ばれることに決定しました。安いシンセ・ブギーでもシティ・ポップ的なものでもなんでもかんでも、それっぽいのを耳にしたら、「あー、ジェネリックAORだねー」と言ってください。流行らせましょう。そして、ジョー長岡バンドの次回の衣装は、ジェネリックAORっぽい刈り上げ+原色のシャツ、とかにしてほしいものです。

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ついでに。当日もらったチラシの中に、「秘境にて 2018」の案内が入っていました。岐阜県恵那市の「桝本家」でおこなわれる、7組くらい出るイヴェントです。会場は最寄駅から12キロくらい離れている、たぶん民家で、駅からの送迎ありとのこと。去年の秋、山梨県の山中の古民家を改造したスペースで中村まりを見て、ライヴ中ずっと、家の周りから虫の声が聞こえてきて最高だったんですが、こっちも楽しそう。

来たことのあるひとはご存知でしょうが、栃木県宇都宮市の森山兄弟の実家の2階が、たぶん20人くらいは入れる謎スペースになっていて、そのうちそこでなにかのライヴをやりたいなあと思っています。1階の居間ではフードを提供して。最寄駅からは遠いですが、バス便なんかもないこともないので、割と気軽に来られる。日中の開催にすれば東京から日帰りもできます。具体的にはなんにも決まってないので、出場希望などもございましたら、ぜひご連絡ください。
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by soundofmusic | 2018-07-24 00:03 | 日記 | Comments(0)

課題

d0000025_10345075.jpgもうそういう身分でないのは重々承知でありながら、暇にまかせて来る日も来る日も転職サイトを見る生活に嫌気がさしてふとスカイスキャナーをちょいと覗いてみたところ、ミネアポリス乗り継ぎのデルタ航空ニューヨーク往復が諸税・手数料込み76000円くらいになっているのを発見し、銀行の残高は限りなくゼロに近付いているけれども非常用の500円玉貯金を吐き出せばあるいはもしや、ひょっとしてと、素焼きのぶうくんの貯金箱を池袋駅前のデルタの支店に持ち込んではカウンターでえいやっと叩き割り、プラスサイズの黒人のおねえさんにあきれられながら数え終えたらその額77700円、こいつぁ春から縁起がいい。現地の費用は去年の残りのタイガー・チャイルド300ドル、こいつでなんとかなるだろう。ヴェランダのオクラの水やりをくれぐれもよろしくと妻に言い残し、東京をあとにして一路、生涯2度目、そうなってほしくはないけれどももしかしたら生前最後の、ニューヨークへ。

前回の訪問は2008年の秋。直行便の飛行機代はたしか12万円以上したはずだったけど、いまや懐かしのリーマン・ショックのあれこれで、1ドルは80何円とかだった頃。ちょうどオバマ時代の始まる直前で、いまでも覚えているのは、55バーにたしかマーカス・ストリックランドを聴きに行ったときのこと。あるバラード(だったと思う)の演奏前に、「この曲を次期大統領のバラク・オバマに捧げます」と言ったときの観客の複雑な反応が忘れられない。おおむね賛意、それでもその場にいる全員がそう感じているわけでもなかった。そのとき、店の入口近くにいた女性が電話で「なんかオバマに捧ぐとか言ってるよー」と言いながら外に出ていった。たぶんかかってきた電話を受けたところだったのだろう。そしてわたしはこの記憶をこのように記憶しているけど、9年半は長い。おそらく反芻しているうちに少しずつ変形し、実際にそのときその場で起きたこととは微妙に、あるいは大幅に、異なっているとしても不思議じゃない。

前回滞在したのはセントラル・パークの北東、危険度マップを見たら真っ赤っ赤になっていたスパニッシュ・ハーレムのホテル。高架線から数百メートルは離れていたのに列車の走行音がうるさすぎて眠れず、耳栓を買ってそれをして寝たんだった。当時ハーレムに住んでいた村田さん(現在は滋賀県大津市在住)に案内してもらって、125丁目通りとレノックス・アヴェニューの交差点(ギル・スコット=ヘロンはまだ生きていた)にも立った。近所のひとが集まってくる、あったかい陽だまりのような場所だった。

で、前回はマンハッタンからほぼ出ずにレコード屋を回ったり(買うのはおもにCDだった)、毎日のように映画を見たり、美術館に行ったり、カーネギー・ホール(といっても地下の、小ホールみたいなほう)でニック・ロウを見たり、した。まだガラケーだったから、行く場所の地図も宿の予約票も、全部印刷して持っていったんだっけ。ガラケーには音楽を入れていた。ミッドタウン~ダウンタウンに向かう地下鉄で、騒音に負けないくらいの大音量で、当時買ったばかりの『コルティーホ&ヒズ・タイム・マシーン』を聴いていると、自分がかっこよくなったような錯覚に陥ることができた。ウソだと思ったら一度このアルバムを聴いてみてほしい。

今回はそれとは対照的で、泊まったのはブルックリンの奥のほう、リッジウッド。ブルックリンをあちこち回り、見た映画は1本だけ。前回はベタすぎて避けた自由の女神にも行ったし、一度は行かなくてはと思っていたニュージャージー州ホーボーケンも訪問し、フランク・シナトラの生家(これはどうでもよい)と、野球生誕地の碑と、フィーリーズがしばしばライヴをやっていたレストラン、マックスウェルズ・タヴァーンをこの目で見た。マックスウェルズは数年前に閉店したが外装はそのままになっている。そして、マックスウェルズと野球生誕地の碑は、なんたる偶然か、同じ交差点にあるのだった。

もちろんレコードはふんだんに買う。ブルックリン、マンハッタン、ニュージャージーで18軒回り、13軒でなにがしか買った。時間や場所の関係で行かなかった店も当然あるし、行った店では記念になにがしか買いたいとは思うけれども無理して買うことはしない。そして、店の雰囲気をつかめたらよいので、在庫を全部見なくてもよい(というかでかい店では物理的に無理)。CDはほぼ見ず、買ったのはアナログのみ。あえてそうしたというよりは、アナログの中古盤を売ったり買ったりする文化が、日本とはまた違った形で根づいている。この違いをどうやって形容したらいいか、大量のレコードに圧倒されながら考えたりもしたものの、レコード見てるとほかのことはどうでもよくなってくる。まあ、日本と違うのは大半の店で客が勝手に(これが重要)使える試聴用のターンテーブル(英語だとリスニング・ステーション。覚えておくと便利)があることですね。

印象に残った店のいくつか。
○ブラック・ゴールド・レコーズ(ブルックリン、キャロル・ガーデンズ)
朝7時からレコードが買えるのは世界的にも稀有ではないかな。カフェとレコード屋が半々になった店ならでは。といってもレコードは飾りではなくそこそこの量がある。

○レコード・シティ(ブルックリン、プロスペクト・パーク東側)
レコ屋の適性なサイズというのは難しい。大きいと全部見切れなくて疲れるし、小さすぎて欲しいものがないときの悲しさたるや。ここは興味のあるコーナーを全部見て30分弱くらいだったかな。値段と量が絶妙に優しい。

○アカデミー・レコーズ(ブルックリン、グリーン・ポイント)
マンハッタンにも店舗があるけど、ブルックリンのここは、今回行ったニューヨーク周辺の店ではいちばん大きかったかも。1軒の店ではなるべく2枚くらいを上限にしてたけど、ここでは5枚買った。

○ジェネレイション・レコーズ(マンハッタン、ワシントン・スクウェア・パーク南側)
いや待てよ、こっちのほうがでかかったな。

さすがに都会なので、昨年秋に訪れた南部~中西部の諸都市とは、レコード屋の密度も歩いているひとの数もまったく違う。違うといえば、9年前はほぼ初めてのアメリカ訪問で、安全面の不安もあって緊張しながら楽しんでいた覚えがあるけど、今回はとてもリラックスして過ごすことができた。ブルックリンもマンハッタンも、街全体がやわらかい雰囲気。きっと、ちょうどよい季節とさわやかな気候だったせいもあるだろう。ここ半年、いろんなところに出かけていって思ったのは、寒くて暗いと、テンション下がる。どっちかならばまあ、耐えられる。飛行機代が安いからって、冬にヨーロッパに行ったりするもんじゃない(ウィンタースポーツとかなにか目当てがあるなら別)。そして、初めて来たときに持った、「ニューヨークは東京よりも大阪に似てる」との印象は今回も変わらずでした。

ブルックリンに泊まったのは、日本のブギー、ソウル、ディスコのDJイヴェント「ニッポンリーグ」に行くため。仮眠してから24時半ころに会場入りすると、客はそのときで50人くらいだろうか、まったりした雰囲気を想像していたら少なからぬ数のひとがわりと本気で踊っている。日本人もいたけどほとんどが白人。ダイナミックに体を動かしてる東洋人はタイ出身だと言ってた。

かかっていたのは山下達郎、角松敏生、大江千里、ユーミンなどなど。全部アナログ。シカゴから来たゲストDJのヴァンと話していると、間宮貴子はグレイトだとか、自分にとっては山下達郎がトップですぐ下に角松がつけているとか、いろいろ面白い。中原めいこや菊池桃子のレコードを見せてくれる。どこで買うのかと訊くと、日本から通販するのだと言う。亜蘭知子『浮遊空間』は230ドルだかしたそう。アメリカのいまの音楽はテリブルだ、アメリカの音楽に影響されて作られた日本のこうした音楽のほうがよい、と言うので、じゃあこういう音楽をkeep spinningしてmake American music great againしなきゃね、と返すと、帰ったらみんなに、アメリカ人が全員排他的なわけでもトランプ支持者なわけでもないからね、そう言っといて、だそう。彼はシカゴでChibuya(=シカゴ+シブヤ)というイヴェントをやってるそうです。彼のYouTubeチャンネル

主催のニックはフィラデルフィア在住で 、もうすぐニューヨークに引っ越すと言ってました。杏里の「キャッツ・アイ」をかけてたので、これは自分が子供の頃のアニメの主題歌で、同世代なら全員知ってる、と教えてあげたら驚いてました。こうした音楽はcheesyだろと言われるし実際にそうだとも思う、でもぼくらが出そうとしてるのは1982年頃の東京をドライヴしてる雰囲気なんだ、とのこと。

それにしてもブルックリンで、山下達郎の音楽でこんなにもたくさんのひとが踊っているのを見るのは予想以上に不思議な体験。「メリー・ゴー・ラウンド」ではチョッパー・ベースのマネをしているひともいたし、ヴァンとは「スパークル」のイントロのギターを一緒に口マネしてみました。そういえばこの旅行では、就活の面接に着ていくものがないのでユニクロで買った、感動ジャケット(ウルトラライト・ストライプ)を着ていったんですが、これ、なんとなくヤマタツの「ライド・オン・タイム」感あったかも、とあとになって思いました(このジャケットの話はあとでもう一度出てきます)。

アメリカにおける日本のシティ・ポップ受容のことはほとんど知りませんので、いろんなところでいろんな種類のイヴェントがおこなわれている可能性もなきにしもあらずですが、「ニッポンリーグ」はダンス・オリエンテッドな音が中心で、そこが自分には若干物足りなさはありましたが、まあそれはそれで。上述のヴァンのチャンネルではもっとメロウ系のものも紹介されているし。たぶん今後も引き続き「ニッポンリーグ」は開催されていくはずなので、ぜひ彼らのインスタグラムをチェックして、タイミング合いそうだったら遊びに行ってみてください。ヴァンには取り急ぎ、ribbon「太陽の行方」と、エスペシア「ナンバーワン・スイーパー」のYouTubeを教えときました。

ところで海外に行くときはだいたいいつも、2か月くらい前に航空券とって、あれこれみっちり調べて出かけるのが常なんですが、今回は行くのを決めたのが3週間くらい前で、なにかとあわただしくてあまり下調べしないでいったもんで、それがゆえのびっくりもいくつかあって。上のほうに書いた55バー、今回もライヴを聴きに行ったら(アイリス・オーニッグというベーシストの、バカラック・トリビュート)、すぐ隣が伝説的ゲイ・バー、ストーンウォール・インだったのには驚いた。たぶん9年前も目にしてはいたんでしょうが、店自体のことを知らなかったからなんの感慨も持てるはずがない。

旅の後半は、ちょっとだけフィラデルフィアへ。ここの美術館へ通じる階段はロッキーがトレーニングしていたことで有名で、わたしが行ったときも駆け上ってるやつは何人もいたし、背中に「イタリアの種馬」と書いてある(自作っぽい)パーカーを着ている男もいた。階段の隅っこのほうでは、バッタモノと思われるロッキーTシャツが売られておりました。階段の下をちょっと横に行ったあたりにはロッキーの銅像があり、記念撮影するひとが列をなしている。ふむふむと思いながら街を歩いて南に向かうと、かなりの規模のリトル・イタリーがあって、カンノリが売られていたりする。なるほどロッキーはこういう地区の出身だったかと思うわけです。

「ニッポンリーグ」のニックは、街の真ん中は退屈だから、サウス・フィラデルフィアに行きたまえ、そこには人々の生活がある、もしくはフィッシュタウンだ、と教えてくれました。どこの街でもそうでしょうが、歩いてると、地区によってさまざまな表情があることがわかります。フィラデルフィアの場合、街の中心部は、アメリカ建国の時期の歴史を物語る史跡や博物館が目立つ。少し下ったサウス・ストリートのあたりは若向けの空気。その南がさきほど書いたリトル・イタリーです。中心部から見て北東にあたるフィッシュタウンは気さくな感じの店が並んでいる。

わたしが滞在したのはフィッシュタウンからもうちょっと先に行ったあたりの民泊で、予約の際にコメントを読んでいると、まわりがスラムで……みたいなコメントがありました。それに対して家主は、これについては反応しておく必要を感じる、と反論していて、いわく、このへんにはいろんな人種がいるが決してスラムではないし、隣人たちとわたしとがトラブルになったことはない、とのことでした。たしかに、最寄駅を出たとたんにかなりの数のホームレスがたむろしていて、荒れた印象を与えるのですが、それはおそらく、ホームレスのための支援施設があるからでもあって、それを除けば、地区そのものは住宅地ですし、路肩に止めた車からでかい音で音楽が流れていてまわりで何人かがそれを聴いているのも、1990年代末頃の蕨駅前でも週末になると車そのものがウーファーになったような状態のものをよく見かけていましたから、なんてことはない。

そういえば、アメリカではよくあるけど日本ではあまり見かけないもののひとつに、歩きながら音楽を流しているひと、がありますね。昔だったらでっかいラジカセをかつぐところですが、そこは現代なのでおもにスマートフォン。あれは、アメリカ人ならではの、他人ととにかくコミュニケーションを試みずにはいられない心性のあらわれなのかな、と思うわけですが。そういえば、雨上がり、歩きながら、しずくを落とすために傘を広げてバサバサやってたら、道の反対側、10メートルくらい離れたところから、黒人女性が「もう雨やんだよ!」と声をかけてきました。こっちもとっさに大げさな身ぶりで傘を振り上げて、「知ってるよ! 乾かしてるだけだよ!」と返しました。生きる上で、こうした言葉の使用法を常に強いられるのはしんどいなと感じると同時に、日本語ももう少しこっちに歩み寄ってもいいんじゃないかとも思います。そして、ニューヨークでは毎日、フィラデルフィアでも金曜と土曜は地下鉄が24時間運行してますが、東京でこれがおこなわれない理由がわからない。

