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よ う こ そ 

よ う こ そ _d0000025_241186.jpg東京・渋谷で隔月開催されているノンジャンル系うたものDJイヴェント「Pure Pop For Now People」などに関する情報のブログです。

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*最近の更新*
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*PPFNP Vol.136* New!
日時:2025年04月12日(土)18時~22時
会場:渋谷エッジエンド
料金:1000円(1ドリンク&おみやげ付き)←Price up!
DJ:森山弟(弟)/森山兄(兄)/ほか

*黒の試走車<テストカー>*
☆2007年ごろから毎月第1土曜日に開催されておりましたノンジャンルイヴェントでした。2019年03月をもって走行を終了しました。長年にわたるご乗車、どうもありがとうございました。

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# by soundofmusic | 2010-12-31 21:56

2024年のグッド音楽

2024年のグッド音楽_d0000025_23265632.jpg遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。正月恒例の、2024年のグッド音楽です。

【概況】
2024年はCD131枚、レコード156枚の計287枚を購入。2023年の総枚数が391枚でしたから、前年比27%減。このくらいの量だと、買ったものすべて、最低2~3回は聴けるので健康的な気がします。メディアごとの割合は、CD46%、LP54%。2022年から3年連続で、アナログのほうが多くなりました。買うのは依然として安レコ中心で、とはいっても30年前にハンターの100円コーナーでよく見かけていたような定番レコもいまでは380円とかするんだよなあ、とか思いながら買っていたことはあった気がします。そうした安レコで精神的な節約(*)をして、たまに1000円以上のものを清水の舞台から飛び降りるつもりで買う、そんな繰り返しでした。
*安レコだろうが買えば確実に金は減るので節約には一切ならない。レコ屋には行かない、買わない、考えない。これが唯一の節約方法。

安レコ安レコって、じゃあ単価はどれくらいなのかと思ってざっくり計算してみると、2024年の1年間、音楽(盤の購入、ライヴのチケットとドリンク代、DJイヴェントの入場料など)に使ったのは約41万円。そのうち、盤の購入は23万~25万円だと思われます。それを購入枚数の287で割ると、単価は約800~870円。まあそんなもんなんでしょう。意外と普通ですね。

1年間通して売却について考えていた年でもありました。実際に処分できたのはCD4枚、LP70枚。処分といえば、気付けばもう15年くらいの付き合いになる澤山さんが、もうすぐ癌で死ぬから断捨離したいというので2回にわたってご自宅を訪問し、さも人助けですよみたいな表情でLP約30枚、CD約40枚を意地汚くもらってきたのもいい思い出です(その後、死の淵から生還なされました)。

長年レコードを買っていると、わたしのような者でも、思いも寄らぬとき・ところで、想像もしていないようなものが買えたり、もらえたりすることが、ごくまれにあるもんです。若い頃は、そういう幸運は誰かほかの人の身にしか起きないと思っていましたが(モンキーズ「アイム・ア・ビリーヴァー」みたいな)、振り返ってみるとそうでもない。これからもレコードとのいろいろな出会いがあるといいなと願っております。

【グッド・アルバム】
以下、2024年のグッド・アルバム12枚。並びは買った順。

◎:Champaign『How 'Bout Us』(1981年/CD)
◇:大工哲弘『蓬莱行』(2002年/CD)
●:Bella White『Just Like Leaving』(2020年/CD)
▲:柴田聡子『ユア・フェイヴァリット・シングス』(2024年/CD)
■:Luther Vandross『Never Too Much』(1981年/LPおよびCD)
△:O.S.T.『レーサー(Winning)』(1969年/LP)
≠:ランタンパレード『ランタンパレード』(2005年/CD)
§:ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス『ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス』(1976年/LP)
▽:優河『ラヴ・デラックス』(2024年/CD)
□:Ferrante & Teicher『In A Soulful Mood』(1974年/LP)
◆:Karen Carpenter『遠い初恋(Karen Carpenter)』(1979年~1980年録音、1996年リリース/CD)
▼:Al Jarreau『Glow』(1976年/CD)

コメント。

◎:Champaign『How 'Bout Us』
のっけから冒頭最初に書いておくと、今回選んだ12枚のうち8枚は近所にあるディスクユニオン池袋店で購入したものです。とはいっても、ここの店舗が飛び抜けて品揃えがよいとかではなくて、ユニオンの各店舗およびオンライン倉庫上にある中古品の在庫を検索して、もしくはウォント・リストに登録していた品が出品されるや否や確保して、ここに取り寄せて、買っているため。取り寄せ費用はかからないこともあって、2024年に購入したうち約100枚は、そうしたお取り寄せ品でした。ずいぶん楽(あるいはズル)させてもらっているなあと思います。

昔は、とはいってもここで言う「昔」とはせいぜい4~5年前のことですが、空き時間ができるや否や、あるいは(約束をドタキャンする、もしくは電車が遅れたのでとウソをつくなどして)空き時間を作ってユニオンの実店舗に行って棚を見ていたものですが、最近はすっかりそういう機会も減りました。とはいってもそうした店舗受け取りの際、店内を見ないのかと言われるとそんなこともなく、気になるコーナーだけささっと見たりはしています。棚を見ると何がいいかっていうと、これはいくらでも強調したいのですが、探していないものが見つかる(見つかってしまう)のです。よく映画なんかで、昔気質の刑事(署内でのあだ名は「おやっさん」)が、データ重視派の若い刑事(「おい、パソコン」などと呼ばれたりする)に向かって、捜査は足でするもんだ、なんて小言を言ったりしますが、レコード探しもまったく同じです。

当たり前ですがユニオンに限らず、ひとつのレコード屋に置いてある音楽の現実を全部把握している者はいません。若い頃は不遜にも「この店には買うべきものは何もないな」と思ったりしていて、それは半分正しくて半分間違っている。リスナーとしての経験値とスキルが上がれば、どんな店でも楽しく買い物ができるはずなのです、原理的には。わたしはその域にはまだまだ遠いですが。

探していないものとは、単純に探していることを忘れていたものの場合もありますし、知らないつもりだったけど手に取って見てみたら以前どこかで紹介されて気になっていた盤だったりとか、あるいはピンと来て試聴してみたくなったりと、こうして書いてみると高度でさまざまな脳の動きがおこなわれていますね。もちろんいちいち意識しながらやっているわけではない。

このCDはたぶん、ソウルの「C」のコーナーから何の気なしに引き抜かれたはず。その瞬間、580円という(わたしが気軽に買える範囲の)値段がまず目を惹き、ひっくり返して見てみるとオリジナル・リリースは1981年、1991年にソニーから出た国内盤CDだとわかりました。というか正確には、帯のない背表紙の青丸と、グループ名およびタイトルのフォントで、当時のソニーのものであることは目視できていましたが。当時の定価は1800円(消費税3%込み。アベ政治を許さない)。そういえばこの頃、ソニーは積極的にナイス・プライス系の再発(世界初CD化もちょくちょくあった)をやっていましたが、当時のわたしは黒人音楽にまったく接していなかったので、このグループ、このアルバムについては、2024年のこの瞬間まで完全に未知だったはず。さらに、1990年代のフリー・ソウル的価値観にいまだに強く影響を受けている(毒されている)耳の持ち主としては、1981年頃のソウル・ミュージックなんてものを面白く感じられるようになって興味の射程範囲内に収めるようになれたのは、ほんのここ数年だと思います。

行きがかり上、わたしと黒人音楽のかかわりについて書いておきます。20歳頃まではほとんど耳にしておらず、チョッパー・ベースや、フィラデルフィア・ソウルの甘美なストリングスは死ぬほど嫌いでした。23歳からジャズの勉強(ディスク・ガイドにしたがっての各種名盤の購入と聴取)を始めたため、そこで自然と黒人音楽についても意識する流れになり、そのうち、ある種のゴスペルが身体にフィットすることに気付きました。また、いわゆるソウル音楽については、1970年代前半のニュー・ソウルが入口になりました。1990年代半ばの渋谷系、フリー・ソウルのリスナーで、同じような経験を持った人も多かったはず。ところでこの先いろいろ具体的な年代への言及が出てくるはずなので前情報して触れておくと、わたしは1973年生まれです。

で、たとえば1990年代半ば、いわゆるガチな(という言い方はまだなかった)ソウル・ファンではない若者に人気のあったミュージシャンとして、リロイ・ハトスンがいました。最近は名前を目にすることもなくなったのでもう聴かれなくなったのだと思いますが、そのハトスンに対して、たしか鈴木啓志が「近頃再評価されているみたいだがヴォーカルが弱すぎてダメ」みたいにどこかで書いていました。それこそ若くて意気盛んだったわたしは、彼の推している(という言い方はまだなかった)往年の王道のソウルなどはロクに聴いてもいないのに、この老害野郎め(という言い方はまだなかった)、と反発を感じていたものです。いまから数年前、ということは21世紀になってからの話ですが、何かの拍子でそれを思い出してハトスンを聴き返してみると、鈴木啓志の指摘は完全に正しかったです。反省します。

なかなか話が進みませんが、とくに先を急がずに続けてみましょうか。たしか1990年代後半~2000年代前半の頃、森山弟の中学だかの同級生である野中くん(モッズっぽいバンドをやっていた)と話していて、1976年~1977年くらいまでのソウルは聴ける、1978年以降はキツい、みたいな意見で意気投合したことがありました。ほんとに我ながらどうでもいいことを覚えているなと呆れてしまいますが。これはおそらく、ディスコを受け入れられるかの話と関係してきます(この話題はまたあとで出ますので覚えておいてください)。で、当然2024年となっては、「ディスコ? 最高じゃん!」なノリなので、そうした「分水嶺」はいくらか後ろというか未来というかこちらというか、最近の側に移動してきています。だいたい1982年~1983年頃を稜線に見立てて、そこに立って見降ろしてみると、片方は遠くの平原から徐々になだらかな斜面が隆起してきていて、大小さまざまの起伏に豊かな植生が息づいている。任意の場所を望遠鏡を使って拡大して見ると、こんなところにもこんなものがあったのか、いつか行ってみたいなと新たな発見と希望がそこかしこにある。晴れていれば陽射しはぽかぽかと心地よく、雨の日もそれはそれでしっとりとした風情の中にまた違った景色が見える。反対側はといえば、無機質のデジタルな荒野に寒々とした風が吹きすさんでいて、抽象的な建造物が立ち並んでいる。1秒たりともこんなところにはいたくない。……わたしにとってソウルの分水嶺はそれくらい極端なものなのです。

ちなみに、2021年のグッド音楽で、スティーヴィー・ウッズ『テイク・ミー・トゥ・ユア・ヘヴン』(これも1981年)について、「翌年(82年)のアルバムはほぼ同じくらいの感覚で聴けるものの、83年の作品はエイティーズ感が強く感じられ、試聴しただけでやめてしまいました。」と書いていました。偶然ながらシャンペーンについてもほぼ同じでして、次作に当たる1983年度作『モダン・ハート』はこのアルバムを買ってすぐに入手して、まあまあ気に入ったのですが、その次のアルバム(1984年)は試聴しただけで見送ってしまいました。

さて、ようやくシャンペーンのこのアルバムの話に入れそうです。1981年度作品ですから、2024年時点の感覚でいえば、ソウル・ミュージックのいちばん美味しかった時期、とすら言いたくなるほどで、全体にモダンでプラスティックな感覚をまといつつも、人間が演奏して歌っている感じが確実かつ充分に聴き取れるところがいちばんの面白みです。CDのライナーノーツでは松尾潔が、「雑多な音楽性がギッシリ詰まっており、それらがかなり危うい均衡の上に成り立っているといった印象がある」と書いているとおり、アース,ウィンド&ファイアー風のコーラスに泣きのギターがからむ「アイム・オン・ファイアー」、ワム!を先取りしたかのような「イフ・ワン・モア・モーニング」など、とっちらかったと言われてもしかたのなさそうなヴァラエティなんですが、聴いていてまとまりのない印象は受けません。ジャケットには表・裏ともメムバーの写真は載っていないためわからないのですが、人種も性別も混合の7人組だそうで、我の強いメムバーがいなかったか、あるいはプロデューサーが有能だったのでしょう。そのへんが当時としては良くも悪くもつるっとした印象を与えたのかもしれませんね。リリース当時にリアル・タイムでこれを聴いていた若者たち、あるいは1950~1960年代からソウルを聴いていた往年のファン、そうした人たちの思い出話を聞いてみたいです。

ここで4000字近く書いてしまったせいで、すでにいま12月29日。このペースで行くと全部書き終わると3月くらいになってしまう。しかし音楽にまつわる思考を吐き出すのも年に1回なので、なるべく漏れのないよう、思いついたことは全部、脱線をもいとわず書き残してみましょう。

◇:大工哲弘『蓬莱行』
名前だけ知っていた気がする沖縄のミュージシャン。彼のミルトン・ナシメントのカヴァー「トラベシア」が2024年になって7インチ・シングル化されたのですが、そのニュースを目にして、へぇそんなものあるのか、と検索して、もともとはこのアルバムに入っていると知りました。で、ディスクユニオンの在庫取り寄せ機能を使って購入。1500円。えっ旧作の中古盤に1500円も出したの、と言われそうですが、2枚組なので。

このアルバムを買ったのが2月で、3月にはジョーさんに沖縄行きを誘われ、10月には浅草で大工哲弘のライヴを見て(そのときのことはここ)、11月には3年ぶり2度目の訪沖をはたしました(そのときのことはここ)。一応、気持ちの準備として6月には沖縄を題材にした演劇「ライカムで待っとく」を見て、同じ日に嘉手苅林昌のベスト盤を買っています(まだちゃんと聴いてない)。ほかにも、書籍「オキナワミュージックカンブリア ラジオが語る沖縄音楽50年」を図書館で借りて読んで、知らないことばかりなので新鮮な驚きを覚えたり、池澤夏樹が沖縄の出版社・ボーダーインクから出した「沖縄への短い帰還」を図書館で借りてきて、読み始めてすぐ、すでに読んでいたと気付いて返却したり、しました。またここ数年、沖縄や中国に詳しいオフショアの山本佳奈子さんと交流する機会があり、わたしなりにいろいろと刺激を受けてもいます。

そんなこんながありつつも、自分と沖縄の距離はとくに縮まった感じもないのですが、自分のルーツの一部が南西諸島である事実(父方の祖母が奄美大島の南部の貧村の生まれ)は、大人になってから折に触れて意識するようになりました。また、それがどこであろうと、船に乗って島に行ったりするのは地味に好きです。2025年もまた沖縄に行く機会がありそうな気がしますし、旅行といえば2025年はわたしの愛してやまない無職期間が発生するので、シチリアかプエルト・リコに行ってみたいなあと思っているところです。

島については以前からひとつ疑問を持っています。それは、いったいどのくらいの大きさの島になると、住んでいる人間は心理的な閉塞感や限界を感じなくなるのか、ということ。たぶんいまこの文章を読んでいる人のほぼ全員は島にいると思いますが――と言われて、えっ、と意表を突かれるとしたら、閉塞感を持っていないからでしょう。日本の本州以外の島だと、北海道の人は内地に対する明確な意識(閉塞感でなくても)があるような気がしますが、四国の人なんか、どうなんでしょうね。自分の住んでいる土地について、都会に対する田舎、とのイメージは持っていたとしても、行き場のない島にいる、みたいな気持ちはなさそうです。九州もそうでしょう。シチリアはどうだろう。沖縄本島と比べると、人口は3倍、面積は20倍。パレルモの人口は那覇の倍で、何日か歩いてみた限りでは堂々とした大都会で、たいていのものはあるように見えました。

で、なんでしたっけ……『蓬莱行』について触れていませんが、先ほど挙げたライヴの記事の中で、言いたいことはだいたい全部書いてあるようです。沖縄に実際行った上での補足はとくにないのですが、那覇で宮崎さんと飲んでいるときに、この先に与儀公園といういい感じの公園があってハッテンバになっている、と聞かされ、その翌日にはジョーさんの運転するレンタカーでちょうどその脇を通り、この公園には詩人の山之口貘の碑があってそこにホームレスが立ちションしてる、と聞かされました。

その後、これは東京で、北海道出身の中野さんから聞いた話。中野さんが子供の頃、ラジオか何かでたまたま、大工哲弘の歌う「生活の柄」(山之口貘の詩に高田渡が曲をつけたもの)を聴いて、「歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで草に埋もれては寝たのです」という歌詞に驚いたのだそうです。たしかに北海道では、野宿=凍死でしょうから。日本は広いですね。

●:Bella White『Just Like Leaving』
カナダ西部、アルバータ州カルガリー(1988年に冬季オリンピックがおこなわれたもんで、名前だけは知ってる)生まれで、いまは米・テネシー州ナッシュヴィルに拠点を置いているらしい、カントゥリー系のシンガー・ソングライター。これがホワスト・アルバムです。どこかで紹介されていて知って、ディスクユニオンのウォント・リストに入れていました。何度か中古が出てきたもののなかなか安くならなくて、1400円で出たところをすかさず確保。