フィラデルフィアでは、8軒のレコード屋を回り、5軒で買い物をしました。中心部から少し西のあたりのロング・イン・ザ・トゥースと、フィッシュタウンのフィラデルフィア・レコード・エクスチェンジ。時間がないひとは規模の大きなこの2軒をそれぞれ1~2時間かけて見れば、充実した時間が過ごせることをお約束します。市街地から離れたあたりにもまだまだ店があるらしく、そのへんは回りきれなかったので次回の課題とします。

課題といえば、フィラデルフィア訪問の理由は、我が人生で未達成だった課題のひとつ、ザ・フィーリーズのライヴを見るためでした。1976年に結成された彼らは、4枚のアルバムを残して92年に解散。2008年にライヴを再開してからは、割合にコンスタントに活動しており、アルバムも2枚出しています。

ときおりライヴ・スケジュールを見ながら、東海岸に行けばわりと簡単に見られるな、日本に来るのは無理でも、カリフォルニアあたりでやってくれないかな、と思っていました。結局、今回、多少無理をすることによって、20年以上の夢がようやくかないました。あと死ぬまでにどうしても行きたいところは、ボルネオのクチンと、小笠原くらいですかね(とはいえ、まあ、ほかにもいろいろ)。

ライヴの始まる前に、物販コーナーを覗きました。音源はもちろんのこと、Tシャツ、マグカップ、スティッカー、バッジ、など多種のグッズがあるのにまずじーんと来ます。トートバッグ(12ドル、リーズナブル価格)を買って、物販係の女性としばしおしゃべり。カリフォルニアにはいつ来るのか、との声はいつもあるし、フランスやスペインから見に来るひともいる。しかしいままでいちばん遠くに行ったのは西はシカゴ、南はノース・キャロライナ。理由はヴォーカル/ギターのグレン・マーサーの耳の問題で、飛行機に乗れないから。本人は乗って遠くでライヴをやりたい気持ちはあるが、乗ったらどうなるかわからない状態だと。よって、車で行ける範囲でしかライヴができない。だそうです。とはいえニューヨークからシカゴまでは1000キロくらい離れているので、日本とは規模が違いますが。

生のフィーリーズは、最初の一音から、完全に予想していたとおりの音だった。ファースト・セットはミドル・テンポの曲中心で、たぶんすべて再結成後の曲。後半になると徐々に激しさが加わってくる。サイド・ギタリストのビル・ミリオンは、数種類のギターを持ち替えていて、曲によってはマーサーとの、エレキ・ギター2本が中心になったアンサンブルになる。

自分の加齢とは関係ないと思いますが、この、エレキ・ギターを中心としたアンサンブルの音楽で気持ちよく聴けるものが、だんだん減ってきています(自分にとって)。フィーリーズの音楽はいかにもギター中心のインディ・ロックの雛型のような響きですが、自分にとってはほかのバンドでは決して得られない心地よさがあるなあとあらためて実感しました。それは、ドラムスとパーカッションのふたりによって作り出される、つんのめり気味のリズムの面白さによるのかもしれない。とにかく、彼らの曲はごくわずかの例外を除いてどれもこれも地味で、まったく覚えられないのですが、それでいてどれもこれも、聴いた瞬間に、あ、フィーリーズ、とわかる独自の質感を持っています。ロック・バンドにしては珍しく、whatではなくhowの音楽だと言えるでしょう。ついでながら、ベースのブレンダ・ソウターとミリオンは、家庭用電話機のコードのようなあのくるくるタイプのシールドを使っているという、見た目のかっこよさも重要なポイントです。

見ながら考えたこと。彼らのルーツは明らかにヴェルヴェット・アンダーグラウンドであり、同時代にはテレヴィジョンがおりました。しかし、彼らはこの両バンドよりもはるかに長い期間を現役として過ごし、合計6枚ものアルバムを世に問うている。笑われるかもしれませんが、もはや2018年現在、フィーリーズがロック史に残した足跡は、ヴェルヴェッツやテレヴィジョンより大きく……はないにしも、明らかに濃いのではないか。

とか思ってると、最初のアンコールで披露されたのは、2曲のカヴァー。あまりに意外性のないヴェルヴェッツ「ロックンロール」と、ありったけのエネルギーがこめられたかのようなニール・ヤング「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」。アンコールは合計4回、7曲。20時半に始まったライヴは、30分の休憩をはさんで正味2時間半を超え、終わったのは24時近くでした。

さすがに早く宿に戻りたくて地下鉄の駅に急ぎ、プラットフォームで待っていると、近くにいた男がなんの前触れもなく、ぼそっと「ナイス・ジャケット」と言ってきました。例の、ヤマタツ風のユニクロのやつのことです。自分はいままで、ナイス・ジャケットなんて言葉を発したことは、レコード屋の店頭以外では、ない。

ニューヨークとフィラデルフィアの間の移動はグレイハウンドを使用しました。詳細は省きますが、昨年秋の訪米時同様、今回も、往復とも軽度のトラブルに見舞われ、ほんと安かろう悪かろうだなと呆れ果てましたが、安いのはいいことなので今後も機会があったら利用するはず。ただし、定時運行する前提でタイトな(うまいことやったつもりの)スケジュールを組んだりするなよ、と将来の自分に警告しておきます。ともあれそのトラブルの結果、2時間のロスと5ドルの不要な出費、そして10分の余計な歩行を経て、最終日の宿に到着です。

ところで、みなさまご存知のとおりわたしは、単価1500円を超えると高いな、と感じてしまう安レコ買い(安レコGUY)です。安レコを海外から通販するのもやぶさかではないのですが、アメリカから送ってもらうと、送料が1枚2000円くらいかかります。以前は船便があったのですがいまは廃止されたので、送料を安くあげることは実質的に不可能になり、自動的に安レコが高レコになってしまいます。

そこで今回、アメリカのアマゾン・マーケットプレイスで中古レコードを買い、最終日のホテルの住所に送っておく、という裏技を思いつき、実行に移しました。これだと、送料が1枚4ドルくらいで済むのです。買ってきたチーズ・ステーキ・サンドウィッチ(部厚いパン+大量の肉+大量のチーズ+ごく少量の野菜)を部屋でむしゃむしゃ食べているところにドアがノックされ、宿のひとが持ってきたレコードの箱を受け取ったときの、生まれて初めてのことに成功した感覚。なかなか悪くなかったです。わたしの母と妻のご母堂、妻、そしてわたしの4人で、夏にハワイイに行こうという話が出ており、しかしわたしは就職のことなどあって行けるかわからないのですが、もしわたしが行けなかった場合は3人で勝手に行くらしいので、そのときも同じように、通販のレコードをハワイイのホテルに送りつけ、妻に持ち帰ってきてもらおうと画策しています。そしたらほかにおみやげはいらないので。どうぞよろしくお願いします。

〇写真(上から)
・ブルックリン、プロスペクト・パーク
・ジャージー・シティからホーボーケンに入る
・「ニッポンリーグ」でもらったカセット
・フィラデルフィア市内をセグウェイで移動する観光客
・フィラデルフィアのリトル・イタリー
・ザ・フィーリーズ@ワールド・カフェ
・フィラデルフィア・レコード・エクスチェンジの店内
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by soundofmusic | 2018-05-16 10:43 | 日記 | Comments(0)

シティ・ポップ幻想

d0000025_16393158.jpgひさしぶりに聴いたレコードから、自分の記憶していたのとはまったく違う印象を受ける現象は以前からしばしばありましたが、最近、それが顕著になってきて、実際にそこに収録されている音そのものが変化したのではないかとすら思えることが増えてきました。

理由としては、加齢に伴う記憶力の減衰ももちろんあるのでしょうが、必ずしもそれだけではない。そのときよく聴いている音、さらには最後にそのレコードを聴いてから現在のあいだまでに聴いてきた音の蓄積。それらによって調整された耳と意識。そうしたもろもろと、今日まさにこの瞬間に聴く音楽との相互作用かな。

レコード・コレクターズの3月号が特集「シティ・ポップ 1973-1979」、4月号が「シティ・ポップ 1980-1989」で、もしかしたら生まれて初めて2か月連続でこの雑誌を買いました。もうさすがに中年ともなると、「なんでこれが載ってないの?」とか「これはシティ・ポップじゃないでしょ!」などとめんどくさいことは言わず、気になったものをひたすら試聴して脳内の購入リストに追加していきました。

で、読んだあとで大貫妙子の『サンシャワー』を聴き直してみると、なるほど以前聴いたときとはあきらかに違って聞こえる。そもそもこのアルバム、だいぶ昔に『グレイ・スカイズ』との2枚組で持っていたものの、人生の途中のどこかで売却してしまっており、その後、2008年に『サンシャワー』の1枚ものを買い直していました。その時点でもよく意味がわかってなかったと思う。今回ようやく、自分の中に有機的に位置づけることができました。

大貫妙子については、この10年間に寺尾紗穂をだいぶ集中して聴いたことが理解の手助けになったというのは、確実にあります。そして、「コシのある演奏+やや抑揚に乏しいヴォーカル」の組み合わせの魅力が、わたしによっても世間によっても(再)発見されたのも大きかったと思う。たいして多くもないサンプルにもとづいての適当な印象だけど、現行の若手のシティ・ポップ(広義の)のバンドの多くが、達者でニュアンス豊かな演奏をするのと比べて、うたの存在感が圧倒的に弱い、というのはある気がしています。ただし、もうそれでいいんだ、いやむしろ、それがいいんだ、という段階あるいは認識に、到達したのではないでしょうか。

その流れで名前を出すのも失礼な話ですが、年に1回ぐらい、音が変わったかどうかの確認がてら、ランプを試聴していまして、ここにきてついに、そろそろ買ってみるべし、という感じになれたので、『ゆめ』『八月の詩情』『東京ユウトピア通信』を立て続けに購入しました。

ほとんどプログレのようでもある凝った曲展開、スリリングな転調、ほとばしるミナス感覚、細く頼りなさげな女声ヴォーカル。ピチカート・ファイヴの『カップルズ』がアップデイトされたような錯覚に陥る瞬間もしばしば訪れました。こういう日本語のポップスがあったのか、と驚かされて、一度好きになってしまうと、どうしていままでこの魅力に気付かなかったのか、と不明を恥じるわけですが、まあそんなもんです。なんでもかんでもリアル・タイムでおいしく味わえるとは限らないので、気付いたときに方向修正すればいいだけの話。

あと、CDはやっぱりできるかぎり売らないほうがいいよね、ってすでに何度もたどり着いたはずの結論にまたあらためてたどり着いたところで、そうはいってもいよいよ万事どうしようもなくなってきたのでいい加減、大量処分する準備を始めるための気持ちを整える支度にとりかかっているところです。

余談。フィラデルフィアのインテリアや雑貨用品のお店のサイトの、シティ・ポップに関する記事。"The inspiration is clear, but the outcome is still undeniably Japanese."ね。なるほど。フィラデルフィアにはニッポン・リーグなる和モノ・ティームがあって、ミックスを発表したり、ブルックリンでイヴェントをやってたりするらしい。
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by soundofmusic | 2018-03-28 16:42 | 日記 | Comments(0)

ドーナツとマグカップ

d0000025_12482812.jpg海外に行くとほぼ四六時中、日本語を使って日本語のことを考えている。見ている景色、毎度毎度の食事、街を歩くひとの服装、そしてもちろんそこの言葉。そうしたものごとを、自分の日本語を拡張し、改善するのに役立てられないか。そんなことを続けていたら、場合によっては、元の形をとどめないほどにまで変型してしまうかもしれないと思って身震いしそうにもなる。身震いしながら、ドーナツとマグカップが理論的には同じ形だという話を思い出してみる。どう考えても同じじゃなさそうなふたつを並べて、比べて、つなげてみること。

7年前の4月。台北の桃園空港で、その当時の日本人の身体にだけ度を越して付着している可能性のあったある物質を検知するゲートをくぐって、初めてこの国?に入った。以下わずらわしいので「?」は省くけど、20代で「裏声で歌え君が代」を読んだときも、30代で「悲情城市」や「牯嶺街少年殺人事件」を見たときも、いま思い返してみれば、なるほどあそこに描かれていたのはそういうことだったかと、ようやく多少合点がいくけれど、ただひとつやふたつ小説を読んだり映画を見たりしただけでは、この国?がどういう国?なのかすぐにわかるはずもない。

そういう大きな話とは別に、知らない国を訪ねたらやはりその土地のレコード屋に行きたいし、行かない理由もないので行くわけなので、初めての訪台のときからレコード屋には毎回顔を出していて、西洋の人名がカタカナ書きされるように(これは比喩です)音から漢字に転写されるのを面白がったり、バンド名であれば意味を拾って直訳されるのを見て感心したりしていた(ソニック・ユース→音速青春樂團)。また、エイベックスのCDが半分くらいを占める日本人コーナーで、日本の定価の6割くらいの新品を買ったりもした。

四方田犬彦は、「映画はそれが作られた土地で見るべし」と言っていた。「名物料理じゃあるまいし、軽々と土地から飛び出していくのが映画でしょうに」と、常々この言葉には反発を感じつつ、それでもいつも心のどこかに残り続けていて、そして何年もかけて、少しずつわたしの考えは変わってきた。つまり、四方田先生の言葉を言い換えるならば、「その土地でいちばんうまいのはその土地ならではのものですよ」となるのだろう。それならば納得がいく。

ということで、ほぼ毎年行ってるせいで訪台も7回目になるので、少しは土地のうまい盤もかじってみようか、ってのが今回の目標。とはいっても、たまたま昨年は素晴らしいシティ・ポップ・バンド、雀斑との出会いがあったけど、その流れでいくつか現代台湾のバンドを試聴してみてもいまいちピンと来るものがなかった。現地で流れている音楽でも、いままでにおっ、と思ったのは、コンヴィニの店内で思わずシャザムってしまったMC HotDog feat. 關彥淳「輕熟女27」(→☆)くらいのもの。

出かける少し前のいつだったか、何の気なしにYouTubeで「taiwan aor」とかで検索してみたら、台湾、香港、シンガポールなんかの中華圏のいい感じのディスコ歌謡、ファンク歌謡(和モノならぬ「華モノ」ってところ)がぞろぞろ出てきて、こういうのは本当にありがたいですね。わたしの耳はこのへんの言葉にはまったく感度が鈍くて(ほかに対して鋭いとかでもないんだけど)、北京語も広東語も台湾語も、聞いてて音としての違いすらわからないし、漢字の人名を英語表記するときのルールの違いも理解してない。ともかく原産国も言語もごちゃまぜにした、10人くらいの名前を書いたおつかいメモを握りしめて台北に到着。