広義のアメリカーナものにはうっすらとした興味があるので、月遅れでだいたい毎号図書館で借りて読んでいる「ミュージック・マガジン」などで、よさそうに紹介されているそれ系のアルバムがあると、即座に試聴はするようにしています。基本的にもう、余計なレコードは1枚たりとも買いたくなくて、と同時に、よいものであれば何枚でも買いたいのが正直な気持ちです。だから試聴するときはそれなりに疑り深い耳でやってますし、我が家のPCのスピーカーはほんとにただ音が出ますよってだけのものなので、よっぽどよくない限りは買いたいとは思わされないし、思わないように注意もしています。

これは試聴してすぐに気に入って、買ってからも、9曲入り30分のコムパクトさもあってよく聴きましたが、何か新しいところがあるのかといわれると困ってしまう。素材はまずなんと言っても本人の歌とギター、そこにマンドリン、フィドル、ウッドベース、それにコーラス。穫ってきた素材に余計な手を加えず、最低限の味付けをして、よくなじませて和えただけ。ベースのドライヴ感がいいスパイスになっています。ジャケットは、目をつぶった本人の横顔の、陰影が強調されたモノクロ写真が枠に縁取られているもの。これ、録音している途中で思ったよりも名盤になるのがなんとなくわかって、それでもってクラシックな雰囲気のジャケットにしようとしたんじゃないかな。

そういえばギリアン・ウェルチのホワスト『リヴァイヴァル』(1996年)ってこんな感じじゃなかったか、と思い出していま試聴してみたら、当時はシブすぎて何が何だかわかるまでに数年かかったあのアルバムのほうが、だいぶ派手で、凝ったつくりにすら聞こえるので驚きました。思えばあのアルバムのジャケット写真は、クラシックというよりは、昔のある時代におけるコンテムポラリーなイメージの再現なので、やっぱりベラ・ホワイトとは発想が逆向きだと思います。

衝撃冷めやらぬうち、セカンド『アマング・アザー・シングス』(2022年)も泡食って買ってみたものの、こちらはあんまり好きになれませんでした。ドラムスが入って大きなプロダクションになっていて、となるとそれに応じて声も張り上げなくちゃならない。単純に、こういうのは負の連鎖なのではないか、と思えてならないのですが、カントゥリーは別に個人の趣味ではなく、アメリカ音楽産業の大きな一部ですから、そこで活動を続けていくにはそうするしかないのかな。

変なたとえですけど、ラヴ・サイケデリコのホワスト『ザ・グレイテスト・ヒッツ』(2001年)を聴いたとき、これはたしかに衝撃作だけど、わたしとの関係においてはこの先どうなるみたいなあれにはならず、これはこれ、で終わるんだろうなあ、との感想を持ったものでした。実際、そうなりました。ベラ・ホワイトもこれからどのような活動を何年くらい続けるのかわかりませんが、好きなのはこのホワストだけ、となりそうな予感はしています。

ところで2024年にはもう1枚、素晴らしいフォーク系の新人のアルバムに出会っていて、クリス・ブレイン『バウンド・トゥ・ライズ』(2023年)がそれ。英・ヨークシャー州の出身だそうで、「現代のニック・ドレイク」なる、にわかには信じがたい売り文句がそれほど嘘でもフカシでもないと思わせる実力派です。イギリスと北米のフォークの恐ろしいほどの違いも、この2枚を聴き比べるとよくわかる気がします。惜しむらくはブレインのこのCD、薄手の紙ジャケの質感があまりにもチープで、音楽自体の印象を明らかに損ねている。LPも出てるので(実物は目にしてませんが)そっちを買うべきかもしれませんし、サブスクで聴けばそんなこと気にならないわけですが。個人的には、ジャケットがダサいから聴きたくない、となる経験はあまりなかった気がするので、「CD全体のデザインがチープなせいで聴きたくならない」という自分の心の動きを面白く感じているところです。で、いま調べたら、わたしの買ったもののほかに、通常のゲートフォールド・タイプの紙ジャケも存在しているそうです。ややこしいな。買い直したい。

▲:柴田聡子『ユア・フェイヴァリット・シングス』
定価で新品購入。3300円かあ、と思うと躊躇してしまうわけですが、ちょうど楽天から1500円分のクーポン(しばらく買い物してないようですがしてみませんか? というやつ)が届いていたため、それを使用して実質1800円で入手。前々作『がんばれ!メロディー』(2019年)までは、発売から1年くらい待てば中古で1500円以下くらいで買えていたのに、前作『ぼちぼち銀河』(2022年)はまったく値崩れしなくて、未入手です。

普通、人気が出るとたくさんの人がCD買って、そのうち一定数は手放されて中古市場に流通するはず。そういう思想に基づいていろいろやってきたのがこれまでの自分なのですが、もう時代は変わったわけですね。柴田聡子はライヴのチケットも取りづらくなってきていて、とすると、ライト層はサブスクでの聴取+ライヴ参加、ガチ層のみがフィジカル購入してて、ガチ層なので手放さない、そんな状況なのかなと想像します。当然、その状況に合わせて、プレス数も少なくなってきているはず。

ここ数年顕著になってきている、話題になった輸入盤の中古での出回らなさ、かつ、出てきたとしても値段が高くて買う気になれない問題も、原因は同じでしょう。本国でのプレス数の少なさに加えて、円高と日本国内での売れ行き予想の冷え込みとがコムボになって、確実に売れる量しかそもそも入ってきてない。新品の輸入盤を1800円出して買うのが嫌だから1000円になるまで待っていたのに、いまでは新品が2600円、中古で出ても1800円とかでは、いつまでたっても買えやしない。わたしのやってきたような購入活動は、自分個人の経済状況のみならず、日本全体の景気にも左右されているのだなあとあらためて思わされました。アベ政治を許さない。

またしてもどうでもいい(本当はどうでもよくない)戯言を長々と書いてしまった。2012年にホワストが出て以来、本作はフル・アルバムとしては7枚目だとか。ワンピースが似合いそうな素朴なサブカル・ガールだったのが、最近はすっかり都会派の、ワインとかに詳しそうな、垢抜けてシュッとした……とここまで書いて、1986年生まれ、現在38歳の(これはわたしの妻と同い年なのですが、それはそれとして)女性を形容するうまいフレーズが見当たらない。中年? おばさん? 女子? 艶女(アデージョ)? どれもしっくりこない。なのでまあ、そのまんま「女性」と言っておきましょうか、その女性の現在の姿への変化の予兆は『ぼちぼち銀河』でも窺えましたが、本作を聴いてしまうと、もう元には戻れない地点を通過してしまったとはっきりわかる。

『ぼちぼち銀河』にはまだ残っていた「バンドによって補強された弾き語り」な感じは、本作ではすっかり消え失せていて、もともとこういうバンド・サウンドとして突然この世にあらわれたのではないかと錯覚したい気にさせられます。もちろん、そう思えるのはいまの時点からの後知恵な部分も大いにありますが。そしてさらに、柴田は2024年10月には『マイ・フェイヴァリット・シングス』なるアルバムも出していて、これは、2月に出た本作を柴田ひとりでほぼ弾き語りに近い形で全曲再録したもの。しかしもちろん、初期の素朴さの面影はそこにはない、というか、形を変えています。

プロデュースとアレンジは、柴田自身と岡田拓郎が共同で手がけています。9月に優河の『ラヴ・デラックス』が出たとき、柴田聡子と優河とクレイロ『チャーム』がわたしにとって2024年の音になるだろう、と予言しました。優河のほうは岡田が単独でプロデュースしていますし、柴田にも優河にも、岡田のいたバンド「森は生きている」のメムバーだった谷口雄、増村和彦が関わっているのでなんとなく重ねてしまったのですが、何度か聴き込んでいくうちに、この2枚は別に似ていないなと気付きました。どちらのアルバムでも岡田たちが、SSWとそのバック・バンドというレヴェルを越えて、普通ではなかなかあり得ないくらいの親密な関係を築きあげているのは同じで、しかしその親密さの種類が違うんですよね。たとえて言うなら、優河のほうはシェアハウスか部活の合宿での雑魚寝、柴田聡子のほうはフリーアドレスのオフィスでのプロジェクト・ティームとか「七人の侍」みたいな感じかな。適当にでっち上げてみました。

ところで、まだ買えていないクレイロのアルバム(7月リリース)については、1年後、2025年のグッド音楽の記事で触れられたらと思っています。しかしもちろん先の話なので何がどうなるかはわからない。今回は国内盤もリリースされて、出回っている数自体は前作『スリング』(2021年)よりだいぶ多そうです。さすがにあと数か月以内にはわたしにも買える値段にまで値下がりしてくれると期待。そういえばいつだったか池袋駅で、ジンジャー・ルートを小太らせたような男がクレイロのTシャツ着てて、これは2024年に目撃したTシャツ・シチュエイションの中でもベスト級だったな。

■:Luther Vandross『Never Too Much』
4月、横浜の澤山さん宅の整理に行った際の行きがけの駄賃としてもらってきた約30枚のLPの中の1枚。作業手順としては、部屋中を埋め尽くしたCD、LP、本、録画したDVDなどをとりあえず発掘して、澤山さんに検分してもらい、いるものといらないものとに分別。いらないものの中からわたしとひじかたさんがそれぞれ好きなものを持ち帰り、残りは処分してそのお金を澤山さんの闘病資金に充てる。まあ言ってみれば崇高で人道的な行為です。

澤山さんとはもう10年くらいか、ちょくちょく一緒にDJをやる機会があるので、そのときどきの新しい好みと、若い頃から変わらずに持ち続けているのであろう芯みたいなものと、両方をなんとなく見ている気がしますが、家に行って数十年の蓄積を覗くのは、それとはまた違った面白さがありました。たとえばストーンズ関連のものがほぼない! とか。

澤山さんはデヴィッド・ボウイやフュージョンはお好きで、ご自分でもベースを弾かれますから、ボウイの『ヤング・アメリカンズ』でバック・コーラスを務めていたシンガーのソロ・デビュー作、しかもマーカス・ミラーが全面参加、となればリリースと同時に即買いしていても不思議ではありません。わたしはどう思っていたか? 正直、彼については名前しか知らず、1990年代にレコード屋でバイトしていた時代に見たジャケの印象から、ブラコンね、と思い込んで、決めつけて、聴かずに過ごしてきました。ブラコン=聴かなくてもいい音楽、との刷り込みはその後も強く、しかし自分が20代の頃にそのレッテルを貼って敬遠していた音楽と、近年好んで聴いている、アップデイトされたソウル・ミュージック=モダン・ソウルとは、実態としては重なる部分がかなりある。でもそのあたりが直感的に納得できない。だから、20代の頃に存在を知らなかったシャンペーンはモダン・ソウルとして気持ちよく聴けても、すでに名前(だけ)を知っていたヴァンドロスに辿り着くのにはものすごく時間がかかってしまったわけ。

そういえば澤山さん宅からは、書籍「U.S.ブラック・ディスク・ガイド」(1991年)ももらってきたんでした。リロイ・ハトスン載ってるのかなといま調べてみたら、アルバム『ラヴ・オー・ラヴ』だけが紹介されていて、「彼はダニーにもカーティスにもなれなかった」とそっけない。書いているのはもちろん鈴木啓志。ではシャンペーンはどうだろう、と索引をあたってみると、こっちは、載ってすらいなかったです。

デビュー作とはいいながらも、この時点ですでにプロとして10年近い芸歴があり、セッション・シンガーやいくつかのプロジェクトのヴォーカリストとして多くの仕事をこなしてきているだけあって、ぽっと出な感じは皆無。満を持してという形容がふさわしい、堂々たるアルバム。リズム隊も弦も管もさりげなく洗練されていて、出しゃばっていない。歌を引き立てることに注力しています。ディスコ以降に黒人音楽は何をすべきか、何ができるのを、たぶんスティーリー・ダンあたりも参考にしながら考えてみたのでは、と推測したら的外れでしょうかね。7曲中6曲が自作で、ラストがバカラック=デイヴィッド作「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」。もともとはディオンヌ・ワーウィックが歌っていたのだと思いますが、このカヴァーは彼女のものをはるかにしのいでいます。まさに必殺、としか言いようがない。

もらったLPを何度も聴いて気に入ったので、その後、CDも購入しました。ディスクユニオンの在庫検索で455円。

△:O.S.T.『レーサー(Winning)』
わたしが「遠征」の概念を初めて知ったのはまだその言葉はなかった1988年、なにかの音楽雑誌の読者のお便り欄ででした。福岡から大阪まで布袋寅泰のライヴを見に行って(いま調べたら、11月15日に大阪城ホール公演があったようです)、新幹線の時間の関係で30分しか見られなかったけど幸せだった、といった内容でした。覚えている自分もどうかと思いますが、そんなことをする人がいるのか! と衝撃だったのでしょうね。その後、大人になってから、自分でもロンドンまでモーズ・アリスンを見に行ったり、メキシコまでマルレン・フツィエフを見に行ったりするようになりましたが、それでも、東京で見られるものは東京で見ればよろしいい、わざわざ交通費や宿泊費をかけて遠隔地まで行くのだったらそのお金でいろんなレコードを買ったほうがよい、これがわたしの基本姿勢です。

とはいえ、その原則はちょくちょく破られています。いちばん最初は、札幌に行ってみたくて、酒井俊のライヴがある日程に合わせて訪札したときかな。山下達郎のライヴを大宮や宇都宮で見たのは遠征にはカウントしないとしても、去年はジョー長岡や阪本正義を見に那覇や札幌にも行ってる。

2024年5月には、長野県原村にオウガ・ユー・アスホールを見に行き(これはフェスなので、遠征とはちょっと違うかも。感想はここ)、神戸にすずめのティアーズを見に行ったので、すっかり遠征が好きな人みたいな状態になっていました。もっとも、わたしの場合、ライヴそのもののためよりも、行きたい土地に行くための口実としてライヴを利用するようなところがあって、神戸行きも、前述の山本佳奈子さん(神戸在住)との打ち合わせも兼ねていました。で、京阪神地区の軽登山環境に興味があるので、このときも神戸の翌日に芦屋に行って高座の滝まで歩いて戻ってきて、その日は大阪市内に泊まり、翌日、箕面を歩いてきました。箕面までは梅田から阪急で30分くらいでしょうか、そこから5分も歩くと山の入口になるので、大阪の人がうらやましい。箕面大滝は迫力があって素晴らしかったです。

なかなかレコードの話にならないなと思っている人もいるでしょうが、箕面駅から登山口に向かう短い道には商店がいくつも並んでいて、もちろんそういう場所ですから観光客向けの飲食店やおみやげ屋が大半であるところに、なぜか突然ひなたブックという名前の古本屋が1軒あり、店頭には中古レコードも並んでいました。頭が完全に山歩きモードになっていたので軽く動揺したものの、帰りに見ればいいやと冷静な判断を下し、山を歩いてからまた駅に戻ってくる途中で、立ち寄ってみました。

こんなところにあるわりに、と言っては失礼ですが、ざっと見た感じでは古本の品揃え、値付けともしっかりしていて、レコードも数は多くないものの値段も法外ではなく、洋楽は日本盤が1000円とかが中心価格帯だったかな。その中に日本盤帯なしを500円で発見したのがこれ。知らないサントラでしたが、音楽デイヴ・グルーシンとあったのでネット試聴してみて、すぐに購入。店を出て中身を確認するためにヴィニールから出すと、店の前の道の木から落ちてきたのでしょう、杉の葉が入っていました。ちなみに、普段行かない店や遠隔地で購入した際は、店を出た直後に必ず中身の確認をするのを習慣づけています。違っていたときに(ごくまれにある)返品しに行けないからです。あと、箕面駅から登山口までの道には、猿が出ます。そんなシチュエイションでのレコ買いはなかなかできないはずで、貴重な経験でした。

グルーシンの音楽、なんとなく耳にしてきた以外で意識的に聴いた記憶があまりないのですが、イージー・リスニング~ソフト・ロック的な美と、いわゆる渋谷系以降の耳をも惹き付けるヒップなフックとを兼ね備えていて、なかなかよいですね。とくにベースの扱い方が(この当時の)新世代っぽく、同時期のポピュラー音楽の空気と共振するものがあります。ピアノを弾いているのは本人でしょうか、美しい。

世代的な話をすると、第二次大戦後の映画音楽にモダン・ジャズの語法を持ち込んだ最初の世代はヘンリー・マンシーニ(1924年生まれ)、佐藤勝(1928年生まれ)、黛敏郎(1929年生まれ)、武満徹(1930年生まれ)あたりになると思います。グルーシンは1934年生まれなので、たしかにひと世代、若い。1932年生まれがラロ・シフリン、ミシェル・ルグラン、フランシス・レイ。1933年生まれはクインシー・ジョーンズ、ジョン・バリー。グルーシンと同い年の1934年生まれの音楽関係者としては、レナード・コーエン、ロバート・モーグ、前田憲男がいます。どうです、なんとなく何かが見えてくる気がしませんか? まあ、そういう風に見える人たちだけ選んだわけなのでそれも当然で、それよりも、ペンデレツキとリーバー&ストーラーと一柳慧とオノ・ヨーコが、クインシーやジョン・バリーと同い年っていう事実のほうが、想像が広がる気がします。