最初の何回かで、台北中心部のレコード屋はだいぶ行ったつもりでいたけど、新しい目標を得てまた店を検索しなおすと、移転していたり、もともと存在していたけどスルーしていたり、自分のレコード・マップのアップデートを迫られる状態。行ったことのある店でも、いままでは中華圏のコーナーは見てなかったし。

新品を扱うショップのコーナーでは、どこでもいちばん種類が多いのはやっぱりテレサ・テン。それ以外はほぼ未知の人名ばかりなので、適当に引っ張り出して、ジャケとか年代でピンと来たらその場で試聴。ただしこのやり方はそんなに打率は高くない。無限に時間があれば別だけど。それと、YouTubeだとそもそもアップされてないことも多かった。

中華圏のポップスの中古盤(アナログ)を大量に置いてある店はあいにく見つけられなかったんですが、それほど量が多くない店でも、新品のCDコーナーよりは音楽史が目に見える形で露出してて、圧倒的に多くの情報が得られる。70年代には青春っぽいフォーク・グループがいて、80年代にはアーバンっぽいジャケが目立ち、アイドルは無意味にテニス・ラケットを持たされ、みたいな。ちなみに中古は「二手」。英語のセカンドハンドの直訳なのか、関係ないのかは不明。

行ったなかでアナログ盤の総量が多かったのは、龍山寺とか萬華から1kmくらい南下したところの小宋唱片行(中華圏のものは少しだけ。なにも買わず)と、華山1914文創園區から道路をはさんで東側にある三創生活のなかの三創黑膠。三創生活はたぶんここ数年以内にできたと思われる、日本でいうとロフトとかああいう感じの建物。そのなかに、アナログ・オンリー(新品と中古)でやってるのが三創黑膠で、広さは新宿のアルタのHMVの半分くらいでしょうか。

ここでは、持っていったリストに挙げたものはなかったので、ジャケ見て→気になって→試聴、の流れで、80年代ポップスを2枚。金瑞瑤『望著你』(→☆)と、粉紅派對(Pink Lady)『半透明的心』(→☆)。かわいいでしょ。どちらも1200円くらいするのでとくに安くはないし、食事代の安さと比べたらなおさらだし、おまけに日本でいえば300円レコみたいな存在な雰囲気がぷんぷんするけど(怒ってるわけではない)、未知のものにとりかかるときはそれなりにケチケチせずに金を使うべきなんですよ。って、1000円かそこらでえらそうに言うことでもないですが。

CDは、西門町の5大唱片(台湾各地にある新品のチェーン店)で、鄒娟娟のベスト盤を。これは400円くらいなので安い。帰ってきてから聴きながら調べていたら、ここに入ってる「風兒答應我」は、桜田淳子の「ゆれてる私」のカヴァー、っていうか、オケもそのまま使い回してるっぽい(比較動画→☆)。

ここの店内で、中華圏のコーナーに長時間しゃがみこんでたら、ふと流れてきた曲に耳を惹かれる。スウィート・ジョン(甜約翰)のアルバム『Dear』でした。ちなみに台湾の若手バンドのCD、Kポップなんかと似て、特殊パッケージ率がけっこう高いようです。このアルバムも封筒型のケースに入ってた。土岐麻子あたりが好きなひとは気に入るかもなので聴いてみてください(→☆)。

台湾のいいところは看板が読めることで、漢字ってのは役に立つ。日本語がローマ字表記とかにならなくて本当によかった。台北で泊まってた西門町の近くには洛陽街という通りがあって、たぶん生まれて一度も実際に使ったことはない「洛陽の紙価を高める」とか不意に思い出すわけだし。戦後、漢字を廃止して全部ローマ字表記にしてたら韓国みたいになるのかな。韓国に対する批判的な意図はないけど、トイレ=化粧室がファジャンシルだと知ると、音読み、訓読みみたいなイメージで韓読みだとこうなるのかーとわかると同時に、だったら、北東アジアの文化交流として、漢語は漢字で書くのもありなのでは? とも思う。もちろん漢字に対する感情的反発は容易に想像できますけど。

話がズレた。今回の台北、看板や貼り紙を見てて、あれ、と思ったのが、料理屋に掲示されてた「人手不足」と書かれた求人広告。この書きかたは初めて見た。たいてい「人才招募」とか、あるいは大きく「徴」とあるのが普通だから。

台北から高速バスで4時間(1600円くらい)、台南に移動。台湾でいちばん古い都会で、そういう意味では台湾の京都だし、台北とは違った独自の食文化で知られてもいるから大阪かもしれない。台北よりはだいぶのんびりした空気が流れている街。食事と観光の話は省略しますが、古民家を改造したバー、キンクスで、少年ナイフが流れてるのを聴きながら台湾ビールを飲んだことと、帰りに宿のそばの酒屋の脇に、台湾ビールの空の段ボール箱が積んであって、これ持って帰ったらLP入れるのにちょうどいい大きさだな、と思ったことは書いておく(未遂)。

台南駅の東口の古本屋、珍古書坊に、ある程度の量の中古盤(LP、CD)が置いてある。地上3階、地下1階くらいのビルがたぶん丸ごと古本屋。LP売場は地下で、階段をおりていくと電気がついてない。スウィッチを触ってみたけど暗いまま。階段からの薄明かりでなんとなく手もとは見えるので、スマートフォンのあかりを頼りに探盤。クラシックや洋楽が中心で、中華ものコーナーは100枚かそこらだろうか、途中からめんどくさくなって、ひと抱えずつ階段のそばに持っていって、そこで見た(あとで戻しました)。

ここで買ったうちのひとつが鄒娟娟『池塘邊』。台北で買ったベスト盤とのダブりは4曲くらいかな。家に帰って聴いてみたら、全体的にいい感じの70年代歌謡曲なんだけど、途中で聴き覚えのある曲が出てくる。「ルージュの伝言」と、「年下の男の子」のカヴァーだった。ジャケットには原曲名の表記はなくて、漢字で書かれたタイトルも、もとの曲名とは関係ないみたい。作者のクレジットはどうなってるのかと見てみたら、これらの曲については、作詞家の名前だけが載っていて、作曲者名は書かれていなかった。なるほど。「ルージュの伝言」のカヴァー3ヴァージョンをまとめた動画がこちら→☆

翌朝の飛行機のために、普通列車で高雄に移動。台南駅のプラットフォームにはSide AとSide Bがありました。

高雄から飛行機でマカオへ。空港からのバスでアマラル広場に降り立つと、いきなり目の前に、金がそのまま建材になったような狂った色と形の建物が出現するものだから、若干テンションが上がる。調べておいた本屋には行けずじまいで、マカオでレコードが買えるのかどうかは確認できず。荷物を引きずりながらの観光もしんどいので、もともとの予定どおり、滞在数時間でマカオを出発、高速船で香港に向かいました。

初めての香港は想像していた以上に香港で、ひとはやたらと多くてビルはめちゃくちゃ高くて看板は道路の上の空中に所狭しと突き出しているし、ついでに外壁工事をしているビルの足場はいまだに竹でできている。旺角の安ホテルの6階の部屋に入ると、夜まで続いている路上カラオケの音が、どういう経路を通ってなのかわかりませんが、天井の通気孔から、聴診器をあててるみたいに臨場感たっぷりで聞こえてくる。着いた日は女人街のマーケットを流し、そこらで麺を食べて、レコード屋を2軒ほど覗いてから寝ました。ほぼ新品のセレクト・ショップであるホワイト・ノイズ・レコーズの店内には、2匹の猫が闊歩していました。日本のものもけっこう置いてあって、そしてつい数日前に細野晴臣のライヴがあったことをポスターで知りました。もちろん「香港ブルース」もやったんでしょうね。そういえば台北のレコード屋でも、11月に台湾盤が出たばかりの『ホソノ・ハウス』が面展されているのを見かけたっけな。

翌日、尖沙咀のHMVでじっくり時間をかけてどんなCDがあるのかを確認してから、スター・フェリーで香港島側、中環に渡ります。船で5分ほどの距離なのに、対岸のビルが霞んで見えるのは別に天気が悪いからではなくて空気が汚ないからか。国際金融中心のモールの中のディスク・プラス、ここは店内でWi-Fiが拾えたので、気になるものを検索しながらひとしきり過ごしました。

ちなみに、台湾滞在中は安いレンタル・ルーターを持ち歩いてましたが、香港ではホテルのWi-Fiと、たまにそのへんで拾えるWi-Fiが頼り。レコード屋で気になるものがあった場合、タイトルをメモっておいてあとで検索し、翌日に出直すとかもできるけど、なるべくその場で決断したい。普段、純粋にジャケ買いをすることはあまりなくて、気になったら検索しちゃうんですが、それができない環境だと、真剣さが違ってくる。ジャケ買いとは言っても、見るところは顔、服装、曲目と多岐に渡ります。顔自体はあんまり変えられないけど、トータルの見た目は、盤の内容と、売る側が想定している客層を(基本的には)反映していると推定するならば、どれが自分の求める音楽かはなんとなくわかるはず、と思いたい。おおげさだけどジャケ買いとはそういうこと。見た目以外にも、英語曲のカヴァーが多ければサウンド・プロダクションもそういった傾向だろうと想像できます。

ディスク・プラスでは、チェルシー・チャンとベティー・ジョンの英語曲集、そして3人の女性歌手のオムニバス『少女雑誌』を購入。無事、香港にも足跡を残せました。

中環にはクイーンズ・ロードにも大きなHMVがあるのでどんなものが出てるのかを知るのには役立ちましたし、アドミラリティのパシフィック・プレイスにあるホンコン・レコーズもけっこう広いです。ここには、懐かしや、90年代にちょっとだけ話題になった香港のギター・ポップ・バンド、パンケークスのコーナーがあったよ。

夜、本土側に戻り、廟街の精美唱片でチョップスティックス(チョップスティック・シスターズ、筷子姐妹)の2枚組ベスト盤を。シンガポールのザ・ピーナッツって感じのデュオです。ここは街のレコード屋って感じの店。廟街の夜市は、女人街に対して男人街と呼ばれているそうですが、売ってるものは大差なかったような。女人街にはなかった、CDを売っている屋台がありましたが、収穫はなし。

翌日、またスター・フェリーに乗って、今度は中環ではなく灣仔に渡りました。大有廣場のロック・ギャラリーで、フランシス・イップの2枚組など。1枚目が英語歌唱の洋楽カヴァー、2枚目がオリジナル曲集、と思いきや、2枚目に入っている「喝采」はちあきなおみのあの「喝采」だったりするし、1枚目のラスト曲「ネヴァー・セイ・グッドバイ」は英語に日本語が混じるこんな曲(→☆)。

もともとはハワイのローカル・ヒットで、アメリカ本土でもサンドパイパーズがヒットさせた、という経緯がこちらのブログ(→☆)に書いてありました。ハワイ→LA→香港と、ずいぶん長い距離を旅してわたしの耳まで届いたんだな。長旅お疲れ様。

レコード屋の場所は出かける前にそれなりに調べておいたつもりでしたが、その晩、そういえばいわゆる中古盤屋はどこにあるんだろうと思って再度検索したら、思ったよりもレコード屋の数は多いことがわかりました。ってことで最終日。ネイザン・ロードのおそろしく巨大な店で点心をつまんでから、午後のフライトまでのあいだ、あわただしくかつ意地汚なく、何軒か回ってみました。

深水埗駅近くのビルの地下、唱片鋪は、ネットで調べると13時開店とあって、ここでのんびりしてると飛行機に乗り遅れる可能性があるのでどうしようか悩みどころだったんですが、念のため12時過ぎに行ってみると、開いている。ありがたや。中華ものもたっぷり。店主に、持参した人名メモを見せると、フランシス・イップはここにあるけどほかのはわからん、とスマートフォンで翻訳した画面を見せてくれました。ざっと見て気になるものは何枚かありましたが、レコ掘りで深追いするとたいていロクなことがない、というのは経験上よく知っているので、フランシス・イップ『アンド・ザ・サン・ウィル・シャイン』のみ。レオン・ラッセルの大好きな曲「ブルーバード」のカヴァー入りの英語曲集。会計の際、無理だろうなと思いながらもダメ元で、カード使えるかと訊ねてみたところ、生まれて初めてそんなこと訊かれた、みたいな顔してましたね。

手持ちの現金が微妙に足りなさそうなので、両替屋(わりとどこにでもある)で1000円札1枚を両替し、そこらで昼飯を済ませ、空港に向かいます。あと1日、せめて半日あれば、と後ろ髪を引かれながらの離陸。レコ買いも散歩も食事も楽しくて、なるほど人気観光地なだけはあるなと納得。近いし、また(レコ掘りに)来るよ。再見香港。

○写真(上から)
・台北、三創黑膠
・台湾でよく見かける駐車禁止の看板
・台南、全美戯院の手描き看板
・台南のバー、キンクス
・台南駅の月台
・スター・フェリー乗場から見た香港島
・フットマッサージの看板
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by soundofmusic | 2018-01-31 12:54 | 日記 | Comments(0)

激突と融合

d0000025_12434255.jpg別になにが目当てということもなく一度はイタリアに行ってみたいと思っていたら、北京乗り換えの中国国際航空のローマ行きが往復6万円以下で出ていたので、12月、ローマ→ナポリ→カタニア→パレルモと回ってきました。本当ならシチリア島からサルディーニャ島に渡って、そこから本土に戻る、という一筆描きの旅程が理想だったんだけど、そんなに長く留守にできない事情もあり、パレルモからはアリタリア航空でローマに戻りました。

ローマに着いたのは18時前で、その時間でもう真っ暗。若い頃はそんなに気にしてなかったけど、最近は日の短い時期や寒い時期の旅行はなるべく避けたいと思うようになりました。同じ日数で得られる楽しみの量がぜんぜん違う。寒さと暗さ、どっちかならまあ耐えられるけど両方は気が滅入る。

ついでながら、いつも小さなダメージを受けるのに、あとになると忘れてしまうことってのがあるので、将来の自分のために書いておきます。
・移動日の宿への到着はなるべく日没前にする。(日が暮れると不安になるので)
・ズボンは濃い色のもの着用。(普段と違う環境だと食べ物の汁とかをこぼしがち)
・ウェットティッシュを持参する。(こぼしたときに拭けるように)

……ほんとちっちゃい話ばっかだな。それと、
・両面テープとかカッターを持っていくと、底抜けしてるレコジャケの補修を宿でおこなえるので便利。
ってのもありますけど、あまり一般的に役に立つ情報ではないですね。

ローマの宿はテルミニ駅から徒歩数分の便利な場所なのに、入口を探すのにひと苦労、そしてようやく到着すると、ドアに、「フロントが開いているのは○○時までです。電話してくれたらすぐ行きます」とある。下におりると公衆電話があったので、まわりにたむろしてる若者を気にしつつ電話。そういえば「パディントン2」でパディントンが電話する電話ボックス、あの描写はいまどきの公衆電話の地位みたいなものをよく示してましたね。で、電話つながらず。かけかたが正しくなかったのでしょう。次に自分のスマートフォンでトライするも、やはりつながらず。イタリア語と英語でヴォーダフォンのアナウンスが流れるのみ。