そういえば坪内祐三に、同い年生まれである正岡子規・尾崎紅葉・斎藤緑雨・夏目漱石・南方熊楠・幸田露伴・宮武外骨について書いた「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」って本があって、あれは面白かったなあ。これを書いている今日、1月5日はたまたまわたしの誕生日(1973年生まれ)なので、たとえば「1973年の時代精神(ツァイトガイスト)」みたいな本を書くとしたら、ナズ、ボブ・サップ、金城武、イチロー、深津絵里、浅野忠信、GACKT、クリス・デイヴ、鼠先輩、野中モモ、宮沢りえ、ジョージ・フロイド、稲垣吾郎、なんかが出てくるはず。最近では生年を公表しない・公表していてもバイオ的なところに積極的に載せない人が多くなっていますが、人間の思想って、いつ・どこで・どの程度裕福な家庭に生まれたかで90%は決まるものなので、とくにポピュラー文化との関わりについて発言する場合は、自分の年齢はおおまかにでも明らかにしておいてほしいよなあといつも思います。2024年の紅白歌合戦をきっかけに巻き起こった、1990年代にB'zに対してどういうイメージが持たれていたかみたいな話にしても、その視点なしでは焦点がぼやけてしまうでしょう。とまあ、こういう時事ネタも、すぐに何のことだかわからなくなってしまうものですが。

グルーシンの話からだいぶズレたので最後に元に戻すと、わたしがこのレコードを買った2週間後におこなわれた藤井風のアメリカ・トゥアーでは、曲の一部としてこの映画のテーマ曲「500マイルズ」の一節が演奏されたそうです(もちろん偶然)。

≠:ランタンパレード『ランタンパレード』
2004年にデビューし、これまで多数の作品をリリースしてきていて、名前は知っているけど聴いた覚えはなくて、どんな音楽なのかのイメージも持っていなかった人。経験上、そういう人の音楽をいまさら聴く機会はほぼなくて(あったらとっくに出会ってるだろうから)、もし聴いたとしても気に入る確率はほぼゼロなのですが、たまたまツイッターで名前を見かけ、そういえばどんな音楽なんだろうと気まぐれを起こして試聴してみたら何かの間違いで気に入ってしまい、ディスクユニオンの在庫検索で取り寄せて購入。680円。これはセカンドですが、前年リリースのホワストも同じセルフ・タイトルド作で、ジャケットも色違いなだけでデザインは同じ(ホワストは紫、セカンドは黄色)。こういうことをされると途端に、どれを聴いたらいいのかわからなくなって億劫になるのでやめてほしいですね。

ランタンパレードは、もともとはハードコア・パンク・バンドで活動していた清水民尋(ヴォーカル、サムプラー)によるソロ・ユニット。一度ランタンパレードになってからも、バンドっぽい音楽性になっている時期もあるようです。いまのところ聴いているのがこのアルバムだけなのでそこについてだけ言うと、サ厶プリングで組み立てたトラックに、フリーフォームな心象風景を乗せたストリートの詩人といった感じ。サムプラーやターンテーブルなどの簡易で比較的安価な機材と人間の衝動とでできたヒップホップについて、パンクの精神性を引き合いに出されることがよくありますが、いままでそれがわかっておらず、頭では理解していても直感として納得できていなかった。でもこれを聴いたら、すとんと呑み込めました。

サムプリングされている元ネタの趣味には、それこそ渋谷系や、インテリ・ファンクであるア・トライブ・コールド・クウェストに通じる幅広さや雑食性があり、でもその手つき・心性は荒々しく、徹底してささくれだっている。むしろ、印象はフライング・リザーズなんかのほうに近い。

ここに収録されている「甲州街道はもう夏なのさ」は、大貫妙子「くすりがたくさん」を大胆に使用していて、歌詞カードにはこの曲についてのみ、サムプリングしている旨の表記があります。ほかの使用音源についても知りたいですね。「待ち人」のイントロのギターは、シャザムしてみたらサリフ・ケイタだと判明しましたが。ところでサムプリングって書くとダムプリングみたいですし、サムプラーと書くとナムプラーを思わせます。こりゃ今日の夕飯はタイ風餃子かな。

さて、この項の最初に、名前は知っているけど聴いた覚えはない、と書きました。訂正します。2024年の年末、ジョー長岡が札幌のホールでワンマン・ライヴをやると聞きつけ、多少なりとも集客に貢献しようと遠征しました。その際、狸小路のシアター・キノで、藤野知明監督の映画「どうすればよかったか?」を見ました。内容に触れると長くなるのでここでは省略しますが、監督は札幌生まれで、自分の家族を扱ったこのドキュメンタリー映画にも、明示はされないものの北海道の景色が映っています。そういえば北海道の家族ドキュメンタリーの系譜があるよなあ(そんなものはない)と、しばらく見ていない只石博紀「Future Tense」や、封切りで一度見ただけで再見する機会に恵まれていない岡本まな「ディスタンス」を思い出していましたが、そこで、ずっと家の中に貼ってある「ディスタンス」のチラシをふと眺めると、この映画の音楽を手がけているのがランタンパレードなのでした。

さて、2024年といえば、前述の澤山さんやひじかたさんなどと一緒に参加している(現在は休止中)DJイヴェント「レ・ビブラシオン」で誰かがかけていた檸檬「解かれて消えた」(試聴)には、ランタンパレードに似て非なる衝撃を受けました。何度も試聴して、そのたびに、現代思想用語でいう脱臼ならぬ、膝カックンさせられるような展開に半笑いになってしまったのですが、買うには至っていないのは、自分で所有していたい欲よりも、イヴェントでこれ回したらウケるだろうなと、そういう邪念のほうが先に立ってしまうからかもしれません。それにしてもこの檸檬って人たち、知ってる人います?

§:ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス『ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス』
そういえばこれも、「レ・ビブラシオン」で耳にして知ったレコード。かかっていたのがどの曲か忘れましたが、ストリングスとコーラスのあしらいがいかにも1970年代のドラマの劇伴でありそうなもので、日本人の琴線にここまで絶妙に触れてくるディスコ・レコードがあるんだなあ……と感心したものでしたが、調べてみるとなんのことはない、筒美京平による変名のプロジェクトでした。そりゃ日本人の琴線に触れるわけだよ。その場ですぐにディスクユニオンの在庫検索で発見、発注。680円。

こんなとき、以前は一応、家に帰ってから検索~試聴~発注、みたいな段階を踏んでいたのが、この頃では堪え性がなくなってきていて、2024年は、桜田淳子『熱い心の招待状』、草刈正雄『ファースト』『セカンド』を、まだイヴェント会場にいるうちにディスクユニオンに注文しています。ほかにもあったかもしれない。

このグループについて、筒美京平が本気で取り組んだディスコ・プロジェクト、と評されているのをどこかで読みました。その形容の裏には、あれだけ長年にわたって膨大な数の曲を書き、ヒットもさせてきたような人間は、決して何かを本気で好きになったりはしないだろう、との凡人の思い込みがあるような気がします。たぶん筒美氏にとっての「本気」や「好き」の定義が、われわれ凡人のそれとは異なっているだけなのだと思いますが。

アルバム1枚だけを残したこのプロジェクトで、筒美氏はジャック“ドクター・ドラゴン”ダイアモンド名義で作曲を手がけています。表記がありませんが編曲も、でしょうね。演奏者も記載がなく、糸居五郎による解説には、演奏メムバーは曲ごとに異なるが国内のトップ・ミュージシャン、とだけあります。ウィキペディアによると、後藤次利(ベース)、鈴木茂(ギター)、林立夫(ドラム)、矢野顕子(キーボード、コーラス)らだとか。そう言われてから聴いてみると、なるほどたしかにここは林立夫だな、と思える瞬間もある。まあそれも気のせいかもしれません。

ディスコって結局なんだったのかと考えてみると、歌手のない歌謡曲でありソウルのないソウル・ミュージックであり、つまりは徹底して反(あるいは非)キャラクター音楽であること、がその本質だったのではないかと思いました。坂本慎太郎は「ディスコって」で、♪ディスコに君は期待しない/ディスコも君に何も求めない♪と歌っていますが、そのくらいでいいんですよ。音楽でも映画でもアニメでも、いまとにかく何がいちばん重視されているかっていうと物語でもなく映像や音のテクスチャーでもなくキャラクター、そしてそのキャラクターとの生の経験、ですよね。はっきり言って異常ですし、全部間違っていると思っています。そんなに人間を好きになってどうするの。

そもそもディスコ本人がどう思っていたかは別にして、歌の匿名性(歌はあってもなくてもよく、誰が歌っていようがそんなことは誰も気にしない)は結果的に、いろんな国からさまざまな山師たちが参入できる可能性を広げてくれましたし、究極的には演っているのは人間でなくてもいい。音楽を作っている人間のキャラクターを過剰に重視する傾向の何がいけないのかというと、それはつまり、芸能事務所の付け入る余地を与えることだからで、長年にわたるジャニーズ事務所の性加害問題も、秋元康(自体の)問題も、つまりはそういうことなんじゃないですかね。ジャニーズ事務所はディスコから何も学んでいない。

過剰な人間重視の風潮が大きな生んだ害悪のひとつが、ファンダム内での監視や牽制で、ディスコのいいところは、誰もそんなものを本気で好きになる者はいなかった点にあります。外部からは絶え間なく攻撃を受け続けていながら(ディスコ・デモリション・ナイト、ザ・スミス「パニック」など)、結束したファンダムがそれに立ち向かうとか、「これは正しいディスコではない!」とディスコ警察を結成したりするとかは、決してなかった。みんなただ踊りに来て、夜が明けたら三々五々帰って行く。こんな素晴らしいことがあるでしょうか。ふたたび「ディスコって」の歌詞を引くならば、♪ディスコは君を差別しない/ディスコは君を侮辱しない/ディスコは君を区別しない/ディスコは君を拒絶しない♪のです。

平山三紀や郷ひろみの替えの利かない人間の声を愛した筒美京平が、ヒット曲を量産する能力・権力を笠に着て、芸能界のドンとして振る舞うような「人間」でなくてよかったなあと思います。ところでよく、英米には歌謡曲はない、というか、日本のような芸能事務所主導の芸能界はない、と言いますが、本当なんでしょうか。わたしにはどうしても、そういう状況が想像できないんです。

▽:優河『ラヴ・デラックス』
柴田聡子同様、定価で新品を購入。3300円。たしかタワレコでポイント20%のときに買った気がするので、実質的には600円引き。わたしはこの、ポイント制度によって顧客を囲い込もうとする思想、およびそれによって自分の行動が左右される状況が嫌いなので、なるべくそうしたものと関わらずに生きていきたいと思っています。普通に値引きセールしてくれよ。

購入する立場としては、前作『言葉のない夜に』はリリースからちょうど1年後に1601円で買えたけど、今作はなんか変な特殊パッケージだし、メジャーからのリリースとはいえそんなバカ売れはしないだろう、1年たっても1500円以下で買える機会はなさそうだ、という打算と予測に基づいての新品購入でした。レコードの値段って買う前はあれこれ考えて、100円でも安いほうでと東奔西走するのに、いったん買ってしまうと、ぜんぜん気にならなくなるんですよね。あれほんと、不思議でなりません。

新品で買おう、と思った理由はもうひとつありました。6月に、折坂悠太(バンド編成)との対バンがあったのですが、そのときにこのアルバムの発売がアナウンスされて、優河が「ネクラのためのダンス・アルバム」と紹介していたからなのでした。このキャッチ・コピーは強烈だった。

で、その日のライヴをたまたま見ていた妻が、優河with魔法バンドについて「バンドの人がいろいろやっていた」と、ざっくりとしていながら的確なコメントをしていたのが忘れられません。魔法バンド(岡田拓郎、千葉広樹、神谷洵平、谷口雄)は『言葉のない夜に』の時点でも、単にSSWとそのバック・バンドという域を超えて、作・編曲のレヴェルまでがっつり作品に食い込んでいましたが、そのがっぷり四つ・一心同体度は、ここにきてさらに進化・深化しています。いつだったかライヴを見ていて、音楽的に似ているとかではなく、ニール・ヤング&クレイジー・ホースを想起したこともありました。

まだ聴き込んでいる途中なので、これからいろいろと面白い景色を見せてくれるアルバムだと思いますが、最初に聴いていて耳を惹かれたのは、ラスト曲「泡になっても」のエチオ・ジャズっぽいピアノのフレーズでした。へえ、谷口雄、こんな感じのプレイもするんだ、と思いながら最初に戻ってもう1回聴いてみると、1曲目「遠い朝」にも、エチオ度は低めですがやはり似たようなアルペジオが使われている。そして聴き進めると、2曲目「ドント・リメンバ・ミー」の細分化されたリズムと間奏のペラペラ・ギターもどことなくアフロっぽいし、7曲目「香り」も砂漠のブルーズ感がある。こう書くといかにもアフロ・サウンド一辺倒なSSWのように思われるかもしれませんが、それはこの作品の魅力のごく一部で、傾きを変えて別の方向から眺めてみればまた違った光が放たれるはずです。そもそもアフロ・サウンド一辺倒なSSWなんて、日本にはたぶんいない。

2024年の新譜でここに入っていてもおかしくなかったものとして、オウガ・ユー・アスホール『自然とコンピューター』があります。彼らは外部とはほとんど交流していないように見える独自の活動を続けながら自分たちの音楽をひたすらに掘り下げているわけですが、そんなストイックなおしくらまんじゅうのようなオウガと、不定形で縦横無尽な岡田拓郎たちと、わたしにとっては両方ともが同じくらい強烈にバンドっぽさを感じさせてくれるのだから不思議です。「バンド」にはまだまだやれることがいくらでもあると思っています。

□:Ferrante & Teicher『In A Soulful Mood』
最初のほうで、近年ではもうディスクユニオンに行ってもじっくり時間をとって店内をくまなく見るような探し方はしていないと書きましたが、在庫検索~店舗受取にした品を近所のディスクユニオン池袋店で買う際、店内を見て回ることは当然、あります。これはそんなときにソウルのコーナーで見かけて買ったもの。880円。

このピアノ・デュオについては名前しか知らず、イージー・リスニングっぽい作品を多数リリースしている人たち、くらいのイメージしかなかったのですが、あとで調べてみるとふたりともジュリアード卒で、初期にはプリペアド・ピアノっぽい作品も出していたそう。このアルバムは1974年という時代と、アルバム・タイトルから想像できるように、同時代のソウルやファンクのヒット曲を中心にした作品。

これこそまさに「歌のない歌謡曲」。2台のピアノとオーケストラが、ときに冗談かと思うくらい華麗にきらびやかに、当時のソウル系のヒット曲を歌いあげています。さながら音のシャンデリア。商売上のカテゴリーとしてはあくまで心地よく聴き流されるための音楽であり、派手なブレイクがある曲は多くないものの、たとえば「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を始めとして、一度ベース・ラインの動きに耳が行ってしまうと、ついついそこから目が離せなくなる。演奏者のクレジットはありませんが、ジャズ~ソウル系の凄腕ステューディオ・ミュージシャンの誰かに間違いないでしょう。「ブレイク・アップ・トゥ・メイク・アップ」のオーケストレイションなんて、ピチカート・ファイヴの『カップルズ』と『ベリッシマ』のいいとこどりのようでもある。

A面とB面の最後に1曲ずつ入っている、フェランテ&タイシャーの自作曲も聴きものです。A面は当時のカンフー・ブームに乗っかったとおぼしきワウ・ギターの利いた「ホンコン・ソウル・ブラザー」。B面はゴージャスなオケが印象的な「アーリー・モーニング」。

プロデュースを手がけているのはジョージ・バトラー。そういえば同時期のブルーノート(この頃は、本作のリリース元であるUAの傘下に入っていた)のソウル・ジャズ路線の作品でよく名前を見かけていた気がします。バリー・ホワイト、ギャンブル&ハフ、アシュフォード&シンプソン、スティーヴィー・ワンダーといったいかにもな人たちの曲に混じって、ジャズ・ピアニストのデューク・ピアスンが書いたゴスペル曲「クリスト・リデンター」が採り上げられているのは、そのへんの縁かもしれません(その時期のブルーノートのピアソン作品では、自身でのプロデュース作が多く、バトラーとピアスンの直接のからみはなさそうですが)。

この分野に詳しいわけでもないのに軽率に断言するならば、ソウル系のイージー・リスニングとしては最高峰のひとつ。音楽なんて、わざわざ順位をつける必要はないので、同率1位が100枚あったって別にいいんですよ。この人たちの全貌を把握するなんてとても無理でしょうが、ほかにも面白いアルバムはありそうなので、探すでもなく気にしてみるつもりです。

◆:Karen Carpenter『遠い初恋(Karen Carpenter)』
カーペンターズが活動していた時期はまだ子供でしたのでリアル・タイムでの懐かしさはなく(無意識レヴェルで耳にしてた可能性は高い)、ただし1990年代半ばの大規模なリヴァイヴァルはよく覚えています。なぜあれが起こったのかについてはときどき不思議に思うことがあったものの、いま調べてみるとなんのことはない、当事者による種明かしがここに載ってる。1997年には、カレンはもう亡くなっていたのでリチャードのソロによる来日公演が武道館でおこなわれてもいて、お客さん入るのかなあと余計な心配をしたのを覚えています。

ただ、日本国内のみならず、1994年には、レッド・クロス、マシュー・スウィート、ソニック・ユース、少年ナイフなどが参加したトリビュート盤『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター』が出ているので、アメリカでもなにかあったんでしょうね、その頃。ここに収録されていた、ソニック・ユースによる陰鬱な「スーパースター」は当時とても新鮮でした。数年後には日本の中谷美紀がやはり「スーパースター」をカヴァーしており、そのときは、なんだよこれ、ソニック・ユースの解釈と一緒じゃん、と思ってしまいました。ただしいま聴き直すととくに似てないので、当時の言いがかりについて公式に謝罪したいと思います。