やむなく、通りの向かいのファストフードに入り、適当きわまりない夕食をとりながらそこのWi-Fiを拾って宿にメール、事なきを得ました。アメリカ~チリのときもレンタル・ルーターは持って行かなかったんですが、もちろんあれば便利なのはわかっているものの、1日1000円とか言われると、バカらしいと思ってしまう。宿にはたいていあるわけですし。とは言ってもなかなかつながらない「弱い-Fi」だったりするときも多いんですけど。ちなみに自分のスマートフォンはSIMロックかかったままの時期の機種で、なおかつ、ドコモで契約した本体を、いまは格安SIMの会社(ロックかかったままでも契約できるやつ)に乗り換えて使っているので、そもそもロック解除できるのかどうかもわからない。

翌朝さっそく街に出てみると、歩いて数分のところになんとか大聖堂があって、機関銃を携えた警官が数人、あたりに目を光らせている。街の広場の多くには柵が立てられて、外から車が突っ込んでこられないようになっている。最初はぎょっとしましたが、いつだかのパリのテロの際、次はローマが狙われるのでは、という危機感があって、率先して警備を厳重にしたとのこと。

ぶらぶら石畳の道を歩いていくと、トラヤヌスの記念柱と石造りの遺跡、城壁の跡のあたりに出て、過去の時間がいきなり露出したような状態にびっくりしました。コロッセオにしてもパンテオンにしても、なんとなく写真では見知っているわけですが、実物は21世紀の人類が生活している現代の街の中に突如として存在していて、その存在のありようがいちばんの見どころだと感じました。そういえばたしか「ジョジョの奇妙な冒険」で、ローマはたくさんの人口をかかえる大都市なのに、地下鉄の路線が(当時)ふたつしかない、それは未発掘の遺跡がごろごろあって、うっかり掘るとそれが出てきてしまうからだ、と読んだことを30年ぶりに思い出したりもしてました。時空の裂け目から古代がにゅっと顔を覗かせるローマという都市も驚異ですけど、30年間容貌がほぼ変化していない荒木飛呂彦先生も、同じくらい驚異と言えます。

ローマの有名スポットをいちいち真面目に回っていたら金がいくらあっても足りないんじゃ、と思うわけですが、無料で拝観できる教会の類は意外と多く、その気になれば実質無料でもけっこう楽しめます。京都とは違うなーと、どうしても比較してしまうものの、考えてみれば教会は祈りの場であり(実際、お祈りしてるひとはたくさんいます)、そうした衆生から拝観料をとるわけにはいきますまい。じゃあ京都の有名寺院はお祈りさせてくれないのか? との疑問は当然浮かんでくるわけで、実際のところ、どうなんでしょうね。檀家専用の入口とかあるんでしょうか。

無料ではあるものの、寄付を募る箱は置いてあって、たしかoffertaみたいに書いてある。英語で言えばofferです。同じ単語は、バーゲン品のワゴンの表示でもよく見かけました。こういう学びはわたしにはすごく面白くて、先ほどテルミニ駅の名前を出しましたが、昔ふと、Termini=ターミナルか、と気付いたときにはなるほどと思いました。大学での第2外国語はドイツ語だったので、ラテン系の語源になかなか勘が働かないんです。そういえば「ウナ・セラ・ディ東京」ってのもイタリア語ですね。ザ・ピーナッツについては後述。

さて、無料なのをいいことに教会を回っていると、いくつか発見がありました。宗教画もステンド・グラスも、それそのもの自体の「芸術的」価値とは別に、その場所ならではの文脈や意味がある。石づくりの教会において光は貴重品ですから、壁にかけられた絵はたいてい薄ぼんやりとしか見えませんし、光を集め、効果的に使用する実用品としての役割がステンド・グラスにはある。

宗教画はキャラクターと文脈の理解度に大きく依存していますが、それはそれとして、居並ぶ彫刻の決めポーズの立ち姿や、飛翔・浮遊・上昇系のキャラクターが画面の至るところを埋め尽くすエモい構図は、昨今のアメコミ系のハリウッド映画を自然と連想させます。何点か見ることができたカラヴァッジオの光の使い方は衝撃的で、ふと、ヴィットリオ・ストラーロがカラヴァッジオ風の光と構図でアメコミ映画を撮ったらすごいことになるのでは、と思ったら、「ディック・トレイシー」があるよ、と教えてもらいました。そのうち見てみたいです。

ま、このへんのことは誰でも気付く話なので、ローマのレコード屋のことを。大都市のわりには、あまり数は多くないという印象を持ちました。しかし、ローカルのアーティストのレコードは大量にあって、分厚いレコード文化が存在することがわかります。完全になめてまして、なんとなーくトロヴァヨーリとかカトリーヌ・スパークとか安く買えないかなーと期待してたけど、そんなうまい話はない。

テルミニ駅の裏あたりのトランスミッション。市街の中心部から見て南西あたり(観光スポットは近くにない)のエラスティック・ロックとピンク・ムーン。東側のレディエイション・レコーズ(街の真ん中の店舗は小さい)。中古盤の在庫量の多さだとこのよっつが代表的でしょうか。ほかにわたしが存在を感知できなかった店がある可能性はもちろんあります。新品の店舗だと、テルミニ駅の南側のディスコテカ・ラツィアーレが品揃えよかったです。

とはいえ、これらの店のほとんどではわたしは買えるものがなかったですし、ローマに行ったらレコード屋よりもほかに楽しいことはいろいろあります。ローマで買ったなかでいちばん嬉しかったのは、リオのホワスト『リオ』のイタリア盤LP(7ユーロ)。まあすでにCDもLPも持ってますが、初回盤LPは着せ替え人形つきなので、何枚かあってもいいと思います。

ローマから電車で移動したナポリは、駅前は薄汚なく、ひとの肌の色はローマより浅黒く、雑然とした雰囲気で、東京と大阪くらいの違いはあります。レコードを売っている店は何軒かあり、道端でジャケットなしのシングル盤が大量に売られているのも見ましたが、イタリアものを知らないと楽しめなさそうな感じ。ひとつ心残りは、ホテルのすぐそばにあったレコード屋、到着日には開いていたのに、あとでも行けるだろうと街歩きを優先してその日はパスしたら、翌日以降はもろもろタイミングを逃して結局、訪問できなかったこと。レコード屋は行けるときにその場で行っとけ、という原則を遵守していればこんな失態はおかさずに済んだわけで、お恥ずかしい限りです。

ナポリに限らず、イタリアでは毎日何杯もエスプレッソを飲みました。小さなカップなのでひと口かふた口で飲み終えてしまうし、たいていはカウンターに立ったまま。店によってはテーブル・チャージを払ってゆっくりしたりできなくもないですが、そもそも座席がない店のほうが多い。そしてバリスタがかっこいい、という感覚を初めて覚えました。蒸気を逃す所作や、煎れ終わったあとの豆を捨てるのにカンカンと叩きつける仕草の美しさ。ナポリを発つ直前に寄ったカフェ・タランティーノでは、こちらがチャオ、と言いながら出ていこうとすると、さほど若くもない男のバリスタがごく当たり前のようにこちらにウィンクしてきて、予想外のことにいくらか動揺してしまいました。

ナポリからシチリア島のカタニアへは急行列車で7時間半。早めに予約しておいたので、これだけ乗ってもたしか2000円しないくらいでした。ここを列車移動に決めた最大の理由は、イタリア本土、ブーツのつま先の部分からシチリアへ渡るのを体験してみたかったから。本土とシチリアのあいだの距離は5kmとかそんなもんですが、橋もトンネルもない。手段は船なんですが、いわゆる連絡船ではなく、急行列車がふたつに分割されて車両がそのままフェリーに縦に隣り合って2列で乗り込む。そして海を渡ると分割された半分は南のカタニア方面へ、もう半分は西のパレルモへと向かっていきます。本土側とシチリア側の駅では準備のためにそれぞれ30分くらい停車するので、渡るのにたっぷり2時間はかかる。この非効率性、こたえられません。

ナポリを出てしばらくしてからは列車は海岸線に沿って走るので、海側の席をリザーヴしておいたのに、あいにくの雨。本土側の連絡駅に着いたころには小降りになり、船に乗り込んでというか積まれてというか、デッキに出ると二重になった虹がかかっているのが見えました。短い船旅のあいだ、船内の売店で巨大なボールのような揚げ物を買ってみました。そのときは知らなかったものの、これはシチリア名物のひとつ、ライスコロッケなのでした。

カタニアで行ったレコード屋は、新品を売る店が3軒かそこら。1軒は、鍵のかかったディスプレイに値段の書いてない状態でCDが置かれていて、気になったものがあったので値段を訊ねると、まあそれなら買ってみるか、と思える価格。しかしレジでピッてすると、実際はその2倍くらいする商品だった(お店のひとの勘違い)ので、じゃあいいやって断って店を出ました。

別の店では、入ったとたんに店主が話しかけてきて、マリオ・ビオンディを知ってるか? と訊いてくる。知らない、と答えると、聴きたいか? と畳み掛ける。せっかくなので聴かせてもらうと、いい感じにソウルフルなヴォーカルでわりと気に入ったので、一応値段を確認すると、買えないってほどではないものの、自分として気持ちよく払ってもいいくらいの紹介料を上乗せした額をだいぶ上回っていたので、ひとしきり聴いて店を出ました。宿でビオンディのことを調べてみると、カタニア出身、スキンヘッドで身長2メートル超。そしてアルバムのうち1枚は我が家にもすでにあるようでした。

11月下旬のチリもすでにクリスマス・セールのにぎわいが始まってましたが、12月半ばも近くなり、カタニアの街はなんとなくピースフルな雰囲気が漂っています。デパートをぶらぶらして直火式のコーヒー・メーカーを買い、地下のカフェで山盛りのジェラートとエスプレッソをいただきつつ休憩。帰ろうとエスカレーターに向かうと、見慣れたアラビックヤマトのりが、さも高級ブランド品のようにディスプレイされていました。小さいのが5ユーロくらいしてました。

カタニアに滞在しようと決めたのは、街の北側にそびえるエトナ山の回りを走るローカル線に乗るため。100kmを3時間くらいかけてとことこ走るディーゼル車です。えっちらおっちらという感じで山腹を蛇行しながら少しずつ標高を上げていき、また少しずつ下って海へ出るコース。のどかなことこの上ありません。途中、ランダッツォで乗り換えのため2時間ほどあいだが空くので、おひるを食べがてら町を歩いてみましたが、中世の町並みがそのまま残っているそうで、道は曲がりくねり不規則に分岐して、しばらく歩いていると自分がどこにいるのかわからなくなります。グーグルマップも、それまで一度もこの町をスマートフォンで表示したことがないせいか、細かい道がまったく表示されず、現在地とおおまかな目安がなんとなく出るだけ。町には道案内もないので、おっかなびっくり、用心して早めに駅に戻りました。

旅行先によっては深刻な問題になるのが、日曜日なにをするか、です。20年以上前はロンドンあたりでもけっこう不便な思いをした記憶があり、11月のチリ、サンティアゴでひさびさにその感覚を味わいました。デパートかシネコンに行くくらいしかない。ちなみにイタリアの普通の映画館はほぼイタリア語吹替え版での上映のようでした。

ちょうどカタニア滞在中の土日、ホテルでレコード・フェアがおこなわれているのをポスターで知りました。こういうところはハードなコレクター向きなので、あまり自分が行ってもな、と思ったんですが、イタリアに来て以来さほど成果が出せていないのと、いいかげんすることもなくなっているので、顔を出してみました。

会場はホテルのコンヴェンション・センターっぽいところ。さすがに広いスペースにたくさんの店が品物を並べており、予想外の混雑ぶり、気持ちの高まりを覚えます。わたしくらいになると、実際に買わなくても、レコードがたくさんあるところに行って、盤をパタパタしているだけで歴史の重なりに触れる興奮を感じられるわけです。遺跡に立った考古学者みたいなものです。

さて、そろそろ、なにかイタリアっぽいものを買わなくては、という気分になっており、とはいえどうしたらいいか。こういうところにはさすがにレアなイタリア映画のサントラが売られてますが、数十ユーロも出すのは主義に反する。結局、得体の知れない子供のコーラスものを2ユーロくらいで購入。

立ち去りがたくてフェア会場内をうろうろしていると、シングル盤が大量に売られている一画がありました。2ユーロ均一なので、おみやげに何枚か買うのもよかろうと、ジャケを頼りに物色。英米と違ってイタリアのシングル盤は日本と同じでたいていピクチュア・スリーヴつきなので、得られる情報量がだいぶ違う。ここで買ったのがリタ・パヴォーネと、ジミー・フォンタナ。パヴォーネについては「2017年のグッド音楽」(→☆)でも書きましたが、フォンタナも、B面がタートルズ「ハッピー・トゥギャザー」のイタリア語カヴァーでした(→☆)。原曲のタイトルが書いてない場合でも、作曲者名がイタリアっぽくなくてアングロ・サクソン的な感じのときは、英米のヒット曲のカヴァーだろうと推測できるわけです。夜、宿に帰り、YouTubeでリタ・パヴォーネの動画を見ていたら、すっかりファンになりました。

カタニアからパレルモへはバスで3時間。旅の最後に立ち寄ったこの街が、いちばん印象がよかったかな。とはいえ大量にレコードを買える街ではないです。レコード(新品と中古)とカスタム・シューズの店であるリッツォ、モッドな洋服とレコードの店モッドウェア、といったユニークなお店を覗きはしましたが。そういえばイタリアではたくさんのヴェスパを見たのに、モッズのことは一度も連想しなかったな。

今回よっつの街を訪れて、それぞれの雰囲気や個性の違いを味わえたわけですが、やはりシチリア、とくにパレルモはイタリア本土とは異なった空気が流れていました。教会も土地ごとにまったく別の顔を見せてくれます。パレルモの、サンタ・マリア・デッラミラーリオ教会(マルトラーナ教会)は忘れられません。青と金の装飾、イスラム風のタイルの模様、ギリシャ風モザイク、西欧由来の宗教画。時代を経て増築され、それらに応じてでもあるのでしょう、さまざまな様式がキメラのように同居しているありさまに、呆然としつつ見惚れました。

2016年にメキシコ・シティで見たシケイロスの「人類の行進」は、建築と絵画と彫刻が融合した、その場に行って体感するしかない巨大な作品で、つまり、運べない、ポケットに入れられない、戦争になっても持って逃げれないものでしたが、なんのことはない、キリスト教の教会ってのがそもそも、建築と絵画と彫刻が融合した存在なんですね。当然シケイロスはそのことは念頭に置いたうえであれをつくったはずで、だからあそこにはいわゆる「ご本尊」はいなかったと思いますけど。

こうした、異なった文化の激突、融合、野合、変型、忖度、そうしたものはすべて、日本(語)を使ったあらゆる表現についてわたしが考えるうえでの栄養になり、ヒントを与えてくれるのです。「これを日本(語の環境)でやったらどうなるか。そもそもそれは可能か」。わたしが24時間365日考えていることは、究極的にはすべてそこに集約されます。

とはいってもパレルモでなにも買わないのは惜しい、と街を散歩していたら、本と音楽、と書かれた店が目に入りました。マッシモ劇場からほど近い、ラ・フェルトリネッリ。地下が広いCD売場になっていて、英米ものもローカルものもいろいろ揃えてありました。店内にWi-Fiも飛んでいたので、気になるものはYouTubeで試聴。1時間以上粘ったんだっけかな。ローカルものは、もっと勘を働かせたり片っ端から試聴すれば結果も違っていたかもしれませんが、油断するとすぐカンツォーネっぽいドラマティックな歌いあげをかましてくるので、胸焼けしてしまいます。イタリアのジャズも相当レヴェルが高いはずなんですけど、たぶんディスクユニオンのほうがよいものが厳選されて置いてありそうなイメージ。結局、かなり無理矢理気味にロイ・エアーズを買って(イタリアと関係ない)、パレルモにも足跡というか爪痕を残すことができました。その晩はレストランでカジキマグロのグリルの夕食をとり、翌日、帰国の途につきましたとさ。

○写真(上から)
・チネチッタ
・エモい宗教画
・分割された列車
・レコード・フェアのポスター
・レコード・フェアの会場
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by soundofmusic | 2018-01-31 12:37 | 日記 | Comments(0)

2017年のグッド音楽

d0000025_1155062.jpg遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さっそくですが2017年のグッド音楽です。総購入枚数は2016年と比較して微減。3年連続の減少です。アナログ(ほぼすべてLP)は、2014年度から回復傾向を見せ、4年連続の増加。2017年は総購入枚数の3割強がアナログでした。アナログ復権うんぬんについての考え方は、「2016年のグッド音楽」(→☆)で書いたときとあまり変わっておりませんのでそちらをご参照ください。

ディスクユニオンに行ったときに棚を見る優先順位は、ラテンとソウルと邦楽がほぼ横並びで、SSW/カントリーあたりがそれに続く感じでした。ロックやジャズ一般の棚を全部見たりとかはあまりしなくなりました(時間と金の節約のため)。個別に欲しいものはアマゾン・マーケットプレイスほか、各種ネット通販を活用してピンポイントで買っております。

以下、2017年のグッド・アルバム12枚+2枚。+はCDとDVDのボックス。§はLP。>はLPとCD両方。ほかはCDです。順位なし。並びは買った日付順。

◇:斉藤由貴『斉藤由貴ベスト・ヒット』(1985-1989/2016)
●:雀斑『不標準情人』(2017)
▽:黛敏郎『黛敏郎 日活ジャズセレクション』(rec. 1957-1969/2017) 
}:Pastiche『That's R & B-Bop』(1984)
+:V.A.『Atomic Platters: Cold War Music From the Golden Age of Homeland Security』(rec. 1945-1969/2005)
■:民謡クルセイダーズ『民謡しなけりゃ意味ないね』(2016)
@:Bruce Cockburn『High Winds White Sky』(1971)
≠:吉澤嘉代子『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』(2016)
∵:Iron & Wine『Beast Epic』(2017)
§:Honeytree『Honeytree』(1973)
>:Bob Darin『Commitment』(1969)
#:Rita Pavone『Il Geghege e Altri Successi』(1962-1973/2011)

◎次点:
・Joan Shelley『Joan Shelley』(2017)
・ジョー長岡『猫背』(2017)

◇:斉藤由貴の話を始めると、最初に好きになった30年前にまでさかのぼらずを得ず、めっちゃ長くなりますので省略。数年前から斉藤由貴熱が再燃し、ちょこちょこYouTubeで見たりしているだけではついに耐え切れなくなって、このベスト盤を購入(あとから、オリジナル・アルバムも2枚くらい買いました)。これを買った4月は、1月に発症した網膜剥離の手術後の回復が期待したほどではないことがわかってきて精神状態が非常にかんばしくない時期で、頻繁に妻に八つ当たりしたりしていました。誇張ではなく1か月以上連続で、毎日一度はこのCDを聴いて、精神を安定させていました。妻とこのCDには感謝しかありません。とくに好きな曲は「初戀」と「MAY」です。

また、2017年は、森田芳光「おいしい結婚」と渡邊孝好「君は僕をスキになる」の2本の映画で、彼女のコメディンエンヌとしての才能を再確認しました。「恋する女たち」もまた見直したいところですが、未見の「トットチャンネル」もどこかでやってくれないかな(と、一応書いておく)。

●:台湾のシティ・ポップ。発売前に岸野雄一がおすすめしてたので試聴してみて、気に入り、台北に行って購入しました。その時点では日本盤が出る気配がなかったので知り合いのディスクユニオンのひとに勝手に推薦してみたりもしたのですが、結局他社からリリースされましたね。ところでここ数年、日本の現行シティ・ポップとその周辺の盛りあがり状況はなんとなく関知してまして、そしてなにしろなんでもタダで試聴できる大試聴時代ですから、いろいろ試聴してみましたが、自分で買ってみたいと思えるものはごく僅かでした。ということは、本作は、北東アジア全域において、つまるところ世界的に見て、おそらく最高レヴェルの現行シティ・ポップである、と判断してよろしいのかなと。アー写が「ナイアガラ・トライアングル」のなにかを模していたりと、日本のものもいろいろ聴いてそうですが、ちょっと真似してみた、程度のものではなくてよく咀嚼されてる。改善してほしいのはジャケットのセンスのみ。

ところで、シティ・ポップとは少し(もしくは、かなり)ズレますが、年末に聴かせてもらったウワノソラ『陽だまり』は素晴らしかったです。Lamp、カンバスあたりが好きなひとは名前を覚えておいていいかも。

▽:映画27作品の52トラックを収録した、タイトルどおりの編集盤。一時期、昔の日本映画をよく見ていた人間としては、黛敏郎は「題名のない音楽会」の司会者としてよりも、映画音楽の作曲家としての印象が強いです。黛は、本ディスクの音楽が世に出た1957年から1969年のあいだに、だいたい100本くらいの映画の音楽を手掛けていて、もちろん日活以外の会社でやった仕事も、ジャズっぽくないものも多数あるのですが、こうして限定された範囲から選ばれたトラックを聴いていると、多忙さゆえのモティーフの使い回しとか、条件的制約の中での冒険とか、さまざまなものが聞こえてきておもしろい。いくつかの曲は、「ジャズが好きなクラシックの作曲家」ならではのもので、たとえば、「狂熱の季節」(1960年9月公開)では、物語の要請上、黒人のジャズと白人のジャズを描き分ける必要があるのですが、黛はそれを難なくこなしていて、なおかつ、おそらくオーネット・コールマンあたりにインスパイアされたであろうフリーっぽいフレーズを取り入れたりもしている。確認してませんが、同時代の日本の純ジャズメンでも、黛より先に進んでいたひとはほとんどいなかったんじゃないでしょうか。

武満徹が、頭部の人間離れした特異な形状のせいもあってか神格化されているのと比べて、黛は、晩年のネトウヨ(という言葉は当時はまだありませんでしたが)的言動が災いしたのか、なかなか再評価される気配がなく、長らく歯がゆい思いをしていました。没後ちょうど20年にあたる月にこうした盤が出たことは嬉しいし、ありがたいです。最後に、黛のかわいらしい動画をどうぞ。→☆

}:アメリカ人4人組のジャズ・コーラス・グループ。カシオペア(「ジジメタルジャケット」風に言えば“カショーペア”)のバック・コーラスもやっていたそうです。これはジャパン・マネーによって制作されたホワスト・アルバムで、数年後にジャケ違いの米盤も出ました(わたしが買ったのはそっち)。演奏にはヴィクター・フェルドマン、バド・シャンク、ジョー・ポーカロなどの著名なプレイヤーが多数参加しており、バブル突入直前のきらびやかさはありつつも、デジタル臭はほぼありません。普段であれば80年代のジャズ、というだけで敬遠するみなさまも、嫌悪感なく楽しんでいただけます。曲目は「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「サヴォイでストンプ」といったスタンダード中心ですが、サザンの「いとしのエリー」と松田聖子「スウィート・メモリーズ」、このふたつの英語カヴァーがとくに気に入って何度も聴きました。「いとしのエリー」は、ドナルド・フェイゲンの「雨に歩けば」風のアレンジ。「スウィート・メモリーズ」はもともとがああいう曲ですからわりとそのまんま移植されていますが、途中で、「ホワッ!?」という(2017年頃のネットスラングそのままのような)素っ頓狂な合いの手が入っていて、いつもそこで笑ってしまうのです。

ところで、2017年に出会って、パスティーシュと並んでよく聴いたコーラス/ヴォーカル・グループのひとつがL.A.バッパーズで、とくにアップ・テンポなモダン・ソウルに改作された「ララは愛の言葉」だとか、ランバート,ヘンドリックス&ロスのメドレーだとかを収録した『バップ・タイム』は、ぜひチェックしてみていただきたい1枚です。

+:ボックスものなんて買ってもたいていはほったらかしなので買わないに越したことはない。これはおそらくわたしが生前最後に買い求めたCDボックスになると思われます。CD5枚+DVD1枚+300ページ近いハード・カヴァーの解説冊子がLPサイズの箱に収められております。内容はサブ・タイトルのとおりで、第2次大戦終結の年から四半世紀のあいだに作られた、原水爆、反ソ、反共、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などを題材にした、音楽、ナレーション、短篇映画などが大量に味わえます。俗に、歌は世につれ世は歌につれ、と言いますが、世が歌につれるかどうかはともかく、世相に影響されてこれだけの録音物がつくられて世間に出回ったことは間違いないわけで、単に流行に乗っかってみただけと思しきものから、心配性や被害妄想の産物に至るまで幅広いヴァラエティの不謹慎エンタテインメントが満載。このボックスを買うのはなかなかハードルが高いでしょうし、また、その必要があるひともさほど多くはないでしょうから、みなさまには2014年にリリースされたCD1枚に集約されたヴァージョン(タイトルは同じ)をおすすめします。

■:いま読み返したら、「2016年のグッド音楽」で、「2017年は(中略)アラゲホンジや民謡クルセイダーズなんかも見たり聴いたりしてみたいです。」と書いてましたね。予言?したとおり、2017年はアラゲボンジのCDを買いましたし、民クルはライヴを拝見。その会場でこの5曲入りCD-Rを購入しました。ひとことで言うと、日本の民謡や俗謡をアフロやラテン感覚で演奏するバンドで、それだけなら昔から東京キューバン・ボーイズあたりも似たようなことをしておりましたが、民クルは米軍基地のお膝元である福生あたりを本拠地としているせいか、どこかガレージっぽさがあるのが特徴ですね。あとは、音楽的に似ているというのではないですが、タイの音楽のユルさにも通じるものがある気がします。昔から、「パーティ・バンド」という言葉の本当の意味がよくわからないままで生きてきたんですけど、三田村管打団?とか民クルがそうなんだよって言われたら、素直に納得できます。本盤はもしかするともう品切れかもしれませんが、2017年の年末にフル・アルバム『エコーズ・オブ・ジャパン』がリリースされていて、そちらは全国流通しているので普通に買えるはず。

@:どうでもいいことを何十年も覚えていることって誰でもあると思うんですけど、昔、POP-IND'Sっていう雑誌があって、そこで名盤200選みたいな企画がありました。いや、いまあなたが言おうとしているそれは、1991年のピチカート・ファイヴの特集号のときのやつですよね。それじゃなくて、1989年の夏に出た、細野晴臣が表紙の号に載ってたほうです(→☆)。

現物がたぶんもう手元にないので記憶違いの可能性もありますが、そこで、チープ・トリックの『ネクスト・ポジション・プリーズ』(トッド・ラングレンのプロデュース)が選ばれてて、アメリカにはビートルズ的な意味でのポップ・バンドは意外と少ない、もともとあった土着的な音がポップとされるからである、と書いてありました。当時16歳のわたしはアメリカ音楽とイギリス音楽の違いもほとんどわからないようなありさまでしたが、その一文はなんとなくずっと印象に残っていました。

思い出話はここで終わりですが、そういえばカナダという国や、そこ出身のミュージシャンたちの特性についてマジメに考えたことがあまりなかったので、英米の音楽がいい感じでブレンドされたこのアルバムは少なからぬ衝撃でした。言い訳ではないですが、本作の存在は当然知っていて、過去に何度か試聴もしたはずなのに、そのときにはなぜか引っ掛かりを覚えず、2017年のいつだったか、なにかの拍子で何度目かの試聴をして、ようやく名盤だと気付きました。何度も再発されているこうした歴史的名盤は、粘り強く待っていれば必ず500円くらいで見つけられるのはわかっているのに、我慢しきれず、日本盤紙ジャケCDを1400円も出して買ってしまいました。その後、デビューから80年代初頭までの10枚のアルバムを次々に(比較的安価で)買い揃えられたので、よしとします。短期間で立て続けに買った結果、1枚1枚を吟味するほど聴き込めておらず、もしかしたら本作よりも気に入るものが出てくる可能性もありますが、最初のインパクト重視でこれを選んでおきます。

ところで2017年度は次点として、2016年度にはグッド12のうちのひとつとして選出したジョーン・シェリー、彼女自身はケンタッキー州の出身ですが、音づくりの核となっているふたりのギタリストがたぶんひとりはアメリカ人、もうひとりはイギリス人で、そのあたりも自分好みな理由かもしれないなあと思っています。

≠:すごく好きだったりそうでもなかったりの変化を経つつも、だいたい四半世紀くらいファンでいるバンド、カーネーションの2017年度新作に参加しているゲストのひとりとして吉澤嘉代子の名前がありました。未知の存在だったので試聴→わりと気に入る→ディスクユニオンで購入、という例の流れです。一応メジャーから何枚かの作品を出していて現在活動中なのに、それまで名前を耳にしたことがなかったのは、宣伝が弱いのかわたしが薄ぼんやりしていたか、たぶんその両方だったのでしょう。

このミニ・アルバムは、全7曲、それぞれ別のひとたちとのコラボまたはリミックスで、すべての名前を挙げると、サンボマスター、私立恵比寿中学、岡崎体育、伊澤一葉、ザ・プーチンズ、小島英也(ORESAMA)、曽我部恵一、です。半分くらいは知らない名前ですが、それにしてもめちゃくちゃな組み合わせであることはなんとなく想像がつきます。そして、吉澤そのものの持ち味がそこなわれていない(=いいとこは自分で持っていってる)のも見事ですね。ご本人、たぶん相当に我が強いんじゃないかなと想像。いちばん繰り返し聴いたのは、サンボマスターのひとが曲も提供した「ものがたりは今日はじまるの」で、大滝詠一が全盛期の(『深海』で辛気臭くなる前の)ミスチルをプロデュースしないかぎり、こんなポップスは生まれないであろうと(血迷って)思ってしまったくらいの名曲。ついでに、サンボマスターってどんなだったっけ、と試聴もしちゃいました(で、そうだ、声がさわやかで見かけがややブサイク気味なギャップ・バンドだったわ、と再確認)。

これを買ってから1か月くらいして、「残ってる」のPV公開で急に注目されたみたいで、なんにしろおめでたいです。2018年、彼女のますますのご活躍と、わたしが彼女のほかの作品をリーズナブルな価格で購入できることを祈っています。