そういう時代を過ごしつつも、カーペンターズの音源はたぶん1枚も持っていないまま50歳を過ぎてしまいました(例のトリビュート盤はおそらくまだ持ってる)。2024年、彼らのアルバム『ラヴラインズ』がAORテイストであるとどこかで聞いて、興味を持って試聴して、買ってみました(380円)。このアルバムのリリースは1989年で、いま調べるとカレンの死後に出た3枚目の作品だそう。ところでこの記事には「いま調べると」が多いですね。書きながら勉強させてもらってます。それはさておき『ラヴラインズ』、録音自体はカレンがまだ生きていた時期におこなわれていて(当たり前)、うち4曲は、1979年~1980年に録音されて未発表だったカレンのソロ・アルバム用の曲をリミックスして収めたものだとわかりました。

で、そのソロ作は1996年になってようやく正式にリリースされますが、それがこの『遠い初恋』です。メルカリで400円(送料込み)。帯はついていなくて、レシートがはさまっていました。1998年、このCDが日本橋の東急(現存せず)の山野楽器で新品購入されたときのもの。当時は消費税率5%でしたね(アベ政治を許さない)。

カレン・カーペンターの不幸は、おそらく本人の人間性と声とのあいだの大きな乖離に由来していて、本人はたぶんドラッグとかもやってたヒッピー娘で、ドラムがめちゃくちゃうまかった人なわけですが、なにしろあの声ですから。1970年代のアメリカの癒しアイコン、近所の素朴なお嬢さんみたいな扱いになっちゃったのもやむを得ない。

このアルバムは、リチャードの睡眠薬依存の治療のためにカーペンターズとしての仕事がなかった1979年に録音されたもの。フィル・ラモーンのプロデュースのもと、マイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』の録音メムバーがそのままぞろぞろとこちらのセッションに移動してきたそうです。ボブ・ジェイムズ、スティーヴ・ガッド、リチャード・ティー、ラルフ・マクドナルド……まあ名前はこのくらいでよろしいでしょう。

ラモーンの狙いは、カーペンターズのようでないサウンドにすること、歌詞に成熟味を出すこと、だったそう。イメチェンを試みて失敗する人は古今東西あまたいるところ、これは大成功の例ですね。カレンの声がAORを歌ったら……なんて、いままで自分では一度も思いついたことなかったのに、いざ聴いてみると、もっと早くにこんなアルバムができていてもよかったのではないか、と思ってしまいます。聴きながら、ついつい竹内まりやの顔が浮かんできます。声質というか、声の性格みたいなものが似ているんだと思います。どちらも、オールディーズっぽさとAOR感を兼ね備えているというか。

国内盤解説で小倉ゆう子(ゆうこりんとは別人)が、「サウンドは古めかしいけれど、80年当時リリースしていればある程度の支持は得られただろう」と書いているのに意表を突かれますが、1996年の時点での感覚としてはそんなもんだったんでしょうね。いま聴けてよかったです。映画なんかでも、2000年頃の映像がいまいちばんキツい。見れたもんじゃないです。そうしていったんアウトになったもののごく一部が、場合によっては再びインになり、そのうちまたごくわずかのものがクラシックとして登録される。

どんなレコードもあわてて買ったりせず、そうして古典として確定するまで待っていれば余計な金と時間を使わずに済みますし、話題のものに踊らされて腹を立てたりもしなくて済むのですが、逆に言えば、そんなつまらない音楽の聴き方もそうそうない。お金と気持ちの余裕の許す限り、くだらないものを買ってみたり思い出してみたりすることが、その人の教養の分厚さを裏打ちするのですから。

たとえば……と例に出すのもめちゃくちゃ失礼ですが、つい数日前、ツイッターで「今、tetrapletrapを知って衝撃を受けている」という投稿を見て、なんだろうと思って検索して、初めてそういうグループ?の存在を知りました。試聴してみると、とくに知らなくてもよかったなとは思うのですが、こういうものは一度知ってしまうと、忘れるのは難しい。

▼:Al Jarreau『Glow』
アル・ジャロウに興味を持った記憶はとくになくて、これもまたイヴェント「レ・ビブラシオン」で誰かが、彼のホワスト『ウィ・ガット・バイ』をかけていたのがきっかけ。おっいいじゃん、と思って脳内のウォント・リストに入れました。それからディスクユニオンに行くたびに、こんなもんどこにでもあるじゃろう~と誰でも言いそうなダジャレを頭の中でリピートしながら探していましたが、意外と見つからない。あってもLP880円とか。やっぱりこの手のものは安く買えてこそなので。いま「買えてこそ」と書いて、そういえば見てないけど「生きてこそ」って映画があったっけ、原題「Alive」をこう訳すのはうまいよなあ、と思って調べてみると、これを監督したフランク・マーシャル、監督よりもプロデューサーとして有名な、古くは「ペーパー・ムーン」から新しくは「ツイスターズ」まで、質・量ともにとんでもなく充実した仕事をしている人でした。

さて、この話からアル・ジャロウへはとくにつながらないです。この『Glow』は彼のセカンドで、邦題は直訳で『輝き』。これはディスクユニオンの在庫検索ですぐ見つかりました。380円。

ジャロウといえば声を自在に操る特異な歌い手との印象があり、このアルバムだと、ジョビン「おいしい水」での鬼気迫るスキャットや、ジャロウの声だけの多重録音でできた自作曲「ホールド・オン・ミー」は、たしかに異様な凄みを見せつけてくれます。それと同時に大きな魅力なのは、超タイトな演奏に乗った、いかにもこの時期らしいカヴァー曲の数々。冒頭を飾るレオン・ラッセル「レインボウ・イン・ユア・アイズ」と、ジェイムズ・テイラー「ファイアー・アンド・レイン」は、とくに名唱だと思います。レオン・ラッセル、みんなこぞって採り上げる「ディス・マスカレード」のよさがわたしにはまったくわからなくて、桑田佳祐感のあるこうした路線のほうがはるかに好きですね。

録音には、ラリー・カールトン、ジョー・サムプル、ウィルトン・フェルダー、ウリー・ウィークス、ラルフ・マクドナルドなどが参加しています。このへんの人たちって、ほんとによく見かける安定のメンツです。一体、延べにして何千枚くらいのレコーディングに関わってるんでしょうか。そんな中、「レインボウ~」のヴォーカル編曲としてニック・デカロの名前があるのがちょっと珍しい。プロデュースをしているのがトミー・リピューマ&アル・シュミットなので、たぶんリピューマが呼んできたんでしょう。

映画でも音楽でも、監督なりミュージシャンなり、「才能」とみなされる人たちがいて、彼らがいい仕事をしたりなんとなくくすぶってたり、何年も作品を世に出さなかったり、とは言ってもどこかで何かをして生活をしているはずなので「消え」てはいなかったり、するのを、見ることがあります。そうした浮き沈みの陰には、その才能を盛り立てたり支えたりする役割を果たしている人がいて、なんにしても「自然」にできるものなんて、ない。「産業ロック」「セル・アウトした表現」「コマーシャル路線」「売れ線に走る」などの形容をわたしもときどき、悪い意味で使ってしまいますが、そういうロック文化の悪影響からはもう、完全脱却したいところです。いまの若い人はそうしたくだらない考え方とは無縁で生きているのでしょうからそのまま進んでほしいものですが、それは同時に、プロモーションやブランディングやマネジメントといった、必ずしも創作と相性がいいわけではない、本来はプロに任せるべき作業も、自分でやらないといけない状況と表裏一体なんですよね。それはそれで困難な時代だと思います。

さて、気を抜くとついつい真面目な話をしてしまうので、最後もダジャレで〆ておきますか。この記事を書くためにAl Jarreauと打って、彼の名前の「Al」(エー・エル)って「AI」(エー・アイ)と見間違いやすいな、と思いました。美空ひばりの試みのように、亡くなった彼を最新技術でよみがえらせたAI Jarreau(エーアイ・ジャロウ)が見てみたい。もっとも、いかにもこういうダジャレが似合いそうなのは、同じ「Al」でも、ヤンコヴィック(まだ生きている)のほうかもしれませんが。

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【その他のグッド】
単独の曲で印象に残ったもの。順不同。

・桜田淳子「わたしの広告」(YouTube)
・かとうはつえ「陽気な訪問者」(YouTube)
・ミン・ヘギョン(민해경)「그 사람이 좋더라」(YouTube)

桜田淳子は、これまた「レ・ビブラシオン」で誰かがかけていて、あまりの異様さに衝撃を受け、その場ですぐにアルバム『熱い心の招待状』をディスクユニオンに注文しました。この人の音源を買うのは初めて。

かとうはつえは、もうすぐ期限が切れるので何かで使わないといけないヤフー・ショッピングの1000円分のクーポンがあり、こういうときは日用品とかを買えばいいのでしょうけど、これでCD買えるのでは? とうっかり気付いてしまい(余計な気付きの多い1年でした)、ヤフーの中のレコード屋をいろいろ見て回っていましたが、そのクーポンが使える店が限られていて、なおかつ、あまり高価なものを1000円引きで買うよりは、なるべくこれによる出費を避けたい、できたら送料込みで1001円とかがよい、と何時間も検索に費やしてしまいました。なるべく安く買えるものを探すその過程で、それまでまったく知らなかったこの人について知ったので、人生、何が幸いするかわかりません。1978年だか1979年だかにリリースされ、2022年に初めてCD化されたアルバム『カスケード』の冒頭曲。しゃきっとした演奏とアンニュイな歌の完璧なコンビネイション。

ミン・ヘギョンも2024年に知った歌手です。前述の箕面に行く前日、ディスクユニオン大阪店で、松田聖子『ウィンディ・シャドウ』のパロディ・ジャケのLP『ニュー・ミュージック』を見かけ、1500円はちょっと高いかなと悩みつつも、一期一会だと思って買いました。聴いてみると、ジャケの印象ほどにはキラキラなアイドル・ポップスではなく、むしろ自分にとっては日本の歌謡曲を相対化して眺めるための補助線になりうるような内容でした。この曲はそのアルバムではなく、11月に台北で1200円くらいで買ったLP『Vol.2』に収録。こうした歌謡ファンクは韓国のほうが日本より進んでいるんじゃないでしょうかね、なんとなく。いま調べたらこの人、閔海景(ミン・ヘイギョン)名義で日本デビューもしていました。

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最後に、お正月おなじみのこの企画の過去分をご紹介いたします。

2023年のグッド音楽
2022年のグッド音楽
2021年のグッド音楽
2020年のグッド音楽
2019年のグッド音楽
2018年のグッド音楽
2017年のグッド音楽
2016年のグッド音楽
2015年のグッド音楽
2014年CDグッド10
2013年CDグッド10

# by soundofmusic | 2025-01-08 23:28 | 日記

Pure Pop For Now People Volume 135

Pure Pop For Now People Volume 135_d0000025_23270369.jpg
2025年01月11日(土)18時~22時

渋谷エッジエンド
(03-5458-6385)
地図。

1000円(1ドリンク&おみやげ付き)←値上げしました

DJ:
AYM
Sivca
森山弟(弟)
森山兄(兄)

・AYM(アユミ)(写真1段目)
子供の頃はラジオばっかり聴いてる子でその頃から色んな音楽に興味を持ってました。バンド活動やHIPHOPのビートメイキングしていた時代を経て、数年引き篭もりみたいな状態でいた所、ある友人の「この店でDJしなよ!俺がイベント打つから、そこがデビュー戦」の言葉にまんまと乗っかって気が付けば12年位経ったところです。

・Sivca(シヴカ)(写真2段目)
21世紀初頭、上京。多感な時期に触れたRockを胸にHip-HopとSoulの魅力にLockされ、渋谷を中心にDJ活動を開始。グッドミュージックを信条に、ノリとパッションとうしろめたさを詰め込む全環境パーティ対応型DJ。選曲レンジはJazzからAnimeまで、多様なスタイルとビールを飲み込み、世界中の音楽・文化、過去と未来を縦断し、日々拡大している。ビール片手にビートを紡ぐ様は、もはや生きる屍。近年はJazzバンドとのセッションパーティContactや、毎度LIVEアクトを迎えて開催するConnected(奇数月第一土)など精力的に活躍を行い、今に至る。

ライヴ:nchst(写真3段目)
東京を拠点に活動するギタープレイヤー。自身で制作したトラックにギターを重ねるスタイルでライブパフォーマンスを行い、トーキングボックスを駆使したサウンドが特徴。主にDJパーティーでのライブパフォーマンスを行い、DJとの交流を通じてジャンルやスタイルを超えたコラボレーションを実現している。また、祐天寺のmusic bar & studio Apt.にて、マンスリーイベント「Force Hour」を主宰。

どうも、森山兄です。年末でみなさまお忙しいであろうところ、告知によるお目汚し失礼します。なにしろ今年もあと半月、ばたばたしているうちに終わってしまいますし、新年は個人差はあってもたぶんこんな感じでしょう?→元旦は初日の出と初詣、2日は箱根駅伝(往路)観戦、3日は箱根駅伝(復路)の展開が気になりつつもディスクユニオンの初売り(*)なので福袋を買いに行かなくちゃだし、4日5日は陰鬱な気持ちで過ごして6日が仕事始め&初トラブルの来襲、7日と8日はそのリカヴァリーに時間をとられて、9日と10日でようやく落ち着いて、となると、すぐに1月11日になってしまうじゃないですか。
*吉祥店のみ1月2日から営業だそうです。大変な混雑が予想されますね。

28年目を迎える弊イヴェント、2025年も1月・4月・7月・10月の第2土曜日、いつもの渋谷・エッジエンドでお待ちしている予定です。どうぞいまのうちに手帳にお書き込みください。

なお、いままでの弊イヴェントのセットリストはこんな感じです。どうぞご参考になさってくださいませ。

(Visual by Hotwaxx)
# by soundofmusic | 2024-12-14 23:27 | PPFNPイヴェント情報

秋の東アジア・トゥアー

秋の東アジア・トゥアー_d0000025_23305668.jpg気が付くと知り合ってもう20年くらいになるジョー長岡さんから、那覇でライヴをやるから見に来ないかと誘われた。何年か前にも同じ誘いを受けていて、そのときは都合がつかなそうで断わってしまったので、今回は二度目の正直、二つ返事で応じてみる。ついでにそのまま台湾と香港を回るコースを組み立てた。このつなぎならではのグルーヴが生まれるとの予感は漠然とあったものの、実行してみるまではどんな風に面白くなるかは見えてこない。それをたしかめるため、というとつまらなそうだけど、ともかく、那覇は3年ぶり2回目、台湾は1年半ぶり10回目、香港は7年弱ぶり2回目。変わったところと変わってないところを見るのを楽しみに、8泊9日の旅のはじまり。

準備した持ち物。何年か前まで、インターネットの常時接続なしで海外旅行したりもしてて、前回の香港もそうだった。さすがにもうそこを我慢するのも嫌だし、いまはルーター借りたり返したりしなくてもSIMを入れればいい時代なので、そうする。台湾と香港(ほか東~東南アジア各国)で使える8日間用のSIM、ヤフー・ショッピングで、送料込み1950円。半額のクーポンが適用されて半額になり、さらに期間限定の1000円分のクーポンがあったのでそれも使って、完全ゼロ円になった。そんなうまい話ある? と思ったけど、あった。

台湾は日本と同じコンセントなので準備はいらない。香港は形が違うので、変換アダプターがいる。前回は持っていかなくて宿で借りたけど、300円くらいなので、買って持参する。

持っていかなかったもの。その1、雨傘。傘は持っていったり持っていかなかったりしている。持っていかない場合のほうが多い。機内持ち込み用のキャリーケースには折りたたみ傘しか入らないし、わたしは折りたたみ傘が大嫌いなので。今年の夏は日傘と雨傘兼用の折りたたみ傘を買って使っていたので、だいぶアレルギーは薄れたものの、後述の理由で持っていかなかった。結局、雨にはほぼ降られなかったので正解。

その2、髭剃り。昔は仕事に行く前に必ず剃っていたわけだけど、コロナ禍のある日、考えてみたらマスクしてたら見えないんだから毎日剃る必要ないよな、と気付いた。職場はいまでもマスク着用なので、そもそも普段も3日に一度くらいしか剃っていない。帰国する頃にはかなりワイルドな感じになったものの、別に誰とも会わないのでこれでよい。

○沖縄
1日目。早く着く便がよかろうと、羽田6時半発、那覇9時半着の便にしたら、さすがに早過ぎた。3時50分に起床、4時半に家を出て、始発から2本目の山手線に乗る。がんばった甲斐あって、10時半には那覇のホテルに荷物を置いて、身軽になって歩き出していた。

歩き始めてすぐに、ああ、建物と植物、こんな感じだったわ、と前回の記憶を取り戻す。白がちょっとくすんだような、コンクリート打ちっぱなしみたいな建物の質感と、いつも見ている関東のものとは明らかに異なる木々の濃密さ。

前回は石敢當ばかり目に付いていたけれど、今回は見えるものが違った。民家やその他の建物を守るシーサーがやけに目に入る。ライオンズマンションの前にいるのもライオンではなくシーサーなのだった。そしてライオンズマンション自体が、至るところにある。東京にも、こんなにあちこちにあるんだったっけ?