∵:アイアン&ワイン、たぶんオリジナル・アルバムはほとんど持っていて、それなりに愛聴しているにもかかわらず、とくに曲を覚えるとかでもなく、いつもなんとなくの「感じ」で聴いています。11月、ニューオーリンズでライヴを見ることができ、音が出た瞬間に2階の席とステージとの距離がほぼゼロになったかのように感じられる芸術的なPAと、アルバムの繊細な音響を人力で再現するバンドのさりげない底力に度肝を抜かれました。内容的な意味でもメモリアル的な意味でも、2017年に見たそれほど多くはないライヴの中、もっとも印象深いもののひとつです。あとは9月に山梨の山の中の一軒家で見た中村まりと、6月の須磨浦山上おんがく祭(二階堂和美、三田村管打団?)ですかね。

帰国してから聴き直してみると、盤を再生するたびにライヴで受けた印象が蘇り、ああ、レコードってのはいいもんだな、と心の底から素直に感謝の気持ちが湧き上がってきました。どこがいいのかを無理やりひとことで言うと、頭がよさそうでなおかつオーガニックな全体の音響設計ってことになりますかね。ところでわたしとしてもあれこれ2017っぽい音響を聴きたい気持ちはあるので、名前を見かけたいろいろなひとの新譜を試聴したものの、するとかなりの確率で、声が人間っぽくなく加工されていて、そこでだいたい無理無理無理、ってなって聴くのをやめざるをえなくなってしまいます。つまり日本のアイドルものとアメリカの売れてるやつはほぼ聴けない。自分がアダプトするべきなんでしょうけど、これについてはちょっと生理的に譲れない部分でした。フォーク/SSW方面のひとが妙な色気を出してそういう声の加工をし始めないよう祈るばかりです。

§:どこだかで「クリスチャン・ミュージック界のキャロル・キング」みたいな紹介をされていました。お聴ききになれば、決して過大評価や誇大広告ではないとおわかりになるはず。たぶん現代にいたるまで活動を続けている彼女の、たぶんホワスト・アルバム。歌詞の内容は、おお神よ、的なものがほとんどのようですが、音楽の表面的な部分は、いわゆる70年代のフィメールSSWの最良の部分を凝縮したようなもので、とくに抹香くささを感じずに聴くことができます。ということは、話は逆で、本質というか内実の部分が極上のSSWアルバムで、表面に乗っかっている言葉が抹香くさいだけ、と言うべきか。要するに、宗教とか気にせずにどしどし聴いてほしいんですけど、CDになってないのかな。

それにしてもセレクト系のレコ屋各店の、宗教系レコードにいたるまでの調査・研究の熱心さは本当にありがたい。そのおかげでわたしのところにも情報が回ってきて、こういう素晴らしいアルバムにたどり着けるわけですから。ちなみにこのアルバム、某レコ屋のメルマガで知りました。とはいえそこで買うと高いので、情報だけ仕入れて、購入は後日に別の場所で……がほとんどでしたが。どうもすみません。こちらは北浦和のディスクユニオンで、リーズナブルな価格で買いました。年に数回しか行かない店舗ではあるものの、微妙にお世話になっております。今年もよろしくお願いします。

>:現在までに第2集までリリースされているオムニバス『カントリー・ファンク』は、読んで字のごとし、いい感じにビートが利いたスワンプっぽい曲を集めた名シリーズで、その第2集(2014)に入っていたのがボブ・ダーリン「ミー・アンド・ミスター・ホーナー」でした。ファットなビートにトーキング・ブルーズ風のヴォーカル、そしてボブ・ディランっぽい名前に衝撃を受けて、こいつは何者だと調べてみたところ、50年代後半から60年代にかけておもにティネイジャ向けのヒットを連発していたボビー・ダーリンが、名前をちょっとだけ変えて、自身のレーベルからリリースしたアルバム『コミットメント』の曲だとすぐにわかりました。

となると、じゃあそれ買おう、と例によって短絡的に考えてみたものの、ネットで調べると一度だけCD化されたものは廃盤で、数千円~数万円の値段がついている。秋、アメリカ旅行に出かける直前に、それまでの相場からすると激安の価格で中古CDが出てるのに気づき、自分が普段出す値段の上限よりは4割~5割増しだったものの、思い切って購入し、帰ってから聴くのを楽しみに飛行機に乗り込んだのでした。そしてアメリカ滞在の何日目か、たまたま立ち寄ったアンティーク・モールの中のレコード・コーナーを何気なく見ていたらアナログ盤を発見。税込みで$13.20(≒1500円)だったので、一瞬躊躇したものの、ダブりになるのを承知で購入しました。ちなみに、次回アメリカにレコードを買いに行くときの、将来の自分に向けて書きますと、何軒かレコ屋を回っていると、一度見かけてスルーしたものはかなりの確率でまた見かけます。そして、一度も見かけないものは結局一度も見かけない。その中間にある、一度しか出現しないものをいかにして見極めて確保するかが肝要なのです。なんか書いてて、当たり前すぎるようでもありオカルトのようでもある日本語の記述になってきましたが、次回渡米の際は、2017年の旅では一度も見かけることができなかった、ラリー・ジョン・ウィルソン『ソジャーナー』をぜひとも手に入れたいものです。

さて、すっかり与太話が長くなりましたが、わたしは昔から、いわゆるロック時代に顕著になった、過剰な自作自演重視傾向(それ自体はあまり意味はないと思っていますが)に対して、それ以前から活動していたひとたちがどのように対応していったか、になんとなく興味を持っています。エルヴィスの失速(かどうかは意見が分かれるでしょうか?)も、ジャズメンたちがロックのヒット曲のカヴァーをさせられていたことも、そうした流れの中に置いて眺めるとより興味深いですし、さらに視点を広げてみれば、白人SSW作品にソウル~ジャズ系のセッション・ミュージシャンたちが参加し始めた現象ともまったく無関係ではないでしょう。で、そういう視点からジョニー・リヴァースのいくつかの作品や、ダーリンのこのアルバムを聴き直すと、いっそう立体的な理解が育まれるはずです。

#:12月にイタリアに行きまして、まあやはり現地のレコ屋にあいさつがてら立ち寄ってみるものの、現地の音楽のことをろくすっぽ知らないせいで、イタリア人コーナー見てもなにがなんだかわからない。まさかそんじょそこらにトロヴァヨーリやらカトリーヌ・スパークが投げ売りされているわけもなく。旅の後半、シチリアのカタニアという街でちょうどレコード・フェアが開催されていたので寄ってみて、一応ざっと流して2枚くらい買って、さあ帰ろうかと思ったときに、7インチが大量に売られているコーナーが目につきました。普段7インチを買う習慣はないのですが、アメリカなんかと違ってほとんどピクチュア・スリーヴつき(=日本と同じ)なので、おみやげのつもりで地元のものをジャケ買いしてみるのもよかろう、と思い至りました。

そこで引き抜いたのが、ソバカスだらけの愛嬌のある女の子が得体の知れないハンド・サインをしているジャケットで、それがリタ・パヴォーネ「Plip」でした。B面は「メリー・ポピンズ」の劇中歌「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」のカヴァーで、なるほど、知っている曲なので買ってみることにしました。ほかにも、適当によさげなジャケを引っこ抜いて、注意深く見てみると、曲名はイタリア語でしか表記されていなくても、あきらかに作曲者名がイタリア人っぽくなくてアングロ・サクソンな感じの場合がけっこうあって、米英の曲のカヴァーであろうと推測できるわけです。

まだるっこしいので話を飛ばすと、同時代の英米のヒット曲のローカライゼイションは日本でもおこなわれていたわけで、つまりリタ・パヴォーネはイタリアの雪村いづみ、ないしは江利チエミみたいな存在だったのかな、と。そう気付いたのはその晩、ホテルに戻ってから。わたしの泊まった部屋にはターンテーブルがなかったので、Wi-Fi経由でYouTubeにアクセスして、目の前のジャケットを眺めながら「Plip」と「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」を聴いたときでした。パンチの利いた歌声、勢い余ってネジがはずれたようなアンサンブル。アップ・テンポな曲でのリズムは極めてモダンで、早すぎた渋谷系というか、ロックンロールとカンツォーネの野合というか、続けてほかの曲も聴いているうちに、すっかりファンになりました。勢い余ってそのままその場で注文したのがこの3枚組アンソロジー。全36曲収録ですが、曲が短いので3枚のトータル時間が90分ほどないことを除けば非の打ちどころなし。歌謡曲のようでもあり、オールディーズのようでもあり、R&Bのようでもあり、そしてそのどれでもない。カヴァーもオリジナルも曲名はすべてイタリア語表記のみなので、流しているとところどころ、聞き覚えのある曲のイタリア語ヴァージョンが飛び出してくるのが楽しい。

◎次点:単によく聴いたもの、出来がよかったものを挙げるならばあと10枚くらいすぐに出てきそうなので、ひとまず2枚。ジョーン・シェリーのセルフ・タイトルド作は、2016年のわたしのグッド音楽に選出された前作に負けず劣らずのクウォリティで、最高傑作と呼んでも差し支えなさそうな充実作。なんとなく2年連続で同じひとを選ぶのもなあ、程度の消極的な理由での選外。地味っちゃあ地味なひとなのでこのくらいのポジションがちょうどいいかも、と言っては失礼にあたるでしょうけど。ジョー長岡『猫背』は、いろいろお手伝いした関係もあって、とにかくよく聴きました。聴いた回数でいうと、斉藤由貴、雀斑と並んで2017年のトップ3だったはずですが、単に回数が多いだけでなく、普段こんなにマジメに音楽を聴くことはそうそうないだろってくらいの真剣さで向き合ったアルバムが、『猫背』でした。

2018年も、みなさまとわたしによい音楽との出会いがたくさんありますことを。あと、みなさまのことは存じ上げませんが、わたし個人の目標は、CDをできるだけ処分する、です。
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by soundofmusic | 2018-01-13 12:37 | 日記 | Comments(0)

研修その5:チリ

d0000025_0393386.jpg残暑のニューオーリンズ→秋のバーミングハム→冬のシンシナティと移動して、南半球、チリの首都サンティアゴはこれから真夏に向かう時期で、朝晩は少し肌寒く、でも昼前から夕方にかけては半袖でも暑いくらい。そして夜は20時過ぎてようやく暗くなる。10人にひとりはマンガみたいな肥満体だったアメリカのひとと比べると、こちらの体型はだいぶまとも。美人が多い。大学と本屋も多い。そしてもっと多いのは寿司屋と甘いもの屋で、どちらも1ブロックにひとつはある。老若男女、道を歩きながらアイスやらなにやら、甘いものを食べてる。ぜんぜん違う国に来たな。街の真ん中を流れるマポチョ川は、都会の中の川とは思えないような勢いの濁流で、橋を渡るたびにまじまじと流れを眺めていたもんだけど、しばらく雨が降っていなかったのに毎日あの勢いで流れているのは、きっとアンデスの雪解け水なんだろうなとあとになって気付きました。

レコード屋は何軒か覗いて、すぐに見切りをつけた。エイティーズのどこにでも転がっているようなLPが1枚2000円とか普通にする。去年行ったメキシコ・シティーと比べても、あきらかに流通してるレコードの量が少ない。

そうすると途端にすることがなくなるので、街の中やショッピング・モールを歩き回っていた。そうでなくても歩くけど。看板、広告、商品名、TVのテロップ、気になったスペイン語を片っ端から翻訳にかける。疲れたらコーヒー飲んだり、甘いもの食べたり。

今年の夏から秋にかけての数か月、半ばやむを得ない事情で、スペイン語のウィキペディアを読む学習をしていた。もちろん、読むといっても読めはしないので、一段落ごと英語の自動翻訳にかけて、スペイン語と英語を見比べる感じ。それでも一応大量に眺めたことは確かで、その成果は着実に現れた。

たとえば、descargaという単語。最初に知ったのは、ラテン音楽のジャム・セッションを表す言葉として。辞書を引くと、エネルギーの放出、なんて載ってる。それはまずそれとして、携帯の充電はrecarga。電車に乗るスイカみたいなカードのチャージは、carga。そこまで知ると、つまりdescargaは英語のディスチャージ=放電か、とつながってくる。そして、わかった気になっていると、長距離バスのトイレで用を済ませたあとに押すべきボタンにも「descarga」と書いてある。なるほど。

寿司屋のメニューで見かけた、「Gohan Nikkei Acevichado」。セビーチェ風の日系ごはん??ってなんだよ、と写真を見ると、あきらかに海鮮丼。旅先で進んで日本食を食べてがっかりするほど酔狂じゃないけど、中華はだいたいいつも食べる。中華屋にはArroz chaufaがある。アロスは米、だからこれは炒飯のこと。

英語の勉強もこれからも続けるつもりではいますけど、こんなふうに素朴な、初学者ならではの驚きと喜びを感じることは、さすがにもうあんまりないだろうなあ。

チリに何度も来ることがあるとはあまり思えないので、せっかくだから地方も見てみたい、と思い、南部の港町、プエルト・モンに1泊で行ってきた。飛行機で2時間弱、1000kmくらい南下したので、だいぶ寒い。空港からの並木道は北欧か北海道みたいな印象。有名なアンヘルモの魚市場でセビーチェを食べて、海岸をうろうろしてると、岸から1メートルくらいのところの海面、黒い岩みたいなものが5つ6つ、突き出している。近付いてみると、アシカだかアザラシだかで、そいつらはしばらくそこでじっとしてたけど、あれはなんだったんだろう。観光客向けのサーヴィスか。3人組の女子グループがいて、お互いにその動物たちと写真を撮っていたので、それが一段落したあと、Chicas! と生まれて初めての呼び掛けをして、わたしも写真を撮ってもらいました。

プエルト・モンでの宿はAirbnbを使っての民泊。朝、隣の部屋から流れてくる音楽で目が覚める。ビクトル・ハラの「自由に生きる権利」。できすぎてるけど、ほんとの話。チリの有名人といえばこのひと、だけど、行く前も来てからも、名前を思い出すことなんてなかったのに。ちなみに、道端にゴザを広げて商売してる古本屋の品物のなかに、ホセ・ドノソが混じってたりはしました。

建物の門(鍵がないと出られない)までホストに送ってもらいながら、少しだけ話をする。……あのさ、さっき流れてたでしょ、音楽。El Derecho de Vivir en Paz。たぶんすごく有名な曲だよね。知り合いのジャズ・シンガーがあの曲に日本語の歌詞をつけて歌っていてさ……と、酒井俊さんのことを教えたけど、伝わってたかどうかわからない。

バスで30分くらいの湖畔の町、プエルト・バラスで半日過ごす。ここは19世紀後半にドイツ人が大量に入植したところで、小さな町のそこかしこにドイツ風の建物が残っている。そうそう、チリといえばドイツ人音楽家アトム・ハート(セニョール・ココナッツ)が住んでいた(いる?)国で、なんでそんなところに? と疑問に思ったけど、たぶんドイツ人にとってはなじみがないこともない国なんでしょうね。ちなみに甘いもの屋のメニューのひとつにはドイツ語名前のkuchen=ケーキがある。湖のほとりを歩きながらぼんやりいろいろ考えているうちに、異なる文化同士の混合や衝突を愛でる者は、ある程度は植民地主義を肯定せざるを得ないのではないか、と思い至ってぞっとした。自発的に移動する物・ひとが成し遂げる以上のことがそれによってもたらされたのは間違いないわけで……と、思いはシンシナティで見た奴隷の展示の衝撃へと帰っていく。あと、そういうことと関連して年に何回か思うんだけど、嫌韓・嫌中のひとって、カルビ丼とか炒飯とか餃子とか食べないんだろうか。素朴な話。もう日本食の伝統に組み込まれたって認識?

あと、サンティアゴから日帰りで、バルパライソとビーニャ・デル・マールに遊びに行った。高速バスで2時間くらいのところの港町。バルパライソは天国の谷という意味で、海岸近くから見上げると、山の上のほうまでびっしりと家が並んでいる。急勾配の上と下は無数の階段や坂道で結ばれていて、それと、あちこちにアセンソール(ケーブルカー)がある。ケーブルカーといっても、ほぼ垂直に近い、要は籠がむき出しになったエレヴェイターみたいなものもあった。数時間歩いただけでもおそろしく見晴らしのいい箇所がいくつかあって、行った日は本当に雲ひとつない快晴だったのでさわやかなことこの上ない。家々はカラフルに塗られていて、壁には昔、地元の芸術学校の学生が描いたというウォール・ペインティングが残っている。そのほかにも普通に最近描かれたらしいグラフィティ的なものもあるので、「アートと芸術の境目がわからないな」などと頭の悪いフレーズを思い浮かべながら散歩していました。

ビーニャ・デル・マールはバルパライソから電車で30分ほどの、海辺のリゾート都市。おしゃれっぽいレコード屋の店主と話をしたり(例によって収穫なし、がっちり握手しただけ)、モールをうろついてから海岸に向かうと、ちょうど夕暮れどき、西側、バルパライソの向こうの丘に日が沈む時間。たくさんの若者や家族連れが浜辺でリラックスしている。ここで夕飯食べてから帰るのでもいいかもなあと思ったけど、夕暮れというのはつまり20時過ぎであって、またバスで2時間かけてサンティアゴまで戻らなくてはならないので、そのまま帰りました。

帰国する前の日、サン・クリストバルの丘に登りました。この丘は、数日前にも登ろうとしていて、麓にあるケーブルカーの乗り場に行ったら、「メンテナンスすることになったので今日は午後から運休です」みたいな貼り紙がしてあって、時間も遅めだったのでいまから歩いて登るのはしんどいな、と思って出直しにしたのでした。しかし、出直したその日もやはりケーブルカーは運転してなくて、貼り紙を見ると、どうもわたしが最初に行った日からメンテナンスに入ってしまったらしい。なにかよっぽど悪いところでも見つかったのか。

ということで、歩いて登ることにしましたが、真昼で陽射しが強いうえに、直前のランチでビールを飲んでしまったため、眠いわだるいわで散々でした。ちなみに飲んだのはチリのブランド、Escudo。エスクードと頼んだら「ああ、エクードね」と返されて、どうしてそこでsが脱落するのかよくわかんないけど。Muchas graciasも、たいていムーチャグラシャ、さらには単にグラシャ、と発音されてた。ブエナスなしの単にタルデ(ス)もよく耳にした。それと、チリ人独自のスペイン語として、わかった?と訊くときのCachai? というのがあると見かけて、そういうのがあることを一度知ると、たしかに、本当にしょっちゅう耳にする。

結局、1時間近くかけてひいひい言いながら丘の頂上に到着。麓から数百メートル高いところに来ただけあって、サンティアゴの街の中からも見ることができるアンデスの冠雪した山並みが、さらにくっきりと見える。みなさまご存知の通り、チリは南北に細長い国で、サンティアゴからは東に50kmくらい行くともうアルゼンチンとの国境のアンデス山脈。あとで地図で確認したところ、見ていた中のどれかひとつが、南米最高峰のアコンカグア山(6980m)だったようです。ということをわざわざ書くのは、最高峰という単語をオリジナルの意味で(比喩でなく)使うのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないという、それだけの理由。

山から下りて、この旅で何度目かのショッピング・モールへ。レコ屋のことはすっかり忘れていましたが、家電コーナーの一角、ターンテーブル売り場に、CDセールのワゴンがあるのを発見。なんの気なしに手に取ったレッド・ツェッペリンのCDはメイド・イン・チリだった。南米諸国は同じスペイン語圏でも国ごとにプレス・流通してるんだろうか。だとしたら全部揃えなくちゃいけない性格のひとはたいへんだなあ。Seru Giranという、知らないひとたちのジャケがなんとなくよさそうだ。一度ワゴンに戻して、店内の別の場所、無料のWi-Fiがなんとなくつながるようなつながらないようなところに行って一瞬だけYouTubeで聴いてみたら、後期ビートルズっぽい浮遊感のあるプログレだろうと推測できたので、買ってみました。これがチリでの唯一の音盤購入。ちなみに、あとで聴いてみたらだいたい予想した感じの音。アルゼンチンのバンドだそうです。

夜、テアトロ・オリエンテで、マデリン・ペルーを見ました。ヴォーカル/コントラバス/ギターという編成でさまざまなジャンルの曲をカヴァーするなんていうと、そこらのカフェ・ミュージックで掃いて捨てるほどありそうですけど、あまりに予測不能な乱高下を繰り返すうたのフレーズは、のんびり聴き流すことを許してくれません。そして、いろんなことをやっているにもかかわらず、ヴォーカルの印象があまりにも強すぎるせいで、なんとなく単調に聞こえてしまうのは損してるところかも。「アイ・エイント・ガット・ノーバディ」を歌ったのには驚いた。1週間前にシンシナティで合唱した曲だよ。調べたら、まだ録音はしていないみたい。次のアルバムに入るのかな。

MCはほとんどがスペイン語で、その大半を聞き取れたのには驚いた。外人がゆっくりしゃべっているからなのは当然として、自分の自主練の成果はあったことにもしておきたい。そうそう、この日はスペイン語でも1曲歌われた。アルゼンチンのファクンド・カブラルの「ノ・ソイ・デ・アキ」。サビでは観客が自然発生的に合唱していました。マデリン・ペルーは何語で歌っても、ネイティヴじゃないみたいに聞こえる不思議なひとだなあとあらためて思いました。

最終日、日曜日の帰りのフライトは夜だったので、昼間はずっと歩いていた。日曜日は本当になにもすることがない。店は10軒に1軒くらいしかやってないし、あらかじめ番組を調べておいて映画館に行ったらそこも休みだった(シネコンはさすがにやってる)。旅のあいだ、食事についてはほぼ失敗続きで、具体的に言うと、
・店がない
・あっても入りやすい店がない
・メニューが外に出てないので値段がわからない
・うろうろした末に気合い入れて入ると、さまざまな理由で思ったよりもお金がかかってしまう
・もやもやした気持ちで食べて終えて出ると、1分くらいのところに、いま出てきた店よりも総合的に良さそうな店がある
上記のうちひとつかふたつ、場合によってはみっつ以上が重なることが続いていて、そういうときばかりはやっぱり日本(もしくは台北)はいいよなあーと思うわけですが、この日、せっかくだから最後に、少し高くてもちょっとはちゃんとしたものを食べて帰ろう、と思っていたのですが結局それもかなわず。なんとなく適当に済ませて帰途につくこととなりました。

金の心配をしなくていいってことになればうまそうなところに入ればいいし、逆に節約を第一にするならば店には一切入らずにそこらで売ってるものとスーパーのもので済ませればいいわけであって、そのどっちもいやだからなるべく安くてそこそこうまいものを、とヘンな色気を出すのがいけないのはわかってます。今回、日本円→米ドルへの両替と、米ドル→チリペソへの両替、その両方で下調べしなかったせいで失敗して、あわせて2万円くらい損してしまい、旅行中ほぼずっと、そのことで自責の念にさいなまれていました。

妙なもので、そんなときに限って、持ってきて読んでいた吉田健一のエッセイ集に金の話が載っていて、金なんかなければ借金すればいい、みたいなことがあの独特の口調で書いてあって少しだけほっとしましたが、しかし待てよ、あいつの親父は総理大臣じゃん、食いっぱぐれて死ぬことなんてないからそんなことが言えるんだろう、とすぐ正気に戻りましたけど。ちなみに今回、日本→アメリカ→チリ→日本の飛行機代は13万8000円。もろもろ含めた総費用は約35万円でした。

(おしまい)

☆写真
・海の生き物と記念撮影
・プエルト・バラスで食べたクーヒェン
・バルパライソの教会。手前の柱には「天国DA」と書かれている
・バルパライソ
・段ボールの中で寝ている犬

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その4:ジョージア州アトランタへ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:40 | 日記 | Comments(0)

研修その4:ジョージア州アトランタへ

d0000025_0374612.jpg23時過ぎにターミナルに着いて、バスの出発予定は24時45分。ターミナルには電光掲示板のようなものはなくて、係員のアナウンスを聞いてないといけないのですが、普通なら10分前とか30分前には到着しているはずのバスが来る気配がない。ヘンだぞと思っていると、発車予定時刻あたりになったところで、3時間くらい遅れているのでお詫びの食券配ります、とのアナウンスがなされ、とりあえず食券ゲット。$7.50分。お釣りは出ないようなので、$7.49のセットを注文。ハンバーガー、ポテトチップスの袋、例によって巨大なソフトドリンク。

アメリカの食事についてはあまりなにも言いたくありませんが、何度か食べたハンバーガーについては、これは「料理」なのだなと毎回思わされました。それはこんな場所、こんな状況、底冷えのするこんな午前1時であっても同じことで、黒人女性がちゃんと冷凍肉を焼いてくれる。食券もらった数十人の客が一斉に同じ行動をとって注文しに来るので、あきらかにふてくされてはいましたけど。

バスは結局午前4時とかに出たのだったか。理由のアナウンスはとくになし(たぶん)。車内には蛍光ヴェストを着たグレイハウンドの女性社員が同乗していて、突発的に「わたしは悪くない!」「運転手がいないものは仕方ないでしょ!」「わたしにだって子供がいるんだから!」との怒号のような声が聞こえてくる。

朝9時頃、途中のテネシー州ノックスヴィルで、しばらく停車すると告げられる。「ここで終点っていうんじゃないだろうな?」と不安げな男、座席ふたつにすっぽり埋まるように眠る巨体、なくしたiPhoneを這いつくばって探し続ける若者。

結局、蛍光ヴェストの女性が誰かと電話した末、「わたしが運転するから!」と言って、それがどのくらいイレギュラーな事態であるかはわからないのですがとにもかくにもそういうことになり、バスは先に進みます。ところで今回観察したかぎりでは、ジャームッシュの「パターソン」みたいな内省的なバス・ドライヴァーはひとりもいませんでした。みんな客と冗談の言い合いをしたり、一度などは、客席後部で延々と口論をしている男女に向かって「なに、そこ、痴話喧嘩みたいなことやってんだよ!」と仲裁(?)に入る。運転手の仕事はまずはもちろんバスの運転ですけど、道路交通法とはまた別に、公共空間ではこうふるまうべしというルールが確固としてあって、それにしたがうと運転手はエンターテイナーの役割も兼ねざるを得ないのでしょう。

アトランタの街の中心部に近付いたころ、後ろの席のギャル(かどうかはわからないけど、そんな口調の)が、どこかと電話しているのが聞こえてきます。……そうそう、もうすぐアトランタ、ア・トラーンタ、ジョ~ジア、ジョォ~ジア~の。すごい、いままで見たことないくらいの都会! ビルなんてめっちゃ高くて、上のほうが雲の中に隠れちゃっててね……

バスがまともに走れば、ここアトランタで半日の空きができるはずだったので、レコード屋に寄れるな、と算段していたのですが、遅れた分を取り返すこともなく4時間遅れのままの到着だったので、食事だけして空港に向かう時間しか残っていません。ここはグレイハウンドのターミナルと地下鉄駅がほぼ直結していて、あまり遠出すると戻ってくるのがめんどくさい。到着直前に、バスはターミナルのあるブロックをぐるりと回るように走ったので、そのときに見かけたフライド・チキン屋に行くことにしました。

ターミナルから店まで歩く数分間、グレイハウンドの客以外には黒人しか見かけない。小さな店に入ってカウンターに行くと、前で待っていた黒人のあんちゃんが「なあ、会ったことあったっけ?」と話しかけてきました。「ないよ! いまさっきバスで初めてアトランタ着いて、ここでチキン食べてこれから空港行くんだよ」「おおそうか、どっから来た?」「日本だよ」

そこであんちゃん、カウンターの中の女性に向かって「すげえなぁおい、日本からケルズ・キッチンにチキン食いに来たってよぉー」と言い残して出ていきました。カウンターの奥の厨房では、黒人のコックがでっかい声で歌いながら料理しています。出てきたチキンは見かけの量のわりにはするっとお腹に入ってしまって、食べてるあいだにも次々とお客さんがやって来る。ほとんどがテイク・アウトの客で、全員黒人。食べ終えて、「The chicken was great.」と言いながら外に出ましたが、ちゃんと伝わったかどうかはわからない。

(つづく)

☆写真
・お詫びの食券
・朝、どっかで停車中のバス
・ケルズ・キッチンのチキン

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その3:オハイオ州シンシナティとその周辺
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:38 | 日記 | Comments(0)

研修その3:オハイオ州シンシナティとその周辺

d0000025_0334114.jpgバーミングハムから600km、ニューオーリンズからは直線距離にして1000km以上北上したシンシナティは、すでに晩秋~初冬の空気。着いた朝は冷たい雨で、重いスーツケースを転がしつつ、宿まで休み休み歩く30分はキツかった。

2日目以降はずっと晴れで、寒いのにはどうにも閉口したものの(毎日最低気温は0度前後。道端で氷が張ってる日もあった)、何日か過ごしているうちにこの街の独特の歴史と文化を知り、親しみを覚えるようになりました。立派な(建物が、というだけではなくて、きちんと機能している感じの)図書館には、オーデュボン「アメリカの鳥類」の大判の4巻本が展示されています。そう、ニューオーリンズのオーデュボン・パークの、オーデュボン。

そもそもアメリカの都市はだいたい全部、呼ばれもしないのにやってきたヨーロッパ人がつくったもので、何年にできたとかわかってて記録も残ってるわけです。この街の特色としては、
・ドイツ移民が多く、その文化が色濃い
・オハイオ川沿いの交易の要衝として発展し、西部への玄関口となった
・南部から北部へと逃亡する奴隷の重要な通過点
といったあたりでしょうか。西部の入口とは言っても、地図を見るとぜんぜん東寄りで、これなら西東京市のほうがまだ西だと思えます。ちなみにシンシナティという名前は、ローマかなんかの言葉に由来してたと思います。都市も人造ならば地名も人造。もちろん先住民の言葉に由来した地名も多いですが。ちなみに、地図見てると、だいたいどの州にもAthens=アテネ、という名前の街がありまして、このアシンズについては後述。