対馬丸記念館を見学。いろんな映像が見られるモニターで、30分ほどの沖縄戦のドキュメンタリーを見る。沖縄から本土に向けて出発した疎開船である対馬丸がアメリカの潜水艦によって沈められたのが1944年の8月22日。その年の10月10日に那覇が大規模な空襲を受けたことは、このあいだ大工哲弘のライヴで知ったばかりだ。アメリカ軍による沖縄侵攻は、単に対日戦の一部分というだけでなく、戦争終結後の冷戦構造下での東アジア地区での展開(防衛? 勝手な都合? 対ソ作戦?)を見越しておこなわれていたとの説明があり、沖縄を中心にした地図が示され、同心円が描かれる。普段意識することのないその地図を見ると、たしかに沖縄が東アジアの中心であってもおかしくないし、東京は東のはずれでしかない。

レコード屋は2軒寄って、3枚。前島のミュージック・パンチ・レコードと、栄町の飲み屋街の中のグッド・ミュージック・レコーズ。そういえば栄町のこのあたりにあったのが沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校で、ここの生徒たちがひめゆり学徒隊になった。ひめゆり記念館は沖縄本島の南部にあるのでなんとなくそっちのほうにあった学校なのかと思い込んでいたけど、日本軍と一緒にそっちに追い詰められていったからそうなのであって、高等教育は那覇近辺でおこなわれていたのは、それはそうだろう。地理を知らないとこうした勘違いをしてしまう。

もう1軒、前回の訪沖のあとにできた新しいレコード屋、ボンボヤージも行ってみた。グーグル・マップスには営業時間の記載がなく、お店のインスタグラムにも載っていない。街を歩き回りながら3回くらい通りかかってもシャッターが閉まったままで、しびれを切らしてインスタ(使ってるの?って思うでしょ? 飲食店の予約にしか使ってません)のメッセージを送ったら、今日明日は休みですと返信があった。

夜、久茂地のバー、ルガンボで、阪本正義、ジョー長岡、木村鉄太郎、木戸蔵之介(年齢順、敬称略)のライヴ。組み合わせは木村&木戸、ジョー&木戸(最後の2曲は木戸に代わってルガンボのマスターがギター)、阪本&木村。木村のみ沖縄在住で、ほかの3人は東京でちょくちょく見てるので、正直、新鮮味はそんなにないだろうなと予感していた。でも覆された。場所が変わるとお客さんの反応もこちらの気分も変わる。音楽を味わうとは、つまりその気分の微妙な差異に耳を澄ますことなので、だから、沖縄で聴けてよかった。お店のガンボも美味しかった。

6年くらい前に東京から沖縄に移住した友人の宮崎さんともひさびさに再会する。宮崎さんと飲むと、素面のうちは普通に話ができていたのが、アルコール摂取量があるところを超えると急に話がわからなくなる瞬間が毎回あり、それを「ゾーンに入る」と呼んでいる。この日は宮崎さん、すでに飲んでからルガンボに来たそうで、だから最初からゾーンにいる状態だった。

ライヴの終わったあと、店の外で立ち話をしていると、ボンボヤージの店主もそこにいた。ライヴはもう1セットあるとのことだったが、宮崎さんと旧交をあたためるべく飲みに行く。最近はよくカラオケ・スナックに行くそうで、わたしは自分ではその類の店には行かないし、連れて行ってもらうこともないので、後学のために行ってみる。2軒はしご。2軒ともハイボールが美味かった。しかしハイボール、そんなに味なんて違わなそうなのに、あの美味さはなんだったんだろう。

スナックでは歌いたい宮崎さんが「今夜はブギー・バック」や、薬師丸ひろ子を歌って、自分は聴いただけ。しかしあとになって思うと、こういう状況では、やっぱり、何か歌うべきだったよな。1時近くに安里駅近くで宮崎さんと別れ、ホテルに戻る途中で、ルガンボから戻ってくる阪本さん、めぐさんとばったり会って驚く。長い1日だった。

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2日目。ジョーさんが借りたレンタカーで出発。那覇の中心街から10キロくらい離れた中城村にある、CD屋(これが店の名前)へ。モノレールの終点から1時間歩けば着くし、那覇からバスもあるから、ひとりでも行けるとはいえ、車のほうが楽でいい。レコードとCDのスペースは小さくて、併設された古着ゾーンのほうが充実してたけど、なんだかんだで3枚買う。台湾のシンガー、李雅芳のLPなど。明日から台湾なので気分を先取り。せっかく沖縄に来たのなら地元のものを買うのがいちばんなのだろうけど、まだわたしの耳はその段階に至っていない。ただし沖縄もののコーナーがある店ではそこを見て、なるほどこんな感じなのか、と感じをつかんでみる。馬鹿みたいな言い方をすると、レコードを買うってのは結局そういうことなのだ。沖縄ではレコード計6枚購入。

那覇市内に戻って阪本さん、めぐさんも合流。昼食後、読谷村の座喜味城跡へ。ここも那覇から25キロくらいあって、自分では来ない場所。途中で街道の脇に広がる普天間と嘉手納の基地を見ることもできたし、昨日の対馬丸記念館で見たドキュメンタリーで、米軍の沖縄本島への最初の上陸地――もちろん日本軍も、はいそうですかではどうぞ、と簡単に上陸させたわけではない――として、読谷の名前は記憶に刻まれたばかりだった。

遠く海を望む丘の上の城跡は、といっても石垣しか残っていない。足を踏み入れて、昔、もう20年以上前にウェールズで見た城跡が頭に浮かぶ。ただしそれを具体的に思い出したのとは違う。ヤマトの城とは別物なんだな、というぼんやりとした直感が、その記憶を呼び出したのだと思う。

那覇に戻って、国際通りで宮崎さんと落ち合う。今日はゾーンに入る前とあと、両方が見れるかと思ったら、すでに日中から飲んでいたそう。まあいいや。何年後かにまた会いたいね。

今日も4人のライヴ。場所は牧志駅近くのバー、寿来。ビルの4階で、カウンターの奥の大きな窓からは、目の前を左右に行き来するモノレールが見える。素晴らしすぎるロケーション。カウンターにはコロンビアの和製電子ピアノ、エレピアンが設置され、ジョーさんが弾く。「素晴らしき日曜日」「アップライト・ピアノ」で聴けるまろやかな音色、たまらなかったなあ。蔵之介くんが歌ったジョン・デンヴァー「ロッキー・マウンテン・ハイ」のカヴァーがやけによくて、東京に帰ってから、ジョン・デンヴァーのアルバムを生まれて初めて買った。

終演後、シンガポール在住の韓国人カップルと少し話す。なんで来たのかと訊くと、音楽に誘われてと言っていた。名残り惜しかったが明日が早い。23時には店を出て、ホテルに戻った。

○台湾
3日目。5時前に起床して空港へ。とはいっても、ホテルを出て40分後には空港に着いている。那覇空港の国際線ターミナルは端っこのほう、延々と歩いた先にある。ここにも、沖縄を中心にして同心円を描いた地図があった。しかしこちらは旅の誘い。平和と健康と金がなんとか揃っていて、旅ができるいまの状況をありがたく噛みしめる。そう遠くないうちにどれかひとつかふたつ、あるいはすべてが失われるのではあるだろうけど。

台北への航空会社はピーチ。いちばん安いプランにしたので預け入れ荷物はなし、機内持ち込みは手荷物とキャリーケース合わせて7キロの重量制限。自宅を出る時点で微妙にそれを超えていた気もしていて、だから折りたたみ傘を入れるのすらはばかられたし、キャリーケースに巻くベルト(これは本当はあったほうがよい)も持ってこなかったのだった。計量されるのかについては、されるときもあるので油断はならない。超えていたらお金を払って預ければいいんでしょってのはそれはそうで、しかし那覇から台北の飛行機代13000円くらいなのに、荷物預けで5000円くらい余分に取られるのは馬鹿馬鹿しい。結局この日は計量なし。乗ってみると機内も空席が目立った。

離陸から75分で台北・桃園空港に着陸。駐機場が空かず、40分くらい待たされてからようやく飛行機を降りる。台北市内への電車は、クレジット・カードのタッチ決済で乗れるらしいので、それを試す。自動改札が反応しているのかしていないのかいまいちわからないまま電車に乗って台北駅に着き、出ようとすると改札でエラーになる。やはり正しくタッチできていなかった。窓口で決済し直してもらう。

台鐵の台北駅の東側に、安く荷物を預けられる場所(行李託運中心)があると知って、そこに向かう。たぶん距離としては500メートルくらいのものだけど、連日の飲酒と早起きで朦朧としている。荷物を引きずりながらふと、なんで自分はこんなことしてるんだっけ、と考えてしまう。ここは当日中の預かり代がNT$50だった(NT$1=5円)。コインロッカーは駅の中に無数にあるものの、値段が倍くらいしたはず。みみっちいですが……。

2011年の初訪台から数えて、来るのはちょうど10回目。今回は初めて、台北では宿泊せず、半日滞在して通過するのみ。まず西門町の天天利美食坊で腹ごしらえをして、それから何軒かレコード屋を回る。欲しいものがそんなに簡単に見つからないのは知っているし、それ以前に、そもそもどんな台湾レコが欲しいのかもよくわかっていないので、時間の許す限り、無理のない範囲で、に決めた。

どうしても行っておきたかったのは、もしかしたら10年くらい前に、移転する前の場所にあった頃に行ったっきりの南京三民駅西の駱克唱片行。行けた。記憶ではけっこう広かったはずが、いまの店舗は小ぢんまりしてた。無理やり1枚のみ。

公館の茉莉二手書店影音館も、去年は台湾もの歌謡曲のアナログけっこうあったのに、今回はほとんどなかった。仕方なく……でもなく、なぜか韓国のミン・ヘギョンのLPを。あれ、なんでハングル読めないのにミン・ヘギョンだってわかったんだっけな? カタログ番号でググったんだっけかな。

なるべく行きたいと思っていたのが、大稻埕の渭水驛站。蔣渭水(1888~1931)を顕彰する小さな記念館。行けてよかった。彼がいまの日本でどのくらいの知名度があるのかわからないけど、生没年とも映画監督のムルナウと同じ、と書くと、どんな時代を生きた人かイメージできる気がする(わたしだけか)。蔣渭水は医者であり文化人であり政治活動家であり、近代文明の初期にはそうした、教養を身に付けてそれを複数の方向で活かした、活かさざるを得なかった人たちがいた。彼が1921年に日本語で書いた「臨牀講義」は、台湾をひとりの患者に見立ててその現状と治療方法をカルテの文体で記したもので、大正時代の(「日本人」には決して書けなかった)日本語文学としてかなりユニークなものだと思う。折に触れて読み返している。ここでダウンロードできるPDFに「臨牀講義」の全文が載っている。短いので読んでみて。

今日の宿泊地、嘉義までは台鐵の新自強号で3時間半、NT$568(2840円)。台北駅で買った排骨弁当NT$100(500円)を車内で食べる。嘉義のホテルは、部屋のドアを開けると目の前のすぐが突き当りトイレとシャワーのスペースで、その上がロフト風のベッドになっている変わったつくり。湿気は大丈夫かいなと思ったけど、まずまず快適。

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4日目。出発以来毎日、早起きもしくは飲酒が続いていたので、ようやくややしっかり寝て起床。旅の目玉のひとつ、阿里山林業鐵路に乗る日。海抜30メートルの嘉義駅から、海抜2216メートルの阿里山駅まで登っていく登山鉄道。台湾に行くようになってからずっと、訪れたい場所のひとつではあったものの、なにしろそれだけのためにそれなりの時間をとらなくてはならないのと、台風で何年も休業していた時期もあったりして、今回ようやく実現。

チケットは2週間前の朝6時(日本時間朝7時)から予約開始。30分後くらいにアクセスしてみると、嘉義から阿里山行きの切符は取り扱いなしになっている。土曜日のことでもあり、早々に売り切れたのだろうか。列車は上りと下り1日2本ずつで、嘉義-阿里山と、嘉義から途中の十字路駅までの便。十字路行きは席があったので、そちらを予約しておいた。NT$459(2295円)。

阿里山林業鐵路のプラットフォームは、台鐵の駅の隅っこにちょこんとあって、列車が入線する前からたくさんの人たちがカメラやスマートフォンを用意しながら待ちかまえている。足元の線路を覗き込むと、たしかに幅が狭い。そう、この鉄道はナローゲージで、ナローゲージというのは……なんて話は、知ってる人は知ってるし知らない人は別に興味ないだろうから省略。レコードには関係ないから検索しなくて大丈夫。

5両の客車がディーゼル機関車に後押しされて出発する。客車のサイズは小さく、座席は1列-2列。最初は街の中や田舎の平地をしばらく進み、15キロほど先の竹崎の駅を出たあたりから次第に山に分け入っていく。平地を走っているあいだもスピードはゆっくりで、外の景色が楽しめる。緯度で言うとここは沖縄よりもさらに南で、嘉義の南の町はずれには北回帰線が通っている。平地の植生は亜熱帯のそれだったのが、山を登っていくにつれてしだいに、いつも見慣れた温帯の樹木に変わっていく。窓からの景色も、最初のうちは麓の家々が小さく見えていたのが、そのうち、山々しか見えなくなる。狭い線路を息を切らしつつ、左右に車体を揺らしながら走るものだから乗り心地は最悪で、強烈な冷房との相乗効果で、少し気持ち悪くなった。

景色を見ながら考えていたのは、文化は移植できても気候や植生は移植できないんだなということ。米が好きなのでときどき米のことを(最近は値段が高くなったこともあわせて)考えるんだけど、東南アジア原産の米が北海道でも普通に作れるようになった(というか、そう改良した)人間の執念ってすごいよね。でもそれは文化だからであって、ある土地の植物をただ別の場所に移しても、根付かない場合のほうが多いだろう。ついでに言うと、昔、音楽はその土地の緯度と湿度でだいたい決まるんじゃないかみたいに考えていた。あてずっぽうだけど、それほど的外れでもない気がする。

嘉義から3時間、ちょうどお昼時にこの列車の終点、海抜1534メートルの十字路駅に着く。プラットフォームはなく、運ばれてきた踏み台を使って線路の上に降りていく。降りたところでここには人家も観光施設も何もない。飲食店が数軒と、弁当や軽食の屋台があるだけ。ただ人間が列車を乗り降りするためだけの「純粋駅」だ。檸檬雞肉弁当NT$130(650円)を買い、駅に附属した見晴らし台で、遠くの山並みを見ながら食べる。レモンの香りが利いていて、旨い。

何もないとはいうものの周りはいい感じの山なので、適当にハイキングしてから帰ろうかとも思ったが、純粋文化活動としての乗り鉄の意義にのっとって、とくに何もせずにすぐそばの街道に出て、バスで嘉義まで戻ってきた。2時間、NT$78(390円)。わたしが最初に訪台した2011年春のレートはNT$1=2.8円くらいだったかな。それが10年ちょっとでNT$1=5円になると、もう何も買えない、食えない、と一瞬ひるんでしまう。それでもなお、2時間バスに乗って400円は安い。このくらいであれば抵抗なく払える。

2時間弱、嘉義の街をぶらぶらする。山の上は涼しかったけどこちらは歩いていると汗がにじむ。レコード屋1軒(見ただけ)、あとは適当に歩き回って通りかかった店でアイスクリームを買い食いしたり。嘉義を歩くのはほぼ初めてなので、台湾のほかの街と違うかなと考えながら歩いてみた。これといって気付いたことはなかったものの、軍のリクルート・センターみたいなところを通りかかった。迷彩服を着て銃をかまえたり、潜水服を着て水面から顔を出したりといった写真に、「實現理想・從軍開始」とキャッチコピーがついている。

不意に、昔どこかで見かけた「民主的な軍隊なんてものはない」という言葉を思い出す。民主的な軍隊は存在しないし、軍隊がいざというときに守るのは軍隊自身と国家であって、民衆ではない。これはどこの国の人の性質がいいとか悪いとかの話ではなくて、普段あなたが属している家庭なり仲間なり会社なり組織なりを考えてみても、どうしたってそうだろう。プライヴェイトな仲間であればその人たちだけの方針で勝手にやってくれてかまわないが、国とか軍隊は、そうならないように民衆が責任をもって見張っていないといけない。

もっとも、そんなことが言えるのも、いまこの瞬間は日本を出ている観光客の立場だからで、つまり観光客とは、無責任な立場であれこれ発言する権利を金で買っている人間のこと。ではさて、沖縄にいるときの自分は何者だろうか? ソーキソバ食べてオリオンビール飲んだらすぐ帰る内地からの観光客ですから……と無責任に言うのは憚られるし、かと言ってじゃあどうするの責任取ってくれるの、と訊かれると言葉に詰まる。だもんでいままで、なるべく沖縄を見ないで済むようにしてきたんだと思う。

で、なんでしたっけ……嘉義から区間車(快速)で2時間弱、南部の大都市、高雄へ。駅が工事中で、地図を見ても、どっちに向かって歩けばいいのか、とっさに方向感覚がつかめない。宿は駅から歩いて数分のところ。窓のない地下の個室、鍵のついた扉と、荷物を広げるスペースとベッドがある、寝るだけの部屋。NT$785(3925円)。この部屋だったら2500円か3000円くらいにしといてほしい。ちなみに、今回はしなかったけど、旅の途中でときどき、宿の部屋の写真を撮って「独房」とだけ書いて妻にLINEで送ったりしている。わたしはいったい何歳まで、こういう旅を続け(られ)るんでしょうかね。

さて、台湾観光の楽しみといえば夜市。高雄は六合夜市が有名で人気だけど、行ったことがあるので、今日はその反対方向の吉林街の夜市に向かってみる。夜道を歩きながら、そういえば台湾では一度も、危険だと感じたことがないなと思う。危ない場所はどこかにはあるんだろうけど。吉林街の吉林蒸餃へ。せいろに入った10個入り鮮肉蒸餃NT$70(350円)、玉米濃湯(コーンスープ)NT$30(150円)。蒸し餃子、美味しいです。おすすめ。

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5日目。今日は夜まで高雄で過ごす。街をしっかり歩くのは10年ぶりくらいなので、楽しみにしていた。まずは朝の散歩。早起きして、7時前には宿を出る。近くの店でチーズ蛋餅NT$40(200円)を食べ、ファミリーマートでコーヒーNT$25(125円)を買い、ぶらぶら南西に歩く。1時間くらいで、鼓山輪渡站に着く。旗津行きフェリーに乗る。5分くらいの短い船旅。NT$30(150円)。前回はNT$12(60円)くらいだった気がするけどなにしろ昔過ぎて覚えていない。さすがに朝早いもんで、観光客はちらほら、店もほとんど開いていない。旗津半島を横断し(とはいっても500メートルくらい)、海水浴場でぼんやり海を眺め、またフェリーに乗って戻ってきた。

宿をチェック・アウトし、お昼前からみっちりとレコード屋を回る。以前来たことのある店もあるが、その頃は台湾ものには興味なかったので洋楽しか見てなかった。行けたのは5軒(もう1軒行ったけど開いてなかった)。結局、期待していなかった台鋁黑膠(MLD Reading Vinyl)でのみ収穫があった。ここは、映画館や飲食店などが入ったいまどきの複合施設の中にある小ぎれいな店で、入るとまず小さなスペースに新品のアナログが置いてある。奥のほうにはオーディオ機器が展示されていて、ああ「そういう店」ね、と思いながらそっちに進んでいくと、かなり広めのスペースが中古アナログの売場になっている。洋楽のロックやジャズと比べると台湾ものは少ないけれど、それでも数百枚はあったかな。気になるものを抜いて、ソファに座ってネット検索で試聴して減らしていく。5枚でNT$1595(7975円)。錢幽蘭『溫暖/最後一次擁抱』NT$499(2495円)、高凌風『瞼紅的時候/牽不到你的手』NT$399(1995円)など、自分の基準では許容されないほどの高額盤なんだけど、観光客の義務として気前の良さを見せつけてみた。

何日かの滞在で短い滞在ではそうそう都合よく見かけることはあるまいと思っていた馬玉芬『多情會有問題』(YouTube)もあって、さすがにちょっと興奮したものの、NT$1799(8995円)では買うわけもない。これはCDにはなっているので、いつか出会えたらと思うけども。

その他の店。楽換楽好二手唱片は、とてもレコード屋がありそうに思えない住宅地の路地の中にあった。狭く雑然とした店で、でもちゃんとお客さん(と犬)がいる。台湾もののアナログを見ていると店主が話しかけてきて、こちらがわからないそぶりをする隙を与えずになにかまくしたてる。前回の訪台の記録に、そろそろ中国語ができないと、と書いた。Duolingoで少しやってみて、自分には中国語の聞き取りと発音は無理そうだとわかったので勉強はやめたんだけど、なぜか、早口で発せられる言葉の中の「黑膠」(ヘイジャオ=レコード)だけは聞き取れたのだった。

高雄駅近くの、365唱片行。ここも、台湾もののアナログ100枚くらいあったけど、値段が付いていない。高凌風や錢幽蘭など5枚くらい抜いて、店主に値段を聞くと、1枚ずつ、これはNT$600(3000円)、こっちはNT$800(4000円)、などと淀みなく答える。高凌風はNT$1100(5500円)だったかな。買えないので出る。

思想の違い。台湾や香港はそうでもないけど、外国を歩いていると、ごはんを食べる場所を探すのが億劫になるときがある。すべての店は入口に値段を明示したメニューを出しとけよ、そうすることによるデメリットはないはずなのに、とずっと思っていた。でも気付いた。あれは、そういう思想でもってやってるんだろうなと。どうしてそういう思想を持つに至るのかまったく理解できないので、当然、その手の店とはソリが合うはずがない。レコード屋も同じだ。ひとつだけ言えるのは、値段が付いてないので訊いてみたら想像してたよりも安かった、ラッキー、みたいなケースは絶対にないってこと。結局台湾では、レコード6枚、CD3枚購入。

○香港
高雄から夜の便で香港に向かう。利用したのは香港エクスプレス。さすがに機内持ち込みの重量制限に引っかかるだろうと思い、予約時に、荷物預け入れができる料金プランにしておいた。

離陸から65分で香港に到着。通関すると23時。バスで市内に向かうことにする(理由? 列車よりも安いからだよ)。バス代の支払い方法は、スイカのようなオクトパス・カード、現金(おつりは出ない)、クレジット・カードのタッチ決済、自分は使ってない(使えない)各種電子決済などいろいろある。この時点ではオクトパス・カードを買うかどうか決めかねていて、クレカのタッチ決済にしようと思った。バスはこの時間でも15分おきに来る。VISAとマスターカード、どちらをタッチしても反応しない。1本見送り、次のバスで試すもののやはり同じ。

微妙にめんどくさいことに、バス・ターミナルにはたぶんオクトパス・カードは売っておらず、200メートルくらい空港側に引き返して市内行きの電車の切符売り場に行かないといけない。で、ここからの表記は香港ドル、レートはHKD1=20円になる。オクトパスカードは販売価格HKD200(4000円!)。うちHKD50(1000円)はデポジットで、使えるのはHKD150(3000円)分だけ。バス2本、30分ロスしたものの無事に次のパスにピッてして乗車。こうしてあとで書くと、最初からオクトパス・カード買っておけばよかったのでは? と思うのに、現地ではなぜかそういう判断にならない。たぶん、デポジット分の金額が大きすぎて損した気分になったのだろう。デポジットだからあとでほとんど戻るんだけどね。バス代はHKD34.60(692円)。50分で、ネイザン・ロードの、地下鉄旺角駅近くに到着。この時点で24時半を過ぎている。暗くなってから知らない場所に着くのは不安なのでなるべく明るいうちがいい。なのでちょっとナーヴァスになっていたけれど、街灯は明るいし、人もまだまだたくさん歩いている。宿は通り2本入ったところなので、すぐ。インスタント・コーヒーを飲んで、1時半には就寝。

ところで、香港の宿は高い。今回の1泊あたりの宿泊費、那覇は2900円、嘉義は3700円、高雄は3900円、香港は5400円。5400円の部屋は、ベッドがふたつ(枕カヴァーとベッドのシーツにはなぜかトロント・ブルージェイズのロゴがたくさんプリントされている)、一体化したバスとトイレ付き。「一体化したバスとトイレ」では知らない人には通じないと思うので説明すると、洋式トイレの真上にシャワーがある。というか、シャワーの中に洗面台と便器がある、と書けばよいか。お湯はすぐには出てこず、ボイラーであらかじめ沸かしておく。このへんはイギリス式ってことなんでしょう。

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6日目。何も食べずに9時、ホテルを出て、旺角から地下鉄で金鐘へ。そこで南港島線に乗り換えて、9時半、香港島南西部の黄竹杭で降りる。昨晩は旺角に着いて宿に入っただけなので、ようやく街並みを味わいながら歩いてみる。駅を出てすぐに目についたのは、中華人民共和国の建国75周年を祝う旗や横断幕。もちろんここだけでなく、市内のいろんなところに掲示されている。国慶節は10月だったから、その頃にはさまざまなお祝いがあったんだろう。もちろんすべて想像でしかない。

こんなあれこれを考えていたのは、黄竹杭から香港仔まで歩いている途中のことで、バスもあるけど歩いても20分くらいだから、知らない道なら歩いてみたい。香港仔の街をぶらぶらしながら、コンヴィニで物価チェック。おにぎりはいちばん安いものでHKD10(200円)、機械のコーヒーはHKD16(320円)、買えない。マクドナルドのコーヒーはHKD23(460円)。目の前が暗くなって何も見えない。ただしそのうち、だんだんと街に目が慣れてくる。すべてがありえない物価高のように思える中でも、よくよく観察していると、まあこの値段なら出してもいいか、と思えるものは、ある。何も食わないと死ぬし。

香港仔街市(アバディーン・マーケット)のフードコートで朝食。トースト、目玉焼き2個、小さい手羽先2個、アイスコーヒーのセットHKD36(720円)。飲食店でのセットに付いてくるコーヒーは、アイスならミルクと砂糖入りが基本のようだ。朝食セットには、麺+トーストというメニューも普通にある。中華圏では炭水化物+炭水化物(ラーメン+ライス、炒飯+餃子など)は禁忌なのかと思っていたが。そして、食べ終わった食器は速やかに下げられる。これが香港スタイルなのだろうという印象。

今日は香港仔から船で南丫島(ラマ島)に行く。丫はアルファベットのYではなくてそういう漢字であるそうで、日本式に読めば「なんあとう」。船は小さく、途中でだいぶ揺れる。海面はくすんだエメラルド・グリーン。波を見ていると酔うので、遠くの水平線に目をやってやり過ごす。30分ほどで、南丫島の中部、索罟灣に到着。観光客向けの飲食店が数軒あるだけの、小さな村。

ここから1時間くらい、北東部にある島いちばんの町、榕樹灣まで歩く。海岸では野犬の群れと出くわす。野良犬って日本だと見ないよね。島の真ん中の部分は山になっていて、登っていくとところどころで麓の湾や、3本煙突が特徴的な発電所が見下ろせる。体力的にはまったくつらくなく、気軽に自然の雰囲気を味わえる。海水浴場にもまだちらほら人がいた。

香港に着いた翌日にまずここに来たのは、こんな離島にもレコード屋があると聞いて、それはぜひ行ってみたい、と興味を惹かれたから。南島黑膠(ラマ・ヴァイナル・レコード・ストア)。営業は金・土・日・月のみなので、それで昨日、日曜日の夜にやや無理矢理香港に来て、今日月曜日に南丫島訪問をねじ込んだわけ。

品揃えは洋物中心で、値段は安くはない(1000円以下のものはほとんどなかったと思う)。ぜんぜん展開しないミニマルなジャズ・ファンクみたいな長尺曲がずっとかかってて、あまりにも曲が終わらないのでシャザムしてみたら、ウェザー・リポート「ブギ・ウギ・ワルツ」だった。

買えるもんなら何か買いたい、と思って、3枚HKD50(1000円)コーナーで、ハーグッド・ハーディ、アニタ・カー・シンガーズ、スティーヴ・ローレンス&イーディ・ゴーメをなんとかチョイス。ソフト・ロックが好きな人みたいな買物になってしまった。立派なエコ・バッグに入れてくれて申し訳ない。安レコ買い(guy)にも優しいお店。もし南丫島に行ったら、ぜひ寄ってみてください。

榕樹灣からはまた船で、今度は香港島の北側、中環に戻る。前回、6年半前には、中環にも九龍にもHMVがあったし、中環のディスク・プラスでも何か買った気がする。みんないまではもうなくなっている。中環、灣仔、北角のレコード屋を片っ端から回っていく。とはいっても6軒くらい。

買ったのは、灣仔・東方188商場のミュージック・ショップ二手CD店と、銅鑼灣中心商場(コーズウェイ・ベイ・センター)のCD‘經濟’特區。どちらも、小さな店が無数に詰まったビルで、中野のブロードウェイを四方八方から押しつぶしてめちゃくちゃ窮屈にしたような感じ、と言ったら通じるだろうか。狭い空間にぎっしりCDやらDVDが押し込まれていて、全部見るのは物理的にというか体勢的に不可能と思われる。どちらも、適当に目についたところに再発もののCDがまとまって置いてあったので、そこだけ見て、マーキング的に買う。ケニー・ビー、サミュエル・ホイ、ジョージ・ラム。

香港島から九龍半島までは、地下鉄も海底トンネルを通るバスもあるけれど、観光客なので船に乗りたい。ルートはいろいろある。北角から紅磡行きのフェリーにする。HKD10(200円)。10分弱の船旅。香港島側と九龍側、両方の夜景が楽しめて、こんな贅沢はないなと感激しているうちに紅磡に着いてしまう。もちろん香港っ子にとってはこうした景色は日常だから、誰も景色なんか見ていない。

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7日目。ホテルの近くの店で朝食。店員はテーブルに来るのすら横着がって遠くから注文を取る。通じてるのかいなと思いながら待っていると、ちゃんと頼んだものが来る。マカロニと牛肉のトマトスープ、トースト、目玉焼き、アイスコーヒーでHKD35(700円)。

廣東道をぶらぶら南に歩く。青果や乾物の店が並んでいたのが、途中から荒物屋ばかりになる。わたしの地図は、ほうっておくとレコード屋と映画館をつないだ線で描かれたいびつなものになりがちなので、そのあいまにこうして街のグラデーションを足で確かめて、現実に近づけるのが重要。

空港でキャッシングした現金がなくなったので、豉油街の店で両替。1万円=HKD504.5(HKD1=19.82円)。手数料なし。昨日、中環のどこかで最初に見たところがこのくらいのレートだった。で、その後、レートなんて違うったってそんなに違わないんでしょ、と気にしながら歩いて見ていると、場所によってけっこう違う。安いところでは1万円=HKD465(HKD1=21.50円)くらいにしかならないところもあった。

尖沙咀駅近く、中間道のザ・ウェイク・リスニング・ルームへ。15時過ぎ~15時半過ぎ。路面店の1階はオーディオと新品レコードが少し、上の階には大量の中古レコード。はるか奥まで廊下がまっすぐ続き、脇には5つか6つの部屋がある。それぞれの部屋ひとつが、小ぶりのレコード屋くらいのサイズ。とにかく土地のなさそうな九龍に、こんなに馬鹿でかい中古盤屋があるとは思わなかった。

幸か不幸か、値段は高い。値札の付いていないものも多いけど、まあ安くはないんだろうなと想像がつく。値段がついていない森山良子『日付けのないカレンダー』と、姚蘇蓉を持っていって値段を訊ねる。確認するからそこらを見て待っていてくれと言われ、それ自体はまったく苦でないのでしばらくレコードを見ていると、それぞれHKD80(1600円)とHKD240(4800円)の値札を貼って戻ってくる。買わずに出る。

階段を下っていくと、来るときには気付かなかった1枚の絵が目に入る。荒れ狂う海に揉まれるヨット、そこに「A CALM SEA NEVER MADE A SKILLED SAILOR」と書いてある。「荒海こそが水夫を育てる」。レコード収集道もまったく同じだよなと思う。居心地の悪い店やクソな値付けの店に揉まれて成長する側面は、たしかにある。

油麻地のカフェ、美都餐室へ。青と黄色のステンドグラスの窓がかわいらしい、レトロな内装の店。レモンコーヒー(アイス)HKD26(520円)とバター・トーストHKD24(480円)。こういう店はきれいに撮れた写真を見て、ああ行ってみたいなあと思いながら、ぽおーっとしているのがいちばんいい。

ブロードウェイ・シネマテーク(百老匯電影中心)で、相米慎二「お引越し(搬家)」の4K修復版を見る。中国語と英語の字幕付き。チケット代は曜日や時間によって違うみたいで、わたしの見た回はHKD75(1500円)。映画、1本くらいは見たいなと思い、日本でやらなさそうな新作をチェックしたりもしたんだけど、英語字幕を読むめんどくささを乗り越えてまで見てみたいものが見つからなかった。

結果的に、これを見て、すごくよかった。前回の香港では、同じこの映画館で楊徳昌(エドワード・ヤン)の「一一(ヤンヤン 夏の想い出)」を見てめちゃくちゃエモくなっていた。エドワード・ヤンと相米慎二が日本風に言えば同学年なのにはたったいま気付いたけど、10年ぶりくらいに見た「お引越し」、そこかしこにエドワード・ヤンと同じ光があるなと思う。単なる思い込みではあるにしても、そう思い込むに至るまでにはやはりいろんな過程を経ているので、となると、少なくとも自分にとっては、必要かつ必然性のある思い込みなのだ。

ほぼ最後の琵琶湖の場面、夜を越えた田畑智子が、いささか唐突かつヤケッパチに、「おめでとうございまーす!」と連呼する。いつのまにかやってきていた桜田淳子が、そっと、「おめでとうございます」と言葉をかける。そして「染之助・染太郎か? 正月にはちょっと早いなあ」と言う。こんなもん、字幕がついていたってなんだかわかりゃしないだろうにと、日本人観光客としての特権を心の中で振りかざしつつ、さらにもっと個人的な、自分だけの感慨があった。