オハイオ川の北側がオハイオ州シンシナティ、南側はケンタッキー州。どちらにも何軒かずつ、よいレコード屋があります。シンシナティのシェイク・イット・レコーズがいちばん大きかったかな。1階がCD、地下が同じ広さのアナログ。全部見たら5時間くらいかかりそう。

ケンタッキー州側は、歩いて回れる範囲を一度探検して、ベルヴューのトーン・ライト・レコーズが品揃えの的確さとそのわりには値段がリーズナブルなのでお薦めです。歩けるとはいってもシンシナティの中心部から小1時間はかかるので、行きか帰りはバスがいいでしょうね。とはいえぶらぶら歩くのは楽しくて、コヴィントンでは英語とドイツ語がちゃんぽんになったMainstrasseという名前の通りがあったかと思うと、ドイツ語で名前が彫られたMutter Gottes Kircheなる教会もある。そして民家の窓には「IF YOU CAN READ THIS, THANK A TEACHER/If You Can Read This In English, (ここにライフルのイラスト)THANK YOUR MILITARY」と、英語の構文としては正しいと思われるものの、どうにも意味をとりかねる掲示が出ていたりする。

街から離れた場所にもレコ屋はあって、しかしあんまり遠くまで行くと、収穫がなかったときの徒労感が激しいので当初は行くつもりなかったんですが、シンシナティに丸5日滞在しているとさすがにすることなくなったので、シンシナティから南に7kmくらい行ったところの、ラトニアという町にある、フィルズ・ミュージックにも足を伸ばしました。なんてことない田舎町の街道沿いに、店の数と比べて不釣り合いなほどに広大な駐車場を持ったショッピング・モールがあって、その向かいに突っ立ってる店です。

まあ田舎のそんな店に行ったところで、ロクに買うものもないだろうというのが日本の感覚ですが、しっかりとした品揃えで、気が付くと5、6枚かかえているので試聴して減らさなくてはいけなくなりました。こういうことを繰り返していると、20世紀の半ばから後半にかけて、レコードという音の入った円盤が、信じられないくらいに大量に出回っていた時代があったんだなあということが体で実感できます。わたしたちが普段ユニオンなどで見ているレコード棚は、時代的・経済的・嗜好的なフィルターを何重にも通過した状態のそれであって、どっちがいいとか悪いとかではなく、明らかに景色が違う。

そういうことともまったく関係がなくはないと思うんですけど、シンシナティには、ナショナル・アンダーグラウンド・レイルロード・フリーダム・センターという博物館があります。アンダーグラウンド・レイルロードとは地下鉄のことではなくて、まあシンシナティの地下鉄っていうとそれはそれでめっちゃ興味深いので各自検索してほしいんですけど、この「レイルロード」は、黒人奴隷を南部から北部に逃亡させるための、匿ったり移動させたりする人的システムで、実際に線路があるわけではないです。

この博物館はつまりそのことが学べる施設で、入場料$15には一瞬、ひるみますが、わたしにとっては価値のある出費でした。奴隷制度が、世界の拡大化にともなう経済構造の変化にかかわる問題でもあったこと。奴隷制度を描いた大きな油絵は少なく、それはそうしたものを買いたがるパトロンがいなかったからであること。アフリカにおいては、アフリカ人という統一された意識がなかったため、沿岸の部族が内陸の部族をつかまえてきてヨーロッパ人に売り付けていたこと。インディアンの一部の部族は逃亡奴隷を助けていたこと。メキシコでは黒人差別がなかったのでそちらに逃れた者もいたこと。みんな目からウロコでした。見終わってひと息ついてフロアの反対側に行くと、現代における奴隷制度、として、低賃金による搾取、児童労働、強制売春、などなどの展示がなされています。現代においては国際的な人身取り引きの犯罪ネットワークはあるのにアンダーグラウンド・レイルロードはない、とか、奴隷解放以前の奴隷ひとりの値段はいまの貨幣価値換算で400万円くらいだけど現代の奴隷的労働者の値段は$10だか$100だかだとか。打ちのめされました。

話変わって、アメリカには、ニューヨークにもサンフランシスコにも、いわゆる日本の文化系女子みたいな見た目(顔および服装)のひとはほとんどいない、というのがわたしの認識でした(内面的なことは知らない)。シンシナティでは、座席数35くらいのミニシアターで、デレク・ジャーマンの「ヴィトゲンシュタイン」を見まして、そういうとこ行くと、若干、いらっしゃるようですね。勉強になりました。映画は、英語ほとんど聞き取れなくて勉強になりませんでしたが。

英語といえば、旅行の前、10月下旬にTOEICを受験しました。たぶん13年ぶりくらい2回目。前回はわりといい点数で、だもんで今回は目標満点! とか言ってたんですがいざ受けてみると時間足りなくて答えきれなくて、旅行中に点数出てたので確認してみると、100点近くスコア下げてました。予習とかしなくて、つまりナメてたからですけど、それにしてもまったくお話にならない。旅行してて、言葉の問題で本当に困ることあるかなってのはいつも考えてますが、住むなら別ですけど、旅行中は突き詰めれば金を出して物やサーヴィスを買えればよいので、だから喋れなくてもそんな困らないのでは? と思ってます。

ただし知らないひとと話す機会は日本より多いです。金をせびるのが目的のひとに対しては無視すればよいでしょう。そうでないケースというのは、すれ違いざまに「I like your jacket!」と言われて、だからといってそれ以上なにかあるわけでなくそのまますれ違ったり。バスの中でおばあさんに、いいスーツケースねと言われたり。すれ違ったひとと目をあわせてうんうんとうなづきあったり、ときには小さくHiと声に出したり、わたしもしてましたけど、あれ、なんだったんだろう。

ニューオーリンズでは何度も、How ya doing, bro! と声をかけられました。お店のレジのひとも、Hi, how are you doing today? と言ってきます。つまり単なるあいさつであって、いちいち自分のその日の健康状態やこれからの予定を述べなくてもよいわけですが、みんなこれに対してどうしてるんだろう。ほかのひとの返事を盗み聞きすればよかったな。fine. とかgreat. とかで問題なさそうですけど。一度、言われる前にこちらからHi, how are you doing today? って言ったらどうなるか試してみたら、お店のひとも同じこと言ってきました。なんだかWho's on first? みたい……といっても昔のお笑いですから若いひとはご存知ないでしょうけど。(YouTube)

シンシナティでは3回、ライヴに行きました。ミルク・カートン・キッズ、ジャスティン・タウンズ・アール、シンシナティ・ポップス・オーケストラ。

ミルク・カートン・キッズを見ることが、シンシナティに来た目的でした。ニューオーリンズから入国、アトランタから出国と決めて航空券だけ先に買っていて、米国内の日程をいろいろ考えているところで彼らのトゥアー日程が発表になり、もともとはもっと南の、メンフィスとかナッシュヴィル滞在を予定してたところを変更して、シンシナティまで北上することにしました。数百km余計に移動するわけなので、ついでに寄るって距離じゃないんですが、バスでひと晩ならまあそんな遠くもないか……と感覚が麻痺してくるわけです。地図見てると、バス乗り継いで大陸横断してもせいぜい3日か4日のように思えてきて、だったら全然行けるよね? とか余裕かましてたところ、バスでひどい目に遭ったんだけどそれは後述。

ともあれミルク・カートン・キッズです。開演前にジョーイ・ライアンのあいさつがひとしきり。……何年間もずっとトゥアーをしてたけど今年はオフにしてほとんどライヴしなかった、そのあいだに僕にはふたり目の子供ができまして。妻とのティーム・ワークの賜物なんだけど、正確に言えば妻の功績。自分の仕事は最初のほうに、ちょっとだけ。(ここで客席から笑い)あ、あと、相方のケネスは禁煙しました。(ここで客席から拍手)

前座はサミー・ミラー&ザ・コングリゲイション。キーボード、ベース、ドラムス(リーダー)、サックス、トランペット、トロンボーン。最初はカレッジ・フォークのジャズ版みたいなこざっぱりした雰囲気だな、と思っていましたが、クレイジー・キャッツも顔負けの、笑いと音楽が批評的に融合した連中でした。2曲目くらいでいきなり、メンバーの半分くらいが客席におりてあいさつ回りを始めたり。演奏は達者で、しかしどことなくジャズの定型に対して斜にかまえてる。かと思うと、唐突に舞台上に椅子と観葉植物が持ち出され、ジョーイ・ライアンとメンバー3人によるトークのコーナーになる。そこでミラーが、オペラを見てインスパイアされてジャズ+オペラの「ジョペラ」を書いた、ジャズのひともステージで恋したりしてもいいじゃないか、と思って、と。

そのジョペラ、ホーン隊がオペラ風に「アントーニオ!」と声を高く歌ったり、ウィッグをつけたヒロインになったり、甲冑の騎士になったり(サックスの朝顔のところに馬の首の飾りつき)、それぞれの楽器でコール&レスポンス的なことをしたり。オペラのお約束として舞台上でみんなバタバタと死に、キーボードは鍵盤の上につっぷしたままで弾き続ける。その後、歌でみんなが生き返る。歌の内容は逆に、誰かが死んだ、みたいなもののようですが。それにしてもアイディアの豊富さ、演奏の確かさ、ホーン隊の振り付けの楽しさ。度肝を抜かれたし、よくもまあここまで、と思うほど笑わせてくれた。

さて、そんなド派手な前座をたっぷり1時間ほど楽しんだあとのご本尊ミルク・カートン・キッズは、まったく対照的なステージ。舞台の真ん中にマイクが1本。そこにふたりが近付いたり遠ざかったりしながら歌うだけ。滋味かつ地味なことこの上なくて、それでも圧倒的自信がみなぎっている。楽器の持ち換えもなくて、最初から最後まで同じギターを弾いてる。そのギターも、ピックアップやコードといった電気っぽいものが一切見えなくて、まさかギターも声と同じマイクで拾ってんのか? と思ったけどさすがにそうではなかったはず。今度ライヴのDVDで確認してみよう。

ミルク~はいつか日本でも見られると信じたいけど(日本盤たぶん出てないけど、ビルボード・ライヴとかで……)、彼らのトゥアーが発表される前、こっちを見ておきたい、と思っていたライヴがあって、それはジョアン・シェリーでした。ここ数作、ほんとに充実しているSSWで、今年はリチャード・トンプソンのトゥアーで前座をしたり、ウィルコのジェフ・トゥイーディのプロデュースで新作を出したりと、ブレイクの気配満々ですが、日本に来ることはたぶんないだろうから。

テネシー州の小さな町、アシンズで彼女のライヴがあることは把握していて、もともとその期間にあわせての訪米でした。テネシー州? アシンズといえばジョージア州じゃないの? と、R.E.M.やB-52'sのファンのみなさまはお思いでしょうが、テネシー州にもアラバマ州にもアシンズがあるんです。で、テネシー州のアシンズへはグレイハウンドで行けるものの、グレイハウンドのバス停からライヴ会場まで5kmくらいあって、しかも公共交通機関がない。町の中心部にはホテルもない。いや、現地に行けばなにがしかはあるんでしょうけど。もう帰ってきたいまとなっては、アメリカの田舎町の夜道を1時間歩いてもまあめったなことはあるまいと思えますが、最終的にこの計画は断念。またの機会を窺うことにします。

見なかったものの話をもうひとつ。シンシナティ滞在中、60kmくらい離れた町の街道沿いのコンヴェンション・センターで、サザン・オハイオ・インドア・ミュージック・フェスティヴァルなるものがありました。ドイル・ローソン&クイックシルヴァーや、リッキー・スクラッグスが出る、昼間から夜までのフェスで、ランチ・ブレイクをはさんですべての出演バンドが午前と午後にそれぞれ一度ずつ演奏する。つまり、半日いれば全バンド楽しめるわけで、これには食指が動きましたが、毎度毎度、例によって交通機関がない。ないというのはバス便が少ないとかでなくて、物理的に存在しないのです。フェスのページの、会場までの交通欄を見ると、車での道順が記載されているのみ。終わったあとは、シンシナティに帰るひといるだろうから駐車場でヒッチハイクすればいいとして、そもそも会場まで行けなくてはどうしようもない。したがって断念。

シンシナティ最終日の夜は、シンシナティ・ポップス・オーケストラに行きました。このオケがやってるライヴ録音の連続シリーズ「アメリカン・オリジナルズ」の第2弾です。フォスターの曲をやった第1弾(Amazon)に続いて、今回は、第1次大戦が終わり、ジャズ、ブルース、カントリーとさまざまなアメリカ音楽が輪郭をくっきりと見せ始めた1918年をテーマに、その前後の曲を演奏するというもの。

オケによる演奏だけでなく、多くの曲ではヴォーカリストがフィーチュアされてまして、その面子がリアノン・ギデンズ、ポーキー・ラファージ、スティープ・キャニオン・レンジャーズ。指揮者兼司会のジョン・モリス・ラッセルの見事な場づくり、ヴォーカリストが出てきて無駄な間がなくすぐに始まる演奏、そしてなによりもオケとゲストのパフォーマンスの質の高さに感心しました。

たまにクラシックのオケや現代音楽を聴きに行ってだいたい毎回思うことは「音が小さい……」なんですけど、このオケは音がでかい! PAを使ってるからという以外にも、名前が如実に示すとおり彼らはポップスのオーケストラであって、ポップスやロックに味付けとして加わるタイプの管・弦とは、コンセプトが違うんです。ジャズやブルース表現も巧みにやりますし、その気になればロックも余裕でできるだろう、そんなオケ。

リアノン・ギデンズを生で聴くのを楽しみにしてましたけど、彼女の2枚のソロ作はどうも優等生っぽい印象で、キャロライナ・チョコレイト・ドロップス『ジェニュイン・ニグロ・ジグ』で受けた衝撃には遠く及ばないなと思ってました。実際聴いてみてもやはりそうで、もちろん今後も音源は追っかけますけど。そして、休憩時間にパンフレットを読んでたら、彼女の曲に、バーミングハムでの爆弾事件を題材にしたまさに「バーミングハム・サンデイ」というタイトルのものがあると書いてあり、そうだ、そういえばそうだった、と思い出しました。

アメリカ音楽の豊穣さそのもののようなコンサートは、観客に合唱させての「アイ・エイント・ガット・ノーバディ」で幕を閉じ、わたしはクロークに預けていたスーツケースを引き取ると、暗い夜道をグレイハウンドのターミナルへと向かいました。

(つづく)

☆写真
・アマゾンの実店舗。なにか売ってるわけではなく、買ったものの受け取りや返品のためのステーション
・ミルク・カートン・キッズ
・路面電車
・ケンタッキー側から望むシンシナティ
・ケンタッキー州ラトニアのフィルズ・レコーズ

☆その他の研修
その1:ルイジアナ州ニューオーリンズ
その2:アラバマ州バーミングハム
その4:ジョージア州アトランタへ
その5:チリ
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by soundofmusic | 2017-11-28 00:35 | 日記 | Comments(0)