たぶんみなさんもう忘れていることを書くと、数日前、わたしは那覇にいた。このブログを13000字くらい遡ると、木村鉄太郎と木戸蔵之介のデュオが登場する。木村がMCで、このデュオ名を「蔵之介・鉄太郎」と称していたのだった。そのときには、染之助・染太郎の存在なんてまったく記憶から抜け落ちていたんだったけど。

映画館から旺角の宿までは歩いて15分ほど。途中、ネイザン・ロードのビル、信和中心のレコード屋を何軒か見る。旅の準備の一環として、グーグル・マップスで「レコード屋」「record store」「唱片行」で検索するくらいのことはしていて、でも香港では、そうやっても見つからない店がけっこうある(詳細は8日目の記事にて)。現地に行って店を見かけて、で、その名前で検索すると、載ってはいるのが不思議だ。

信和中心10階の2軒、ミュージック・ライフと、CD“経済”特区(昨日行った銅鑼灣の店の系列なんだろうけど、微妙な店名の表記ブレが気になる。統一してくれ)は、そうやって見つけた。どちらも、ビルの中の店としては極狭ではなく、CDもアナログもあって、いくらか見応えがある。ミュージック・ライフでは3枚(姚蘇蓉、崔苔菁、李麗蕊)。CD“経済”特区には鄧麗君の紙ジャケCDが30枚くらい中古で出ていた。鄧麗君を買い出すとキリがないのでいちばん安かった『比翼鳥』HKD18(360円)だけ購入。あとになって思えば、買えるだけ買っておくべきだったな。

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8日目。昨日と同じ店で朝食をとってから、南に歩いて35分、香港歴史博物館へ。無料。ここはたしか昔、誰かに勧められたんだけど、誰にだったかな。スペースは大きく3つにわかれている。まず2階、中華人民共和国建国75周年の展示から見る。最初のあいさつのところに「国家はたくさんの家庭からできている。国家があってこそ家庭があり、国家の安全があってこそ家庭の安全と発展がある」と書いてある。自民党と同じようなことを言っているな、と思う。

入ってすぐのところが近代中国の歴史を紹介する短い映像。普通話と広東語のヴァージョンが交互に上映されているようだ。朝鮮戦争のパートは「抗美援朝」というタイトルで、なるほど見る方向が違うとそうなるか、と思う。展示は、国土、経済、網路、宇宙などさまざまな安全を共産党が守りますよという宣伝、宣伝、ひたすら宣伝。安全を連呼しているのが逆に危険を感じさせてならない。

台湾について大きく触れているコーナーはなかったようだが、地図や地域区分の表記には当然「台湾省」として含まれている。香港の民主化デモについてのコーナーもあるが、当然、否定的なニュアンス。これだけの経済的被害がありました、ケガ人が出ましたと、完全に黒歴史として扱われている。「国家安全法は合憲です」みたいな但し書きもあって、ここから道をはさんですぐ北側が、学生運動の中心地だった香港理工大学であると思うと、これ以上の皮肉はちょっとない。赤い制服を着た小学生の見学グループもいた。

観光客の立場としては適当に美味いものを食ってレコードを買っていればよい。それでもついつい何か考えてしまう。今回のこの記事、日本の外に出てからは、煩雑さをいとわずに現地通貨と日本円の相当額を併記して物の値段を書いてきたけど、それならば、香港に来てからは地名や人名についてもたとえば、「旺角(Mong Kok/モンコック)」と書くべきだろう。さすがにそんな面倒なことはしないが。

たとえば、博物館を出て西に向かっているわたしがいま歩いているのは柯士甸道だ。英名はAustin Road。Austinを広東語に音訳すると柯士甸になるらしいのだから、だったら日本語のわたしは「オースティン・ロード」と書いてもいいだろう。現にネイザン・ロードは彌敦道とは書かずに、カタカナで書いている。そっちのほうがしっくりくる、という感覚的な理由で。

中国政府はこのへんのことをどう考えているんだろうか。展示を見る限り、有史以来香港は「中国」の一部で、イギリスの植民地になっていたのは屈辱である、という主張らしい。オースティン・ロードやネイザン・ロードは当然、当時の為政者だった英国人が付けた名前なのに違いない。であれば、いまの為政者が、それを改めたいと思わないはずがない。

「柯士甸」は普通話の話者にはたぶんAustinという音を喚起しないからだろう、この通りのことを「奥斯汀道」と表記してあるのをネットで見た。これは日本人が「柯士甸道」にオースティン・ロードとフリガナを振るのと、感覚的には同じなんだろうか、違うんだろうか。ひとつの漢字にいくつもの読み方がある日本語人からすると、「柯士甸道」と書いて読み方はオースティン・ロードだよ、と覚えればいいような気もするし、いちいちそんなことしていられないだろうなとも思う。

そして香港には、広東語由来の地名も、もちろん沢山ある。英語由来の地名を改めたい欲望が次に向かうのは、広東語の地名を普通話の読み方に改めることだろう。この道をずっと進んでいった先に、ひとつの問いが見える。香港はいつまでもHong Kongのままでいられるのだろうか。広東語が駆逐されて、みんなが普通話を使わざるを得なくなったとしたら、普通話では「シャンカン」と発音されるこの街の英語表記も、Xianggangに変更される日が、もしかしたら来るのではないか。

話がいい加減長くなってきたけど……台湾を植民地にした日本は、地名を日本風に変えた。栄町や桜町はいろんなところにあっただろう。いくらか歴史に興味のある観光客としては、たとえば「高雄/Kaohsiung」の名前の由来というか変遷は興味深い。日本人が出て行ったあと、日本風の地名は変更されるか、表記は残したまま読み方を変えられるかした(例:松山は、漢字はそのままに、読みを「まつやま」から「ソンシャン」に)。いまではあらゆる街に中山道があり、成都路、重慶路、天津街などの名前もあちこちで見かける。どうして中国本土の地名が付いているのかといえば、あとになってよそから来た誰かがそうしたから。いっそアメリカのサクラメントのように、碁盤目に道を作って、東西方向の道はAストリートからXストリートにして、南北方向は数字を振るようなやり方だったら、誰も思い入れを持たない(持てない)し、いる人が変わっても名前を変えなくても済んだかもしれないね。もっともそれは、誰も住んでいない(と、あとから来た人たちがみなした)土地に新しい街を作るときにだけ、通用するやり方だけど。

こういうことを書いているとなかなか先に進まない。地下鉄で深水埗へ。旺角からは2駅、歩いても20分くらいで着く街。雰囲気はぐんっと下町っぽくなる。500メートル四方の一帯に、ビルの中の店や路面店、合わせて10軒近くのレコード屋がある。昨日までで買い物は充分した気分になっているため、今日は歩き回って、レコードを触って、見聞を広げて、次回への足がかりにするだけのつもり。

事前にチェックした店を回っていると、その途中でやはり何軒か、地図では見つけられなかった店に出くわす。ところでいまさらではあるものの、広東語のポップスにはほとんど馴染みもなければ知識もなくて、じゃあなんで香港までレコード買いに来てるんだよって感じですが、適当に引っこ抜いてよさげなジャケのものを試聴して買ったり買わなかったりはしてみた。台湾ものも予想以上に売られているのがわかって、勉強になった。鄧麗君は別格として、姚蘇蓉、鳳飛飛はよく見かけた(単にリリース数が多いってのもありそうだけど)。中古盤シーンはかなり物足りない台湾と比べると、香港はまだまだイケる、掘れる、惚れる。おそらく古参の人たちからすれば昔はもっと面白かったよ、となるんだろうけど、まあそれはそれで。

ってことで、深水埗では添記鐳射唱片行で2枚だけ。小さな店で、中古盤なんて10枚くらいしかなかったのに。愛慧娜『錢錢錢』HKD45(900円)。愛慧娜(Ervinna)はインドネシア生まれの、中華=インドネシア系歌手だそうで、シンガポールやマレーシアでも活動していたらしい。家に帰って聴いてみて何が驚いたって、「正月」という曲、パイロット「ジャニュアリー」のカヴァーなのだった(YouTube)。よく見たら「改編自 "JANUARY"」って書いてあったけど。そんなとこまで見ないじゃん。こうなるとやっぱり次のレコ旅は香港、マレーシア、シンガポールあたりかなと夢が膨らむ。

宿まで歩いて戻る道すがら、適当に入った津津好好味の雲呑麺HKD34(680円)がまさにいい意味で適当な美味しさだった。紙製のせいろみたいな形の椀に、小ぶりの肉雲吞が10個以上入っている。メニューを見ながら「ワンタンミェン」と適当にカタカナで注文したら店員が何か話しかけてきて、当然何も聴き取れないのでブーミンバイとカタカナで言ったらやはり当然通じない。辛さはどうするかと英語で聞き返されて、ああそういえばさっき「辣」と言ってた、たしかにそんな気がする、「小辛」はシャオラーでいいんだろうかなどなど、すべて後知恵。

いったん宿で小休止して、香港島に100万ドルの夜景を見に行く。我ながら、いよいよやることがなくなったなという感じがひしひしとする。ピーク・トラムに乗って行くのが正しい観光客の作法だと思われるが、これだと往復HKD88(1760円)もするので、中環から片道HKD12.10(242円)のバスで行く。さぞ混むのだろうと覚悟して向かったら、バスも余裕で座れて、山頂も閑散としている。台風接近で風強く、小雨も舞う天気だったからだろう。もっとも、夜景を見るには関係ない。なるほど、一度は見ておいてよかった。でも、そんなに長時間見るようなものでもない。日没時間に合わせて着いて、夜景になっていくのを見るのがよさそうだ。

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9日目、最終日。6時半に起きて、シャワーを浴び、雨がぱらつく中、宿を出る。歩いて数分、ネイザン・ロードの倫敦大酒楼(ロンドン・レストラン)へ。前回たまたま入って気に入った、点心の店。巨大なフロアをワゴンが巡回してくるオールド・スタイル。ネイザン・ロードのそんな目立つところにあるなんて、観光客向けのぼったくりの店だろうと思ってしまいそうだけど、こういうちゃんとした店があるのはありがたい。

滞在中にどのくらいお金を使うかわからなかったので、ここは最終日の朝食にしようと決めていた。7時半の営業開始に合わせて到着すると、台風予報なので1時間後にオープンしますとの貼り紙。まあ仕方ない。いったんホテルに戻って荷物整理。8時半に出直すと、まだ開いていない。近くのスーパーに寄って、会社で配るお土産を買って戻ってくると、それでもまだ開いていないが、半開きになったシャッターをくぐって出勤してくるスタッフがいる。ネイザン・ロードの西側を適当に南下し、油麻地駅のあたりまで行って引き返す。9時過ぎ、やはり閉まっている。中にいたおじさんに聞くと、今日は休業、と言われた。

あきらめてまたやみくもに歩き回って、行きあたったそこらの店で朝食をとり、あきらめきれずに10時半少し過ぎ、またまたまた倫敦大酒楼へ。シャッターは70%くらい開いており、メニューのスタンドも出てネオンもついている。しかし、入ろうとした客が制止されていた。あの感じだと、昼頃にはオープンしたのではないかな。

チェック・アウトは12時。来るときの空港からのバス停はネイザン・ロード沿いだったけど、帰りの空港行きのバス停は、200メートルほど西側に入ったところにある。12時少し過ぎ、バス停に到着。細かい時刻表はなく、10~15分おき、とだけ表記がある。ところがこれが来ない。バス自体は文字通りひっきりなしに、次から次へと来るのだが、すべてほかの便。空港行きのバスだけが来ない。かと思うと、12時39分、ついにやってきたバスは満員で、石のようにこちらを黙殺してそのまま通過していった。一緒に並んでいる客の、絶望のような小さい悲鳴が聞こえる。

ひとまずバス自体が運行していないわけではないのは分かった。ただし次のバスに乗れる保証はない。いつまでここで待つか考えないといけない。飛行機の時間は15時35分。14時過ぎに空港に着けばいいだろう。そうなるとギリギリ、13時半には旺角を出たい。バスならHKD34.60(692円)だけど、電車だと3倍くらいしたはず。さてどうするか。さっき歩きながら、もしかすると台風接近で飛行機が飛ばない可能性があるな、と心配していた。空港に辿り着けないとそもそも飛行機に乗れない。現実は常に心配を凌駕してくるもんだ。

などと考えていると、12時57分、次のバスが来る。混んでいて立っている客の姿も見えるが、乗れそうだ、やれやれ。自分が列の先頭なので、悠然とオクトパス・カードをタッチして、乗り込む。すると、2番目の客が運転手に乗車を制止されている! その男はわたしのほうを指差して、なんであいつはいいんだよ、みたいなアピールをしている。無理もない。結局彼は乗ることができず、大きな荷物のない数人だけが乗車を許された。次のバス停でも同じようなやり取りが運転手と待ち客との間で繰り広げられて、身軽な客が何人か乗車してくる。

そこからしばらく走ったあたりで、もともと乗っていた客ふたりくらいが、物凄い勢いで何か文句を言い始める。内容はわからないが運転手への抗議だろう。最初、運転しながら言い返していた運転手は、ついにハンドルから手を放して運転をやめると立ち上がってブレーキを踏み――違う違う、それだと事故ってしまう、ブレーキを踏んでバスを止めると、立ち上がって抗議する客のほうに数歩歩み寄り、ひとしきり、やはり猛然と言い返していた。

2時間前には空港に着くように逆算して家なり宿なりを出ろってのは、つまりこういう不測の事態がありうるからなんだな。今日は小雨で、チェック・アウト後に余計なことをせずに早めにバス停に来たからまだよかったようなものの、もし天気がよかったら、最後に昼飯でも、などと意地汚く余裕をかまして、墓穴を掘っていたかもしれない。

空港に着いて、オクトパス・カードの払い戻し。市内行きの電車の切符売場の列で並んで待っていると、案内係の女性が、来る客来る客に、市内行きの切符を買うのか、だったら香港ドルの現金じゃないとダメですよ、持っていますか、と声をかけている。ある女性客が応じる。大丈夫、わたし昔香港に住んでたの、そのあいだずっと香港ドルとっておいたんだから。案内係の女性は答える。そうは言っても、ここにいるといろんなお客さんが来るんですよ、香港なんだから香港ドルで払うのは当たり前でしょう、それなのに、人民元は使えないのか、だとかね……。

羽田空港に着いて、出てすぐの両替所で香港ドルを日本円にしようとしたら、日本円から香港ドルは扱いがあったけど、香港ドルの買い取りはやっていなかった。また香港に行けばいいだけの話だ、倫敦大酒楼の点心が待ち遠しい。わたしが普段住んでいるらしい池袋の街は、旺角と比べるとやけに薄暗かった。

○写真
・沖縄県中城村「CD屋」の駐車場にて。レンタカーの鍵が見つからずに探しているジョーさんと、赤パンの蔵之介くん。
・那覇いちばんの繁華街、国際通りの不動産屋。
・阿里山林業鐵路、十字路駅。
・嘉義、香港っぽい一角。
・嘉義、山積みのはかり。
・嘉義、山積みのパイナップル。
・高雄、鼓山から旗津へのフェリー。
・香港、黄竹杭駅近く。
・香港、竹はまだよく使われている。
・香港、宿のシーツ。トロント・ブルージェイズのロゴ。
・香港、壁に直接書かれた「CD・レコード・カセット・古本リサイクル」の広告。
・香港、病院の入口、中華人民共和国建国75周年を祝う掲示。
# by soundofmusic | 2024-11-20 23:33 | 日記

遠い楕円

遠い楕円_d0000025_19501773.jpg浅草の木馬亭で大工哲弘のライヴを見た。と書くと一言で済むし、その体験を「沖縄音楽と初めて出会った」と言ってしまえば簡単なんだけど、やや関係妄想っぽく言うならば、今日がどうしたって昨日の続き以外のものではありえない以上、自分が今日買うレコードは昨日買ったレコードの続きだし、そこをずーっと辿っていけば生まれて初めて買ったレコードまでさかのぼれる。いままで買ってきたレコードのコレクションは、リスナーとしての自分のディスコグラフィとしてとらえることも可能で、つまりは歴史的視点をインストールすると、自分を歴史のひとつの駒として認識できるようになる。

で、なんでしたっけ……例によって前置きが長くなる。いろんな音楽の中で好きで聴くようなものはごく一握りで、大部分の音楽はわざわざ避けているわけでもなく単に事実として触れずに過ごしているし、タダでいくらでもできるはずの試聴すらしていない。そんな中、沖縄音楽をほぼ聴かずにここまで来たのは、いままで断片的に耳にしてきた範囲で強く惹き付けられる機会がなかったからで、でもそれ以外にも、戦後民主主義教育を受けてきた(真に受けてもきた)者として、沖縄自体を避けてきたというか敬遠してきたというか、そういう面があることは否めない。

東アジア~東南アジアの国々について、日本人が気軽に遊びに行ってはいけない場所という信念がずっとあって、とくに若い頃はその気持ちはいまよりも強かった。そもそも、自分が欲しそうなレコードがそういう国にもあるとは思っていなかったので、きれいな海なんかを目当てにそういうところに行くつもりもなかったし。いまでは、危なくなければとりあえずいろんな国(のレコード屋)に一度は行ってみたい。で、どうやらわたしは、沖縄についても同じような認識を持っていたみたいだ。そして振り返ると、もしかしてわたしは、沖縄出身の人といままで個人的な接点を持った経験がないのではないか? 沖縄はやっぱり遠い。

ここまででも充分面倒くさいわけだけど、これでもかなり端折って説明している。そして、いくら意識として遠い、アンビヴァレントな思いを持っている土地の音楽であっても、耳から入ってきてしまえば音楽として聴く以外の聴き方はない。だからやっぱり、一周回って、単純に、沖縄音楽にピンと来たことがない、と言えばいいのだろう。

で、なんでしたっけ……今年の2月頃だったか、大工哲弘の「トラベシア」が7インチで出る、とのニュースを目にした。ブラジルのミルトン・ナシメントがつくったこの曲、わたしが最初に耳にしたのはムーンライダーズの日本語版で、大工もその歌詞で歌っている(YouTube)

これを聴いて、どう感じたんだったか。とにかくこの「トラベシア」は、ブラジルから(東京を経由して)沖縄にたどり着くまでに、さまざまなフィルターを経由して、すっかり別のものになってしまっている。それがいいとか悪いとかではなく。何年か前に復刻されて聴いた(買ってはいない)新崎純とナイン・シープスの「かじゃでぃ風節」(YouTube)の、民謡を「ペット・サウンズ」風にオーケストレイションしたサウンドを思い出したような気もする。

そしてこれはいま思い出したことで、全然関係ない(いや、少しはある)んだけど、数百回は聴いているはずのマイ・リトル・ラヴァー「エヴァーグリーン」(YouTube)の、曲の後半、3分53秒からのコーラスについて、録音時のエピソードをウィキペディアで読んだとき、けっこうな驚きがあった。

スタジオに着いてすぐに、呼んでいたコーラスの男の人……ブラジル人だったんですけど、その人に「『ララララー』っていうふうにコーラスを入れたいんだ」と小林さんが説明したら、彼が「僕の国の歌い回しでこういうのがあって、そのメロディに合うと思うからやってみるね」と言って歌ってくれたのが「ラライヤー」という歌い方だったんです。

あれブラジルだったのか! そんなん、一度も意識したことがなかった。

で、なんでしたっけ……よくわからぬまま、「トラベシア」が入っている大工のアルバム『蓬莱行』(2003年)を買ってみる。帯には「琉球弧を基点に無限に広がる全く新しい汎アジア・環太平洋音楽の誕生だ!」と威勢のいい文句が躍っている。ざっと曲目を眺めると、京都のSSWオクノ修のカヴァーで始まり、沖縄各地の民謡や俗謡、「お富さん」「ロマンス航路」といった昭和歌謡、細野晴臣が歌っていて知ったハワイ生まれの曲「ジャパニーズ・ルンバ」、パンタのカヴァー「つれなのふりや」(『マラッカ』収録曲)、土地闘争の中で生まれたプロテスト・ソング「一坪たりとも渡すまい」に至るまで、ヴァラエティに富んでいる。そしてその「一坪~」は、「琉米親善の唄」と「標準語励行の唄」にはさまれているのだ。この2枚組全30曲の最後を飾るのが「トラベシア」。

歴史的にも地理的にも大きな範囲をカヴァーする幅広いプログラムではあるものの、いわゆる「多彩な音楽性」とはちょいと違う。大工の朴訥な声と三線、大工苗子のコーラスで、どんな歌も沖縄になる、なってしまう。キムタクがどんな映画でもキムタクにしかなれないように、どこを切っても大工哲弘しか出てこないのだから、こちとら半笑いで恐れ入り、ひれ伏し、聴き惚れるしかない。

こんな壮大で批評性に満ちたアルバムの存在すら想像していなかったなんて、自分は沖縄音楽をロクに知らぬまま、ロクに知りもしないがゆえに侮っていたし、そもそも日本の――いや、ヤマトの――ポピュラー音楽史上にだって、これに類したものはちょっと思い出せない(あるような気はする。ピチカート・ファイヴ『さ・え・らジャポン』とか?)。那覇を中心にした東アジアの地図を用意して、台北、マニラ、上海、香港が収まる大きさの円を描いてみると、東京はその円の外にある。沖縄とはそういう土地だ。沖縄と東京を同じ円に入れようとすれば、必然的にふたつの中心を持つ楕円になる。複眼は常に批評的な視点を生む。

で、なんでしたっけ……しばらくして、東京のどこかでの大工哲弘のライヴ告知を目にして、おおそうか、見ようと思えば見れるのか、と思った。そんな可能性はまるで頭になかった。それはスルーして、また機会があるだろうと思っていたらわりとすぐ、この日の公演を知る。しかし予約せずに愚図愚図していて、当日の数日前になってやっぱり見ておこう、と予約した。

「ウチナージンタ1994-2024」と題されたこのライヴは、『蓬莱行』のリリース元であるオフノートの30周年記念ライヴ・シリーズのひとつであり、同レーベルの第1弾作品『ウチナージンタ』の、(当然ながらこちらもまた)30周年をも祝うもの。『ウチナージンタ』は結局まだ聴けていないのだけど、内容の紹介を見ると、コンセプトは『蓬莱行』とある程度共通しているようだ。メンバーは大工苗子(箏、踊り)、梅津和時(sax)、大熊ワタル(cl、木琴)、中尾勘二(ds、sax、tb)、関島岳郎(tuba)、向島ゆり子(vl)、石川浩司(per)、こぐれみわぞう(チンドン)。ある種のヤマト音楽の、見かけるところではよく見かける、そんな面子。わたしはこの面子の字面を目にしたら出てくる音の想像がおぼろげなりにはつくわけで、そういう人はたくさんいるだろうけど、それにしたってそういう人は少数派ではあるはず。

そして1曲目、いきなりジンタの明治のムードが充満する。MCでは「涙が出そうなくらいうれしいです、この拍手。(少し間をおいて)もう一度お願いします」とさっそく客席を和ませる。音を聴くといろいろなことが一気にわかってしまう。構造としてはシンプル極まりないジンタが、19世紀末の日本人にとっての初めての「しょうゆ味の洋楽」であり、拡大をもくろんでいた日本のBGMだったこと。そして期せずしてそれが、ニューオリンズ・ジャズの集団即興からオーネット・コールマンへとつながる歴史の軸の線上にあるものとして見えてくる。

大工の長いMCは、ダジャレを大いに交えつつ、しかしこの場での沖縄代表としての立場を一瞬たりとも忘れはしない。この日、10月10日は関島岳郎の誕生日であると紹介し、そして、1944年の那覇空襲(10・10空襲)の日でもあったと話す(知らなかった)。

知っている歌も知らない歌も、太い刷毛で沖縄色に塗りたくられる。その色の細かいニュアンスを見分けて味わうセンスはいまのわたしにはまだなくて、かろうじて濃淡だけを感じながら、このような歌のありかたが存在するのかと驚くばかりだ。戦後、石垣島で作られた初めての標準語の新民謡「愛の子守唄」。「ヒヤミカチ節」は本土復帰の機運が盛り上がった際につけられた標準語の歌詞で歌われる。

そして、知らない歌の驚きよりも知っているつもりの歌がもたらす驚きのほうが常に大きい。「お富さん」(作曲の渡久地政信は恩納村生まれ)や高田渡の「生活の柄」(作詞の山之口貘は那覇生まれ)を、沖縄音楽として聴く。そんな聴き方(聞こえ方)、想像すらしたことがなかった。

浅草にいるわたしはいつのまにか椅子ごと屋根を突き抜けて空へと飛び出して、ヤマトと沖縄、ふたつの中心を持つ楕円軌道を何周も回ってスイングバイして、成層圏を漂いながら木馬亭を見下ろしていた。大陸も南洋もハワイもアメリカもブラジルも明治も令和もひとつの画面にちょこんと収まり、同時にそれぞれの土地の人々の生活の営みが細部までくっきりと見える。超ロング・ショットなのにクロース・アップでもあるかのような。

アンコールでは大工苗子のお囃子にあおられて、観客が魔法にかかったように前のほうから次々に立ち上がり、会場がほぼ総踊り状態になる。こういう経験は、めったにない。体感では数年に1回、だから100回に1回くらいのものだろう。

ところでこのライヴの2日後がPPFNPで、岡村くんと話していると小沢健二の『ライフ』も今年で30周年だった、って話題が出た。その話題は、一緒に話していた中野さんがたまたま、黒のぴったりしたニットにタータン・チェックのスカートという、往年のオリーブ少女風の格好をしていた事実にも触発されたのだと思う。つまりはそういうこと。伸び縮みする時間を行ったり来たりしながら、音楽は続いていく。
# by soundofmusic | 2024-10-18 19:51 | 日記

リスト Vol.134 2024.10.12 ゲスト:makillda & marume ライヴ:amaimono

***森山兄***

01 Joy of Cooking / Hush
02 Godfrey Daniel / Hey Jude
03 Stone Mountain Boys / Yesterday
04 Dorothy Love Coates And The Original Gospel Harmonettes / I Wouldn't Mind Dying
05 Son 14 / Se Quema La Trocha
06 Pupi Campo And His Orchestra / Negra Consentida
07 Craig Doerge / Dogs Are The Only Real Christians
08 細野晴臣 / 安里屋ユンタ
09 Bob Andy & Marcia Griffiths / Ain't Nothing Like The Real Thing
10 ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス / バンブー
11 Alfredo Linares / Alma y sentimiento

☆コメント

01 カリフォルニアのヒッピーくずれたちによるバンド。塩辛い女性ヴォーカルと、ジャズ、フォーク、ソウルなどをうまく混ぜたアンサンプル。『ジョイ・オヴ・クッキング』より。(YouTube)

02 ロックの有名曲などをドゥワップ風にやった正体不明のグループ。『テイク・ア・サッド・ソング……』より。ビートルズのカヴァー。(YouTube)

03 たぶん2枚くらいアルバムを出しているブルーグラス・グループ。『ストーン・マウンテン・ボーイズ』より。ビートルズのカヴァー。(YouTube)

04 ゴスペル。なんかの2イン1のCDより。(YouTube)

05 クーバの作編曲家/バンドリーダー、アダルベルト・アルバーレスが率いていたバンド。ベスト盤より。(YouTube)

06 クーバのバンドリーダー。ベスト盤より。(YouTube)

07 ジェイムズ・テイラーのバック・バンドなどで知られる、ザ・セクションの鍵盤奏者。ソロとしてのたぶん唯一作『クレイグ・ダーギ』より。オールド・ラテンっぽい雰囲気の曲。(YouTube)

08 沖縄民謡をちょっとだけレゲエっぽくカヴァー。『はらいそ』より。(YouTube)

09 大のレゲエ嫌いで知られるわたしが好んで聴くレゲエ。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルのカヴァー。『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』より。(YouTube)

10 筒美京平が本気でやった匿名ディスコ・プロジェクト。唯一作『ドクター・ドラゴン&オリエンタル・エキスプレス(バース・オヴ・ア・ドラゴン)』より。ミュージシャンのクレジットないですが有名な人たちがいろいろ参加しているとか。(YouTube)

11 ペルーのピアニスト。『ミ・ヌエボ・リトモ』より。(YouTube)

***森山弟***

01 Gotan Project / Queremos Paz
02 森田崇允 / Minor Leaves
03 ゆうらん船 / 夢見てる
04 Charlie Musselwhite / Cha Cha The Blues
05 Samantha Fish / Gone For Good
06 Molly Tuttle / Take The Journey
07 Soul Bossa Trio / Tin Tin Deo
08 SOIL&"PIMP"SESSIONS & KENTO NAGATSUKA / MILLION SECRETS OF JAZZ

***makillda***

01 LOVE SWEET LOVE / OST "VIRUS"
02 FAVOURITE / BROTHER ZURU
03 THE NEXT TIME WE LOVE / ALPHONSE MOUZON
04 SUONNO / CAPINERA
05 SPACE TALK(DIMITRI FROM PARIS REMIX) / ASHA PUTHLI
06 SAY MY NAME / RAAJA BONES
07 WATATSUMI / CHO CO PACO CHO CO QUIN QUIN
08 RAGGA CUMBIA AKIO NAGASE CUMBIACID REMIX / REAL THING
09 RAVE DU BRAZIL / TONY LAVRUITZ & SCRUSCRU
10 LAGUNA AZUR (JALUSI'S ACID DUB) / SUNCREAM
11 WHERE WERE U IN 92? / EDEN BURNS & CHRISTOPHER TUBBS

***marume***

01 Reserve - Destination Pour L'Inconnu
02 Van Kaye & Ignit - Alice Notley
03 Roladex - Scan Lines
04 Gang Of Four - I love a man in a uniform
05 Shriekback - My Spine (Is the bassline)
06 Null and Void - Motorcycle Song
07 Chris & Cosey - Arcade
08 Yellow Magic Orchestra - Rap Phenomena
09 Jin-Cromanyon - ドイツのポスター
10 Deutsche Amerikanische Freundschaft - Brothers
11 Abrao - Intensidale (Rina Remix)
12 Holger Hiller - Das Feuer

***ライヴ:amaimono***

01 org
02 OL
03 点
04 やるせない
05 ひっこし
06 october (新曲)
07 紅掛空色

***森山弟***

01 The Selection of DE DE MOUSE Favorites performed by 六弦倶楽部 with Farah a.k.a. RF / Tong Poo
02 Balanço / Mrs Beat
03 Skeewiff / Soul Bossanova
04 Capricorn College Brass / Capricorn College
05 Fantastic Plastic Machine / Bachelor Pad (F.P.M. Edit)
06 Noonday Underground / Tell It To The People
07 Glucose / La La La Love Song
08 原田知世 / 朝日のあたる道

***森山兄***

01 Cleo Sol / Don't Let It Go To Your Head
02 優河 / Mother
03 細野晴臣 / フィルハーモニー
04 オウガ・ユー・アスホール / たしかにそこに
05 桐島かれん / 憂鬱な姫君
06 ハイ・ファイ・セット / スクールバンドの女の子
07 John Fischer / All Day Song
08 江利チエミ / 旅立つ朝
09 Ralph Carmichael And The Young People / Bright New World
10 Fairport Convention / Farewell, Farewell
11 黛敏郎 / 蛍の光

☆コメント

01 なんかのバンドだかプロジェクトだかの人らしいですがソロも3枚くらい出てる。『マザー』より。(YouTube)

02 いまこのコメント書いていて気付きましたが(遅い)、マザーつながりですね。新譜『ラヴ・デラックス』より。発売前にライヴ行ったときに「ネクラのためのダンス・アルバム」と予告してました。(YouTube)

03 名盤『フィルハーモニー』より。(YouTube)

04 新譜『自然とコンピューター』の最後の曲。そのひとつ前の曲が細野「フィルハーモニー」っぽいかな? と思ってつないでみたけどそんなでもなかったですね。(YouTube)

05 『かれん』より。CD持ってないのでYouTubeからダウンロードしたのを焼いたのをかれましたが音が悪かったですね。すみません。作詞は森雪之丞。こういう非現実的な世界観の作り込みはさすがだなと思います。作曲は高橋幸宏と鈴木慶一。(YouTube)

06 サーカスをめぼしいところひととおり買ったので、今年はハイ・ファイ・セットに手を出しています。『閃光』より。なんかの洋楽のカヴァーらしいです。(YouTube)

07 宗教SSWの名盤らしい『スティル・ライフ』より。子供のコーラスがいい感じ。(YouTube)

08 村井邦彦作曲、ロスアンジェルス録音、ジミー・ハスケル編曲。ドラムスはハル・ブレイン。『チエミ・オリジナル』に収録。このアルバム、ほかにはあんまりおしゃれな曲はないけどこれを聴くためだけに買ってもよい。(YouTube)

09 宗教ソフト・ロックの名盤『アワ・フロント・ポーチ』より。(YouTube)

10 『リージ&リーフ』より。いまさらですがサンディ・デニーのヴォーカルが素晴らしいですね。作者はリチャード・トンプソン。(YouTube)

11 いつものクロージング・ナムバー。

***おまけCD『Assorted Sweets』曲目***

01 高田渡 / アイスクリーム
02 Tom Waits / Ice Cream Man
03 アン・サリー / Happy Pancake
04 Asleep At The Wheel / You're My Sugar
05 The Jumping Jacques / Let Them Eat Cake
06 YUKI / 勇敢なヴァニラアイスクリーム
07 Stoned Soul Picnic / Erotic Cakes
08 Tony Joe White / Save Your Sugar For Me
09 The New Mastersounds Feat. Chip Wickham / Chocolate Chip
10 小島麻由美 / ショートケーキのサンバ
11 Alfredito & His Orchestra / Honeydripper Mambo
12 Ella Fitzgerald / Hotta Chocolatta
13 TOWA TEI / Amai Seikatsu (La Douce Vie)
14 Sam Cooke / Sugar Dumpling
15 あっぷるぱい / アップルパイの薫り
16 Kathryn Williams / Candy Says
17 Predawn / Custard Pie
18 松任谷由実 / 甘い予感
19 渡辺俊美 & THE ZOOT16 / SUGAR DROP
20 JUDE / サニーのチョコレート
21 Rockpile / If Sugar Was As Sweet As You
22 Led Zeppelin / Custard Pie
23 Rodriguez / Sugar Man
24 Roy Bookbinder / Biscuts

☆ライヴ・ゲストのamaimonoにちなんで、甘いものを集めてみました。
# by soundofmusic | 2024-10-15 07:45 | PPFNPセットリスト